(49)『ろくでなしのいい訳』

9月 2nd, 2008

 この際、人間なんて辞めてしまいましょう。と、そう簡単に言い切ってしまえたら、どれ程に楽なことであろう。
発達障害を持つ人間として、健全であるような大人社会の中へと適応していく自信が持てない。
 できる事なら、自分がそのような障害を持っている事など、あまり認めたくはないと思っている。だからと言って、罪悪感がある訳でもなく、健全ではなくても良い。
 他の人間と比べて、心の成長が遅く、幼児性を持ち続けたままに大人にだけ歳を重ねてきてしまった。
 ずっと幼い子どもでいられる事はなく、年齢の順序では肉親のほうが先にこの世を去って行く事になる。
 嫌でも先の現実からは、逃れられない。日頃、人前ではすぐにふざけたりと、全く幼い子どものように振る舞っているが、ふとどこかで思い留まり、もう少し自分自身を考え治すべきであると反省をしたくなる事が、後になってから度々にある。
 自分としては、主に知的障害者達の集う養護施設のような所にだけは関わりたくはないと思っている。まさに、ぎりぎりの段階にて、軽度の障害を持ちながら、養護教育の場は免れたと言ってもいい。
 けれども、他の競争社会での場にとっては、それはまた、生きづらくもなってしまう。軽度人格障害者にとって、重度障害者にはないような心の上での苦悩もあり、精神の人格に障害がある人間としての扱いだけは、絶対に受けたくはない。
 ある意味で、人種的差別としても値するかもしれないが、それは仕方がないと思う。

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