ひきこもりの支援は まず人とつながる経験を

 教育関係の編集者を経て1995年に不登校情報センターを設立した。居場所の運営を始めると、当初は不登校の10代が多かったが、徐々に不登校の後にひきこもりになった人たちが増えた。その数は全国で増え続け、今やほぼすべての自治体がひきこもりに何らかの対応をしている。ところがその割に、成果が上がっているように見えない。
 自治体の取り組みは、心理的要因の改善や就業支援に偏りがちだ。しかし私の経験からすると、その中間にある就業以前の「社会化」の支援が必要な人が多い。経験を通じて人とのつながり、コミュニケーションの力を身につけ、社会的人間に成長できる環境をつくる対応が大事だ。
 ひきこもりといっても、外出自体はできる人は多い。しかし外でコミュニケーションが取れず、挙動不審に思われたり周囲に関心がないと誤解されたりしてしまうことがある。否定され続けてきたため、「他の人を嫌な気持ちにさせるのでは」という気持ちや警戒心が強いのだ。
「居場所」では人と話す経験を大切にする。音楽、美術館巡り、スポーツなど趣味の話題が多く、親しくなると学校時代や家族の話も増える。「居場所」の掃除や食事会をすることもある。人とのつながりが生まれると「○○さんがいるから会いに行こう」という思いが外出の動機になることもある。
 支援には、ひきこもりの人の特色を知った上での配慮が必要だ。その繊細で鋭い感性を表わす言葉や振る舞いをまとめた「ひきこもり国語辞典」を出版した。たとえば「分担」の項目はこうだ。「一つのことをいくつかに細分し誰かと一緒に協力して進めるのは苦手です(略)せめて一人ひとりの分担範囲を決めてもらうと、気分が楽になります」
 社会化の支援は定式的な方法を確立がしづらく、成果を判断する尺度が見えにくいが、対応例は増えている。保健所がひきこもりの人の居場所をつくり、就労をすすめるサポートステーションの活動に対人経験を盛り込む例も多い。当事者の内側にある潜在的な力をひき出す当事者視点の取り組みだ。ひきこもりの原因を個人の心理的要因とする見方は今も強いが、「治し、教え、訓練する」目線は実情とずれる面がある。
社会の姿はそのまま変えずに、ひきこもりの人の社会参加を求めるだけでは限界がある。不登校への対応が学校や教育制度の状況を改善したように、ひきこもりだった人が働きやすい社会、ハラスメントや長時間労働のない職場は、誰にとっても働きやすくなる。ひきこもりへの対応を社会の変化につなげたい。

〔 朝日新聞【私の視点】2023年6月7日掲載 〕

投稿「私の視点」ひきこもりの支援

6月7日「朝日新聞」、「私の視点」欄に私・松田武己の投書が掲載されます。そのゲラ刷りが送られてきました。タイトルは「ひきこもりの支援」です。
短い文章に内容をかなり圧縮する難作業でした。担当編集者の協力を得て的確に表現できたと思います。この問題にかかわる方に参考にしていただきたいと願います。
文中に私が編集した『ひきこもり国語辞典』からの引用は担当編集者のアドバイスにより入れました。今回の投書の主旨は『ひきこもり国語辞典』のまえがきの言葉「人並み以上の感性と人並みに近い社会性をもつ」人間集団であるひきこもりの支援方法を実体験に基づいて提示したものです。ひきこもりを支援していただける方が多くなること、より適切な支援が進むこと、それは社会全体が生きやすく、暮らしやすくなると考えるからです。
『ひきこもり国語辞典』は時事通信社発行で、通販のAMAZONで購入できます。私の手元にもありますので、本体価格1600円(送料無料)で送ります。

(5)性的少数者の社会的承認

LGBT(性的少数者)が社会的に公然化したのもこの30年余のことではないでしょうか。それ以前にもそういうタイプはいましたがかなり珍しいものでした。
これが公然化したのは、社会的背景として個人が自由に表現できる条件ができたことです。自然界の法則として7~8%が男女の境界上または往来するタイプであり、それが認められてきたわけです。
社会的に承認を受けるには多くの苦難な過程があったと知りました。その際に著明人のカミングアウトは大きな役割を果たしたと思います。著明人では知る範囲では「MtoW」タイプが目立ち、逆の「WtoM」タイプは少ないと感じます。
不登校情報センターの通所者や相談に来た人の中に、数人が広義の性的少数者でした。言い換えればこの人たちは生きづらくて社会から一歩引いた生活状態にいたと証明されるのです。私がそういう状況を知ったのはそのおかげでもあります。居場所に来た人では後者の「WtoM」タイプが多いので、「MtoW」の活躍が目立つのは私には少し謎です。
しかし社会的な対応としては現在もいろいろ不自由が指摘されています。同性婚は、法的にはまだ明確にされていません。裁判所の判決で同性婚を受け入れる法制度が整っていない不備が指摘されています。その前にごく当たり前の夫婦別姓というのも認められないのは、時代錯誤もはなはだしいでしょう。
社会的に承認が広がり、それにしてはなお課題は大きいようです。それでも1970年以降生まれた人たちの個人中心的な自由な発想の大きな成果であると考えます。

会報『ひきこもり周辺だより』6月号を発行

会報『ひきこもり周辺だより』6月1日号(第74号)を発行しました。
今月の主な内容は、次の3つ。
① 清水大樹(ひきこもりへの訪問者)「孤立結構、分断おおいに結構」⇒かなり挑戦的内容です。
② 松村淳子(助走の場・雲)「『きょうだい児』について」⇒ヤングケアラーと似たところもありますが、また別の面もあります。
③ 松田武己(不登校情報センター)「ひきこもりの認定について」⇒経過を書きますと…。

6月7日の朝日新聞「私の視点」欄に投書が載る予定です。ひきこもり支援の方法を書きました。掲載に当たりコーナー担当者から電話取材があり、また何度かのやり取りをしました。その過程で誰がひきこもりを認定するのか不在である点を意識しました。以前から気づいていたことですが、ひきこもり支援の方法と「ひきこもりの認定」を結び付けて考えられると確信しました。
いずれ短縮して投書レベルにまとめたいと思いますが、今回はおよそ3000字です。数日したらサイト内のどこかに載せます。

(4-2)イクメン父親は増えています

乳幼児への虐待について追加します。先日の親の会で話しながら気づいたことです。
最近の若い父親の中には従来は見られなかった姿があります。若い父親が赤ちゃんを胸側にかかえて歩く姿は、私の20代・30代の頃には見ることができなかった光景です。イクメンを象徴する姿です。
親の会の場にいた母親からは幼児を保育園に父親が送ってくるとか、迎えに来るというのも以前は珍しかったといいます。それが珍しくはなくなったといいます。私が住む近所に保育園があり、確かに朝夕に父親が子どもを自転車に乗せている姿はよく見ます。
たぶん男性全体の傾向が優しくなっている、女性がより対等に近づいている、それが関係するのでしょう。優しくなったから自分の子どもへの関心が向くというよりは、人を尊重する気風が1時代前よりも向上していると考えます。
そんなことはないという意見もあると思います。いつの時代でも個人差あります。それでも時代の感覚としては着実に進んでいると思えるのです。
これをもって幼児虐待の事情に心配はないとは言うつもりはありません。乳幼児虐待が増えている片方にはこういう事態も見られる点は認めていいと思うのです。

(4)乳幼児への虐待への対応

乳幼児への虐待の広がりも、この20~30年間の社会的様子を表わしています。昔から虐待はありましたが、これほど広がるのは社会が大きな変動期を迎えている1つの証拠と考えます。
私がその重大性とか特色を初めて知ったのは『母乳』(山本高治郎、岩波新書、1983)でした。私が読んだのは2000年を過ぎていました。産後すぐに乳児と離された母との切り離された状態で生まれる「被虐待児症候群」というアメリカの産科医の研究によるものでした。特にこれは母親の知的レベルには関係なく見られる点が印象に残っています。
というのは、不登校情報センターに通所する人の中には乳幼児期に虐待を受けていた人が複数人おり、この指摘を感じずにはおれないからです。
社会的には日本は核家族化が進みました。子育ては単一家族の仕事、とくに母親1人で担当する状態になりました。この時代には“子育て本”が広がり、母親のつながりによる知恵の伝承ではなく、成功例に基づく一般化できる知識が子育ての見本にされ、独り母親がそれを吸収してきたのです。
2022年にカウントされた乳幼児虐待の件数は20万件を超えます。行政の担当は児童相談所がこれに追われ、目が届きにくい状態になっています。家庭児童相談室や保健所の職員がこれを各部分で補充するしくみですが、手が回らないのはむしろ当然です。
虐待を受けた子どものある割合がその後遺症状としてひきこもる。ひきこもりへの対応の一定部分をそう考えています。「被虐待児症候群」は後に愛着障害とされてきたと考えます。虐待を受けた乳幼児への対応が心身に即したものになるのは当然です。しかし、社会的な対応はさらに遅れを取っていませんか。虐待死が起これば児童相談所が責められる事態が続いています。今の体制では手が回らないと指摘されているのに、社会的な対応としては児童相談所が一手に責任を負っています。
母親一人の子育てで苦戦する対応はどうなっているのか。自治体は保健所などで子育て相談に対応しているが事の重大さに対して差し出される手は少なすぎる。子どもが動く1日24時間にどれだけの空白が生まれているのか。その質量はあまり注意が向けられない。それに対しては社会的な対応によるしかない。そこに目を向け、ゆったりとしていながら好意と関心を広く多様に結びつける状態を整えなくてはならない。ひきこもりに関わってたどりついた結論の1つはここです。

(3)いじめに対する社会的対応の変化

不登校情報センターに通所していたひきこもり等の経験者の多くがいじめを受けていました。全員から聞きとったわけではありませんが、おおよそ3人に2人以上と推測します。内容や程度はさまざまで仲間はずしや言葉によるもの、見下げた扱いをされた…ことが多く、暴力的なものは少ないと感じます。
いじめを受ける・受けやすい子どもには虐待を受けた体験がある程度は関係します。またいじめを受けた後遺症状としてひきこもりにつながりやすいこと、この2点は認めてもいいと思います。
いじめのうち深刻なものは自殺につながります。30年前に東京郊外の中学生女子の自殺をきいて、遺族の自宅を訪ねたことがあります。学校では箝口令が敷かれ、なかったこと、早く忘れ去られる対応がされていました。他の生徒の進学に悪影響が及ばないようにすると聞いて驚いたものです。
私は、ここではいじめに対する社会的対応を考えています。この当時に比べると対応は変わりました。2013年にいじめ防止対策推進法ができ、文科省はいじめを広く認めるように勧めています。2021年の小中高校・特別支援学校でのいじめの認知件数は60万件を超えました。「ないこと・なかったこと」にしてきた隠ぺい体制からの変化です。しかし、隠ぺいがなくなったとはいえません。気になるのは、いじめが大きくとり上げられてから子どもの間での「けんか」が消えました。「けんか」はいじめの中に吸収されたのでしょう。
いじめを受けた生徒の自殺につながる怖れがあれば「重大事態」とされ、学識者や弁護士を含む第三者調査委員会が設置されるようになりました。
社会的対応としてみれば、学校側の積極的認知、調査委員会の設置という、いわばハード面に近い制度が整ったわけです。それでも重大ないじめ事件やいじめ自殺は続いており、より生徒側に近いところでのソフト面の対応が求められます。いじめを受けた後遺症状への対応も必要です。
私は編集者の時期に『「いじめ」の発見・防止・克服のてびき』(あゆみ出版『子どもと教育』1985年12月臨時増刊号)という本の編集担当をしました。学校現場の教師陣が具体的に示したものですが、改めて読み返してみると、それがソフト面での社会的対応の内容だと理解できます。もちろん最近版は求められますが……その中心には機械や制度ではなく人間になるのは間違いないでしょう。この対応内容はひきこもりの対応にもつながるのです。
いじめへの基本的な対応とは、教育全体の内容を問い、社会全体の改革につながることです。子ども世界のいじめは、教育や社会の全容が分かりやすく極端に現れるのです。

(2)不同意を社会的病理と表わす

 ゆたかな時代とは何でしょうか。1960年代を通して日本は高度経済成長の時代を経て、1970年代に入って日本は高度な経済社会になりました。若林先生が言ったゆたかな時代の到来です。
その1970年代以降に生まれた子どもたちの多くが思春期を迎えたのが1980年代のはじめです。その子どもたちが学校や教師や、もっといえば学校教育の姿に意義申し立てをする方法が登校拒否、不登校であったといえるのです。
こういう事態に対して、校内暴力や非行を鎮静化した学校・教師ひいては文部省(当時はまだ文科省=文部科学省ではなかった)は、登校拒否・不登校に対しても鎮静化を図る対応をしたと思います。
「登校拒否・不登校のゼロ」を目標にしたところが多いのが、それを象徴しています。驚くべきことですが、今でもこれを目標にしている教師や学校や、ときに地域の教育委員会があります。
文部省は比較的早い時期(1990年代のはじめに「登校拒否はだれにでも起こりうる」というスタンスを示しましたが、その意図は十分に理解されたとはいい難い。あるいはその意味するところを文部省の人たちもまだ十分には理解していなかったのかもしれません。
1つ変化したと思うのは、非行・校内暴力は生徒の「問題行動」と考えられたのに対して、登校拒否・不登校は「社会的病理」と考えられたことです。この違いも学校現場においてはあまり深く意識されていなかったと思います。あえて言えば、問題行動の新しい形と考えられたのではないでしょうか。
この違いは社会的な背景の大きな違いが、思春期以降の子どもたちの不同意のときに表現方法の違いに表われたと考えるのです。

(1) ゆたかな時代の教育方法


これから週1回ぐらいのペースで「ひきこもりの社会的な対応」を書いていきます。これは「ひきこもりの心身状態」と対比できるテーマです。今回はその初回です。

記憶では1983年のことでした。当時は校内暴力がひどい時代でした。長野県の私学・篠井旭高校の校長の若林繁太先生と話す機会がありました。篠井旭高校は校内暴力の生徒たちを受入れ、これにどう対応するのかを先進的実践(強圧ではない教育的方法)で示していました。
当時私は月刊教育誌『子どもと教育』の編集をしており、若林先生との話はその出版社の一室で数人と一緒に交わされました。今でも印象に残る若林先生の言葉では「これまでの教育方法は日本が貧しい時代のものだった。これからはゆたかな時代の教育方法が求められる」というものです。
これは実に的確なものだったと回想できます。それまで生徒たち——このばあいは中学生や高校生——は学校や教師に不満をもつばあいは、非行や暴力でそれを表わすのが主流でした。もちろん正当な抗議方法もありましたが、目につくのは非行や校内暴力だったのです。
そして、1980年代の半ば以降、生徒の不満や反抗は、登校拒否・不登校で示すように変わっていきました。非行や校内暴力は絶無ではないでしょうが、すっかり姿が見えなくなったのは確かです。
若林先生が話し、私たちがそれを聞いていた1983年というのはまさにその境目の時期であったといえます。若林先生は「これからはゆたかな時代の教育方法が求められる」とはいいましたが、その教育方法が現実化しているといったわけではありません。それから40年の歳月がすぎました。社会はこれにどう対してきたのでしょうか。

身元保証人と「孤立」問題

 入院するときに身元保証人を求められる。病院側では長期化したときの医療費の支払い、着がえなど日常生活品の補充、究極的には亡くなったときの引き取り先になるのだろう。これは私の想像なので本当のところはよく知らない。
ただ入院時には、「一応お願いします」「手続き上必要なんです」と比較的軽い事情であると言い渡されることが多い(と思う)。
では誰に頼むのか。遠くに知り合いに頼んでも認めてもらえず、家族や親族限定に限られる。そうでなければ身元保証人の住民票や保証書を求められることもあるのではないか?(これは私の推測だが…)。
この入院条件が危ぶまれる人が日本にはどんどん増えていくと思う。いや既にかなり生まれているのではないか? これがやがて表面化する「孤立・孤独」の社会問題である。

転居して新しいアパートに入ろうとするときにも保証人を求められる。家主側の事情は入院患者を受入れる病院と似ていると思う。家賃の支払い、入居した部屋・家屋の使用状況、そして亡くなったときの引き取り先などだろう。
家族で一緒に住む場合はまだいいが、単独入居となると条件が厳しくなる。
この条件を充たせない人のために、民間業者による「家賃保証」や「保障サービス」が出来ている。一定額を収めて保証人になってもらう方法だが、これは主に家賃負担における民間保険業だろう。ただこれで十分かと言えば心もとない。いずれ保証人がおらず、このような民間業者も利用できないために住宅に入れない人が出てくるのではないかと予想できる。これが将来の「孤立・孤独」の社会問題である。

これらはこれまで家族・親族が担ってきたものだが、この数十年の家族関係の変化のなかで崩れつつある。それにもかかわらず家族・親族に保証人を求める傾向があり、それは近づきつつある「孤立・孤独」への社会的準備を遅らせる。
入院や住居だけでなく、保証人、身元引受人を求められるものは他にもある。成人後見人制度ができた(2000年)がそれは、一部の人に対するものになる。
身分証明証というのを、私の若い頃の数十年前に持っていたことがある。会社が発行するものだった。それに対して、今やマイナンバーカードが発行されている。すでに国民の80%程度が持っているというが、本当の動機が怪しげない。元々は国民背番号制という税金回収目的からスタートしたものから変化してきたようだ。
これと似たものが、個人事業者に求められるインボイス制度だ。マイナンバーカードやインボイス制度が危ぶまれるのは、税回収や国民管理の意図が裏側に見えるからだ。そういうものではない、清明で安心した社会の一員であることを保証する制度をつくり、それを権利主体としての国民を守る制度として確立する。おそらくこれが近づく「孤立・孤独」という社会問題への対応策ではないかと思う。
税回収とか、国民管理のためではなく、権利を持つ主体として保証する制度である。住宅がなければ住宅を権利として保証する(申し込みがあれば公式に対応する)、生活費がなくなれば「最低限の健康で文化的な生活条件」を保証する制度である。

先に40代、50代になったひきこもり経験者の一定数が抱える心身状態の課題を考えた。それに続き彼ら彼女らの社会的な対応について考えてみた。先日の親の会で話し合いの中で、私が思い浮かぶ十人前後の人たちの何年後かの問題はこの「孤立・孤独」に直面することではないかとわかった(気がする)。この問題はもっと多角的に考えてみるべきだが今回は、保証人、身元引受人というところから考えてみた。