身元保証人と「孤立」問題

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 入院するときに身元保証人を求められる。病院側では長期化したときの医療費の支払い、着がえなど日常生活品の補充、究極的には亡くなったときの引き取り先になるのだろう。これは私の想像なので本当のところはよく知らない。
ただ入院時には、「一応お願いします」「手続き上必要なんです」と比較的軽い事情であると言い渡されることが多い(と思う)。
では誰に頼むのか。遠くに知り合いに頼んでも認めてもらえず、家族や親族限定に限られる。そうでなければ身元保証人の住民票や保証書を求められることもあるのではないか?(これは私の推測だが…)。
この入院条件が危ぶまれる人が日本にはどんどん増えていくと思う。いや既にかなり生まれているのではないか? これがやがて表面化する「孤立・孤独」の社会問題である。

転居して新しいアパートに入ろうとするときにも保証人を求められる。家主側の事情は入院患者を受入れる病院と似ていると思う。家賃の支払い、入居した部屋・家屋の使用状況、そして亡くなったときの引き取り先などだろう。
家族で一緒に住む場合はまだいいが、単独入居となると条件が厳しくなる。
この条件を充たせない人のために、民間業者による「家賃保証」や「保障サービス」が出来ている。一定額を収めて保証人になってもらう方法だが、これは主に家賃負担における民間保険業だろう。ただこれで十分かと言えば心もとない。いずれ保証人がおらず、このような民間業者も利用できないために住宅に入れない人が出てくるのではないかと予想できる。これが将来の「孤立・孤独」の社会問題である。

これらはこれまで家族・親族が担ってきたものだが、この数十年の家族関係の変化のなかで崩れつつある。それにもかかわらず家族・親族に保証人を求める傾向があり、それは近づきつつある「孤立・孤独」への社会的準備を遅らせる。
入院や住居だけでなく、保証人、身元引受人を求められるものは他にもある。成人後見人制度ができた(2000年)がそれは、一部の人に対するものになる。
身分証明証というのを、私の若い頃の数十年前に持っていたことがある。会社が発行するものだった。それに対して、今やマイナンバーカードが発行されている。すでに国民の80%程度が持っているというが、本当の動機が怪しげない。元々は国民背番号制という税金回収目的からスタートしたものから変化してきたようだ。
これと似たものが、個人事業者に求められるインボイス制度だ。マイナンバーカードやインボイス制度が危ぶまれるのは、税回収や国民管理の意図が裏側に見えるからだ。そういうものではない、清明で安心した社会の一員であることを保証する制度をつくり、それを権利主体としての国民を守る制度として確立する。おそらくこれが近づく「孤立・孤独」という社会問題への対応策ではないかと思う。
税回収とか、国民管理のためではなく、権利を持つ主体として保証する制度である。住宅がなければ住宅を権利として保証する(申し込みがあれば公式に対応する)、生活費がなくなれば「最低限の健康で文化的な生活条件」を保証する制度である。

先に40代、50代になったひきこもり経験者の一定数が抱える心身状態の課題を考えた。それに続き彼ら彼女らの社会的な対応について考えてみた。先日の親の会で話し合いの中で、私が思い浮かぶ十人前後の人たちの何年後かの問題はこの「孤立・孤独」に直面することではないかとわかった(気がする)。この問題はもっと多角的に考えてみるべきだが今回は、保証人、身元引受人というところから考えてみた。 

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