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アメラジアン

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アメラジアン

子どもの貧困:基地の街から/5止 夢諦めず、前向こう 成功体験を見せる試みも
沖縄県内を拠点にタレントやフリーの司会者として活動するマスミ・ロドリゲスさん(51)は、1980年代、ラジオの音楽番組で日本語とうちなーぐち(沖縄言葉)に英語を交えて話すディスクジョッキー(DJ)として人気を集め、活躍の場を舞台や映画などにも広げた。
米軍統治下のコザ市(現沖縄市)で、米海兵隊員の父マイロンさんと、米嘉手納基地内で働いていた母スミコさんの間に生まれた。
だが父は20歳と若く、上官から結婚の許可が下りず米国に帰還。
母が昼は基地で、夜は繁華街のバーで働いて育ててくれた。
マスミさんのように、駐留米兵と日本人女性の間に生まれた子を沖縄では「アメラジアン」と呼ぶ。
かつては生活に困窮する母子家庭が少なくなく、マスミさんも中学生からベビーシッターや学校の清掃などをして授業料に充てた。
仕事を終えて夜9時に帰宅すると、1人で留守番をしていた7歳年下の弟が泣いていた。
高校時代もスーパーで午後10時まで働きながら学んだ。
「3年後、4年後は今よりもいい暮らしをしたい」。
その一心だった。ラジオのDJとして芸能活動をスタートしたのは21歳の時。
3カ月契約のはずが16年にわたって番組を担当し、夢だった大学にも23歳で通えるようになった。
県の昨秋の調査によると、貧困世帯では保護者の約3割が、子どもが小学1年の時点で大学進学を諦めている。
県内7カ所で学習塾を展開する「意伸(いしん)学院」社長の坂(さか)晴紀さん(48)は「体験入塾をしても保護者が渋い顔をするケースが多い。
貧困家庭とそうでない家庭の子どもたちは服など持ち物には大きな差はないが、塾に行かせられるかどうかで差が出る」と指摘する。
坂さんは2007年、宜野湾市でNPOを設立し、貧困家庭の小中学生向けに無料の学習塾を始めた。
無料塾は18カ所に増え、約1600人が卒業した。
家計が苦しく、成功体験を身近に見ていない子どもたちに夢を持たせるため、楽器演奏や香港への海外研修などさまざまな体験もさせてきた。
「願望がないから目標がない。どうにかして子どもたちに願望を持たせたい」。
自らも母子家庭で育った坂さんは力を込める。
マスミさんは小学2年生のとき、クラスメートの前で担任の女性教員に指をさされ「あんたたちアメリカ人がうちなーんちゅ(沖縄の人)を殺した」と言われた。
道を歩いても見知らぬ男性に「ヤンキーゴーホーム」と罵倒された。
差別と貧困。二重の苦しみを味わいながらも夢を諦めず、前を向いて生きてきた自負がある。
72年の本土復帰から40年以上たった今も本土との間に厳然と経済的格差は存在する。
「それでも」とマスミさんは言う。「諦めるのは簡単かもしれないけれど、自分から動かないと誰も何もやってくれないさー」=おわり
◇広がる公的支援 ◇アメラジアン
アメリカ人とアジア人の間に生まれた子。
沖縄では米軍統治下や本土復帰間もない時期に父親が行方不明になり、子どもが無国籍になるケースが社会問題化した。
沖縄県教育振興会が出版した資料によると、県内で外国人と日本人の間に生まれた幼稚園児から高校生は1975年12月時点で1251人で、約半数が父親と別居していた。
84年成立の改正国籍法で国籍問題は解消し、近年はアメラジアンの子どもが通う民間教育施設への公的支援も広がる。
〔◆平成28(2016)年10月29日 毎日新聞 西部朝刊〕



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