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キズキ共育塾・トピックス

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キズキ共育塾・トピックス

キズキ共育塾を見る。
可能性に「気付き」、将来を「築く」~何度でもやり直せる社会を目指して~(前編)
【まとめ】
・鬱や不登校に対しての理解や関心は、都心と地方で差がある。
・都心の良い点は、所属するコミュニティーを自分で選べること。
・近代社会で生きづらさを感じてる人は世界的に増加しているのではないか。
不登校、引きこもり、鬱、発達障害。
これらの言葉にどのようなイメージを持つだろうか。「社会についていけない」と感じるだろうか。
では、その価値観は一体いつ、どこから生まれたのだろうか。
上記のような経験をした人の多くを、社会に輩出している会社がある。
「何度でもやり直せる社会」を目指すキズキグループ。
キズキグループは「やり直したい」気持ちをサポートする会社として、個別指導塾「キズキ共育塾」を中心に、行政からの委託による若年無業者の「就労支援事業」や、経済的な困難を抱える家庭への「学習支援事業」など様々なアプローチから、困難を抱えた方々を支援している。
今回、代表の安田祐輔氏に話を聞いた。
まず、キズキグループ創設の経緯について安田氏は、「入社後、鬱になり会社に通えなくなった時がターニングポイントだった」と述べた。
当時はリーマンショックとも重なり、どう食べていこうか悩んでいたとき、「自分が持っているスキルが、勉強を教えることだった。」という。
安田氏は、「食いつなぐために英語を教えたりしていたが、ただ勉強を教えるだけだと興味がわかず、意味のあることがしたかった。
大学受験をやり直すときに苦労した経験があり、そういう人に特化した塾があったらニーズがあるのではないかと思い、8年前につくったのがこの塾。」と述べた。
また、会社の創立過程で苦労したことは、お客様の確保だと答えた。
「社会的に意味のあることをやりたい」と思っていた分、お客様が入ってこないと「たいして意味がないのではないか」と葛藤したり、自身の生活への不安を抱いたりしたという。
次に、「社会的に意味のあることがしたい」と思うようになったきっかけとして、どのようなきっかけがあったのかを聞いた。
安田氏は、「親が4回離婚していて、自分も12歳で家を出てしまっていたり、自分がちゃんとした家庭で育ってないことが大きかったかもしれない。」と答えた。
一方で、論理的に物事を考える安田氏は、何か社会に良いことをする、というフワっとした考えに共感できなかったという。
「よく仕事は貢献だと言うが、それなら本当に貢献してることをやりたいと考えてしまう性格もあった。
虐待や中退、鬱で仕事を辞めていたり、自分が社会問題の当事者であったこともある。
さらに、”それは何のためにあるのか” というのを考えがちだったのだと思う。」と、はっきりした目的を追求していたことを述べた。
では、実際に活動していく中で今の日本をどう見ているのか。
安田氏は、「中退、不登校のことで言うと、かなり問題が可視化されてきて、NHKが不登校の特集をし、原因が実は学校の先生だったとか分かってきている。」と述べ、教員をアンケート対象にしていた文科省の調査に対し、NHKが対象を子どもにしたことで、今まで浮かび上がらなかった要因が明るみになったことを説明した。
(*参考:東洋経済ONLINE 不登校新聞 不登校は「家庭が原因」?教員と生徒で食い違い NHKによる中学生1968人調査で見えた実態 )
つづけて、「東京は、親も学校に行かなくてもいいと言ってくれるような、親が変にプレッシャーを与える家庭はかなり減っている。地方はまだまだだけど。
だから時代としてはかなり良い感じなのかなと思う。」と述べた。
地方と都心間で生まれる差は、以下の3点から来ると安田氏は推測している。
(1) 地方はヒエラルキーがはっきりしている。
学校が偉く、勉強のできる子は、だいたい地元の国立大学へ行き、公務員や教員、銀行員などが就職先の選択肢になるという。
ヒエラルキーが明確である分、他の道が想像しにくい。
(2) 一方、東京にいると色々な方法で仕事をしている人を目にする機会が多い。
良い大学を出て公務員になる人もいれば、ベンチャーを立ち上げて公務員より稼ぐ人もいる。
つまり様々な生き方が身近にあるので、学校に行かないという道も想像しやすいということ。
(3) 地方で引きこもると、引きこもりが長引きやすい。
近所の付き合いが濃密な分、噂になりやすく、昼に外出できなくなるからだという。
安田氏は、「東京のいいところは、自分の所属するコミュニティを自分で選べるというところ。
結構不登校ぎみの子で、東京に出てきて楽になった子は多い。そういう人たちにとっては生きやすい場所だと思う。」と述べた。
また、20代~40代で働けなくなった方々の支援も行っているが、それはそれで別の問題があるという。
発達障害で働けないと、障がい者就労の枠組みになる。
障がい者就労の既存の福祉のプログラムは単純作業が多く、高学歴で鬱になった人にとっては適切な受け入れ先がないのだ。
これも安田氏の支援を行う理由の1つでもあるという。
文科省の調査によると、不登校の数もこの数年で増加しているという。
この事実に対し安田氏は、「学校行かなくても別にいいのではないかという時代になってきた。
それはそれで、いいのではないかと思う。皆自立して、社会でそれなりに満足して生きていければそれでいいと思うので、別に学校に行かない人が増えたこと自体が社会問題になっているかというと、そうではない。
その後もずっと引きこもって外出しなくなり、自殺してしまうとかであれば社会問題だと思うが、別の道が見つかっているならそれは社会問題ではないと思う。」と意見を述べた。
それでもなお、現代社会に生きづらさを感じる人たちに対し、どうアプローチすればよいのか。
安田氏は「難しい」と返答に窮し、「近代社会は生きづらさとセットだと思うから、もっとこうやれば幸せになれるわけでも、もっと頑張って働けば稼げるわけでもない。
それはアメリカもヨーロッパも一緒。」と、時代の発展と生き方に関しては日本に限らないことを指摘した。
安田氏は加えて、「イスラーム圏もそう。イスラーム原理主義ってやはり生きづらさとかから来ていて、なぜ生きてるのかとか、コーランに全部答えが書いてある。
そういう意味では、別に日本だけという話でもない。
変化の激しい時代の中で、自分の居場所をうまく見つけられない人は、世界的に増えてるのではないか。」と、生きづらさについてグローバルな視点で触れた。
(後編へつづく。)
【訂正】2019年9月9日12:00 下記の通り訂正いたしました。
・誤:僕はどちらかというと不良よりだったので、大学受験をやり直すときに苦労した経験があり
 正:大学受験をやり直すときに苦労した経験があり
・誤:自分も14歳で 正:自分も12歳で
・誤:以下の2点から来る 正:以下の3点から来る
〔2019年9/9(月) Japan In-depthJapan In-depth編集部(外園桃子・高橋十詠)〕

うつ病の元商社マンが作った引きこもり塾
親と揉め、荒れていた中高時代を経て、2浪の末にICUへ入学。卒業後に総合商社に入社するも、うつ病になり4カ月で退職。1年間の引きこもりを経験した。その後自身の体験から不登校、中退者専門の塾を立ち上げた男のストーリー。
■「軽度の発達障害で、暴走族の世界にもなじめなかった」
【田原】安田さんのご著書を読みました。幼少期から、なかなか大変なご経験をされましたね。
【安田】父のDVなどが原因で、両親が離婚。寮に入ったり、父方の祖父母と暮らしましたが、折り合いが悪くて、友達の家を泊まり歩いたり、ときには公園で野宿をしたりしていました。
【田原】気が進まなければお話しにならなくていいですが、お父さんはどうして暴力を?
  【安田】感情のコントロールが非常に苦手な人でした。当時はそういう言葉がなかったですが、私と同じく発達障害の傾向があったのかなと。上手くいかないことがたくさんあったのではないかと思います。
【田原】壮絶な環境で育って、よくグレませんでしたね。
【安田】じつは不良の真似事もしました。ただ、僕も軽度の発達障害があって、暴走族の世界にもなじめなかった。どんくさいので、結局、どの世界に行っても自分の居場所をつくれないんですよね。
【田原】どんくさいというより、言いたいことを言っちゃうからじゃないですか。著書を読むと、黙っていれば目をつけられずに済む場面なのに、言いたいことを言った結果、いじめられるパターンを繰り返している。
【安田】そうかもしれません。空気を読めなくて、「なんだ、あいつは」となることはよくありました。「この場ではこう言ったほうが丸く収まる」とわかることもあるんです。でも、考えたことを言ってしまいたいという衝動を抑えられなくて。
【田原】中学時代はまったく勉強してなくて、高校は偏差値の低いところに入った。ところが、高2のころに突然、やる気を出して勉強するようになった。どうしてですか。
【安田】まず将来に対する不安がありました。学校もあまり行ってなかったし、さすがにこのままではまずいなと。受験を具体的に意識するようになったのは、2001年の年末です。その年、アメリカで同時多発テロが起きて、その後アフガニスタンへの空爆が行われました。僕は自分が虐げられてきたという思いが強くて、不条理なことに人一倍敏感なタイプ。アフガニスタンの人々にとって空爆は不条理だったはずで、「紛争や戦争を解決して、世の中から不条理をなくしたい」と考えるようになりました
キズキ共育塾 代表 安田祐輔氏
■国連の職員になるならと2浪してICUへ
【田原】それで、不条理を正すためにどうしましたか? 
【安田】国際紛争を解決に導くには、国際政治学者や国連の職員になればいいと考えました。で、学者になるなら東大で、国連の職員になるならICU(国際基督教大学)だろうと。単純な発想です。
【田原】毎日13時間以上勉強したそうですね。ずっとサボっていたのに、よく変われましたね。
【安田】切羽詰まっていましたから。高校時代、アルバイトを7回変えました。サービス業は苦手で、どうしても長続きしなかった。そうなると、身を立てるには勉強しかないなと。もう1つ、勉強してみたら意外に楽しかった。夜の街を彷徨っても成長は感じませんでしたが、勉強すると、昨日読めなかった英語が今日は読めたりする。成長を実感できるのが面白くて、気がついたら睡眠以外の時間はほぼ勉強に充てていました。
【田原】浪人を2回やった後、ICUに合格。大学生活では何を?  【安田】中東問題に興味があり、イスラエルとパレスチナの問題を扱う学生団体に入りました。その学生団体で、イスラエルとパレスチナの若者を12人、日本に招いて、1カ月合宿して対話してもらう平和会議をやりました。日本への入国はビザが必要ですが、パレスチナ人はイスラエル側に入れないため、自分でビザを取れません。だから僕が現地まで行って、彼らからパスポートを預かり、イスラエルのテルアビブにある日本大使館に行ってビザを取り、またパレスチナ自治区に戻るといったこともやりました。
【田原】安田さんは、自分のことを発達障害とおっしゃる。発達障害でも、そういうことができるんですか? 
【安田】発達障害にもいい面があって、さっき言ったようにあることに集中し始めると本当に集中力がすごいんです。このときはいい面が出たんだと思います。
【田原】そのあとはルーマニアに行く。
【安田】ルーマニアの研究機関にインターンに行ったのですが、3カ月で辞めました。そこで一緒に働いていたアメリカ人やイギリス人は、現地をよく知らないのに偉そうなことばかり言う。それって何か違うんじゃないかと。ただ、僕も世界を知っているわけではありません。世界の最貧国と言われる国で苦しい生活をしている人たちと一緒に暮らしたうえで自分に何ができるかを考えようと思い、バングラデシュに行きました。
【田原】マザーハウスの山口絵理子さんと発想が似てるね。山口さんも米国の研究機関で同じ思いを抱いて、バングラデシュの大学院に入った。彼女は現地の貧困を解決するために起業したけど、安田さんは商社にお入りになった。これはどうして? 
【安田】そこが僕の弱いところだったんでしょう。バングラデシュの娼婦街でリストカットした子やメンタルを病んでしまった子を見て、支援する方法を見つけたいと思ったのですが、一方で人から称賛されるブランド力のあるところに所属して安心したいという欲求もあった。自分に嘘をついて就活しているうちに受かったところに行ってしまった感じです。
■大手総合商社に入社したが、4カ月でダウン
【田原】総合商社に入社したものの、4カ月でダウンして辞めてしまう。
【安田】これにはいくつか原因があります。1つは発達障害。僕は感覚が過敏で、革靴を履けないんです。無理して履いていたら水虫になったのでオフィスで靴を脱いで仕事していたら、上司から叱られました。あと、人と距離が近いのも苦手で、満員電車にも耐えられませんでした。早朝出勤という手もありましたが、発達障害は睡眠障害が出やすくて、朝早く起きることもできなかった。
【田原】そんなの、通気性のいい靴を履いたり、睡眠薬を飲んで眠ればいいんじゃない?
  【安田】おっしゃるとおりですが、当時は気がつかなくて。あと、そもそも意味のないルールを押しつけられることに根本的に耐えられなかったんだと思います。内勤なのに革靴を履けとか、朝に会議があるわけじゃないのに9時に来いとか、正直、意味がわかりませんでした。
【田原】辞めた原因はほかにもある? 
【安田】配属が希望と違うことも大きかったです。僕が就活していた時代は、尖った若手を採用したいという空気が強くて、人事から「若手でもやりたい分野で活躍できる」と言われて内定をもらいました。当時は幼くて、それを信じちゃってましたね。
【田原】体調を崩して病気になったらうつ病の診断を受けて、会社を辞めて引きこもるようになった。そしてその後、自分が発達障害だと知る。僕は発達障害のことをよく知らないのですが、どういうものなんですか。
【安田】いまメガネをかけてる人は、メガネがない時代だったら視覚障害。つまり社会に合わせられない何かがあることを「障害」と言います。発達障害も同じで、たとえばみんなと同じ服や靴を選べないこともあれば、人の話を聞けなかったり、ジーッと座っていられないなど、現代社会において、まわりとうまくやっていくことが難しいという特徴があります。
【田原】それで、安田さんはどれくらい引きこもってたの? 
【安田】1年くらいですね。
【田原】それから人を教える仕事に就こうと考えた。どうして? 
【安田】何かしないと食っていけなかったので、とにかく働こうと思いました。ただ、サラリーマンになったらまた同じことを繰り返すだけなので、おそらく無理。僕がかろうじて持っていたスキルと言えば、英語を使えることと、勉強ゼロの状態からやり直して大学に合格したことくらい。それらを活かして自分で何かやるなら、塾しかないと考えました。
【田原】ただ、普通の学習塾ではなく、引きこもりや中退者など、学校教育から零れ落ちた人を立ち直らせて大学合格を目指す塾にした。どうしてそんな塾をやろうと思ったのですか。
【安田】もともと勉強ができる人を東大や早慶に入れる塾は世の中にたくさんあって、魅力を感じませんでした。また、そうやって誰かを合格させてもほかの人が落ちるわけで、ゼロサムゲームみたいなものに参加するのも何か違う。やりたいのは、本当に困っている人を助けること。僕は十代のころ進学塾に行ったもののまわりについていけず、バカにされた経験があります。そういう思いをしないでいい塾をつくるのは社会的に正しいことだし、ニーズもあるんじゃないかと考えました。 ■引きこもっていた人にどう勉強を教えるのか
【田原】不登校の子どもたちが通うフリースクールがありますが、あれとは違うんですか。
【安田】フリースクールは、子どもたちを「そのままでいいんだよ」と受け入れて居場所を与えてあげることに意義があります。一方、僕がやりたかったのは、居場所だけでなく、将来、自立する力をつけてあげること。たとえば小学校から不登校で小数や分数の計算ができなければ、就ける仕事がものすごく限定されてしまう。必ずしも大学に行く必要はありませんが、大学や専門学校に行けば選択肢が広がるので、僕たちの塾はそこを目標にしています。
【田原】引きこもっていた人にどうやって勉強を教えるんですか。
【安田】引きこもりの人がいきなりやる気になることは、現実的にほとんどありません。なんとなく気分がいいから塾に問い合わせてみたと思えば、次の日はまたやる気を失っていたりするのが普通です。だから長期戦で、少しずつ進めていく必要がある。たとえば相談に来たら、次に週に1回、塾に来られる状態を目指します。遅刻しつつも週1回通えたら、次は時間通りに来ることを目指す。そうやって小さなハードルを1つずつゆっくり越えていくと、いつのまにか元気になります。
【田原】なるほど。塾生はどうやって集めたんですか。
【安田】ホームページです。学校や大手予備校で挫折した人たちは、ベッドに寝転がってスマホでいろいろ検索をするんです。でも、これまで若者の福祉に関わってきた人たちはITに弱くて、ネットを通して彼らとつながることをあまり考えてこなかった。だが引きこもりの人たちに響くメッセージをWeb上で丁寧に発信すれば、人は必ず来るという確信がありました。
【田原】引きこもりの人たちにはどういうメッセージが響くんだろう? 
【安田】一番大切なのは物語です。物語といっても、落ちこぼれが東大に入りましたというような成功ストーリーだけでなく、中堅大学や専門学校進学も含めたたくさんの「普通」の物語が重要だと思っています。
【田原】最初、何人集まりました? 
【安田】はじめの1年はチラシを撒いていましたが、ほとんど効果なし。ホームページをきちんと立ち上げてから反応が出始めて、半年経たないうちに約10人集まりました。
【田原】先生はどうしましたか。先ほど聞いたやり方だと、マンツーマンじゃないと無理だ。10人を安田さんが1人で見るわけにもいかない。
【安田】はい。だから採用を急ぎました。講師はツイッターやフェイスブックで募集。当時で講師4人だったかな。うちの塾では勉強を教える以外にいろいろ注意しなくてはいけないことがあるので、引きこもりの人にかけてはいけない言葉などの研修を事前に行ってから現場に出てもらいました。
【田原】研修で教えられるようになる?
  【安田】最初はわからないところも多いと思います。ただ、だいたい100回ぐらい授業をすると、いろいろな生徒に対応できるようになります。
■7年間ずっと黒字。生徒は約300人、講師は120人
【田原】いま塾は何人ですか。
【安田】校舎は東京に3校、神奈川と大阪に1校ずつで、計5校です。生徒は約300人。それに対して、アルバイトも含めて講師は120人体制でやっています。 【田原】利益は出ていますか。
【安田】売り上げの約7割が塾で、学校や行政から受託する仕事もあって、創業から7年ずっと黒字です。
【田原】行政の仕事って? 
【安田】足立区では、低所得世帯の一人親世帯の家庭に訪問して、子どもの学習を見ています。新宿区では、引きこもりの方の就労支援です。
【田原】ほかにはいかがですか? 
【安田】最近始めたのが、発達障害の人を活用するための企業研修。かつて僕が入社した商社のように、尖った人材を採用して組織を活性化させたい会社は多いんです。しかし、採用しても定着しなかったり、使いこなせていないのが現実。それはもったいないので、企業に向けてマネジメントのアドバイスをしています。
【田原】具体的にはどうすればいい? 
【安田】従来は個が組織に合わせるマネジメントでした。でも、発達障害に限らず、若い人たちは「個人の夢」を持ちましょうと言われて育ってきた世代だから、組織が個に合わせるように転換していかなければうまくいきません。たとえばうちには朝が弱くて11時より前には出社できないという社員がいますが、彼とのミーティングは11時以降にしています。もちろん会社に合わせてもらわなくてはいけない場面はありますが、そうでないところは個に合わせる。そのほうが個のパフォーマンスが上がっていいじゃないですか。
【田原】いいね。僕もそう思います。
【安田】もう1つ、この秋か冬にうつと発達障害の方向けのビジネススクールを開く予定です。いずれにしても、うつや発達障害の人が社会復帰できないのは、社会にとって大きな損失。いままで社会から零れ落ちていた人たちが社会できちんと価値を発揮できるように、これからもそのお手伝いをしていきたいです。
■安田さんから田原さんへの質問
Q. 希望の進路が叶わなかったとき、どうしましたか? 
僕は就職するとき大手マスコミを受けたけど、軒並み落ちました。それでようやく入社したのが、当時“三流局”と言われていた東京12チャンネル(現テレビ東京)。普通ならガッカリするのかもしれないけど、僕はノーテンキだから自由でいいやと思った。実際、他局ならボツになる企画も、スポンサーを自分で見つけてくればやらせてもらえました。
ただ、原発反対の取材をしたら、電通が怒ってスポンサーを降りると言い出した。テレ東の首脳部は弱くて、「番組をやめるか、会社を辞めるか」と僕に迫った。そのとき会社を辞める決断ができたのも、テレ東の給料が安かったから(笑)。その点でも結果オーライ。どんな道でも、いいところはあるんです。
田原総一朗の遺言:どんな道にも、いいところがある
ジャーナリスト 田原 総一朗、「キズキ共育塾」代表 安田 祐輔 構成=村上 敬 撮影=松本昇大
〔◆平成30(2018)年7/9(月)プレジデントオンライン〕

わが子をひきこもりから救った親がやめた「二つの行動」
――子どもが不登校になった。
多くの親にとって、それはとても苦しい出来事だろう。
ただ、小中高の不登校は合わせて18万人、39歳以下のひきこもりは54万人という社会の中で、特別に珍しい話ではない。
同じような経験をしている方はたくさんいるが、周囲に明かさない方も多いため、見えづらいだけだ。
前回の記事「『じつはうちの子、学校に行ってません』が普通の時代になってきた~だから不登校中退者専門進学塾をつくった」では、私が平成という時代を通じて経験してきた、「不登校」や「うつ病」といった社会の暗闇が、この30年間で急増してきたという話を、統計データと共に説明をした。
実は私自身も、子ども時代から大人になるまで、発達障害やうつ、ひきこもりなど、様々な障害やトラブルを経験した「社会問題の当事者」だ。
そんな私が「暗闇」でも走り続けることで、たくさんの偶然に出会い居場所を見つけるストーリーは、拙著『暗闇でも走る 発達障害・うつ・ひきこもりだった僕が不登校・中退者の進学塾をつくった理由』に記した。
では実際に、暗闇の中にある当事者を、周囲はどのように手助けすべきなのか。
例えば、「子どもが学校に行きたくない」といった時に、周囲の人間、特に親はどのような行動をとるべきなのか。
今回は、私がこれまでご支援してきた卒業生やその保護者の方の経験をもとに、お伝えしたい。
子どもを意図せず追い詰める親たち
私は現在不登校・ひきこもりなどの若者を支援するための事業を行っている。
メインの事業となっている「キズキ共育塾」を通じて、この7年間で1000名以上の不登校・中退の若者たちの次の進路を後押ししてきた。
親であれば、「自分の子はいい大学に行くものだと思っていたのに」「そのことで安定した職業についてくれると思っていたのに」と思うかもしれない。
子どものことを尊重する親であっても、「(子どもが)今まで頑張ってきたことが全て無駄になるかもしれない」と過度に心配してしまうかもしれない。
だからこそ、子どもにも「学校ぐらいは行った方が良いのでは」「このままでは将来の就職出来ないかもしれないよ」といった声をかけてしまうことがある。
私の経験上であるが、子どもが不登校になった時に、親が子どもを放置している状況よりも、親が心配になり過度に干渉してしまうケースの方が多い。
子どもが頑張る気力を失う理由
このような「親の期待」「親の心配」は、「逆効果」を生むことが多い。
多くの子どもは、親を心配させている自分を責めてしまう。
そして、子ども自身が罪悪感を感じれば感じるほど、元気がなくなり、何かを頑張る気力が失われてしまう。
つまり、親の「期待」や「心配」は時に逆効果になることを覚えておきたい。
むしろ、「今の苦しみが永遠に続くわけではない」という「希望」を示すことが、よっぽど重要だ。
例えば筆者がかつて支援したA君は、不登校の後に高校を中退、その後3年間ひきこもった。
本人のことを尊重する家庭環境だったこともあり、徐々に精神も回復。その後私が経営する塾に通うことになったが、しばらくすると「あの時親に迷惑をかけたから」と「自分のアルバイト代から授業料を出したい」と話すようになった。
こんな風に、不登校が終わった後で、親に対して感謝の気持ちを示す子はとても多い。
親がどれだけ心配しているのか、子どもには十分わかっている。
わが子をひきこもりから救った親がやめた「二つの行動」
家に居場所がなくて野宿していた公園のベンチで 撮影:藤原慶
なぜ子どもはひきこもるのか?
では、そもそもなぜ子どもはひきこもるのか?
  「学校に行きたくない」
と思う原因は様々だ。
いじめの問題、学校の先生との相性、または思春期に特に出やすい睡眠障害もある。
そして、「不登校になる理由」と「不登校が続く理由」も異なる。
いじめや先生との相性といった問題で不登校になったとしても、「不登校が続いている理由」は生活リズムの乱れだったり、体力の低下だったり、またはSNSなどを通じて孤独を感じづらかったりといったことがある。
そのような原因への対処法の前に、親が覚えておきたいのは、「学校に行かなくても、将来の職業的な自立をする手段はある」ということだ。
親が安心し、長い目で子どもの将来を見守ることで、子どもの精神状態も回復する。
小学校高学年から高校生くらいの思春期・青年期年代ではものすごいスピードで子どもの価値観が変化し、成長していくため、親も急速に関わり方を変えていく必要があり、その関わり方はとても難しい。
思春期の中でなんらかの問題行動や挫折があることは普通のことだから、親は過度に自分自身を責めすぎないでほしい。
子どもがひきこもった時のNG行動
ではそんな時に、親はどんな行動をやってはいけないのか。
たった二つのことを覚えておいて欲しい。
1:外出しないで、子どものことばかり考える
2:自分の力だけで解決しようとする
言い換えれば、下記のようなことをしてみると良い。
1:旅行に行く(親は自分の人生を楽しむ)
2:第三者を頼る
「旅行に行く」ということは、言い換えれば「親が過度にパニックにならない」ということだ。
子どもの日々の様子に一喜一憂しないこと。そうすることで、子どもは「親への罪悪感」を減らすことができる。
親が人生を楽しんで
家がギスギスするほど、「自分のせいで家族が仲悪くなってしまった」と自分を責める子どもは多い。
だからむしろ親は自分の人生を楽しむこと。そのことで子どもに過度な干渉をしないことが大事だ。
また、家族だけで解決しようとすることも良くない。
それが二つ目の「第三者を頼る」だ。家族はどうしても「子どもへの期待」を捨てられない。
もし言葉では「あなたは自由でいいのよ」と伝えたとしても、子どもは親が言葉には 表さない自分への期待を感じ取る。
例えば、有名な会社で部下のマネージメントに長けた方でも、子どもに対しては上手く接することができない方も多い。
以前私の塾に通っていた生徒(中退者)の保護者のBさんは、有名大学を卒業後生命保険会社に長年勤めている方だった。
話は朗らかでありながら理路整然としていた。
だからこそ、「うちの子が不登校になった」という事実が受け入れられず、時に過度に厳しく子どもに当たっていた。
第三者に頼っていい
「自分の子どもにはこうあって欲しい」という思いが強ければ強いほど、感情のコントロールが効かなくなり、効果的な言葉を発することができなくなるのだと私は思う。
けれども、子どもの頃を振り返ってみた時に、親の言うことを全て聞いていた人がどれだけいるのか。
親がどんなに正論を言ったとしても、子どもは守らなかったりするのは、どの家庭でも変わらない。
だから、「第三者を頼る」と良いのだ。
お子様の通っている学校にはスクールカウンセラーがいるかもしれない。
お住まいの自治体には不登校の方の相談窓口があるかもしれない。
私が経営している「キズキ共育塾」のような、不登校・中退の方を対象とした塾も最近は増えてきた。
そのような場所にいる支援者は、家族でないからこそ過度な期待を持たず、「今の目の前の子どもが、どうアプローチしたら元気になれるのか」という1点のみを考え、子どもとコミュニケーションすることができる。
基礎的な支援の知識と、多数の過去の事例を経験している支援者であれば、的確な声がけの言葉を選ぶことができる。
注意しておきたいのは、専門家も人間であるから「合う」「合わない」が必ずあるということだ。
だから、仮に始めに相談に行ったカウンセラーや支援者に対して「合わない」と感じたとしても、あきらめずに他の支援機関を探って欲しい。
「合う」か「合わない」かは「本人が少しでも安心できる時間を過ごせるか」「本人が行ってよかったと思えるかどうか」を見ればよい。
本人が楽しそうに過ごせるのであれば、習い事などを試してみてもよいかもしれない。
学校は行かなくても何とかなる。
不登校でもその後社会で活躍している人間はいくらでもいるが、一方で「嫌じゃない」と思える用事があった方が、子どもの心身の健康にとってはプラスになる。
「学校に行ってない」は特別じゃない
時代は確実に変わってきている。
「終身雇用」の時代は終わり、大企業に就職したからといって、一生雇われる保障はない。
就職に際して、「いい大学に行けばいい就職ができる」と思い込んでいる親もいるが、今はベンチャーで実力をつけてそこからステップアップする方が、むしろ実力がついて「安定」するかもしれない時代だ。
親自身が生きている時代は、子どもの世代が生きている時代とは異なる。
親が思う正解を押し付けるよりも、子ども自身が第三者と様々な相談をしながら、自分の生きて行く道を探して行く――そのことこそが、不透明な時代を生き抜く子どもたちに必要な教育のあり方だと私は考えている。
私自身、父親のDVや一家離散など、まともな家庭環境で育つことはできなかった。
社会人になってからも、うつ、ひきこもりも経験した。
それでも、自分の弱さを第三者へさらけ出すことで、周囲の人々に支えてもらい、今がある。
拙著『暗闇でも走る』にも、ひきこもり生活が長引き、勇気をもってキズキ共育塾へ訪れる子どもたちの、道を拓くエピソードも書かせていただいた。
この本をきっかけに、「じつは、うちの子、学校に行っていないんです」「子どもが小学校高学年からひきこもりで」と、親御さんたちからの読書感想文や入塾の問い合わせをいただく機会が増えてきた。
それほど、今の日本には、誰にも相談できず一人悩む人が、何万人といることを実感している。
「子どもが学校に行かない」ことは、自分だけの特別な出来事ではない、と伝えたい。

安田祐輔(やすだ・ゆうすけ)
1983年横浜生まれ。不登校・中退・ひきこもり・うつ・発達障害・再受験など、もう一度勉強したい人のための個別指導塾「キズキ共育塾」などを経営するキズキグループ(株式会社キズキ/NPO法人キズキ)代表。
発達障害によるいじめ、一家離散、暴走族のパシリ生活などを経て、偏差値30からICU(国際基督教大学)教養学部国際関係学科入学。
卒業後、大手商社を経て2011年に「キズキ共育塾」開塾。
2018年5月現在、全国に5校(代々木・池袋・秋葉原・武蔵小杉・大阪)。著書に『暗闇でも走る 発達障害・うつ・ひきこもりだった僕が不登校・中退者の塾をつくった理由』(講談社)。
〔2018年5/31(木)現代ビジネス 安田 祐輔〕

「じつはうちの子、学校に行ってません」が普通の時代になってきた
現在、若者のひきこもりは約54万人。小中学校の不登校児は13万人と増加傾向にあります。
基礎学力や稼げる技術を身につけないまま大人になれば、人生の選択肢が狭くなり、さらにひきこもりが長引けば、生活保護受給者となる現実も……。
そこに着目しビジネスを起こした『暗闇でも走る 発達障害・うつ・ひきこもりだった僕が不登校・中退者の進学塾をつくった理由』の著者・安田祐輔さん。
日本初の大規模な、不登校・中退者・発達障害者など困難を抱える子どもや若者の進学塾「キズキ共育塾」を全国に5校展開。なぜ、いまこの塾が多くの人に求められているのか? お話しを伺いました。
バブル前夜に生まれた私の悲劇
私は現在不登校・ひきこもりなどの若者を支援するための事業を行っている。
そして実は私自身も、子ども時代から大人になるまで、発達障害やうつ、ひきこもりなど、様々な障害やトラブルを経験した「社会問題の当事者」だ。
そんな私が「暗闇」でも走り続けることで、たくさんの偶然に出会い居場所を見つけるストーリーは、拙著『暗闇でも走る』に記した。
私は1983年(昭和58年)生まれ、山を切り拓き開発された横浜のニュータウンで育った。
おしゃれなニュータウンを舞台にしたドラマ全盛期のころだ。時代はどこか浮かれていたが、私の不幸はそこから始まった。
父は有名大学出身、大企業勤務。母は大学時代タレントをしていて、卒業後は女子アナになり結婚退職。一見華やかな中流家庭。
私が生まれて間もなくバブル景気が始まり、4歳で平成を迎えた。
けれども、9歳でバブルがはじけ、不況がやってきた。
大人たちはリストラや就職難で苦労するようになった。一方小学生だった私も「生きていくこと」に必死だった。
発達障害(過集中、感覚過敏など)の影響でドンくさかった私は、周りからいじめられていた。
家に帰れば、カッとなると手をつけられなくなる父のDVが待っていた。
やがて父は浮気相手との間に子どもをつくり、家に帰ってこなくなったが、そのせいで母は精神を病み、母まで家に帰ってこない日が続いた。
大人がいない家の静けさは、物心ついた時から大音量の夫婦喧嘩の中で育ったせいか、逆に不安を増幅させていった。
その後、地獄から逃げ出すように、中学は千葉の全寮制を選んだものの、ここでもいじめられ中退。
祖父母宅、父の再婚相手との同居など、住む場所・同居する人を転々と変え、一時は暴走族のパシリのような生活をしていた。
高校時代は継母からのいじめにも遭い、家に入れず公園で野宿する日もあった。
人生を変えるため偏差値30から猛勉強
もし普通の家庭だったら、もし普通の親だったらと考えると悲しかった。しかし、高校2年生の秋、ふと考えた。
「生まれた環境のせいにし続けても、状況は何も変わらないのではないか?
一念発起して大学受験(スタート時は偏差値30くらい)を決意。
5年間も机に向かって勉強をしていなかった私は、2年間の猛勉強を経てICU(国際基督教大学)に進学。
その後は、順調に人生を歩んでいるつもりだった……。
大学卒業後、就職した大企業を、まさかの4ヵ月で休職。うつ病になってしまったのだ。
今になってみると、発達障害の影響が大きかったように思う。
その後、ひきこもりになり、布団から体を起こせない生活が1年以上も続いた。
最終的には、『暗闇でも走る』に詳しく記したように、どん底から編み出した独自の思考法で、自分の居場所を見つけたのだった。
我ながら、あらゆる社会問題を経験してきたと思う。
<私が「当事者」として経験してきた「社会問題」>
●発達障害:0歳~(1983年~)
●両親の不仲・父のDV:3歳~(1986年ごろ)
●ひとり親 14歳~(1997年~)
●いじめ・中退:~14歳(1997年ごろ)
●不登校:15~18歳(1998~2000年ごろ)
●うつ病:25歳(2009年/総合商社入社後発症)
●ひきこもり:25~27歳(2009~2010年)
「じつはうちの子、学校に行ってません」が普通の時代になってきた
キズキ共育塾の講師と著者(左端)
学校に行けない子ども・若者の塾をつくる
平成の30年間は、私の人生とリンクしている。平成はとても不透明な時代だった。
いい会社に入れば幸せになれるわけでもなければ、収入が高い伴侶を見つけたところで幸せになれるわけでもない。
どの高校に行けばいいのか、どの大学に行けばいいのか、どの会社に行けばいいのか……自分の手で人生を模索しなければいけない時代を、子ども・若者たちは不安の中で生きてきた。
私は、現在そうした自分の「当事者としての経験」を活かしながら、まさにいま不登校や中退、ひきこもりといった問題を抱える子どもたちに寄り添うための進学塾(キズキ共育塾)を経営している。
学校やほかの塾ではうまくいかなかった1000人以上もの子どもたちがキズキで学び、卒業していった。
最近では、自治体と連携して「ひとり親世帯の子どもたちの家庭訪問支援」(足立区)や「引きこもりの若者の就労支援」(新宿区)を行ったり、専門学校や大学と連携して「発達障害などを抱えた若者たちの中退予防支援」など様々な支援にも携わっている。
不登校の生徒は小中高合わせて13万人を突破
この仕事をしているとよくわかるのだが、現代には自分がかつて経験したような苦しみを抱えた人たちが大勢いる。
例えば、うつ病の患者数は110万人を超え(111.6万人、2014年)、児童虐待の対応件数も12万件を超えた(12.3万件、2016年)。
不登校の生徒も小中高合わせて13万人を突破している(2016年)し、貧困率が高いと言われるひとり親世帯の数も100万に迫る勢いだ(91.2万世帯、2012年)。
これら「新しい社会問題」に関する統計の多くは平成の30年間をカバーしていない。
例えば、ひきこもりについてのデータは2010年からしかないので、平成の始まりに比べて増えているのか減っているのかをデータで把握することはできない。
しかし、いくつかの統計からこの時代に起きた明らかな変化の断片を見てとることもできる。
例えば、不登校生徒、ひとり親世帯、うつ病患者、こうしたデータは、どれもこの平成20~~30年のうちにどのデータも顕著な増加を示しているのだ。
例えば、不登校の生徒が全体に占める割合は、90年代の半ばから2000年にかけて一気に上昇している。
その後は高止まり、2016年に再び最高値を更新している(1.35%)。
1991年と比較すると全体に占める割合は3倍近くにまで伸びているのだ。
また、家族のあり方も大きく変わっている。
18歳以下の働いていない子どもがいる世帯全体に占める「ひとり親世帯」の割合が、1988年から2012年にかけて2倍近くまで増えている。
特に2000年代に入ってからの伸びが顕著だ。
ちなみにこれは母子世帯、父子世帯の合計値だが、内訳としては母子世帯の方が圧倒的に多い。
全人口に占めるうつ病患者の割合も90年代から2000年代に入るタイミングで一気に上昇し、2014年には0.88%にまで伸びている。
総人口が減少する中で、うつ病を患う人はむしろ増えているのだ。
平成で膨らんだ見えない暗闇
いま、「平成」と呼ばれる時代が終わろうとしているが、この時代は私が子どもから大人になった時代であり、その過程で様々な困難に直面した時代だった。
自分がその苦しみの最中にいた頃はよくわかっていなかったが、このようにデータを振り返ってみてわかることは、この平成という時代が「自分と同じような苦しみを抱えた人たちがどんどん増えていく時代」だった、ということである。
自分が抱えていた様々な「暗闇」は、決して私一人のものであるだけでなく、同時にこの社会で見えないうちに進んでいた大きな変化の徴でもあったのではないだろうかだ。
この度、私が上梓した『暗闇でも走る』は、これらの社会問題の変化や、困難な中でも道を拓く方法を、34歳の私自身の経験を通して描いた。
私自身、子ども・若者をめぐるあらゆる社会問題の当事者だった。
そして、様々な社会問題を経験しながら、それを乗り越えられたのは、全て「偶然」だった。
偶然合格できた大学、そこで出会った人たち、偶然あったビジネスコンテスト……。
そのどれかが欠けていても、私は暗闇から脱することができなかったと思う。

隣の人が「暗闇」を抱える時代
私が経験してきた様々な困難の多くは、当時は大きな社会問題として認識されていなかったが、今は徐々に「社会問題」としてニュースで報道されるようになった。
時代が変化し、当時の私と同じような経験をする子ども・若者は少しずつ増加していったのだ。
一方で、普通に生活しているだけでは、彼ら・彼女らの姿はなかなか見えてこない。
発展途上国のようにスラムで密集して生活しているわけではなく、どこにいるのか分からない。
電車の中でも、喫茶店の中でも、隣の席の人が「暗闇」を抱えているかもしれない、そういう時代に私たちは生きている。
「暗闇」は一人ひとりの内面に点在しており、しかも外からは見えづらいのだ。
加えて、社会問題の「元当事者」たちから、苦しかった当時の悲しみや苦しみが発信されることは少ない。
なぜ学校や会社に行けないのか? なぜ非行に走ってしまうのか? どうしてひきこもるのか? 何が苦しいのか?
  それぞれの問題を当事者として経験したことがない人には理解しがたい行動や感情があるように思う。
『暗闇でも走る』は徹底してこの「当事者の視点」を大事にしながら書いた。
社会問題に直面しているこの連載記事や書籍を通じて、当事者の感情や直面しているハードルのリアル、私が自分の暗闇とどう向き合い、どう付き合ってきたか、を自分の経験をもとに少しでもお伝えできたらと思っている。

安田祐輔(やすだ・ゆうすけ)1983年横浜生まれ。
不登校・中退・ひきこもり・うつ・発達障害・再受験など、もう一度勉強したい人のための個別指導塾「キズキ共育塾」などを経営するキズキグループ(株式会社キズキ/NPO法人キズキ)代表。
発達障害によるいじめ、一家離散、暴走族のパシリ生活などを経て、偏差値30からICU(国際基督教大学)教養学部国際関係学科入学。
卒業後、大手商社を経て2011年に「キズキ共育塾」開塾。
2018年5月現在、全国に5校(代々木・池袋・秋葉原・武蔵小杉・大阪)。
著書に『暗闇でも走る 発達障害・うつ・ひきこもりだった僕が不登校・中退者の塾をつくった理由』(講談社)。
発達障害に加え、父のDV、一家離散、家なし、非行……暗闇から抜け出す手段は唯一勉強だった。
偏差値30から一流大学合格、日本初の大規模な不登校・中退者・うつ・ひきこもり・発達障害をもつ若者の進学塾を起業。
いま注目の社会起業家が、生きづらさを抱えながらも輝く場所をつくりあげていくまでの記録。
今の状況から抜け出したくても方法がわからない方、不登校・ひきこもりのお子さんを持つ親ごさん、進路に迷う学生の方、人生を変えたいすべての方へ、一歩を踏み出すヒントとなる一冊。
〔2018年5/3(木)現代ビジネス 安田 祐輔〕

中退、引きこもり、貧困、発達障害…暗闇のなかの歩き方を支援する
書籍『暗闇でも走る 発達障害・うつ・ひきこもりだった僕が不登校・中退者の塾をつくった理由』を上梓したばかりのキズキ共有塾代表・安田祐輔さんをゲストにお迎えして、スペシャル対談を行いました。
中退、引きこもり、貧困、発達障害…暗闇のなかの歩き方を支援する
支援方法が「教育」だと、勉強嫌いは救われない!?
鈴木:『暗闇でも走る』を読ませていただいて、僕がすごく考えてしまったのが「僕みたいな子はどうすればいいんだろう」ということなんです。
僕は昔から勉強が嫌いで、勉強して進学したところで社会に迎合してもらえるとはとても思えず、それ以外の道でどう生きていくかもがいてきましたし、僕の取材して来た触法や困窮家庭の子どもにも似たタイプがとっても多かったんです。
なので、進学したその後をどう生きていくかにつながる支援にしてほしいな、と。「目標の大学に入れました、エンド」は絶対なしだと思ったんです。
安田:まさに! それは、うちの会社で必ずスタッフに言っているところです。
普通の塾では「偏差値50のあなたは、この大学を受けて滑り止めはここで」ってやるケースが多いんですけど、うちは絶対それをやっちゃダメだと。
うちは受かることだけじゃなくて将来的な自立が目標だから、そこに資するかのみを基準にしないとダメと話をしてるんですね。だから合格実績を出さないんです。
合格体験談は出すんですけど、それも大学も専門学校も全部出すようにしていて、難関大学だけの合格実績を書かないっていう話をしています。
色んな自立の仕方があると思っているから。
もちろん、学習はある程度のレベルが必要だと思います。
例えば、委託を受けている業務に、足立区のひとり親世帯への家庭訪問支援があるのですが、生活保護家庭で10歳だけど小1の漢字も読めない子、となるとまずは絶対に学習が必要だなと思います。
一方で18、19歳にもなる子に全員学習が必要だとは全く思っていません。
ですが、勉強すると自己肯定感が高まる効果があること。
また、コミュニケーションや喋るのが得意じゃなく、それが原因で中退して引きこもってしまうような子にとっては、受験をして何かしらの専門性を身に付けるというのは結構アリな進路だなとずっと思ってます。
例えば薬剤師とか。
鈴木:資格職?
  安田:そうです。アスペルガー傾向が強い人間にとってはかなり有用だなと。
勉強に対しては普通、でもコミュニケーションにかなり課題があるタイプはそういう進路もありますよね。
あと15歳から引きこもってきた子が24歳になってめちゃくちゃ安定した仕事に就きたいと思ったら、29歳まで大卒OKな公務員を目標にするとか。
勉強をすると意外に幅が広がってその子に向いた進路があるなということはすごく思います。
けれども、全部がそれで解決できるわけじゃないことも認識していて、新宿区の関連団体から委託を受けてる引きこもりの子向けの「働く支援」を5年ぐらいやっていますが、16歳位から引きこもってて、現在25~30歳くらいとなると、もう勉強じゃないかもなっていう。
それこそスーパーでまずインターンシップさせて徐々に働くのに慣れてもらうみたいな支援も同時にしています。
子供の貧困対策で「進学支援」は正しいのか 鈴木:なるほど。「選択肢を広げるため」ってことですね! それは『暗闇でも走る』には書かれていなかったので、すごく大事なことなので、あとがきにでも…。
安田:書き足します! (笑)
鈴木:僕、すごく今不安に思っていることがあるんです。
僕が取材してきた子たちは勉強が嫌いだし、逆に勉強するぐらいだったら他で要領よく例え裏の社会でも生きていくことを選ぶという子が多かったので、その子たちを教室に戻すというハードルの高さがあるにもかかわらず、子供の貧困対策にまず進学支援が行われると、教育が産業としてお金になることでいろんな企業が寄ってくるわけですよ。
発達の問題がある子達に対する医療的な早期介入も、一気にビジネス化した感じもあって、同様のことが子どもの貧困対策で起きていることをとても危惧しています。
安田:そうですね。そこにも課題意識を持っています。
子供の貧困対策の一環として学習支援業務を色んな区が委託に出してるんですけど、普通の家庭教師会社が、普通のアルバイトで登録してる先生を対象家庭に送り出しているような自治体もあって。
ただの大学生を送ったところで様々な課題を抱えた子どもたちの支援はできないので、だからこそ僕は自分の会社を大きくしなくちゃいけないと思っているし、それができる人材教育をやらないといけないと思ってます。
各自治体で貧困対策の政策を作っている方にもその辺りの理解を広げていきたい。 鈴木:ですね。そもそも現状の日本の子どもの貧困や格差が深まった根底には、教育が産業化したことがありますから。
今の子供の貧困の敵の本丸は教育産業だと思ってるんですよ。
それは家庭の支出を増大させたこともそうですし、大学への進学率を上げて卒業後の家庭に余裕をなくしたというのもそう。
正直言ってそこの文脈の人たちが子供の貧困支援に入って来ることが許せない。
だから、そのパターナリズム的なものがどれだけ当事者的に無意味なのか、全く専門性のない家庭教師の大学生をポンと投げることは貧困の支援にはならないことを安田さんにはぜひ強く発言してほしいな、と。
安田:その部分に関しては、半分賛成で半分違うかなと思うところがあって…というのも、学校の先生と合わない子供の受け皿に塾がなっているというところがすごく多いんですよ。
鈴木:たしかにそうですね。ただし、親に払うお金があれば、ね。
安田:あれば。僕は自分がそうだったからバイアスがかかってるところもあるんですけど。不登校の原因のほとんどが、学校が合わないか、いじめられているか、です。
文科省のデータにはそう出てないですけど、現場でやってる人間からすると学校の先生の問題ってすごく大きくて、もちろん良い先生もたくさんいらっしゃいますけど。
「学校今日行きたくないんですよ」って言った時に「学校は行くものだろ」と価値観を押し付ける、とか。
もちろん暴力的な先生は今はだいぶ減りましたけども。
先生や学校と合わない子の受け皿としての「塾」
安田:そういうところが合わなくて学校に行けなくなったけど、塾に行ったらアウトローというか、それこそ塾の先生なんていろいろ寄り道して普通の会社で就職できなかった人達の集まりなので、おもしろい先生に会って救われたという話ってたくさんあるんです。だから公教育で全部担うべきなのかっていうのはすごく悩ましい。
ちなみに僕は塾でやっぱり救われた経験があるので……学校がここに書いてるように全然合わなかったんですよね。中学の時は本当に。
だから僕自身は今、本にも書きましたけどスタディクーポンって言ってクーポンを一定所得以下の子に配る形で教育格差を埋めるっていうのが一番、100%の解決策ではないけれど、いいんじゃないかなと今は思っているぐらいなんですよね。
鈴木:確かに。本来なら公教育をどんな子どもにも対応できる質にまであげていかないとって思うんですが……。
安田:でもガラッと変えようにも、これだけ全国に何万か何十万人先生がいれば、そりゃ色んな先生もいますよね。
だから100%の解決策じゃないけれども、格差がついてしまった、格差の中で苦しんでいる子たちに我々みたいな事業者がしっかり支援できるような体制がやっぱり必要だな、と。
もしくは貧困家庭の子でも、メンタルにあんまり課題を抱えていない子は「クーポンで好きな友達が行ってる塾に一緒に行けるよ」みたいな形にするのが今はいいかなと思ってはいます。
本当は公教育がすごい良くなればいいのかもしれないですけど。
"就職率"より"就労継続率"を追うべきなのに
鈴木:でも教育って難しいですね。あの、全然話変わるんですけど、僕の危惧する教育の産業化って部分で、専門学校って法律で規制したほうがいいと考えたことはないですか? 
明らかに卒業後の仕事に結びつかない学校でそこそこの授業料を取っているところが相当数あると思うんです。
安田:実は専門学校の発達障害の子の支援をずっとやってきてます、学校と契約して。これは学校によってすごくレベルの差があるんですよね。
鈴木:なるほど。
安田:ひとつ思うのは、中退率では縛った方がいいな、と。
中退率の高い学校はなくしたほうがいいですよね。
鈴木:その後の就職率は? 
安田:その後の仕事につながるかどうかという意味だと、自治体の引きこもり等の若者向けの事業でさえ、就職率は見ても働き続けてる率は、あまり見てないんですよ。
専門学校とは違う話なんですけど、就職が決まるだけではなくて、しっかり続けることが大事だっていう認識がまだ足りていなくて。 どれだけ就職させたかが目標になっていて、就職先を1ヵ月で辞めたところでその委託を受けてる事業者には×が付かないケースも多いんです。
ある委託を受けてたときも、目標の数字の設定がおかしいなと思ったのですが、就職した人数だけを見ていて。
夢 or 自立? 本当の教育の目的とは
安田:教育の本当の目的って、働き続けて自立してというようなことだと思うんですよね。
だからそれができる人は別に大学行く必要はないだろうし、大学っていうのも将来的に自立して働くっていうことをサポートしてなければ存在意義がないと僕は思ってるんですけど。
教育の目的をみんなそこには置いてない気はします。
例えば夢を追いかけることが正しいとか、夢をサポートしてるのが教育なんだと思っていれば、働いてる側も(就職率の悪さなどについて)悪いとは思わないんですよ。
就職率や就労継続率の低い専門学校で働いてたとしても、目標が若者の夢を応援することだと思ってるのかもしれません。
この厳しい現代社会の中でしっかり働き続けられることが目標だと、教育産業に携わっている人の誰もがそういう目標設定を置いていないと思うんですよね。
それがすごく課題なのかなと思っています。
鈴木:ぜひもう1冊書いてください。そのあたりのことについて、かつての当事者でありつつ専門性もあって、実践を伴って発言できる人って、実は日本に安田さんぐらいしかいないかもしれないって思うんですよ!
  安田:ありがとうございます(笑)。本の中に「夢」についての章が1つあるんですけど、僕夢ってすごく嫌いなんですよ。
鈴木:今、結構キラキラしたもので飾り立ててそれを支出につなげてっていう。
安田:ありますね。だからそれが美しいことだとみんな思ってて!
  鈴木:思ってますね。
安田:うちの元生徒で、今はしっかり楽しく大学生をやってる子なんですけど、その子が最初に不登校になった時は「みんな周りも『夢はこれです』って言うけど僕は夢がないから高校も行く意味がないと思います」って悩んでいて。
だから、入塾面談に来た時「大人に<なったらまず生きてくことが一番大事だよ」と、「普通に生きられればそれでいいんじゃないの?って話して。
僕は夢とかそういうものに対する違和感がすごくあるから、うちの塾の講師の面接でも、「子供に夢を持ってほしい」って言われた瞬間にお断りするようにしてます。
特に厳しい状況にある子たちを支援しようと思ったら、夢を持って何かの職業に就いてほしいと願うより、まずはちゃんと自立して幸せに生きていけることを目標に、小さくていいから幸せに生きられることを目標にするのが一番良いと思ってるので。
鈴木:そうですね。安田さんの仕事はやっぱり選択肢を広げることなんですね。ちょっと哲学的な話になっちゃうんですけど。
僕、裏の産業で働いてる元々発達に問題があるような、それこそ暗闇の中にいる子、売春やったり詐欺やったりしてる子たちが、どんだけお金を稼げるようになっても、そのお金で幸せになってる姿って実はあんまり見たことがないんです。
仕事はできてて稼いでても、最終的に幸せにはなってない。
それで常に幸せって何だろうってずっと考えて、著書『家のない少年たち』の中で、1回答えは出してるんですけど。月並みだけど、居場所があることだって。
居場所は「幸せ」への足がかり
安田:そうですね。僕、本のそのページ折ってます。すごく好きなところで。
鈴木:結局本人がそこにいていいって自分で思えて、人にも思われてるっていう場所を見つけると安心ですよね。
その安心っていう土台があってそこから初めて幸せの追求ができるんではないかと。
そこをすっ飛ばすとどんなに稼いでもどんなに派手に遊んでも、どんなに高価なものをかき集めても、全然幸せって感じられないみたいなんです。
安田:ないですね。不登校・中退の子は学校も友達も居場所になっていないケースが多いです。
生育環境が良くない子ももちろんたくさんいますし、引きこもりになると親も焦ってメンタルやられちゃうことが多いので、そうすると家にも居場所がなくなってしまう。
それで僕は「受験」をエサみたいな形にしたんです。
中学校行けなくなって、でも高校は行かなきゃとか、高校中退しちゃって高卒認定試験取らなきゃとか焦ってる子が「受験」って検索してくれるので、そういう時に我々のような「居場所」を見つけて来てくれたらいいなと。
我々のところは働いている人が全員不登校や引きこもりの理解者なので、そこがまず彼らにとって居場所になるっていうことが大切かなと。
だって本人が何とかしたい、居場所がほしいと思っても「居場所」って検索しないと思うんですよね。自分の人生が「何かやばい」と思った時に。
鈴木:そうですね! 
安田:塾のスタッフも半分ぐらい元引きこもりで、理解者しか採用してないので。ここがひとつ居場所にはなるだろうなとは思ってます。でも一方で親の代わりにはなれない。
僕も親からきちんと養育を受けなかったので、今もう34歳になってもその課題を抱えてるんですけど。
親って恋人とも違うし塾の先生とも違って、例えば友達関係だったらそいつの財布から1万円2回ぐらい盗ったら絶縁されるわけじゃないですか。
だけど親だったら2回盗ってもまだ「何やってんの!」って怒られるだけですむ。
それで家から追い出すっていう親はそんなにないと思うんですよね。だから何をしても許してくれる存在=親って。
そこが欠けるっていうのは絶対的な居場所が欠けてることだなと思います。
親が100ぐらいのパワーがあるとしたら、それが欠けても友達や大学などで居場所を作って、1のパワーを100個集めようみたいな。
量で補うことができればいいかなと思います。
そうやって色んな人に助けられたっていう経験があると少しずつはまともになるのかな、居場所ができたと思えるのかなと思んです。
鈴木:安田さんにとっては、今それが現状の仕事というか事業なわけでしょうか。
安田:そうですね。僕自身の場合は自分のやってきた生きてきた経験を肯定するための物語を作るしかなくて、だからこういう仕事をせざるを得ないところはあります。
とはいえ100点の解決策だとなかなかまだ思えてない部分もあって、生まれた時からの決定的な欠落を埋めるっていうのはなかなか難しいなと思います。
鈴木:そうですね。確かに、面倒見た子たちが社会に出た後に、同じように居場所までを一緒に探してあげるっていうのは難しいかもしませんね。
でもその選べる選択肢を増やすっていうことは確かに必要で、選択肢を増やしながら居場所を探していくことが大事なのかもしれないぞということはぜひ教えたいですね!
安田祐輔(やすだ・ゆうすけ)
1983年横浜生まれ。不登校・中退・ひきこもり・うつ・発達障害・再受験など、もう一度勉強したい人のための個別指導塾「キズキ共育塾」などを経営するキズキグループ(株式会社キズキ/NPO法人キズキ)代表。
発達障害によるいじめ、一家離散、暴走族のパシリ生活などを経て、偏差値30からICU(国際基督教大学)教養学部国際関係学科入学。
卒業後、大手商社を経て2011年に「キズキ共育塾」開塾。
多くの講師が挫折経験をもち、生徒の心によりそう指導が評判を呼び、全国から様々な理由で学校に行けない若者やその親から問い合わせが殺到、多くのメディアに取り上げられる。
2018年4月現在、全国に5校(代々木・池袋・秋葉原・武蔵小杉・大阪)。
外出困難者のためにスカイプ授業なども展開。
また、中退予防のための大学への講師派遣・研修、貧困家庭の子どもの学習支援プロジェクトなども立ち上げ、多岐にわたり若者を取り巻く社会問題を解決する活動をおこなう。
著書に『暗闇でも走る 発達障害・うつ・ひきこもりだった僕が不登校・中退者の塾をつくった理由』(講談社)。
〔2018年4/28(土)現代ビジネス、鈴木 大介,安田 祐輔〕

新卒で商社に入った僕に、いま伝えたい事
ICU入学時の安田祐輔さん
不登校中退者の進学塾「キズキ」。8年前、現在34歳の安田祐輔さんが設立しました。
安田さん自身も不登校中退者で、新卒では大手総合商社に入るも、4カ月でうつ病に。
そうした経験から立ち上げたキズキは、講師の半分以上が発達障害や不登校の経験者です。
何度も挫折を経験してきた安田さんが、当時を振り返りながら、新社会人へのメッセージをつづります――。
※本稿は、安田祐輔『暗闇でも走る』(講談社)の第7章「人生はやりなおせる 発達障害・うつ・ひきこもりだった僕が不登校・中退者の進学塾をつくった理由」を再編集したものです。
■自分のことを「強い」と思い込んでいた
キズキに通う生徒たちの状況は、ひきこもり、中退、不登校など様々だけれども、彼らに共通していることも、「大きな挫折を経験している」ということだ。
「もう2X歳になってしまった。周りは働いているのに……」
「二度と、普通に生きられないかと思うと怖い」
毎日のように、そんな若者たちが全国からキズキにやってくるようになった。
そんな彼らに対して僕が伝えるのは、意外に遠回りも悪くないよ、ということだ。
僕も、親の離婚、暴走族のパシリ、中退、ひきこもり……、色々なことを経験してきたけれども、だからこそ本当にやりたいことが見つかった。
そんな経験のおかげで、家族に問題を抱えている若者の気持ちも分かるし、保護者の相談にも乗れる。
そして何より、入社4カ月でうつ病になったことで、「人の弱さ」が分かるようになった。
12歳で家を出て生き抜いてきたことで、僕は自分のことを「強い」と思い込んでいた。
でも実は、多くの人が当たり前にできる会社員生活が僕にはできなくて、そこで「弱さ」を理解した。
「頑張れない」人の気持ちが分かるからこそ、今の事業を起こせた。
社会の中でつまずいてしまった人たちの気持ちが分かるようになってから、世界は豊かに見えるようになった。
10代からの挫折の連続は、20代後半になって、一本の線でつながった。
■有名な会社で働き、高い年収を得ても、何か物足りない
僕の周りの優秀な人たち、それも高い年収を得て、有名な会社で働いている人たちの中で、何か「物足りなさ」を感じている人は多い。
「自分が本当にやりたいことは何なのか分からない」という話をよく聞く。能力をつけて誰もが羨む地位や収入を手に入れたとしても、それだけだと「空虚さ」のようなものを抱えてしまうらしい。けれども、何かしらの挫折を経験した僕らは、ラッキーだ。
やりたいことを行うためのハードルの高さに苦しむことがあっても、「やりたいことが分からない」という悩みは少ないかもしれない。
「挫折」のおかげでやりたいことがある。
僕の好きな言葉に、マッキンタイアという政治哲学者の言葉がある。
「『私は何を行うべきか』との問いに答えられるのは、『どんな(諸)物語の中で私は自分の役を見つけるのか』という先立つ問いに答えを出せる場合だけである」(『美徳なき時代』アラスデア・マッキンタイア著、篠崎榮訳/みすず書房)
何かを成そうと思うのならば、徹底的な努力や我慢が必要だ。ただ、その努力や我慢が「自分を苦しめている」次元まで到達したならば、「諦める」ことも選択肢にいれた方がいい。
「時間」の力は偉大で、いつか全てを癒してくれる時がくる。
それだけでなく、「時間」はその苦しみを、「物語」に変えてくれる。
多くの人から賞賛されるような学校に行くこと・会社に勤めることよりも、自分の「物語」に沿って、自分の納得する道を歩んだ方が、幸福や自己肯定感にはつながるのかもしれないと僕は思っている。
■人生をやりなおすための思考法
生徒たちと話す中で、僕自身の思考法について聞かれることも多い。そんな時は、僕はこんなふうに話をすることに決めている。
どん底の状態からやりなおすために必要なことは、「考え方をずらしてみる」ことだ。
どん底の状態の時は、「何をやってもうまく行かない」と思いがちだ。そのせいで、努力さえできなくなってしまう。
だから「こうじゃなきゃいけない」という思い込みを外して、少し「ずらして」考えることが必要だ。
そうすることで別の生き方が見えてくる。心理学的に言えば、少し難しい言葉になるが、「認知の歪み」を改善させるということだ。
生徒からよく頂く質問とその答えを、幾つか書いてみる。
「高校を中退して5年ひきこもり、21歳になってしまった。これだけ遅れてしまったら将来仕事がないのでは?  だから何をやっても無駄に思えてしまいます」
僕はこんなふうに答える。
「確かに、大企業であれば年齢を気にするところが多いかもしれない。けれども、マスコミや公務員は29歳ぐらいまで受験資格があるところも多い。またベンチャー企業・中小企業であれば、年齢を気にしない会社もたくさんある。アルバイトから入って認めてもらい、正社員に採用される例もたくさんある。今からでもいつからでも、人生はやり直せる。スタートが遅れても、仕事はありますよ」
そしてある生徒からは、
「夜早く寝ること、朝起きることが苦手です。大学の授業は選択制なので、毎朝早起きしなくても良いとは聞いていますが、将来働くことがとても不安で……」
これはかつての僕と同じ悩みだ。
「朝起きなくていい会社で、働けば良いと思う。確かに多くの会社では、朝の始業時間が決まっています。けれども、最近ではフレックスタイムを導入している会社も少なくありません。特にベンチャー企業であれば、明け方に寝て昼前に起きるような方もいます。夜中は仕事がはかどるという人も多いですからね。何を隠そう、僕自身も朝が起きられないので、いつもミーティングは朝11時以降にしています(笑)。ただ、大学入試は朝から行われるので、この日だけは我慢しよう」
■苦手な人と無理に関係を築かなくても良い
今苦しんでいることが、永遠に続くわけではない、ということは、いつも心のどこかに留めておいてほしいと伝えている。
また、必要な睡眠時間は年齢とともに変化するもの。
それに睡眠障害が発達障害と関係している場合、発達障害の状態の変化によって、睡眠障害も変更する。
確かに朝太陽の光を浴びることは睡眠障害を治す上で重要だが、自分なりのペースも大事にすればよいと思う。
また、こんな生徒もいた。
「人とのコミュニケーションが苦手です。大学や会社に入ってからの、人間関係が怖いです。苦手な人とどのように関係を築いていけばよいでしょうか? 」
「苦手な人と無理に関係を築かなくても良いと僕は思う。大学ではクラス制を取っているところを除けば、自由に授業を選ぶところが多い。そのため高校までのように、特定のクラスの中で濃い人間関係を築く必要はない。またサークル活動も、強制ではない。つまり、“自分に合う”人とだけコミュニケーションを取れる場所。仕事についても、営業やサービス業ではなく、工場勤務やエンジニアなどの仕事に就くことで、“目の前の仕事を黙々とやる”ようなものを選んでみたらどうだろう? 」
現代社会において、「こうしなければならない」なんてことは、ほとんどない。
「学校」という仕組みも、「会社」という仕組みも、誰かがつくり出したものに過ぎない。
だから、その仕組みになじめなくてもがいているのであれば、そこから逃げ出して新しい道を探しても良いはずだ。
■自分にできる範囲で少しずつ頑張れば十分
特に「学校」というのは不条理な仕組みになりうると僕は思っている。
例えば「仕事」であれば、就職先は自分で選べるし、転職も認められている。
けれども「学校」になると、普通に公立小中に通う限り、住んでいる場所に合わせて学校がある程度決められてくるし、転校もなかなかできない。
先生方はとても頑張っているけれど、全員に合う教育をするのはとても難しい。
だから、学校が合わなくたって、絶望しなくて良い。
今どん底で苦しんでいるのなら、まずは「こうしなければならない」という思い込みを捨ててみてほしい。それが、やりなおすために一番大切なことだ。
また、「そもそも今は何のやる気も起きない」と悩んでいる人もいるかもしれない。 けれども、どん底状態の時に頑張れないのは、誰でも同じだ。だから今は頑張れない自分を責めず、自分にできる範囲で少しずつ頑張れば十分だ。
「この挫折があったから、今がある」
そう思える日がきっと来る。
■変えられるものだけに注目する
もう一つ、人生をやりなおすために必要なことは、「変えられるもの」だけに注目するということだ。
例えば僕の場合、発達障害があること、温かい家庭に生まれなかったということ、早起きが苦手なこと、人とのコミュニケーションが苦手だということ……そういうものは変えられない。
誰しも人間は生まれ持った条件の中で生きなければならない。そしてそれらは「変えられない」こともある。生まれつき恵まれた人たちを見ていて悔しくなる時もあるけれども、他人と比較しても意味はない。
だから、「変えられない」ものは諦め、「変えられる」ものに注目してみる。
10代の頃の僕は、「変えられないもの」ばかりに注目して、いつも苦しんでいたように思う。
けれども今の僕は、早起きができないから仕事は昼からすることにしているし、対面のコミュニケーションが得意ではないから誰かと揉め事があった時は文章で考えを伝えることも多い。
「変えられるもの」に注目して、少し努力してみよう。それが、人生をやりなおすための一歩になるかもしれない。
■新社会人当時の僕に伝えたいこと
「会社員としてうまくいかなかったヤツが起業なんかできるわけがない」
とよく言われたが、僕が生きていくためには、こういう働き方しかできないと思った。
「売上何千億、何兆の会社を作る」というような、希望に満ちた起業ではなかったけれども、その後もコツコツと続けることができた。
別に起業じゃなくても、例えば、税理士、弁護士、社労士のように独立して働きやすい職業もある。
あの時は、会社を辞めたら一生が終わるかのように思えていた。けれども、実は色々な生き方がある。
僕みたいに苦手なことから逃げた生き方だって、あっても良いはずだ。
だから、会社が合わなくても、絶望する必要はなかった。
むしろ20代のうちは、「どんな仕事が向いているか」「どんな生き方をしていきたいか」を実践しながら悩みぬくのが、他の先進国では普通だ。
世界は広く、色々な生き方・色々な考え方がある。
多くの大人は「自分の経験」をもとに他人にアドバイスをするけれども、様々な生き方の中で自分らしく生きられれば良いのだと思う。
新社会人だった僕自身に伝えたいのは、そういうことだと思った。
人の生き方はそれぞれだということ。
自分の生きる道は悩みながら見えてくるものだということ。
格好のいい仕事の格言よりも、そういうことを教わりたかったと思う。
■ひきこもりは怠け者?
  「不登校」や「ひきこもり」というと、特別な人たちを想像してしまうかもしれない。
しかし、小中学校の不登校は13万人、高校不登校は5万人、高校中退は年間5万人と言われている。
また不登校や中退を経験した子たちの受け皿になっている通信制高校の学生は18万人と言われている(通信制高校の学生たちは、スポーツなど他にやりたいことがあって通信制高校を選んでいるケースも多いが)。
高校中退の4年後は、20パーセントの若者が無業(学校にも行かず、バイトもしていない状態)という2009年の調査結果もある。
また15歳~39歳以下のひきこもり54万人、うつ病の人は111万人と言われている。
たくさんの子ども・若者が、実は困難な状況にあるのだ。
学校に行かないこと自体は、本当はたいした問題ではない。
現に僕も学校にはあまり行かなかったし、それでもなんとか自立して生活をしている。
いじめがあったり、家族の問題で心が疲れてしまったり、発達障害があったり……自分の力ではどうにもならないことを経験したことで、不登校や中退を経験する子ども・若者たちはとても気持ちが落ち込んでいる。
そういう人たちが、「何度でもやり直せる」社会でなければならないと僕は思っている。
けれども、どうにもならない不条理に苦しんできた子ども・若者への共感は、得られないことも多い。
ある時、会社員の友人からこんなことを言われたことがあった。
「ひきこもりの人とか単なる怠け者だと思うし、勝手にすればいいと思うんだよね」
「俺らは頑張って学校行ったり、働いたりしているのに、ひきこもるのは甘えだと思う」
僕は言葉に詰まってしまった。どんな反論をすればよいのか、分からなかった。
■20歳前後の失敗で人生が終わるわけがない
僕が経験者として、また、多くのひきこもりの若者たちと接してきて言えることは、彼らは決して「怠け者」ではないということだ。
自分の人生を変えたい、けれども様々な出来事を経て自信を失ってしまった、自分ではどうにもできない状況まで追い込まれてしまった……だから勇気を出してキズキを訪れてくれた。
「もう自分の人生は終わりだ」と思いキズキにやってくる生徒も多いけれども、20歳前後の失敗で人生が終わるわけがない。
でも、自分の人生が終わったと思い込んでいたら、人間はなかなか前に進めない。
僕らは、その「思い込み」を解きほぐして、徐々に自信をつけていくことの手伝いをしているだけなのだ。
さらに大事なことは、「困難を抱える人が働く」ことは、本人だけでなく、社会全体にとってプラスだということだ。
働く人が増えれば、税金や年金を払う人が増えることにつながる。
少子高齢化社会において、とても求められていることだと思う。
キズキに通う若者たちも、いずれキズキを卒業して専門学校や大学に通い、その後経済的に自立を果たし、納税者としてこの社会を支える側になる。
それは、この少子高齢化の日本社会に生きるすべての人にとって、重要な話だ。
そういう観点からキズキを応援してくれる人がいたら、それもとても嬉しい。

安田祐輔(やすだ・ゆうすけ)「キズキ共育塾」代表
1983年横浜生まれ。不登校・中退・ひきこもり・発達障害などの若者のための個別指導の進学塾「キズキ共育塾」代表。
幼少期からの発達障害によるいじめ、家庭崩壊、暴走族のパシリなどを経て、偏差値30からICU(国際基督教大学)教養学部国際関係学科入学。
卒業後、大手商社を経て、2011年に小学生の内容から難関大学受験レベルまで学習できるキズキ共育塾を開塾。
現在、全国に5校(代々木・池袋・秋葉原・武蔵小杉・大阪)開塾。「キズキ共育塾」代表 安田 祐輔
〔2018年4/27(金)プレジデントオンライン〕

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