手紙で意見交換するグループができないか

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会報11月号のエッセイ「厳格な社会人父と家庭を守る母のもとで成長した女性」に答える形でご自分の体験を書く人が続いています。
1名はそれを経由して文通を期待しています。ですから文章としてもほぼ完成しています。
少し確認したい部分があるので、それをすませてから文通希望として紹介します。
他にも2、3名からの返事が事実上の手記です。
しかし、発表する前提では書かれていないので、可能なら整理して発表していただきたくつもりです。
そしてこの人たちをコアに、手紙で意見交換するグループができないかを考えています。

これには先日の「大人のひきこもりを考える教室」に参加した元不登校のカナエさんの意見があります。
彼女は介護職についていますが、“子どもの虐待”という社会問題に取り組みたいといいます。
彼女の意見を私の言い方にすると、こうなります。
女性の向かう先は、仕事に就くばかりではなく、社会とつながることではないか。
結婚もそうなる可能性があるし、人をケアする活動もそうです。
経済的な自立がどうこうではなく、それができるのが向かう先になるのではないか。
カナエさんはこのような言葉にしたわけではありませんが…。

しかし、そうできるには自分の体験したことを“浄化する過程”が必要です。
自分の体験を忘れるのではなく、その背景、その意味、その役割…を振り返り深いところから理解できれば、自分に即した対応方法を得られる。
マイナス体験を忘れるのではなく転換すること、それが浄化です。
どのような体験にも意味がありますが、自分の場合を深いところから理解する場が必要です。
手紙で意見交換するグループをこの浄化グループの芽にできないかと考えているのです。
それができれば参加しそうな人、参加してほしい人が思い浮かびます。

女性はこのあたりの言葉の能力が優れていることをまたまた思い知らされました。

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