西 日

このエントリーをはてなブックマークに追加
はてなブックマーク - 西 日
Facebook にシェア
[`google_buzz` not found]
[`yahoo` not found]
[`livedoor` not found]
[`friendfeed` not found]

夕方、地平線近くにあり家並みに隠れる前の太陽のまぶしい光が西日。「昼夜逆転の生活になり、午後遅くなって目が覚めます。ぐずぐずしていると部屋に西日がさしてきます。西日は妙にまぶしく、少しもの悲しいです。西日を見ると自分の人生が少なくなっていくような気がします」
『ひきこもり国語辞典』にある「西日」の説明です。語ってくれたのは三十歳になるAくんでした。焦りはあるはずですが、心を落ちつけて自分の生活を冷静に見つめ語る姿はなかなかひきつけるものがあります。
子ども時代からの彼の生活に何があったのかを話してくれました。大筋はこうです。親の言うことにもそれなりの理由はある。しかしそれは自分の考えとは違う。そういう世代的なギャップを感じてきたのに、自分の思いや考えを柔らかく、しかし決定的に阻まれてきた経過を思わせます。
深い心の奥に信じるものがある。その思いを周りの人に伝える突破力を持ち得ない自分の不甲斐なさや残念感が表れています。そうでありながら親や他人を非難がましく攻撃するやり方は選ぼうとはしないのです。そういう熟達した人生観を「西日」という言葉に象徴させて懐述しているのではないかと思いました。
ひきこもりの人のタイプはいろいろです。周りに彼ら彼女らの深い思いを聞きとり、引き出していく人がいれば、逆にその高い潜在力・精神性に気づくでしょう。

西 日」への2件のフィードバック

  1. Sent: Friday, November 25, 2022 11:36 AM
    ブログ「西日」を読ませてもらいました。
    全体としてはA君の良さを表現していて、ひきこもりとして共感できるものもあり、詩的な感覚を拾っているいい文章になっているのですが、一部気になったので言わせてください。

    >親や他人を非難がましく攻撃するやり方は選ぼうとはしないのです。そういう熟達した人生観を「西日」という言葉に象徴させて懐述しているのではないかと思いました。
    この表現はとても残念でした。自分に害を加えてきた権力や力のある人間にされてきた被害を声にしていかれることは大事です。「非難がましく攻撃する」という表現は、そういう人達の勇気を挫く表現です。苦しみや怒りを言葉にできないひきこもりが、その被害と屈辱を表現するには勇気がいることです。松田さんは「西日」と表現しているA君を「熟達」と見ていますが、まだなんらかの力によってねじ伏せられ、生きる気力を奪われている状態かもしれません。ひきこもりはその諦めや失望を、落ち着きや大人しさや穏やかさといった評価をされることがありますが、そうではないことも多いです。私は、自分に害を加えてきた人を非難できるくらい、物事をよく見て正しく評価できる勇気と元気と自分を守る力を得ることの方が大事だと感じます。ネットでは、ひきこもりの親への攻撃的表現は多くの人から非難されていますが、親を非難できるひきこもりを正しく評価している人も見ました。こちらの方が正しい見方だと思います。被害者が声をあげられずに諦めて、生きる気力を失っている状態をいいとは思えません。私も長年、そうやって自分を諦めさせる方向に考えるしかなかった時期がありました、ひきこもりの、親や他人への怒りは正しく評価されるべきです。それを「非難がましく攻撃」という見方は、それこそそういう勇気を出して主張したひきこもり達への非難がましい攻撃と感じられます。
    正しくは、諦めや許しや受け入れなどの妥協も、親や他人の間違いの指摘や怒りや自己主張などの感情の解放もどちらも大事です。その中道を行けて初めて「人間ができている」と言えそうです。
    自業自得と非難されることも多かったレイプ被害者達がだいぶ声をあげるようになってきました。その勇気を讃えるなら、ひきこもりの人達を含む社会的弱者の、親や他人などの加害者への間違いの指摘も、例えそれが過剰であっても評価して背中を押してあげるべきです。そしてA君も、状況を正しく受け入れているのか、それとも何かに抑圧されたままなのかをよく見極めていく必要がありそうです。ブログには「人に伝える突破力を持ち得ない」との鋭い指摘があるので、人への非難も含めて感情を爆発させるなど思いを露わにしないと次の段階へ進めない状態かもしれません。「熟達した人生観」はその先にありそうです。
    「彼ら彼女らの深い思いを聞きとり、引き出していく人がいれば――」という表現をされているので、そこには、自分に危害を加えてきた親や他人への攻撃的表現も評価するという考えも含まれていると感じられます。けれど「親や他人を非難がましく攻撃」という表現からは、そういう人達への非難にしか聞こえないので、心の狭さを感じさせます。松田さんの思いが読み取りにくい文章になっていますが、親や他人への怒りも、自分の置かれた状況を受け入れることも、どちらも評価する器の大きさを示してほしかったです。「親や他人を非難がましく攻撃」する人を「悪いもの」と見なせばA君の良さが引き立ちますが、そのように他を悪者扱いにしてA君を評価するという表現方法は好ましくありません。「自分に害を与えた親や他人を非難や攻撃ができるようになったひきこもりの勇気も素晴らしいが、A君からも大人の態度を感じさせる」という表現はできませんか? 声をあげることや怒りの感情を解放させることの大切さも同時に伝えてほしいです。ひきこもりにはその方が大事なことです。
    この先、本当に自分を利用しようと騙してくる業者や知り合いも増えるかもしれません。そういう時に、正しい状況分析をし、自分の正当性を確り主張できる強さが求められます。自分の立場や権利や利益を守るためには、怒りの感情も大事な一つの要素です。自己主張と感情表現はひきこもりの課題です。そのためにも、今まで不当な扱いを受けてきたことを表現できるようになる必要がありますし、周囲もそれを評価して勧めてほしいです。松田さんは今回、それを反対するかのような表現をしていますが、それとは正反対に、ひきこもりに怒りの感情と非難を表現するよう促して、ひきこもりの正当性を認めることで自己肯定感を持てるように望んでほしいです。
    こんなこと松田さんは昔から知っているはずなので、今更お伝えするのはおかしな話ですが、ブログの表現が引っかかったのでメールをさせてもらいました。今後はぜひ、自分が受けてきた被害を声に出せるようになったひきこもりを評価する文章を書いてください。

  2. 貴重なコメントです。ありがとうございます。
    「西日」はひきこもり状態にあったAくんのことばと気持ちを表わしたものです。
    それを生み出している社会背景や時代を考える機会にしようと思います。
    しばらくお待ちください。松田武己

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください