エピソードにひきこもりらしさはどう表現されるか

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〔その2〕「エピソードのみ」となっている部分を意識しながら、「は行」以降のリライトを続けています。
そのエピソードに表われる背景事情や意味、とくに心理的な面(ときには社会的な面)に入って説明することで、ひきこもりの理解を深めます。
ひきこもりを理解する参考の役割を果そうとするなら、必要な説明になると思います。
その一方では、その解釈には限界があり、誤解を生む可能性さえあります。
人の行動、ときには意識された言葉でも、ある1つのことから発生するのではなく、多くの要素を含むからです。
複合した心情が重なって1つの言動になるのに、説明は中心部分にならざるをえません。
中心といってもまだ未分化のときもあります。
こういう事情から、私はなるべく当事者本位の記述にしようと思い始めています。
心理学とか精神医学的な角度からは不十分でも(その判定自体が困難ですが)当事者本位の記述です。
勝手な言い分とか、一人の思い過ごし、みたいなことでもやむを得ないという意味です。
大きくみればそういう見方は必要でもあります。
本当にどう説明すべきか困る場合もあり、その時は何も説明しないか、用語自体を外すことになります。
なるべくそうはしたくはないです。
なぜなら追加すべき用語はさらに多くあります。
こういう解釈能力や記述の都合により外してはだめだろうと思っています。
辞書作成の途中で思いついたことなので、一貫性に欠けると思われるかもしれませんが、全体を通して読む機会に調整できる範囲と信じます。


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