社会構造の大きな変化の中で社会的ひきこもりは発生

2021年に『ひきこもり国語辞典』(時事通信社)を出版した後、私はひきこもりの生まれる経済社会の背景を考え続けてきました。それについて約130本の小エッセイを書きました。これまでに何を明らかにし、今後どう進むかを整理しました。大きくは2つの面があります。
1つはひきこもりが生まれる経済社会関係です。今回はここを重点にまとめます。その後に「ひきこもりをニュートラルに認める社会(ひきこもりが問題とならない社会)とは何かを考えます。ケア労働など 直接生産にカウントされない(=GDPに加えられない)ことを人間生活の幸福基準に接近して考えます。
まず初めのひきこもり問題が生まれた経済社会の背景は、1950年代後半に始まる高度経済成長以降です。それは産業構造の日本史上かつてない大変革であり、広い分野に変化と影響を与えました。
工業が発展し、重化学工業から情報産業に移行しました。社会の様相は工業社会から情報社会になりました。人口移動は大きく、東京一極集中に代表される都市と農村に大きな違いを生みだしました。農村地域では人口減とともに人口構成の高齢化、過疎化が進行しています。工業地域には人口が集中し、大規模な集合住宅の開発が進みました。都市インフラの成長、商業その他の産業が成長しました。道路網が整備され、物品輸送の中でトラック、乗用車の役割が増大しています。地方では鉄道網は衰退し、公共交通網が各地で危機を迎えています。そこを補う通信技術が飛躍的に発展し、社会全体が情報社会に進んでいます。
家族の様子も大きく変わりました。家族の拡散、家族人数の縮小、少子化が進んでいます。この家族の減少により地域的共同体はとくに農村(というより非大都市地域)は存続が危ぶまれる地域が続出しています。
産業の変化は、労働スタイルに影響し、機械・設備・備品・用具・道具の開発により肉体労働は減少し、デスクワークが増えました。身体的疲れよりも精神的疲れが多い就労分野が大きくなりました。この労働の変化は社会の自動的な変化だけではなく、政策的・意図的なものもあり、非正規雇用労働はその代表例です。
これらは生活文化、生活意識にも影響しています。住宅条件・衣類・食生活などが多様化しました。例えば婚姻、葬儀、祭りなどの習俗にも予想を超える変化があります。

こうした変化は、年齢層の間に差異をもって表面化しました。いつの場合でも変化の初めは子どもに表われます。1970年ごろには早くも「子どものからだがおかしい」と言われ、80年代には不登校が多くなりました。1970年代を通して子ども同士の間にあった「子ども世界」が消失しました。
それにつづいて成人にいろいろな程度で影響が表われました。このような広い分野の変化が産業構造の変化とともに生まれ、ある人はそこに過剰適応し、ある人は適応できずにひきこもり状態になりました。この世代間ギャップは、年齢差によるというよりも経験する社会生活が異なり、人間関係・社会生活様式の違いが大きくなりました。世代間ギャップは、極端ではありますが埋めがたいほど大きな生活観の違いとなっています。

技術革新による生産性向上と雇用減少

近所のスーパーマーケットのうち西友にセルフレジが導入され、今年に入りコモディイイダでもセルフレジになりました。残るオリンピックもそのうちに変わるものと思います。
人の代わりに機械がレジを担い、8台のレジの近くに1人がレジ担当として立っています。こうしてレジ会計要員は機械に代わり、人員は減ります。レジ機の技術的向上(イノベーション)により可能になったわけです。他方では雇用の受け皿が減少しました。他の産業分野に人手を回せるかどうかは…です。
イノベーション(技術改革)によって経済が発展する、発展してきたのは事実ですが、それが永続的なものでないことは、雇用減の壁につき当たるからです。それは社会全体でみれば消費力の減少につながり、経済発展の制約になります。
経済的に発展した国・地域では、すでにこういう事態を迎えています。しかしこの事態の進行はそのときどきの状況によって、一直線にも進まないで、いろいろな要件によって薄められてきました。いろいろな要件の1つが、労働時間の短縮です。
私が働き始めた1960年代では基準的には土曜日は半日出勤(つまり週休1日)でした。それが1960~70年代にかけて週休2日制(土日曜日が休み)になりました。そして現在一部の国・地域、あるいは事業所単位では週休3日制に向かっています。イノベーションの進み具合によって労働時間を短縮できる一方で、雇用減少にそのまま直結しないように緩和策が進んでいるともいえます。
技術的進歩(イノベーションの改善)がどこまで進み、労働時間の短縮がどこまで広がり、進むのかは必ずしも明確ではありません。日本全体をみれば全事業所が一律に進むわけではなく、多くの要素を抱えながら業種や個別企業ごとに徐々に、いろいろな形をとって進んでいくと思われます。
その1つが低賃金、ボーナスなしなどの給与制度です。昨年来の賃金上昇は、企業間の人材とりあいを反映したものであり、根本的・恒常的なものとはいえません。
技術的進歩は過去から積み重ねられたもので、今始まったわけではありません。日本では高度経済成長期に意識的に大規模に取り組まれてきました。その結果、商品・サービスの能率性、あるいは性能は相当に向上しました。言いかえますと生産性が向上したのです。
生産性が向上すれば何ごともうまくいくかといえば、それは「条件による」というのがより正しい言い方でしょう。効率のよい条件で高品質の商品を大量に生産できるのが一つの到達点です。問題はその高品質・低価格の商品が十分に販売されなくてはなりません。それは市場の拡大によります。国内市場が狭くなれば海外への輸出も求められます。
そして日本は(たぶん他の先進諸国でも)、国内市場はもとより、輸出の面でも十分に余裕のある状態を超えてしまいました。おおよその評価としては、資本主義に基づくこのような高品生産、サービス提供は、窮屈な状態になってきました。少なくともこれまでの資本主義ではやっていけない、いまのうちに新しいタイプの資本主義のベースをつくらなくてはならない、それは「新しい資本主義」になる。このような議論が、20世紀末から起こり、現在もつづいています。
スーパーのレジ機械化の例でだけで、新しい資本主義が求められている論拠とするには十分ではありませんが、身近な例として示したものです。
さて前回私は、資源集約型経済活動から労働集約型経済活動に転換すると述べました。技術革新による生産性の向上は、資源集約型になります。それが窮屈になったところで、労働集約型に転換するように意図的にすすむと読めるように書きましたが、この転換は並行して起きています。しかもほかの要素、例えば人口全体の少子化・高齢化などを織り込んで進行中です。

広井良典『ポスト資本主義 科学・人間・社会の未来』(岩波新書.2015)ではこの事態を次のように説明しています(p148-149)。
「様々な技術革新が進み、“機械との競争”などと言われるように機械が人間の労働を一部代替する領域も増え、それによって労働生産性が依然として上昇している(=より少ない人手で生産が上げられる)わりには、失業率がさほど極端に上昇していないのはなぜだろうか。
実はその重要な要因として、高齢化などの背景も加わって、まさにこうした「労働集約的」な領域(福祉、教育、医療などの分野や、より広く対人サービスないしソーシャル・サービスの領域)が現代社会において増加し、しかもそれらの領域が「労働集約的」であるがゆえに、相対的に多くの雇用が生まれ、それによって社会全体の失業率の悪化が緩和されているからではないか。
つまり単純に言えば、従来の(労働生産性という)物差しをそのまま当てはめれば、“生産性が低い”領域によって、ある意味で社会全体が救われていることになる。実際、北欧など福祉・教育等の分野——「ケア」ないしソーシャル・サービス関連分野と呼ぶことができる——に多くの資源を公共的な政策として配分している国において、経済のパフォーマンスも概して高いのは、以上のような背景と関係していると思われる」
たどってきた道を振り返ればこのようになるのでしょうが、ここにこれからの意図的。計画的に進む道が開かれている、と思います。

Beingを意識してケア労働を考える?

伝統的な地域共同体にある入会権のほかに、日常の住民の協力関係は結(ゆい)といわれ、今日でも続いている地域はあると思います。現代風にはボランティア活動であり、今では特定地域内だけでなく災害発生時には全国的な動きになります。これらの動きもGDPには反映されない人間の生産的な活動になります。
これまで記したようにGDPに反映されない人間の活動、とくに生産的活動は多様にあります。他にも知らない・気付かないことがあるかもしれません。
ところで私がこれらのうち、家事労働、とりわけ健康や生命にかかわるケア労働、エッセンシャルワークを重視しますが、その場合は別の要素も考えなくてはなりません。
北海道ニセコ町の「広報ニセコ」2023年10月号に、ニセコ生活の家の記事がありました。生活の家は1978年に設立された障害者の入所施設であり、利用者は「40年の年を重ねても…「若者たち」」とよばれています。その生活の家の原則はこうです。
《・地域のなかで、家族や仲間とともに生活する。
・「障害」の種類や程度により、分けない。
・生産性を問わない。生きることがその人にとって「労働」であり、「仕事」である。》
この原則は誰かがその場の思いつきで言ったのではなく、この施設の長い運営のなかでたどり着いたものです。
外からみると「まあそういうところもある、あってもいい」と思う人もいるでしょう。しかし私には現実と経験に則したものの見方の出口が示された気持ちでした。いつのことが思い出せませんが、一人の男性が自嘲気味に言った言葉です。彼の次の言葉にどう答えますか? 『ひきこもり国語辞典』にも載せたものです。この重い言葉に応える考えの出口です。
「何もない 本当に何もありません。30歳を超えているのに学歴がない、才能がない、お金がない、資格がない、友達いない、彼女いない、家族がない、実家に帰れない、眠れない、頼りない、おもしろくない、どうしようもない。あるのは寿命だけです」
これを聞いてどう思いますか? 特に言うことはない、手は出せない…と彼に続けて「ない」を続けますか? それとも肯定して「全然ダメだよね、取り柄はないね」と追い込みますか? 肯定ではなく否定的に「そうじゃない、いつか何か見つかる」とでも言いますか? そう反論しても具体的な論拠のないその場かぎりの空文句になる自分に気づくのではありませんか。
ニセコ生活の家の原則は、ここに気づかせてくれます。これは人の活動を「Doing」ではなく「Being」を認めることではないでしょうか。ニセコ生活の家では「生きることはその人にとって労働であり仕事である」といいます。「何もない」という彼の言葉の終わりは「あるのは寿命だけ」、この点です。

私は、GDPにカウントされない人間の活動を加えることにより、社会のゆたかさを計る新しい尺度を想定しています。「Being」をこの範囲に加え、深追いすればこのテーマから外れて人生論や精神哲学の世界に入るかもしれません。それは本意ではないので目標をしぼります。このテーマを経済事情、経済学や社会学の視点で考えられる範囲で追求していくつもりでいます。「何もない」への答えはその後にするしかないほど難しいのです。
そう心得た上でここでは「Being」に関することを考え始めましょう。
私は医療機関勤務の時期が16年あります。“病気”は、人体を教えてくれます。どこかが病むとそこから体の内部を考えさせ改善を図る…病人の役割の一端をそう考えたこともあります。間違いではないですが冷酷すぎる面があります。亡くなった人のいる(大学病院の)霊安室の場を見たこともあります。悲しい残念という気持ちとともに言葉にしがたい静かな厳粛性も感じました。これが宗教性になるのかもしれませんが、ここも深追いできません。

目標に定めたのは人間のBeingにかかわるケア労働です。ケア労働はエッセンシャルワーク(不可欠な労働)であり、(経済学ではいささか無感情にサービス業の1つとされますが)なかなか奥の深い情動あふれる要素が含まれています。
そして社会は今、とくに先進国と言われる諸国では、日本も含めて全体としてケアワーク重視の世界に向かっています。コロナ禍がそこに気づかせてくれたわけですが、もっと大きな流れは前から始まっていました。意図的にそうしているよりもそうせざるを得ない背景事情があります。経済学の言葉でいえば資源集約的分野から労働集約的分野に向かわざるを得ないのです。いくつかの角度からこの部分を書き進めます。
私は経験を重視する人間であり、自分で感じたことを織り込まないと、“ソレ”を表現しづらい人間です。労働集約的なケア労働で私が実際に関われそうなのは介護でしょう。介護施設を実体験したいと思うのはそのためです。  

入会権による山の幸・海の幸の収穫活動

家事労働が生産的活動にカウントされず、GDPに入らない点が考えるスタートでした。農家等の自家消費、物々交換(漁穫物のおすそ分けなど)も同じくGDPにカウントされていません。さらに自営業における家族就労者にも該当ケースがあるのを思い出しました。
今回はそれにさらに付け加えます。ここでも私自身の子ども時代の経験談から始まります。小学生のころ秋になると友達と一緒に山に行き、クリ拾いをしていました。同級生KSくんが上着のポケットの底を破って背側まで上着の底にクリの実を入れていた記憶が鮮明です。シイの実も同じです。畑の間にあるイチジクの木に登ってイチジクを食べた記憶も忘れられません。1950年代の山陰の海岸地域ではごく当たり前でした。
イチジクの木に登っていたとき、どこかから「こらっ!」という声が聞こえてきて、数人で丘の畑地域を越えて逃げた記憶があります。畑の所有関係ははっきりしており禁止であるとどこかで思っていたのですが、2歳年上のTさんが逃げたのでひきずられたのです。しかし、その場限りでこの地域では問題になることはありませんでした。
イチジクはまだ市場商品ではなかったのです。1967-68年ごろ大阪の町中でイチジクが店先に並べられ売られているのを見て驚いたほどです。
海側でも同じです。夏休みは毎日のように海に行き、サザエやアワビを収穫し、魚を鉾でついていました。これも特定の子どもだけの生活ではなく、地域の子どもたちのごく自然な生活でした。子どもであるから特に大目に見られた事情もあるかもしれません。
この状態は日本の各地に続いていた慣習法で、入会権とか入浜権が続いているのです。おそらく大昔には山や海の所有権は特定できず、開拓した人などが占有地とし、徐々に私有化(ないしは公有化)したものだと思います。そうでない非占有地は地域住民の共有地になったのです。
クリやシイやイチジクはまだ十分に商品市場で売られていなかったので、とくに問題にされなかったのかもしれません。シイタケなどのキノコ類は比較的早く商品化されたので所有関係がより厳しく、特に成人が「勝手に」山に入って採取するのは禁止されていたと思います。
高校1年の春休み、父と一緒に人里離れた水辺に葦を刈りに行ったことがあります。葦を編んで父の仕事に使う敷物用にするためでした。そういう事情に明るい父は、その葦の「無断採取」を何ら問題にしませんでした。私もそれが「盗み」になるとは全く考えもしませんでした。刈った葦を運ぶ途中で地域の人とすれ違ったこともありますが、「ごくろうさん」みたいな声をかけられただけです。これが入会権です。
海で採ったサザエやアワビなんかも「漁協市場にもっていけば、100円ぐらいにはなる」という話をしたことはありますが(実際持って行った子どもがいるかもしれませんが)、自家消費をしただけでした。戦後の一時、海水から製塩をしていたという話を聞いたこともあります。これも違法ではありませんでした。
ウィキペディアで入会権などを調べてみるとこうあります。「入会権とは、村落共同体等が、主として山林原野において土地を総有などし、伐木・採草・キノコ狩りなどの共同利用する慣習的な物権」としています。
この採取した“山の幸”・“海の幸”を商品として売り出せばGDPに加わりますが、自家消費し、近所で分け合えば(物々交換や土産物として)これはGDPに入らない経済活動になります。ウィキペディアの説明には、1966年に「入会林野等に係る権利関係の近代化の助長に関する法律(入会権近代化法)が制定されています。
漁業に関する漁業権・入漁権・入浜権、水源・水路に関する水利権、泉源・引湯路に関する温泉権などもあり、混同できないそれぞれの内容がありますがここでは省きます。これらの物権は、自家消費の範囲では商品・サービスとして市場に入らず、経済活動でありながらGDPにカウントされないのは共通します。
古くから続いてきたこれらの入会権(元々はそういう言葉もなかった)が近代的法体系に加えられたのは、明治になってから、とりわけ高度経済成長期であるのは必ずしも偶然ではないでしょう。
入会権等に関わる活動は総計しても小さいのでGDPを変えるほどではありません。考える点は、商品経済・市場経済は人間の歴史のある時期から表われたことで、その証明の1つが入会権になることです。商品経済・市場経済にもとづくGDP評価も、相対化してとらえられるのです。

対人ケア型以外の家事労働の社会化

教育誌の編集者をしていたころある小学校教師から聞いたことです。「家の手伝い」を作文のテーマにしたところ子どもがなかなか書けなかったといいます。かつては畑仕事とか風呂だきやごはんを炊くとなどの家の手伝いがありました。今は「電気のスイッチを押す」だけが、ごはん炊きの手伝いという例もあったようです。
いや子どもばかりではありません。かなり以前ですが「まな板のない家庭」というのを聞いた記憶もあります。食事は外食か、出来合いの食材を買ってきて並べるということでしょうか?
これらは昔には考えられないほどです。家事労働が減少しつつある事態が極端な形で表われる例です。炊事(食事づくり)、室内整理・掃除、衣類準備・洗濯…などの家事労働の量は、減少に向かっているに違いありません。
要因の1つは外注です。家庭外に専門事業者が次つぎ生まれました。食堂(レストランからカフェまで多様)、クリーニング店とコインランドリーは当たり前になりました。室内掃除の外注利用は少ないですが家の整理・掃除の事業者もいます。家事の分業化、社会化がかなり進んでいます。
要因の2番目は電化製品(家電)の発展と普及です。特に冷蔵庫はどの家庭にでもあるでしょう。掃除機も100%近いでしょう(ほうき・チリ取りはかつての主力から外れ、コロコロとともに補足道具)。そして洗濯機もかなり普及しています。これはコインランドリーの普及により普及率はある時期から下がっているかもしれません。炊飯器とポット、オーブンの普及も高いはずです。食器洗い機もできています。
家具器として減った物は、ミシンやアイロン(衣類の家事労働用)ではないでしょうか。私の子ども時代にはTV、冷蔵庫、洗濯機はありませんでしたが、ミシンとアイロンはありました。衣類の家事労働は、早い時期に減少し始めたものと思います。
家事として増えたのは、買い物かもしれません(?)。食材(冷蔵庫)は日常の生活必需品であり、これを揃えるのが買い物です。街中のスーパーなどでは、母親と一緒に子どもが付いてきて半分は手伝いになっているのも見かけます。スーパーやコンビニの広がりは食材・日用品の買い物という家事労働の広がりに関係しているものと思います。

以上が家庭で見かける家事労働の変化(主に減少)です。しかし家事を考えるときにはその環境を整えているもう1つは社会的インフラです。とくに電気、ガス、そして水道・下水道です。いずれも明治以降の社会の近代化がすすむなかで、都市域から始まり全国的に整備されました。私の子ども時代(高度経済成長以前)に電気は通っていましたが、水道は整備を終えたところでした。家が点在している地域では水道・下水道とも普及が計画されない地域もあります。これは現在でもそうだと思います。それでも多くの地域で井戸や洗濯場は減少しました。公共(公衆)的色合いの強いもので、井戸や洗濯場地域によっては今なお存続しています。
まず電気が普及し、それが新しい電化製品(家電)の製作と普及を促したのです。パイプによるガスの普及は住宅集合地では普及しやすかったのですが、持ち運び(移動可能)なプロパンガスがそれに代わって普及しています。水道もガスと似た事情はありますが、地域内の井戸を利用する比較的小範囲の水道網を持つ地域もあるようです。しかし100㎞以上も離れた水源地からパイプを敷設する水道事業も珍しくはあります。
要するに、電気・ガス・水道・下水道という生活に不可欠な社会的インフラの整備が進んだことが、家事労働の減少の背景にあります。その社会経済的事情は、明治以降の、戦後の、とりわけ高度経済成長期以降の日本に順次整備されてきたことを認めなくてはなりません。

もう一回り外側に家事労働の変化を生み出す要素があります。必ずしも家事に直結するのではなく一部は重なる要素です。公衆衛生、交通・運送、通信および情報伝達の発展も関係します。家事労働との結びつきは、電気・ガス・水道・下水道ほど直接的ではない面もあります。
公衆衛生では下水道の普及が重要です。水道と同じく都市などの住宅集合地域ではほぼ完全ですが、住宅散在地ではそうもいきません。古くから農業用肥として使われ、それ以外は自治体による回収が行なわれています。
銭湯(公衆浴場)も欠かせません。古くは家庭内で木材などを熱源とする風呂でした。風呂焚きは家事になります。温泉地など特別の地域では地域浴場ができています。他方、都市域では電気・水道による家庭用浴室の普及により、銭湯は減少傾向にあり、家庭用浴室のあるところでは家事の1つになります。
交通・運送および通信分野を見ると、明治以降全国に鉄道網が整備されてきました。それが高度経済成長期を境として変わりました。乗用車・トラックの利用増大と道路網の整備が進んだからです。80年代の国鉄民営化以降、鉄道は急速に減少しその交通体制の衰退が続いています。バスを公共交通の代替に勧められてきましたが、それも減少傾向にあります。
「買い物」の家事としての役割は自家用車の普及により大きくなっているのではないでしょうか。都市域よりも郊外地や農山村地域では欠かせなくなっています。
通信と情報伝達の役割も大きな変化があります。古くは新聞が中心であり、郵便制度が整えられ、ラジオが普及して全国的な情報伝達が行なわれました。
テレビが登場し大きく広がったのも1960年代の高度経済成長期と重なります。いま新聞もラジオもTVもそして電話も、そして郵便物も全体としては斜陽期に向かっています。
代わって登場したのはインターネットであり、パソコンですが、今やそれもやや停滞してスマートフォン(スマホ)の時代です。情報伝達も、日常の連絡もスマホが主流になりつつあります。情報伝達におけるスマホにはいろいろ弱点があり、ニセ情報・詐欺利用の増大など社会問題レベルになっています。それでも歴史的には整備途上の不具合となっていくでしょう。
鉄道と郵便の民営化、インターネットと携帯スマホを運営するのは民間企業です。これらはサービス向上をめざし、利用の安全性の向上をめざしていますが、公共性、公益性あるいはサービス提供の公平性において不安要素をもっていることは留意しておくことです。
公衆衛生、交通・運送、通信および情報伝も社会的インフラですが、家事労働にどういう影響をしているのかは十分明確ではありません。ある部分は増え、別の部分は減っているところしょうが、家庭間の差が大きいように思います。

以上、対人ケア部分以外の家事労働を、私の中学生レベルの知識に頼って考えてみました。家事労働については外注型(社会的分業の増大)と、電化製品等による家事負担の軽減化が進んでいます。それでも炊事(食事)は家族の健康に関わり、「買い物」も含めて時間的にも大きな役割を持つでしょう。
これまでの家事労働の変化は商品開発・市場原理が作用した社会的分業=家事の社会化と考えられます。「買い物」が独自の家事として増大しつつありますが、ウーバーイーツ型の配送業、住宅散在地や高齢化地域における移動式商店の登場などそこを補完ないし起点とする新しい産業の芽なのかもしれません。

家事労働、換金計算されない労働の空白(Lie)

 ーこれは再掲載です(2023年9月に掲載していました)
子育て、家事そして介護は人間にとっての基本的なエッセンシャルワークです。地球上に人間が生まれてからそれはずーっと続いてきたのです。
食べ物、着る物、住まいの獲得など人間生活に必要な物は生産物ですが、子どもを育てることと高齢者などの介護、生活を支える家事は生産活動とは考えられなかったのです。当然すぎて考えが及ばなかったというべきでしょうか。
『NABAニュース・レター』は摂食障害など依存に取り組むNABAの会報です。
そのNo.303(2023年6月29日)に〈すず〉さんのメッセージ「じゃあ普通のほうが間違ってんだわ」が載っていて、読んで感動しました。4ページ余りの長さの中から一部を抜き出してみます。
「私が祖父の家にいて、ほとんど全部を家族にあげた20数年は、履歴書に書けない、ということ。(中略)
私が何千回も洗った浴槽、毎日洗い干しては畳んだ6人分の洗濯物、伯父と父と弟と祖父とでそれぞれ作り分けるごはん作り、後片付け、洗い物、性行為。祖父のおしっこ、うんち、体位交換。あれらは、全部、社会、では、ゼロなんだ?
たぶんこれを、仲間が教えてくれた動画の中では、「不払い労働」と呼んでいる。私は、知らなかった。(中略)
私は知っている。私が祖父の家で一緒に暮らしていた、父も伯父も祖父も祖母も弟も、たぶん全員、ただ普通に、生きていただけ。悪気もなく。全員が、ある程度は必死に。(中略)家族が、ごく当たり前に、ふつう――――に、暮らすと、私に、家事と介護、つまり、自分より他人(家族)の肉体の調子(体はきれいか、お腹は空いていないか、服は洗われているか、床は快適か、喉は、眠りは、ごきげんかどうか。)を優先する役割が、全部、回ってきたということ。
この社会、と呼ばれる、ここで、多分、家でやる肉体のお世話は、父や祖父がしている種類の、お務めという仕事、ではないのだ。劣位の。おんなこどもにもできること。(中略)私は、家族の誰も死なないように、どうにかし続けてきたのに? 他の、誰も、やらないから。でもこれは、労働にカウントされないんだって。私は、頑張らなかったんだって。何これ。」

〈すず〉さんのメッセージは、強烈であるが本当のことです。経済は、金銭に換算されるものだけを積み上げて制度を考えてきたが、その働きがいかに貴重であり、人間の生命にかかわることであっても金銭に換算されなければ労働にカウントされません。
〈すず〉さんの例はもしかしたら特別の例かもしれませんが、世の中にはこのような特別な例が満ちあふれているのではないでしょうか? そういうときはもはや特別ではなく、普通というものです。子育て、家事、介護が家族間で完結し、外部に発注されない限りそれらの労働は金銭に換算されない、それが「普通」であることの異常さを〈すず〉さんは鋭く告発しています。これらはエッセンシャルワークと考えなくてはならないのです。

ボクサー(The Boxer)という曲を知っていますか? 
I’m just a poor boy(ぼくはただの貧しい少年)で始まるフォークで、1969年にサイモンとガーファンクルが歌ったものです。最近YouTubeで老サイモンが歌い、聴衆の若者が立ち上がって、一緒にリフレインするのを見ました。Lie lei lei,lei la la la lei lei  〈すず〉さんの「何これ。」とは「Lie lei lei」と同じでしょう。「普通のほうが間違って」(Lie)いるのです。
換金されず、労働にカウントされないものは、“無業者”に限りません。農業や漁業など第一次産業によく見られる自家消費や、近隣住民間での物々交換も経済活動にカウントされません。零細工場や小商店における家族就労者にもこの部類の人がいます。さらに貨幣経済の発達の広がりが少ない発展途上国のGDPの経済指標にもこれらの経済活動がカウントされていません。
〈すず〉さんの指摘は、専門家を自称する経済学者たちの空白を衝く、率直な指摘とみなくてはならないのです。このような金銭に換算されない労働を経済活動と把握するのは難しいです。しかし労働が「ない」のではありません。それは「間違って」(Lie)いると思います。

家事労働を経済活動にカウントする必要性

さて私は「家事労働の社会化」を考えるもう1つの目標があります。

家事労働を経済活動にカウントされない、すなわちGDPに入らない事態を不均衡(おだやかな言い方で)であると考えています。そこを公平にしたいと思うのです。

道はありそうですが、そこに進む前に私が関わった人たちの様子から話すことにします。『ひきこもり国語辞典』のなかの言葉を引用しましょう。

「主夫  日常生活が、炊事、洗濯、掃除などの家事が中心の男性のことです。主婦や女性の家事手伝いの男性版です。家電の修理や家周りの修繕など簡単な大工仕事が加わるのが自分の特徴で、男性ひきこもりの一つだと思います」

ひきこもり状態の人には、男女にかかわらずこのような主夫および家事手伝い状態の人は多くいます。私はこの状態をもって社会参加の一つの形と言うつもりはありませんが、単純な無職・無業扱いとは違うのではないかと思います。

ひきこもり状態の人には家族の介護をしている人もいます。障害のあるきょうだいの世話をして、いわゆるヤングケアラーを長く勤め、社会との接点をなくしたまま準ひきこもり的生活を続けた人もいます。

「障害者の姉  自分でからだを動かせない障害のある姉がいます。父は仕事であまり家にいません。母は姉の介護に追われ、夜中も定期的に起きる生活です。私も子どものころから姉の介護の手伝いに追われて気づけばひきこもりと似ています」

この家族内介護は母もこの人も含めてGDPにカウントされない介護サービスの提供者です。障害者の姉は医療を受けそれは医療におけるGDPにカウントされます。私が事態を不均衡と考えるのはここです。部分的には障害者支援の手当てが出ているでしょうが、それを「不均衡」を解消する代替方法にはならないでしょう。

祖父母の介護をしていた人がいてとても重宝されました。この人たちは行き届いたケアを実行できる心遣いをする人たちでもあるわけです。そのうちの1人に、介護施設で働くことを勧めたことはありますが、「自分にはできない」といいます。私は自信をもって推測できるのですが、彼には「最高の対応しかできない」ために介護施設に就職して働くのを拒むのでした。完璧しかできないのです。

この型の家族内介護の多くも障害者保障による代替的評価はされていません。家族の外との経済的な関係において実現されていないからです。市場的な評価の有無がGDP換算の条件になるからです。これが「不均衡」の根になります。

家事手伝い型の家事労働は、介護に限らず生活の広い分野に関わっています。これら全体をGDPに換算する方法は、複雑すぎて技術的には困難であると認めます。だから「現状のままカウントされなくてもよい」とは言えないと考えるのです。

昨年、NABAの会報で紹介された「すずさん」のばあいを考えると、このような長期で家族内の対人的なケア的労働を「カウントされなくてもよい」とはとても考えられないのです。「すずさん」の手記を読んだ感想文を紹介します。GDPに代わる、人間労働(人間の活動というべきかもしれませんが)の全体を計る尺度が必要と考えるのです。

悪人とはいえない逸脱人種の発想に教えられました

居場所に来ていた一人があるとき「自分は逸脱人種の一味」になると、自虐的ですがおもしろく話してくれました。「どういうこと?」と聞くと説明してくれたので、それを『ひきこもり国語辞典』に納めるとき、要約して次のように書きました。

「逸脱人種  悪いことはしない(できない)、悪いことは嫌いだと思います。悪人にはなりたくないのです。でも自分は通常の人ができることができないので逸脱人種になる。その一味になる感じがします。だから人種と人間は使い分けます。通常人とはっきり違うときは人種を、通常人と同じときは人間を使います」

だからの言う逸脱人種は悪人ではありません。146万人と数えられたひきこもりは、彼的に言えば逸脱人種ではあっても悪人ではありません。でも世の中には困っている人はいます。また困った人もいます。その中には悪人もいます。

悪人とは例えば闇バイトに加わる人たちでしょう。ひきこもりは彼に限らず「悪いことはしない(できない)」ので、闇バイトにまき込まれる人はまずいないと思います。「犯罪発生率を下げることはあっても、上げることはない」のがひきこもりです。闇バイトに巻き込まれる人の多くは、社会の厳しさのなか、選択を誤って犯罪世界に引き込まれたのです。

もう一群の人も悪人ではありませんが、「困っている人」たちだと思います。トー横に集まる若い女性たちです。家族から逃れ、居場所が見つけられず、孤立状態におかれています。なかには性風俗世界にひき込まれる人もいます。東京だけでなく大阪など大都市などに存在するようです。

ひきこもり体験者のなかでも困っている人がいます。私が関わる人のなかで考えると、不眠・過食(摂食障害)・ウツ状態に悩まされる広義の精神的ストレスを感じやすい人たちです。

ひきこもり146万人のなかにも少なからずいます。どれくらいいるのでしょうか? 数字的に発表されたものを見たことはありません。たぶん医療機関や健康保健機構で全体数は分からなくても動向はわかるでしょう。個別の疾患者数のおおよそを把握できるかもしれません。オーバードーズで緊急入院になった人、自死のうち精神的な原因と考えられる人など部分的なところから推察できるかもしれません。

逸脱人種の発想は、現在の社会状況におい込まれて悪人ではなく困っている人たちを区別して見る目を教えてくれます。

介護の社会化・育児の社会化

テーマを家事労働の社会化に進めます。横浜国立大学経済学部テキストプロジェクトチーム(編)『ゼロからはじめる経済入門』(『テキスト』と略称)を参考にします。全11章のうち福祉を扱うのは第8章「少子高齢化と社会政策」(担当筆者・相馬直子)で、福祉の経済的側面にも触れたものです。
『テキスト』では、家事労働全体ではなく介護の社会化と育児の社会化を挙げています。両方の家事労働は対人的なケア労働であり、対人的なケア労働ではない家事労働は別に考えることになります。
介護の社会化と育児の社会化は1989年が重要な転換点だったようです。時系列で書くとこうなります。
(1)介護の社会化=介護保険制度の成立。
1989年 ゴールドプラン(高齢者保健福祉10年戦略)の発表。⇒1994年新ゴールドプラン(見直し)。
1997年 介護保険法の成立(2000年施行)=税と保険の混合した仕組み。医療と並び介護が保険制度の形で成立。
2005年 介護保険法改正=要介護・要支援の区分けに変更。 これにより介護施設の民間セクターの比重が増大。
2015年 介護保険法改正=介護サービス利用料の自己負担引き上げ。特別養護老人ホームの入所対象者が要介護者に狭められた。
この経過を要約すれば、介護の公的保険制度で受入れる介護施設ができました。そのサービス内容の向上に利用者の個人負担に比例・増大させる競争原理が持ち込まれました。「新自由主義的」要素による「介護の社会化」への介入であり、「社会化」要素を薄めながら対応し定着化を図る動きと判断します。

(2)育児の社会化=保育園制度
1989年 出生率1.57→「1.57ショック」として社会問題化。出生率が激減しているのに対応する一つとして、子育て環境条件が注目され、その中心が保育です。
1994年 エンゼルプラン(子育て支援の基本)=緊急保育対策等5カ年対策の発表。
1999年 新エンゼルプラン=少子化対策の具体的実施計画。
保育事業の規制緩和=自治体、社会福祉法人の他に株式会社、NPOが保育事業に
参入できる条件設定。
保育定員の弾力化、小規模保育所の開設条件の緩和。⇒保育園の準市場の形成。
保育所は以前からあり、私の経験でも山陰の漁業集落に1950年代にできました。高度経済成長期の1960年代から70年代にかけて「ポストの数ほど保育所を」という全国的な増設運動がありました。この時期に子育てをしながら働く主婦層が増大している社会状況が背景にあります。
最近の動きは「介護の社会化」と似た状態です。保育所を充実させ子育て負担を軽減する「育児の社会化」を進めます。他方では利用者の自己負担を徐々に増やし社会化と営利化の接点(落とし所)を探し求める動きと考えられます。
2010年代中ごろには、女性の働く条件を確保の壁になる「保育所に入園できない」問題として再燃しました。現在は、保育園に入所できない子どもを自治体でゼロにする方向に事態が進んでいます。
この30年余の経過をみると、行政(市町村区)が、保育の責任からいくぶん身を引き、民間参入を促そうとしています。それは保育の営利化=より質の高い保育にはより高い利用者負担を求める形に進む事態を容認しています。これも広義には「新自由主義」的考え方が影を落としているのです。

家事の中では患者・障害者のケア(看護・医療等)に関わるところは、家族では必要な対応ができない部分があり、医療と医療保険の制度、社会化ができています。家事労働の介護と育児はある程度は家族で対応し、家族単独では対応できない部分を補うために社会化が進んできました。家族機能が大きく縮小したなかで曲がりなりに社会化せざるを得ない、不十分であってもそこから前に進まざるをえないのです。「子育ては家庭で」という考えや方式は普遍的ではなくなり、介護も同じ方向を向いています。保育所や介護施設が当たり前になったのです。
『テキスト』では、現在の状況を「新しい社会的リスクへの対応が必要」とし、次の論点を挙げています。大きな社会的変動、すなわち「家族形成の不安定化(少子化、離婚率の上昇)と雇用の不安定、労働市場の劣化」などが関わります。そこで生じている「新たな社会的リスクとは、仕事と社会生活が調和しないリスク、ひとり親になるリスク、高齢や障害で要介護になるリスク、非正規労働など非典型的なキャリアのため社会保障から排除されるリスクなど」(p182)です。
いずれも自助および共助で済まされないおおきなリスクです。これらは社会政策の目標設定を「人々を社会的なリスクから守ることであり、社会的なリスクの公的な管理である」(p183)と認めるものです。
菅義偉首相のとき、これらの事情に対して「自助・共助・公助」が言われ、その主旨はまず「自助」すなわち自分の力で解決、次は「共助」すなわち地域社会等の協力によって対処、そして最後に行政(政府や自治体)の力を利用、と受けとられる発信をして不評を買いました。大きな社会的変動期である現在の対応の基本は、「公助」を準備し、そして「共助・自助」が続きます。
社会的なリスクの公的な管理とは「公助」です。菅元首相の「自助・共助・公助」の表明はここを見誤まり、順番を間違い、政府の福祉政策に大きなブレを生み出したと思えます。

この家事労働の社会化は、私にはGDPに換算されない家事労働をどのように理解すし、取り扱うかの視点になります。介護と育児は、家事労働のなかで、家族のケアに関わる部分です。両者の社会化によって、自宅での介護と育児という家事労働の労働としての判断基準が生まれつつあるかもしれません。単純な比較は難しいし、介護・保育とも施設での労働評価が低いことは確かですが、基準を考える芽が生まれつつあるかもしれません。
事態を理解するには家事労働の他の事情も整理してみる必要があります。家庭・家族内の炊事・掃除・洗濯・家屋改善などは、外部にそれぞれサービス産業ができており、これらは基本的には市場原理によって動いています。家事労働のこの対応部分も後で考えていきます。

家業の成立=家事労働を考える前の社会的分業

家事労働は家庭・家族内における労働をさすもので、常識的なイメージでは炊事(食事づくり)、掃除、衣類準備・洗濯、家屋・家財の修理、子育て(育児)、看護・介護・家族の健康管理、家計管理などになり、多くは女性が担当してきました。毎日の生活・生存に欠かせないエッセンシャルワークが中心でありながら、GDPにはカウントされず生産性のないものとして低く見られる根拠になっています。
農林漁業・畜産業・手工芸製作・商店・開業医などの 家業では家事労働とは切り離せないものもあります。家事 の一部も 生産的・商業的・サービス的活動 に含まれることもあります。こうした家業では家事労働とは切り離せない状態です。漁師町の商店で育った私は、同級生が漁獲物の運搬を手伝った話を聞きましたし、私は店番や店頭掃除をしたこともあります。これらは家業の手伝いですが家事の手伝いでもあります。
家業が成り立つことは社会的分業がある程度すすんだ状態です。家事労働を考える前に家業の成立過程を知っておく必要があります。家事労働の社会化に至る長い道のりの前に家業の成立を話すとき私の中学生レベルの説明でも大筋は違わないでしょう。

日本では縄文時代以前から、人間(人類といってもいい)は血縁的な集団の中で自給自足的な生活をしてきました。食べ物、着る物、住む場…などを自分たちで集め、つくり、生活してきました。道路、住居、農地開拓、水場などは家族を超える共同体の集団作業でした。その共同体は太古においては大家族的集団であり、相互に分担をして生活に必要な条件をつくりました。
共同体の特性、地域特性(土壌、気候、特産物)の違いを利用して共同体間で物々交換の形でこの生存に必要な物品のやり取りが行なわれました。ときには暴力(闘争や相手の支配従属化)によったこともあるかもしれません。
日本が全体として平和的にこの時代を経てきたのは*、農耕文化が伝わる以前の採取生活時代からゆたかな自然環境によるものでしょう。四辺を海に囲まれ外敵から安全であったこと、寒流・暖流が交差する海域でゆたかな海産物に恵まれ、四季のある温暖な気候で陸地の生産物にも恵まれました。他方では自然災害が多く**(地震・津波・火山・台風・水害・山岳の多い地形など)人々の協力関係を強く要請されたことが関係すると推察できます。

*縄文人世界に稲作を持ち込んだ私たちの祖先が外来人であったかもしれません。

**自然災害の多発は、怒りを向ける対象を得られず、悲しみを昇華する精神文化の高い国民性になったのかもしれません。「悲しみ自体が気高いelevate」とは東日本震災を伝える外国記者が被災している人たちの様子伝える言葉でした。


物々交換の時代には食べ物や貝などが仲介物に使われ始めました。歴史時代に入った奈良時代には貨幣がつくられましたが、その使用範囲を住民レベルでは限られていたと思われます。室町時代の明銭の導入、織田信長が開いた楽市楽座など通貨を広げるうえで何がしかの事情は生まれましたが、貨幣が広く使われ始めたのは江戸時代に入ってからのことでしょう。
自給自足的な状態でそれぞれのおかれた条件から集団単位で農業をはじめとする第一次産業の得意分野に移行しました。家業が発展し、社会的な分業が進んだのです。ある程度家業が発展したころには物品を扱う商人が生まれました。商人・商業もまた家業であり社会的な分業になります。奈良時代には中心地域に恒常的な市場ができました。全国各地にも神社、寺院など人の集まる場に臨時の露店市ができ徐々に恒常的な市場になりました。
私が子ども時代をすごした1950年代(すなわち高度経済成長以前)においても、島根県大田地域の中心町で「中日」(すなわち春秋の彼岸の中日)に露天市が並び、近郊から多くの人が集まりました。
また私は以前すんでいた豊島区巣鴨には東京都青物市場があります。江戸時代以降に江戸近郊に広がる農村地域からの農産物を露店販売する「やっちゃ場」として続いてきた場所が、現代的な青物市場に発展したのです。
第一次産業に従事する人たちは、初期は手製であった衣類などの必要品をこのような交換の形で入手しました。多くは生活必需品ですが、特別の産物もあります。石見地方には石州瓦があり、浜田藩には石州和紙があり、これらは家業型で生産されていました。全国各地に特産品が生産され、商業ルートの成長とともに食料以外の物品が生産され、各地に商業の形で広がったのです。家業は社会的分業が広がるなかで、とくに人口の多い都市域では種類が多くなりました。
子ども時代に住んだのは人口3000人ほどの漁業集落でしたが、それでも石屋(墓石)、カジ屋(農具の加工・修理)がありました。商店は衣料品、雑貨店(菓子類を含む食料品が中心で、日用品・文具なども扱う)です。サービス業型家業には理髪店と郵便局もあります。宗教施設(神社・寺院)も経済活動面で見れば家業型サービス業です。それ以外に建築大工・左官など家業型の建築職人もいました。記憶の範囲では、恒常的に開店している食堂はありません。中心地の大田に常設食堂がありました。
以上、私の不確かな記憶と知識による家業の発展による社会的分業の推移です。この家業の社会的分業化につづいて、家事労働の社会化、すなわち家事労働の社会的分業が全体としてはそれに遅れて、部分的には家業の社会化と平行して進んできたものと見るのに大きな間違いはないと思います。

なお家業型との異なる就業・労働形態にもふれておきます。学校(教員・事務員)と医療機関(医師・看護師など)、役場職員、漁業協同組合と農業協同組合、鉄道・バス、銀行などは公共機関またはそれに準じるもので、従業員は家業とはいえません。警察は「駐在所」といわれ、家族単位で移転してきましたが家業とは言えないでしょう。
土木建築では、築港(漁港の改修)が長期間続いていました。大手企業の技術者が近所に下宿の形(?)で住んで指揮をしていました。築港作業員には施行を依頼した役所が仲介して住民が雇用されました。私も休日にはアルバイトとして働いた経験があります。
石膏鉱山があり、鉱業会社が200人単位の社宅地域をつくり従業員が住んでいましたがこれも家業とは言えないでしょう。

私が 家事労働の社会化として経験したのは保育園です。5歳のとき、近くの寺院に保育園が開かれ、3歳の弟と一緒に入園しました。1950年ごろです。これに類するものは以前にあったかもしれませんが、常設的ではなかったはずです。おそらく学校に次ぐ子育ての社会化の始まりではないかと思います。事項で家事労働の社会化をこの保育から見ていきます。