介護と周辺の見聞・体験について

私は経験により物事をわかろうとする人間と自覚しています。このところ介護を家族ケアの重要な要素としてよくとり上げています。現在ある入所型介護施設で相談ボランティアなる任に就いているのは自分で直接にこの要件を満たすためです。
しかし、ひきこもり経験者に囲まれる生活をしたときに、彼ら彼女らから介護について学ぶことが3つありました。
1つは、彼ら彼女らのなかに数人、高齢者家族を介護担当を重ねている人がいたことです。家族からはそれを強く感謝されていたことです。そのうちの1人に対して、介護職についてはどうかと話したことがあります。これはひきこもりと準ひきこもり経験者には介護職についた人が一定数いると知っていたからです。
2つは、介護をもう少し広く対人ケアとしてみると、マッサージ師、整体師などの療術師をめざす人が何人かいました。1つ目の例と同じく、彼ら彼女らは人への対応が丁寧で、しかも感覚・感情的にも適合する人が少なからずいます。そういう思いから一度その主旨の集まりをよびかけたところ数人が参加してくれました。実際に療法師になった人は少ないです。別の理由があるためだと思います。
3つは、きょうだいに自力でからだを動かせない障害者がいて、今日でいうヤングケアラーを経験した人がいます。その人はこの難しい状態から逃れるために、小遣いをためついに家出をしました。しかし数か月後に生活に行きづまり、生活保護申請に私は同行しました。生活保護窓口でも医療機関でも好意的に受け入れてもらいました。
この人からはすごく詳しい経験や苦しみを手紙の形でもらっています。A4版用紙にして、厚さは10㎝近くになる大変に詳しい内容です。その繊細な感覚には大へん学ぶところがあります。ヤングケアラーがひきこもりと類似の状態になること、その人がひきこもり経験者の集まる不登校情報センターの居場所に通ったことは納得がいくのです。

ところが、この3つの体験は、私自身で体験したものではありません。自分で介護の現場を体験し、入所し介護を受けている人の話を聞こうと考えました。家族内ケアには子育て、病気や障害者のケアとともに高齢者の介護が重要な部分を占めると認めるからです。
いくつかの経過をへて昨年6月から、入所型介護施設で相談ボランティアに就きました。経験としては周辺事態にすぎません。家族内ケアにおける介護の特別の意味を、十分にとはいきませんが少しは知ることができたでしょう。

子どもの居場所=学齢期以降の子育て環境の変化

子育ては、家族内ケアの中心部分です。今日では保育園・幼稚園が広がり、乳児からの受入れるところもあります。小学生以降の学齢期は主要には学校であり、明治期の設立以降これは全国に設立されました。
これらが家庭外にある子育て施設です。それらに加えて今日、学校と並ぶもう1つの家庭外の、学校以外の子育て施設が生まれつつある時代に入ったと私には思えます。
以前からあるのは学童保育ではないでしょうか。あるいは学習塾や習い事教室なども相当するでしょう。これらの需要が増えたのは、子どもを持つ主婦の就業機会が増えてきたことが背景にあります。
最近十年には、これらに加えて子ども食堂の全国的増加、2017年施行の教育機会確保法以降(コロナ禍を経験して)には不登校の小中学生の増大も関わっています。いま全国各地の自治体は、子どもの居場所づくりに積極的に取り組まざるをえなくなっています。
教師の働き方改革にあわせて、学校の部活動を地域のスポーツクラブなどに移行させる動きもあり、文化部的活動もこれに匹敵する動きがあると予想できます。これらは「校内フリースクール」設立の動きとあいまって、学校制度が大きく変わっていく過程が始まったものと想定できます。家庭・家族制度の変動はより長期を要するでしょうが、学校をめぐる変化は、それよりは短期間に進むと考えられます。
小学校以前を含めて小学生から高校年齢までの子育ては、家庭外の各種の受け入れ手段・施設が求められる時代に入っていると判断できます。こうして子育てに関わる家事労働の評価は、乳幼児期から学齢期まで対象となる家庭外サービス業・施設ができています。あわせてボランティア活動を評価する比較対象とされる要素が生まれていると考えることも可能になっているのです。

介護が家族の世代継承機能をもてるのか?


私は介護の役割を家族の世代継承機能において高齢者(祖父母)世代、または介護を受ける側からも考えたいと思います。人に生まれ成長し社会を担い、そして高齢期を迎える。主に高齢期に介護を受けます。障害者など子ども時代から看護・介護を受けるばあいもこの家族の世代継承機能を担っていると推測します。

1つの論文を見ました。森川美絵「在宅介護労働の制度化過程——初期(1970年代~80年代前半)における領域設定と行為者属性の連関をめぐって」(大原社会問題研究所雑誌 №486/1999.5)です。私の求める目的に一致するとはいえませんが、〈介護〉が社会のなかで確立する経過を詳しく説明します。

指摘されたなかで4つの点が参考になります。

1つは、介護が本気で政策的課題になったのは1967年の調査で「70歳以上の寝たきり老人が全国に20万人以上もいる」(p27)と明らかになったことでしょう。

2つは、この介護をめぐり、初期は施設(入所)介護が重視され、それが在宅介護重視に徐々に移行していくこと。

3つは、非専門的な「主婦役割・大衆役割」化がすすみ、専門的な「特殊な技能・知識を要する行為」が対置され理解が動揺的でありつつ、今日に続いていること。

「負担を感じる家族それぞれに念頭される介護とは、病院への付き添い、食事づくり、尿道カテーテルや人工肛門の処置、公共の福祉制度の情報収集、そのような明確な行為として表現できない様々な気遣いや気苦労かもしれない。介護という表記法は、このような、介護という言葉で社会的に了解されるあいまいな行為領域を、あいまいなまま総体的に指示する表記法である」(p26)。

これは介護に限定されるのではなく家族内ケアの全体に通じるものと見ます。

4つは森川さんの論文では、それを乗り越えるために、介護の社会化、介護の地域社会化としながら、問題を抱えたままの現状を指摘しています。

*この論文発表の後1998年に、介護保険制度が制定されました。

一般家庭の家事労働としては、介護の手がたらずヤングケアラーの事態を生み出し、他方では「介護退職」という親の介護のために娘などが40代、50代の早期退職になる事態も生み出しています。

森川さんが表わしているのは介護を提供する側、介護を社会的に支える行政的視点からのものです。その意味するところは大切と思いますが、人の一生として介護を受ける当事者の視点は見当たりません。この点での何かを明示しないと、家族内ケアの構成部分である介護はよく理解できないのではないか。これが感想です。

一般に家族内ケアにおいて、それを受ける例——乳幼児期から成長期の子ども、成人の障害者、高齢の被介護者——の立場からも問題を見ないと、それが家族制度を動かす原動力である点は、十分にはないかもしれません。

私は上の仮説に近づくためにもう1つの論文を見ました。西川真規子「感情労働とその評価」(大原社会問題研究所雑誌 №567/2006.2)です。この論文には感情労働の事例として「在宅介護」が挙げられています。介護の質を高めるには「4つの気働き」があります。それは①感情的知性(自分と利用者の感情や立場を理解し…サービス実践に反映する能力、②〈メッセージ伝達や行動説明、問題解決策や利用者の説得なサービス実践に必要なコミュニケーションスキル〉、③感情管理スキル(ネガティブな感情を抑えヘルパーとしての適切な感情を維持するスキル)、④場の設定スキル(初対面での対処や利用者のニーズの把握など利用者との関係構築、共通の場の設定に関するスキル)です。

この4部分をサービスの質および介護に関する所有資格において調査しました。首都圏130の訪問介護事業所の545名のヘルパーを対象に実施されました。著者は「4つの気働きスキルとサービスの質は有無な相関関係がある」(p11)とし、また資格上の関係では「関連性は希薄である」としています。

私にはこれを判断できる能力はありませんが、調査した施設における介護士は、いずれにしても低くはないとの感想を持ちました。著者はこのスキルを高める「現状の資格講習システムでは、感情労働に関する能力・スキルの向上に十分に対応できていない」(p12)としています。

西川さんの論文は、対応する介護側の技量の点からのアプローチであり、当事者側からのものではありません。ただ介護を「感情労働」ととらえる見方は、実務的・ルーティン作業とは別の労働評価にあたります。知識集約型労働と対置する労働の性格をとらえています。

私が見た範囲では、介護を受ける側の意見は統計的に扱われる規模で集約されたものはまだありません。私が期待していることは介護を受けている側の状態・気持ちを多く見ることにより明らかにされるでしょう。総合において在宅介護の方が介護受給者にはいい環境にあると言えるでしょう。私のささやかな経験の範囲では、家族と切り離された入所型介護施設では介護が「世代継承機能の一部を担う」とする面を証明するには十分ではありません。

家事は人類誕生からの生理的活動の続き

20世紀後半以降の日本の経済社会は、家族の姿も大きな変動期にあります。1950年代後半から始まる高度経済成長期を通して、日本の産業社会は工業化・サービスン業化し、農業は衰退に向かいました。それにともない家族状態も変化し、家業や家事労働の内容にも変化があります。

その変化を感性の優れた若い世代が先端的に表わしました。1960年の後半に生まれた人たちからそれは徐々に増え始めました。初めは不登校の子どもとして、やがて社会的ひきこもりになりました。ひきこもりとはこの社会の変化を身体症状として表わした人達です。現在はそこから社会の中心にいる多数者に広がる時期に入ってきたと見ます。

それらの変化を追求していくと、家族関係、家族制度あるいは親族制度につき当たり、いずれ家族制度は大きく変化する時期を迎えると予測しています。

家族関係の変化を呼び起こす原動力は家事労働です。家事労働には2つの部分があり1つは家族内ケア(子育て・介護など)、別の1つが衣食住に関する日常です。そして家族関係の変化を起こす原動力は家族内ケアとするのが私の結論です。

人間は誕生とともに(厳密には誕生以前から)、生存のために、食べるために、眠るために(棲み家)、身体を守るために、すなわち衣食住の確保をしてきました。しかしその動きは労働ではありません。呼吸や消化・排泄などの新陳代謝が、さらに言えば出産やその元になる性行為や授乳が労働ではないのと同じです。

家事が労働となるにしても、労働以前の人間の動き、働きの継続といってもいいのです。これらの人間の動きが、労働になるには一定の条件が整ったときです。言いかえれば家事とは、人間が誕生以来(誕生以前から)身体に備わった動き、生理的な活動として生存を図るためにとってきた動きの後継的活動です。

ここで私はエンゲルスの未完のエッセイ『サルが人に進化する際における労働の役割』(1877年)にふれます。ここにいう労働とは<人間の誕生とともに(厳密には誕生以前から)>のところです。人が人になる以前の過程で生活・生存に必要な衣食住の条件を獲得するための動き、サルが人に進化する際にはこれが役割を持ったというのです。エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』の記述はこれとも矛盾なく続いています。出産から家族内ケアもまた(厳密には誕生以前から)続いているとしていいのです。

さて生理的活動は大筋においてはじめは男女の役割分担として発展しました。役割分担において女性は生理的活動の延長といえる子育てなどケア分野を、男性はそれ以外の食料の確保などの採取・獲得の活動につきました。この役割分担が分業のはじまりです。分業はより効果的に生産的に事をすすめました。それでも家族内ケアの起源のうち、直接に子どもを産み出すのは女性です。性役割による分業は、この自然的与件によります。

なぜ家族内ケアが労働とは考えられてこなかったのか? 理由の1つは子育てが、親にとっての生理的活動だからです。健康人の空気呼吸が問題にされないように、食事をするのが労働でないのと同じです。もっといえば排泄もそうでしょう—トイレでの振るまい—は問題外ではないですか? 子どもを産み、育てる—その前の性行為も含めて—これらは人間の生理的(自然的)行為であって、労働ではなかったのです。家族内または親族内の生活の仕方に扱われたのです。

もう1つ理由があります。家庭内で自然に行われていた生活の仕方が、家庭の外側に、分業として現れてからそれが価値を持つ労働として見られたのです。氏族(部族) 間の生産物のやり取りのときが始まってから、物品の交換は特別の人間労働と考えられます。家事労働もまた同じです。養育・子育て、家族の健康ケア、介護などの家族内の動きはそれまで労働とは考えられません。それが家族の外側に用意されるとともに、特別の労働と考えられたのです。これらは最近50年にようやく広く認められるようになったことです。

出産から子育てまでの自然な生理的活動の社会的側面は大きくなっているのが現代です。核家族・単婚制という今日の一夫一婦制においては、子育てや介護という世代継承機能が支障をきたし、困難な状態が明らかになっています。家族には多くの機能があり、衣食住に関する日常生活はいろいろ改善できます。電化製品が広まり日常家事を改善向上させる用具も発展しました。外食店やクリーニング店など多くのサービス業が生まれ家庭内の家事労働を助けてくれます。

その一方で、家族にとっての世代継承機能はなくせません。産院ができ、幼稚園・保育園ができ、学校ができ、病院ができ、介護施設ができました。これらに助けられ、軽減されることはあっても、家族の世代継承の働きをなくすことはできません。物理的・時間的に減らせても主要部分を家族が受け持つのが世代継承機能です。それは家族が本来もつ不可欠な役割だからです。

とくに世代継承機能の力が低下していること、それが家族状態の変化を必要としているのです。この変化の過程がどのように表われるのか。この変化は一国についてみても数十年から百年単位の、数世代にまたがる長い期間を要するものでしょう。誰かが画期的な発明をしてさっと広まるようなことではありません。

文学フリマ・東京に出展するので応援頼みます

文学フリマ・東京が5月11日(日)に開催されるとわかりました。主催は一般社団法人文学フリマ事務局。会場は江東区の東京ビッグサイト。 出展申し込みをしました。 不登校情報センターの名前で出展します。ブースは長机(180cm)=2ブース分を申し込みます。出展料は14200円。

(1)販売に参加する人を募集します。入場は無料。開始の12時前から夕方5時の終了までお願いしたいですが、時間の事情は考慮します。できれば松田を含めて5名交代にしたいです。

(2)販売参加者には総売り上げの半分を、販売参加者に時間数により分割して支払います。著者にはその本・冊子の売り上げの半額を支払います(合計千円を超えた場合)。千円未満のときは別案を考えます。不登校情報センターとしては持ち出し(赤字収支)ですが、たぶん多額にはならないからです。

(3)出展作品は、①あゆみ書店発行の既刊作品、②これから作成する新作品、③出版社から発行している体験記など。候補作品を列記します(取り下げ・追加もあるはずです)。

*①あゆみ書店発行の既刊作品は、

▼中崎シホ『狂詩曲-中崎シホ詩集』 (B6版64ページ 定価300円) 、

▼二条淳也『中年ひきこもり』 (A5版86ページ 定価400円)

▼井下真由美『少女まん画に描かれた母親像』 (A5版 ●ページ 定価300円) 

▼葉月桜子『異物』 ( A5版90ページ 定価300円 )

『不条理ものまんが集―太田勝己の作品』 (A5版50ページ 定価400円) 

▼とおふじさおり『生い立ちに名はない』(A5版65ページ 定価400円)

*②これから作成する新作品は、

▼Angelさんの絵画作品集「BONHEUR」の他に、サイト内の保管している4つの体験記のうち本人の了解が取れる場合。

*4つの体験記は、かなり以前に投稿してもらい『ひきコミ』に連載済み。

▼高村ぴの『アルバイト体験記/対人恐怖との葛藤』、

▼ナガエ『私の物語』、

▼辺見ゆたか『精神的ひきこもり脱出記』、

▼森田はるか『引きこもり模索日記』。

*③出版社から発行している体験記などは、当日の特別定価で販売予定。

▼水元香苗『学校なんてやだもんね』、

▼三須かほり『マイペースがいちばん』、

▼桜井愛『いじめとの九年戦争』、

▼三田大作『いじめで子どもが死なないために』、

▼松田武己『ひきこもり国語辞典』。

出版社発行本の売り上げの半分は著者に渡す予定。

(4)新作品の作成を4月の休日午後に行います。既刊作品の増刷を含む。

*出展作品を事前に届ける必要があるかもしれませんので、それに間に合う日を設定します。

(5)上記の作品が全部そろえば16点になります。販売目標として出展作品は最低1冊以上、全体で100冊、50000円をめざします。

★応援参加者(当日販売者)は、松田まで連絡をお願いします。

GDP(国内総生産)の利用に関して

家事労働をどう評価する前に出合ったのが、生産・サービスおよび投資を金額表示している国内総生産(GDP)です。〔*ウィキペディア「国内総生産」2025年1月15日アクセスを参考にします〕。
エンゲルスの時代、19世紀にはGDPの考えはありませんでした。しかも20世紀に入ってからのGDPの成立には長い経過があり、しかもいまもって十分に確立しているとはいえないでしょう。GDPが公式に国連SNAの基準として採用されたのはようやく1993年のことです。私の記憶でもそれまでにGNP(国民総生産)という言葉が使われていました。それでいてGDP自体は今なお確固とした正確性や公平性をもっているとはいえません
そういう不正確さ、あいまいさを持ちながら一国の経済規模を計るにはある程度の確かさをもち、数字換算されているので便利に利用されます。成立経過を省いてGDPを私なりに紹介します。
エンゲルスの時代にはGDPは存在しません。GDPで扱うのは「市場で取引きされた物品・サービスの生産を計上」されているものです。その市場の成立は世界各地で大きな時間差があります。19世紀に市場取引が進んでいたのはむしろ一部の地域、主に西ヨーロッパ、北アメリカおよび日本の都市域に限られていました。その時間差は今日も続いています。
ウィキペディアの「国内総生産」のページに表示されているIMFの国別GDP(2016年)の地図には、MER(名目)ベースとPPP(実質)ベースが併存しており、「名目ベースでは先進国の値が高く、PPPベースではインドや中華人民共和国など新興国やアフリカなどの発展途上国の値が高く表示されやすいことが読み取れる」としています。これは名目GDPと実質GDPの違いを表わすだけではありません。
概略を知るためですからこれを詳しくは述べませんが、「市場取引き」といっても、市場外取引の経済活動を完全に無視することはできないのです。市場外取引の分量は必ずしも少ないわけではなく、さまざまな推計により計算する方法を採用しています。すなわちGDPは、一国の経済活動を市場取引きによって計算しているが、それ以外のものを推計して取り入れざるを得ないのです。
数値に関しては、米ドルベースで表示しますが、これは為替の変動を直接に受けます。円高時の日本は高く表示され、円安になれば低く表示されるのです。
何をGDPの経済活動に含むのかに関しては異論もあります。国により範囲に含む・含まないの違いもあります。麻薬取引や売春サービスなど地下経済を計上されないのですが国によっては計算に入れています。すなわちSNAの基準はありますが、その適応は各国に任されており同一に実施されていません。日本は内閣府が担当ですが、計算方法は公開されていません。国家機密が含まれ、多くの国も公開していません。
この他にもいくつかの問題をもつのがGDPです。それでも大まかな国民の経済活動を表示するのに便利であるために使われます。GDPは事態を把握しやすいといえます。
そのGDPと比べると事態の把握がかなり難しいのが家事労働です。信用性の高い家事労働を計測する方式が確立するにはまだかなりの年月を要するでしょう。

エンゲルスが示した家事労働と19世紀の到達点

1991年の春『こみゆんと』(不登校・登校拒否の情報ネットワーク誌)を創刊しました。そのころのことです。不登校の子を持つ母親から手紙をもらいました。「子どもの不登校のおかげで家庭内のおかしなことが明るみになり、それが解消されるとともに不登校はなくなりました。子どもが学校に行かなかったことは、本人だけではなく家族にとってもよかった」という主旨でした。
幼児は泣くことであらゆることを表現します。周囲の人はその泣き声により何かあると知り、対応します。泣き声は何ら問題行動ではありません。不登校も同じです。少なくとも幼児の泣き声みたいなものが含まれています。
振り返るとこのときに感じたことが、私が不登校やひきこもりに関心を寄せていった大きな動機になります。その後、不登校やひきこもり経験者の個別事情から、その改善、解消策を求めていきました。それにつづいてこの数年、その社会的背景から問題をとらえ直そうと試みました。その私なりの1つの到達点です。
日本においては、1960年代の高度経済成長期が、社会の基盤を変動させてきたと改めて確認しました。それは家族制度におよびます。家族制度は社会基盤を構成する重要部分です。
私は家族の歴史についてF.エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』(1892年、『起源』と略します)を参考にしました。それを巡って身近な社会経済的な事態を調べ、多くのエッセイも書きました。そして改めて『起源』に立ち戻ってみました。
『起源』では家族に関していくつかの重要なことを指摘しました。私には3つの点への記述がないと気づきました。それは19世紀には到達しておらず、言及できませんでした。20世紀後半から明白になり、現在の焦点になっています。
まず、エンゲルスが家族に関して明らかにした要点です。
(1)歴史は人間の生産活動と人間自身の生産という2分野の生産により継続しています。人間自身の生産が家族史をつくります。
(2)家族状態は変遷してきました。それは19世紀にバッハオーフェンやL.モルガンが明らかにしました。バッハオーフェンはこの変遷を宗教的教義の変化により説明しました。モルガンは、人間の生活状態の変化により説明し、文化史として野蛮、未開、文明の3つの段階を経験していると述べました。
(3)人間が文明に達したのは、生活に必要な物質の生産力を高めた結果です。男女の性役割による分業が生産力を高めましたが、これが男女の社会的地位の差を生み出す基になりました。男女平等(女性の解放)には女性の生産活動への参加が必要です。女性の解放なくして、男性を含む人間全体の解放はありません。
*20世紀の後半以降、先進国では経済のサービス産業化により、女性の社会参加は進んでいます。しかし、男女平等が進んでいる北欧であっても男女間にはまだ相当の格差があります。
エンゲルスが『起源』で述べられなかった点は、これらに関係します。
(1)『起源』では、家事については簡潔にふれましたが、それは家庭生活の運営に関する部分—すなわち主に衣食住に関する家事についてでした。子どもの生産—私はこれを家族の世代継承機能とし、その行動を家族内ケア(子育て、家族の健康ケア、介護など)と考えますが、エンゲルスはこの面にはふれず、2つの家事を労働として評価できませんでした。
その理由は、これらの家事の社会的分業が19世紀にはまだ十分に普及していなかったためです。家族内ケアは人間の自然な生理的な行動と考えられました。20世紀に入り衣食住に関する社会的分業が発展し、20世紀後半になって家族内ケアの社会的分業が開かれました。こういう事情により家事が労働として評価できる基盤ができたのです。
(2)エンゲルスの時代には国内総生産(GDP)という理解はありませんでした。GDPとは、一国の広い範囲に市場経済が定着していることが条件です。19世紀にはその広がりも先進国の一部でした。21世紀の現代でも、これは未達成の地域(自給自足、物々交換、家族内労働、共有地の労働による非商品経済の広がり)があります。GDPが公式に成立したのは1993年のことであり、その成立までには国民総生産(GNP)などを巡り長い経過があります。
GDPの十分な確立はできていませんが、これに比して家事労働の評価が考えられますので、理論上であってもGDPの役割は欠かせません。
(3)エンゲルスは、家族制度の将来を記述していません。これは現代に生きる人たちにも想像の域を超えません。私に言えることは、この家族制度を変える原動力は家族内ケアです。エンゲルスの時代においては、男女平等に基づく社会は女性の社会的労働への参加でしたが、ここに家事労働、ことに家族内ケアの評価が加わることで、人間の将来の家族制度を考えられます。
若い世代には家族内の「わずかな」不具合を察知する鋭敏な感覚をもつ人が少なからずいます。当初その感じ方が、異変や常識外とされ不登校やひきこもりは「問題行動」扱いされました。常識や社会的慣習におかしさがあるのに、多くの人は気づかずにいます。家族内のおかしさを彼ら彼女らは察知し不登校として、次にひきこもりに表現したのです。その感覚を無視してはなりません。幼児の泣き声を無視してはならないのと同じです。

子どもの手伝いからみる家事の変化

タイトルを変更しました(衣食住の家事と子育て・介護から変更)

小学校の先生が、「家の手伝いで何をしていますか」と子どもたちにききました。買い物に一緒に行き自分が持って帰る、食事づくりや食器洗い、洗たく物を干すのを手伝うというのが多かったそうです。
なかに炊飯器のボタンを押すとか風呂のお湯を入れるため蛇口を開けるというごく簡単なものもあったといいます。
衣食住を中心とする家事の様子も高度経済成長期の前後では大きく変わったようです。私は田舎育ちで、1950年代までの景色を思い返すと、今ではすっかり聞かないもの、なくなったもの、対して新しく生まれているものがあります。
▲家業 秋には学校に農繁期休暇というのが2、3日ありました。農家の子どもが多くて、子どもたちは収穫の手伝いをしていたのです。これは家業手伝いというべきものです。私は丘の畑のイモ畑から収穫したイモを背負子(しょいこ)に背負って自宅まで数回往復したことがあります。自宅の床下はイモ倉庫になっていて石灰(ネズミ対策?)と一緒に貯えていました。
▲衣 衣食住の衣に関しては、かなり多くの家にミシンとアイロンがありました。ミシンは足踏みだったのですが、いつの頃からか電動ミシンになっていました。針仕事というのもあって母は漁師町に遠方から住み込んでいる若い漁師たちの衣類の仕立直しをしていました。
ミシンとアイロンは多くの家から消えました。自宅には今は洗濯機があり、クリーニング店とコインランドリーが街中にあります。
▲食 衣食住の食に関しても衣と似たようなものです。
私の子どものころは、カマドがあり、七輪があり、薪と炭があってこれでごはんを炊き、食べ物の煮焼きをしていました。今では炊飯器とガスコンロ、湯沸し器がこれに代わっています。
今の“最先端”ではマナ板のない家庭がありますし、アパートの一室、個人宅では炊事場のない家庭もあります。ほとんどの家庭には(代わって)冷蔵庫がありますし、オーブンも多くの家にあります。
▲住 衣食住の住の中心は、掃除でしょう。帚(ほうき)は室内用と土間用があり、雑巾(これは今もありますが)の活用分野は広がったと思います。部屋の仕切りには障子があり、何度か破れた障子紙を張りかえたことがあります。帚や雑巾はいまも使われていますが、掃除機が多くの家庭に備わっているのが現在です。
冷暖房に関してはエアコンが普及していますし、電気ストーブや冷風機もふえました。かつてはコタツと灰火鉢でしたが、これに代わっています。
家事のなかで、以前より多くの時間を占めるようになったのは買い物でしょう。とくに食料の買い物は日常化している家庭が多いと思います。これら衣食住に関わるもので、子どもたちの家の手伝いはここにありました。
かつては見かけて今は見ないものに子守りがあります。子どもとくに女の子はあかちゃんを背負って遊んでいる姿も珍しくなかったと思います。これは衣食住ではなく子育ての手伝いです。
この30年前後は人口の高齢化にあわせて、介護の役割が多くなりました。障害者や病気もちの家族がいると子ども時代からそれを受けもち、程度によってはヤングケアラーとなる人も表われています。
これらの家事・育児の基本も学校教育の対象となります。文科省の学習指導要領、高校「家庭」編 中学校「技術・家庭」編を見るとこれらはかなり体系的に示されています。それがどのように実践されているのか——進学指導中心の学校教育において期待すべきものとはいえないでしょうが…それでも日本の片隅にそれに熱意をこめている教師がいること忘れないでおきます。
私の子ども時代の家庭科に属することでは、食に関してはドーナツ作りと衣に関しては雑巾作りの記憶があるだけです。中学校「職業科」の時間にカンナの刃を研いだ時間がありました。今はどうなっているのかわかりませんが、男子は職業科、女子は家庭科と別々の授業でした。