カスタム検索(不登校情報センターの全サイト内から検索)

 
Clip to Evernote  Twitterボタン  AtomFeed  このエントリーをはてなブックマークに追加  


教職員の働き方

提供: 不登校ウィキ・WikiFutoko | 不登校情報センター
移動: 案内, 検索

教職員の働き方

「教員の残業代は一律4%」 増え続ける仕事と、変わらない給料のワケ
かつて「聖職」と呼ばれ、地域の文化人、教養人として一目置かれる存在だった教員。
しかし、社会の変化に伴い、いつの間にか地域での教員の地位は低下した一方で、過労死や自殺する教員が増えた。
文科省によると過労死ラインを越えて働く中学校教員は約6割。心の病を患い休職している教員は全国で5000人を超えている。
働き方改革が叫ばれるなか、半世紀前の『給特法』という法律がもたらした教員たちの悲鳴が、全国の現場から上がっている。
前編ではこの『給特法』が作られた背景を追う。
6割が過労死ラインを超え、5000人が心の病で休職
2018年9月、文部科学省は教員の労働に関する実態調査を公表した。
中学校では実に6割近くが、1月の超過勤務が過労死ラインと言われる、80時間を超えていたのだ。
また、精神疾患で休職中の教員が、2000年に入り急増し、2007年から毎年5000人前後の教員が精神疾患を理由に休職しているという。
また教員採用試験の倍率を見ても、中学校の教員は、この20年間で1/3に下がり、小学校の教員の倍率は、1/4にまで落ち込んでいる。
教員が“ブラック”な職業だと知れ渡り、学生が避けているのが原因の一つだ。
Twitter上では、今匿名の現職教員の本音が溢れている。
学校の実態、多忙な業務への嘆きが毎日アップされ続けている。
その中で注目されている投稿者の一人が、斉藤ひでみさんだ。
斉藤さんは教員の働き方についての疑問を、発信し続けてきた。
その中で『給特法』について問題提起している。
この『給特法』という法律は、教員の職務の特殊性という理由で、毎月手当として基本給の4%を払う代わりに、時間外手当は支給しないというものだ。
時間外手当が出ない理不尽さ。法改正を求めるため、公立の学校の先生に署名を募ったところ、約3万2千の署名が集まった。
「覚悟は必要でしたね。『残業代くれ』みたいな話ですからね。もしかしたら世の中から叩かれるかもしれないし。
だから『給特法』問題については、それこそ矢面に立つ覚悟でいます。“現場の人間”として僕がやろうと思ったんですね。
これはやっぱり現場の人間が言わないと、全く意味がないなと思って」
そう話した斉藤さんが、集めた署名を携え向かったのは、文部科学省だ。
「私は現職教員です。学校に勤めて6年間、毎年のように心の病で倒れる同僚を見てきました。
給特法というものは50年前に制定されました。それがどのような結果をもたらしたのか。
どの業種よりも酷い時間外業務が発生しています。学校はブラックだということが認知されてきました。
教員志望者は減る一方です。現状とかけ離れた給特法はすぐにでも抜本的に改正して頂きたいと考えます」
給特法が産まれた背景
斉藤さんが抜本的な改正を訴えた『給特法』。
正式な名称は、『公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法』と言い、今から48年前の昭和46年に制定されたものだ。
小学校の教員から政治家になり、日教組のドンと呼ばれた輿石東氏は、当時をこう振り返る。
「1960年代は、日本はようやく経済成長し始めた、元気になり始めた時代だった。
この時代にもかかわらず、教員には12時間も13時間も働いても1円も出してくれない。
超勤手当くらい払ってもらいたい。それがあちこちで訴訟として起きたのが超勤訴訟だった」
超勤訴訟が相次いだこの当時、教員の時間外労働は1ヶ月平均8時間ほどだった。
そこで自民党が、「8時間の時間外に相当する基本給の4%分を教職調整額として、月額給与に上乗せする」「ただし教員はあくまで聖職者という観点から、残業手当という考えはとらない」という法案が出したのだ。
これが給特法だった。
この給特法を作ったメンバーを撮った一枚の写真がある。
若き日の森喜朗氏や小渕恵三氏、海部俊樹氏ら、後に総理大臣にまで上り詰める議員が、田中角栄氏を囲んでいる。
自民党の文教族と呼ばれたグループだ。
1960年代から70年代にかけ、日本は安保闘争などで騒然とした時代だった。
自民党内部には、「教育の現場を何とかしないとこの国の将来が危うい」という声が噴出していく。
そこで優秀な若手議員が、文教委員会に集められ、彼らが中心となってこの給特法を作ったのだった。
「ストライキをね、どんどんやって…」
給特法に最後まで反対した、元広島県教職員組合の横田秀明さんが、当時の教員たちの感じていたことを語ってくれた。
「最初のころはね、『毒まんじゅうじゃ』と言っていたんですよね。要するに『無定量の超勤が、それで課せられるんじゃないか』という中での反対が多かったんですよね」
しかし、日教組内の意見はあることをきっかけに変わっていったと言う。
「『超勤を強制的には行わせないよ』ということを、文部省との交渉の中で取れたから、つまり『毒まんじゅうの毒がなくなったから、食べていいよ』と言ったんですね」
悪くなかった4%上乗せ。しかし時代が変わり…
そもそも当時、給与の4%分上乗せるという事は、教員にとって悪い条件では無かった。
加えて、強制的に残業はさせないという確約が取れたため、日教組内でも給特法を受け入れる流れが加速していったという。
輿石氏は苦々しい表情を見せた。
「本来であれば、教員の働き方というのは、文科省と日教組が当事者として対等の立場で交渉をして、進めていくというのが大原則だから。
しかし自民党の文教部会が入ってきて、そうはさせなかった。『常勤手当とか残業は、教員にはなじまない』と。教員は労働者じゃないんだって。
『聖職者だ』という発想が根底にあるわけ」
しかし、当時はそこで議論の紛糾が収まった。
一方で、その後、教員を取り巻く環境は大きく変わっていく。
1970年代から80年代には、校内暴力や非行が多発し、非行防止の観点などから、部活動を奨励。教員も付き添うことになる。
さらに、いじめや不登校、2000年に入るとモンスターペアレントが社会問題化するようになる。
大阪の小学校では、無差別殺傷事件が発生。
学校で起こる様々な問題に、先生は対応を迫られることになっていく。
教員の働き方について研究する連合総研の藤川伸治氏は、「社会からすると、『一体学校は何をやってるんだ』というような学校に対する厳しい批判が起こってきた時代。
当然文部科学省も教育委員会も、学校に対して適切な指導をするように強く求めるようになってきた。
だんだん学校の中が、ある意味息苦しくなってきた」と解説する。
学校内外の様々な対応に追われ、教員が学校にいる時間は必然的に伸びていった。
さらに、2002年には週5日制がスタート。
週6日分の授業時数を、5日間でやらなければならず、教員の負担はさらに増すことになる。
一度は消えた“毒まんじゅう”の懸念が、時代の変化とともに、現実のものとなっていってしまったのだ。
ではなぜ給特法は、半世紀近くも見直されてこなかったのだろうか。
前出の連合総研・藤川氏は、「給特法を見直さなければならなかったタイミングは、いくつかあると思います。その時に、真剣にこの問題と向き合わなかったってことですね。教育関係者、教育行政関係者、もちろん教職員組合も。もう一つは、日教組の組織の機能が、非常に低下した」と話す。
輿石氏も別の側面で問題を指摘する。
「毎日超勤をしている。ところがそれを予算として教員に支給することになると、地方と国を合わせて、年間9000億、1兆円を超えてしまうと。すると財務省がすぐに反対する、『そんな金がどこにあるんだ』と」
給特法の改正が手付かずのまま、3年前の調査では、多くの先生の残業が過労死ラインと言われる月80時間を超えてしまっていた。
月80時間の残業時間は、給特法が始まった50年前の10倍だ。
給特法は昔のまま、そして教員は聖職という名の呪縛から抜け出せないでいた。
この国の教育はどうなるのだろうか。
2019年、令和元年は、働き方改革元年だ。
未来を担う子どもたちを育てる教員の働き方も、待ったなしで考えなければならない。
明日公開される後編では、この給特法に縛られた想像を絶する教員の働き方と、その働き方に追い詰められ、自ら命を断ってしまった家族の想いを伝える。
また、今夜放送の『聖職のゆくえ~働き方改革元年~』では、人気ドラマで教員役を演じた菅田将暉さんがナレーションを担当し、この問題に深く切り込む。
〔2019年8/15(木) FNN.jpプライムオンライン〕

年間5000人の教員が心の病で休職。その裏に改革できない“働き方”
かつて「聖職」と呼ばれ、地域の文化人、教養人として一目置かれる存在だった教員。
しかし、社会の変化に伴い、いつの間にか地域での教員の地位は低下した一方で、過労死や自殺する教員が増えた。
文科省によると過労死ラインを越えて働く中学校教員は約6割。心の病を患い休職している教員は全国で5000人を超えている。
働き方改革が叫ばれるなか、半世紀前の『給特法』という法律がもたらした教員達の悲鳴が、全国の現場から上がっている。
後編では、教職員の働き方の現状を追った。
(前編:「教員の残業代は一律4%」 増え続ける仕事と、変わらない給料のワケ)
教員の残業を管理しない学校
「もう来月が命日なので、13回忌になりますね」
5月、東京・町田市の工藤祥子さんはそう私達に語りかけた。
神奈川県の公立中学校の教員だった夫の工藤義男さんは、2007年6月、享年40歳で亡くなった。
大切に部屋に飾っている写真は、「生徒さんが『これ一番工藤先生らしい』って言って、運動会の時の写真をわざわざ持ってきてくれたんです」と祥子さんは懐かしむように話す。
高校では柔道、大学ではアメフトに打ち込み、体力には人一倍自信があったという義男さん。
亡くなる2ヶ月前、異動したばかりの学校で、“校務分掌”という学校内のさまざまな業務分担が割り振られた。
生徒指導専任を受け持ちながら、2クラスの副担任、保健体育と道徳を教え、校務分掌として学年連絡会、企画会議、特別委員会、体育祭委員会、不登校・支援委員会(委員長)、部活動委員会、予算委員会、組織委員会、安全委員会など、17の業務を割り振られていた。
他にやる人がおらず、人手もない。
そんな理由から異常とも思える業務量を任された義男さんは、「最後の亡くなる前の修学旅行は、『どうしても行きたくない』と。『とにかく体が持たない』っていう風に言ったので、私もすごく驚きましたし…」と、自身の天職と考えていた教員の仕事を休むことを妻に相談していたという。
2泊3日の修学旅行から帰宅した6日後、義男さんは病院の待合室で倒れ、そのまま意識が戻ることは無かった。
直接の死因は、くも膜下出血。
祥子さんはすぐさま公務災害の申請を行ったが、当初は超過勤務の証明ができずに却下。
過労死を認められるまでには4年10ヶ月もの歳月がかかった。
超過勤務の証明が難しかった理由ーーそれは学校が教員の勤務時間を管理していなかったということだった。
なぜ労働時間を管理していなかったのか。
それは『公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法(給特法)』という法律があるからだ。
この法律は、教員の職務の特殊性という理由で、毎月手当として基本給の4%を払う代わりに、時間外手当は支給しないというものだ。
残業170時間。選んでしまった自殺
福井県若狭町に住む嶋田富士男さん。
中学校の教員だった息子を、4年前に亡くした。
息子が住んでいた部屋を未だに触れず、当時と同じ状況になっていると嘆く。
息子の嶋田友生さんは、当時27歳。
教員を夢見て何度も採用試験に挑戦し、憧れの先生になったばかりだった。
1年目から1年生の担任と、野球部の副顧問を任され、父・富士男さんは「もう最初の頃は、もう学校には6時半ぐらいには着いていたみたいで、夜も日付変わって帰ってくることとかありましたね」と当時を振り返る。
友生さんは日記を残していた。教員を初めてすぐの5月13日。
ーー今欲しいものと問われれば睡眠時間とはっきり言える。寝るのも不安だし、でも体は睡眠を求めて、どちらへ進むも地獄だ。
それから4ヶ月後、9月29日で日記は途絶えてしまい、その1週間後、友生さんは自ら命を絶ってしまった。
友生さんが学校で使っていたパソコンを調べたところ、自殺する前の月の時間外労働が、およそ170時間だったことが分かったのだ。
日記の背表紙に書かれた走り書きを見つけた富士男さんは、胸が締め付けられる思いだったという。
ーー疲れました 迷惑かけてしまいすみません
富士男さんは、長時間労働などによる精神疾患が息子の自殺の原因だと、福井県と若狭町に対し損害賠償を求める訴訟を起こしている。
(その後、福井地裁は校長に安全配慮義務違反があったとして、県と町に対し約6500万円の支払いを命じた。
福井県と若狭町は控訴せず、賠償判決を受け入れた)
文部科学省の統計では、精神疾患で休職中の教員が、2000年に入り急増。
2007年から毎年5000人前後の教員が精神疾患を理由に休職している。
福井市内の病院で、多くの教員を見てきたという松原六郎院長に聞くと、「学校の先生方がお見えになることは、かなり前から多くありますね。
必ず1日に1人か2人は拝見してます。一番診断面として多いのはうつ病だと思います」と、実態を語る。
取材を進める中で出会った男性も、心の病で退職した元教員だった。
「他の先生方の信頼を得るために、がむしゃらにやってたら…。
それで理科の実験をやりたいと思って、無理したりとかして、そしたら1か月で倒れてしまって…」
どこからが残業で、どこからが自分の生活だったのか分からなかったという。
「とどめは、その学校の中でも一番荒れている子がいたんですけど、その子から暴力を受けたことですね。
残業だったり、人間関係だったり色々あったんですけど、最後のとどめはそれでしたね。自分の器も小さいですが…」
前述の松原院長はこうした考え方にも、警鐘を鳴らす。
「お見えになる先生方はもう、10人いたら10人とも、ご自分が悪いんだって。自分の力が足りないっていうふうにおっしゃるんですね」
なぜ自らを追い込んでしまうのか…。
学校での忙しすぎる日々
福井市南部にある足羽中学校。
各学年に5クラスあり、全校生徒は443人。教員数は32人いる。
福井県内では平均的な公立中学校だ。
この日、午前6時30分にはすでに職員室に先生の姿があった。
「いつも6時過ぎには出ますかね。15分ぐらいかけてっていう感じですかね。
朝の方が集中できるっていうのはあるんです。いつものことですね」
社会科を教える、2年1組の担任澤村仁先生の1日を追った。

まず、生徒が登校する時間になると、校舎の入り口で迎える。
8時10分、職員朝礼。
本来であれば、定時であるこの時間までに出勤すれば良いという。
1限目、澤村先生は職員室にいた。
全学年の社会科を受け持ち、他に生徒会・特別活動部長などを担当し、運動部の顧問もしている。 「今日はこの時間しか空きがないので、たまたま職員室にいます。
やることがいっぱいあって…、宿題を作ったりとか。
あと今日生徒会でも話し合いをするんで、それの資料を作ったりですね。
今日は2限目から6限目までは授業がずっとあるので、職員室に戻ってくるのは、この時間しかないかと思います」
2限目は、2年1組で歴史。
3限目は、3年2組で公民。
授業の間の10分間の休み時間に入っても生徒達に囲まれ、質問を受けたり、会話をしたり、息つく暇もない。
4限目は2年3組で歴史と、授業が続き、そのまま給食に。
給食では担任するクラスに戻り、この時間を利用して生徒達が毎日提出する連絡帳をチェックしていく。
掃除の時間も生徒達のそばについて指導。
ここまで休憩らしい休憩を取ってる様子はない。
この日の放課後は、受け持ちの生徒会活動があった。
4時40分までが定められた就業時間だが、「次は部活に…」と笑いながら走る澤村先生は、部活にも毎日顔を出している。
多くの教員が共通して抱える業務のほとんどが、普通の公務員なら時間外労働にあたるものだ。
澤村先生を1週間追ったところ、超過勤務の時間は26時間に登った。
これは1ヶ月100時間を超えるペースだ。
給特法を知っているか聞いてみると、「知らなかったです。朝来て、生徒がいる6時半まで働くと、その時点で、やっぱり残業にはなると思いますが、それが当たり前になってしまっているので…。
正直そこを考えたことがなかったです」と、業務に追われてしまっている日々だという。
2年3組の担任、坂居澄美先生。
足羽中学校の全クラスの美術の授業を1人で受け持ち、他にも修学旅行などの総合学習や学活、教育相談など様々な業務を担当。
坂居先生は会社員の夫との間に、高校生と中学生二人の子どもがいる。その子ども達がまだ幼い頃、何度も教員を辞めることを考えたと明かした。
「どうしても帰れない時とかがあって、そういう時は家帰ると、ご飯も食べずお風呂も入らず床で子ども達が転がってるんです。
それを見たとき涙が出そうになって」
教員の働き方改革はどうなるかー
今年1月、中央教育審議会が教員の働き方改革について、文部科学省に答申した。
示されたのは、学校の業務をスリム化して、月の時間外労働を45時間以内に抑えるというもの。
例えば、登下校の対応は学校以外が担う業務、校内清掃や部活動は必ずしも教員が担う必要がない業務に分類された。
しかしこの業務を誰がやるのか、また何かあった際の責任はどこがとるのか、課題は多くある。
国はこの答申に従い、学校現場に対し実施するよう求めた。
足羽中学校の森上愛一郎校長は職員会議で、「中央教育審議会の働き方改革部会で、学校の業務を分類しました。
分類だけして、あと知らんという感じですね。
『学校現場とかけ離れている。乖離している。現場のことをわかっていない』というのが率直な感想であります」と、本音をのぞかせていた。
働き方改革関連法が施行された今年4月、生徒が春休みの間も、教員達は新学期の準備や、部活などの指導で忙しく、毎日出勤。教員の休みをどう増やすばいいのか、森上校長は頭を悩ませていた。
「もううちとしては部活の休みを増やすことぐらいかなと、思ってるんだけど、でもどこの中学校の校長も悩んでると思うわこれ」 新年度を迎え、育休明けで小学校から赴任してきた中村美和先生。
中村先生は3歳と1歳の母親だ。
全クラスの家庭科を教え、3年2組の担任も受け持つ事になった。
「ちょっと子どもが小さいので、できたら担任外していただきたいとお願いはしたんですけど、どうしてもやってもらわないと学校が回らないと言われまして。
やっぱり勤務時間内にパッと終わる仕事ではないので、やっぱり子どもが小さいと保育園の送り迎えの時間もありますし、周りの方の協力…」
中村先生が、保育園に子どもを迎えに行くのは5時半。会議が長引き、早速1時間以上オーバーで、全速力で保育園へと向かっていった。
足羽中学校の4月の残業時間の集計を見てみると、半数が月80時間を超えている。
中には100時間を越す教員もいた。
森上校長は、「個人的には教員の長時間労働の解消の方策っていうのは、2つしかないと思ってます。
1つは教員の数を増やすこと。もう1つは学校の業務を減らすこと。
やはりここに手をつけずして、働き方改革は進まない。その辺りが実感として進まない大きな理由かなと思います」と苦悩の色を濃くした。
教員の働き方について研究する連合総研の藤川伸治氏は、学校の先生の数が足りないと指摘する。
「当事者である子ども達、保護者にとってみると、先生がいないわけですよ。
給特法を変えるという事は、1人当たりの労働時間の上限を決めるって事ですね。
そして上限を超えたら、新たな人件費が生まれるということです。
するとその新たな人件費を使って人を増やすという方向に、政策は変わってくると思うんですね。
給特法を変えるというのは人を増やすためですからね」
文科省は、給特法について、「勤務実態調査を3年後にやるという提言もあるので、その数字をしっかりと見ながら、また世の中も今、働き方改革で変わっているので、そうした動きも踏まえ、この給特法の議論はしっかりと引き続き考えていきたい」と議論していくことを考えていくとしている。
教員の夫を過労死で亡くした工藤祥子さんは、今動かなくては間に合わないと強調した。
「先生が現場で死んでしまう姿を、子ども達に見せるというのは、最悪の教育だと思います。
子ども達のためにも、先生の為にも、絶対あってはいけないことだと思います。
今動き出さないと、10年後はどうなるかと考えると、もう今じゃないと間に合わないかなという風に思っています」
この国の教育はどうなっていくのだろうか。
働き方改革元年の今、未来を担う子ども達を育てる教員の働き方も、待ったなしで考えなければならない。
〔2019年8/16(金) FNN.jpプライムオンライン〕

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
地域
不登校情報センター
イベント情報
学校・教育団体
相談・支援・公共機関
学校・支援団体の解説
情報・広告の掲載
体験者・当事者
ショップ
タグの索引
仕事ガイド
ページの説明と構造
ツールボックス