なぜ居場所を社会的な治療の場と表現するのか

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 先日は居場所の役割を<社会的な治療の場>と表現しました。そうしたら“治療”がわかりづらい的な意見を聞きました。普通に社会的な対応みたいなのでいいではないかと。 これは医学・医療の対応との違いを意識したものです。

ひきこもりの背景事情に、虐待やいじめを典型とするマルトリートメントが指摘されています。それが脳のある部分を萎縮させていると明瞭になってきました。 身体の不全状態がわかると、それを改善する薬物が登場すると思います。手術や臓器移植によるなどの改善策も出てくるかもしれません。 私はこれらを登場する前から否定はしませんが、中心にしたくはないと思います。

マルトリートメントにより攻撃された人が脳を変形させて対応した。これを証拠で示した小児科医の友田明美さんは、改善は「愛着関係の再構築」からと述べました。私もこの意見に賛成で、成人したひきこもり経験者には対人関係の成長が委縮した脳神経系を成長させると考えるのです。 居場所という場は対人関係を経験する方法です。

私が描いた居場所の様子は、経験の一部を典型的にしたものであり、各地の居場所の様子ははるかに多様です。 居場所での対人関係の積み重ねによる脳神経系の変化は、明示的に証明されてはいませんが、成長させていると思います。少なくともすでに居場所の経験が役立って、人と関わり始められる、社会と関わり始める…そういう状況があります。そういう人の脳神経系を比較して調べられるなら変化・成長を知ることができるでしょう。 すなわち身体状況も改善していると証明されるでしょう。

居場所の経験を通してできる精神生活の改善は身体の変化と結びつきます。そういうことが想定されるので居場所には「社会的な治療」の役割があるとしたのです。これを社会的な対応と表現しただけでは、そのあたりの意味は思いつかないのではないか。 社会的な治療方法は、自然治癒力や医療の働きとともに、人間の三大回復力の1つに認められるものでしょう。

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