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カテゴリ:周辺ニュース

提供: 不登校ウィキ・WikiFutoko | 不登校情報センター
2019年10月9日 (水) 15:52時点におけるMatsu4585 (トーク | 投稿記録)による版
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不登校YouTuber「ゆたぼん」と作家「太宰治」 不登校YouTuber「ゆたぼん」と作家「太宰治」 SNSで話題の核心部分とは? 太宰治(八雲書店『太宰治全集 第1巻 (晩年)』(1948年刊)/Wikimedia Commons) 勉強の必要性とは 「ゆたぼん」というYouTuberをご存知だろうか。2008年12月生まれの10歳。「少年革命家」を名乗って「不登校の自由」を主張している。この男児と作家の太宰治(1909~1948)に意外な接点が生まれ、SNS上で話題になっている。

まず、ゆたぼんとは何者なのか、の説明から始めよう。ITジャーナリスト・高橋暁子氏が、東洋経済ONLINE(5月18日)に執筆した署名記事「YouTuber目指す大半の子が知らない厳しい現実 不登校YouTuber・ゆたぼんの明日はどっちだ」の冒頭部分は、次のような記述になっている。 《不登校の小学生YouTuber「少年革命家ゆたぼん」が話題だ。現在10歳の彼が不登校になったのは、大阪に住んでいた小学3年生の頃。宿題を強制する学校に疑問をいだき、「まわりの子がロボットに見えた」ためだという。 ゆたぼんさんは動画内で、「学校に行くな」「ロボットになるな」という過激な発言を繰り返している。それに対して、不登校の理由がいじめなどではなく「宿題がやりたくなかった」という理由であること、それにもかかわらず「不登校の子に勇気を与える」と発言していることなどから、批判コメントが殺到している》 ゆたぼんが「不登校は不幸じゃない」、「学校に行かなくていい」と主張する背景の1つに、学校での学習に対する不信感があるようだ。 ネットメディアの「AbemaTIMES」は7月10日、「『批判は気にしてへん』“不登校YouTuberゆたぼん”は今?  父・幸也さん『一つの生き方、ということで見守って』」の記事を配信した。 AbemaTVのニュース番組「AbemaPRIME」(月~金・21:00)が8日に放送した番組を元にしたものだ。この記事の中で、ゆたぼんが学校教育への不信感を吐露している部分を引用させていただく。 《不登校になって1年。両親は生活環境を変えるため、家族で沖縄への移住を決断。それでもゆたぼんくんは学校へ行くという道を選ばなかった。「算数やってみ、ってなったら電卓で調べたらいいだけやし、漢字はググったらいいだけやろ。書くことだけが勉強じゃない。こうやって話すのも勉強やから」》 ゆたぼんはYouTubeで翌11日にも、「【学校行かんでもググればいい】考える! 調べる! 人に聞く!」をアップし、同じ主張を繰り返している。2分過ぎの発言を再録させていただく。 《今はスマホに電卓があるから計算したら分かるし、分からない漢字があるなら、ググったらいい。ググったらすぐ分かる。で、今はSiriがおるから、訊いたらめっちゃ早い》 こうした発言は反響を呼んだ。そしてSNSで批判的な言及が多かったのは事実だ。とはいえ、相手は10歳の子供だ。「ゆたぼんの父親が、どこまで息子に言わせているか」も議論になるなど、批判側も悩みながらの発言が目立った。

なぜ人生に勉強は必要なのか――、70年前の太宰治が熱弁をふるう「正義と微笑」(本書収録)『パンドラの匣』太宰治[著]新潮社 太宰が「ゆたぼん」を“論破”と話題 話を戻せば、「なぜ勉強をしなければならないのか」という根源的な問いに答えるのは意外に難しい。Twitterでは、多数のユーザーが様々な角度から「勉強の必要性」を主張したのだが、そこに登場したのが太宰治だった。

今年の夏、ゆたぼんがAbemaPRIMEの取材に答える写真と、太宰治の小説『正義と微笑』の文庫版・19ページを写した写真が並び、「少年革命家がいま話題になってるけど例の発言に大して太宰治が時を越えて論破してるから流石だなぁって」(原文ママ)とのツイートで発信されたのだ。 太宰の出典を正確に言えば、元本は新潮文庫の『パンドラの匣』。これには『正義と微笑』と『パンドラの匣』の2本の長編小説が収録されている。 写真で紹介された『正義と微笑』だが、そもそもどんな小説なのか、新潮文庫版に収められた文芸評論家の奥野健男(1926~1997)の解説から引用しよう。 《太宰治の許に出入りし、小説の指導を受けていた文学仲間であり弟子であった堤重久氏の弟の、堤康久氏の昭和十年前後の十六歳から十七歳にかけての日記を元にした小説である(堤康久氏は当時中村文吾の芸名で前進座の若手俳優であり、戦後は『正義と微笑』の芹川進の芸名で演劇活動を続けている)。太宰は「あとがき」で、「『正義と微笑』は青年歌舞伎俳優T君の少年時代の日記帳を読ませていただき、それに依って得た作者の幻想を、自由に書き綴った小説である」と述べている》

《どこまで堤康久氏の日記によったのか、どこから作者の想像によるフィクションかは、堤氏の日記と照合しなくてはわからないが、堤氏の日記に書かれた事実を借りながら、主人公の心情や思想の殆どは太宰治の創作であろうと想像できる。なぜなら主人公、芹川進の心情は余りに太宰治的であるからだ。しかし同時に昭和十年頃の旧制中学生、大学予科生の風俗と言動を実に巧みに日記から再現している。戦前も今日も、全く同じように受験勉強に苦しみ、愚劣な教師や友人や運動部の先輩などに悩まされ、嫌悪しながら傷ついている。読んでいて、どうして、今日も昔も学校というものは、愚かなまま変わらないのだろうと溜息が出て来るほどだ》

『正義と微笑』が描いた世界は、ゆたぼんが提示した不登校というテーマと、実はそれほど遠いものではないことが分かる。主人公の芹川進は不登校にこそなっていないが、学校という場所に疑問を抱いている。 Twitterで紹介された『正義と微笑』の一節は、具体的には《去年わかれた黒田先生》の発言だ。英語教師で、主人公は《利巧だった。男らしく、きびきびしていた。中学校全体の尊敬の的だったと言ってもいいだろう》と評している。 この黒田先生が、主人公を含むクラスの全員に別れを告げるシーンがある。「クビになる前に、俺のほうから、よした。きょう、この時間だけで、おしまいなんだ。もう君たちとは逢えねえかも知れないけど、お互いに、これからうんと勉強しよう」と呼びかけるのだが、ここで“勉強の重要性”が語られる。一部をご紹介しよう。

《勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない》 太宰も丸暗記は否定的 普通、学校における勉強が批判されたり、不評を買ったりする原因として、「実生活には全く役に立たない無数の知識を、無理矢理に暗記させられても意味がない」と説明されることがある。 詰め込み教育の弊害、というわけだが、この黒田先生の面白いところは、「日常の生活に直接役に立たないような勉強」こそ、私たちの人格を完成させると断言しているところだろう。 ちなみに別の部分で、黒田先生は「覚えるということが大事」なのではない、とも説明している。丸暗記に意味がないことは、太宰も承知なのだ。 最終的に黒田先生=太宰は、どういう論理展開で勉強の重要性を説いたのかは、実際に文庫を読んでいただくとして、こうして黒田先生は学校を去っていった。そして彼の言葉を紹介したTwitterは反響を呼び、10月1日現在で30万件を超える「いいね」と、10万回を超えるリツイートが記録されたのだ。 感想を述べたツイートも多数、投稿された。その一部を、デイリー新潮の表記法に合わせて、いくつかご紹介させていただく。 《アインシュタインも「教育とは、学校で習ったすべてのことを忘れてしまった後に、自分の中に残るものをいう。」(Education is what remains after one has forgotten what one has learned in school.)と言ったとか》

《勉強すると言う体験を大事にしてほしい。その中で心に残った何かが将来の仕事や趣味に繋がるかもだし、その経験が将来の精神の強さに繋がる》 《高齢の先輩方が後悔している事の一位が勉強です。時代の影響で十分勉強出来なかった状況の世代が勉強したいと願っている。勉強に集中できる世代は存分に勉強して遊んでください。私も中学くらいからもっかい学べるなら学びたいこと沢山あるし。遅くないから今でも毎日勉強》 《こんな勉強 意味あるの? 学校なんて意味あるの? と疑問に思いながら暮らして大人になった。結果、今思うのは 意味のない勉強など1つもなかったと言うこと。そして.…すべき勉強から逃げた分は、社会人になってから必要となりw 勉強し直してますね》 無理矢理でも学校へ行く必要があるのかないのか、この点で議論が起こるのは仕方ないだろう。だが、国語、算数、理科、社会、図工、音楽、体育――という勉強、学ぶことから逃げてはいけないようだ。

週刊新潮WEB取材班 2019年10月8日 掲載 新潮社 〔2019年10/8(火) デイリー新潮〕

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性暴力被害 性暴力被害、10代以下、20代が圧倒的多く 被害打ち明けられず10歳で出産も 医師「自分守る大切さ教えて」 性暴力被害者への支援を話し合った県医師会主催の懇談会=9月28日、那覇市のダブルツリーbyヒルトン那覇首里城 性暴力被害者の支援を考える懇談会が9月28日、沖縄県那覇市のダブルツリーbyヒルトン那覇首里城であり、被害者支援に関わる医師らが、特に多い若年被害者の心理を踏まえた支援の在り方や、県の性暴力被害者ワンストップ支援センターの実情を報告した。県医師会が主催した。 基調講演では、武蔵野大学人間科学部長で日本トラウマティック・ストレス学会理事の小西聖子さんが、ワンストップ支援センターと連携して被害者の外来診療を行う精神科医の立場から「周囲のサポートがあれば、被害後にPTSD(心的外傷後ストレス障害)になりにくい」と寄り添う人の重要性を強調した。

続いて県産婦人科医会理事で県立中部病院の橋口幹夫副院長が、今年8月に病院拠点型として開設されたワンストップ支援センターについて報告した。病院拠点型では医療と心理、両方の支援を1カ所で行うことができ、県センターでは24時間365日の対応を実現させた。橋口氏はセンターの相談体制や、警察などへの同行支援、被害者の診察料が助成される制度などを説明した。 センターは実証事業として2014年から相談を受けてきた。その実績と、中部病院での性暴力被害の診療から橋口氏は「当初成人の被害を想定していたが、10代以下から20代が圧倒的に多い」と子ども・若者への被害を問題視。「年齢が低いほど被害を打ち明けるのが遅れ、10歳が出産した事例もある」と将来への影響の大きさを指摘した。 被害後72時間以内は緊急避妊薬で妊娠を防ぐことができる。実際には受診までに数年、数十年かかる人も多い中、会場からは「72時間をどう周知できるか」との質問もあった。橋口氏は「自分の身を守る大切さを教育現場で、赤信号を渡らないのと同じレベルで教える必要がある」と答えた。 被害者が被害を言い出せないことに対し、小西氏は「社会が被害者への偏見をなくし、被害者が被害を相談することが悪循環を断ち切る一つ」と訴えた。

<基調講演>小西聖子氏 実情知り、寄り添って 東京都のワンストップセンターと連携し精神科の外来診療をしている。患者はほぼ全員が性暴力被害者。PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症している人が多く、被害に遭いやすいのは若い人だ。被害女性30人に聞くと約3割は過去にも性被害歴があった。

典型例を紹介する。キャバクラで働く18歳女性が仕事帰りに客に強引にタクシーに乗せられ、宿でナイフで脅されて強姦された。彼女は家庭に居場所がなく成績は不振、いじめを受けて小学校高学年から不登校。中学では家出を繰り返し、15歳ほどで暴力団に近い無職男性と同居した。DVがあり、キャバクラで働いて生活を支えていた。 虐待、いじめ、教育の剥奪と多くの被害を受ける中で優しくしてくれる人を求めて危険な場所に行き、性暴力被害に遭う。しかしこのような被害者は「どうでもいい」と何事もなかったように回避的に考えるくせがある。何でもないように見えるため、非行としてしか捉えられず誤解される。そこに若年被害者の難しさがある。体罰のように、子どもへの暴力は大したことがないと見なす風潮も、若年者の被害につながる。 子どもへの性暴力被害・加害は身近で起きている。減らすためには、まず実情を知ってほしい。よくないことをしている人にも事情がある。子どもの自己評価を高め、危険な場所にいる子どもを減らさなければならない。被害者には孤立が一番よくない。専門性がなくてもそばでその人のことを一緒に考える人が必要だ。 琉球新報社 〔2019年10/8(火) 琉球新報〕

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児童養護施設 親と一緒に暮らせないという現実。児童養護施設で暮らす子どもたち 「児童養護施設」と呼ばれる福祉施設で暮らしている子どもたちが実際にどのような生活をしていて、家庭で育つ場合とどこが違うのか。また、それによって生じる問題と、今後どういう方向に進んでいくべきかについても考察していく。(『インターネット赤ちゃんポストが日本を救う』著:阪口源太、えらいてんちょう)

■児童養護施設とはどんなところか この章では、「児童養護施設」と呼ばれる福祉施設で暮らしている子どもたちが実際にどのような生活をしていて、家庭で育つ場合とどこが違うのかをご紹介します。また、それによって生じる問題と、今後どういう方向に進んでいくべきかについても考察していきます。

児童福祉法第41条によれば、「児童養護施設は、保護者のない児童、虐待されている児童その他環境上養護を要する児童を入所させて、これを養護し、あわせて退所した者に対する相談その他の自立のための援助を行うことを目的とする施設とする」とされています。 入所の際には、児童相談所の所長の判断で都道府県知事が入所措置を決定する仕組みになっています。後ほど改めて紹介しますが、入所にあたっては「児童相談所の所長」の権限が大きく影響することになります。 施設は近年、児童福祉法が改正され家庭的養護が推進されていることから小規模化の傾向が進んでいます。厚生労働省が平成29年に発表した資料(社会的養護の現状について〈参考資料〉)によると、平成20年から24年にかけて大舎が減り、中舎、小舎が大きく増えており実際に家庭的な環境が重視されてい ることがわかります。

「児童養護施設」と聞くと、保育園や学校のような建物をイメージする人が多いのではないでしょうか。実際に、私も施設を訪れるまではその ようなイメージを持っていました。 建物に入ると、多くの場合は長い廊下に大きめの階段、図書室などの共用スペースなど、まさしく私たちが子どもの頃に通った学校が思い出される空間が広がっています。 しかし各部屋のドアを開けると、そこには教室ではなく、フローリングのリビングやキッチン、寝室、お風呂、洗面所……すなわち「家」の世界が広がっています。アットホームな雰囲気で、子どもたちが寛いで過ごせる環境であることが、非常に印象的でした。

毎日の食事は調理師や職員の方が作り、みんなが座れるテーブルで料理を囲んで食べます。 予定があって帰りが遅くなる子どももいますし、そのあたりも普通の家庭と変わりません。 寝る時には、小さい子どもたちは一緒の部屋でみんなで寝ます。ある程度大きくなってからは、個室が用意されるケースが多いようです。 朝は学校に行き、授業を受けて部活に出て、帰ってくる。食事をしてからは、どのチャンネルにするか話し合いつつテレビを観たり、部屋で自分の時間を過ごしたりして、お風呂や洗濯をした後、就寝します。 そこで営まれているのは、一見すると普通の「家」とほとんど変わらないような一日です。 ここまでは、児童養護施設での生活も家庭と変わらないように見えます。 しかし決定的な違いは、一緒に生活する人々の立場です。一緒に生活する大人は自分の「親」ではなく、一緒に生活する子どもたちは「兄弟姉妹」ではありません。 施設では多くの場合、年齢層などに応じて子どもたちをいくつかの「家」に分けます。そしてひとつの「家」を、複数の職員で担当することになります。

職員の方も24時間365日「家」にいるわけではなく、子どもを見る時間を宿直などで分担します。職員の方にも、自分の家庭があります。現実問題として施設の子どもたちの親そのものではない。これだけはどうにもできません。 ひとつの家にはだいたい5人くらいの子どもが住んでいます。その中には、場合によっては血のつながった兄弟がいる場合もありますが、基本的にはみんな別々の両親のもとで生まれ、施設に預けられた子どもたちです。 私が直接お会いした職員の方が共通して大切にされていたのが、「子どもと一対一で過ごす時間」でした。ある職員の方は、「毎日寝る前に30分、子どもたち一人一人と個別の時間を取り、ゆったりとその日にあったことなどを聞く時間をとるようにしている」 と話していました。

「施設を18歳で出るまでの間に、担当職員が変わることは出来るだけ避けたい。大人になって遊びに来た時にも、戻ってきた温かさを感じてもらいたいという気持ちから、出来るだけ長い年月、施設に勤めたいと思っている」 と語って下さった職員の方もいました。このように子どもたちの生活、成長を最優先に考える仕事への態度には胸を打たれます。 子どもたちが寝るまで彼らを見守り、その後も翌日のために準備をする。短い睡眠を取り、翌日も早朝から子どもたちを支え続ける。なかには施設に住み込みで職務に従事されているケースもあります。間違いなく、負担が大きい業務です。 しかしそれでも、「親」になることはできません。

第1章でも触れましたが、なかには愛着障害に陥ってしまう子どももいます。ここでの「愛着」とは私たちが普段使うものとは異なり、心理学の用語として人間や動物同士の情緒的な結びつきを指し示しています。そのような結びつきを親と形成することができなかった場合には、後々社会に出た時に対人関係や精神面でつらい思いを経験するケースも多くあります。彼らは、人見知りが激しくなってしまったり、新しい場所や環境になかなか適応できない傾向も強く、不登校になる例も多いそうです。 これらすべてが親の不在によるものとは言えませんが、ひとつの要因になっている可能性があります。 愛着の基盤をつくっていくことはとても難しい作業だと言われています。幼少期に必要なものは、やはり親という不動の存在が与える安心感なのです。 もちろん親も24時間365日子どもを見てあげられるわけではありませんが、「帰ってきた時にいつも同じ人が待っていてくれる」「自分にはいつもこの人がついていてくれる」という安心感は、どうしても施設では養いきれないものでしょう。

不動の存在を求めているのに、相手がどうしても動いてしまう。そういった経験を重ねると、子どもは次第に諦めていくのだそうです。求めること自体が徐々になくなることは、成長してからの自己肯定感の低さに直結します。 自分だけを見てくれる、自分の話になんでも耳を傾けてくれる、何よりも自分を愛してくれる、親という存在がどれだけ大きいものか。当たり前のように親に育てられた私も含む多くの人にとって、この不在はなかなか想像がつきにくいものだと思います。 また「親子」は、ひとつの人間関係です。子どもは親元で成長することで、生まれてはじめての人間関係を学んでいくのです。 子どもにとって親は、安心感を与えてくれる存在であると同時に、育つ過程で接する一人の「人間」です。一人の人間ですから当然、「オフ」の状態もありますし、時には「疲れた」と横になることもあります。悲しいこともあれば悩むこともある。子どもはそうやって、いろんな感情と共に生きている「人間の姿」を実際に目にしながら成長していくものだと思います。

その点、施設の子どもたちが接する職員の方は、常に「仕事」中です。子どもと接するときもプライベートな時間ではなく、あくまでも仕事として行動しています。常に「オン」の状態でいなければなりません。 ですからその辺りの機微は、施設ではどうしても養いづらい点だといえます。 漫画:にしかわ たく 〔2019年10/8(火) BEST TIMES〕

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教育革命 いま、求められている新しい教育 現場で起きている「革命」を追う いま、社会には「生きづらさ」が蔓延している。技術の革新の陰で、一億総中流と言われていた日本に格差が広がり、子どもの7人に1人が相対的貧困となった。「落ちこぼれ」は自己責任だと言われるようになった。マイノリティが生きづらく、差別が蔓延する世の中になってしまった。 子どもたちをも「生きづらさ」が取り巻いている。不登校、引きこもり、いじめ、無気力、虐待、貧困、発達障害......子どもたちを巻き込むさまざまな事件も紐解いていくと教育と切り離すことはできない。 どれも当事者だけの問題ではない。このような社会をつくってきた「これまでの教育」とは何だったのか。子どもの貧困は子どもの責任ではない。大人の貧困である。社会の貧困である。それぞれ異なる問題のように語られることも、その背後には共通する問題がある。 社会問題はすべての人にとって「他人ごとではない」ことを改めて捉え直すべきときが来ている。これからの未来を支える子どもたちの教育環境を提供する大人こそが、学び直しの時代に差し掛かっていることに気づかなければならない。 社会を取り巻く「生きづらさ」の正体

私は、これまで15年以上にわたり、編集・ライターとして乳幼児の子育てや教育をテーマに雑誌や書籍、web、テレビ番組などさまざまなメディアの制作に携わってきた。多くの教育現場に足を運び、子育て中の保護者たちのリアルな声、保育士や教員の声を数多く聞く機会を得た。妊娠期からの切れ目のない支援として注目されているネウボラや、母子の健康をサポートする日本各地の保健師の取材も行なっている。 現在は、東京都下のある自治体の「子ども・子育て会議」に市民委員として参加し、教育委員会では家庭教育支援のためのワークシートを幼児から中学生の保護者に向けて作成している。2017年には保育士の資格を取得。いまも月に数回は子育て相談の現場で多くの保護者の悩みに耳を傾けている。 それぞれの現場で感じるのは、旧来の日本の学校教育を受けて大人になった親や教員たちこそが、偏差値や学歴という古い価値観から逃れられず、一方で「先の見えない未来に対してどのように子育てや教育をすればいいのかがわからない」という不安に悩まされているということである。 20世紀型の教育ではいけないと薄々は気づいている。そして焦ってはいるものの、次に進むべき道がわからない。「何もしないと大切なお子さまが周囲から遅れを取ってしまいますよ」と進学塾に脅されながら、霧の中で子育ての正解や幸せへの近道を探している。

本当の幸せとは何だろうか 「子育てとは何か」「人間にとって、本当の幸せとは何だろうか」、そのことを深く考えている人は意外と少ないのではないか、現代人はそのような本質的な問いについて考える余裕もなく、目の前のやらねばならないことに追い立てられているのではないか、というのが私の実感である。 それらの問いに対しても「正解」があり、赤本やガイドブックやゲームの攻略本のように必ずどこかに書いてあるもので、お金を払えば誰かが教えてくれるものだと思っている人さえいる。 学校教育で空気を読むことを強いられ、根気強く我慢してきた子どもたちが大人になると、職場の空気を読み、ママ友の空気を読み、社会の空気を読み、次第に自分が本当に求めているものがわからなくなっていく。 空気を読まない人、我慢しない人を許せない。自分がこんなに我慢しているのに、あいつはなぜ我慢しないんだと怒りを抱え込む。自分がこんなに我慢してきたのに、うちの子はなぜ我慢ができないのかと焦りはじめる。子育てをする多くの親たちは、ほかの子どもたちに遅れをとらないように、できないことがないようにと躍起になっている。 「誰よりも早く、より正確に。間違いがあってはならない。失敗してはいけない。取り返しはつかない。こぼれ落ちてはならない。子育ての正解があるはずだ」 そう信じて子育ての正解を探し続けている。得体の知れない強迫観念が大人を包み込んでいる。そのような状況では、社会はどんどん閉塞感を増していく。

学校教育を受ければ受けるほど子どもたちは「学び」の喜びを感じることができなくなる。「勉強嫌い」を量産してしまう。そして、「教育」は「学び」の本質からはどんどん遠ざかっていく。学年が上がるごとに自己肯定感は下がっている。自分に自信がなくなり、そのままの自分では社会に受け入れられないという思いが膨れがる。 「勉強は嫌い」だけど、「勉強しなければ生きていけない」というジレンマに子どもを追い込んでいる。そして、「教育」は「学び」の本質からはますます遠ざかってきたように見える。 人間にとっての本来の「学び」とは何か 人間にとっての本来の学びとはどんなものだったのだろうか。そもそも私たち人間には、未知のものへの好奇心、新しいことを知り探求する喜び、学ぶ力が備わっている。それは生きていくために必要な能力だ。子育てに関するテレビ番組で乳幼児の発達についての知見を得るほどに、私はその素晴らしい力に圧倒される。

赤ちゃんは生まれたときから自ら探索を始める。これから生きていく世界に関わり、実験を繰り返しながら自分を知り、世界を知ろうとする。乳児が触ってほしくないものに手を伸ばすのも、ティッシュペーパーを次々に引き抜くのも、絵本を本棚からすべて取り出してしまうのも、「いたずら」も「遊び」も、全ては、世界に対する探求のプロセスだ。人間は本来、自ら学ぶ生き物である。 「学びたい」という主体 日本では近代化が過度に進むまで、生まれ持った「学びへの意欲」に突き動かされて学んでいた。学びたいことがあれば自ら師を見つけ、それぞれが個人的に教えを請い、習う。そこには「学びたい」という主体があった。寺子屋がその見本だろう。 現在の学校教育のような形式が始まったのは明治維新の後である。新しい国家を作るためには近代国家に相応しい国民を権威の意図のもとに育てなければならない。 近代国家で役に立つ人材とは、「日本人」という自覚を持ち、日本のために、工場で指示通りに動くことができ、軍隊で命令のもとに規律を乱さず行動できる人間だ。朝礼や体育での「前にならえ」や「休め」の号令も、運動会での行進も、そうした訓練を学校で行なっていた名残である。

近代の学校教育は、私たちの中に組み込まれている「自ずから生まれる学びへの欲求」を大事にせず、国や企業の要請に適応させる特殊なシステムでもあった。言われたことを言われた通りに、しかも「自主的に」できる人間を量産することを社会が求めていたのである。 高度度経済成長期、オートメーション化されたラインの中や分業化されたニーズの一端を担う場では、自分の意思を持ち組織の体制に疑問を呈することは効率を下げることでしかなかったからだ。 その後、経済競争を勝ち抜ける人材を養成することが目標となってきた。このように権威が行く先を決めてくれる社会は、ある意味安定し、楽でもあった。しかし、いま、権威が行く先を見失っている。我々は、何をどのように学ぶべきかを今一度考える必要がある。 大人になって改めて知る学ぶ楽しさ

学校教育を終えて大人になり、社会に出て改めて学ぶことの楽しさに気づいた人も多いだろう。私もまさにその一人である。取材を通して未知のことに出会い、本を読み、興味を惹かれることについて自分で師を探し、自ら選んで習うのは、たとえそれが仕事につながっているとしても、自分だけの趣味だとしても、この上ない楽しみとなる。

あなたにもきっとそんな体験があるはずだ。そのときのきっかけ、そのときの実感、そこに学びの本質がある。私たちは、自分で何を学ぶかを選び、師を選ぶことができれば、自らを育て高めることができる。それはまさに、大前提として子どもたちにこそ保障しなければならない環境である。 子どもたちに必要なのは 将来のためだけにいまの自分の興味を押し殺して、苦行のように強制的に学ばされる時間は、そのひとの能力を激減させる。子どもたちに必要なのは、世界に希望を持ち、一人一人の学ぶ喜びを引き出しながら、学ぶことの楽しさを体験できる場だ。 これまで、私自身の取材現場では、乳児の子育て~幼児教育、義務教育、高等教育~生涯学習まで、さらに世代を超えた「地域での学び」にも触れる機会があった。特別支援教育、被災地の教育、オルタナティブ教育にも触れてきた。それぞれに素晴らしい視点があり、素晴らしい取り組みが行われている。しかしそれぞれは分断されていた。掲載する媒体も、重なり合うことは少ない。

これからやってくる誰も知らない未来を切り開くのは、既存の価値観で効率を求めて組み立てた、分断された教育ではない。子どもにとって必要な学びは、子ども自身が知っている。子どもたちはいつの時代も、大人より敏感に世界の変化を感じ取っている。そのことに気づいた大人たちが、あちこちで動き始めている。これまでの子育てと教育を見直し、全国各地で新しい動きがはじまりつつある。 教育とは、未来を創ることだ。今、求められている新しい教育とは何か。未来を変えていくための新しい目的地はどこか。 私たちはどこに向かっているのか。それを掴むには、教育現場で起こっている最新の動きを捉え、教育の枠を超えた社会全体、そして世界を俯瞰で見る必要がある。 このコラムでは、細かく分断されてきた世界のそれぞれを読み解き、その本質を串刺しにすることで、教育革命の最前線を紐解いていきたい。 これからを生きる子どもたちのために。 太田美由紀 〔2019年10/9(水) Forbes JAPAN〕

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イチローを超えかけたもう一人の男 「高校中退、そして単身渡米」人生のレールを外れたからこそ見えたもの ~奇跡の48年生には、イチローを超えかけたもう一人の男がいた~ アメリカへの旅立ちの日。母と 根鈴雄次(ねれいゆうじ)。中学時代からパワフルなバッティングが評判を呼び、数多の高校野球名門校の間で激しい争奪戦となった男がいる。甲子園で活躍し、プロに行く----誰もがそう信じて疑わなかった彼は、高校入学からわずか1ヶ月後の「不登校」によって“野球界の王道”からコースアウトしてしまう。引きこもり、中退、渡米、定時制高校卒業からの法大入り、そして二度目の渡米……周囲に惑わされることなく「己の声」を聴き、自分の可能性を信じて道を切り開いてきた男の半生は、私たちに何を教えてくれるのか。

※本稿は、喜瀬雅則『不登校からメジャーへ ~イチローを超えかけた男~』(光文社新書)の一部を再編集したものです。 ◆全てを捨て、ゼロからのスタート 「あの“更地の頃”なら、もう一回、つぶされていましたね」 不登校、引きこもり、実家の消滅。 その頃の“どん底の精神状態”なら、周囲からの雑音で再び、心が折れていたかもしれない。 「どうやったら、野球をやれるのかな。そう考えるようになっていたんです。高校の残り2年、野球ができないのも地獄。いい環境じゃなかった。僕は『自分らしく』と思ったんです」 周囲の期待に合わせる。それが、得策なのは分かる。しかし、それは「自分」ではない。 心に思い描き始めていた新たな舞台は「アメリカ」だった。 「人生、リセットしたかったんです。ゼロからやりたかったんです。僕を、誰も知らないところで野球をやりたかった。知らないところへポンと行っても、同じ年代なら、野球ならば勝負ができるだろうと」

マーク・マグワイア。ホセ・カンセコ。分厚い胸板と丸太のような腕で、バットを振り回す豪快な姿。 その時、根鈴の心に浮かんでいた理想像は、メジャーを代表する2人のホームランバッターだった。 しかし、野茂英雄が近鉄を退団してメジャーに行くのは、1995年(平成7年)のことだ。その当時、野球をするために、アメリカに行く高校生など、存在すら想定されていなかったといっても、決して大げさな表現でもない。 しかも、何のアテも、コネもないのだ。 ただ、アメリカに行けば、俺のやりたい野球があるはずだ。 そう考えた根鈴は、自ら行動を起こした。 「野球が強い学校はないですか?」 海外留学を斡旋してくれる会社に問い合わせ、紹介されたのはサンディエゴにある「サンマルコス・ハイスクール」だった。 「再出発をしたいという思いがあったんです。留学して、卒業をして、きちんとやり遂げて、その『先』を見ていました」 アメリカに留学して、野球をやる。 その決意を聞いた母は、何も言わずに貯金を切り崩し、渡航費と入学金を、根鈴に手渡してくれた。

1991年(平成3年)夏。 イチローは、名門・愛工大名電高のエースとして、愛知県大会のマウンドに立っていた。打っても、8試合で28打数18安打、打率・643、本塁打3本、17打点、13盗塁。 驚異的な数字をたたき出していた「二刀流・鈴木一朗」が率いる愛工大名電高は、県大会決勝で0-7で東邦に敗戦。イチローの高校最後の夏は、甲子園の一歩手前で終わることになった。 それでも、プロのスカウトの評価は高かった。打ってよし、走ってよし、そして、投手ゆえに肩もある。打者として「1位指名」の噂もささやかれた逸材は、11月22日のNPBドラフト会議でオリックスから4位指名を受け、プロ入りが決まった。 未来への展望が、大きく開けようとしていたその同級生とはあまりにも対照的な、根鈴の“夏の終わり”だった。 「日本の中で、一度ずれた。楽しくねえ。不登校で出遅れてしまって『アメリカに行かせてくれ』『向こうで野球がやりたい』っていうのは卑怯なんだけど、すねをかじらせてもらおうと……。あの状況では、母親も『ノー』と言えなかったでしょうからね」

根鈴は、日大藤沢高を休学して渡米、その翌年には中退した。 あいつを、何とかしてやりたかった。 その後悔の念は、根鈴が所属していた日大藤沢高校野球部の顧問であった鈴木の心から、一生消えることはない。 「3年間、あいつと一緒にやっていたら、人生が変わっていたと思うんです。僕が折れて、折れて、折れて、彼を高校野球に戻そうと試みたんです。でも、うまくいかなかった。ホントに惜しい」 その恩師が何度も差し伸べてくれた手を、根鈴は振り払った。 「今思えば、ホントに甘ちゃんですよね。あれだけ自分のことを考えてくれた監督さんだったのに……。本当に申し訳ないです」 4打数2安打1本塁打。公式戦出場なし。 何の爪痕も残せないまま、根鈴の高校野球生活は幕を閉じた。 もう一度、全力で、野球をやりたい--。 その思いを胸に抱き、たった一人で、米国へ旅立った。 〔2019年10/9(水) 本がすき。〕

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世田谷区桜ヶ丘中、西郷孝彦校長 校則撤廃校長 人間関係はスクラップ&ビルドでより強固に 規格外な取り組みで話題の世田谷区桜ヶ丘中、西郷孝彦校長 校則全廃、制服・髪形自由、出たくない授業は出なくてもいい、生徒が先生を評価する――規格外な取り組みで話題となっている世田谷区立桜丘中学校。そんな環境を実現したのが同校の校長・西郷孝彦さん(65才)だ。 近頃は、「空気を読む」ことが重視され、けんかをしたことがない生徒たちも多いという。しかし、そういった生徒たちに対して、あえて波風を立ててみるようなこともあるという西郷さん。 「雰囲気が悪くなってけんかに発展するグループもあれば、褒められた子が“あんなことを言われてもうれしくない。先生のことは好きじゃないし、本当はイヤ”と私を悪者にすることで、友人との関係を修復しようとするパターンもある。みんな悩みながら自分なりの戦略を考えるんです」(西郷さん・以下同) 生徒一人ひとりに人間関係のトラブルを回避できるスキルが身につけば、いじめも起こりづらく、不登校も減少する。同校では学年が上がり、成長するに従って、いじめは確実に減っていくという。 衝突によって自分自身を見つめ直した生徒もいる。 「同級生を殴ったり物を壊したりして居づらくなり、小学校を転々とするようないわゆる“問題児”としてわが校に入学してきた子がいました。すぐキレるので、当然、ここでもなかなか友達ができません。私はそのAくんがどういう時に爆発するのかを知るためにも、機会を見てはよく話しかけていました。そうしているうちに、すっかり“友達”になったんです」 Aくんにとって、西郷さんは中学校での初めての友達だ。 「だけどある時、Aくんがほかの生徒といさかいになって暴れていたことがありました。落ち着かせようと近づいたら、気が立っていたのか、Aくんは“友達”であるはずの私を思いっきり殴ったんです。その事件がAくんにとってはショックだったようです。いちばんの理解者をポカッとやっちゃったわけですから」 この出来事をきっかけに、Aくんは少しずつ変わりはじめる。 「“自分はカッとなると、気持ちが抑えられず、大切な人をも傷つけてしまう傾向がある”と認識したそうです。自分のことを客観的に見られるようになり、気持ちを制御するためにはどうしたらいいのかも考えるようになった。その後、キレる回数は確実に減っていきました」 自ら摩擦を生み、友人との関係を見直せた生徒もいる。 「とても人気のある、友達の多い女子生徒だったのですが、そういう自分を維持するためには気がのらない時でも誘われたら断れず、悩んでいたんです。みんなにいい顔をしながらも、陰では“これじゃあ、自分のアイデンティティーがなくなってしまう”と校長室に来ては泣いていました」 ところが2年生になったある日、彼女が突然、黒髪を茶髪に染めてきた。真面目で優等生だったクラスメートの豹変ぶりに、周囲の友達は、驚いて一歩引いたようだった。 「こうして他人との距離が適切に取れたことによって、彼女は自分を取り戻したのだと思います。それまでの友達との上辺だけのベタベタした関係から“独立”したわけです。髪を染めたのはある意味、彼女なりの“独立宣言”だったのでしょう」 人間関係の“スクラップ&ビルド”は、より強固な関係につながるという。 「波風が立たず、ずっと仲よしでいるよりも、一時的にもめたとしても、本音を言い合ってそれを乗り越えた方が、さらに深い関係が築ける。裏を返せば、けんかや言い合いをせず、ずっと仲よしでいるのは表面だけのつきあいなのかもしれない。いったん破綻した後に関係の修復ができれば、もっと仲よくなれるケースが多いのです。 本当に好きな人、自分が仲よくしたい人であれば、何としてでも修復したいと思うものだし、けんかで相手の本音を知ったことで、相手をより深く理解できるからです」 うまく衝突できずに本音をため込んだ結果、一度のけんかで最悪のケースに発展することもある。 今年7月、埼玉県所沢市で中学2年生の男子生徒が同級生に刃物で刺され亡くなるという事件が起きた。加害少年は「教科書を隠されてけんかになったから」と動機を語ったが、2人は同じクラスで部活動も一緒。周囲からは仲がよいと思われていた。もし、お互いの本音がわかるようなけんかの仕方を知っていれば、事件は起こらなかったかもしれない。 「衝突やけんかを経て成長した生徒は“人間は必ずしも言葉と感情が一致する時ばかりではない”と身を持って理解できるようになっていきます。例えば“バカ”と罵倒してきた同級生が“実はかまってほしいことを素直に伝えられないだけではないか”と言葉の背景にある感情を察せられるようになる。最終的に無駄ないさかいは減っていきます」 ※女性セブン2019年9月19日号 〔2019年9/8(日) NEWS ポストセブン〕

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中川翔子 中川翔子 中学時代のいじめで感じた「オトナへの不信感」 Copyright (C) 2019 Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved. 「『死ぬんじゃねーぞ!!』は私がライブ中にも叫ぶメッセージ。いじめに遭い、私と同じような思いをしている子どもたちに、“どうか生き延びて”と伝えたくて」 そんな願いを込め、中川翔子(34)が自身のいじめ体験を文章とイラストでつづった『「死ぬんじゃねーぞ!!」いじめられている君はゼッタイ悪くない』(文藝春秋)がベストセラーとなっている。 子どものころからマンガやアニメ、ゲームが好きだった中川だが、私立中学に入学直後から、1人で絵を描いていることで「キモい」「オタク」とレッテルを貼られ、いじめが始まった。 「誰からも話しかけられず孤立して、5分、10分の休み時間をどう過ごしていいか、わからなかった」 絶えず誰かに悪口を言われ笑われている気がして、吐き気をこらえながらも、何とか学校へ通う日々。 「週末に、母と一緒にマンガを読んでダラッと過ごしたり笑ったりしているときが救いでした」 だがある日、中川の心をさらに追い込む事件が起こる。 「下校しようとしたら、私の靴箱が不自然にへこんでいたんです。ショックでした。何日かして犯人らしき子がクスクス笑っているのを見て、『泣き寝入りはイヤ』と、その子の靴箱をへこませました」 すると翌日には、中川の靴箱がさらにボコボコにされていた。 「自分が殴られたかのように傷つきました。そしてとうとうある日、靴箱から靴がなくなって。そんな“べたないじめ”に自分が遭うなんて認めたくない。でも靴はない。パニックになって必死で捜したけど見つからなかった」 靴がないと帰宅できない。もう先生に言うしかなかった。 「靴が盗まれるまでのいきさつを説明しているうちに、悔しさと悲しさで涙が止まらなくなって、先生は『じゃあこれを履いて帰りなさい』と、新品のローファーを手渡してくれました」 これでいじめっ子に先生が注意してくれるかもしれない。そう思ったのもつかの間、その先生に職員室に呼ばれ、こう告げられた。 「『中川、こないだのローファー代、早く払ってくれないかな』と。意味がまったくわからない。『盗まれた被害者がなんで? 加害者が払うべきじゃないですか!』」 すると先生は「そうかもしれないけど、ローファーは学校のものだからお金を払ってもらわないと困る」と答えたという。 「先生が気にしているのは、いじめじゃなくて経費だ。私へのいじめも、見て見ぬふりをしている。もう、ダメ。大人も信用できない。みんな、大嫌い……。1人で耐えてきた私の心が壊れる“とどめの一撃”でした」 帰宅して「学校に行きたくない」と部屋に鍵をかけてこもった中川。「義務教育だし、卒業もあと少しだし、行きなさい!」という母と、大ゲンカになったと振り返る。 「母は私の部屋のドアを蹴破って、入ってきました(笑)。今回の本の原稿を読んだ母は『こんなに悩んでいたなんて知らなかった。知っていたら学校に文句を言いにいっていたのに』と」 大人はよく「つらいのは今だけ」「卒業したら楽になる」と、助け船のつもりで言葉にするが……。 「いじめで苦しんでいる子どもの耳には入りません。私は、死にたくなるくらいなら、学校には行かなくていいと思う。不登校は“逃げる”ことじゃない。自分の人生に合う道を探すことなんです」 〔2019年9/9(月) 女性自身〕


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イチローを超えかけた男 「イチローを越えかけた男」の少年時代、不登校になった高校時代 アメリカでは3Aでプレーし、イチローよりも早いメジャーデビューまであと一歩のところまで行った根鈴雄次さん。現在は『アラボーイベースボール・根鈴道場』(横浜市都筑区)であらゆる年代のプレーヤーの指導を行っている。そんな根鈴さんは、高校入学早々から四番を任されるほどの実力がありながら、なぜ野球部を辞めてアメリカに渡ったか? そこにはどのような経緯があったのでしょうか? 【前編】星稜・奥川投手のお母さんに聞いた、子育て、教育方針

■高校入学直後に監督に直談判 ――小・中学生の頃はどんな野球少年でしたか? 「小6の時に身長が170cmあって、体が大きくて速いボールを投げられたので、とにかくピッチャーでよく投げていました。今考えると明らかに投げ過ぎで、その影響で利き腕の左腕だけ今でも短いんですよ」

――当時からかなりトレーニングをされていたとうかがいましたが。 「メジャーリーガーのカンセコやマグワイアが凄いホームランを打っていたのをBS放送でよく見ていましたね。あと北斗の拳とプロレスが好きで、その三つから『体を鍛えたい!』という発想になって、ボディビルのジムに通ってトレーニングを始めました(笑)。中3の時にベンチプレスで100キロあげてました」

――当時の野球界ではまだまだウエイトの知識は広がっていない時期ですね。 「どの高校にも食事と休養が大切という考えがまだない時代で、ろくに朝食も食べずに走り込んでいたらどんどん筋肉が萎んでいくんですね。なので、入部したての1年でしたけど、監督に『朝はしっかり食べさせて欲しい』『アミノ酸を摂取させて欲しい』『練習中に水を飲まないと危険です』と直談判してましたね(笑)」

――当時から行動力がすごいですね(笑) 「でも、当時の監督さんは度量のある方で、普通は『なんだと!』ってなるところだと思いますけど、話をきちんと受け止めて、認めてくれましたね。なかなかできることではないと思います」

■不登校、留年、そして渡米 ――入学早々から4番を任せられる実力がありながら、その後は不登校になり野球の練習にも行かなくなったそうですね。 「入学してすぐの試合でホームランを打って、その後のモチベーションの維持が難しくなったり、家庭の中がゴタゴタしていたり…思春期の時期にいろんなことが重なって自律神経のバランスを崩して、学校に行けなくなったんです。野球をやりたくてもやれないという状況になりました。それで留年して、もう一度高校1年をやることになったんです」

――もう一度学校に行くようになったのは、何かきっかけがあったのですか? 「『根鈴はあのまま終わった』と思われるのが悔しいじゃないですか? なので、2回目の1年生は勉強をものすごく頑張りましたね。学年で一番にもなりましたから。それで1年後、同級生たちが3年になっていたんですけど、もう一度野球部に戻りました」

――そこから、なぜアメリカに渡られたのですか? 「野球部に復帰したんですけど、『1年以上野球をやってなかった奴をなぜ使うんだ!』とか、周囲の不満みたいなのがあるなって、何とくなくわかるじゃないですか? そういうのに疲れたんですね。それで休学して、アメリカに行くことにしたんです。どうしてもアメリカが良かったというわけではなくて、当時は日本に独立リーグもクラブチームもなかったですから、高校で野球を辞めた人間がもう一度野球を続ける道はアメリカしかなかったんです」

――英語は話せたんですか? 「アメリカに最初渡った時は何もできませんでした。でも、だんだん会話が通じるようになってくるんです。そうするとソフトボールに参加させてもらうえるようになっ¬て、しばらくすると次は野球チームの練習に行けるようになって、(少しずつ成長していく)リアルなロールプレイングゲームをしているような感じでしたね」

――ネットもない時代に英語も喋れない中で、十代の子が単身アメリカに渡るというのはかなり勇気がいることですね。 「大体の不登校になるような生徒は自分に自信が持てないことが多いと思うんですけど、自分の場合は最初のアメリカでの経験が自信になって、その後に繋がったというのはあると思いますね」 (取材・西尾典文/写真・編集部) *次回は、様々な体験をしてきた根鈴さんが少年野球の保護者や指導者に伝えたいことを伺います。 BASEBALL KING 〔2019年10/2(水) ベースボールキング〕

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イチローを超えかけた男 「叶わなかった甲子園への青写真」人生のレールを外れたからこそ見えたもの ~奇跡の48年生には、イチローを超えかけたもう一人の男がいた~ 根鈴雄次(ねれいゆうじ)。中学時代からパワフルなバッティングが評判を呼び、数多の高校野球名門校の間で激しい争奪戦となった男がいる。甲子園で活躍し、プロに行く----誰もがそう信じて疑わなかった彼は、高校入学からわずか1ヶ月後の「不登校」によって“野球界の王道”からコースアウトしてしまう。引きこもり、中退、渡米、定時制高校卒業からの法大入り、そして二度目の渡米……周囲に惑わされることなく「己の声」を聴き、自分の可能性を信じて道を切り開いてきた男の半生は、私たちに何を教えてくれるのか。

※本稿は、喜瀬雅則『不登校からメジャーへ ~イチローを超えかけた男~』(光文社新書)の一部を再編集したものです。 ◆“怪物”を育てた男 東京から電車を乗り継ぎ、およそ3時間。茨城県鹿嶋市は、サッカーJ1の強豪・鹿島アントラーズのホームタウンでもある。Jリーグの試合当日には、深紅のレプリカユニホームに身を包んだサポーターたちで、JR鹿島神宮の駅前はごった返すという。

「それ以外の日は、このあたり、人がいませんよ」 笑いながら、タクシーの運転手さんが明かしてくれた。 その静かな駅前から、小高い丘に向かって車で約10分。下校する生徒たちの横をすり抜けるようにして、車は鹿島学園高の正門前へと到着した。 「相当、遠かったでしょ?」

野球部監督の鈴木博識(すずきひろし)が、プレハブの部室で、温和な笑顔とともに出迎えてくれた。 1989年(平成元年)創立の同校には、2018年(平成30年)現在も甲子園の出場経験はなく、県ベスト4が最高成績だ。 決して強豪とはいえない、歴史も浅い野球部に鈴木が監督として迎えられたのは、2015年(平成27年)8月のことだった。 鈴木が築き上げてきた実績は、実に輝かしい。 1996年(平成8年)から14年間、母校・日本大学の監督として、全国大学選手権で準優勝2度。村田修一(元・横浜~巨人、現・巨人2軍打撃兼内野守備コーチ)、長野(ちょうの)久義(巨人~広島)ら、プロの世界でも一線級で活躍する選手たちを、数多く育て上げている。 1950年(昭和25年)生まれ。還暦も越えた名将が、最後の挑戦の場として選んだのは、もう一度、高校生と一緒に、甲子園という「夢」を追うことだった。 鈴木は1968年(昭和43年)夏、栃木・小山高のエースとして甲子園に出場。初戦(2回戦)の高松商戦では、8回まで1失点の好投も、同点で迎えた9回にサヨナラ負けを喫している。 日大、そして社会人の三菱自動車川崎でも活躍した後、1981年(昭和56年)から、指導者生活をスタートした。 まず青森商で5年間監督を務め、1987年(昭和62年)から日大藤沢高の監督に就任した。 赴任当時、日大藤沢には甲子園出場経験がなかった。 自分もプレーした夢の舞台に、生徒たちを立たせてやりたい。 情熱的な指導ももちろんだが、いい選手がいると聞けば、休日も惜しんで、スカウティングのために足を運んだ。 監督就任直後の、暑い夏の日のことだった。鈴木は、中3の有望な左打者を視察するため、神奈川県内のあるグラウンドに出向いた。 ところが、その選手と同じチームで一塁を守っていた体のがっちりした「別の選手」の動きに、いっぺんに心を奪われた。 「バッティングのパワー。ヘッドスピード。スイングの強烈さ。それは、すごかったですよ。この選手、いいなあと」 それが、中学2年生の根鈴だった。 シニアリーグでは、軟式ではなく、硬式のボールを使う。緑中央リトルシニア(現・横浜青葉リトルシニア)に入団した根鈴の、中1での初めてのゲーム。つまり、硬式での第1打席でいきなり、本塁打を放ったという。 根鈴は、聞こえてくる“自分への高評価”がうれしかった。 「今で言うなら、清宮(幸太郎=現・日本ハムファイターズ)君みたいに、ずぬけた体で目立っていたみたいです。パンチ力も『神奈川県で1番』と言われて、打ったら周りが『おーっ』って」 小6の時点で、すでに身長170センチ、体重85キロ。その恵まれた体格を生かした豪快なバッティングは、県内でも早々と、評判になっていた。 すごい体の中学生が、ホームランを打ちまくっている--。 根鈴に着目したのは、鈴木だけではなかった。 横浜、桐蔭学園、東海大相模。名だたる強豪校の監督や関係者が根鈴のプレーを視察に訪れた。 「ウチの学校に来てくれないか」 にわかに“怪物争奪戦”が勃発していた。 〔2019年10/3(木) 本がすき。〕


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安里駿佑 夢に向けテイクオフ 中学3年生、パイロット目指しハワイへ 1年かけて訓練 訓練を受けるため渡米することを報告した安里駿佑さん(左から2人目)と野国昌春町長(同3人目)ら=9月19日、北谷町役場 【北谷】沖縄県北谷町立桑江中学校3年の安里駿佑さん(14)は、夢であるパイロットになるための一歩を踏み出そうとしている。6日から米国ハワイ州に旅立ち、約1年かけて県内とハワイを行き来しながらグライダーの免許を取得するための訓練などを受ける。目指すは17歳で取得できるセスナ機の操縦免許だ。9月19日、北谷町役場に野国昌春町長を訪ね、抱負を語った。 米軍嘉手納基地を離着陸する米軍機が上空を飛び交う北谷町宮城に住む安里さん。幼少期から飛行機好きの父猛さん(44)に連れられて飛行機を眺めるうちに、飛行機のとりこになった。物心ついた頃から写真を撮り始め、今では音を聞いただけで機種が分かる。 一時期、不登校気味になっていた安里さんの足を学校に向かわせたのも飛行機のおかげだ。中学2年生の頃、航空ショーを見るために一人で米国へ渡り、約2カ月滞在した。異文化の生活の中で英語に興味が湧き、帰国後は「学校での勉強が楽しくなった」という。校内のスピーチコンテストに出場し、11月には英国留学に派遣される。 飛行機について学ぶ場は嘉手納基地の滑走路を見渡せる「道の駅かでな」だ。「飛行機愛好家の人たちと交流しながら、さらに知識が深まった」と話す。 安里さんが目指しているのは貨物などを輸送するプロペラ機のパイロット。「海外で働くためにもっと英語も身に付けたい」と意気込んだ。 報告を受けた野国町長は「グローバルな社会に対応できる人材育成に取り組んでいる。今後の精進に期待したい」と背中を押した。 琉球新報社 〔2019年10/3(木) 琉球新報〕

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BE KOBEミライプロジェクト BE KOBEミライプロジェクト 子ども支援団体を審査/兵庫県 兵庫県の神戸市が企業などと基金を設立し、子どもの支援を行う団体を応援する取り組みが2019年から始まり、10月3日、支援団体の審査会が行われました。 神戸市の「BE KOBEミライPROJECT」は、神戸の未来を担う子どもたちを支援しようと2019年発足。 これまでに、クラウドファンディングなどでおよそ100万円の助成金が集まっていて, 3日は、交付先を選ぶ審査会が開かれ、12の団体がそれぞれ活動内容を発表しました。 厚生労働省などによりますと、国内では、子どもの7人に1人が貧困状態にあるとされていて,地域で子どもを支える仕組みづくりが必要とされています。 審査会に参加した団体の代表は、演劇を通して不登校の子どもや悩みを抱える親の居場所を作る取り組みなどそれぞれが行っている支援についてアピールしました。 また、会場では売り上げの一部を基金に寄付する企業の紹介もされていて、商品の1つであるコーヒーなどが振る舞われました。 審査結果は、10月10日に「BE KOBEミライPROJECT」のホームページで発表されます。 〔2019年10/3(木) サンテレビ〕

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旗当番やPTAの役員会 PTA役員や旗当番「任意なのに強制」という矛盾が生む息苦しさ。回避法はある? 夏休みが終わり、旗当番やPTAの役員会などが再開して憂鬱だという保護者の方も少なくないようです。そこで今回は、「PTA活動」や「旗当番制度」の矛盾をはらんだ現状について詳しく掘り下げるほか、最後の項目では回避方法についても紹介します。 「PTA役員・子ども会役員」「旗持ち」とは? 小学生のお子さんがいる方は内容や仕組みをご存知だと思いますが、各学校によって違いがあるため、ここでは筆者の子供が通う小学校のほか、全国各地にいる友人・知人の話をもとに簡単に説明します。

旗持ち 「旗持ち当番」「立哨当番」などと呼ばれる「旗持ち」は、住まいを考慮して組み立てられた順番に、各保護者が1~2カ月に1回ぐらいのペースで決められた場所に立哨する仕組み。また、立哨の代わりに、子供たちの集団登校を当番制で見守る学校もある。

PTA役員 クラス全員の保護者が、6つほどの部から希望する部を選択し、それぞれの部から代表が選出され、さらにその代表の中から部長や副部長が選ばれる仕組み。部によって内容が異なり、他校との球技大会(参加者は保護者のみ)の開催や夏休みに上映する映画のチケットを参観日に販売したり、ヨガや料理教室を開催して参加を募ったりする。

子ども会役員 旗当番の表を子ども会の保護者に、クリスマスのお菓子や年度が変わる前には図書券を子ども会の子供たちに配布する。 廃品回収をして子ども会費につなげるなどの活動を行ったり、夏休みのラジオ体操の監督を交代で行ったりする場合もある。 誰かが免除されるのを許せなくなるメカニズム そもそも、PTA役員や旗持ち当番は「ボランティア」なので、強制されるものではありません。にもかかわらず、学校から配布されるPTA役員の用紙には「必ずどこかの役員に所属する」ように記され、PTAが運営する毎朝の旗当番や子ども会の役員選出についても「断る」という選択肢がないケースが多いようです。 そのため、たとえ仕事や家庭の都合、親の介護、子供の不登校といった事情であっても、誰かが役員や旗当番を免除されると周囲の人たちは納得がいかないという状況に陥ってしまうようです。 これは、誰かが免除されると残っている人たちの負担が増え、「しんどくても私はやっているのに」「ずるい」という気持ちが芽生えてしまうことが原因と言えるでしょう。こういった状況や感情が、PTA役員や旗持ちについて「誰かが免除されるのを許せなくなるメカニズム」を作り出していると言えます。

「ボランティアなのに強制」という矛盾 子供が小学校に入学してまもなく、「子ども会は任意団体なので入るか入らないかは自由ですが、役員に当たった場合はやってもらわないといけなくなるんです。それから旗当番は、子ども会とは違うPTA団体が管理しているので、こちらもやってもらうことになります」というような説明を受けた人も多いのではないでしょうか?  「子ども会は任意で入会するかどうかを決めることができるのに、その子ども会の役員については強制で持ち回り」ということは、事実上、子ども会への加入は任意ではなく強制されていることになります。 子ども会への加入が任意なのであれば、子ども会に入会しなかった人が役員をするのはおかしな話です。また、PTA団体への加入についても任意であるならば、PTAが運営する旗当番については辞退することができるはずです。

さらには、個人情報の開示に同意をしていない住所や氏名が、学校から勝手に子ども会に伝えられていることも不思議な現象と言えます。 「1人だけ免除して今後どうするつもり?」「責任は取れるの?」 では次に、そもそもはボランティアなのだから辞退をするのも自由なはずのPTA役員や旗持ち当番が、なぜ強制的な状態のまま存続しているのかについて考えていきましょう。現状は次のような状態が少なくないのではないかと思われます。

・子ども会の説明を受けたときに「役員や旗当番についても辞退が可能なはず」だと伝えても、「役員や旗当番は避けられないので絶対にやってもらうことになります」の一点張り。

・子ども会の会長さんに連絡をしても、「私の一存では決められないので…」と言葉を濁す返事のみ。

・学校に訴えても、「PTAは保護者の方たちが任意で活動している団体なので、学校が口を挟むことはできないんです」と言われてしまう。

では、仕事や家庭の都合、親の介護、子供の不登校といった事情で役員や旗当番が難しい場合、どこに訴えればよいのでしょうか?  上記のような現実では、「辞退したい」という声を受け入れる窓口を、学校とPTAが無意識のうちに連携して潰してしまっていると言えるため、窓口を探すことは非常に困難と言えます。 誰かが1人を免除してしまうと、「1人だけ免除して今後どうするつもり?」「他の人からも免除してほしいと言われたとき責任は取れるの?」「どの家庭にも事情があるのに」などと責め立てられてしまうからです。 そして、誰もが辞退できない状況がつくりあげられた結果、現在も役員や旗持ちという制度が強制的な状態のままになってしまっているのでしょう。 本当に役員や旗当番は必要? そのメリット・デメリット ここでは、リアルタイムで子供が小学校に通っている保護者たちと、子供が以前に小学校に通っていた保護者たちの生の声をご紹介します。

 役員や旗当番のメリット  ・立哨のおかげでスクールゾーンに侵入してくる車を防いだり、不審者から子供たちを守ることにつながったりしていると思う  ・転勤族にとっては、手っ取り早く保護者の方と馴染めるチャンスになのでありがたい  ・いろいろな保護者と話せるので、学校のことなど情報交換ができる  ・親同士が仲良くしていても陰湿なイジメがある場合もあるので何とも言えないが、保護者同士のコミュニケーションの場になっていて、子供同士の輪が広がるキッカケにもなっていると思う  ・旗当番をしていると、子供の友達やほかの子供たちの様子もよくわかる

 役員や旗当番のデメリット  ・ボランティアなのに辞めることができず、不満が募る  ・PTA役員の仕事は、廃止しても特に困るようなものが思い当たらず、何のメリットがあるのかがわからない  ・保護者が立哨していることに子供たちが安心しきっていて、車への注意や危機感が薄い  ・辞めたいと感じても、たらいまわしにされてしまい、結局は卒業までやるハメになる  ・事情がある人への配慮がされにくい  ・仕事や家庭の都合を優先しにくい雰囲気  ・都合が悪いと先生に代わってもらうこともできるが、連続で続くと余計にほかの保護者に申し訳なく感じてしまう。できれば、旗当番自体から名前を削除してもらいたい  ・ほかの保護者とのコミュニケーションは参観日だけで十分。役員や旗当番をするメリットは思い浮かばない 見直されるべき役員や旗当番 上記のように、保護者同士のコミュニケーションの手段としては、役員の集まりや旗当番は重要な役割を果たしていると言えるようです。そのため、気持ちや時間に余裕があれば、こういったメリットを得るために自主的に役員や旗当番を行うというのも一つの手段だと言えるでしょう。 しかし、辞退できるにもかかわらず「辞退できないような強制的な制度」は保護者の不満を蓄積させる原因であり、事情がある人への配慮を欠いてしまうことにもなりかねません。 また、60歳以上の雇用が一般的となっている今では、両親に応援を頼むことができない家庭も多くなっているため、役員や旗当番が強制的であることは見直されるべきではないかと筆者は考えています。

下記のように、体調面や精神面での負担だけでなく、仕事や家庭の都合などで現実的に旗持ちや役員が難しいという人たちも少なくありません。  ・妊娠中や産後  ・下の子がまだ小さく、旗当番に連れて行くのも家に置いていくのも心配  ・子供が不登校になり、子供にとっても保護者にとっても立哨が辛い  ・シングル家庭で、保護者が体調を崩しがち、または子供が体調を崩しがち  ・配偶者や両親、義父母が非協力的  ・仕事上、急な出張が入る。もしくは誰かが休んだ場合は、代わりに出勤したり出張へ行ったり必要がある PTA役員や旗当番の回避方法 学校や子ども会に役員や旗当番の辞退を申し出ても受け入れてもらえないような場合は、管轄の教育委員会に相談してみましょう。事情を伝え、役員や旗当番はボランティアで本来は任意であることも念押しし、学校に役員や旗当番を辞退したいと伝えてもらうことで配慮がなされる場合が多いようです。 また、文部科学省によって来年度からスクール弁護士を全国に300人配置する準備が進んでいるため、スクール弁護士に相談してみるというのも一つの手段です。ただ、いじめや虐待から子供たちを守るための相談がメインのようですので、相談時間が長くならないよう、伝えたいことを紙にまとめておくなどの配慮が必要でしょう。 まとめ 子供たちの通っている学校に何か恩返しをしたいとは思いつつも、ボランティアでありながら強制的である役員や旗当番の制度に違和感を覚えている人も少なくありません。 こうした制度が重荷だと感じている人のことはもちろん、現状のシステムでは事情のある人への配慮を欠いてしまうと危惧している人、仕事や家庭の都合、親の介護、子供の不登校といった事情から役員や旗当番が難しいという人の意見が広く伝われば嬉しく思います。 山内 良子 〔2019年10/3(木) LIMO〕

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中川翔子 中川翔子 いじめ自殺無くすため“隣る人”の重要さ訴える Copyright (C) 2019 Kobunsha Co., Ltd. All Rights Reserved. いじめに遭い、不登校になる子どもたち。なかには自ら命を絶ってしまう子も……。私たち大人には何ができるのだろう? 中川翔子(34)が実体験を踏まえて語る。 「『死ぬんじゃねーぞ!!』は私がライブ中にも叫ぶメッセージ。いじめに遭い、私と同じような思いをしている子どもたちに、“どうか生き延びて”と伝えたくて」 そんな願いを込め、中川翔子が自身のいじめ体験を文章とイラストでつづった『「死ぬんじゃねーぞ!!」いじめられている君はゼッタイ悪くない』(文藝春秋)がベストセラーとなっている。

子どものころからマンガやアニメ、ゲームが好きだった中川だが、私立中学に入学直後から、1人で絵を描いていることで「キモい」「オタク」とレッテルを貼られ、いじめが始まった。 「誰からも話しかけられず孤立して、5分、10分の休み時間をどう過ごしていいか、わからなかった」 絶えず誰かに悪口を言われ笑われている気がして、吐き気をこらえながらも、何とか学校へ通う日々。 「週末に、母と一緒にマンガを読んでダラッと過ごしたり笑ったりしているときが救いでした」 大人はよく「つらいのは今だけ」「卒業したら楽になる」と、助け船のつもりで言葉にするが……。 「いじめで苦しんでいる子どもの耳には入りません。私は、死にたくなるくらいなら、学校には行かなくていいと思う。不登校は“逃げる”ことじゃない。自分の人生に合う道を探すことなんです」

中川の母は娘のために、通信制高校を見つけてきた。 「通学も自分のペースでいい。ひきこもりの人やヤンキーもいる。世代もさまざま。いろんな人がいて、それぞれよかった」 教室で絵を描いていると「めっちゃうまいじゃん。Ayu(浜崎あゆみ)の絵を描いて」と、声をかけられたことも。 「うれしかった。その同級生とは今でも友達です。母が違う選択肢を示し、味方でいてくれた。これが何よりサポートになりました」

中川の母は、毎年貯金をはたいて、旅行にも連れていってくれた。 「小学校3年のときに父が亡くなってからは、母が1人で働いて育ててくれました。決して裕福ではないなか、16歳のときには、フロリダのディズニーワールドへ連れていってくれて……。それから10年後、ディズニー映画『塔の上のラプンツェル』('11年公開)で、私がラプンツェルの声を担当したときは、母も大喜びしてくれました。『生きててよかった~』と思いましたね」

そう思ったのには理由がある。 「じつは17歳のとき、『死にたい』という衝撃が襲ってきて、リストカットしてしまったんです。母は『バカ! なんでこんなことするのよ』と、涙を流しながら私を叱りました。父が亡くなったとき以来、初めて見た母の涙……。今も忘れられません」

その後、再び「死にたい衝動」に襲われたという中川。そのときは飼っていた猫が甘えてきて、さすっているうちに収まったという。 「『死にたい衝動』が起きたときは、まずいったん寝て、好きなものを食べたり、好きなことをしたりして、気持ちをそらしてほしい。それを繰り返して、少しずつ毎日を生き延びてほしいです」 好きなことをするーー中川の場合はマンガ、アニメ、ゲームと、“明るい遺書”のつもりで始めたブログだった。

「“好きなこと縛り”で発信していたら、そこに共感の声が届くようになり、自分の居場所になって、夢や未来をつくり出す場所にもなっていきました。私がそうだったように、つらい時代は『未来の種を見つける“さなぎの時間”』。いじめで苦しんでいる子どもには、そう伝えたい。お母さんには、そんな子どもに“隣って”あげてほしいんです」

“隣る人”とは、絶妙な距離感で子どもを見守り、寄り添い続ける人。ある児童養護施設の保育士と子どもを描いた映画のタイトルだったという。 「ただ隣に、そばにいる人。でも、いじめで傷ついた子どもの絶対的な味方。いじめはなくならないかもしれない。でもいじめで亡くなる子は、なくしたい。そのためにも“隣ってくれる”大人が必要なんです」

最後に、10代の自分に今、かけたい言葉を聞いてみると。 「大丈夫。生きているといいことあって、幸せを感じられる。つらい日々も上書きできる。30代、友達もいるよ、約束する!」 いつも“隣って”くれた母にも「ありがとう」と伝えたいーーそう笑顔で答えた。 〔2019年9/9(月) 女性自身〕



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石井光太が考える「貧困問題」 川崎中1男子生徒殺害事件はなぜ起きたのか――石井光太が考える「貧困問題」の本当の問題点 ©杉山秀樹/文藝春秋 日本の7人に1人が貧困層の今、貧困問題は決して個別の事象でもなければ自己責任でもなく、少年犯罪、虐待、売春、精神疾患、薬物依存と密接につながっている。新著『 本当の貧困の話をしよう 未来を変える方程式 』を上梓したノンフィクション作家の石井光太氏が、「忠生中学生徒刺傷事件」から「足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件」まで、数々の凶悪事件から貧困問題の本質を浮き彫りにする。(全2回の1回目/ #2 へ続く)       ◆ ◆ ◆ 等価可処分所得が1人世帯で122万円以下の層 ――日本は7人に1人が貧困層に該当し、実際の生活はかなり苦しい家庭が相当数あるにも関わらず、社会のなかで可視化されにくい気がします。 石井 いま日本で問題になっているのは、「相対的貧困」の人々、具体的には等価可処分所得が1人世帯で122万円未満の層です。途上国のストリートチルドレンのような、見た目がもうボロボロの服で今日明日の食事にも事欠くような絶対的貧困ではないので、一見わかりにくい。でも実際には、日々ろくな食事を食べさせてもらっていない子供や、自分の親の年金で生活費をまかなっている50、60代、貧困ビジネスで食い物にされる生活保護受給者といった貧困層が2000万人近くいるわけです。 「お金」や「場所」を用意するだけでは貧困問題を解決できない  その何が一番問題かというと、貧困が生み出す「自己否定感」です。たとえば生活保護を受ければ、最低限の住まいはあって確かに餓死はしないでしょう。でも親も子供たちも「社会のお荷物だ」「世間に顔向けできない」といった疎外感をもちやすく、自己否定感を抱いてしまう。長年そういう精神状態でいると、自分の人生に対して希望を持てずに自暴自棄になり、犯罪、虐待、売春、薬物依存などの問題と結びつきやすくなります。 生活保護予算はすでに3兆円を超え、国も各自治体も膨大なお金をかけてさまざまな施策を打ち出していますが、この自己否定感の問題に目を向けて一人ひとりの中に「自己肯定感」が生まれるような支援でないと、いくらお金を出し、ただ場所を用意したところで問題の抜本的解決にはなりません。単に支援センターみたいな箱だけあって、「ここに来なよ」「支援者もいますよ」といわれても、とくに未成年者にとっては関わりづらいものがあります。

――メンタルの部分に踏み込んだ福祉政策でないと、せっかくの支援があまり功を奏さないということでしょうか。 石井 その通りです。自己否定感を持った子は、学校にも部活にも家庭にも居場所がありません。そういう子は地域コミュニティの中で自分の役割をきちんと持ててこそ、はじめてアイデンティティができて、そこが自分の居場所になってきます。金銭と箱だけでは貧困問題を解決できないんです。 じつは、川崎中1男子生徒殺害事件を取材して分かったのは、被害者の上村遼太くんも加害者の少年たちもみんな、地元のNPOや児童福祉施設と何度かつながっていたのに、全員そこからこぼれ落ちてしまっていたことです。遼太くんのケースでいうと、家庭内暴力が原因で離婚したお母さんは5人の子供を抱えて生活保護を受けていましたが、そこにお母さんの新しい彼氏が家に住み始めるんです。そんな複雑な環境ゆえ思春期の中学1年生にとって家に居場所はなかった。加害者側のある少年はフィリピン人ハーフで、お父さんは蒸発していないし、パブで働くお母さんは日本語が話せず子供をネグレクトし、家では妹と二人で食事もままならない極貧家庭でした。学校ではいじめられて不登校になり、結果、行き場がなくなって不良グループで集まるようになっていった。そして些細な勘違いから、43回もカッターナイフで切り刻まれたあの悲惨な事件が起きたわけですが、福祉制度との接点はあったにもかかわらず、自己否定感から始まった負の連鎖がセーフティーネットを食い破ってしまった。 弱肉強食の「孤児の時代」 ――この問題を論じるうえで、本書では戦後の児童福祉政策のあり方を4つの時代にわけて論じていたのが新鮮でした。戦後~60年代「孤児の時代」、70年代~80年代「校内暴力の時代」、90年代「いじめの時代」、2000年代以降「虐待の時代」です。

石井 時代の流れを俯瞰してみると、根っこの問題を解決しないまま対症療法で押さえつけても、時代によって問題の表出の仕方が変わるだけだということが見えてきます。まず「孤児の時代」から考えていきましょう。戦後、街に浮浪児が溢れかえりましたが、彼らはいわゆる戦災孤児と、戦争で精神を病んでしまった親に捨てられた家出少年たちで構成されていました。その最大のたまり場は上野で、12歳以下を中心とした浮浪児が靴磨きや闇市の手伝いなどで食いつないでおり、逆に13歳以上の子供たちは、農家の深刻な人手不足を背景に人買いによる人身売買の対象にされた。社会全体が混乱していた時期で、物理的に食べ物も生活に必要な物資も大きく不足し、1948年には日本で初めて児童福祉法が施行されますが、当然国の手当は追いつきませんでした。

子供たちは怒りの表出先をどこに向けるかというより、日々生きるだけで精一杯の弱肉強食の世界でした。統計をみると明らかですが1950年代に入って自殺者数が急激に増えていくんですね。路上での野垂れ死や餓死、凍死も多く、精神的に耐えられなくなった人たちから自殺していく。かつて上野の浮浪児だったヤクザの組長に取材したことがあるんですが、当時はみんなお腹をすかせて犬も食料にしているような状態。あるとき隅田川を歩いていたら仲間がひとり「もう疲れたよ」ってつぶやいて、ドボンと隅田川に飛び込んで自殺してしまったそうです。生き延びたその組長は戦後73年たって、その同じ川に飛び込んで自殺するんですね……。 生き残るというのが運だった時代。浮浪児だけでなくパンパンや傷痍軍人のような社会に捨てられた棄民が相当数いた。彼らは棄民たち同士で助け合い、それこそヤクザに助けられて生き延びた子供たちもいた。生きるのに必死すぎてそこには尊厳もクソもなかったというのが彼らの本音で、日本が絶対的貧困だった時代です。 「忠生中学生徒刺傷事件」にみる「校内暴力の時代」 ――それが60年代の高度経済成長を経て、70年代には「校内暴力の時代」になったのはなぜでしょうか。

石井 まず高度経済成長期に核家族化が進んで、地方から都心部へ多数の人口が流入しました。いままでだったら地方コミュニティのなかで家庭に問題が起きたら親戚や地域の人に助けを求めやすかったのが、問題を家庭内で抱え込みやすくなった。大量生産・大量消費社会の出現を背景に、家を買うのにローンを組む人が増え、クレジットカードが普及し、消費者金融が拡大していったのもこの時期です。日本の企業が世界に進出して国内の景気がよくなる反面、この時期、サラ金よって家族が離散したり、成長の恩恵にあずかれない家庭の格差はどんどん拡大していきました。 この頃は、核家族に対する理解と支援がなかったうえに、当時の様子を学校の先生たちに聞くと、「闇金」の横行で一回借金したら雪だるま式に返せない額に膨らんで、親が「蒸発」してしまう家庭もけっこうあった。児童養護施設に引き取られた子供たちの多くは経済的な問題を抱えた家庭でしたし、差別などもあからさまな形でありました。つまり、社会によ って貧困家庭が押しつぶされている構図が明らかだったのです。

そこで、「社会が家庭を壊したんだ」と大人が支配する社会に不満を抱いた高度経済成長期の子供たちは、中学生・高校生になった70年代に校内暴力という形で抱えていたフラストレーションを爆発させます。先生に対する暴力行為や生徒同士の血を流すような喧嘩、学校の窓ガラスをわってバイクで走り回るような不良行為が日常茶飯事。80年代放送のドラマ『スクール・ウォーズ』の世界なわけですが、TVだと熱血教師がみんなを押さえつけていたのが現実にはむしろ先生たちのほうが痛めつけられていた。 「教師と生徒が逆転」の衝撃 象徴的なのが83年の「忠生中学生徒刺傷事件」です。町田の中学につとめる30代の男性教師が自衛のために果物ナイフを持ち歩いていたのが、ある日生徒に襲われて反撃して、ケガを負わせてしまった。世間はびっくりしたわけですね、いままで教師が生徒を押さえつけていると思っていたのが完全に逆転している。最初は教師を批判するトーンだったのが、よく見れば校内暴力は深刻化していて、街中に暴走族も溢れかえっている。事件は大々的にメディアで報じられ、国は全国の校内暴力の沈静化に本腰をいれて、学校に警官を派遣して非行少年を取り締まったり、暴走族を一網打尽にして少年院に送り込むようになりました。あの頃「警察24時」ものの番組でもよく、暴走族壊滅作戦などに密着していたでしょう。

――ありましたね。爆音鳴らして走行する暴走族集団vs県警パトカーみたいな。 石井 不良グループも暴走族もそうですが、当時の不良児は「組織化」されていました。貧困家庭でグレてしまった子とか、虐待家庭で育った子とか、いまでいう発達障害の子とかが、不良の縦社会のなかで殴られながらもついていって、仲間とともに社会に怒りをぶつけ、大人の社会にたいして復讐をしていた。でも警察が本格的に介入するにしたがって、80年代後半からバブル期の幕開けとともに徐々に校内暴力が減っていきます。「24時間戦えますか」のCMに代表されるように、この頃はとにかく猛烈に働く企業戦士が多く、父親は休日もゴルフだ接待だと仕事でつぶれ、子供を十分にかえりみない家庭も多かったでしょう。家庭という問題の根っこは変わらないまま、ガス抜きだった校内暴力という「穴」に強引にコンクリートを流し込んで詰めたら、今度は別の穴が開いただけでした。

石井光太(いしい・こうた) 1977年東京生まれ。作家。国内外の貧困、災害、事件などをテーマに取材・執筆活動をおこなう。著書に『物乞う仏陀』『神の棄てた裸体 イスラームの夜を歩く』『遺体 震災、津波の果てに』『「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち』『浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち』『原爆 広島を復興させた人びと』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『漂流児童 福祉施設の最前線をゆく』『虐待された少年はなぜ、事件を起こしたのか』など多数。 Amazonで購入する 3歳男児が窒息死 “足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件”の両親は次々と子供をつくっていった へ続く 石井 光太 〔2019年9/28(土) 文春オンライン〕

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石井光太が考える「貧困問題」 3歳男児が窒息死 “足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件”の両親は次々と子供をつくっていった 石井光太氏 ©杉山秀樹/文藝春秋 川崎中1男子生徒殺害事件はなぜ起きたのか――石井光太が考える「貧困問題」の本当の問題点 から続く 日本の7人に1人が貧困層の今、貧困問題は決して個別の事象でもなければ自己責任でもなく、少年犯罪、虐待、売春、精神疾患、薬物依存と密接につながっている。新著『 本当の貧困の話をしよう 未来を変える方程式 』を上梓したノンフィクション作家の石井光太氏が、「忠生中学生徒刺殺事件」から「足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件」まで、数々の凶悪事件から貧困問題の本質を浮き彫りにする。(全2回の2回目/ #1 より続く)      ◆ ◆ ◆ 「山形マット死事件」「旭川女子中学生集団暴行事件」…… ――90年代の「いじめの時代」に移行したわけですね。 石井 学校での表向きの暴力が力で押さえつけられたら、今度は大人の目の届かないところで陰湿ないじめが起きるようになっていきました。暴力は不可視化され、陰湿なものになっていった。教育環境が落ち着いたと思っていた大人たちは、いじめによる死を突然突きつけられ、混乱しました。「葬式ごっこ」で男子中学生が自殺に追い込まれた80年代後半の「中野富士見中学いじめ自殺事件」を先駆けに、90年代には「山形マット死事件」「旭川女子中学生集団暴行事件」など陰湿きわまりない事件が起きていきました。体育館のマットで逆さにぐるぐる巻きにされて男子生徒が窒息死した山形の事件では7人の子が加担し、旭川の事件では男子生徒10人が性的暴行を加え、うち1人がレイプしています。力の強い不良同士の暴力ではなく、普通の子が普通の子を集団でいじめる構図のなか凄惨な事件が起きました。

個人的な体験でよく覚えているのは、僕が中学のときクラスに知的障害の女の子がいて、お父さんに性的虐待をされて母子で東京に逃げてきたんですが、見た目が汚いし、「私、お父さんとセックスした」とか周りに言ってしまうわけです。すると男子生徒がおっぱいやお尻を触ったりしていじめる。いまなら軽い知的障害や発達障害の子は専門的な支援が受けられますが、当時は「普通の子」と同じように扱われていましたから、ケアの対象にならず、陰湿ないじめのターゲットにされたことも多かったと思います。

国はさまざまな事件を受けて全国的ないじめ防止キャンペーンを行い、啓発活動に取り組んだ結果、学校でのいじめはしだいに減っていきました。90年代初頭のバブル崩壊はいわゆる「失われた20年」の始まりだったわけですが、失業率と離婚件数は増加の一途をたどり、問題を抱えた家庭も多かった。そして2000年代になって、子供たちの間に「自傷行為」「不登校」「引きこもり」といった現象が目立ち始めます。学校内のいじめを封じ込めていったら、今度は暴力性が他者ではなく自分に向いたり、無気力に家に引きこもる子供が大量に出現したわけです。 2000年以降の「虐待の時代」 ――こうした現象の背景に何があったのでしょうか。

石井 問題を抱えた子供たちを調査すると、背景に家庭での虐待経験があることが分かってきたんですね。もちろん、以前から今で言うネグレクトや家庭内暴力はありましたが、メディアで盛んに取り上げられたことで顕在化しやすくなり、統計的にも虐待の相談件数が急増しました。これが2000年以降の「虐待の時代」です。リストカットや引きこもりといった社会的不適合の子供たちが内面に問題を抱えていること、虐待やネグレクトなどによって、脳の発達が遅れてしまうことや精神疾患を抱えやすくなるといったことが広く知られるようになり、いままで教育の領域だったものが医学の領域にシフトしました。

また、家庭の問題は「親を支援しないと解決につながらない」という視点がこの時代になってようやく出てきました。実際に虐待家庭を取材すると、貧困家庭が多く、親がアルコール依存症などの問題を抱えているケースが多く見受けられます。無論、貧困だから虐待をするという意味では決してありませんが、比較すれば貧困などが要因としてあるというのは統計に表れています。どの家庭にだって似たようなトラブルが起きるものですが、貧困家庭では親自身の問題が経済的問題によってねじれにねじれてしまっているのです。

一例を挙げると、僕が『 「鬼畜」の家 』で書いた「足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件」は、2013年当時3歳の皆川玲空斗くんが両親にウサギ用のかごに監禁され、口にタオルをまかれて窒息死させられた凄惨な事件ですが、父親の皆川忍、母親の皆川朋美のふたりとも、貧困の連鎖のなかで形成された、いわば世間から孤立した「非社会の親」でした。朋美はホステスをやっていた母が客との間につくった子で、母の再婚相手の家で腹違いの兄弟たちとともに育ちますが、中学のときに学校で深刻ないじめを受けて不登校になり、中卒で自らもホステスになった。10代で店で知り合った客との間に子供をつくっていた朋美は、母に連れられて初めて行ったホストクラブで、同じく中卒でホストをしていた忍と出会い、ひと月後には同棲をはじめ、毎年のように子供を生み続けるんです。朋美は専業主婦になり、忍はホストをやめて派遣会社に登録して運送の仕事をしていたんですが、当然大家族で暮らせるわけがない。彼らの財源は生活保護。生活保護を支給されるようになってから再就職しようとせず、第5子、第6子と出産していき、最終的には月40万を超える支給額を受けていました。生活保護をもらって密室で暮らせるから、誰もストップをかける人がいないまま、次々と子供をつくっていった。 虐待している意識のない親たち   一方の忍はホステスの母とトラック運転手の間にできた子で、奔放な母に育児放棄され乳児院と児童養護施設で育てられています。小学校のころから(目につくものはなんでも口に入れてしまう)異食症を発症し、さまざまな問題行動を重ねていた忍は、中卒後、当時ソープランドで働いていた母と暮らしますが、食事もろくに作られず水道やガスが止められることも日常茶飯事な劣悪な環境で、高校を中退して職を転々とした勤め先のひとつが朋美と出会ったホストクラブだったわけです。 彼らの住んでいたアパートではゴミ屋敷のような部屋で犬猫を15~16匹飼っていたんですが、走り回る犬を犬小屋に閉じ込める感覚で「うるさいから」と玲空斗くんをウサギ用のケージに監禁し虐待を繰り返していた。次女の玲花ちゃんには犬用の首輪をつけて動きを制限していた。ある日、ケージのなかで玲空斗くんがギャンギャン泣き始めて、やかましいと忍がタオルで口を縛ったら、翌日死んでいた。僕は取材前、どれだけ極悪人の夫婦かと思っていたら、本人たちは虐待している意識がなく、彼らは彼らなりの仕方で子供を愛していたことに強い衝撃を受けました。二人とも親の貧困という闇があって、すべての感覚や優先順位が狂ってしまっているまま、生活保護で「非社会の親」になり、子育てでまわりとつながることもないまま、結果として子供を虐待死させてしまっている。

――福祉政策、支援のあり方を深く考えさせられる事件ですね。 石井 冒頭でも言ったように、自己否定感というその子が抱えている精神的な問題をなくさない限り貧困問題は解決できません。お金だけ、箱だけ用意しても絶対に駄目なんです。もちろんそういう物理的な支援も必要ですが、社会のなかで多様な価値観を認めて、さまざまな境遇にある人たちの特性を認め、尊重する――そうやってその子のなかで自己肯定感を育んでいくことこそ大切です。 痛ましい事件を繰り返さないために 4つの時代のなかで現在の虐待の時代はとりわけ孤立しやすく、自分のなかに問題を抱え込んでしまった人が自己否定感を雪だるま式に膨らませてしまいやすい。新著『 本当の貧困の話をしよう 』では精神的なケアを含めた問題解決へのアプローチ、さまざまな支援策やソーシャル・ビジネス、貧困の壁を突破した先人たちの知恵と勇気を書きました。これまで数多くの学校で貧困問題に関する講演をしてきましたが、本書はその集大成として17歳に向けて語りかけるスタイルで一冊にまとめたものです。社会の諸問題の根っこにある貧困の連鎖を歴史のなかできちんと位置づけて考えることは、地域社会の未来をつくっていくうえで必要不可欠であることはもちろん、自分自身の人生を切り開いていくうえでも、たくさんの本質的な「気づき」があると思います。痛ましい事件を繰り返さないためにも、本書がみなさんにとって「これからの未来を語り合う」きっかけになれば嬉しく思います。

石井光太(いしい・こうた) 1977年東京生まれ。作家。国内外の貧困、災害、事件などをテーマに取材・執筆活動をおこなう。著書に『物乞う仏陀』『神の棄てた裸体 イスラームの夜を歩く』『遺体 震災、津波の果てに』『「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち』『浮浪児1945- 戦争が生んだ子供たち』『原爆 広島を復興させた人びと』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『漂流児童 福祉施設の最前線をゆく』『虐待された少年はなぜ、事件を起こしたのか』など多数。 石井 光太 〔2019年9/28(土) 文春オンライン〕

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中川翔子 中川翔子が語るいじめ体験「毎日戦う、生き伸びる、やり過ごすのに一杯一杯だった」 タレントの中川翔子さん(34)が、『 「死ぬんじゃねーぞ!!」 いじめられている君はゼッタイ悪くない 』(文藝春秋)を上梓した。いじめられて不登校になった体験を文章と漫画で伝えている。また、最近のいじめを理解するために、当事者にも話を聞いている。いじめで悩む当事者だけでなく、「大人たちにも読んでほしい」と語る。 死ななくてよかったって心から思った

――当時の自分から見て、今の自分はどう見えていると思いますか? 中川 遠すぎて、30代が。未来すぎて。「大人になった今よりも、何十倍も重くて長かった」と、当時の自分からすると思う。30代になることすら、自分は考えていなかったかもしれない。毎日戦う、生き伸びる、やり過ごすのに一杯一杯だった気がするんです。

――「死ぬんじゃねーぞ!!」というタイトルに込められた意味は? 中川 ずっと部屋に閉じこもって、死んじゃいたいって思っていました。密かに憧れていたのが、アニメソングを唄う人になることです。遠い未来にその夢がかなった瞬間があり、死ななくてよかったって心から思ったんです。ライブに来てくれた一人ひとりも大変なことがあった中で来てくれて、会えている。同じこと、好きなことを共有できている。いろんな感情がばーっと湧いた時に思わず、最後に叫んだんです。 人生は壮大なゲーム、RPGのように考えても、年齢を重ねるたびに、心の余裕というか、切り替えられるような術を見つけられます。当時、キラキラした青春を送っていたら、こんな人生ではなかった。この仕事もしてなかっただろうし。その頃に無理やりにでも、見つけていた好きなことたちがたくさん経験値になって、未来の自分を助けてくれる。 カーストの底辺になるって、自分でも認めたくない

――学校内の、身分制度にも似た「スクールカースト」のことを取り上げていますね。 中川 目には見えないけど、はっきりと存在する仕組みがあります。 小学校の時は好きな絵を描いていても、先生も素晴らしい方だったので、個性として認めてくれました。しかし、中学になると、空気が変わって、最初にしくじったんです。 「プリ帳を見せて」と言われたんですが、持っていなかったので、慌ててプリクラを撮って、家にあった、おばあちゃんが作ったノートに貼って、持って行ったんです。「なにこれ?」「なんで、おばあちゃんが作ったノートに貼っているの?」「キモいんだけど」みたいな空気になっちゃって。 スクールカーストの底辺になるって、プライドもあるし、自分でも認めたくない。本当に毎日が長くて。「あー、終わった」「でも明日も行かなくちゃ」「嫌だな」って、繰り返していた気がします。 大人にSOSを出すのは限界まで我慢した結果

――中3のとき、靴箱をボコボコにされて、やり返した結果、中川さんの靴が盗まれ、先生に話して、ローファーを借りたエピソードが書かれています。取材では、いじめが起きた後に設置される調査委員会では、やり返していることを理由に、“子ども同士のトラブル”と判断されることがあったりします。 中川 あー、大人って、なんでそうなんだろう。被害を受けても、泣き寝入りだったり、お金とか時間の負担を強いられます。アメリカでは、いじめた方が転校させられると聞きました。 大人にSOSを出してくるって、自分の中で限界まで我慢したり、悩んだりした結果だと思うんですよね。大人がいい加減な対応をすると、何かのトリガーになっちゃう可能性がある。SOSを出してくれた場合は、大人は話をちゃんと聞くこと。そして、被害者に寄り添ってほしい。 振り返ってみると、自分が描いていた絵が気持ち悪かったりするんですよ。それは浮いちゃうこともあるだろうって。でも、靴を盗むって、窃盗じゃないですか。合う、合わないはあると思うんですけど、合わなくても、いじめていい理由にはならないですよね。 いつか「チャイルドライン」のボランティアをやりたい

――最近のいじめは、いじめた側がいじめられる側に、いじめられる側がいじめる側になったりします。 中川 誰しもが悪口を言ってしまう。だけど、やっぱり、命を落とす前に、何段階もあると思うんですよね。自殺の原因って積み重なるものだと思うんですよね。私も17歳のとき、「もう死んでやる」って衝動になっていたんです。それって、一個のいじめだけじゃなくて、あるとき限界になっちゃう。 私もいじめる側、悪口を言っている側になったこともあるし、見て見ぬふりをしているときもありました。だから、いじめている側の気持ちに比べて、いじめを受けた側のショックがどれくらい大きいかもよく分かります。「えーっ」「なんで、自分がこんな目に?」って、混乱ですよ。自分でもどうしようもない、あの感じ。まだ覚えていますね。 社会に出ると、学校こそが特殊な場所ってわかって。仕事する時に我慢したりとか、自分へのご褒美を作ったりとか、なんとかできるようになっていく。だけど、18歳までの時間はやっぱり、大人がどこかで守ってあげるべきです。 18歳の子まで電話をかけられる「チャイルドライン」があって、ボランティアの大人が話を聴く。すごくいいことだなと思いました。いつかそのボランティアをやりたいんですよね。

――超党派の議員の勉強会で「いじめ防止対策推進法」の改正案が作られました。いじめ防止を最優先にすること、いじめ対策主任を置くこと、いじめを放置や助長した教員に対する懲戒処分を盛り込みました。しかし、「現場が混乱する」などの意見があり、改正がされませんでした。 中川 それが仕事だ、混乱しろ! はあ、なんで大人は頭がかたくなっちゃうんだろうな。時代にあわせて、子どもたちを守るのが大人の仕事なのに。寄り添った形にぜひ変えてほしいですね。 大きな事件があって、例えば大津市のいじめ自殺事件で失われた命があって、ちょっとずつ動いているわけじゃないですか。命が失われることを未然に防ぐことができるはず。個性を認めてくれる環境があれば、大人がいたらいいですね。

――いじめは、被害者だけでなく、周囲にも衝撃を与えることがあります。私の取材では、いじめられていない子ですが、止められないことで自殺をした、ということがありました。 中川 え! 罪悪感で? 感受性が強いのかな。優しすぎるのかな……。どんな場合でも、自分で命を絶つことって、これまでやってきたことがぜんぶ無駄になる。止められなかったと思っても、少しずつ日数が進んで、中学から高校になるだけでも、ぜんぜん精神の容量が変わるじゃないですか。でも、そのときは見えないんですよね。 「いじめから逃げる」って言い方はおかしい

――いじめに先生が関与することがあります。1986年の中野富士見中で起きたいじめ自殺では「葬式ごっこ」に先生も参加していました。また、スクールカーストを先生が作ったケースもあります。 中川 通信制高校は風通しがよくって、スクーリングとレポートはやらなければならなかったけど、授業自体は好きな曜日に行ったり、行かなかったりでも大丈夫だったんです。ひきこもり、不登校、いじめられっ子、ギャル、芸能人、いろんな人がいて。席を自由に選べたんですよね。 それだけでもぜんぜん違って。だから教室の隅っこで一人で絵を描いていたんです。そしたら、ギャルの人が「めっちゃ、絵が上手いじゃん」「カラオケ行こうぜ」って話しかけてくれて。前の中学だったら、スクールカーストでいえば「陽キャラ」で「1軍」のような人だったんです。

 よく「いじめから逃げる」って言いますけど、「一回しかない人生で正しい選択をした」と言い方を変えて、角度を変えればいいんですよね。本のために対談した子も、「逃げではない。正しい選択をしただけ」だって。本当にその通りだと思います。 「明るい遺書」のつもりでブログを書いた

――最近のいじめはインターネットを使って行われることもありますが、一方で、ネットが居場所になる子もいます。ネットの使い方でアドバイスできることはありますか? 中川 今の時代でも、「ネットが悪い」と切り捨てる先生がいるそうですよ。この間、10代の子に聞いてびっくりしたんですけど。ただ、10代の子からすると、怖いと思うのは、ゲームの情報を知りたいだけなのに、エロ漫画の広告が出てきちゃう。あれやめてほしいんですよ。あと、大人も、めちゃめちゃ悪口を書くじゃないですか。正義感のつもりかどうかわからないですけど、こういうことをしていたら、いじめがなくならないよね。 私は「明るい遺書」のつもりでブログを書いたんですけど、「呪いのブログ」にしなくてよかったと思う。実際、それで救われたので。好きとか、楽しいとか、そういう思いを込めるゲームのつもりで、ほめるだけのSNSのアカウントを作ってもいいのかもしれない。 「ただ隣にいる人」になってほしい

――自殺対策白書(2015年)によると、1972年から2013年までの42年間で9月1日が、18歳以下の自殺者が年間でもっとも多い日とされています。 中川 夏休みを振り返ると、「やっと学校へ行かなくて済む」「やっと解放された」などと思ったんです。速攻でネットばっかりやって、昼夜逆転して、だらだら腐った日々を送りました。だけど、腐りながらも生き延びました。そして、中3のとき、「木村」という存在に出会った。 私は「キモい」と言われる存在でしたが、木村はハイカーストとも話せるのに、普通に接してくれた。どうでもいいことで一緒に爆笑したり。で、昨日、やっと言ったんです(笑)。「ごめんね、照れちゃって言えなかったけど、本に書いたんだよね」って。 木村がやってくれたことは勇気のある、勇敢な行動だと思うんですよね。「ただ隣にいる人」、それが「隣(とな)る人」。大人にもぜひ、隣ってほしい。クラスにいじめがあるなら、挨拶するでもいい、関係ない話をするでもいい。一緒に笑えることがあったら、ぜひ話しかけてほしい。隣る勇気、木村が増えたら、いいなって。 渋井 哲也 〔2019年8/31(土) 文春オンライン〕




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最初に親がすべきこと 子どもが不登校になった時、最初に親がすべきこと【カウンセラー根本裕幸さん】 子どもの不登校に悩まれている親御さんは少なくないのではないでしょうか。3ヵ月先まで予約のとれない心理カウンセラーとして大人気の根本裕幸さんは、そもそも「学校に行くのが普通」という親の考え方が問題の根源にある、とアドバイスをくださいました。

ゆうりもさんからの質問 Q. 息子が不登校に。親としてどう対応すべきでしょうか? 15歳の子どもが、中学は不登校に、通信制高校は一学期で中退しました。高校選びの時は「高校には行きたい」と言っていたものの、2月3月の事前登校に参加しないまま入学して、行かなくなりました。不登校の理由は、本人は「疲れた」とか「もう無理」としか語りません。いじめではなく、友人関係と、中学時代とのギャップだったのかと思っていました。慎重すぎる性格、小学校での優等生的な態度、ユーモアのセンス、人の気持ちを読むなど、最近話題になり始めたHSC(ハイリーセンシティブチャイルド)の気質に当てはまる要素が多く、それも学校になじめない原因かと考え始めています。 今はゲーム、スマホテレビ、友人1人と月に2回くらい遊ぶのみです。家族関係としては平和です。夫と話し合いをして、本人には「今すぐに転校や高卒認定など考えず、自分の方向が見えるまで待つから」と伝えようと言っていますし、親としても家族会などに参加しようと考えています。ただ本当にそれで良いのか、もっと伝えるべきことがあるのではないかと悩んでいます。(40歳) 根本裕幸さんの回答 A. 学校になじめない性格の子どももいます。その子に合う環境を親が見つけてあげましょう。 不登校の悩みというのは、親が「学校に行ってほしい」と思っているから生まれるものです。親が「別に学校なんて行かなくてもいいじゃん」と思っている家には生まれないのです。親が学校に行くことに執着していると、学校に行きたくない子どもは「親は私を分かってくれない」と思い、そこに心理的対立が生まれてしまいます。ですから、ゆうりもさんがお子さんを無理に学校に行かせようとしていないのは、素晴らしいことだと思います。

ゆうりもさんのお子さんのケースの場合、問題の根っこは非常にシンプルで、要はお子さんは学校になじめない性格なのだと思われます。たとえばこれが習い事なら、始めたもののその先生が合わないと感じたら、別の先生に変えますよね。大人になって会社に入ったときは、会社が合わないと感じたら転職をします。これが当たり前ですよね。ところが学校だけは、“変える”というシステムが許されていないのです。大変不思議なのですが……。 なじめない環境にずっといたところで、得られるものはありません。ただ学校も勉強も嫌いになってしまうだけです。ですから子どもが学校になじめなかった場合、その子に合う環境を探してあげる。それが親の役目だと思うのです。まだまだ少ないですが、今は様々な形態の学校もできてきています。もちろん、必ずしも学校でなくとも良いでしょう。私の知り合いには、海外に行った子もいますし、毎日絵を描いてメルカリで売っている子もいます。ゆうりもさんも、お子さんに合う環境を探し出してあげてください。お子さんの方向性が定まるのを待つのも良いですが、「問題児」として扱われる期間をあまり長くしないことも大切です。 恐らくお子さんは、小学校、中学校も我慢して通っていたのだと思います。ですから親は味方なんだということを示して、お子さんに合う環境を見つけてあげましょう。大切なのは、お子さんの未来をデザインする意識で探すことです。そのためにも、まずは「学校に行くのが普通」という親自身の意識を変えるようにされてください。

PROFILE根本裕幸1972年生まれ。1997年より神戸メンタルサービス代表・平準司氏に師事。2000年にプロカウンセラーとしてデビュー。以来、述べ15000本以上のカウンセリングをこなす。2001年、カウンセリングサービス設立に寄与。企画、運営に従事し、2003年からは年間100本以上の講座やセミナーもこなす。2015年より独立。フリーのカウンセラー、講師、作家として活動している。『いつも自分のせいにする 罪悪感がすーっと消えてなくなる本』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『人のために頑張りすぎて疲れた時に読む本』(大和書房)、『子どもの将来は「親」の自己肯定感で決まる』(実務教育出版)など著書多数。ブログはコチラ→https://nemotohiroyuki.jp/  この人の回答一覧を見る山本 奈緒子1972年生まれ。6年間の会社員生活を経て、フリーライターに。『FRaU』や『VOCE』といった女性誌の他、週刊誌や新聞、WEBマガジンで、インタビュー、女性の生き方、また様々な流行事象分析など、主に“読み物”と言われる分野の記事を手掛ける。 この人の回答一覧を見る 取材・文/山本奈緒子 根本 裕幸 〔2019年10/1(火) webマガジン mi-mollet〕

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夜間中学、「受刑者の需要」調査 香川県教委、開設判断の材料に
高松刑務所で取材に応じる三船晃裕分類教育部長=1日午後、高松市
香川県教育委員会が夜間中学を開設するかどうかを検討する上で、受刑者の需要を判断材料に加える方針を決め、高松刑務所(高松市)に調査協力を要請したことが1日、分かった。
文部科学省は、不登校経験者や外国人労働者らの学びの場として夜間中学の設置を自治体に促している。
刑務所からの出所者を想定した動きは極めて異例だ。
県教委の職員2人が7月31日、高松刑務所を訪れ、依頼書と受刑者への配布文案を三船晃裕分類教育部長(56)に手渡した。
三船部長は取材に「間違いなく受刑者にニーズはある」と述べ、調査への協力姿勢を示した。
〔2019年10/1(火) 共同通信〕

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子どもたちの自己肯定感の低さ 日本の子どもたちは自己肯定感が低い、小学3年生と中学1年生に特に注意を 学校では2学期が始まり1カ月が経ちました。夏休み明けは子どもの自殺が多いことで知られ、8月末には多くのメディアで辛い状況にある子どもたちへの励ましのメッセージが掲載されていました。しかし、残念ながら今年もいくつかの自殺の記事を見ることになりました。 今年の夏休み明けとなる9月2日(月)には東京都内で江戸川区の中学2年生と品川区の中学1年生の自殺の事件が同時に報じられました。また、他のエリアでも中学生や高校生が自ら命を絶ったと思われる事件が複数報道されました。 日本において10代の自殺率は増え続けています。辛い状況にある子どもたちのセーフティネットをますます整備していく必要があります。そしてさらにこのような状況が起きる背景に「日本の子どもたちの自己肯定感の低さ」という課題を感じます。 〇自己肯定感とは 「自己肯定感とは、自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉」とあります。(Wikipediaより) 専門的には色々な解釈がありますが、総じて「今の自分でいい」「自分はここにいていい」と思える感覚のことを指しています。自ら命を絶つようなことはまさにこの逆の感覚で「自分はダメだ」「自分の居場所がない」という状態であるので、自己肯定感を高めていくことは、まさにこの社会問題への解決策になります。 〇世界的に見て自己肯定感が低い日本の子どもたち 内閣府が行っている「我が国と諸外国の若者の意識に関する調査」は、13歳から29歳までを対象に7か国を比較した調査で、本年度5年ぶりにその結果が発表されています。 まず最初に「自分自身に満足している」という調査については下記の結果となっています。

残念ながらこの調査では日本が7か国中最も満足度が低い結果になりました。特に「そう思う」という最も肯定的な回答は10%しかなく、他の国の3分の1~6分の1程度です。日本人の控えめな国民性を割り引いて考える必要はあるのでしょうが、それでも同様の調査のほとんどが「日本の若者の自己肯定感の低さ」を指摘している現状は見逃せないと感じます。 同じ質問の5年前との比較のデータもありました。 「そう思う」・「どちらかといえばそう思う」の合計は前回5年前(46%)⇒今回(45%)と少々後退しました。日本の若者の自己肯定感の低さは、改善していないか、むしろ後退気味であることにさらに危機感を感じます。 自己肯定感にとって重要な「自分には長所がある」という質問は下記の結果でした。

こちらも残念ながら日本はこの7か国では肯定的な返答が最低の結果になっています。アメリカ・フランスと比べると肯定的な返答は30%ほど低い水準です。日本の若者だけ長所がないわけではないでしょうから、自分で感じられていない状況があります。 この質問の前回5年前との比較データは下記になります。 こちらも「そう思う」・「どちらかといえばそう思う」の合計は前回5年前(69%)⇒今回(62%)と後退しました。 〇自己肯定感が下がるのは小学3年生と中学1年生という指摘 それでは自己肯定感はいつ下がるのでしょうか。幼稚園や保育園などの小さい子どもは、結構高そうに見えますが、いつからこんなに下がるのでしょうか。 東京都教職員研修センターによる「自尊感情や自己肯定感に関する研究」に下記の調査結果がありました。この調査によると「小学3年生」・「中学1年生」において自尊感情に大きめの落差が見られることが指摘されています。

小中学生の不登校数は増え続け14万人を超える水準となっていますが、下記の通り、中学1年生で激増します。 小学3年生と中学1年生が特に課題が大きい点は現場で子どもたちを見ている私たちの経験的にもうなずけるものがあります。 小学3年生といえば、学習面がグッと難しくなります。まず生活科が理科・社会に分かれます。算数でも小数・分数・不等号などが登場し、つまずき始める子が増えてきます。そうなると勉強が分からない⇒学校がつまらない⇒イラつきが始まる、という負のスパイラルも起きてきます。また小学3年生は早期化する中学受験を始める子が出てくる年です。塾に通い始めて大量の宿題に向き合い思うようにいかなくなることの影響もあるのかもしれません。 また、中学1年生は「中1ギャップ」と呼ばれるもっと大きな変化が子どもたちに訪れます。通いなれた小学校から中学校になり、メンバーも大きく変わり、制服になり、定期試験、校則、先輩―後輩関係などが一気に訪れます。 このような中で自己肯定感を落としていき、先ほどのような結果になっていることが考えられます。 〇学校・保護者はどうすべきか このような現状に対して、「子どもの良いところを認めて褒めましょう」「ありのままのその子を認めましょう」などと色々な指摘がされています。それぞれその通りだな、と思うのですが、「そうはいってもなかなかできない」という学校現場、保護者の声が聞こえます。今の学校システム、また忙しい家庭の環境においてうまくいかないことが多いのではないかと思います。 簡単な解決策はなかなかないのですが、私は拙著の「自己肯定感 育成入門」にも書かせていただいた具体的な考え方を3つだけご紹介させていただきます。私たちが15年で5万人以上の小学生を見てきた経験からの実効策です。 (1)「ほめる」より「気づく」 これは言い換えると、成果や結果だけで褒めるのではなく、子どもたちの小さな変化や成長のプロセスに注目し、そこを気づいて子どもに伝えるということです。子どもの自己肯定感を支えるのは、無条件で自分の存在を受け入れてくれる「安全基地」の存在です。ですので、どんな結果であるかよりも、親や学校の先生にしか分からない小さな変化や努力をぜひ見つけてあげてほしいと思います。子どもたちはそういう存在が多くいればいるほど心の安全基地が堅牢なものになります。チャレンジする子ほど心に安全基地を持っていると感じます。 (2)「未来」ではなく「過去」を語る 子育てや教育において、つい未来を語ってしまいがちです。またその未来への不安から「こんなんでどうする!」という叱責にもなってしまいます。そんな見えない未来への懸念だけが強調されてしまうと子どもも不安が大きくなってしまいます。心の安全基地を表現するためには、その子の産まれたころの写真や映像を見たり、そのことを話題にしたり、親子のスタート地点を確認することをお勧めしています。また学校でも、入学時や春からの成長を思い起こすことが良いと考えます。現時点で出来ないことより、過去から「出来るようになってきたこと」にぜひ注目をしてほしいと思います。 (3)子どもの好きなものを追いかけて興味を持つ 子どもにとっても大人にとっても好きなものは重要です。好きなものがあることで辛い時にも心の救いが出来るし、そこから仲間が広がったり、道が拓けたりもします。子どもたちにとって自分が好きなものに大人が興味を持ってくれる、というのは嬉しいものです。仲間が増えたような感覚です。電車でもスポーツでもゲームでも芸能人でも、子どもが好きになっているものに親や先生が興味を意識的に持ってみて話しかけていくと良いと思います。どのジャンルも知れば面白いもので、直感的に大人が興味は持てなくても、知れば面白いし、分からないことは子どもに聞くと喜んで教えてくれます。子どもに聞くのもお勧めの方法です。 課題が指摘され続ける日本の若者の自己肯定感を社会全体で改善できるように心から願っています。 「子どもは社会の鏡」と言われますので、私たち大人がイキイキとしている姿も見せていかないとなかなか希望が持てないことにもなりますので、子どもたちのためにも大人もまたやりがいを持って頑張っていきたいと思います。 <参考図書> 子どもの「やってみたい」をぐいぐい引き出す! 「自己肯定感」育成入門 http://books.yakan-hiko.com/

平岩国泰 放課後NPOアフタースクール代表理事 放課後NPOアフタースクール代表理事。1974年東京都生まれ。1996年慶應義塾大学経済学部卒業。株式会社丸井入社、人事、経営企画、海外事業などを担当。2004年長女の誕生をきっかけに、“放課後NPOアフタースクール”の活動開始。グッドデザイン賞4回、他各種受賞。2011年会社を退職し、教育の道に専念。“アフタースクール”を通じて、子どもたちの「自己肯定感」を育み、保護者の「小1の壁」の解決を目指す。2013年より文部科学省中央教育審議会専門委員。2017年より新渡戸文化学園理事、渋谷区教育委員。著書:子どもの「やってみたい」をぐいぐい引き出す! 「自己肯定感」育成入門(2019年発刊) 〔2019年10/2(水) 平岩国泰 放課後NPOアフタースクール代表理事〕

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イチローを超えかけたもう一人の男 「不登校の4番打者」人生のレールを外れたからこそ見えたもの ~奇跡の48年生には、イチローを超えかけたもう一人の男がいた~ 根鈴雄次(ねれいゆうじ)。中学時代からパワフルなバッティングが評判を呼び、数多の高校野球名門校の間で激しい争奪戦となった男がいる。甲子園で活躍し、プロに行く----誰もがそう信じて疑わなかった彼は、高校入学からわずか1ヶ月後の「不登校」によって“野球界の王道”からコースアウトしてしまう。引きこもり、中退、渡米、定時制高校卒業からの法大入り、そして二度目の渡米……周囲に惑わされることなく「己の声」を聴き、自分の可能性を信じて道を切り開いてきた男の半生は、私たちに何を教えてくれるのか。

※本稿は、喜瀬雅則『不登校からメジャーへ ~イチローを超えかけた男~』(光文社新書)の一部を再編集したものです。 ◆15歳の心が、いっぱいになってしまった瞬間 1989年(平成元年)春。 根鈴雄次は、神奈川県の日大藤沢高に入学した。 元・中日ドラゴンズの投手で通算219勝、50歳まで現役を続けた山本昌をはじめ、プロの世界にも多くのOBを送り出している。 その強豪校へ、指定校推薦で入学した。 甲子園に出る。そして、プロの世界へ進んでいく。 大いなる夢を抱き、飛び込んだ高校野球の世界。しかし、根鈴には、その空気がどうして も肌に合わなかった。 厳しい上下関係、朝練、グラウンド整備、全体練習、後片付け。課されることが多すぎて、自分を振り返る余裕もない。

俺のやりたい野球って、これだったのか? 楽しくない。なぜか虚しい。すると、監督の言葉も、先輩たちのちょっとした指示も、全く意味のないもののように思えてくる。 「中学の頃って、月曜から金曜までは自分で考えて練習して、それを土曜と日曜の試合で試してみる。そんな感じだったんです。基本的には『遊び』じゃないですか。そういう野球しか知らなかったんです。でも、高校に入ったら、それこそ365日、始発電車で学校に行って、朝から練習する。そのことに面食らったんですよ」 たかが部活動。ちっぽけな世界の出来事に過ぎない。しんどいのは、最初だけ。少しの間の辛抱だ。そうやってやり過ごしていけば、いいだけの話なのかもしれない。 それでも、何かが違う。一体、どうすればいいんだ。 揺れる心は、どうしても「自己否定」につながってしまう。 『心のコップ』には、縁すれすれまで水がたまっていた。

--練習、しんどいんだ。やってられねえよ。 愚痴をぶつけると、時に慰めてもくれる。その緩衝材になってくれるはずの『家族』が、その時、ばらばらになっていた。 父親の抱えた借金が理由で、両親が離婚を余儀なくされたのだ。 「家がちゃんとしていたら、ストレスにも耐えられていたと思うんですよね。でもその時、心が削れていってたんです」 野球の練習を終え、学校から帰っても、家には誰もいない。 孤独感からのストレス。しかし、その晴らしようも分からない。

中学時代から自己流で取り組んでいたウエートトレーニングで、今よりもっと、自分の体に筋肉をつけたかった。そのための時間が欲しい。トレーニングジムにも通いたい。 なのに、15歳の自分は、監督や先輩たちに「こうしたい」と自分の言葉で、自分の思いを伝え切れなかった。 周囲に流されているかのように、仲間たちと足並みをそろえようとしている、自分への苛立ちも募り始めていた。 ざわざわした心が、収まらない。 少年から、大人へと変わっていく。その多感な時期に抱え込んだ複数の方程式の解を、全く導き出せなくなっていた。 微妙なバランスをかろうじて保っていた“水面”が、大きく揺れ動いたのは、そんな時だった。 将来を見据えて、一度立ち止まって、考えてみる。こうなりたい。そのために、今、何をすべきか。我慢なのか。主張して、己を貫くのか。 しかし、15歳の思春期に、そんな成熟した、冷静な判断を下せる心の持ち主の方が、むしろ珍しいのではないだろうか。 強気と弱気。希望と無力感。もっとやれる。いや、やっても、どうしようもない。 表裏一体のカードは、心の中でくるくると、ずっと回転していた。 どれが、本当の自分なんだ。

答えは出ない。 迷いのループに、完全に入り込んでいった。 ホームランを打った、その翌朝のことだった。 目覚めても、ベッドから立てなくなっていた。 まるでブレーカーが落ちたかのように、体に「動け」という電気信号が届かない。 それでも、朝練に行かなきゃいけない。追い立てられるような思いだけで気力を振り絞り、家を出た。始発電車に乗るために、夜明け前の薄暗い町を歩いていると、息が切れてくるのが分かった。 目の前の景色が、ぐらぐらと揺れている。

近所の公園のベンチに、がっくりと座り込んだ。まぶしい朝の光が差してくる。それでも、立ち上がれない。 もう、きっと、練習は始まっているんだろうな。電車に乗らなきゃ。早く学校に行かなきゃ。 心の中では、とても焦っていた。 なのにふらつく足は、駅とは逆方向の自宅へと向かっていた。 「ちょっと具合が悪いから、戻って来た」 出勤前の準備で忙しい教師の母にそう告げると、階段を這うように上り、2階にある自室のベッドに倒れ込んだ。

翌朝、体温を測ると、39度まで上がっていた。 その翌朝も、その次の日も、朝になると体温がはね上がった。 「だるいんです。学校に行きたくないし、練習に行くとか、するとか、しないとか、そういうのじゃなくて、とにかく、家から出たくなくて……」 その迷える若者に、寄り添い続けた野球人がいた。 〔2019年10/2(水) 本がすき。〕

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小幡和輝 ファンの後押し、地方にカフェ 学生起業は出会い次第 小幡和輝です。前回の記事「ヒッチハイクみたいに声かけた 学生起業家の仲間集め」ではWebサービスでの学生起業の話を絡めた、仲間集めについて書かせていただきました。 学生起業といえばWebサービスが主流ではありますが、インターネット時代だからこそリアルのコミュニティーの重要性が上がっているように感じます。 実は僕も一番はじめに立ち上げた事業はカフェの経営です。BARの昼間の時間をお借りして、不定期カフェを営業していました。 オンラインで気軽に誰かとつながれる時代だからこそ、リアルの価値が上がっているように感じます。 しかし、店舗を借りるためのお金であったり、固定費であったり、店舗ビジネスのハードルは非常に高いです。成功確率を上げるためにはどんなことが必要でしょうか。 今回、お話を聞いたのは東北芸術工科大学に在学中で、山形県でコーヒースタンド「Day&Coffee」を開業した北嶋孝祐さんです。

――オープンしたのはつい最近ですよね。おめでとうございます。 (北嶋)ありがとうございます。今年の6月6日にプレオープンしたばかりですが、思っていたよりお客さんが来てくれてとてもありがたいです。近くのおじいちゃん、おばあちゃんや若いサラリーマンなど、多種多様な方が来てくださっています。

――店舗を持つと固定費や初期投資が結構かかりますよね。怖さとかはなかったですか? (北嶋)立ち上げるときにクラウドファンディングを立ち上げたのですが、それが大きかったと思っています。開業資金としても大きかったですし、あと支援してくれた人への返礼品はお店に来てもらって使えるものを多くしたんです。なので、支援してくれた方が直接お店に来てくれるようになって、そこからじわじわと広がってきているように感じます。

――僕たちの世代だと、起業=ITベンチャーというのがかなり多いと思うのですが、なぜローカルの店舗をやろうと思ったのでしょう? (北嶋)もともと建築には関心があったんですが、一般的な建築って設計して建物を建てるところまでが仕事なんですよね。でもやっぱり中身って大事で、その建物にどんなコンテンツを入れるかも考えていかなきゃダメじゃないかなって。じゃあ自分は中身を作って運営したいと思ったのがきっかけですね。

――大学に入る時から起業するつもりだったんでしょうか? (北嶋)いえ、起業は思っていなかったですね。まずは就職して30歳くらいでなにかやりたいなとは考えていましたが、まさか在学中にやれるとは思っていなかったです。話が具体的になってきたのは、いまの会社を一緒に立ち上げた共同創業者がいるのですが、彼との出会いが大きいですね。もともと郁文堂書店という本屋さんをやっていた人で、その運営を手伝っていたこともあって。マネジャーということで、店舗運営を結構いろいろやっていたのですが、そのときにコーヒーを提供してお代はドネーション制でもらうみたいなこともやっていて、それがいまの原型でもあります。

――これからの目標や展望などはありますか? (北嶋)第一歩はコーヒースタンドから始まりましたが、Day &……という形でいろいろ展開していきたいと思っています。いまのところ東京はピンとこなかったのと、地方の方が若者ができることが多いと思うし、地方は課題の先進地域なので、ここから自分たちがやれることをやっていきたいです。

■インタビューを終えて 開業から3年以内に7割のお店が潰れるといわれています。僕が立ち上げたカフェも残念ながらうまくは行かず、事業撤退をしています。北嶋さんのようにクラウドファンディングを活用し、事前の需要確認やファン作りをすることで、成功率は飛躍的に高まるでしょう。ローカル店舗の運営にはコミュニティー作りが不可欠です。自分の失敗を振り返ると、僕はコミュニティー作りがうまくできてなかったです。もし次回やるとしたら、クラウドファンディングからはじめ、仲間を集めていきながらお店を立ち上げていきたいと思いました。

小幡和輝(おばた・かずき)氏1994年、和歌山県生まれ。約10年間の不登校を経験、その後高校3年生で起業。47都道府県すべてから参加者が集う、「地方創生会議in高野山」を主催。1億円規模の地方創生ファンドを設立し、地方でチャレンジする人を応援している。最年少で内閣府より地域活性化伝道師の認定を受けるなど、活動は多岐にわたる。 〔2019年9/26(木) NIKKEI STYLE〕

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進路ルートから漏れていく若者たち 学生の平均内定数「増加」の一方、進路ルートから漏れていく若者たち 好転する就活、氷河期の絶望 近年、少子化で働き手が減る中で大学生の就職状況は好転している。 筆者の所属する学部では2013年以降、卒業前に4年生全員の調査を継続しているが、年々求人倍率が上がる中で、学生のエントリーシート提出数や企業の説明会参加回数が減っている。 「一度も働いたことない40~50代大卒娘」を抱えた高齢親が増加中 だが学生一人当たりの平均内定取得数は増え続けている。それは内定が一つだけという学生が減り、2割程度の学生が一人で4つ以上の内定をとっているからだ(内定を辞退される企業にとっては大変な苦労だろう)。 しかし、少数だが途中で就職活動に疲れて辞めてしまい、無業で卒業する者もいる。実は内定を得た学生とそうでない学生の違いは紙一重だったりする。 だが内定が得られないと、就職が決まっている同級生に会うのも嫌になって大学からも足が遠ざかる。誰にも愚痴をこぼすこともできなければ、相談できないという悪循環に陥る。中には、友人や大学からの電話にも出なくなり、音信不通になる者もいる。 それに比べると求人自体が少なく、どんなに活動しても内定が得られなかった就職氷河期の学生たちはどんな絶望状態にいたのだろうか。若者への就労支援も相談機関もなく、自己責任だと突き放され、心が壊れた学生も大勢いただろう。 筆者は就職氷河期だった90年代半ばから2000年代初めまで、丸の内の会社で働いていた。就職解禁時期になると学生たちが各会社の前に長い列を作って並んでいたことを思い出す。 だが、その頃は学生たちがどれほどの苦境の中にいるのか、筆者も含め世の中の大人の多くが気づいていなかった。あの長い列に並んでいた学生の多くは就職先が決まらず、アルバイトや無業のまま卒業し、社会を漂流することになったのだろう。 筆者が横浜市役所で働いていた2000年代半ばには、子育て支援施設のスタッフが「最近、赤ちゃんを連れてくる若いお母さんやお父さんに、仕事が非正規で経済的に苦しいという人が目立つ」と言い出したのもその頃であった。氷河期世代の若者が親になりだした時期だったのだ。 働いているふりする若者も… 今や企業は早く学生を引き付けようとし、今年の夏休みはインターンシップという名の事実上の3年生の就職活動のスタートであった。 インターンシップも行ってみないと、本当に純粋なインターンシップなのか、インターンシップという名の企業説明会なのか、それとも選考を兼ねているインターンシップなのかは全くわからない。 こうやって多くの者がインターンシップに参加し、次の就職活動のステージへと移っていく。 たまにインターンシップに行った先であっさり内定をもらう者がいる。それでその後の就職活動をする気がなくなり、そこでいいやと決めてしまう者もいる。内定を出した会社が良いかどうかは別として、実は早すぎる内定は学生にも企業にもリスクがある。 学生たちは就職活動しながら、様々な企業の話を聞き、大人と出会い、自分なりに判断を繰り返し、自分の適性や自分にあう会社や仕事を見つけていく。 選び、選ばれるという過程を経験し悩みながら、自分なりに働くうえで大事にしたいことや自分の立ち位置を見定めていく。 何も考えない間に内定をもらって他の企業も訪れず、試行錯誤のプロセスを経ないと、卒業直前になって「ちゃんと就職活動すればよかった」と後悔したまま就職し、ちょっと気に入らないことがあるとあっさり辞めてしまったりする。 そもそも大卒で就職した者は3年以内に3割は最初の仕事を辞めてしまう。最近では、初職より良い条件の企業に転職する者もいるが、労働時間が長すぎる、人間関係がよくない、仕事に疲れてと退職の理由はさまざまである。 後先考えず辞めてしまい、しばらく休もう、バイトで過ごそうと考えている間に履歴書の空白期間が開き、就職活動の意欲を失う者もいる。中には友人とのラインでは働いているふりをしているが、本当はとっくに仕事はやめていたという者もいる。 仕事を辞めてもしばらくは大学時代の人間関係も続いていくが、そのうち同級生のライフステージの移行とともに、人間関係が切れていく。ある者にとっては、仕事を失うことは社会とのつながりを失うことになりかねないのだ。 漂流する若者たちの行方 だが、最近は若者の就職状況が良いといっても、若者の雇用がずっと安定しているわけではない。 実は2015年時点のデータで見ても、中学・高校・大学と順調に進学し、卒業時に就職し、3年たっても初職にとどまっているのは同年代の4人に1人である(仮に2015年の状況で中高大と進学していくとどうなるか、という仮定である)。 例えば図から、2015年のデータで見ると中学卒業生の98.5%は高校に進学し、高卒者の約18%が就職(3年以内にうち4割ぐらいが辞める)、大学進学が約55%。そして大学卒業生の約7割が就職し、3年以内にうち3割が退職するというわけだ。 これが2000年時点のデータで見ると高校からの大学進学率は約45%で大卒者の就職率は約56%であった。 大学卒業時の就職率が低かったこともあり、3年たっても初職にとどまっていたのは同年代の約6人に1人である。 2000年、2015年のいずれにしても、これは初職就職後3年後の数字であるので、それ以降も考えれば初職で安定して働き続ける若者は、ごく一握りに過ぎないのだ。 しかも就職状況が良い、といっても2015年には高卒就職者は18万人弱いたが、3年たってすでに4割近くが初職を辞めている。20歳になるかならないかの7万人の若者はどうしているだろうか。 同年4年制大学を出て就職した44万人のうち約14万人が3年以内に離職している。若者たちは次のスタートはうまくきれただろうか。 若者の就労支援機関に来る相談者も、その中のごく一部にすぎない。うまく新しいステージに移れた者は良いが、次の展望がないままに、漂流する若者たちはどこに流れていくのだろうか。 実は引きこもりになった若者の理由はさまざまである。 不登校からそのままという者もいるが、4人に1人は学校生活は順調であったものの就職活動で躓いた者であり、さらに4人に1人は就職してから働いていたが、職場のトラブルや何らかの理由で退職から引きこもりに至った者である。 学校を卒業して就職したからといって、それで終わりではない。働きだしてからも若者は悩み、壁にぶつかるときがある。その時に、相談できる場所や適切な支援があるかどうかで、その後の若者の人生は大きく変わってしまう。 学校から企業に就職した後は、「企業が若者を育成する」という前提で組まれてきた日本社会は、まだ人生の試行錯誤を支える社会的な仕組みは不十分である。 今後、少子高齢化で激変する日本のことを考えてみれば、20代そこそこで就職した会社や選んだ仕事がその後40年以上、続くだろうか。政府はついこの前は、「少子化は国難」といっていたはずだが、その問題意識や政策対応はどうなったのだろうか。 学生たちに少子化による人口減少の進む日本の今後の人口構成がどうなるかを教えると、ほとんどの者が「これからの日本はどうなるの。どうしてこんなになるまで放置していたの」と驚きおののく。 そもそも日本の30年後、40年後が急速な高齢化と人口減でどうなるかわからないのだ。社会の将来がどうなるかわからない中で、どうして自分たちの未来が信じられるだろうか。 学生たちにとっては、自分たちが生きていく日本の未来こそ、先の見えないままに漂流しているように思えるのだ。 前田 正子 〔2019年9/26(木) 現代ビジネス〕



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Smart World NTT Com、スマートワーク、スマートシティなどを促進する推進室を新設 「Smart World」を実現する推進室を新設 NTTコミュニケーションズ(NTT Com)は、データを利活用したデジタルトランスフォーメーション(DX)を推進し、社会的課題の解決を通じた「Smart World」を実現するため、「スマートワークスタイル推進室」「スマートエデュケーション推進室」「スマートシティ推進室」「スマートファクトリー推進室」「スマートヘルスケア推進室」を10月1日に新設する。 データ利活用に必要なすべての機能を利用可能なプラットフォーム「Smart Data Platform」を中核としたデータ利活用を通じて、顧客のDXやSmart Worldの実現に向けた取り組みの強化を目的としている。五つの推進室はパートナーなどとの共創を通じて、顧客のニーズに合ったソリューションやサービスの開発・提供を行う。 スマートワークスタイル推進室は、日々の業務に伴う不便さ、非効率さに起因する時間・労力・人件費の無駄を軽減し、職場環境や仕事のやり方など働き方に関するさまざまな社会的課題を解決し、働き方改革を推進することを目的としている。 交通費の精算を簡素化し社内の業務プロセスを変革するソリューションや、従業員間や従業員・企業間での業務活性化をサポートするコミュニケーションツールの開発・提供を進めていく。

スマートエデュケーション推進室は、学力格差の是正、教員の負荷軽減、不登校・いじめの抑止、AI・ロボットの台頭への対応といった教育に関するさまざまな社会的課題を解決し、日本の教育を変革することを目的としている。 授業や家庭学習から生成されるデータと教室運営、校務などの教職員業務から生成されるデータを連携させることで、個々の生徒に適した学習教育の実現や生徒の学習意欲・態度に関する分析など、教育に関する新たな価値創造を進める。 スマートシティ推進室は、都市の治安、エネルギー効率化など都市に関するさまざまな社会的課題をICTの活用により解決することを目的としている。都市から収集・蓄積されるさまざまなデータを、映像分析や自然言語分析、音解析を行い、さらなるデータの利活用を促進していく。 スマートヘルスケア推進室は、高齢者人口の増加による医療費上昇、医師の高齢化、地域による医師数格差など、日本の医療を取り巻く社会的課題を解決することを目的としている。 ウェルネスから予防・診断・治療・リハビリにいたる各ステージにおいてデータを収集・蓄積、分析・活用することで、新たなヘルスケアサービスを提供し、医療プロセスの革新やデータ利活用による新たな付加価値の創造を進める。 〔2019年9/26(木) BCN〕



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意識したい3つの「じ」とは 不登校の我が子に声をかけるときに意識したい3つの「じ」とは 毎年、長期休暇である夏休みが終わったこの時期に「不登校」になる生徒が多いといいます。いま、日本全国には19万3674人の不登校児がおり、中学校ではほぼ1クラスに1名という高い割合であるため(平成29年度 文部科学省による調査結果)、決して他人事ではありません。子どもの気持ちがわからずに悩んだり、親が自身を責めてしまったり…家族で不登校の問題と向き合うにはどうしたらよいのでしょうか。そこで今回は、今まで1万8000組以上の不登校に悩む親子を支援してきた不登校解決コンサルタントの菜花俊氏の最新刊『不登校になって本当に大切にするべき親子の習慣』(青春出版社)から、不登校の子どもの心がほぐれる「声かけ」のヒントを紹介します。

●「どうして学校に行けないの?」は子どもを閉ざす質問 「どうして学校に行けないの?」 ひょっとするとあなたも、子どもにこんな質問していませんか?実は、学校に行けない子どもに対して「どうして学校に行けないの?」は最悪の質問です。なぜなら、この質問で子どもは、学校に行けない理由を次から次へと探し出し、自分や相手を責め、自信を失い、孤独と無力感でいっぱいになり、何もする気がなくなるからです。

一方、子どもが希望を持ち、自分で考え答えを見つけ出し、行動できるようになる質問もあります。質問ひとつで、天国と地獄、正反対の結果になるのです。あなたが子どもに投げかける質問は、それだけ大きな影響力があるのです。 例えば、 ・よほどつらいことがあったんだね?(今までずっと我慢してきたんだね?) ・お母さんが聴いてあげられることはある? (お母さんに話せることはある?) ・お母さんにして欲しいことは何かある?(お母さんにできることはある?) そして、学校のことを話題にできるくらい子どもが元気になったら

・(優しく)本当はどうしたいの? ・どうすればできる(学校に行ける)と思う? ・もしできる(学校に行ける)としたら何から始める? これらの質問には、子どもを癒やし、自信を取り戻し、自ら動き出せるようになる力があります。ポイントは、子どもに共感しつつも「子どもが何を言っても動揺しない」ことです。子どもにとって一番の苦しみは自分のせいで大好きなお母さんが悩むことなのですから。子どもの話を真剣に聴いたあとは、笑顔で締めくくることを忘れないでください。

●「何を言うか」ではなく「何を言ってほしいか」 子どもが悩んでいるとき、迷っているとき、泣いているとき、怒っているとき、頑張っているとき、動き出したとき…親としてどんな言葉をかけていいか迷ったら、この3つをヒントにしてください。

1 見守っていることを伝える 「悩みがあるの?」 「何か迷っているんだね?」 「悲しいことがあったの?」 「腹が立つことがあったの?」 「頑張っているね!」 「決心したんだね!」 心の変化に親が気づいていることを伝えるだけで、子どもは勇気づけられます。

2 何も言わずに笑顔でうなずく 言葉の代わりに、大きくグッドサイン(親指を立てる)でもいいです。「イエス!」の気持ちを示せば、お子さんは心強くなります。

3 何と言ってほしいか、子どもにたずねる 「あなたの力になりたいんだけど、お母さんの助けはいる?」 「お父さん、◎◎ちゃんの頑張りが嬉しいよ!こんなとき、何て言われたい?」 この3つのヒントを参考に、「何がこの子を元気にするか?」を考えてみてください。そうしたら、言葉も自然と出てくるようになるでしょう。

●子どもをほめるときは3つの「じ」を意識する 「子どもをうまくほめられない」 「ほめてもぜんぜん子どもが喜ばない」 「子どもをほめたら、キレられた……」 深いためいきとともに、こう漏らす親御さんたちをたくさん見てきました。「ほめる」とは「認める」ということです。でも、言うほど簡単ではないでしょう。 かける言葉やタイミングを間違えば、お子さんが喜ばないどころか、怒り出すことさえあるかもしれません。実は、「ほめる(=認める)」がうまくいくには、3つの条件が必要です。私は3つの“じ”と呼んでいます。子どもをほめるときは、ぜひ次の3つの「じ」を心がけてみてください。

1 子どもがほめてほしい“事”をほめる ふだんから子どもの話をよく聞いて、どこをほめてほしいのか、何を大切にしているのかをよく把握しておきます。

2 子どもがほめてほしい“時”にほめる 希望を持ったり、元気なときや、自分で自分を認めているときこそ、ほめるベストタイミングです。反対に、落ち込んだり、ひどく疲れているときは、「ぜんぜんわかってない!」と、子どもの信用をなくしてしまうかもしれません。

3 親自身が自信を持っている“事”に関してほめる ほめるからには、親がその事柄に対して、子ども以上に自信をもっているのが理想的です。ほめられる側からすれば、自分以上にできる人や実績のある人からのほめ言葉のほうが、嬉しいはずです。 不登校解決のために今日からできることは、とても小さな一歩かもしれません。しかし、親の勇気ある一歩は必ず子どもの心に何らかの変化をもたらすはずです。その一歩として、まずは「声かけ」から意識してみてはいかがでしょうか。 菜花 俊 〔2019年9/27(金) ダイヤモンド・オンライン〕



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ページ名[[]]、東京都(フリースクール)
不登校、代わりの居場所は? 子供の個性に合わせ「学びの形」選べれば
子供の不登校をきっかけにフリースクールを開いた赤沼美里さん
夏休み明け前後は子供の自殺が増える時期。最悪の事態を防ごうと「つらいなら学校を休んでもいいよ」というメッセージが広がっている。
だが、学校の代わりになるような「不登校のその先」の選択肢は少なく、知られていない。
学校に行けない子供とその親は居場所を求め、悩み、葛藤している。(油原聡子)
【表でみる】子供の悩み相談窓口「ここに通いたい」
小学校に入学して2カ月で不登校になった長男(8)が、フリースクールに通うことを決めたとき、東京都の赤沼美里さん(42)は、「やっとつながる場所ができた」という安心感でほっとした。
長男は気持ちの切り替えが苦手で、入学後まもなく行き渋りが始まった。
聴覚過敏で子供の騒ぐ声やホイッスルの音に耳をふさぐ。
学ぶ意欲は高いが、授業が簡単すぎてつまらない。
みんなと一緒の行動ができず、叱られてばかりだった。
それでもなんとか通っていたが、5月の運動会を機にじんましんが出るように。
夫婦で話し合い、学校を休ませることにしたが、「これからどうしよう」と不安でいっぱいだった。
◆母親もストレス
日中、長男と自宅で過ごすうちに赤沼さんのストレスも募っていった。
「当時は仕事も休んでいました。なんでこの子は家にいるんだろうって、やるせなくて、悲しくて」
周囲に不登校の経験者もいなかった。小学校以外の学べる場所の情報も少なかった。
「自分だけ輪に入れない、孤立したような気持ち」に襲われた。
そんなとき、幼稚園のママ友を通じ、不登校の子供がいる女性に会うことができた。
「無理に行かせたら傷つくだけ。でも、家にいてもイライラするだろうし、子供の居場所は大事」という助言が心に響いた。
「学校に行かなくてもいい」という判断が、長男の未来を狭めてしまうのではないかと怖かった。
だが、女性の言葉に背中を押された。好奇心旺盛な長男は学びたくないわけではない。
通学できる距離で、個性に合う所-。毎日、インターネットでフリースクールを探した。
ようやく見学したスクールは教育方針が合わず、遠回しに断られた上に、長男も嫌がった。
「なんでうちの子はなじめないんだろう」。
帰り道、涙がにじんだ。「子供が悪いわけじゃくて、合わなかっただけ」。
夫の慰めに気持ちを立て直した。
◆ゆっくり見守る
学校に行かなくなってから約1カ月後、夫が探してきたフリースクールに長男が通い始めると、赤沼さんの心も軽くなった。
ほかの子とトラブルになっても、「ゆっくり見守りましょう」という相手の母親の言葉に救われた。
居場所が見つかるまでの孤独と絶望感が消えていった。
「同じようなつらさをほかの人に味わってほしくない」。
そんな思いから昨年、都内でフリースクールを立ち上げた。
赤沼さんも不登校を受け入れるのに時間がかかった。
「経験者の話を聞き、少しずつ不安が消えました」。
母親同士情報を共有し、悩みに寄り添うことを大切にしている。
いじめや環境になじめないケースなど、学校に行けない理由はさまざまだ。
「選択肢がないと追い詰められてしまう。いろんな会社があるように、いろんな学校があっていい。
子供の個性に合わせて、学びの形が選べるようになればいいのではないでしょうか」
■行きたくないと訴えられたら味方だときちんと伝えて
子供が学校に行きたくないと訴えた場合、保護者はどう対応したらいいのだろうか。
千葉大学の藤川大祐教授(教育方法学)は「子供がプレッシャーになるような言動は控え、寄り添ってほしい」と話す。
学校に行けないことで、子供自身も苦しんでいる。
藤川教授は「学校に行けない理由が明らかなら、学校と連携して解決するのもひとつの手段」とする。
その上で、「子供は親に忖度(そんたく)してしまうこともあるし、自分でも学校に行けない理由を分かっていないこともある。
無理に行かせようとしたり、聞き出そうとしたりはせず、まずは、親は子供の味方だときちんと伝えることが必要」と話している。
■悩み相談窓口、受付時間を延長
夏休み明けに合わせ、子供や保護者の悩みを聞く相談機関は普段より電話の受付時間を延長するといった対応強化に乗り出している。
18歳以下の子供を対象にした相談窓口「チャイルドライン」では、9月4日まで普段より4時間長くし、午後2~11時、フリーダイヤル(0120)997777で相談に応じる。
オンラインチャットも、期間中は曜日を限定せず、毎日午後4~9時に開設する。
運営するNPO法人「チャイルドライン支援センター」の高橋弘恵さんは「相談者のありのままを受け止める。
悩んでいたり、もやもやしたりしている人は抱え込まないで」と話す。
法務省の「子どもの人権110番」は、9月4日までは時間を延長、平日は午前8時半から午後7時まで、土日は午前10時から午後5時まで受け付け、保護者にも対応する。
文部科学省も「24時間子供SOSダイヤル」への相談を呼び掛けている。
〔2019年9/1(日)産経新聞〕

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ページ名[[]]、沖縄県(不登校のニュース、)
「地獄のような」日々だった…不登校だった人と親が語る #不登校は不幸じゃない 
親や子としての不登校経験を語ったイベントの参加者=18日、南風原町文化センター
夏休み明けを前に「#不登校は不幸じゃない」と題したイベントが18日、南風原町文化センターで開かれた。
不登校経験のある人と親計4人が体験とともに「学校に行けなくても将来は大丈夫」「生きていれば未来は見えてくる」と伝え、約40人が耳を傾けた。
小学3年から中学3年の2学期まで学校に行けなかった志堅原京子さん(41)は、学校に行こうとすると吐いてしまう「地獄のような」日々を送った。
体重が20キロを下回るほど苦しんだが、原因は分からない。
「人に気を遣う敏感な子どもだったから」と今は思う。「一からやり直したい」と考えるようになった時、7年間続いた嘔吐(おうと)が止まった。
「どんなに周りが行かせようと思っても行けない時は行けない。心が成長した時に行けるようになる」と語った。
盛島楓さん(22)は、いじめが原因で小学3年から中学2年まで不登校になった。
「体調が悪い」と理由をつけて欠席する自分を責めていたが、ある日母親から「行きたくなければ行かなくていい」と言われ、「家にいていいんだ」とほっとしたという。
盛島さんは現在、コスメショップのオーナー。
「生きていれば未来が見えて次の段階に進める。本人が挑戦したいことを経験させてほしい」と呼び掛けた。
小学6年の娘が不登校の女性(44)は当初、頑張れば解決できると「あの手この手で無理やり登校させた」と振り返る。
だが、娘は学校に行くたびに発熱。
他の体験者らとつながりを持つようになると、「私も生きやすく、娘も笑顔が増えた」と言い、今は「娘は幸せと言うようになった。
この経験は私たちの糧になる」と前を向いた。
イベントは全国一斉企画の一環。
沖縄では盛島さんの母・美奈子さん(48)が中心となって開いた。
〔2019年8/19(月) 沖縄タイムス〕


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観際メル 【令和に咲く】役立つ助言とことん追求 哲学生かし、自分なりに 「悩み相談」担当の高校生・観際メルさん(八代市)  読書で培った哲学を生かして、フリーペーパーに連載を持つ観際メルさん=八代市 「高校生の息子が、スマートフォンを片時も離しません」。そんな母親からの相談に、当時中学2年だった観際[みきわ]メルさん(ハンドルネーム)=八代市=はこう返した。「あなたが息子さんに執着してませんか」 フリーペーパーの悩み相談コーナーで回答を担当するメルさん。不登校を経験し、哲学を愛する。連載は形を変えて続き、メルさんは高校生になった。 哲学との出合いは小学6年のとき。学校では、先生への反論や個性が許されないことに違和感を覚えた。「人間味あふれる」哲学の本を読み始めた。 2016年、中高一貫校に進学。「哲学のことを話せる友達ができるかも」と期待したが、中学でも環境の変化はなかった。熊本地震後に不登校となり、6月半ばから保健室や別教室へ登校した。 ブログを始めたのは中学1年。読んだ本の面白さと読みやすさを5段階で評価し、感想をまとめた。学校や日常生活で思うことも書いたところ、八代市などで配布されるフリーペーパー「やつしろぷれす」が連載を依頼。17年、「中学生メルのピリ辛アドバイス(メルアド)」がスタートした。 やつしろぷれすに掲載された「中学生メルのピリ辛アドバイス(メルアド)」 「早起きが苦手」-「きちんと生活できているので、それでいいのでは」 「彼氏がデートの時、スマホばかり見ている」-「一緒にいすぎて話題がないのかも。デート回数を減らして、お互いが一緒にいる時間を大切に」 心掛けるのは「客観的に問題を見て、肯定も交ぜつつ、納得してもらえるような答えにすること」。1日以上じっくり考えて、悩みに真剣に向き合う。哲学書も参考にし、自分なりの答えを返す。 今年4月の高校進学を機に連載は「メルの懺悔[ざんげ]室」となり、読者が打ち明ける過ちを考察し、助言するコーナーにモデルチェンジした。「理想は包容力のある大人の返しができること」とはにかむ。 将来の夢はまだ分からない。ただ、「大学で哲学を本格的に学びたい」と思う。「情報と人が多く集まる都会で生活して、哲学を語る友達をつくりたい」(文・写真、中村悠=29歳) ◇みきわ・める 2003(平成15)年生まれ。県内の中高一貫校の中学校卒業後、通信制高校に進学。勉強や読書の傍ら、スーパーの鮮魚コーナーでアルバイトに励む。カメラや旅行に興味がある。最近は美術史も勉強中。 「メルの懺悔室」 <取材を終えて>芯の強さ、大人顔負け 観際メルさんの行動基準は「『やりたいか』と『自分が求められているか』の2点のみ」だという。イギリスへのホームステイに挑戦するなど、「見聞を広めたい」と国内外への旅行にも積極的に出掛ける。彼女を前にすると「果たして自分はいつも自分の頭で物事を考えているか」と不安になる。それほど、強い芯を感じる女子高生だ。その強さと哲学を糧に、どんどん自分の世界を広げてほしいと思う。(八代支社・中村悠) 〔2019年9/27(金) 熊本日日新聞〕




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NPO法人ヒューマンフェローシップ NPOヒューマンフェローシップ ミュージカルで若者支援 生きづらさ抱える人と創作 教育 おどるなつこさん(中央)から指導を受ける参加者 磯子区のNPO法人ヒューマンフェローシップは、生きづらさを抱える若者らとミュージカルをつくる企画を10月から行う。様々な役割があるミュージカルを通して、仲間づくりや達成感を体感してもらい、今後の人生に役立ててもらうことが狙いだ=中面に関連記事。 この企画は「生きづらさを抱える子ども・若者とつくるミュージカルプロジェクト」。横浜市と(公財)横浜市芸術文化振興財団の「芸術創造特別支援事業リーディング・プログラムYokohamaArtLife」に採択され500万円の支援金で活動する。 芸術分野の視点を 同法人は設立以来、不登校やニート、引きこもりなどから自立を目指す若者に、安心して住める住環境の提供や専門的な就労支援を行ってきた。「これまでの就労支援にプラスして芸術分野、遊び的な視点からの体験を通して、今後の人生のきっかけにしてほしい。キャストや照明、広報など自分にあった役割で、一つのものを作る醍醐味を体感してもらえれば」。こう話すのは、同法人代表理事の岩本真実さん。 プログラムは、根岸駅前の「Negishi Livebox M6」などを会場に3カ月間、タップダンサーのおどるなつこさんら専門家を招きワークショップ形式の練習を行う。12月21日(土)、22日(日)にクラシックミュージカル「ジーザス クライストスーパースター」を上演する。 9月1日には、プログラム開始にさきがけ、同法人の関係者らが練習を行った。おどるなつこさんから、ストレッチ法や発声方法などの指導を受けた。10月から興味のある人に参加してもらう。練習日は、水・木・日曜日。12月の公演のほか、路上パフォーマンスなども予定している。 〔2019年9月12日 タウンニュース金沢区・磯子区版〕


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石井志昂 不登校は人生の“詰み”ではない。『不登校新聞』編集長が伝えたいこと 夏休み明けが重なる「9月1日」を控え、いまも苦しい気持ちを打ち明けられずに学校へ向かおうとする子、向えないかも…と不安になっている子がいるかもしれません。 そんな子どもたち、そして、その親に向けて『不登校新聞』編集長・石井志昂さんは「不登校は人生の“詰み“ではない」と語ります。その意味とは…? 石井さんがハフポスト日本版に寄稿した。 夏休み明けが重なる「9月1日」は子どもの自殺が1年で最も多い日です。いまも苦しい気持ちを誰にも打ち明けられずに、学校へ向かう子がいるかもしれません。 そこでこのブログでは、夏休み明けの子どもの心境をお伝えするとともに、「不登校は人生の“詰み”ではない」ことをお伝えできればと思っています。 まずは、ここで前提としている「9月1日」の意味からお伝えします。 2015年8月に発表された「自殺対策白書」によると、1972年~2013年の42年間で、9月1日に自殺した子どもは131人。平均の2.6倍と突出しています。調査分析したのは森口和研究員(現・自殺総合対策推進センター所属)でした。 夏休み明けのこの時期、なぜ自殺が集中するのか。それは私たち『不登校新聞』が取材してきた不登校の子どもたちの心境からうかがい知ることができます。

内閣府「自殺対策白書」より作図 必死で通っている時には感じない「苦しさ」に気づく 夏休みに入ると、子どもは大きな解放感を得ます。それは学校に苦しさを感じていない子も同じだと思います。 学校へ行くのが苦しい子の場合、夏休みに入った直後、長い睡眠時間をとったり、強い倦怠感に襲われたりします。学校へ通っていたころの緊張と疲労が一気に噴き出すからです。 こうした「休息」が充分にとれると「学校での苦しさ」を自覚します。毎日、がんばって学校へ通っている時は必死なので、「苦しさ」を感じないことが多いのです。 「苦しさ」の中身は、いじめや、いじめとは言えなくても教室内の人間関係でついた心の傷、勉強への重圧、部活や先生についての悩み、親からの期待に応えられなかったという自責の念などです。 子どもがそうした「苦しさ」を感じ始めるのが、お盆明けごろです。 俗に「学校へのカウントダウン」とも呼ばれていますが、苦しさを感じていた学校へ「あと〇日で戻ってしまう」という気持ちが芽生えるからです(東北や北海道では、より早く休みが明けるのでお盆前にカウントダウンが始まります)。  学校への不安感、恐怖感がしだいに募っていく感覚を「地獄が迫ってくる感じ」「ジェットコースターが落ちる前の感覚」だと表現していた子どもたちもいました。 そして、緊張感や不安感が最も高まるのは夏休み明けの前夜です。 じつは子どもの自殺も夏休み明けの前夜がもっとも多くなります。「9月1日」が多いと言われていますが、本当に多いのは「8月31日の深夜」。深夜のため統計上は日付が変わって、「9月1日」が突出しているように見えるのです。 親の直感を信じて、子どものSOSを見極める 親からすると、子どもがそれほど学校で苦しんでいるならば「SOS」をいち早く見つけたいと思うものです。子どもたちが発信する特徴的なSOSは以下のとおりです。 ・体調不良を訴える(頭痛/腹痛/体の痛みなど) ・食欲不振 ・不眠 ・これまでやれていたことができない(夏休みの宿題など) ・大好きだったものが楽しめなくなる(本を読む、絵を描くなど) ・理由を言わずに「死にたい」「人生をやめたい」と訴える。 「死にたい」と訴えてきた場合は別ですが、その他の理由は「夏休みだから」という理由で、つい見落としがちです。食欲不振や不眠などは「夏バテかな」と思いますし、夏休みの宿題ができないことなどは「恒例だ」と思う人も少なくないでしょう。 私も上記のことがすべて「SOS」に該当するとは思いません。しかし、夏休みに入った直後と夏休み明けが近づいてきた時期とを比べ、上記のようなことが目立つ場合は注意が必要です。 SOSかどうかの指針として、あるお母さんは「親の直感を信じていい」と話していました。

ただ、不登校やひきこもりなどの「将来への不安」が先行すると、その直感は鈍ります。心を落ち着かせて、小さいころから見てきたわが子の様子を思い出し、「今」異変を感じるかどうか。 その問いに対する親の直感は「そうそう外れない」と言っていました。 ただし、「学校へ行きたくない」と本人が訴えてきた場合は別です。 「学校へ行きたくない」子に言ってはいけない2つの言葉 子どもが「学校へ行きたくない」と言ったらどうしよう。親にとって大きな心配の1つでもあります。 学校で苦しんでいればいるほど、子どもは「行きたくない」という一言を言えません。学校には行くものだと強く思っているからです。学校へ行けないぐらいなら死んだほうがいいと本気で思っている子どもも少なくありません。 なので「学校へ行きたくない」と深刻に訴えてきた場合は、最大級のSOSだと思ってください。子どもは限界ギリギリ、がけっぷちで親に助けを求めています。

では、その時、どうすればいいのか。じつは多くの親が踏んできた地雷(禁句)があります。

「なんで学校へ行きたくないの」

「もうすこしがんばってみよう」 この2つが子どもを追いつめる禁句の言葉です。もっと言うと、親ならば誰しも言ってしまうであろうこれらの言葉で、不登校の子たちは深く傷つけられ、追いつめられてきたのです。 ならば、どうすればいいのか。 例えば「そっか」と同意をした後で、「いま、どんな気持ちなの?」と心境を聞き、そのうえで、学校へ行く、行かないの選択肢を子ども自ら選んでもらい、周囲はその選択に従う。  これは、学校へ行きたくないと訴えたときだけでなく、子どもの悩みを聞く姿勢としても確立している手法でもあります。 もちろん、これが普段からできる人は、フリースクールのスタッフなど「プロ」ですが、「なるべくそちらの方向を目指す」という程度に覚えておいてもらえたら幸いです。 不登校には「その先」がある 自分の子や自分が不登校にならなくても、知ってほしいことがあります。

1つは、学校へ行かなくなった後、フリースクール、学童、図書館、自宅などが子どもの居場所になって、その成長や学びを助けるケースが多くあるということ。 2つめは、小中学校へ通うことは子どもの権利であって、義務ではないということ。 憲法では、子どもは教育を受ける権利がありますが、親は子どもを無理やり学校へ通わせる義務はありません。子どもが望めば、校長裁量で1日も学校へ通わず、小中学校を卒業することができます。私の友人も小学校は1日しか通っていませんが、彼女はいまIT企業で働いています。 不登校には「その先」があること。そして、義務教育は子どもの義務ではないこと。 この2つはまだ多くの人に知られていませんが、事実であり、不登校が人生の“詰み”=終わりではないという根拠の1つです。 私自身、中学2年生から不登校でした。私の予想に反して、学校へ行かないことは「人生の詰み」ではありませんでした。 もし学校が怖いと感じている人がいるならば、私のように生きている人を知ってもらい、どうか「死ぬ以外の選択肢がある」ことを信じてもらいたいと思っています。   少しでも自殺を考えてしまったり、周りに悩んでいる人がいる人たちなどに向けて、以下のような相談窓口があります。 

チャイルドライン:0120-99-7777 東京自殺防止センター:03-5286-9090 いのちと暮らしの相談ナビ: 厚生労働省|自殺対策ホームページ:0570‐064‐556 自殺総合対策推進センター: (編集:毛谷村真木) 石井志昂 〔2019年8/30(金) ハフポスト日本版〕


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