体験手記と文学作品

今回の不登校情報センターが文学フリマに出展する作品の中心は体験手記です。体験手記とは実話です。実話とはいえ、記憶違い、感覚のとり違い、解釈の間違いにより“実話”からふみ外すこともあります。また自分の肯定面の過大表現や否定面の過小表現により、“つくり話”レベルにまでふみ外すこともあります。そういう部分を含むことを認めたうえで、全体として体験手記とは実話です。すなわち自分はこのような体験をした、と自覚しているのです。自伝というのもそういうものでしょう。
私は体験手記を読むのを大事にしています。すべてがよい作品とは言えないでしょうが、時に感動することもあります。少なくとも「不登校情報センター」を表に出して何かをしている私への投稿などは、どうしようもないほどのものはありません。
何がしかのモノはありますし、それぞれが子ども時代や、青年期に経験したことを描いています。そして時にはすごいと思うものに出会うのです。その確率は私の中では高い確率です。ただ私は文学的なことや芸術的な内容を判断は出来ませんから、すごいとは言え主観的なモノです。
高校3年のとき、数Ⅲの積分関数の問題で解を初めて得たとき、少し感動したのを覚えています。しかし以来、数学の方程式や物理の方程式を見て、感動をしたことはありません。また法令を見て感動したというのもありません。日本国憲法の前文はそれなりのものですが、感動とまではいきません。そこに表現される数式や法令文によって得られるイメージが鮮やかではないからでしょう。
文学作品はどうか。これはピンからキリまでさまざまではあるが、優れた文学というものは感動を与えてくれます。それは確かな真実を示すものです。それを超えて自分の内側にある気づかないものに気づかせてくれるためかもしれません。
しかしこのレベルの文学作品であっても、必ずしも事実ではありません。例えば山本周五郎の『赤ひげ診療譚』の最終作品「氷の下の芽」は、そのような事実があったわけではないでしょう。誰かの体験を元にしているのかもしれません。人間の心情と周囲の状況に“ありうる”可能性が整っているなかでストーリーは展開・構成されています。これを虚構性というらしいですが、その詳しい説明はできません。
文学作品は、その高いレベルでは「つくり話」であっても、人はそういう場面、そういう状況におかれたとき、そういう動きをする可能性が納得できる形で描かれているのが条件になります。そして、勇気とか愛情とか、苦しみの実相をみせ、愉快な気分をひき出してくるものが、優れた作品と言えるのではないか?
体験手記は、それが事実である限り、文学作品のこの前半の条件を満たしています。それだけで文学の条件を少なくとも満たしています。それを超えて「優れた」文学作品になるには、省略と合理的な追加設定が求められるのでしょう。私にはそれを語るだけの能力はありません。
今回、改めて数人の体験手記を読むことになりました。私には「優れた文学」を感じるレベルのものもありました。そこには基本的には虚構性はありません。細部の比喩にそれはあるのかもしれませんが、それは虚構性が導入されているとはいえないと思います。今回の体験手記を読み返して、これらは「優れた文学作品」の素材になっている、と確信できました。
蛇足めいていますが、通信制高校、定時制高校、あるいは高校中退の経験者が混ざっていて、具体的なことを自分の言葉で語っています。貴重なものだと思います。

創作活動を勧める私の理由

創作活動を勧める意味を会報で「みか」さんが説明してくれました。私の思っていることを、私以上に行き届いた形で、わかりやすく説明しました。それで私は別の面での創作活動を勧める意味を書こうと思いました。
イラストをよく描く人がいました。そのお母さんが叱っている(?)ようなのです。「こんなことが上手くなっても何にもならない。経理学校にでも行った方がよっぽどいい…」という主旨でした。
その言葉の強さにイラスト好きのその人ばかりか、離れたところで見ていた私も何も言えません。今に思うと実に残念で情けない結果です。
人には向き不向きがあり好き嫌いがあります。不向きなどにより社会で生きていくのに差し障りがあるのであれば最低限の位置をめざすことになります。しかし多くは自分の好きなこと、自分に向いていることに取りくめば、スムーズに前進できますし、達成も多いのです。
私は、いつかわからない時期から表現活動を勧めるようになっていました(向いているかどうかは別です)。若い時代に本の編集者になったのは偶然でしたが、そこで思った以上のことを学び、身につけました。ひきこもり経験者と関わるなかでも、文章を書き絵に描くこと、創作を当然のように勧めてきました。
「ニート・ひきこもり支援」として社会生活、経済生活のできる力をめざすプログラムが大事にされるのを否定するつもりはありません。しかし、この方法で現実に生まれていることは次のように表われています。
(1) 当事者の心身状態でこの形に合う人が対象になり、全体への対応にはなりません。それ以前の課題がある人は少なくないのです。
(2)対応内容が就業支援中心にならざるを得ません。これが現状のひきこもり支援が就業支援に偏っているといわれる理由です。
(3)当事者の提起するものを受けとめられず、当事者を社会への適応・同化を促す対応になります。上記紹介のイラスト愛好者に経理学校を勧めた人がしていることがこれです。
私はそういう就業に固定した取り組みをするのは向いていないこともあって、別の道を進んだことになります。それが創作活動を勧める道です。
一般には、中心的方法以外の多様な道を肯定してよい、と思います。人は多様なわけで、好都合な道があればそこから目的に近づくことは可能です。

2023年に太田勝己作品の展示企画が提案されました。Tokyo-U・クラブというグループの提案で、企画が具体化し進んでいくなかで、そのテーマが「ひきこもりと表現」になりました。Tokyo-U・クラブ会長のKさんが提案したものです。企画の準備過程で十分に練られた結果とはいえませんが、私はかなり斬新さを感じるテーマに思えました。
考えるにひきこもりを続けるなかで失われる、むしろ育たないのは表現ではないでしょうか。自分の気持ちをどう表わすのか、思いや考えを周囲の人に伝えるにはどうするのか、それが表現です。ひきこもり生活では、ときには家族とさえも話すことはありません。表現力を失うのではなく育つ環境がないのです。ネットやSNSがそれを補充する面はありますが、生の社会的様子を知らないとうまくいかないのではないか。「表現」という提示はそれを考えさせてくれました。
表現と創作活動は同じではありません。表現が日常に求められるとすれば創作は自分の中の目的の意図性、構想や論理、感情の主体性が求められるという意味で、表現と創作には連続性と重複性があります。
結局私は、自分のできそうな分野で(必ずしも得意分野とはいえませんが)周囲に集まってきたひきこもり経験者たちに、創作活動を勧めることで、自分を表現することを勧めてきたことになりそうです。
ネットの普及によりあたり前に、ある情報、特定の事柄に関する知識を得られるようになっています。私はここに危険性を感じています。AIが活用されるようになって、さらにその感を強くします。自分の内側からのものを通さない多くの知識や情報を得られるようになり、それでわかった気になるのです。自分に受けとめる実感がなく、自分の感覚や経験を通さないで分かったつもりになるのです。それは何かを失われる感じがします。表現は、創作活動は自分の内側から出るものです。自分の感覚、自分の経験を通して、「正しい」とされるものとの整合性が確認される必要があると信じます。自分の感覚をもっとも大事にしたいのです。

絵文集『BONHEUR』(ボヌール)への道

Angelさんは20年以上前から『ひきコミ』にイラストを投稿してきました。それ以来ときどきイラストが届いていたのですが、昨年夏ごろ私から「いつか作品集にしませんか」と呼びかけました。その気になったようでイラスト送付の回数が増えました。
回数が多くなった他に、内容も徐々に変わってきました。「ねこちゃんとうさぎちゃん」という2匹が登場することが多くなり、全体に前以上にファンタジーの色彩が強まったと思います。それに比較的短い文章が添えられることが多くなりました。
Angelさんはこのイラスト送付のときに便箋1枚ほどの手紙を付けてきました。私は作品集をまとめるのに、これら手元に集まる作品をどう整理するのか考えました。それで今年(2025年)正月期間に、古くからのイラストや手紙を含め、時間順に並べて全体状況を表わす“素材集”をつくりました。
この“素材集”を基に年内に作品集をつくるつもりで作業を始めました。ところが3月に入ってから「文学フリマ・東京40」に出展する企画を知り、Angelさんの作品を準備していたのでこれに間に合わせようと考えたのです。
長い期間にわたり描きためた作品であり、その経過において作風や目的が変動してきたこと、仕上げともいえる時期に入って文章を加え、書き直す作業が加わったこと、しかも最後にはこの文章を手書きのものから活字にしようという事態が生まれました。
こういう事情で、掲載作品は50点ほどですが、編集製作作業は相当に複雑なものになりました。
細かなことは省きますが、こうしてAngelさんの作品集は、イラスト集やカット集とは違うものになりました。世に「絵手紙」という絵と短文を組み合わせたジャンルがあります。それと似ていますが文章は手紙ではなく、あるときは説明文でしたが、やがて見る側の人に絵の表現する様子を想像してもらおうとする意図さえ感じるものになりました。文章は説明というよりはファンタジーへの導入になってきたのです。ですが私はこれを「絵文集」と呼ぶことにします。
絵文集というのはAngelさんにとっては最終形ではないかもしれません。今現在は一定のテーマを感じさせ推測させる短文集というあたりです。このようなジャンルは私の勝手な推測の域を出ませんが新登場の可能性があるとしておきましょう。
作品集の名称をAngelさんは「BONHEUR」(ボヌール/よろこびの花)としたのは、こういう流れ見ると私なりには了解できます。確かにイラストやカット絵を超えた心の表現をめざしていると思います。
イラスト愛好者にとってはこのような変遷は参考になるのではないでしょうか。参考に見てほしいと思います。

「文学フリマ・東京40」からの連絡

「文学フリマ・東京40」事務局から連絡があり、不登校情報センターのブースの位置が確定しました。
会場は東京ビッグサイト南1~4ホールです。全体が南1・2ホールと南3・4ホールの2会場に分かれます。不登校情報センターのブースは南3・4ホールの「そー75・76」番になります。「そー」番という番号付けは、「あいうえおかきくけこさしすせそたちつてと」の20グループに大きくわけ、そのなかでさらに「01」~「92」まで小分けしたものです。2つの会場全体で合計2746出店・3191ブースになり、不登校情報センターは2ブースを占めます。ブースは会場入口からはかなり遠くの左手の中ぐらいの場所です。参加予定者には事前にブースの位置図を送ります。
開催時間は5月11日(日)12:00~17:00です。ブース設営の準備のために11:00には会場に入ります。一般入場は12時です。1ブース2名が要員(合計4名)で無料参加できますがそれ以上は参加時に1000円が要ります。現在松田を含め5名が参加予定です。要員4名は松田からお願いした人が2名、あと1枚誰かにお願いします。
出展作品は現在作成中です。新作品(6点)は版下作りから、既作品(7点)は増刷(一部に解説等追加)をします。新作品6点はほぼ版下作りはできました。既作品は読み直しており、解説等の追加もほぼ終わりました。できればこれら全部を4月19日の親会の場に持っていきたいのですが、確定できません。表紙のカラー紙、製本テープ集めが不十分です。作業をする気力・体力も不足して休みがちになり、ときに寝込んでしまいます。別に出版社から出した5点があり、合計18点になります。
「文学フリマ・東京40」事務局では出展作「WEBカタログ」ページを設けています。まだそのページを見てはいないですが出展する全作品の紹介を書き込みたいと思います。事前に見て参加する人も多いようで、販売数に影響するからです。
これとは別に不登校情報センター(あゆみ書店)の『出展作目録と手作り本の手工芸』(仮称)のリーフレットを作るつもりです。会場で配布するなどを考えています。
今回は出展しなくても、これからもみなさんの新しい作品を作るのを応援したいと思います。出展や販売の機会はこれからも広がるとみていいのです。

「アルバイト体験記/対人恐怖との葛藤」に寄せて

不登校情報センターの設立は1995年です。教育誌を編集していた時期から不登校の相談を受け、相談先情報を広げる目的で不登校情報センターをつくったのです。ところが実際には不登校情報センターへの相談が増えていきました。
その時期(90年代後半)の相談は十代後半から20代前半の年齢が多く、相談に来るのは主に親でした。様子は少しずつ違いますし、当時と似た状態の人はいまもいます。年齢は十代後半から20代前半で、相談内容も90年代後半とだいたい同じです。
私は現在の「社会的ひきこもり」は全体として日本社会がゆたかになったためと考えますが、他方には「ゆたかさ」とは言えない生活状態におかれ、ひきこもりになる人もいるわけです。
本書『アルバイト体験記/対人恐怖との葛藤』の著者、高村ぴのさんは90年代後半から不登校やひきこもり状態に近い精神状態におかれたものです。
医師の診断を受ければ、対人恐怖症、神経症または強迫神経症さらには不安神経症とか社会不安症…という系列の診断を受けることでしょう。遠因にはいじめを受けた体験を忘れるわけにはいきませんが、生まれつきの感受性の強さも関係していると思います。
症状の程度によっては、心身状況を悪化させてしまいます。医師に相談すると多くは就業を勧められないでしょう。そういう状態にありながら、経済生活上の切迫した環境のなかで、彼女は15歳でアルバイトに就く道を選びました。彼女はさいわい「妥協する」道を経験し、対人関係がわずかずつ改善している様子が読み取れます。
私(松田)の知る限りでもこれに似た事情のなかで働く道に進んだ人はいます。何人かはこの難関を通り抜けました。案外すんなり抜けた人もいるようですが、そう容易な道ではない人もまたいます。高村さんの手記はそういうばあいどのような苦難を通らなければならないのかを体験談として表現してくれました。

私は、このような状態においては「生活保護を含む福祉の利用」を考え、制度の充実性を訴えます。しかし彼ら彼女らのなかにはそれを望まない、拒絶する人もいます。その生活状態のなかで葛藤するすさまじい努力を応援するしかありません。その私の気持ちをどう表わせばいいのか迷いますが、自分の高校時代に経験した貧乏生活がある種の心の居所となっていると思うこともあります(心理面は違うかもしれません)。そしてハラハラしながら見守る気持ちになってしまいます。
「アルバイト体験記」は、15歳の中学卒で働き始めた人の実話です。その試練をリアルに語ってくれました。文中に一人の老人の姿が彼女を勇気づけています。そこまでではないにしても、周囲の人には目に見える応援ではなくても、「フラットに、普通に」目を向けてほしいと思うのです。
このような生活や環境条件から「働くに働けない」状態でいながら働かざるを得ない人はいまもいます。30代、40代、50代で、ひきこもり状態がつづいてきたなかでそうするしかない(と思う)人たちです。
うまくすり抜ける(?)方法はあるかもしれませんが、それは手助けする人との協力が前提であり、この条件がないなかでは期待できないのです。そして正面からこの難しい事態に立ち向かい取り組んでいる人たち——それがどんな目にあっているのかを、間接的な文章表現でしか伝えられませんが、読んでいただくように期待します。

4月の親の会

3月の親会では「親の会をこれからどうしよう」という話もしました。

セシオネット親の会では子ども不登校やひきこもりの様子を話す機会が少なくなっています。辞め時かとも思いますが、人との関係をそう扱うのもどうかと思います。しばらくは試行錯誤の時期になりそうです。

4月は創作の手作り本10点以上をもっていきます。創作活動をしている方にはそれを個人的な自作の作品集にできます。その参考見本になると思います。

セシオネット親の会の定例会は毎月第3土曜日、午後2時~4時です。参加をお待ちしています。⇒4月19日(土)14:00~16:00 

場所は助走の場・雲:新宿区下落合2-2-2 高田馬場住宅220号室

5月の親の会は「助走の場・雲」の説明会(?)。この春に「助走の場・雲」でサポート役をしていた学生が卒業になりました。その人に来てもらって、見学に来る学生への説明会をしようという話持ち上がりました。どうできるか楽しみです。親の会の今後は謎めいています。

『アスペルガー気質の少年時代』のあとがき

松田武己の子ども時代を「アスペルガー気質の少年時代」としてまとめることにしました。いろいろな生活場面に子ども時代の私が行ったことを、あれこれ書いてきたので、それを 1つにまとめようというわけです。
思いついたのは「文学フリマ・東京」に出展する目標で、これまでいただいた数人の手記などを手作り本にする作業を進めていると途中です。①小林剛『ひきこもり模索日記』は不登校からひきこもりの時期を、②逸見ゆたか『精神的ひきこもり脱出記』は私より10年以上先輩の体験を、③高村ぴの『アルバイト体験記/対人恐怖との葛藤』は書名そのまま、④ナガエ『私の物語』は子どもの虐待と解離性人格障害を——これらは新しく追加して手作り本にするために元の原稿を読み返すなかで確認したことです。
そういえば中崎シホ『喪失宇宙からの手紙』はある文学会の公募に提出したので、結果発表は5月ですが、応募したのは昨年12月のことです。この作品が事実上はじめの動きかもしれません。
不登校情報センター(あゆみ書店)の、そこに関わる人たちの特徴的な傾向が、ここにそれぞれが表現できていると思えたからです。不登校情報センターに関わる人には、それぞれ特徴的な様子を表現する人、特別の体験をする人がいます。それらを手作り本として実現すれば、そこが明確に表われるのです。
それらに関わるなかで、私自身のアスペルガー気質の様子をまとめようと思い至ったのです。アスペルガー障害は、最近は自閉症スペクトラムという枠に収められて診断されますが、むしろアスペルガーの用語を入れる方がそのある傾向をクリアーに表現すると思えますので、そして私のばあいは比較的軽度(異論のあることは認めますが、社会生活に大きな影響は少ないと勝手に判断して“軽症”とします)ですが、発表することにしました。

さて『アスペルガー気質の少年時代』は、2007年以降に私の子ども時代を思い出して書いたものです。私がそれを自覚したのは不登校情報センター内で行った2007年秋の、心理カウンセラーKさんの「アスペルガー障害の学習会」でした。
Kさんは、不登校情報センターに来て通所するひきこもりなどの経験者、訪問サポートする学生らと相談を続けていました。定期的に学習会も開いていたのですが、私はこの学習会で初めてそのレクチャーを聞いたのです。
その話を聞きながら、それはまるで私の子ども時代の様子を聞く思いでした。「そうか、自分はアスペルガー的傾向の強い人間だったんだ」と悟りました。62歳のときです。もはや何かをとり戻すことはほとんどできない年齢です。しかし、何かホッとしたというか落ちついた安心した気持ちになったことを覚えています。
これをKさんに伝えると「ペンの持ち方とか、いろんなことでそう思っていましたよ」という主旨の答えがありました。お見通しでもあったわけです。私がここでアスペルガー障害と自認するのではなく「~気質」と表現するのは程度が軽いということと、Kさんがそのときは「~気質」と言ったことによります。
《そこを起点にしてこれまでを振り返ってみると了解できることが次つぎと湧いてきます。子ども時代に「変わっている」と言われたこと、学級内ではグループに入らず「公平さ」を買われて学級委員長などにつかされやすかったこと、小学校3年頃から毎日のように地図ばかり見ていて、中学生になると辞書づくりに進んだこと、小説も書いていました。一人遊びゲームも自作していました。数え上げれば際限ないぐらいアスペルガー的特質で説明できることがあります。
私の子ども時代には社会的にはこのような視点はなかったのですが、看護婦だった母は兄弟5人のなかで私の異質性を認め、「特別支援家庭教育」をしていたように思います。》(『ひきコミ』第66号・2009年5月)にそのころ感じたことを書いたものです。
ある1つの作業に集中すると、それに熱中して他のことに気が回らない、ということは今もあります。一点集中と他への無関心はこうして両立するのです。一点への集中はある事柄に深く進入していく力になります。私が何かを感じ、それを進んでわかろうとするのはそこにあります。そしてわかったことを文章化する、それを積み重ねることが私のワーク(作業)になってきました。ワークはこの方法だけではなく他の方法もあると思いますが、私のばあいはこれによります。
アスペルガー障害の通説(?)とは違う感じをもつのがもう1つあります。周囲に起きていることを察知する力(感受性など)に疎いというものです。私の感覚では、よくわかるときとよくわからないときが際立っており、そのうちアスペルガー障害の通説では「よくわからない」が強調されていると思うのです。
《「一点への集中」と「他への無関心」》、そして《「よくわかるとき」と「よくわからないときがある」》という2つの事情は、その根っこは同じかもしれません。それを含めてこの2点が、私の子ども時代を書いたものにどのように表われているのか。あるいは表われていないのかも確かめられるのではないでしょうか?

小林剛『ひきこもり模索日記』を発行

小林剛『ひきこもり模索日記』の手作り本ができました。「おわりに」として私は2ページの紹介文を書きましたので紹介します。「文学フリマ・東京40」に出展します。不登校情報センターの居場所の初期の状態を彼の目から描いています。A5版110ページ、定価400円+送料210円です。申し込みあれば送ります。
《『ひきこもり模索日記』は、人生模索の会を立ち上げた小林剛さんが不登校情報センターの会報『ひきコミ』(46号、2007年7月~51号、2007年12月)にかけて6回に分けて掲載したものです。ところが最初は18号(2002年12月)に掲載を始めたのです。『ひきコミ』の市販が突然中止になりました。その後『ひきコミ』手作り版を再発行したのを受けて全文を5年半後に再掲載したのです。執筆したのは2002年なのです。
『ひきコミ』に再掲載時に匿名「森田はるか」としたのは、私の考えによります。当時彼は30代前半であり私なりの勝手な配慮です。そんなことには全く関係なく実名でよかった気もします。彼と直接に知る人は作者が小林剛さんであることはすぐに分かるでしょう。
ある時期から彼は不登校情報センター(というより松田武己を)を内側から観察できる状態になったはずです。私が考えてきた不登校情報センターを、彼は一人の通所者として客観的に述べています。言葉を飾らない彼の記述は、私の書くものとはまた違った視点から不登校情報センターの、とくにひきこもり当事者への関わりを見たものになっている点で貴重です。
「松田さんは青年期のひきこもりをわかっていなかった」という彼の言葉は、本当です。私が同じことを話しても本気にされなかったし、謙遜していると受けとめられて「しょうがないな」という気持ちであっても、身近に見ていた彼が言うのであれば信実性は格段に高まるというものでしょう。
具体的な場面で、私がどうしたこうしたというところも何か所かあります。全部がそのままとは言わないまでも、彼の記憶に残っているものですから、おおかたはその通りであったと見ていいのです。
内容面では、当時の不登校やひきこもりのおかれた状態、受けとめる学校・教師や家族など周囲の人の様子を表わしています。こういうのが全てとはいえないにしても、珍しいことでもありませんでした。
注目点は「ヨコの関係」づくり、当事者間のつながりを意図している点です。居場所においては「タテの関係」=運営者と通所者の関係はすぐです。よいと思えば継続しますが、ダメと思えば通所しないからです。主に「タテの関係」ができる通所者により居場所は続いています。「ヨコの関係」は運営者が入りすぎると壊します。これは通所者内の動きに左右されます。ここに彼の努力が見られます。居場所の良さは自主性と自治力が関係する「ヨコの関係」のレベルにより判断できると私は考えます。彼はここに力を発揮しました。
手作り本として発行するにあたり、それまで横書きであったものをたて書きに直しました。表記で変わるのは数字表記に関わることです。それにも増して、この編集、というよりは印刷用の版下づくりには苦労しました。十年を超える空白があり、以前に一度できていたことがうまくできません。予定したものがイメージ通りではなく、原文の版下づくりにミスをくり返しようやく出来ました。》

介護は家族の世代継承機能になるのか?

家族は世代継承の機能をもつ。こういう命題を立てて考えをすすめています。

世代継承の機能は「子育て」において最も明瞭に表われます。家族のだれかが病気とか体調不良になった。そういうときの看護や介護も容易に理解できるでしょう。

長期の障害者などの介護は家族内ケアの重要な内容ですし、高齢者介護も長期に及ぶこともあります。

これらの家族内ケアは、家族の世代継承機能にどう位置づけられるのでしょうか。子育てと同じ世代継承機能を成り立たせるのと同列に考えられるのでしょうか? 私にはこれに答えるのはなかなか難しいのです。

あるときふと思いました。

世代継承機能として家族の役割が低下したとき、それらが強く表われやすいのはどこだろうか? 子どもへの虐待、家族内の障害者や高齢者への虐待がそれではないかと。

最も近い関係にあるからこそ、この家族機能の低下は家族内の弱い立場(看護や介護を受ける、いわば家族内ケアを受ける側)への否定的な形で表われるのではないか?

この家族内の対応力低下を補うため生まれたのが、若年者(とくに子ども)のヤングケアラーの発生ではないか。そして苦しい状態におかれた子どものストレスの発散のしかたが子どもの間の「いじめ」の遠因になるかもしれない。そういう子どものストレスが家族内の人や場で生まれるのが家庭内暴力ではないのか……との思いに至りました。

このように家族の世代継承機能の低下、困難は反対側の問題行動として表出しているのではないか。そこを別角度からみたのが、子どもの不登校であり、いじめの発生や家庭内暴力であり、ヤングケアラーの問題ではないのか? 

これらの問題行動の原因のすべてを「家族の世代継承機能の低下」で説明できるとは思いませんが、重要な要素になると思いいたりました。

これをもって高齢者への介護が家族の世代継承機能を立証するとはいえそうにはありません。しかし、その機能の欠如が、家族を発生源として表出したのではないのでしょうか?

それは犯罪発生が、社会生活の困難の発生と強い相関関係にあるのを思わせます。基本的には取り締まる以前に、問題発生の遠因に目を向けるのが必要だと思います。

とはいえ、「介護は家族のもつ世代継承機能にどのような関係をもつのか」という問いへの答えは十分に引き出せていません。どなたか答えてくれませんか? 犯罪はいかなる理由があるにしても、合理的・倫理的に説明できないのと同じかもしれません。「介護は家族のもつ世代継承機能」も別口の人権とか人情で説明するしかないのでしょうか。

精神的ひきこもりから社会的ひきこもりへ

30年にわたりひきこもり経験者に囲まれてきた私ですが、どれほどひきこもりを、その人間像を理解しているのかは、いまもって確信があるわけではありません。ただ数年前からひきこもりを個人の精神心理的な面を見るのではなく、経済社会を背景とする社会現象として調べ始めました。そういう条件のなかで、改めて逸見さんの手記を読み直す機会がありました。「文学フリマ」という自作本の展示即売イベントが予定され、逸見さんの作品を提出しようとこの体験記を読み直す機会にしました。
逸見さんの手記は『ひきコミ』第4号(2001年4月、当時は書店で市販)に掲載されたYさんの投稿への返事として書き始めたものです。                 《どこを直せばいいのか  Y (東京都立川市 女 27歳)          結婚して2年になります。中学のころから人間関係に悩み、高校は1年でやめて、結局通信制を卒業しました。社会にでてからも何度もつまずき、仕事を長続きさせることができませんでした。                           集団の中に入ると、どうしても浮いた存在になってしまいます。特に影響力のある人、力のある人から疎まれたり、嫌われてしまいます。私と一緒に何かをすることは嫌だ、と言われたことは一度や二度ではありません。                                             すっかり人間が怖くなってしまい、結婚する一年前から外で働いていません。夫も職場でうまくいっていないらしく、関係もぎくしゃくして辛いです。この年になって情けないですが、これからどう生きていったらいいのか、生きていけるのかわかりません。自分のどこをどう直せばいいのかもわかりません。これ以上、拒絶されたり、嫌われるのが怖いのです》
逸見さんの手記は、このよびかけへの答えとして書かれました。しかしそれができたのは6年後です。よびかけたYさんには届かないままです。社会問題になっているひきこもりの人は主に1970年以降に生まれた人たちです。もちろんそれ以前にも、私が関わる人のなかには1960年代に生まれた人もいます。このような社会現象、社会問題はある時から突然表われるわけではありませんから、これは当たり前です。
社会的事情を背景としてひきこもりを説明しようと試みてきた私には、これは説明可能です。すなわち1950年後半から1960年代にかけて展開した日本の高度経済成長期が、社会を大きく変えたのです。その心理的な影響はことに若い世代から、そのなかでも感受性がゆたかな人たちがそれを表わしました。ひきこもりはその特色のある表現といえるわけです。
逸見さんは1934年生まれです。1945年当時はまだ小学生であり、そして彼女は中学3年のとき不登校を経験しています。しかし、結局はひきこもり状態になりません。そうであるから(そうであるにもかかわらず)、彼女は最近のひきこもりのある範囲の人たちの心情をみごとに察知し、説明しています。
これは注目すべきことです。彼女は「精神的ひきこもり」と自称し、それがひきこもり(すなわち社会的ひきこもり)と共通することを見事に示しています。それでいながら、社会的ひきこもりに至らず精神的ひきこもりであったのです。この関係を逸見さんは事実上わかっていました。これはなかなかのものです。逸見さんは私よりはるか以前にこの事情を知りました。逸見さんのすごさが浮かび上がります。信州にはこのような人物を生み出す社会的土壌があると感じています。
日本のいつの時代かはわかりませんが、精神文化的には精神的ひきこもり状態が一定の範囲の人にありました。国民性としての内向性、心理的な縮み指向、配慮的な性格と考えられてきた人の中にいます。これが高度経済成長を経た後の社会においては、行動・行為の変化をもたらし、それが社会的ひきこもりの表現になったのです。
逸見さんの体験は変化のある時期の事情を示しています。もちろん彼女1人の事例をもってこれを過大に評価し、全体的な証明材料とすることはできないでしょう。それでも貴重な証言になるのです。この変化を精神心理学的な対応として説明できます。彼女はそういう心情をもちつつ社会的体験を重ねるなかで、いろいろな可能性が結びついて「精神的ひきこもり脱出」に至ったのです。
この社会的体験は、彼女が生活した時間帯でのことです。そこには戦後から続く「前高度経済成長の時期」がありました。自ら選んだ保健師という職業体験もあります。そのときどきで察知したいろいろな出来事の意味をみごとに言語化しています。おそらくはここには長野という文化環境、当時の生活の主流が農業と繊維産業という時代背景が働いているでしょう。
高度経済成長期もやはり日本社会を構成するもので、それまでの社会との連続性があり、1990年以降の「低迷期」といわれる時期ともつながっています。それは彼女の体験した場面ともつながっています。逸見さんの体験手記は、こういう事情を示しています。多くのひきこもりの体験者の話を聞いてきた私には他に例を見ない詳しく、具体的なものです。