子どもの側から親を独立した人として認めるー「ホットロード」

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子どもの自立:その1
映画「ホットロード」を見に行きました。
井下真由美さんが卒業論文『少女まんがに描かれた母親像』(あゆみ書店)で取り上げた作品でした。主人公の中学生・和希役は売り出し中の能年玲奈さん。相手は暴走族のアタマになるハルヤマ。
井下さんは長いまんが作品を卒業論文に14行でふれ、キーワード2か所を抜き出しています。なんとこの2か所は映画の台詞でも採用されていました。
①「あれさー、親さー、しょうがねーじゃん…、あいつらも生きてんだからさー、そぉ思っとけばいーじゃ…ん」(これはハルヤマの言葉)。―「和希は、母親を自分の母である前に一人の人間としてみることとなり母親に対する言動が変化する」
②「ずっと先でいい、いつかハルヤマの赤ちゃんのお母さんになりたい」。これは映画の終わりになる言葉です。

井下さんは、次のように評しています。「この作品は、無条件に母になることを受け入れたのではなく、彼女の台詞によって一度、母に対する見方をとらえなおしたことが重要であると思える。ここでは、母親となんらかの問題のある女の子が、自分が母になることを望み、自分のなかの母性を認めるには、母性を無条件に肯定する前に自分の母親との関係を見直し、母を一人の人間として見つめる視点を必要としているとしたほうが納得いく」(33-34ページ)。

自分の親を独立した一人の人間として認められるようになることが、子どもにとっての自立になると語られています。親が子どもを親の思い通りの一部分として内包しているうちは子どもは自立しづらいものです。子どもの成長とともに親は子離れしなくてはなりません。
この作品は子どもの側から親離れを宣告したものとも言えるのではないでしょうか。そのために子どもは相当にリスクの高いことをしました。親はその子どもを何かトンデモナイコトをしでかしているとでもみていたでしょう。そういう状態に追い込んだのは親側にあるといえるのです。

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