アジア系の人と会ったとき話しかける

隣り駅の前にあるコンビニでお茶とおにぎりを買いました。レジにいたのはアジア系と思える若い男性でした。 かなり流ちょうな日本語だったので「日本語うまいですね」というと「ありがとうございます」と答えます。 カタカナ書いた名札を着けており、見当をつけて「ミャンマーですか?」と聞くと、「そうです」と答えました。半分まぐれ当たりです。

自宅近くのコンビニに夜の11時ごろ行ったら、白人系と思える若い男性がレジにいます。「どの国から来ましたか?」と聞くと「ウズベキスタン」と答えました。 ずいぶん昔にそのタシュケントとブハラに行ったことがあるので、「タシュケントですか?」と聞くと、知らない町を答えたので、私には聞き取れません(サマルカンドとわかりました=17日)。 「ナボイ劇場に行ったことがありますよ」というと、彼はそれを知らないようです。有名な劇場なのでもしかしたら、と聞いてみたのですが…。しかし彼も日本語をよく聞きとるし、話せます。白人なのはロシア系かもしれません。

新宿線篠崎駅前でアジア系の母と男の子2人の家族がいました。「どの国から来ましたか?」と聞くと、「スリランカです」と答えます。子どもは小さくて旅行者とは思えない様子なので、「日本に住んでいるのですか?」と聞くと「12年まえから住んでいます」。子どもは2人とも10歳未満と思えるので、日本に来てから生まれたのでしょう。 「スリランカのどこですか?」と聞いてみました。それを答えても私にはわからないだろうと思ったのか、ちょっと躊躇しています。試しに「トリンコマリ-」という予想外の町の名前を言ってみました。(せいぜい旧首都のコロンボと聞かれたことがあると思えたから)。予想外の町の名前が出てきてお母さんはちょっとびっくりの表情です。「南部の町です」と答えました。 上の男の子が早口で何かを言いました。たぶんスリジャナワルダナプラコッテ(カタカナで表記すれば)でしょう。首都の名前です(コロンボ都市圏内にあります)。この2人の子どもも日本語は大丈夫でしょう。

他にもカザフスタンから来て建築現場で作業をしていた若者(彼の日本語をちょっと危うい)。バングラデシュから家族で来ていた人にも会いました。子どもが当時はインターナショナルスクールに通う小学1年生でした。ネパール人、ベトナム人、フィリピン人とも短い話をしたことがあります。ほとんどが初歩的な日本語を話せました。文字をどの程度読めるかはわかりませんが…。

そして何といっても多いのは中国人と韓国人です。近くに語学学校があるのでそこに通う学生が多いのです。意外なことにこの人たちと話す機会は少ないです。食堂でアルバイトをしている人の場合は機会がありますが、あとはないです。顔を見ても日本人と区別がつかないことが多くて、日本人に対して「どの国から来ましたか?」と聞くバツの悪い笑い話にならないようにした結果です。 ヨーロッパ系の人と会うことはほとんどないです。

日本に入る新在住者には日本語を学ぶ機会が必要

私の友人にモザンビクのA.Panguene(パンゲーネ)さんがいます。友人というには気が引ける“大物”ですが、彼が私を“friend”と紹介し迎えてくれたので、友人とします。ゲリラ戦で独立戦争に参加した彼を私は戦士(comrade)と呼びます。
モザンビクの多くは人口密度の低い農業が主産業の地域です。それぞれの集落の間に頻繁な交流はなく、隣村はもちろん少し離れた村の住民と話すことは難しいです。警戒感が互いに強いのではなく言葉が伝わらないのです。広義のバントゥ語ではありますが、両方の村の言葉がわかる通訳を必要とすることも多いといいます。
独立後のモザンビク政府はポルトガル語を共通語にしようとしていますが、困難はあります。読み書きができない人も多数います。何よりも食べていくための生活が優先します。モザンビクの国籍を持つ人は2000万人を超えますが、統一民族は成立していないでしょう。
民族(nation)として結びつく前の状態を部族(tribe)と言います。この分類はヨーロッパの分類で別のカテゴリが必要との意見もありますが、省きます。
民族が成立するには言語の統一が重要ですが、ことばが通じるだけでは不十分です。言語の統一の前に商品等の流通による経済的生活圏がある程度できていなくてはなりません。これは日本では問題になりません。しかし、共通語としての日本語の普及は課題満載です。
アイヌの人たちは相当部分が日本人に同化しましたが、独自文化を保つ人もいます。在日朝鮮・韓国人の全体が日本人に同化しているとはいえません。独自の文化、独自の生活習慣、独自の美学や嗜好も関係します。民族の記憶というのもあると思います。
いまアジア系を中心に多くの人が日本に入っています。迎えるネイティブ日本人としては、この土地にやってきた新参加者・新在住者を上手く受け入れなくてはなりません。いろいろ問題はありましたが、アイヌの人たちを尊重し始めました(アイヌ民族を先住民族と認定)。在日朝鮮・韓国人をギクシャクしながらも受け入れてきました。このたび新在住者を迎えるにおいては過去の支配的なやり方ではなく、友好的で親しい関係で処したいものです。
新在住者の生活条件をよくすることが前提ですが、長期的にみて大事なのは共通語としての日本語です。日本語を学ぶ機会を重視してほしいと願います。

外国籍の子どもへの義務教育

 外国人に関するもう一つのことです。 日本は義務教育がほぼ完ぺきに保障されている――となっています。しかし例外もあります。明瞭なのは不登校なのですが、2016年に教育機会確保法ができて対応策ができたことになっています。法制度はできたのですが実態はまだ整っていません。

日本の義務教育制度の外にいるもう一つが外国人(外国籍)です。どれぐらいいるのか? 実は正確にはわからないのです。今年の1月に毎日新聞が発表したところでは1.6万人以上が就学不明です。外国籍の住民が多い自治体を調べた結果であり、全自治体の数値ではありません。 “不明”ですから就学している子どももいるはずです。要するに十分把握していないのです。

就学不明の内容は、家にいるが就学していない、所在不明(たぶん家族も)、帰国・転居した、外国人学校に通学している可能性がある…というものです。調べた自治体の範囲でカウントしたのが1.6万人以上です。 浜松市や川口市ではほぼ完ぺきに把握しています。逆に横浜市や大阪市という外国籍の子どもが多い自治体で3割が就学不明です。私の住む江戸川区なんかは半数近く(1000人以上)が不明といいます。全国ではどれくらいになるのか…?

2016年に施行の教育機会確保法は「その年齢又は国籍その他の置かれている事情にかかわりなく、…教育を受ける機会が確保される…」としています。 日本の義務教育制度はここからも不完全、というより崩れかけているのです。これからも外国籍の人と子どもは増えるでしょう。夜間中学校は意外にも(?)ここに対応する手がかりの1つになるかもしれません。

参考:海外にルーツを持つ生徒 http://bit.ly/2C3A6p7

日本人にならない日本移民

夜間中学校を尋ねたことがあります。 生徒のほとんどが外国人でした。外国人の、特に子どもにとっては貴重な日本語を学ぶ場になります。これも重要な点ですが、今回は別の気になることを書きます。

夜間中学校の先生が案内しながら言いました。数人の外国人がその国の風習で一斉に休んだのです。「日本に来たんだから日本のやり方にならってほしい」と。 それを聞いたときの直感で「それは違うんじゃないか」と思いました。外国人を日本人化する民族同化策は行き過ぎではないか。さしあたりは共存しやすい状態づくりだろうと思ったのです。

先日、新聞広告をみたら「ドイツ人にならないドイツ移民たち」(『正論』4月号)とありました。ということは“日本人にならない日本移民たち”がいずれ浮上するでしょう。すでに外国人は町中に増えていて、定住する人も増えるでしょう。その人たちが共存でき、地域によってはコミュニティができるでしょう。 日本で生活するには、ことば(日本語の習得)、生活慣習(ゴミ出し他)になじむ…このあたりは「郷に入れば郷に従う」のことわざが通用します。共存のための条件です。

宗教は? 日本人でも宗教・宗教観は同じじゃありません。宗教は自由でいい。日本ではイスラムは珍しいけれども、イスラムの多くが過激ではありません。過激なのはキリスト教でも仏教でも無宗教でもいます。それを基準にしてはいけないのです。

世界史を見ると、近代までにいろいろな民族が同化を繰り返しています。統治する側の強制的な民族同化策もありましたが、多くは長い歴史の中でゆっくりと同化しました。同化する側の民族も同化される側の影響を受け双方が変化しました。同化される側は少数なので影響は少ないのですが、多数側の民族もわずかずつ影響を受けました。この自然な過程が必要です。

「ドイツ人にならないドイツ移民たち」の多くは、この過程を歩んでいます。性急に移民をドイツ人化しようとすると衝突するかもしれません。日本でも同じでしょう。

ジャガイモの皮をむかず煮て食べる

手元に探そうとする本を思いつかないので、テレビで見たからだろう。
“土を食う”という意味の話だった。はたして土は食えるのか? テーマは思い出したが内容は思いだせない。よく見ていなかったためかもしれない。
そんな興味と共にもう一つの私の関心、嗜好に絡むものがある。
私にはどこか原始的(primitive)というか、質素・素朴・地味なことにひかれる人間らしい。それが健康な感じがするからだ。
例えば食器の水洗い方法がそうかもしれない。石鹸水につけっぱなしの後、石鹸水を洗い流すだけの洗濯方法もそんな気がする。手抜きのためでなく、自然状態が好ましいのだ。
だけど“土を食う”となるともう一段と原始性は増すかもしれない。

先日のことだ。ジャガイモを砂糖と醤油の味付けで煮たらおいしくて食べ過ぎたという話を聞いた。
たまたまスーパーに寄ったらジャガイモが目に入った。「煮てみるか」と衝動買いをしてしまった。砂糖と醤油で煮てみようと考えたわけだ。
まず水洗いをする。畑からもってきた土がついている。ジャガイモの皮をむいて煮るつもりだった。洗い落としていたのだが、この粉みたいな土って口に入れても大丈夫じゃないかと思い始めてしまった。“土を食う”を思い出したのはこのときだ。
いったん洗ったところで、水を替えてしばらく浸しておく。皮をむかないでもう少し土を落として煮てしまおうに変更した。
これが土を食うのと同じなのかどうかは知らない。しかし、微細な土が口から入って胃に向かったのは確実だと思う。味はよかった。ちょっと食べ過ぎた。

会報『ひきこもり周辺だより』3月号

会報『ひきこもり周辺だより』3月号をつくりました。
本の編集作業が入ってきて、想定外の忙しさになりました。これまでのようにブログ記事を書くゆとりはなく、激減しますがボツボツと続けます。
3月号の1ページ目を紹介します。

大人のひきこもり相談会 
今月は3月10日(第2日曜日)、午後2時から4時です。予約はなくともいいことにします。参加費は500円、当事者は無料。会場は江戸川区平井コミュニティ会館。
本の編集などに関心のある方は雑談に来てください(6面を参照)。

『ひきこもり国語辞典』
数名から辞典に加えてみたい言葉(案)を受け取りました。反応の強さを感じています。カット絵や漫画も描いてみたいという申し出があり、すでに少し届きました。とても嬉しいです。
NHKのEテレ「ハートネット」で紹介されていたのですが、何度か再放送されました。“ひきこもり文学”に『ひきこもり国語辞典』の短い挟み込みコーナーがあったのです。それを見たという人からの注文が続いています。
それと関係するかもしれないのですが、自前制作の『世間は虚仮なのよ』(お惚け者)、小説『異物』(葉月桜子)、エッセイ集『中年ひきこもり』にも久しぶりに注文がありました。ちょっと愉快です。

『不登校・中退生のための スクールガイド』
この編集作業で大わらわです。ブログ「引きこもり居場所だより」への投稿が減ったのはこの忙しさ、時間のなさに関係しています。しばらく続きます。
今月のエッセイは「居場所の通う交通費を考える=粗案提示」です。これへの返事もお待ちします。
統合失調症の手紙のよびかけにも返事が2件ありました。ひき続きよろしく。

アンケート調査と政策立案の外野席観客として

 カーツワイルはAI(人工知能)が発展し、情報が集積すると感情が生まれると言いました。見事な弁証法と言いたいところですが、見事な詭弁でしょう。 人は(動物も)感覚器を備えています。感覚器で外部情報を収集し、神経系と脳をつくりだしました。それが感情を生み出し、思考能力を生み出しました。AIによる情報集積は(少なくとも現在は)感覚器によるものとは違います。物理的または数学的な方法でしょう。だからカーツワイルのこの説は成り立たないのです。

AIはビッグデータという大量の情報を処理できる装置になりました。それによって何かの超能力を手に入れるとでも思うかもしれませんが、感覚や感情・思考を介さない一線をこえてはいません。

以前にある学生が、不登校生からアンケートを集めてそれを基に論文を書きたいと言ってきたことがあります。「直接に不登校の体験者から聞いてみないのか」と問うと、「それでは個人的なことに限定され全体が見えない」と答えました。一理ありますが、ここに情報と感情・思考の関係がすでに表れています。 両方必要ですが、学生には「個人的なもの」をよく聞いて、共感を得るほうに重点を置いてほしいと思いました。

行政機関がアンケートにより住民の関心を集約しています。それに沿って何かの政策を立案します。数は少なくても住民の直接の声を聞いていない数字での判断はそこに危険性・自己満足を感じます。個人的な恣意性を加えない気持ちは理解したいのですが、生の人間の経験や感覚を取り入れないものは無味乾燥、ときに逆効果になるかもと心配です。

これらは私の反省でもあります。意識しないアスペルガー症候群(自己診断)の人間として、公平や客観性を重視して生きてきた私の最大弱点が人間の感情音痴という点です。 それに気づいたころから、人の直接の意見を聞かないで身の周りのことに何らかの判断をするのはやめています。まだその途上にいるのですが、それ以外のことも欠けています。世の中は広いので多くのことが発生し、直接の意見を聞けることは限られます。公平や客観性は大事だとは思いますが、強引にならないように気を付けているつもりです。

居場所に通う交通費を考える(その3=粗案の提案)

 これまでの(その1)と(その2)は序章です。ここからが中心点です。

この交通費の基本的な性格は、行政による“ひきこもり支援策”です。 では誰に「ひきこもり支援の交通費援助」をするのか、どこがそれを決めるのか、これが明確でないと実行できません。通学定期券は学校が通学証明を発行し、交通機関が学割定期券を発行します。通勤定期券は勤務先の事業所が通勤証明を発行し、交通機関が通勤定期券を発行します。

ひきこもりが居場所等に通う証明は居場所が発行するのでしょうか。その居場所は自主申告すれば「居場所に通所している証明書」を出せるのでしょうか。月1回の居場所開催の主催者にそのような役割を認められるのでしょうか。 自治体等が認定した居場所にすべきでしょうか。その認定基準は何でしょうか。これらを明確にしないと制度として信頼されませんし、安定的に定着しないでしょう。

この制度設定はいろいろ考えられるでしょう。1つの粗案を提示します。

(1)東京都は「ひきこもり支援の交通費援助」制度をつくります。都内の交通機関(シルバーパスを使えるか同等以上の交通機関を利用できる)が、低額で(年間1万円以下)、1年単位で利用できる制度です。

(2)東京都と市区町村とその公式の出先機関で、“ひきこもり”に対応するセクションを「自治体の相談窓口等」とします。生活困窮者相談窓口、福祉事務所、社会福祉協議会、民生委員、就労支援相談窓口などが該当します。ひきこもり及びそれに準じる相談に行ったとき、希望者を「当事者」に登録します。当事者には相談窓口に行くことで、「利用持ち点1点」をカウントされます。

(3)「自治体の相談窓口等」は、対人関係づくり・居場所・技術就業訓練など相談以外の場として、「ひきこもり等の対応支援団体」を紹介します。

*そのためには「自治体の相談窓口等」と「ひきこもり等の対応支援団体」は、一定の情報交流と紹介確約をします。両者は当事者を加えて協力関係を結ぶことになります。これがひきこもり支援を実質化する内容になります。 「ひきこもり等の対応支援団体」は、ひきこもりの居場所、フリースペース、社会参加・技術訓練団体、相談会・集会などの主催者です。 同一自治体内に限定しないで協力関係を結ぶのが実情に合っています。当事者が加わることでその意味は理解できるでしょう。

(4)「ひきこもり等の対応支援団体」側は、紹介された「当事者」が参加したとき、「利用持ち点1点」を与えます。当事者は「利用持ち点」を重ねることが「ひきこもり支援の交通券」を購入する条件になります。ポイントカードの要領です。 「ひきこもり等の対応支援団体」の多くは毎日開かれていません。紹介を受けた当事者は通常は複数の「ひきこもり等の対応支援団体」に参加し、「利用持ち点」を増やします。

(5)当事者の「利用持ち点」が一定点数になれば(例えば10点)、「ひきこもり支援の交通費援助」の対象者として承認を受けます。 承認を受けた人はその時点から年間利用の「ひきこもり支援の交通券」を購入できます。交通券の購入後も「ひきこもり等の対応支援団体」への参加は「利用持ち点」を得られるようにします。

(6)全国的に実施するには国の制度としなくてはなりません。また市区町村から取り組む制度をつくることも可能でしょう。 その場合いろいろな問題がでます。北海道在住者が東京の「ひきこもり等の対応支援団体」に参加するときその交通券が使えるのは不公平ではないか…。千葉県市川市の人が隣の東京都江戸川の「ひきこもり等の対応支援団体」に参加しやすくなります。

私の考えるこの「ひきこもり支援の交通費援助」は、詰めていくべき点が多く 粗案レベルです。ひきこもりの人が動く動機づけになり、行政とひきこもり支援団体の協力関係を促進する要素もあります。ひきこもり支援策を有効に働くようにする方策を交通費から考えるものとして、関係者に提案したいと思います。当事者、関係者のご意見をお待ちします。

居場所に通う交通費を考える(その2)

東京都の場合、シルバーパスという制度があります。70歳以上であれば収入に応じて3段階の費用負担による低額バス料金があります。

生活保護を含む非課税所得者の負担は年額1000円です。所得が125万円以上だと20510円(年間)になります。これは東京都の施策であり、たぶん高齢者の行動を促進し健康や社会生活を活性化させるねらいでしょう(私の推測です)。

東京都内の民営バスを含む全ての路線バス、都営の地下鉄・都電に利用できます。条件は70歳以上で、所属は東京都民ということでしょう。学割定期券よりも低額であり、(専門用語があるかも知れませんが)私はこれを“社会的割引制度”(ソーシャルサービス)の一種を考えます。

バス利用の年齢特典では、子どもにもあります。1歳未満は無料、小学生入学前も大人が一緒だと無料、小学生以下は半額…などが決められています。バスに限らず電車も同じはずです。

年齢による交通機関利用の“社会的割引制度”の特徴は、区間の制約がないことです。東京都のシルバーパスは都内という制限がありますが、どの駅からどの駅まで、どのバス停からどのバス停までという区間の制限がありません。これも注目すべき点です。

これも“社会的割引制度”(ソーシャルサービス)になるはずです。しかし、これは東京都などの公的な財政援助がなく、交通機関が独自に実施しているのかもしれません。調べてみる必要があります。

この方法を援用し、ひきこもりの社会参加の促進に役立てられないかどうかです。(つづく)

「楽しみも希望もない50年を超えて」の筆者が相談します

 体験手記「楽しみも希望もない50年を超えて」を書き、サイト内に掲載しているPN墨川みよさんが、相談を受けたいと言っています。

メールの場合は<a.hiromi0811@yahoo.ne.jp>です。

手紙の場合は不登校情報センター(松田武己)にお送りください⇒転送します。 体験手記はこちらです⇒http://ur0.biz/Q8Z1