1通の投書を受け取りました。
「精神科医は銃を持つべきという意見に対して」と題して、体験者ページに掲載しました。
参考にしていただければ幸いです。
投書によりますと、精神科医が銃を持つことに一般の人も賛成する意見が寄せているとのことです。
この意見が精神科医の協会の発行する冊子に載せられているのは深刻です。
進めようとしているのでしょうか?
私の意見は控え目にしたいですが…。
精神科医が銃を持つ事態になれば、それは科学としての医療・医学の敗北宣言でありましょう。医師のモラルの堕落を促進するものになりかねない…と思います。
http://urx.red/KRMY
「当事者・体験者」カテゴリーアーカイブ
多数の返事が届き、体験記3通を掲載
会報11月号のエッセイ「厳格な社会人父と家庭を守る母のもとで成長した女性」への感想をお願いしていたところ、多数の返事をいただきました。
特に2通は事実上の体験手記になります。
確認をとって体験手記のページに掲載しました。
発表するために読み直してもらい、少し直しました。
「楽しみも希望もない50年を超えて」(墨川みよ)
http://urx.mobi/HdNO
「家族に無関心な父と家族から逃避の母」(丘珠 浪)
http://urx.mobi/HdNS
別の1通も同様に詳しい体験記ですが、「読者の若い女性の方へ」(I.Mからの手紙)と呼びかています。
http://urx.mobi/HdNT
体験記ページに載せるとともに、文通の「ひきコミWEB版」にも載せました。
他にも感想やメールでの返事が数通届きました。
これらの返事を見て、12月号は「自分の性格を変える方法」にする予定です。
11月号エッセイを引き継ぎますが、男女ともに何となく感じているのが「性格を変えたい」です。
それを取り上げてみます。
生活の発見会・集談会へのアプローチを考える
少し前に東京東部地域に住む女性の相談を受けました。
一通り話をしたあとで親しく話し合える人がいる場を求めていると聞きました。
同じことは他からもよく聞くので、この8月からは「当事者の会・自助グループ」としてその充実にも取り組んでいるところです。
8月からの問い合わせ中は3領域のリストを元にしています。
その結果、サイトに紹介する了解を得たのは9月13日現在
「ピアサポ祭りの協力グループ」36、
神奈川県の「フリ・フリ・フェスタ」出展者5、
「摂食障害家族会一覧」から5です。
それ以前から不登校情報センター・サイトには300か所以上を紹介しています。
しかし何しろ全国です。分野や対象者など団体グループにそれぞれ個性があります。
誰かに勧めるにはどこが適しているのかはよくわかりません。
本人が行ってその場を体験してみるのが最後の決め手です。
サイトでは各団体を簡潔に紹介するがいいと思うのです。
この相談者は、デリケートかナーバスの周辺領域にいるとみて森田療法のグループを候補に考えました。
前にMkくんがこの会に関わり、勧めているのを聞いたことがあります。
あるいは認知行動療法の自助グループがあれば…。
森田療法には生活の発見会という集談会・懇談会があり、そこを訪ねてみてはどうかと話しました。
生活の発見会の本部は墨田区吾妻橋にあり、そこでも集談会をしています。
生活の発見会は全国各地で集談会・懇談会をしています。
これをこちらのサイトにも紹介をしたいと思います。
どう働きかけていくのか、何か手掛かりが得られればGood!
「仕事に就いたら負けだ」の真実性
長期のひきこもりの後、何とか仕事に就いた人の話をいろいろと聞いてきました。
やっと仕事に就いた。ここを足掛かりにして何とか「仕事をしている自分像」を確立したい。
この思いはかなり多数にあると思います。
そう進んできたところで、多くの人は次の事態に直面します。
一種の葛藤ですが、ダブルバインド(二重の拘束)といった人がいてこれが実感のある言葉のように思えます。
(1)いまの仕事を何とか続けていきたい。もし耐えられなくなってやめたら、またひきこもり状態の戻ってしまうかもしれない。
そういう不安・恐怖感に迫られながら仕事を続けている感覚があります。
(2)他方で、この仕事でいいのか、自分にはもっとやりたいこと、できることがあるのではないのか。
そういう人生を選び進んで行かないのか。未達成感、残念感とでもいうべきものです。
この二つの面が交錯して迫るのです。
心に余裕のある状態ではなく、かなり切迫した状態でつきつけられるのです。
当事者にとってはそういう事態になるのは普通のことで、そう理解しておくことは重要だと思います。
もう一つ加えておきます。
「仕事に就いたら負けだ」とひきこもりの経験者が話した言葉があります。
働かないのを自己弁護していると聞く人もいましたが、読みが浅いと思います。
上のダブルバインドの状態に置かれた人が、結局は自分の可能性や希望を捨てて、自分でもあまり評価できない仕事について辞められなくなる。
それを予測していう言葉でもあります。
自分を押し殺して生きていかなくてはならない人生選択を「負けだ」というのには真実性が込められているのです。
深刻さを感じさせないニュアンスで表現しています。言葉の達人がふりまく撹乱材です。
体験記は統合失調症とアスペルガー症候群の20代女性から
文通ボランティアを問い合わせてきた1人から体験手記が送られてきました。
滋賀県に住む20代の女性で、統合失調症とアスペルガー症候群と診断されている方です。文通ボランティアも希望しています。
壮絶な体験ですが、読み終えてみると、私にはなぜかすくわれる(?)気持ちもあります。
なぜ人間は「統合失調症」になるのか、その必要性があるのではないか。人間を理解する大事なことの入り口になっているように感じるのです。
これまでにも相当数の統合失調症と診断された方に会いました。私には言葉にできるレベルではつかめませんが、何か大事なことを教えてくれます。いつか言葉で表現できるようになりたいです。アスペルガー症候群についてもまた同じです。
〔体験記・日々勉強させて頂いております〕
http://www.futoko.info/…/%E6%97%A5%E3%80%85%E5%8B%89%E5%BC%…
支援者交流会から実践交流会へ名称の変化
17日、全国若者・ひきこもり協同実践者交流会の実行委員会がありました。
多くは3月の大会準備の実務的な意見交換でした。そのなかでこの集会が始まって12年のうちに支援者交流会から実践交流に変わった意味をやり取りする場面がありました。
「ひきこもり」は支援の対象者であるばかりではなく、支援の側に回ることが相当に多いという事情があります。出席のある方が「支援の対象から現状変革の主体者でもある、それを内包している」といいました。そういう理解の仕方が12年のなかで広がり、数年前から支援者交流会から実践交流会に名称も変えたのです。…
このことは私も気づいていたことです。これは「ひきこもり」の顕著に表れることかと思っていたのですが、障害者や高齢者などの取り組みにも共通する事情があるそうです。
「引きこもり経験者という“当事者”の可能性」(2016年5月10日)
「引きこもり素質のある人が引きこもりの支援者になる」(2016年2月28日)
http://www.futoko.info/…/%e5%bc%95%e3%81%8d%e3%81%93%e3%82…/
こもり歴8年の男性Oさんからの体験手記
20代にこもり歴8年の男性Oさん(39歳)が自分の体験を書いてきました。タイトルを「心の帰る場所」としています。
8年間のすさんだ生活をこう書いています。
「8年間通して仕事もろくにせず、酷い生活ぶりではあったのですが、22、23歳の時は特に酷かったと思います。甘い母親に付け込み、運転免許代30万をもらって、そのお金をパチンコなどのギャンブルで散財したり、家に帰らず明け方までネットカフェでゲームをし、入り浸っていたり‥‥」…
他にもいろいろありますが、悪びれず率直な反省ぶりに潔さを感じて私なぞは好感を持ちます。
偶然ですが11月に受け取った手記にも、今回の手記にも「捨てる神あれば拾う神あり」とありました。
好感・嫌悪感、どちらを感じられるかは予測できませんが、好感は得られなくとも構わないので(真実はそういうことには無頓着です)、これからも引きこもり等の体験者の手記を募集しています。
ゲーム交流会としゃべり場など
先週末はいろいろなイベントがありました。土曜日のパステルアート教室(あべちえみさん)とゲーム交流会(三田佳幸くん)、日曜日の大人の引きこもりを考える教室と生き方くらぶです。
ゲーム交流会には20代前半のKくんが始めて情報センターに来ました。後になって「とても楽しかったです」とのメールが藤原さんのところに届きました。パステル教室とゲーム交流会の次回は10月8日(土)です。
生き方くらぶ(しゃべり場)は以前にも似たようなことはありましたが、初めての試みです。大人の引きこもり教室から参加していた人が引き続き参加しました。こちらはNaさんの誕生会を兼ねて二次会もありました。また続きをやるようですが、日程は未定です。
これらの場を通して、自分の体験したことを本音で、少なくとも本音に近いことを話せるといいと思います。なかなかそういう場はないし、うっかり「失敗するのが怖くて人と話せない、働けない」などと言って、後はさえぎられて話せないまま中途半端なままになった、そういう人もいると思います。
怖くなるのはどういう状況なのか、それはその状況においては異常なことではない、どうしていけばいいのか、聞く耳をもって話を聞く人がいれば自然と話ができるようになります。生活の転換点になることはあります。
コミュニケーション障害のような診断を受けるよりもはるかに楽しくてこれからどうしたらいいのかも、自分で徐々にわかってくるし、行動できるようになります。
そういう場があちこちにできてきました(居場所やカフェということが多いようです)。怖いけれども少しの勇気と少しのエネルギーを出して参加してください。そこに出かけることが行く先のある外出になりますし、生活のリズムをつくるポイントにもなります。
情報センターもわずかな機会ですが、これからも続けますので参加を待っています。
「親亡きあとの生活…など」を交流する準備をします
9月12日(月)午後1時から、ミニ交流会(の準備)をします。
ただいまの参加申し込みは次のテーマを考えている1名です。
<30代後半のひきこもりの娘と息子の母親です。希望テーマは①生活リズムの作り方②ネット依存をどうしたら③親亡きあとの生活…など。とりわけ③について日々悩んでいます。>
こんなテーマで話したい方がいましたら参加してください。
このようなテーマへお答えは一つではなく、引きこもりを経験した人の実体験が説得力をもちます。そういう意味ではこの準備に当事者の参加も期待しています。
これ以外の別のテーマ希望の方も歓迎いたします。
体験記「ひきこもりやすいネット時代」
先日の「ひきこもり大学in下町」に参加した1人が訪問サポート・トカネットの登録に来ました。担当の藤原さんと数時間話したのですが、帰ったあとで自分の体験を含めて、ネット社会との関係、感じていること、基本の対処法などを、書いてくれました。
体験手記というよりは、この時代に生きる若者を1観察者としてみたレポートというのが当たっています。ペンネーム(ハンドルネーム)を「観察」としているあたりに、ご当人の意識もそのあたりにあるとうかがわせます。
1観察者としての目(視点)が、本人目線であったり、周辺目線であったり移動しています。あまり気にしないで読んでみてください。
〔ひきこもりになりやすいネット時代に生きてます〕
http://www.futoko.info/…/%E3%81%B2%E3%81%8D%E3%81%93%E3%82%…