ひきこもりから家事労働に迷い込んだ説明の補足です。実際にはいろいろなことがありました。『ひきこもり国語辞典』にもいくつかは紹介しています。
「主夫」は、男性のひきこもりのばあいですが、世間には独身者ではない「主夫」もいます。この人のなかには家計簿や大工仕事や機械修理が家事の中にありました。
「家事テツ姫」は女性ですが、一般には「家事手伝い」であり、社会的な認知も受けているものと言えますし、ひきこもりの人だけに限りません。
不登校情報センターの通所者には、〈ヤングケアラー〉の人もいました。家族〈身体障害者〉のケアの手伝いを子ども時代からしていました。
男女を問わず、成人になってから祖父母のケアをしていた人は少なからずいます。ひきこもり状態でこの役割をした数人の話をきいたことがあります。主に家族から聞いたのですが、それはとても行き届いた内容であり(当人はごく控えめに言うだけです)、職に就けばぴったりと思える人もいました。
「自宅警備員」というのは、自嘲めいた表現ですが、ある種の役割を示しています。
これらのひきこもり経験者の生活経験のなかに家事があり、それらを考えたことが「迷い込んだ」事情としておきます。
別の点ですが、家事(家事労働)は、2人以上の家族がいて成り立つものではないかという仮説も提示しなくてはならないかもしれません。一人暮らしの独身者(男女を問わず)が、自分のための食事をつくり、室内の掃除をする…などは、家事とはいえないかもしれません。どうでしょうか(状態によるかもしれません)。
親の会の席で、お母さん方から「夫や子どもがいないときの食事は、ありあわせの手抜きや残飯でもよかった」という意味の感想が出ました。場違いな事情ですがそれを裏付けるかもしれません。
家族へのケア作業を除く家事では、食事(炊事)が中心になるようにも思います。
もう1点の追加があります。国民の生活水準/生活満足度を表わす指標にGDP+各種の社会的条件を加える必要性を挙げました。
広く行われている「各種の社会的条件」のなかには、私の知る範囲では家事労働が入っていません。家事労働はGDPとは異なるけれども、人間の生活・生存に不可欠な要件であるのに、ここは空白になっているものです。 ここを埋めて(数値化だけではできないかもしれませんが)表示する必要性はあると考えます。