「仕事に就いたら負けだ」の真実性

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長期のひきこもりの後、何とか仕事に就いた人の話をいろいろと聞いてきました。
やっと仕事に就いた。ここを足掛かりにして何とか「仕事をしている自分像」を確立したい。
この思いはかなり多数にあると思います。
そう進んできたところで、多くの人は次の事態に直面します。
一種の葛藤ですが、ダブルバインド(二重の拘束)といった人がいてこれが実感のある言葉のように思えます。
(1)いまの仕事を何とか続けていきたい。もし耐えられなくなってやめたら、またひきこもり状態の戻ってしまうかもしれない。
そういう不安・恐怖感に迫られながら仕事を続けている感覚があります。
(2)他方で、この仕事でいいのか、自分にはもっとやりたいこと、できることがあるのではないのか。
そういう人生を選び進んで行かないのか。未達成感、残念感とでもいうべきものです。
この二つの面が交錯して迫るのです。
心に余裕のある状態ではなく、かなり切迫した状態でつきつけられるのです。
当事者にとってはそういう事態になるのは普通のことで、そう理解しておくことは重要だと思います。

もう一つ加えておきます。
「仕事に就いたら負けだ」とひきこもりの経験者が話した言葉があります。
働かないのを自己弁護していると聞く人もいましたが、読みが浅いと思います。
上のダブルバインドの状態に置かれた人が、結局は自分の可能性や希望を捨てて、自分でもあまり評価できない仕事について辞められなくなる。
それを予測していう言葉でもあります。
自分を押し殺して生きていかなくてはならない人生選択を「負けだ」というのには真実性が込められているのです。
深刻さを感じさせないニュアンスで表現しています。言葉の達人がふりまく撹乱材です。

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