文通活動に実験的な試みをしています

文通が停止した状態です。それでもときどき文通ボランティア希望の問合せがあります。投稿者への文通仲介の手紙も届きますので転送もしています。非常に低いレベルでは続いているともいえるのです。
この状態を少しは活性化させることができるのではないか。そう考えて「ひきコミWEB版」に文通希望ではない投稿などを載せてみました。
これからも文通に関するいろいろな種類の問合せや、希望を載せてみようと考えています。どういう方向性が生まれるのかはよくわかりません。実験的な試みです。思いつくことがありましたらお寄せください。

基本的には郵便を使ってください。
送り先は、〒132-0035東京都江戸川区平井3-23-5-101 不登校情報センター「ひきコミ」部
初めての方は健康保険証のコピーなどを同封してください。
メール(open@futoko.info)でも結構ですが、所在確認のための郵便物などをお送りすることがあります。ご住所のないもの、曖昧なものは趣旨とは違いますので対象外といたします。

文通ボランティア希望する方から自己紹介が届きました

お名前や住所などは詳しくは教えられませんが、これを「文通ボランテイア紹介コーナー」に掲載します。自己紹介の見出しは編集者がつけました(個人を特定するところは掲載しません)。

イジメにあい不登校の経験を生かしたい・文通ボランティア
(1)お名前(HN):ふっきー(実名省略)
(2)ご住所:千葉県(以下省略)
(3)年齢・男女別:29歳・女
(4)なぜ文通ボランティアを希望されるのか:
自身は幼稚園時代からイジメにあっており、小学校・中学校と不登校の経験が数年ずつあります。
中卒後は完全な引きこもりではありませんでしたが、ネットゲームに熱中し、心療内科通いもありました。
高校にも現役では進学できず、二十歳を過ぎてから通信制高校に入りなおし、三十路近くで大学を卒業しました。
大学では心理学を専攻、現在はカウンセラー資格の勉強をしています。
自分の経験と専攻が、同じように傷付いた境遇の誰かにとって、何らかの寄り添いになれたらと思います。
(5)得意なこと、自分の性格、特別な体験など:
自己開示をすることにあまり抵抗がなく、誰とでも仲良くなれる性格をしています。
コミュニケーション能力は比較的高いという評価を誰からも受けます。
カウンセラーの勉強をしていると書きましたが、しかし問題を解決するのはあくまでご本人であり、自分はそのお手伝いをするに留まる存在であると考えています。

その後どうなるのか。この方と文通を希望すら方がいましたら、自己紹介を兼ねてこの方への手紙を書いて、不登校情報センターに送ってください。転送します(詳しくは「文通の方法と手続き」を参照してください)。
実はこれまで文通ボランティアの方宛の文通希望は来ていません。おそらくボランティアの対象として文通はしたくはないのではないかと思います。
文通ボランテイア紹介コーナーの方を見ると、それぞれが訳ありの体験者です。それなら文通ボランティア同士で文通を始めればいいと思っているところです。

文通の役割は認めますが十分でなく、もどかしさもあります

先日、大学生の中で文通の取り組みをしている人がやってきました。1年間に40人以上がこの文通グループに参加したようです。居場所論からは脱線しますが文通に思うことを前の続きとして書いておきます。

引きこもり経験者のうちのどれくらいの人が文通に関心を持つのかといえば、きわめて少数です。しかし軽視はできません。7、8割は女性が占めることが特色です。例えていえば小説を書いている、創作活動をしている、あるいはカウンセラーになりたい、セラピストになりたい…これらもきわめて少数です。
文通への関心もそういうものです。文通は、カウンセラーや創作活動につながる要素があります。そこまでの人は少ないでしょうがこれは確かです。しかし、目標の先にあるものが見当たらず、文通自体が目標らしいです。引きこもり経験者と他の社会的グループを比較することができるならば、引きこもり経験者のこれらへの関心や希望者や適任者の比率は大きいものになるでしょう。

文通は引きこもり状態の人の対人関係づくりには、ときには重大な影響を与えることがあります。他の社会的グループというか一般人にとっての文通の対人関係づくりへの影響は、「その他いろいろの一つ」であるとしましょう。対人的な接点をほとんどもたない人には、唯一の接点になる人がいます。居場所にしても仕事場に準ずる程度に壁の高い向こう側の世界に感じる多数の引きこもり状態の人にとっては、貴重な対人的な接点が可能な方法になることがあるからです。
引きこもりなどを対象とする文通の特色を、ある人がメンタル文通と呼びました。私も拝借しています。

不登校情報センターは2001年から2002年までの2年余りの期間を中心に文通を仲介しました。いろんな傾向を見てきたのですが、深く分け入っていくことはできないでいます。そのとき文通を始めた人はわずかながら現在も続いています。
2010年はじめに文通誌『ひきコミ』の投稿者などにアンケート調査をしました。文通仲介を始めて10年経ての調査です。文通の役割・特色・限界などをわかろうとしたのです。600人以上にアンケートを送り、回答は66人からです。この回答は「ひきコミWEB版」に掲載しています。これは貴重な調査ですが、そこに何が表われたのかを私は十分に消化していないもどかしさがあります。

支援者側に身を置くなかで自身の問題に向きあうのか

まだうまく説明できない、どうすればいいのか困っているものを、この数年間の事情として次にもう一つ上げましょう。居場所問題とは少し離れます。
文通ボランティアにおけるある現象を紹介します。以前から文通の仲介をしてきたし、それはほそぼそと続いています。数年前に文通ボランティアを希望する人が現れました。現在、文通ボランティアは10名以上いますが、それらの人への「不登校・引きこもり・対人関係の不安を持つ人」からの文通希望者はなかなか現われません。
その一方、文通ボランティアの多くは自身が不登校や引きこもりの経験者であり、いわゆる“わけあり”なのです。
この現象をどう理解すればいいのでしょうか。援助を受ける側ではなく援助をしようとする側に身をおき何かをしようとしていると見えます。自分の問題を解決するには理解できる範囲のことで支援する方法が有効と考えている、ひとまずはそう考えています。
似たようなことは引きこもりの人への訪問サポートの希望者、カウンセラーの希望者、対人サービスの仕事に就こうとする人の中にも見ることができます。あるイベントのときに、一般参加者としてではなく「企画者として参加したい」という人もいました。この人もまた、同様のことを表わしているように思います。
もしかしたらこれは社会問題を解決する基本中の基本スタンスかもしれません。私が東京都主催の引きこもり支援策に感じる避けがたいほどの違和感は、支援者と支援対象者を画然と分けてしまう方法でした。なぜ両者は相互に出入りできないのか、それでは支援を受ける人はいつまでも被支援者のままに扱われてしまいます。まるで架け橋のない隔離を感じ、その場から逃がれたい嫌な気分でした。
ただ、文通相手の現れない文通ボランティアにどうすればいいのかはわからないままです。実践的に取り組むことしか意味がわかる方法はないはずですが。

自分の身を助ける側に置くことで自分を助ける道を開く

昨日いただいた手紙も文通ボランティアを希望する方からのものでした。文通ボランティア希望の方には、ご本人が引きこもりなどの何らかの当事者体験をしている方は少なくはありません。その文通ボランティアの希望者は10名を超えました。
困った事態と思うのは、自らがボランティア活動として困った人を助けようとしても、そのボランティアの助けを受けたいという人が現われないことです。相手がいないので試合が成り立たないようなものです。
事態を考え直さなくてはなりません。これは「困った事態」などではなく、健全な事態ではないかと。なぜでしょうか?

初めから支援を求める支援対象者がいるのでしょうか。確かにいますが少数です。他の分野はわかりませんが、引きこもりに関しては特徴的なことがあります。
多くの引きこもり状態の人は、支援を拒否します。成人の場合はほとんどがそうなります。少年期の人や精神障害の領域に入っている引きこもりの人にはいるように思います。それでも当事者から支援を求めるものは合計しても少数です。
家族から支援を求める人はいます。家族からの支援を求める声によって、支援活動は続いているといっていいでしょう。家族が支援を求め、家族と支援者のつながりによって引きこもり経験者が支援者とつながるのです。
成人引きこもりで自ら支援を求める行動に出るのも小数です。家族の関係で、家族にその可能性を感じられなくて、いわば家族の意に反して動いている人という印象を受けます。

こういう状態のときの当事者の動き方としては、自らを支援者の側に置くことではないでしょうか。
東京都知事選挙が行われています。候補者に向かって「がんばってください」と応援をしています。よく見かける応援のしかたです。考えてみると自分を応援する立場になる人に向かって「がんばってください」と言っているわけです。自らを支援する側に身を置いて、自分が支援を受ける状態をつくるタイプのものです。支援する側と支援を受ける側が反転しています。
ここでは私自身の例を追加するのがいいでしょう。私はいつの間にか「引きこもりの支援者」になっています。本当でしょうか? あえて否定することもないのですが、しかし不十分です。少なくとも私は「引きこもりの経験者から助けられている」からです。支援者は支援の対象者から学び、彼ら彼女らに助けられる状態にあります。この相互作用のない支援というのは私にはウサンクサイ支援です。人の自己成長力や自然回復力を軽く見る支援になると思います。

ここまで考えると自らが引きこもりなどの経験者でありながら文通ボランティアを希望する意味が明確になります。ボランティアに参加することによって自分の課題にチャレンジするのです。これは健全な方法になると思ったのです。
「天は自から助くる人を助く」といいます。いまの例から見て少し言い直したいです。自分の身を助ける側に置くことで自分を助ける道を開くのです。私の実感ともあいます。

引きこもり状態から抜け出す道-その3「手紙でつながる」

大人の引きこもりを考える教室の場で、引きこもりから抜け出す方法として手紙作戦を紹介しました。さしあたり該当者は現われませんでしたが、有効な方法と思います。
いずれもすでにサイト内に設定・記載していることですが、それをまとめてみるとこうなります。

(1)親を通して日記・手紙などで意見交流をすすめる
〔質問〕家から出られなかった引きこもりの子が外出できるようになった実例を教えてください。
〔お答え=木村茂司〕親、ほとんどが母親ですが、続けて相談に来てもらいます。相談をし、いろんな話をします。
本人の性格、行動、生育と親や兄弟との関係、家庭環境、学校についてなど。
この中で、親がよく把握していない場合もあります。わが子について、詳しく伝えられない場合もあります。
その時は、日記を書いてもらったり、いろいろとレポートのようにまとめてもらったりもします。これは、改めて親がわが子に向き合う1つの形でもあります。
こうした中で、ある時期に、私から本人に手紙を書いたり、マンガの本を貸したり、知恵の輪をもっていってもらったりします。
手紙の内容は、慎重に考えます。本人が見てくれないと何にもなりませんので、本人が興味や関心のあることを書きます。少しずつ少しずつ気をつかって書きます。それに対して母親に感謝や質問をしてくるようになれば成功です。
本人から返事の手紙が来ることもあります。
本人が読んでくれそうなマンガをもっていってもらったりもします。クレヨンしんちゃんであったり、ブラックジャックであったりいろいろです。読んでくれたり、注目が出てきたら成功です。
そうしている内に、中・高校生であれば勉強の問題を出します。その先には、進路について話します。そうしていると、マンガ本を選ぶためとか、いろいろのきっかけで私の所に来たりするようになります。
はじめに外出ねらいでなく、安心、信頼がもてるように母親を介して接触します。安心、信頼できる人を母親がみつけてきてくれた、となると本人と母親の間にも安心、信頼ができます。母親と私との間で、安心、信頼ができないと何も進みません。
こうした具体的な取り組みをすれば、だいたい何とかなります。中学生でも、高校生でも、大学生でも、だいたいこうした取り組みで進みはじめます。

(2)〔メール相談受付〕事情をメールで詳しく書いて送ってください。手紙に書いていただいてもいいです。回答は有料で1件1000円(切手代金を含む)。
http://www.futoko.info/postmail/postmail.html
回答者は次の3名です。

(2-1)二条淳也
「高齢ひきこもり」というブログを運営しています二条淳也です。
私自身、十年近くひきこもっていましたが、最近、動き始め、徐々に働き始めています。
ひきこもっているあいだ、私は「死ぬまで働かない」と親に断言していました。
遺書めいた手紙を親に送ったりしていました。ところがいま、私は少しだけ働いています。
年齢に関係なく、ひきこもりの方たちには「動き出す可能性」があると思っています。親子関係や労働現場での出来事など、自分の体験に基づいて相談に対応するつもりです。
私のブログをご覧になり、「意見を聞くに価する」と思われましたら、ご相談下さい。誠実にお返事します。

(2-2)島田邦子
(1972年9月19日生まれ富山県出身)
幼少の頃より姉妹の中でも感受性がつよく、小学校ではいじめを経験(拒食症になる)、大学に入学以降、本人でもわからない症状(対人恐怖、過食&拒食症、リストカットなど)で引きこもりと社会復帰への挑戦を繰り返す。
仕事を常に探して社会復帰がテーマの人生を送る中、専門学校にも行って手に職をつけるが、その後7年間のうつ病を患い、点滴と通院、カウンセリングの日々を送る。
闘病のために増え続ける薬の副作用から、ついには心身がもたなくなり、医師には止められながらも自らの力で薬を一切止める。
その後は、自分で自身を治すためにカラーセラピーを始め、メイクアップの勉強、資格をとり、自宅サロン(自由が丘) で心身をご自身の力で元気にさせていく「パシュパラ」の開業現在に至る。

(2-3)松田武己
相談を受けた件数は数百件か千件を超えるでしょう。しかし、相談の受け答えをするだけでは求められる解決・改善には届いたかどうかは確認できません。
居場所づくり、自宅訪問を実行しているのは相談の枠を超えたことが必要と考えたからです。
手紙相談では子どもが実際に何かの動きに移せるのを確認する機会は限られるので、できれば数か月から1年後の様子を知らせてください。訪問になる、居場所に出かけられる、親が親の会に参加するのも一つの前進です。

冊子『文通ボランティア』を制作・発送しました

冊子『文通ボランティア』をつくり、100名近くに発送しました。
内容は文通ボランティアの自己紹介が中心です。
りょうこ、蒼井咲子、二条淳也、葉月、眠り猫、無地か、rumi、まこ、アリス、合計9名、内8名が女性です。
これに「文通の方法と手続き」を加えて、合計20ページの冊子です。
配るときはこれに文通投稿用の用紙1枚を挟んで渡します。

この文通は従来から取り組んでいるものですが、文通ボランティアの人を核に発展をめざします。広くは対人関係が苦手な人をつなぐことですが、特に引きこもりの人が誰かとつながる形になればいいです。文通ボランティアには女性が多くなるのが特徴です。引きこもりには男性が多いといわれますが、女性は目立たないのであって男女差がそう極端に違うわけではありません。
しかし、文通においては女性の比重が多くなるのは確かでしょう。
冊子希望者には、送料込み200円でお送りいたします。郵便切手か郵便為替などを同封して注文してください。

文通ボランティアの問い合わせの方へのお返事

数名の方より文通ボランティアを希望する問い合わせメールで届き、溜まってしまいました。時間が取れないので同一の文章を書き、メールで送りました。同じようなことを考えている方がいましたら、参考にしてください。

文通ボランティアの問い合わせをいただいています。
お返事をするつもりでしたが、年末(?)なのか忙しくて手がつけられないでいます。
送付する案内書を用意してあるのですが、それを作り直さなくてはなりません
結局、それが後回しになっています。
年末の予定を考えると、その作り直しはどうやら正月期間の仕事になりそうです。
新作の案内書をお送りするのはその後、1月10日ころになります。
いましばらくお待ちください。
送り先をお知らせいただいていない方は、送り先(ご住所、お名前など)をお知らせください。

その前にお願いしたいのは、かなり詳しい自己紹介を事前に書いていただきたいのです。
引きこもり経験者、引きこもり中の方は、相手がどのような人であるのかを見きわめようとするタイプが多いです。
通り一遍の「丁寧に対応します」、「こまめにお返事をします」ということでは文通相手には選ばれない可能性が高いです。
文通ボランティア希望者の年令にもよりますが、子ども時代のこと、自分の成長にとって大きな事件、失敗や衝撃を受けたことなどを重点として少なくとも2000字以上の自己紹介がほしいです。
長いのはかまわない、というと言い過ぎでしょうが、便箋やレポート用紙10枚ぐらいでもいいと思います。
それも直筆の手書きでお願いします。
その自己紹介を数人分まとめて冊子にし、該当者に送ります。
直筆にお願いしたいのは、直筆分にはそれだけでその人となりが自ずと表れるからです。
活字にはない情報、情感を載せます。
「文は人なり、文字も人なり」なのです。
そういうものが文通にはありますし、それこそがメールの時代に文通が続いている理由です。

手紙活動の参加問い合わせが2人から来ました

文通ボランティアへの参加問い合わせが2人から来ました。
これからは必ずしも「文通ボランティア」ではないので、「引きこもりへの手紙活動」参加者とします。
1人はお母さん、もう1人はかつての不登校・引きこもり経験者のようです。
メールによる問い合わせなので、お名前も住所もわかりません。共通して次のようにお返ししました。

「ご連絡ありがとうございます。所定の申込用紙を郵送させていただきます。
ご住所とお名前をお知らせください。
それにご記入し参加してください。記入はできるだけ直筆で詳しく書いてください。文は人なり、といいますが、文字も人なりです。直筆は感情が自然にこめられるもので、そこが活字とは違います」
*直筆で書くことは絶対条件ではありません。パソコンもOKです。
*要領は詳しすぎてわかりづらいのですが「手紙でつながる引きこもり対応」見てください。

引きこもりと「手紙でつながる」方法を考えました

大人の引きこもりを考える教室(13日)では、引きこもっているのが女性という人が4人いました。状態はさまざまですが、「手紙でつながる」方法を具体的に考えるのには有効だったと思います。
ある人から「(娘さんから見て)祖母からの手紙を開けようともしない」という話がありました。これは以前に祖母からもらった手紙にどうすべきなのか指示的なことが書いてあったと推測します。
それはできそうもないことの説教に過ぎず、引きこもっている人は聞きたくはないのです。これは手紙でつながる方法ではありません。そういう指示や指導をする人は引きこもり当事者の置かれた状態を理解しようとはしないからです。引きこもり当事者のそのあたりの感覚はきわめて的確です。
手紙に限らずそういう人が来るのには拒否反応を示します。私はそれを引きこもり当事者にとってきわめて正当な判断と対応になると考えます。
そしてこの状態を超える「手紙でつながる」方法をどう実現するのか、これは私にはまだわからない分野です。まず手紙を書こうとする人がどういう人であり、どういうスタンスで手紙を書こうとしているのかを示します。それを見て判断してもらいます。その実践のなかでわかりたいと思います。そういう手紙を見てもらう、読んでもらうだけでも何かを越えなくてはなりません。実際の取り組みがその不明なものを少しずつ明らかにしてくれるでしょう。

今回の教室では数人の当事者が遅れてきました。部屋の使い方と椅子の並べ方によってこの教室に入ることができませんでした。私の準備不足・配慮不足でした。終了後に私の予定ですぐに外出し、後はお任せしましたが…。