——不登校情報センターのあゆみの一面
記憶では、1996年8月4日、横浜駅近くの神奈川県民センターの一室で通信生・大検生の会を開いたのが最初の当事者の集まりです。当時リクルート社から個人情報誌『じゃマール』が発行されており、そこに掲載されている通信制高校生や大検生、あるいは不登校の人たちの声を見て思いついたのです。横浜を選んだのは神奈川県在住の人から積極的な反応があったからです。
通信生・大検生の会は私の中では一般呼称であり、それを固有名詞にするつもりではありません。当日集まったのは5人ほどの少数であり、会の設立をきめるほどとは思えません。ところが参加人数はその後も似た状態であり、この通信生・大検生の会は、固有名詞になりました。
そのころは事務所はなく、親からの相談も通信生・大検生の会の会場もそのつど借りていました。公共機関の会議室が多く、集まるメンバーのいた立正大学や明治大学の一室で開いたこともあります。参加者はだいたい10名未満です。
1998年の夏ごろ、協力関係にあったWSOセンターの平井さんが、固定した事務所を設けてはという提案をしてきました。自宅から近い大塚駅近くに8畳ほどのワンルームを借りたのが1998年8月末のことです。それ以降はここが定例会の場に固定され、当初は水曜日午後1時から開かれました。
多くの人が集まりました。毎週水曜日には部屋からあふれました。30名以上が入り、履き物が多くて玄関のドアが閉められません。そのような場所が求められていた時代だったのです。
2001年3月ごろこの様子を朝日新聞に投稿しました。その記事を見た当時の第一高等学院の田中さん(経営母体の学育舎副社長)から連絡があり、新小岩校を閉鎖したので活用しないかというのです。それで5月にその校舎を借りて講演会を開きました。参加者は70名くらい(?)だったと思います。不登校の親が多く、このグループの会合が後の親の会になりました。参加した当事者が大塚から新小岩への事務所の引っ越しを手伝ってくれました。不登校生への訪問サポートをしていたトカネットも独自の発表をしました。
2001年6月移転し、(旧)第一高等学院新小岩校が不登校情報センターの事務所です。1階スペースはあゆみ書店(後に喫茶いいなが加わる)と事務室、コピー機などがある作業室と図書室代わりの教室、2階には3教室ありました。いつ誰が来てもスペースがある状態になりました。
当時の私は、この当事者の集まる状態に特別の名称があるとは知りませんでした。当事者の会という名を知り、いや当事者という呼び方自体もここにきて知ったのです。参加した人のなかにフリースペースと呼んだり、居場所と呼んだり、あるいはグループカウンセリングと呼ぶ人がいて、「ああそういう名前で呼ばれているのか」と知ったのです。ここを会場として親の会は毎月開かれました。カウンセラーやカウンセラー志望の人が関心を寄せ、協力してくれるようになりました。
(旧)第一高等学院新小岩校には2005年8月までの4年2か月いました。その後、近くのマンションに移動し(2013年8月まで)、さらに平井のマンションに移動しました。当事者の参加数の減少に沿ってスペースは狭い所に移動したのです。