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ブラック校則

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ブラック校則

その校則、ちゃんと説明できますか? ― なぜ、理不尽な校則は変わらないのか
理不尽な校則に6万人のNO!
スカート丈から下着の色の指定、髪の毛を染めさせることまで、なぜ、学校にはわけの分からない校則があるのか、なぜ直そうとしないのか。
子どもたちに苦痛を与える理不尽な校則をなくしてほしい、そんな願いから6万人もの署名が集まり、8月23日に文科省に提出された。
報道記事によると、署名とともに文科大臣に提出された要望書では、次のことを述べている。
(1)生徒の心身を傷つける「ブラック校則」をなくし、いきいきと過ごせる学校にしてほしい。
(2)「校則」と「校則に伴う指導」に関して改めて実態調査をしてほしい。
(3)「ブラック校則」についての問題を認識し、各都道府県、各教育委員会、各学校に対して、校則を改めて見直し、子どもたちの声を反映した改善を行って、適切な運用がされるように通知を出して周知徹底してほしい。
出典:BuzzFeed Japan 記事(2019年8月23日)
当事者や署名に賛同した方の気持ちは大事にしたいが、本来は、校則は、国が出しゃばる話ではない。
各学校の判断(校長の裁量、権限)で修正していくことも、やめることもできるものだ。
置き勉などもそうだが、なんでも文科省の判断や通知に頼らないといけないのでは、「なんのために校長がいるのだ?」という話にもなるのではないか?
「○○ということは校則で定めなければならない」なんて言う法律はどこにもないし、学習指導要領にもない。
校則には法的拘束力はないし、本来はその程度のものなのだ。
参考記事として、先日、憲法学者の木村草太先生に聞いたことをまとめた
毛染め強要あるいは禁止から考える、校則はなんのため?【もっと学校をゆるやかにしよう】
校則をなくした中学校が報道などで注目を集めたりするが、それも、オカシナ話だ。
小学校の多くには変な校則はないし(制服・標準服もないところが多い)、中学校だからといって、校則があることを前提にしているほうがヘンだ。
また、下着チェックなどのセクハラは言うまでもないが、外国にゆかりのある子の増加や発達障がい、LGBTをはじめとして、児童生徒の状況は多様化しているのに、画一的なルールを強要しようとするのは、弊害も大きい。
人権を大事にしよう、とか生徒には言っておきながら、教育が必要なのは教員側のほうではないか、と思ってしまう。
だが、現実には、理不尽な校則が幅をきかせている学校が少なくない。
「ここに自浄作用はないのだろうか」と思える学校もある。
だから、これほど署名活動にまでなるのだろうし、文科省にお願いせざるを得ない状況になっているのだろう。
変な校則は、なぜ生き残っているのか。学校がなかなか変わらない理由をいくつか考えてみた。
理由1:「校則をゆるめると、生徒指導上、面倒になる」と考えているから。
教員にとっては「これは校則だ、ルールだ」として押しつけていたほうが、ラクだから。 「なんで茶髪だとアカンのですか?」、「どうしてピアスはいけないんですか?」、「お化粧はダメですか?」などなど、言っていくとキリがないことは多い。
学校、教員としては、「ルールで決まっている。ルールを守れないヤツは社会人としてもやっていけないぞ」などと言っておいたほうが、話が早いのだ。
だが、この理屈はかなり苦しい、と思う。ルールと言うなら、守らないといけないのは、校則よりも法律だ。
日本は法治国家なのだし。法律で未成年は黒髪でなけれならない、とか規定されていないのだし、法律で決まっていること以外は、学校も、もう少し自由でいいのではないか。
私立学校のように、入学を選択するときに、その校則があることを理解、承知のうえで入る場合ならまだしも、公立中などでは学校を選べない場合も多い。
なのに、「これは学校で決まっていることだから」という理由で押しつけるのは、かなり乱暴だと思う。
それに、生徒指導上大変になるとはよく言われるけれど、本当にそうなら、全国各地の小学校はもっと荒れているはずだ。
だいたい、中学校や高校で生徒指導が大変になるのは、別の背景がある。
もちろんケースバイケースだけれど、ひとつは授業が難しくなって、分からなくなることの影響も大きい。
日中の大部分を占める授業がつまらないので、反抗したくなる子も出てくる。
もちろん、これに家庭環境や友達関係でのストレス、あるいは何かのことがきっかけで膨らんだ教員への不信感などが加わってくることもある。
校則を厳しくすることや、校則に(or 校則で)従わせようとすることは、こういう生徒指導上のしんどい子の背景、要因とはミートしない対策だし、前述のとおり、むしろ生徒の多様化を踏まえると、マイナス影響(校則による指導がイヤで不登校になるなど)のほうが大きいかもしれない。
「頭髪指導とか、スカート丈のチェックをやるヒマがあるなら、授業改善か生徒の本音を聞き出そうとすることに時間とエネルギーを使え!」そう、ぼくは申し上げたい。
理由2:茶髪等では就職活動や入試の面接のときに不利になるなど、校則を正当化する理由を疑っていないから。
これもよく聞く話なのだが、少なくとも2点ツッコミどころがある。
第1に、仮にそうだとしても、それで不利になる(可能性がある)ことは生徒に知らせたうえで、決めるのは本人でもよいはずで、一律に全員に対して規制する理由にはならない。 第2に、「髪の毛の色などで判断されるくらいの就職先なら、わたしは行きたくありません」という子がいてもいい。
IT業界をはじめとして、企業側もそうとうゆるやかになっているところも多い。
こういう意見に、教員側はきちんと向き合えるだろうか?
また、校則を維持する別の理由としては、「学校は勉強するところであり、ファッションを見せる場ではない」というのがある。
それはそうだろうし、たとえば香水がキツくて周りに迷惑がかかるような場合などでは規制してもよいと思うが、特段、学習環境に支障をきたすものでないかぎり、規制する合理的な理由はない。髪の毛の色がなんであっても、勉強も運動もできる。
仮に「学校は勉強する場であり、ファッションはするな」という理由が通るなら、教員側も化粧なし、毛染めなしにするのだろうか?
  理由3:変えると、保護者等の一部から反対があり、面倒だから。
髪の毛の色、化粧などを自由にすると、保護者や地域からクレームが来る。
この対応は、正直毎日が忙しい学校にとっては、大きな負担になるだろう。
一番目の理由とも重なるが、校則で規制しておいたほうがラクなのだ。
だが、この理由もオカシイ。校則を見直す理由をきちんと説明すれば、それほど大きなクレームにはならない可能性もあるのだが、そういう説明や対話をはっしょっている。
また、面倒だ、負担になるからといって、理不尽な校則や必要性の低い校則を維持、強要する理由にはならない。当たり前の話だ。
上記3点の理由以外もあるだろうが、その校則はなんのためにあるのか、十分に合理的な理由はあるだろうか、理由はあっても別の規制方法もあるのではないか、なども考えてほしい。
子どもたちに主体性や思考力が大事だなどと言っておきながら、学校があまりにも前例踏襲で、先生たちに主体性も思考力もないようでは、困る。
★妹尾の記事一覧
妹尾昌俊 教育研究家、学校業務改善アドバイザー、中教審委員(第9期)
徳島県出身。野村総合研究所を経て2016年から独立し、全国各地で学校、教育委員会向けの研修・講演などを手がけている。
学校業務改善アドバイザー(文科省、埼玉県、横浜市等より委嘱)、中央教育審議会「学校における働き方改革特別部会」委員、スポーツ庁、文化庁の部活動ガイドライン作成検討会議委員、NPO法人まちと学校のみらい理事。
主な著書に『変わる学校、変わらない学校』、『こうすれば、学校は変わる! 「忙しいのは当たり前」への挑戦』、『学校をおもしろくする思考法―卓越した企業の失敗と成功に学ぶ』、『「先生が忙しすぎる」をあきらめない』など。4人の子育て中。
〔2019年8/24(土) 妹尾昌俊 教育研究家、学校業務改善アドバイザー、中教審委員(第9期)〕

下着の色指定などを問題視 「不当校則」反対署名が文科相に提出される
地毛を強制的に黒髪に染めさせる、下着の色をチェックするなど、不当な校則をやめるよう求める署名が柴山昌彦文部科学大臣に提出されました。
近年、過剰な校則が増えているそうですが、学校の現場ではどのようなことが起こっているのでしょうか。
署名運動を行ったのは、評論家の荻上チキ氏などが参加する「ブラック校則をなくそう!プロジェクト」です。
同プロジェクトは、教員から髪を黒く染めるよう強制され、不登校になったという出来事をきっかけに発足したもので、約2年間にわたって、過剰な校則に反対する署名をネットで集めてきました。
今年の8月までに約6万の署名が集まり、文科相に提出しました。
同プロジェクトの調査によると、学校の校則は年々厳しくなっており、管理教育が問題視された1980年代よりも状況がさらに悪化しているそうです。
例えば、中学校の校則で「髪の毛の長さが決められていた」人の割合は、10代では26.58%となっていますが、30代では13.74%しかありません。
つまり20年前は髪の毛の長さを校則で決める学校はかなり少なかったことが分かります。
驚くべき項目は「下着の色が決められている」というもので、10代では何と15.82%が経験していますが、30代でこうした校則を経験したという人はわずか1.9%しかいません。
髪の毛の「長さ」はともかくとして、下着の色までも校則で決めるというのは、ほぼ確実に人権侵害に相当するはずですが、この割合が16%もあるというのは、やはり異様な状況といってよいでしょう。
一部では、服装検査の際にブラウスの前を開けさせたり、スカートの中をチェックするケースもあったと報道されていますが、もしこの事例が本当であれば、もはや犯罪に近い状況です。
昭和の時代までは、日本社会も未熟であり、十分に人権が保護されないケースも散見されましたが、平成を経て令和に至る過程で、こうした状況は逐次、改善されてきたはずです。
ところが学校においては、時代に逆行する制度が年々強化されていたことになります。
校則そのものについて否定する人は、一部を除いてほとんどいないと思われます。
それにもかかわらずこうした非常識な校則が生まれてくる背景には、やはり教育現場の閉鎖性が関係している可能性が高いと考えられます。
教育のあり方については、もっとオープンな議論が必要でしょう。
〔2019年9/6(金) THE PAGE(The Capital Tribune Japan)〕

校則が厳しいのに「生徒の自主性を重んじる校風」と書いてしまう素敵な状況について
ブラック企業の求人で「当社はアットホームな職場です」と書かれているというジョークがありますが、ブラック思考に染まった組織というのは、トップも社員も「俺たちはブラックなんだ」ってことにすら気づかないものなんですよ。
世の中には信じられないほどの理不尽ってのが横行するのは何故なんですかね。
ブラック企業より酷いことになっている
最近いじめや不登校の生徒を出してしまっている学校が、いじめを減らそうとさらに校則を厳しくして生徒を締め付けた結果、かえっていじめが陰湿化して収拾がつかなくなったそうで、ICT教育の話の裏側で相当話題になっていました。
ソサエティ5.0とか偉そうなことを教育行政で語る割に、足元ではとんでもない教育の現場が存在しているのは、ブラック企業より酷いことになっている証左じゃないかと思うのです。
個人的に、学校に合わない子どもが不登校になることは、その子ども本人にとって恥でも何でもないと思うんですよ。
もしも、私の子どもが学校で友達と合わない、先生と距離があると言い始めたら、まずは休んで様子を見ようかという声がけをすると思います。
でも、学校は毎日きちんと通うもの、嫌でも給食は全部食べるもの、楽しく遊べる友達は量産するものという「常識」は、子どもによっては大変な負担になるし、むしろ追い詰める原因になると思うんですよね。
子どもの歌で「友達100人できるかな」とか歌うのって、物凄く残酷なことだと感じます。
いま大人になって働いている読者の皆さんで、呼べば集まれる友達100人いる方、どれだけいらっしゃいます? 
おられたらその場で奇声を上げてください。
先生は尊敬しなければならないという不思議な強迫観念
私自身はいじめられることも、いじめることも経験して、いまでは立派な嫌なやつとして世間でおおいに羽ばたいておりますが、学校のクラスで好きなやつもいれば嫌いなやつもいる、好きな先生もいて嫌いな先生もいると受け入れられるようになったのは高校生になってからでした。
それまでは、クラス全体で調和を取らなければならない、先生は尊敬しなければならないという不思議な強迫観念が強かったように思います。
中学時代、私が暴力事件を起こしてしまい学校で問題にされたときに、詰問する先生に理由を聞かれて「学校が楽しくない」と申し上げて非常に驚いた表情をされたのを思い出します。
いまでこそ、クラスメートを殴って良いとは露ほども思いませんが、不愉快なことをしてきた級友に鉄拳制裁をして何が悪いと当時中坊であった私は固く信じておりました。
実際には声の大きい人が勝つという不条理
そんな私の恥ずかしい経験も含めて中学に「講師」として舞い戻った甘酸っぱい話は別のところで書いたわけなんですが、頂戴した反響の中に「学校は、学校内での苦しさを生徒が『自主的に』救済しようとすると邪魔ばかりされる環境だ」というメッセージがあり、膝打ちをしました。
学校と言わず、一般的な職場でも、あるいは町内会やマンションの管理組合でも、必ず誰かに「伺い立て」をし「根回し」してから「承認された」風の空気感を得てはじめて前に進めるという、実に風通しの悪い閉塞感の原因になっておるよなあ、と。
そこには、誰もが「公平」に扱われるべきだという建前と、実際には声の大きい人が勝つという不条理とが混在し、社会ではそういう理不尽を受け入れるのが大人として当たり前であるというブラック企業なみの刷り込みがあるように感じます。
「おまえ、noteぐらいやっとけよ」と若者に煽られる選ばれし者の記憶|山本一郎(やまもといちろう)|note(ノート)
https://note.mu/kirik/n/n8c8f00c47ce5
それもこれも、大部屋で机並べて先生が前で講義し、それを生徒が揃って聞き、板書をノートに書き記して出された宿題を粛々と提出することが「勉強である」という、子どもにとって「平等な」日本の教育の情景の伝統が送させている部分もあるのではないかと思うわけです。
真の平等なんてどこにもないんじゃないか
学校も社会も平等であるべきなのに、実際には違います。
人間関係がより流動的であった中学受験の学習塾ではいじめなんてものは起きようがなかったし、草野球でも部活でも固まった人間関係ができるたびに必ず誰かが攻撃の対象になったり陰口を言われたりして、最後は「あいつはああいうやつだから」と突き放された結果、その場にいられなくなって辞めていくという経験則を持っています。
固まった人間関係があまり持てない大学文系の教養課程はノートの貸し借り程度の付き合いでも充分勉強することはできたし、より高度な勉強をするはずのゼミではやはり「あいつはおかしい」と外される奴が出て、留学先の寮では異国文化に慣れ親しめない留学生はやはりルームメイトから邪魔者扱いされて週末に街中に出るための車にすら乗せてもらえないとかいう事態が起きる。
それが人間の性だとするならば、異質なものを異質と認識した途端にハネたり外したりするのもまた避けられない宿命なんだろうと思うわけですよ。
人間の織り成す社会において、真の平等なんてどこにもないんじゃないかとすら思います。
中学受験をする教育熱心な家庭が公立で子どものいじめに遭い、同じく受験を志す家庭の多い私学に編入しようとしたり、どうせ学校の授業は受験の役に立たないからと不登校上等で塾通いをメインに据えて学校に呼び出される保護者みたいな話を聞くにつけ、家庭環境と子どもの自主性・自律性とが学校と合わなかったときの選択肢をもっと自然に増やせないものかと思うわけです。
その子どもの資質や、家庭の環境、目指すべきものが違えば、当然環境もそれに合わせてあげないと、可哀想なのはその子どもの精神です。
画一的な教育を続けてきたことへの総括は?
翻って、文部科学省もようやくそういう我が国の初等中等教育が抱える諸問題に気づいて、いまさらになって文科大臣である柴山昌彦さんの名前を冠した「柴山・学びの革新プラン」なるものを発表するようになりました。
「新時代の学びを支える先端技術活用推進方策(最終まとめ)」について
http://www.mext.go.jp/a_menu/other/1411332.htm
でも、ここのお題目に掲げている「多様な子供たちを『誰一人取り残すことのない、公正に個別最適化された学び』の実現」という内容は、まさに大部屋での教育を明治維新以降脈々と続けてきた日本の文部科学行政が光を当ててこなかった部分ではないかと思うんですよね。
それも、大部屋の教室で、一斉に全員が同じことを学ぶ、画一的な教育を続けてきたことへの総括も反省も評価も弁明もない。
「子どもの個性が大事だ」と言いながら、決まった制服、同じような授業内容、厳しい校則で縛り上げて、できる子どもほど学校の外に良い教育を求めて塾に通ったりネットを駆使したりする。子どもが抱える悩みや求められた助けに気づいた家庭が学校から子どもを引き剥がしてあげることでようやく家庭と子どもが自主性を発揮したはずが、不登校は悪だという単純な図式をもとに登校を促し、また、学校の現場だけでなく教育委員会も平然と「いじめはなかった」と認定してしまうような体たらくを繰り返すことで、いままでどれだけ多くの子どもたちが輝ける幼少時代を辛い記憶に塗り染めていまを生きてきたかについて、もう少し思いを致す必要があるんじゃないのかなあと思うのです。
実に悲しいことです
また、時を同じくして経済産業省も「未来の教室 EdTech研究会」と題して、最先端の教育技術と生徒参加型のSTEAM教育のような手法、さらにプログラミング教育や人工知能を活用した個人の学び方の話まで突っ込んでいろいろと議論が深まっています。
ここだけ見ると、文科行政のシマを荒らされたくない文科省が、先行した経産省のプロジェクトでの検討内容を表面だけパクって中教審に諮問ぶん投げて、無理矢理「柴山プラン」として仕立て上げただけなんじゃないかという微妙な疑念すら持ちます。
文科省だけがおかしいわけではないけれど、長らく日教組との闘いもあって教育の現場を日干しにした結果が、むしろ多様な生徒をマネジメントする機能を失った教育組織が事なかれ主義をこじらせて生徒に厳しい校則を守らせることでしか規律を維持できなくなっている姿を思い浮かべさせてくれます。実に悲しいことです。
令和の教育改革に向けた、「未来の教室ビジョン」をとりまとめました
「未来の教室」とEdTech研究会 第2次提言
https://www.meti.go.jp/press/2019/06/20190625002/20190625002.html
この辺の話を見ていると、いまの日本の教育は義務教育だけでなく、高校、大学入試、大学、さらには科研費の分配や論文数の低迷のところまで、相当な制度疲労を起こしていて、どこから手を付けたらよいのか分からないぐらいの状況になっているのではないでしょうか。
仮に世界的な学力比較のPISAが高かったからと言って、日本の科学技術や国民全体の学識のレベルが上がっているとはいえないとも思えます。
なりたい人は誰でも教員になれてしまうぐらいの倍率
そして、日本の先生、教員はブラック企業もかくやというほどストレスフルな勤務状況を強いられる一方で、かつての難関であった教員採用試験はすっかりと色褪せ、いまではなりたい人は誰でもなれてしまうぐらいの倍率になってしまい、優秀な教員に支えられた日本の教育の現場という比喩自体が崩壊してしまっています。
一番忸怩たる思いをしているのは日本全国で子どもたちの教育の前線に立っている先生がたでしょう。
英語を喋れない英語教師が量産されたと酷評された時期もありましたが、いまではそれよりも酷く、教員の定員が維持できないので体育教師が社会を教えたり、課外活動や学校行事を行える人員が確保できず働いている保護者たちの協力も得られないので活動そのものを縮小したり取りやめる学校さえも出てきています。
こうなると、先端技術を学校の現場で活かせといっても、それに対応できる先生の数も質も足りず、高齢化した教員にプログラミングを子どもに教えさせることで「子どものほうがプログラミングに詳しい状況」となってしまえば、子どもにどうやって「先生を尊敬しろ」と言えるのかという哲学的な状況にまで達してしまうことになります。
結果として、学校の、先生の、システムの尊厳を維持するために、どうしても校則を厳しくして、生徒がそれを守っているという状況にしない限り、日本の公教育の現場を成り立たせることができないのではないか、と危惧するのです。
「お前ら、先生だぞ。言うことを聞け」という、古き昭和のプロトコル。
一層の抑圧を生徒に求める規律の取れた学校像の美化へ
だって、プールカードはハンコによる捺印でなければ入れない学校とか平然とある状況なんですよ。理由もなく「学校が決めたことだから守ってください」というのは、もはや世間で通用する組織の言うことじゃありませんよ。
もちろん、これは一例であって、もっと柔軟な大多数の学校はそうではないかもしれませんが、茶髪やパーマ、制服の問題でも「何が学校教育に求められているのか」が不在のまま校則だけが厳しくなり、また、保護者や地域の目を過剰に気にした結果が一層の抑圧を生徒に求める規律の取れた学校像の美化へと繋がっていくわけですよね。
小学校のプールカードに保護者がサインで出したら入れてもらえなかったので学校に聞いてみた - Togetter
https://togetter.com/li/1370711
「黒染め強要で不登校」生まれつき茶髪の女子高生が提訴:朝日新聞デジタル
https://www.asahi.com/articles/ASKBS6D22KBSPTIL024.html
そういう意味不明な強制と矯正が平然と行われている日本の教育で、自律性や自発性を重んじるべきSTEAM教育やらプログラミング教育、あるいはアクティブラーニングが日本の社会を開きますと文部科学省に言われても困ります。「文科省、お前はそれをどの口で言うのだ」と現場や保護者や生徒から一揆でも起こされるんじゃないかと思いますし、学習ログを吸い上げるために生徒1人1台PCを配ったとしても特定の企業が潤うだけだという議論になりはしないか心配でなりません。 みんな、口では「子どもの教育は大事だよ」と言うのです。でも、そこで起きていることが世間一般のブラック企業も真っ青になるような、ツヤツヤの漆黒も同然の状況だとしたら、子どもをいったいどこで教育すればいいのでしょうか。教育には100点満点などないけれど、せめて胸を張って「この学校に来てよかった」と言えるような教育システムになっていってほしいと願っています。
〔2019年7/4(木)山本 一郎 文春オンライン〕

「授業中のくしゃみは3回まで」意味不明すぎるブラック校則
「ブラック校則」という言葉をご存じですか?  学校の秩序や規律を守るための校則ですが、その中でも、あまりに理不尽であったり意味不明だったりする校則を、「ブラック校則」として疑問視する声が大きくなっています。
厳しすぎる校則への批判は、実は1980年代くらいからたびたび起こっています。
特に、1990年に兵庫県神戸市の高校で起きた事件は、校則の是非に関して大きな議論を呼びました。
これは、ある女子生徒が登校時、閉められかけた校門に駆け込み、遅刻取り締まりをおこなっていた教師がそれに気づかず校門を閉めようとしたために、女子生徒が頭部を門に挟まれ死亡した、という痛ましい事件でした。
では、現在では、どういった議論が起こっているのでしょうか? 
「ブラック校則」とは?
いわゆる「ブラック校則」として挙げられるのは、たとえば、
「下着の色指定」
「女子のポニーテール禁止」
「ツーブロック禁止」
「部活動の強要」
など、合理性に欠けるばかばかしいものばかりです。
中には、「授業中のくしゃみは3回まで」
「夏休みに髪を切る場合は先生の許可が必要」
「男女が2m以上近づいてはならない」
「試験期間中はマフラーの持ち込みを禁止」
といった、意味がよくわからないものも見られます。
ここまでくると、理不尽すぎて笑うしかありません。
黒染め強要は人権侵害だ
こうした理不尽な校則に対して、最近、抗議の声が広がり始めたのは、2017年10月に大阪府の公立高校に通う女子生徒が、学校側から「髪の黒染め」を強要されたとして、大阪府に損害賠償を求めた、という一件がきっかけにあります。
女子生徒はもともと茶色い髪色であるにも関わらず、しつこく黒染めを強要され、出席を認められないなどの扱いにより最終的に不登校になってしまったといいます。
こうした黒染め強要などは、個人の尊厳を軽視したものと言えます。
先の一件を経てNPO団体「ブラック校則をなくそう!  プロジェクト」が発足するなど、校則見直しの動きが強まっています。
同団体が2018年3月に実施した調査では、
「3人に2人が中学時代、2人に1人が高校時代に『ブラック校則』を経験している」
「生まれつき茶髪の人で高校時代に黒染め指導を経験した割合は20%」
「10代の回答者のうち、6人に1人が中学時代に校則で下着の色を決められていた」
など、多くの人が「ブラック校則」の指導を受けたことがわかりました。
また、服装や髪形にまつわるブラック校則は、昔からの伝統等ではなく、最近になってからより増えているということも指摘されています。
ブラック校則に対する声
こうしたブラック校則については、多くの人が、自らの実経験なども含め、ネット上でさまざまな意見を発信しています。
たとえば、以下のようなものです。
「生理だったんで体育を休みにしたのに、代わりに校庭を走らせられた」
「爪検査で爪に白い部分があるとなくなるまで切らされた」
「雪降って電車止まるような寒い日でもコート禁止だった」
「単に教師が思考停止してるだけ」
「あまりにも厳しいと守らない人増えるよね」
一方で、主に校則について声を上げる人に対して、
「義務があるから権利があるってわかってる?」
「ある程度規制があったほうが自由度が広がる」
「ホントに無茶苦茶なのはなくすべきだけど、騒いでる連中の大半は気に入らない校則を『ブラック校則』って呼んでるだけ」
「規制をゆるくすると中学生は悪ノリして髪染め出すからブラック校則になるのは仕方がない」
「自由にしていいのは自律できる生徒が多い進学校だけ。底辺校で自由にしたら終わるだろ」
と指摘する意見もあるようです。
ブラック校則の裏にあるのは
ブラック校則の中でも特に身だしなみに関するものは、「スカートの丈」「髪色や髪型の指定」など、ある程度普及しているものも多くあり、一見すると校内の規律を保つためのもののようにも思えます。
しかし、それらはよく考えると、合理性や必要性がなかったり、偏ったジェンダー観や思い込みに基づいていたりするものも多いのではないでしょうか。
女子生徒の下着やスカート丈を「痴漢防止」「男子生徒の劣情をあおらないように」と指定するのは、性暴力の原因が女性の服装にあるという誤った認識の促進になってしまいますし、しばしば耳にする「白無地の下着」は白シャツなどで透けやすい色になるため、意味のある指定とは言えません。
また、地毛が茶色の生徒に黒染めさせるというのは、「黒髪以外は不良、不真面目」といった思い込みがあるかのように思えます。
校則は時代に合わせて変わっていくべき
一方で、プロクター・アンド・ギャンブルジャパン株式会社によるアンケート調査では、現役教師200人のうち、92.5%が「時代に合わせて、校則も変わっていくべき」と回答しており、校則に関する意識は確かに変化してきていはいるようです。
学校という集団生活の場において、もちろんルールは必要です。
ですが、校則という規律を保ち生徒を導くための手段が目的化し、行き過ぎている部分が見られるのが現状でしょう。
「校則だから従わなくてはならない」という思考停止から抜け出し、どういったルールが必要なのか、いま一度、考え直すべき時に差し掛かっているのではないでしょうか。
〔2019年4/20(土)クロスメディア・パブリッシング LIMO〕

毛髪登録申請、下着の色指定… まだ存在する時代にそぐわない「ブラック校則」
近年、もはや人権侵害だと言われている「ブラック校則」。
岐阜県の県立高校63校の校則について調査を行い、結果を受けて市民団体は「時代にそぐわない校則が多く、生徒の自由や自主性を奪っている」と主張した。
■地毛を黒く染めるよう指導
到底納得のできない、理不尽な校則を「ブラック校則」と呼ばれるようになり、取り上げられることも少なくない。
ここ数年で国内のみならず海外でも話題になったのは、2017年に報道された大阪府立高校に通う女子生徒の髪の毛に関しての指導だ。
生まれつき、茶色い髪の毛だった女子生徒がいた。
女子生徒の母親は、2015年の入学時にこのことを説明していたにも関わらず、教師らは女子生徒に黒く染めるように指導したという。
■授業や学校行事を拒否され不登校に
女子生徒は、色が戻る度に染め直しを続けていたため、翌年から頭皮にかぶれや痛みを感じるようになってしまった。
しかし指導は変わらないどころか、黒く染められていないことを理由に、授業を受けさせなかったり、修学旅行に参加させなかったりすることもあったそうだ。
そして女子生徒は不登校になった。
2017年、女子生徒はおよそ220万円の支払いを求めて提訴。
府は「茶髪は生まれつきではない」と反発し、女子生徒と全面的に争う姿勢を見せた。
この件は、海外メディアでも取り上げられ「こんな校則があるなんて信じられない」「人権問題だ」と批判の声で溢れていた。
■「自由や自主性を奪っている」校則多数
先日、弁護士の河合良房氏が代表を務める市民団体「子どもの人権ネットワーク・岐阜」は今年度、岐阜県内の県立高校全63校を対象に、校則の実態を調査・取りまとめたことを発表した。
結果、「身だしなみに関する校則」については、20校が生徒の髪の色や髪質が生まれつきのものかを調べる「毛髪登録申請書」を提出させるなどを行っていたという。
また下着の色に関しては、10校が「男子は白色無地」の規定、8校は「女子は柄物禁止」または「白色でワンポイントまで」としていたようだ。
これらの結果を受けて、河合弁護士は服装や活動などを必要以上に制限することは「ブラック校則」に当てはまると指摘し、「時代にそぐわない校則が多く、生徒の自由や自主性を奪っている」と主張した。
■3分の2「校則に意味はなかった」 
しらべぇ編集部が全国の20代〜60代の男女1,500名を対象に「校則」について調査を実施。
65.7%の人が「学生時代の校則には意味がなかった」と回答している。
件の女子生徒の問題でも、多くの批判があったが、古くからの風習を肯定する意見もあったという。
「校則」の線引きは難しいこともあるのだろうが、人権侵害になっていないか、悪しき風習ではないのか…。
たとえば女子生徒が男性教師に(同性同士も、逆もまた然り)下着の色を報告することは、精神的苦痛を与えてはいないだろうか…単純に「自分だったらどう思うか」と考え、時代の変化とともに、見直しをしていくことは必須だろう。
(文/しらべぇ編集部・長谷川 瞳)
【調査概要】方法:インターネットリサーチ「Qzoo」調査期間:2014年10月17日〜2014年10月21日
対象:全国20代〜60代の男女1,500名(有効回答数)
〔2019/3/2 しらべぇ〕

白い下着以外は脱がして没収? こんな「ブラック校則」が子供たちを壊す
「女子の下着の色が白と指定されており、修学旅行の荷物検査で一部分が白でない下着を持っていた生徒が没収され、そのまま2泊3日をノーブラで過ごさせられた」(佐賀県・公立中学校・保護者)
「『下着の色は白のみ』という指導をされ、改善するまで教室に入れなかったり、行事に参加できなかったり、下着を脱がされたりする」(奈良県・公立高校・当事者)
「髪を短めにしていたのに、くせ毛の前髪を手で伸ばされ『眉毛にかかっているからアウト』と指導された。
その夜に自分で前髪を切ったが、翌日の再検査で『自分ではなく床屋で切ってもらって領収書を見せろ』と要求された」(埼玉県・公立高校・当事者)
「子どもの髪の地色が茶色く、そのことを指導されたため美容院で黒く染めたが、翌日まだ茶色いと指摘された。
白髪染めを何度も使い、かつらのように真っ黒になったらようやく許してもらえた。以降も毎月『光を当てたら髪色がまだら。染めているはず』と言われる」(福岡県・私立高校・保護者) 
※すべて『ブラック校則 理不尽な苦しみの現実』(荻上チキ・内田良 東洋館出版社)からの抜粋
こんなトンデモ校則がいま、子供たちを縛り付けている。
昭和の時代、教師による体罰は珍しいことではなかった。校内暴力が社会問題化していた当時、体罰とともに、生徒たちの管理という目的で「前髪は眉毛の上で揃える」「スカートの丈はひざ下10センチ」などといった理不尽な校則も日本各地の学校で見られた。
こうした空気が残る1990年7月、神戸市内の高校で起こった『校門圧死事件』は生徒らを厳しい校則で厳重に管理していた当時の学校の現状を世間に広く知らしめ衝撃を与えた。
この高校では教師らが校門付近に立ち、ハンドマイクでカウントダウンをしながら、生徒たちの遅刻指導をしていた。
登校門限時刻に合わせ一人の教師が門扉を閉めようとしていたところ、女子生徒が閉まる門の間に駆け込んできた。
だが教師は門を閉める手を止めることはなく、女子生徒は門に頭部を挟まれ、死亡したのだ。
それから30年。
“荒れた学校”が少子化とともに減少したと思しき現在でも、こうした校則は残っているどころか、生徒たちの人権にかかわる『ブラック校則』が、いたるところで存在する。
2017年、生まれつき茶色の頭髪を、黒に染めるように学校から強要されたことで不登校になったとして、元生徒(19)が大阪府に慰謝料220万円の支払いを求める訴訟を起こした。
大阪府は「茶髪は生まれつきではない」などとして全面的に争っている。
頭髪の色は黒、という校則は現在も全国の学校にあり、そのため「生まれつき茶色の髪を黒く染めるように学校に命じられる」という経験をした生徒たちも後を絶たない。
この『黒染め訴訟』の報道をきっかけとして、評論家の荻上チキ氏らが中心となり『ブラック校則をなくそう! プロジェクト』を発足。プロジェクトに賛同する署名を集めたほか、広くアンケートを実施し、『ブラック校則』の実態について調査を行なった。
この結果をまとめたのが今年7月に刊行された『ブラック校則 理不尽な苦しみの現実』(荻上チキ・内田良 東洋館出版社)だ。
ここには、校内暴力で荒れた学校を知る世代も驚くような現状が記されていた。
『黒染め訴訟』同様、生まれつき茶色の頭髪を黒く染めるよう学校から求められるのは決して珍しくなく、違和感を感じ学校に相談した保護者が学校から「規則ですから」「嫌なら辞めても良い」と言われた事例もあった。
また同プロジェクトが今回行った調査で最も多くの声が寄せられたのが冒頭でも挙げたような「下着チェック」の増加だ。
しかも地域限定というわけではなく全国的に見られる。
「下着の色は白のみ。中学3年の時に、プールの授業があった日の放課後に男性教諭から呼び出され『下着、青だったんでしょ? 白にしなきゃダメだよ? 気をつけてね』と言われた」(愛知県・公立中学校・当事者) このように白い下着の着用が校則で規定されている学校がいくつもある。また、
「『汗をかくから』という理由で、地域全体で小・中の体育の授業では肌着着用が禁止。男女一緒で、倒立の練習など服がはだけるような運動もしている」(愛知県・公立小学校・保護者)
  と、肌着そのものの着用を禁じている学校もあるのだという。
『ブラック校則をなくそう!プロジェクト』の発起人であり同書の著者である荻上チキ氏は、今回寄せられたブラック校則の実態についてこう語る。
「1980年代が管理主義と言われていた時代だと思うんですが、むしろ今回のアンケートでは下着の色や毛髪の色などについてチェックを受けたという声が多かった。
かつてのような丸刈りや体罰などは減っていますが、ソフトな管理が増えているなという印象です。
少子社会になり、学校側が『非行に走らない良い子が通っている』ことをアピールするためにこうした管理が増えているのではないでしょうか」
同プロジェクトではすでに3万人の署名が集まっている。今年、機を見て文科大臣に提出する予定だという。
最終的な目標は、文科省がこの現状を認識し、通達を出してもらうことだ。
「校則の厳しい学校というのはいじめが増えるというのは、それまでの研究からも明らかです。
ストレスを与え続け子供達の自由を奪うことで、休み時間などでのストレス発散方法として『いじめ』に向かう流れなのだと思います。
環境を整えるためには校則を厳しくしないほうが良いんです。
また学校校則の問題について議論する時には『嫌なら辞めれば良い』という声もよく聞くことがあるんですけど、不登校はいま現在、10万人から12万人ぐらい。
10パーセントが学校の校則などがミスマッチで学校に通えなくなったという調査結果が出ています。
『嫌なら学校に行かなければ良い』というのではなく、学校が嫌で行けない子がそれだけいるという現状をどうすれば良いのかを考えることが大事な議題だと思います」
不登校に関しては昨年11月に衝撃の報告が発表されている。
小・中学校で教員に給食の完食を指導されたことがきっかけで不登校や体調不良になったなどの相談が2017年5月~2018年9月、支援団体である『日本会食恐怖症克服支援協会』に延べ1000人以上から寄せられていたことが分かったのだ。
嫌いな牛乳を無理やり飲まされたことがきっかけで子供がPTSDを発症し訴訟に至ったケースもある。
不登校の増加を食い止めるのは、子供への人権侵害にも等しい完食指導や『ブラック校則』を見直すことから始まるのではないか。
〔2019年1/16(水) 取材・文:高橋ユキFRIDAY〕

黒染め強要に下着の色チェック――驚くべき「ブラック校則」の理不尽な実態
『ブラック校則』を上梓した評論家の荻上チキ氏と、日独ハーフのコラムニスト、サンドラ・ヘフェリン氏。
不条理な学校の校則の背景には何があるのか?
生まれつき髪の色が茶色い生徒が「黒染め」を強要される。「下着の色は白限定」で、違反したら没収される――。
評論家、荻上チキ氏と名古屋大学大学院准教授、内田良氏の共編著『ブラック校則 理不尽な苦しみの現実』(東洋館出版社)には、驚くべき不条理な校則の実例が多数紹介されている。
【写真】対談する荻上氏とサンドラ氏
そこまで厳しく生徒たちを管理する背景には、何があるのか? 
荻上チキ氏と、日独ハーフのコラムニスト、サンドラ・ヘフェリン氏が語り合った――。
***
荻上 まず、本書が生まれた経緯を説明しますと、きっかけは2017年に大阪府の女子高校生が起こした訴訟でした。
サンドラ 生まれつき髪の色が茶色い女子生徒が「黒染め」を強要されて不登校になってしまい、精神的被害を受けたとして学校側を提訴した件ですね。
荻上 これと同じようなことはずっと繰り返されてきました。
1980年代には「丸刈り裁判」といって、丸刈りを強要された男子やおかっぱを強要された女子が次々と学校を訴えていったんですが、ことごとく負けてしまった。
今は社会通念がだいぶ変化して、司法は社会通念に大きく影響を受けることもあるので、この裁判の行方には注目しています。
この一件がメディアでも大きく取り上げられたとき、「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」が立ち上がり、私はスーパーバイザーとして参加しました。
なぜ、このような理不尽な校則がいまだにまかり通っているのか、それを説明するデータがなかったので、量的・質的な実態調査を行なったんです。
10代~50代の男女2000人からアンケートを取るとともに、「#ブラック校則」などのハッシュタグを作り、具体的な事例を集めていきました。
調査開始当初には「まだこんな校則が残っているのか......」という程度の結果を予想していたのですが、「下着の色指定」「スカートの長さ指定」「眉手入れ禁止」など、むしろ校則の項目は多面化し、増加傾向にあることがわかり、正直、驚きました。
サンドラ 本当にびっくりするような酷い事例がたくさん掲載されていますね。
最も衝撃的だったのは、愛知県の公立中学校に通っていた女性が寄せたエピソードです。
3年生のとき、プールの授業があった日の放課後、男性教諭に呼び出され、「下着、青だったんでしょ? 白にしなきゃダメだよ」と言われたという。
すごく気持ち悪いなと思って。いったい、この先生はどうやって調べたのでしょう?
荻上 他の生徒によるチクリでしょうね。
校則を守っている生徒が、そこから逸脱した人をリークするという相互監視です。
サンドラ 校則は相互監視を助長し、いじめの一因になってしまう恐れもありますよね。
そんな校則にどんな有用性があるのか、私にはまったく理解できないのですが、良い部分ってあるんですか?
荻上 良い部分があると先生たちが思いこんでいるのが実態です。
先生たちにとっては、生徒がトラブルなく卒業することが重要なんです。
昔なら「非行防止」という一定の合理性はあったかもしれませんが、いまや「茶髪=不良」ではありません。
現在の学校側のロジックとしては、「オシャレ禁止」「平等原則」があります。
「学生の本分は学業」だから、それ以外の部分に力を注いではいけない。
そして、生徒たちを画一化することで平等が担保されるという理屈です。
サンドラ 「みんな同じ=平等」という考え方は危険だと思います。
生まれつき髪が茶色い子供や天然パーマの子供に黒染めやストレートパーマを強要することで、本当に平等が実現するのでしょうか? 
黒染めがうまくいかなかった子供がやり直しを命じられた事例や、くせ毛の前髪を手で引っ張られて「眉毛にかかっているからアウト」とされ、自宅ではなく理容室で切って領収書を提出しろと求められた事例も紹介されていますね。
そこには精神的・肉体的苦痛だけではなく、少なからぬ経済的負担も伴います。
荻上 本来、公平性というのは多様性に対して開かれたものであるはずです。
しかし、「みんな同じ」にすれば対立や嫉妬は生まれないという誤解が、ブラック校則の温床になっているんです。
サンドラ でも、実際は対立や嫉妬が生まれていますよね。チクる人がいるわけだから。
荻上 公平主義ではなく全体主義で、相互監視してルールから逸脱した人をリークして罰するというような状況が生まれている。
これは教育としては非常に不健全です。
本来なら、なぜ私は彼や彼女とは違うのか? なぜ規範を逸脱した子をズルイと思うのか? 
そもそも本当にそれはいけないことなのか?......授業でディベートのテーマになってもおかしくない問題です。
先生はとても忙しいのでそういったことに時間を割けないという現実があるわけですが、「生活指導」の時間はしっかり取っていますよね。
私はこれを「ソフトな管理主義化」と呼んでいますが、その教育的効果はまったく検証されていません。
サンドラ ヨーロッパの人に日本の校則の話をすると、笑いが起きるんです。
「前髪は眉毛を越してはいけないんだよ」とか、「靴下の色が決まっているんだよ」と話すとみんな笑います。
でも、この本を読んで校則の酷さを詳細に知ると、まったく笑えない。
ドイツの教育現場はもっとあっさりしていて、「学校は勉強だけをする場所」というのが一般的な認識です。
だから先生は、生徒の服装や持ち物などにまったくタッチしません。
勉強だけやって、あとは各々勝手にやってくださいという考え方で、そもそも「校則」という概念すらありません。
日本では生活指導とか人格形成とか、勉強以外の測りきれない部分にまで手を出すから、ブラック校則のような弊害が生じるのではないでしょうか。
立派な人間を育てるというもともとの志はいいと思いますが、今、いったんそこから離れたほうがいいのではないかと。
荻上 道徳の教科化を含め、表向きは人間教育を掲げていますが、ひとりひとりの権利を尊重し、みんなが生きやすいルールを作るための指導にはなっていないわけです。
社会秩序から逸脱しないことを是としますが、どういう社会秩序が望ましいかという前提の議論はない。
「日本人らしさとは」を饒舌に語りたがる人が増えている背景にもなっていると思います。
サンドラ 私は22歳までドイツで暮らしていましたが、日本の小学校に1年生のときに体験入学したことがあり、そのときの経験は強烈な記憶として残っています。
クラスで一番背が高かったので、席順も、朝礼のときも常に後ろで、「え、自分で座る場所や立つ場所を選べないんだ......」と。
日本にはドイツにはない文房具がたくさんあって、私はかわいいキャラクターの絵が入った筆箱を日本の思い出として集めていたんです。
日替わりで違う筆箱を持っていったらクラスで騒がれてしまって、「筆箱は一個にしなきゃダメなんだよ」とか同級生から責められるわけです。
なんで怒られているのか、まったくわからなかったのですが。
荻上 筆箱の色が指定されていたり、キャラクターの絵が入っている文房具は一切禁止という学校は多いですよ。
サンドラ そうなんですか。
集団登校、集団下校という慣習も、ドイツの幼稚園を出たばかりだったので知らなくて、勝手に近道して帰ろうとして怒られたこともありました。
ドイツに戻ったら、日本で経験したようなルールは一切なかったから、あれはいったいなんだったんだろうって子供ながらに思いました(笑)。
ブラック校則による健康被害の危険性もありますよね。
冬の寒い時期でも「ダウンコートを着てはいけない」とか「女子生徒はスカートの下にタイツを穿いてはいけない」とか。
日本には「冷え性」の女性が多いのに、なんだかなあ、と思いますよ。
「子供は風の子」という言葉がありますが、寒いときはちゃんと暖かい服を着ようよって思います。
余談ですが、日本人は「ドイツやロシアの人は寒さに強い」とよく言いますが、彼らは大人も子供も寒いときはみんな厚着や重ね着をして、かなり着込んでいますよ。
荻上 寒さに強い体を作るという大義名分があったとしても、そもそも酷寒に身を投げ出されるような状況はそうそうないですから(笑)。
本来なら、適切な防寒方法を教えるべきですが、ここでも「平等原則」が顔を出すんです。
サンドラ え、例えばダウンコートをOKにしたとして、どういう不平等が生じるんですか?
荻上 人によって異なるダウンコートやマフラーを身に付けてもいいとなると、色やデザインで個性を出す生徒が出てきて、あの子はオシャレだとか派手だとか嫉妬が生まれるから、一切禁止にすればトラブルは起きないという発想です。
服装に関して言うと、私は制服を廃止することが一番いいと思っているんですけど。
サンドラ 私もそう思います。ちなみにドイツの学校には原則「制服」はありません。
荻上 制服は「性のアイコン」になってしまっている一面もあるので、なくすことによって痴漢の被害に遭う可能性を減らすこともできますよね。
学校の先生は、「スカートの丈が短いと痴漢に遭う」という理由で長さをチェックしますが、そんなデータはないですし、本当に生徒を痴漢から守りたいのであれば、まずはズボン着用を認めるべきでしょう。
サンドラ ドイツにも、女性は専業主婦で膝丈のスカートを穿いているのが好ましいという社会規範のようなものがありましたが、それは半世紀以上前の話です。
今は女性もスカートではなくパンツ(ズボン)が多いですね。
ところで、健康被害の話で言うと、「日焼け止め持ち込み禁止」も不合理です。
荻上 日焼け止めクリームは家で塗ってくるのは認めるが、学校に持ち込んではいけないというルールですね。
これも「オシャレ禁止」「平等原則」のロジックによるものです。
しかし、夏の暑い日などは汗で流れてしまうので、二度塗りしたほうが効果的だというのは常識だし、WHO(世界保健機関)は、子供時代に紫外線を浴びることは後の人生においても健康リスクを高めるとして、学校で日焼け止めを積極的に使用することを推奨しているんですよ。
サンドラ ヨーロッパでは日焼けに関して無頓着な人が多いのですが、日本では化粧品メーカーのコマーシャルを見ると、「私は絶対焼かない!」とか「美白信仰」がありますよね。
でも、学校では日焼け止めが禁止されているとなると、子供たちは混乱するのではないでしょうか。
荻上 「男はこうあるべし」「女はこうあるべし」というジェンダーコードがあるように、年齢によるコードがあるのでしょう。
つまり、「中学生は日焼けしているのが健康的で好ましい」という。
「服装の乱れは心の乱れ」という言葉がありますが、「心の乱れ」とは何かというのは、社会規範が決めているんです。
強固な社会規範は「同調圧力」となり、出る杭は打たれる。
でも、その「乱れ」は誰に迷惑をかけているんですか? 
私の髪の毛が茶色で、あなたの考える規範からは外れているかもしれないけれど、それでなにか迷惑かけましたか? 
ツーブロック禁止、カチューシャ禁止......
それが何を乱すのかが検証されないまま、校則は生徒の自主性を奪い、権利意識を奪い、思考のチャンスを奪っているんです。
サンドラ 私が心配しているのは、不条理な校則に疑いを持たない子供が、画一的な価値観を持った大人へと成長していった場合に、例えば外国人やLGBTの人など、自分とは違う者を排斥したりしないかと。
テニスの大坂なおみ選手のように誰が見てもハーフだとわかる人もいますが、祖父母や曽祖父母が外国にルーツを持つ子供などは、それほど見た目が日本人と変わらないんですよ。
ただ、髪がチリチリだったり赤毛だったりする。
そのため学校から確認を求められ、怒っているお母さんもいます。
荻上 いわゆる「自毛証明」を求められるわけですね。
サンドラ 先生が「大変恐縮ですが、娘さんの髪はもともとの色ということでよろしいでしょうか?」と。
黒染めを求めているわけではないのですが、外国にルーツを持つお母さんとしては、「確認されること」自体が不愉快。
だって、「お子さんのホクロはいつからあるんですか?」とは確認しないでしょう。
人の外見はすごくセンシティブなものです。先生の事情も理解できますが、言われたほうの気持ちも考えてほしいですよね。
荻上 その背景には、学校間の競争もあると思います。
教育現場で非行やいじめをなくそうとさまざまな試みがされる中、地域や教育委員会から、あそこの学校の生徒たちは規範を守っているかと厳しくチェックされるんです。
学校側も、少子化で生徒の取り合いになっている中で、「わが校の生徒たちは髪の色も黒で、制服もきちんと着て、みんないい子ですよ」とアピールしたい。
そして、厳しい校則を肯定的に捉えている保護者が多いことも事実です。
サンドラ 面白い話があります。横浜に「ドイツ学園」という、幼稚園から高校までドイツ国内と同じ教育が受けられる学校があります。
ここに通うのはドイツ人の子供やハーフの子供なのですが、近隣の日本の中学校から電話がかかってきたというんです。
そこの中学生がコンビニの前で飲食をしていて、先生が注意すると、「ドイツ学園の子たちもみんなやっている」と反論したそうです。
そこで「なんとかなりませんか」と電話がかかってきたのですが、ドイツ学園の返答は「何もできません」と(笑)。
荻上 なぜダメなのかを説明できない校則なんて廃止してしまえばいいのに。
しかし、偏見が育ちそうですよね。
日本では、「コンビニでたむろする=不良」のイメージがありますから、「不良外国人」というレッテルが貼られてしまうかもしれない。
異なる行動様式のようなものにまで、過剰な意味づけをしてコードを強化するという方向に校則は機能してしまうので。
ブラック校則を野放しにしていれば、学校に行きにくい子供はますます増えていくと思います。
外国にルーツを持つ子供、発達障害の子供、セクシャルマイノリティの子供......「みんな同じ」からハミ出した子供がそういう学校に通うということは、差別される可能性を自ら選択していることになってしまうので。
道徳の授業じゃなくて、「権利の授業」を設けるべきだし、差別を是正するために違いをなくす社会ではなく、「違いを認め合う社会」にしなくてはいけません。
そのためにも、ブラック校則はひとつずつ潰していくしかないですね。
サンドラ 本当にそう思います。
私は結婚していますが子供はいないので、親として関わることはできないのですが、なにかできることってありますか?
荻上 「これはおかしい」と言い続けることじゃないですか。
固定された空気に、「やっぱり変だよね」という異論を差し挟んでいくことです。
今日の対談もひとつの機会ですし、こうやって校則の不条理さを学校側に投げかけていく。
明らかに理不尽な校則については、国がコントロールすべきだと思います。
だって、スカートをめくったり、シャツの第2ボタンを開けさせて下着の色をチェックしたりするなんて、どう考えたってセクハラだし、人権侵害でしょう。
そんなことは止めさせるべきです。
■『ブラック校則 理不尽な苦しみの現実』荻上チキ・内田良 東洋館出版社 1500円+税
●荻上チキ評論家。「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。
著書に『日本の問題』『ネットいじめ』『いじめを生む教室』ほか多数。
共著に『いじめの直し方』『夜の経済学』ほか多数。
TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ
●サンドラ・ヘフェリンコラムニスト。ドイツ・ミュンヘン出身。
日独ハーフであることから「多文化共生」をテーマに執筆活動をしている。
著書に『ハーフが美人なんて妄想ですから!!』、共著に『男の価値は年収より「お尻」!? ドイツ人のびっくり恋愛事情』など多数
〔2018年10/20(土) 週プレNEWS取材・構成/中込勇気 撮影/本田雄士〕

ブラック校則問題で裁判所がお茶を濁す事情
理不尽な校則を強いることは、子どもの個人の尊厳を踏みにじることにほかならない。写真は本文とは関係ありません
近年「ブラック校則」という言葉をよく聞くようになった。
生徒が自らの意思で自由に装ったり、行動したりすることを、合理的な理由なしに制限する理不尽な校則のことだ。
最近多くの人を驚かせた事件といえば、2017年に明るみに出た大阪府立高校の頭髪指導だ。
生まれつき茶色い髪の女子生徒に対し、「生徒心得」を理由に髪を黒く染めるよう求め、それを怠ったとして授業を受けさせなかったり修学旅行に参加させなかったりしたというのだ。
このためその生徒は不登校になってしまった。
これは明らかに人権侵害だと言わざるをえない。
■「自分がされていやなことはしない」だけで十分
地毛の色が黒ではない生徒の髪を黒に染めるよう求める校則は論外だとしても、頭髪を染めることを禁じる校則は多くの学校に存在する。
さらに教師が「間違った」指導をしないよう、地毛が黒ではない生徒に「地毛証明書」を提出させる高校も多い。
アルバイト禁止やバイクの免許取得禁止も、多くの高校が設けている校則だ。
さらに下着の色を白と指定している例や、休日の私的な外出の際の服装まで規制している例もあるという。
2006年の教育基本法の改正によって、学校においては「教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずる」という文言が盛り込まれた(6条2項)。
いわば、校則の根拠規定のようなものが設けられたのだ。
確かに、学校は児童・生徒と教職員がつくる1つの社会である。
そこには日々の生活があり、秩序の維持や利害の調整が必要になるだろう。
しかし「必要な規律」とはなんだろう。
事細かな決まりを定めることがどこまで必要なのだろうか。
ドキュメンタリー映画『みんなの学校』の舞台となった大阪市立大空小学校では、児童が守ることを求められる「たった一つの約束」は「自分がされていやなことは人にしない、言わない」だ。
これ1つで十分なのではないか。
教育基本法は「教育の目的」として「人格の完成」を掲げている。
人格は個人の尊厳に立脚して形成される。
理不尽な校則を強いることは、子どもの個人の尊厳を踏みにじることにほかならない。
児童の権利に関する条約12条は「締約国は、自己の意見を形成する能力のある児童がその児童に影響を及ぼすすべての事項について自由に自己の意見を表明する権利を確保する。
この場合において、児童の意見は、その児童の年齢及び成熟度に従って相応に考慮されるものとする」と規定している。
髪型や服装の規制は明らかに「児童に影響を及ぼす事項」であり、子どもには「自由に意見を表明する権利」が認められなければならないし、その意見は「相応に考慮」されなければならない。
校則を一方的に押し付けていいものではないということは、児童の権利条約からも明らかだ。
校則は、当事者である児童生徒の意見を聞きながらつねに見直されるべきものである。
しかし、実際に校則について児童生徒の意見を反映させようとする学校はほとんどないと言ってよい。
■裁判所は生徒の訴えを認めなかった
校則をめぐっては、これまでいくつもの訴訟が起きている。
よく知られている古い判例としては、熊本県公立中学校丸刈り訴訟(1985年確定判決)がある。
この裁判では、公立中学校で丸刈りを強いられた生徒側(原告)が、近隣の公立中学校に丸刈りの校則がないのに自分の通う学校では校則で強制されるのは、居住地等による差別であり、法の下の平等を保障する憲法14条に違反すると訴えた。
また、法定の手続きによらない身体の一部の切除の強制は憲法31条(適正手続きの保障)違反、個人の感性、美的感覚あるいは思想の表現である髪型の自由を侵害したので憲法21条(表現の自由)違反だという主張も行った。
しかし、熊本地方裁判所はこうした主張を認めず、「服装規定等校則は各中学校において独自に判断して定められるべきものであるから、……合理的な差別」であり、「髪型が思想等の表現であるとは(特殊な場合を除き)見ることはできず、特に中学生において髪型が思想等の表現であると見られる場合は極めて希有であるから、本件校則は、憲法21条に違反しない」と判示した。
東京私立高校パーマ事件(1996年最高裁判決)は、東京の私立高校がパーマ等を禁止する校則に違反した女子生徒に対し「自主退学勧告」をした事件だ。
生徒側(原告)は、髪型は美的価値意識と切り離せず、人格の象徴としての意味を有するから、「髪型の自由」は人格権と直結した自己決定権の一内容であり、憲法13条により保障された基本的人権だとし、その規制目的・規制手段の合理性・必要性は、規制する側が立証責任を負うと主張した。
東京地方裁判所は、「髪型の自由は憲法13条によって保障される自己決定権の一内容である」ことは認めた。
しかし他方、私立学校には「私学教育の自由」があり、独自の校風と教育方針をとることができるとし、パーマを禁止する校則が髪型の自由を不当に制限するものではないと結論づけた。
■学校の決断に任せ、裁判所は判断しない
この事件は最高裁まで争われたが、最高裁もこの高校がその教育方針を具体化するものの1つとして校則を定め、パーマを禁止することは「高校生にふさわしい髪型を維持し、非行を防止するため」であることから、社会通念上不合理なものとは言えないと判示した。
これらの判例をはじめとして、校則をめぐる裁判では、裁判所は学校側を勝訴させる場合が多い。それはなぜだろう。
かつて、憲法学説のなかに「特別権力関係論」というものがあった。
国や地方公共団体の役所で働く公務員、罪を犯して刑務所に入れられている在監者、国公立学校の在学者など、国と特別な関係にある者に対しては、特別な規律が認められることから一般の法が及ばず、国は一般国民に対する場合よりも強い人権制限をしてもよいとする考え方だ。
この理論は、現在ではほとんど支持されていない。
特別権力関係論に代わって一定の支持を得てきたのは「部分社会論」だ。
自律的な団体の内部(部分社会)では、一般社会の規律とは異なる自律的な規律が認められ、そこには司法の審査権が及ばないとする考え方だ。
学校がそういう部分社会だとすると、校則はその部分社会における自律的な規律だということになり、その是非については学校内部の判断に任せ、裁判所は判断しないということになる。
校則は強制力を持つ規範ではなく、教育的な指導ないし教育的な配慮なのだから、学校に任せるべきものだという考え方もある。
単なる指導や配慮によって権利侵害が起きることはないので、司法の判断の対象ではないという理屈になる。
いかなる理屈に拠るにせよ、理不尽な校則に対して、裁判所による救済がなかなか働かないという事態に変わりはない。
結局「特別権力関係論」と同じ結論になってしまうのだ。
「どうも裁判所は当てにならない」というのが、筆者の偽らざる印象である。
裁判所による救済がなかなか働かないのなら、市民が代わって監視するしかない。
NPO法人キッズドア理事長の渡辺由美子さんたちが発起人になり、「ブラック校則をなくそう!」プロジェクトを立ち上げた。
同プロジェクトでは「ブラック校則」を「一般社会から見れば明らかにおかしい校則や生徒心得、学校独自ルールなどの総称」と定義し、そうした理不尽な校則や運用方法を、時代に合ったルールにしていく議論を進めたいという。歓迎すべき動きだ。
■子どもたちの意見を聞くべき
理不尽な校則は、健全な市民感覚によってその見直しを求めていくのがいいと思う。
その際には、当事者である児童生徒の意見を幅広く汲み上げることも必要だろう。
そういう議論を行うべき場は、学校制度の中にもともと用意されている。
まずは教育委員会だ。
公立学校を管理する教育委員会の委員は、本来普通の市民感覚を教育行政に反映させることが期待されている。
教育委員会の使命は「レイマン・コントロール(素人統制)」だといわれるゆえんである。
校則をめぐる問題は、教育委員会の場で委員同士で話し合うのに適した課題だと思う。
また、保護者や地域住民が加わる学校運営協議会を置く「コミュニティ・スクール」では、学校運営協議会の議題として取り上げてもいいだろう。
もちろん、PTAもそうした議論の場としてふさわしい。
どこで議論するにせよ、校則のあり方について議論する場合には、児童会や生徒会の代表の出席を求めるなどして、当事者である子どもたち自身の意見を十分聞くことが必要だ。
「学校の常識は社会の非常識」などと揶揄される事態を変えていくためには、そういう議論を積み重ねていくことが大事だと思う。
〔◆平成30(2018)年7/16(月)東洋経済オンライン 前川喜平 :現代教育行政研究会代表、元文部科学事務次官〕

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