相談者中心への対応にしても難しさがある

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弁護士は依頼人の利益を守るのを職務としています。たとえ依頼人の側に非があったとしても、最大限の利益を守るのが職務です。
では居場所における相談員はどうでしょうか? 相談者の最大限の利益を守ることになるのでしょうか? 問題をこのようにたてられるでしょうか。
相談者の訴える内容の性質を明瞭にし、可能な限り相談者が自力で前に進めるようにはかることになると思います。特に同じ居場所にいる他の当事者との間で生じることについては片方の相談だけではなく相手方の意見も聞いていかなくてはなりません。片方の相談を受けたとき双方の状況や利益を考えるのです。
2002年に不登校情報センターにある事件が発生しました。居場所に通う当事者間の衝突です。私は2003年『引きこもりと暮らす』(東京学参)のなかでこの経過を紹介しています。「引きこもり経験者とはいえない元気者のAくんと引きこもり状態を少し引きずっていて人気者のBくんの間」(85ページ)でしたが、2人の周りの人たちの問題になっていました。
当時は多くの通所者がいました。どちらの味方ともいえない、事情を知らないままに戸惑っている人が多くいました。居場所のなかに生まれる小グループや人間関係はそれぞれの自主性により動きますが、居場所全体の運営は私が責任を負うものでした。
ある人が、この衝突における私の立場を「中立」といいましたが、それは少し違うと思った記憶があります。「事実に即して公平」のスタンスでした。
こういう場合は感情にとらわれない方がよかったのです。当時の私はアスペルガー気質を自覚していません。どちらかの側の利益に沿う解決をはかるとか、感情的に肩入れするようなものはありません。
基本的にそれでよかったと思いますが、不十分でもありました。人の成長する機会をはかる教育の視点からすれば、このような場面では両者がそれぞれに成長できるチャンスに転換することが上級の解決策でした。それは達成していません。『引きこもりと暮らす』では次のように書いています。
「仲よくなければ人間関係は成り立たないのか? そうじゃない。仲よくなれなくても、それはイコールけんか状態ではない。仲よくなれないけれども、けんか状態でもない。しかし、けんか状態であっても人として相手を尊重することもまた、対人関係の重要な力だ。できれば、そういう両者がお互いに相手を尊重するのが望ましい。その対人関係の力こそ、社会性の重要な内容だと思う」(107ページ)。
この解決の方向には感情面の扱いがみられない、ひきこもり当事者に対しては理想論、何かを言いたいけれども付け入るスキが見つけられずに不満、となるかもしれません。
日常的には、事件にはならないけれども、居場所に限らず人間関係においては、いろいろな不満、すれ違い、誤解が発生しています。私はそれらを相手に求める・期待することから生まれやすいと考えます。各自がそれぞれでどう対応していくのかの力をつけるようにするのが基本になると思います。
以上の全体がほぼ「公平」を基準とした私の対人関係の力についての考え方です。また曲りなりでよく脱線はしますが、実行していると思うことです。

しかし、ここに私の弱点が潜んでいるようです。
「松田さんの弱点は、誰一人犠牲にしないという所が過剰です。優先順位が逆転して相談者側の立場になれないというところです。相談で困った場合が出やすいのは引きこもり当事者間のトラブル、親子トラブルではないですか?」と続きます。
「弱点は相談を受けながら、松田さんに救いを求めてやってくる相談者をほぼ、見なくなってしまう。関心が相談者の存在や尊厳を無にして、その相手先の心理にいってしまう。メンタルの病は他の科とは大きく違います」。
同じ人がこうも言いました。「今まで「平等精神とこだわり」がズバ抜けて波乱を起こしている特徴である事は間違いない」。相談している人に焦点を合わせ、弁護士スタイルに軸を変えろということかもしれません。そこまでになると同意し難いのです。微妙な加減が求められています。
これらの事情はサイコパスかもしれないマザー・テレサさんと少し重なるところがあります。前のブログ「劣等感とサイコパスによるとは思えない」で引用しました。
「もしかしたら彼女は、特定少数の人間と深い愛情関係を築けないサイコパスであり、だからこそ恵まれない人たち全般を救っていくという大きな目的に向かって邁進できたのではないでしょうか。博愛主義者に深い愛を求めると、物足りない思いに苦しむかもしれません」(中野信子『あの人の心を見抜く脳科学のことば』(104ページ セブン&アイ出版、2017))
メンタルな問題を抱えるひきこもりの当事者への対応の弱点の指摘がここにあると思います。それは認めるべき、認めたいと思います。
ただ注意してほしいのは、ここでは私のアスペルガー気質的な感情を受け取る力の欠如が中心ではありません。弁護士のように依頼人の利益を守るのを職務とするのと同じではないにしろ、ひきこもり当事者の相談に対しては、そこを最重視するのがいいと受けとめます。それは「公平」基準では必ずしもうまくはないよ、そのために問題を起こしているよ、というわけです。
「松田武己の問題になる弱点」の1つが、明らかになった気がします。
しかし、これをどう改善していくのかは難題です。「仲よくなければ人間関係は成り立たないのか? けんか状態であっても人として相手を尊重することもまた、対人関係の重要な力だ。できれば、そういう両者がお互いに相手を尊重するのが望ましい。その対人関係の力こそ、社会性の重要な内容だと思う」という先に挙げた方向が間違っているわけではないからです。
中間にはいろんな目印を置くことがあっても、私がめざす方向は同じになるからです。その同じ路線のなかで改善を図る意味になります。

相談者中心への対応にしても難しさがある」への2件のフィードバック

  1. 丸山康彦 居場所での相談とカウンセリング的相談との違いはあれど、私にも参考になるご投稿です。特に、引用なさった「博愛主義者に深い愛を求めると、物足りない思いに苦しむかもしれません」という言葉、ハッとしました。私もこのような気持ちを相談者に抱かせているかもしれません。今後も読ませていただきます。

  2. Anさん
    「弁護士スタイルに軸を変えろということかもしれません。」⇒弁護士スタイルは行きすぎた庇護なので違いますね。トラブル相手を裁判にかけて判決を下す事はマイナスです。自分の融通の効かない片寄った性格傾向を強めてしまうだけだからです。

    「しかし、これをどう改善していくのかは難題です。「仲よくなければ人間関係は成り立たないのか? けんか状態であっても人として相手を尊重することもまた、対人関係の重要な力だ。できれば、そういう両者がお互いに相手を尊重するのが望ましい。その対人関係の力こそ、社会性の重要な内容だと思う」という先に挙げた方向が間違っているわけではないからです。」⇒
    間違ってないです。持論は持っていられたらよいと思います。しかしこれらの事に気がつけるのは相当、熟達している人で健康を損ねてない人たちで、経験に経験を積んだ結果でもあります。
    それか幼い子ども達に大人が教える言葉にも似ています。幼い子どもはまだ柔らかく楽しい遊びを共有することで、すぐに忘れてしまうし、他の仲間を作りやすいのです。
    思春期は嵐のように難しい時期と聞きますが当事者は自我形成が遅れてこの時期に似ていて更に複雑です。間違っていないですが、自己肯定がそだっていないうちに、「他者肯定」の答えは早過ぎるのです。

    「相手に求めず期待しない。」⇒ 求めず期待しない、もすばらしいですね。これも一足とびな傾向あります。

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