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長岡京市の3歳児餓死事件

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長岡京市の3歳児餓死事件

所在地 京都府長岡京市

私たちの平成・正しさからこぼれ落ちる(5)
虐待の先に 「48時間ルール」の呪縛 突撃訪問、地域と摩擦[連載]
「すべてのケースに一律に基準を当てはめれば、良い面と同時に逆の機能も働く。単純化は危険だ」。
大阪市の元児童相談所所長の津崎哲郎(74)が強く主張した。
2006(平成18)年、京都府長岡京市で起きた3歳児餓死事件の対策を検討する厚生労働省の会議で「48時間以内の安全確認」を実質原則化する案に委員として反対した。
厚労省側は「何か対策を取らないといけない」と繰り返し、48時間ルールは翌年1月に指針化された。
津崎は「政策の分かりやすさや、見せ方に固執しているように見えた」と振り返る。
児相はそれまで即座の対応が必要ないと判断したケースは、周辺住民らから情報を収集して安全確認をしていた。
だが、48時間ルールが浸透し、丁寧さよりもスピードが重視され「突撃訪問」と呼ばれる形が増えた。
家族との摩擦や地域社会とのトラブルが増した。
10(平成22)年、大阪市西区で2人の幼児が餓死する事件が起き、その傾向はさらに強まった。
当時の制度では児相は強制立ち入りが困難だった。
事件前に通告を受けていたが、子どもの状況を確認できなかった。
シングルマザーの貧困や保育支援、司法関与の在り方といった社会の枠組みが問われる事件だったが、世間の批判は「児相の職員が接触できなかった」という点に集中した。
相談業務が中心だった児相の仕事は、虐待対応に追われるようになっていく。
現在、大阪歯科大で講師の久保樹里(54)は1997(平成9)年に児相勤務を始めた。
職員同士、どうすれば子どもと家族を救えるか知恵を絞ったが、全国で重大事件が起きるたびに細かなルールが追加され、その順守がマスコミの関心事になった。
西区の事件以降、久保は「職員間の議論では、ミスを問われないための対応に目が行くようになった」と言う。
「嵐のような批判の中で小さく身を縮めてしまい、迷いながら試行錯誤する人が少なくなった」。
多様で複雑な家族を支える本来の児童福祉の姿が見えにくくなった。
立命館大教授(臨床社会学)の中村正(59)は「平成は問題化するシステムや火をつける言葉はたくさん生まれたが、火事を消すためのものはつくられなかった」と語る。
久保は児相時代、家族の再統合に取り組み、中村が主催するドメスティックバイオレンス(DV)の加害男性を対象にしたグループ「男親塾」のワークに注目した。
女性よりも自分語りや弱音を吐くのが苦手とされる男親は支援を拒絶し、より孤立化しやすい。
児相管理職の田宮雄介(55)には、現場時代に忘れがたい親がいる。
一時保護した男児の父カエデ(仮名)だ。「何の権限があるのか」。
連日数時間に及ぶ抗議の電話を受け、物別れになった。
「この人には一生子どもを返せないだろう」。数年後、中村の手引きで男親塾に通うカエデと再会した。
カエデは意外にも田宮に握手を求め、こう漏らした。
「あのままだと殺人者になっていたかもしれない」(敬称略)
○メモ=大阪の2幼児餓死事件
2010(平成22)年、3歳と1歳の幼児がごみまみれの部屋に放置され、餓死しているのが見つかった。
育児放棄(ネグレクト)した元風俗店店員の母親が殺人罪に問われ、有期刑上限の懲役30年の判決が確定した。
〔◆平成30(2018)年12月10日 熊本日日新聞 夕刊〕

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