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体験記・逸見ゆたか・精神的ひきこもり脱出記(1)

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目次

精神的引きこもり脱出記(その1)

著者:逸見ゆたか(女性)

はじめに

 数年前から不登校、引きこもり問題がマスコミに頻回に取り上げられるようになりました。
私が驚いたのは、それらの人々に共通したいくつかの点が、過去の私に酷似していることです。
 人間関係が苦手で他人とうまく付き合えない、学校でも職場でも対人関係が築けない、あげく職場を転々とし、辞めて引きこもってしまうなど。
 私は目を疑いました。かっての私自身の再現のような、負の精神風景の人々がいっぱいいるらしい。
 この豊かな一見満ち足りた日本に、何が起こっているのでしょうか。
 私が不登校をしたのは、中学3年の時です。
何か月か後、担任の先生が訪れました。
 このまま続けると卒業できないと言われ、あわてて登校を再開し辛うじて卒業しています。
 その後は、看護学校、保健婦学校を経てずーっと社会人として働き続けています。
だから厳密には「引きこもり」とは言えないかもしれません。
けれど中身はまったく同じだと私は思いました。
 私は「引きこもり」の記事を見たとき、うらやましいと思いました。
いまは閉じこもる部屋があり、養ってもらえる経済力がある。
退屈しないでいられるテレビ、ゲーム、本などが豊かにある。昔は状況がまったく違いました。
よほどの金持ちでない限り、引きこもる部屋もなく近所の出入りも激しい時代のことゆえ、柱一本の陰ですら安閑と閉じこもる空間はなかったのです。
だから私はどんなに辛くとも外に出て働く以外に道がなかったのです。
 自分では一生懸命働いている積もりですが、私の内面は絶え間ない不安や、人に対する怯えに苛まれ、くるしみ続けました。
私は自分の努力がたりないからだ、と思いました。
私は、純粋で美しい人間でありたいと、どんなに努力したことでしょう。
私は職場でも社会でも、正しくて人間らしい生き方をすることをめざしました。
 けれど駄目なのです。
どんなに努力しても、私は社会でも、職場でも居心地悪く、そのうち不安や悲しみが、冷たい塊のように心臓にせりあがってくるのです。
 「死にたい!!」希死願望はまるで私の呼吸のように、四六時中付きまとうようになりました。
草一本生えない砂漠を、とぼとぼ歩くにも似た人生が、永遠に続きそうな予感におびえる日々が続くある日、転機が訪れました。
 さまざまな経緯の後、私は思いがけなく青空の下に出ることが出来ました。
私が辿ったルートは、いままで未熟な己の恥ずかしい人生遍歴と、人に語ることもなく片隅に追いやってきました。
けれど、「引きこもり」関係のさまざまな情報を見ているうちに、もしかしたら私の体験も何人かの人々にはお役に立つかもしれない、と拙い筆をとりました。
この本は、雑誌「ひきコミ」に載った27歳の女性の訴えに、応えたいという願いから出発しました。
私とは生きた時代や背景が違います。
どこまで私の思いが通じるでしょうか。
まったくのドンキホーテかも知れません。
笑われそうなのを覚悟して、勇気を出しました。

第1章 引きこもりの共通認識のために

 私が暗い地底から、陽光のさんさんと降り注ぐ地上に出るまでの物語を始める前に、「引きこもり」について基本的な知識を共有するために、少し述べさせて頂きます。
 なぜかというと、私は現在71歳で、物語に出てくる暮らしや時代状況が余りに違うため、「これは私の求めているものじゃない!」とそっぽを向かれそうな危険を避けるためです。
 また、あえて私の生い立ちを書き綴ったのは、この時代背景の今と昔の違いの中に「引きこもり」を生む要因のいくつかは隠されている、と思われるからです。
「引きこもり」今、むかし
私は数年前から、新聞、テレビなどを注意深く見るようになりました。
 昨年、あるテレビの番組で、引きこもりの息子を持った父親が、長年にわたる子どもの家庭内暴力に耐えかね、切々と「政府や国はこの問題に関して研究、対策のためかかわって下さい」と訴えていました。
 その当時の私は、引きこもりは個人的な問題と思い込んでいましたので、少し驚きました。
そう言えば、数十万人とも百万人とも云われる人々が“引きこもり”になっているということは、社会のうちの何かが誘発因子となり、それが広汎に影響を及ぼしているという証拠かもしれません。
私の考えを変える必要がありそうです。
 生み出している土壌は何なのでしょうか。
 それぞれの家庭や本人に依拠する点以外に、社会や文化、教育などもろもろの条件が関係しているのでしょうか。
この時以後、私は視野を広げて、この問題を考えるようになりました。
 昔も、いまのように引きこもる人々はいたのでしょうか。
私は専門家ではないので、これからいうことは、あくまでも私個人の感じたことと受け止めて頂きたいのですが、数は非常に少なかったもののいた!と思います。
 いまは死語になっていますが、私の子ども時代、神経衰弱という言葉がしきりに使われていました。
「あの家の息子は、家でただぶらぶらして仕事にも付かないけれど、神経衰弱だそうよ」などという言葉をかなり頻繁に聞きました。
 そのような家は、たいがい資産家の子どもで、部屋数も多く、近所との付き合いも少し距離があるような感じでした。
その噂の主は、家の奥深くにいて、私はついぞお目にかかったことがありませんでした。
きっと当時全盛を誇っていた結核かそれとも、神経衰弱、いまでいう引きこもりかな、などと想像してしまいます。
 そうそう、ノイローゼという言葉も、神経衰弱のハイカラな同意語としてよく使われていました。
 資産家以外の子どもは、引きこもる部屋もなかったし、テレビもゲームもなかったし、本だって貴重品でなかなか手に入らなかったので、家に引きこもっても、退屈で1と月もたなかったと思います。
経済的にも家屋の構造上もできない時代でした。
 やむなく社会の中、人の中で、働かざるを得なかった私のような人間は、かなりたくさんいたように思います。
もちろんいまよりうんと少なかったとは思いますが。
 私が現在、あなたとおなじ年齢ならば、おそらくあなたと同様、引きこもりをしていることでしょう。
私が引きこもりをしなかったのは、貧しくて暮らしが成り立たなかったこともですが、ほかにも、いくつかの時代背景があったように思います。
 この時代背景の問題は、ずっとあとの第5章「引きこもりの謎を解く」でもう1回述べます。
とても大切なことなので。

「引きこもり」の実態

 私が新聞記事で「引きこもり」問題に気がついた2000年の頃「引きこもり」の人は、全国で推定60万人と言われていましたが、4年後には、100万人とも120万人とも推定されています。(
2006年4月引きこもり者のNPO法人の収容施設で一人の青年が死亡しました。
手錠と足鎖でつながれて。
その時のニュースで言われた推定引きこもり者の数は160万人くらいではないかと報道されました)。
 今後もどんどん増えるだろうと予測する人もいますが、ある医師は「いや将来は少なくなると思う。
これからの親たちは個人主義だから、今の親たちのように庇護し養ってはくれないだろうから」と言われていますが、果たしてどうでしょうか。
 2001年、厚生労働省は初めて全国調査を実施しました。この調査の結果21歳以上の大人が全体の6割近く占めていること、2割近くが本人から親への暴力があり、「引きこもり」現象は本人のみならず、家族の負う悲惨もすさまじいものだ、ということがわかってきました。
暴力は外部だけでなく自分にも向けられていて、自殺未遂や自傷行為も幾例も報告されています。
 「引きこもり」家族は保健所や精神保健福祉センターに相談に訪れるのですが、現場からは「専門家が不足」「知識や支援する技術が足りない」など、苦難に直面している本人や家族の訴えや現状に、対応できるだけの体制も力量も未整備な状況が報告されています。
 引きこもりと一口に言っても、人によりさまざまで、まさに千差万別のようです。
最初、男性の方が圧倒的に多くて、女性は少ないと言われていましたが、いまは女性が4割くらい占めているのでは、と言われています。
 年齢的には、十代から40代、50代の人もいるといい、一番多いのは、20代から30代といいます。
 引きこもり期間は1年未満から数年、長い人は17年とか20数年にも及ぶ人々がいます。
 引きこもりの程度もいろいろで、コンビニや本屋に買い物に行ける程度から、自宅内は自由にしているのから、自室に閉じこもって、家人さえ入れない完全「引きこもり」までさまざまらしい。

引きこもるきっかけと人間像

 「引きこもる」きっかけは、いじめ、受験の失敗、失恋、就職の失敗、人間関係に躓いて、その他です。
斉藤環医師の『引きこもり救出マニアル』(PHP研究所)によると、きっかけが分からない、という人々が4割おります。
この事実はとても私の関心を引きました。
後に述べる「引きこもり」の発生原因のうち、親にも学校にも責任を来せられないある事象を疑っている私には、ひどく興味深いものです。
人柄や心理はかなり共通項があります。
 次の記録は、この数年間の新聞の切抜きやテレビの特集番組の書き抜きなどからの引用ですが、ある程度「引きこもり」の人々の人間像が分かるので、ここに掲げます。
 ただし、次に述べる「引きこもりの原因」の中の、境界性人格障害のタイプは、入っていないように思われます。
 ・真面目で繊細
 ・学校や職場へ行きたいのに行けない。頑張って近づくと、体がふるえる。
 ・会話が苦手で、人付き合いが出来ない、だから人と話すのが辛く、息苦しくなることさえある。
なかには、自分の気持ちを相手にうまく伝えられないため、癇癪を起こし暴力をふるう人もある。
 ・自意識が敏感で、傷つきやすい。
そのため、周囲の人の何気ない言葉や態度が、自分を非難攻撃しているように映ってしまうという場合が多い。
 ・自分のせいで人に迷惑をかけたり、悩ませたりしまいかと、極度に気を使う。
そのくせ周囲の人々の気持ちが読めないため、結果的には、迷惑をかける羽目を招いてしまう。
 ・責任を問われることに強い不安を感じる。
又、自分の意見を批判されるのを嫌がる。
 ・横並びの人間関係や友情を築けない。
 ・雑談が出来ないため、仕事と仕事の合間の時間の過ごし方に困惑する。
 ・目的なき向上心、を持っている。
 ・自分をふがいないと責め苦しんでいる。
 ・最初はいいが、付き合いが回を重ねるごとに、何を喋っていいのかわからなくなりつきあいや対話が辛くなる。
 十の項目のうち、私は九つ同じような性格を持っていました。
Yさんはいかがですか。
 

素朴な感想と原因はわからない!について

 「引きこもり」問題がマスコミで取り上げられ始めた当初、私の感想は「最近の人たちは、辛抱が足りないんだなあ」という程度でした。
 一般の人々の印象や声も、「我慢が足りない! 努力がなさ過ぎる、甘やかして育てられているからだ」などの意見が圧倒的で、率直な言い方をするならば、「本人がだらしない! 家族のしつけがなっていない!」というのが大部分だったように思います。
 私は、引きこもる部屋や、退屈しないでいられるテレビ、ゲーム、パソコンなどがあることも大きく関係しているのではないの…などと考えました。
ちょっと厭なことがあり、傷つくことがあると、まるで亀が首を引っ込めるように、安全で居心地よい自分のねぐらに入ってしまう。
「ひ弱すぎる!本当にひ弱すぎる!」不謹慎なことですが、あーあ、私もいまの時代に生まれればよかったなあ、などと思いました。
 鍵のかかる子ども部屋のありかたが悪いのだと、個室化が大いに問題になり、家を建てる際は、設計段階からその点が配慮する家が増えました。
 また、企業戦士としての父親が、サラリーマン活動に全精力を吸い取られ、あげく、父親不在の家庭では、母親が子どもの教育、しつけの全責任を負わされるという事態を招き、母子密着による過保護、過干渉が注目されました。
 「だからいけないのだ!やはり父親が、がつんとしっかりしていなければいけないのだ」と、父権の復興がさかんに言われもしました。
 地域の教育力が落ちたせいだ、とか、ガキ大将がいなくなったせいだという意見も盛んに言われました。
 しかし、いろいろ調べてみると一部分は当たっていますが、私たちの素朴な感想とは別のかなり複雑な諸要因が絡み合っているらしい、ということもだんだん明るみになってきました。
それと共に、これからいろいろ書こうとしている私にとって、ちょっと困った事情も分かってきたのです。
 新聞(2003/9日経)に“引きこもり支援”の現状と課題について、国立精神神経センター精神保健研究所の社会復帰相談部長の伊藤先生の報告が載っています。
  ――孤立し疲れた家族は、親の育て方や過去の家庭環境に、原因を求める考え方に行き勝ちだが、問題解決に役立たない、それよりも大切なことは…
 と過去の自分たちのあり方を責める苦しむことよりも、前向きな姿勢を取れ、と繰り返し述べています。
 またNHKの「引きこもり」関係の番組で、精神科医の斉藤環医師も、犯人探し、原因さがしは救いにならないと強調されています。
 さらに、別の同局の番組では、全国各所の取り組みが紹介され、活動内容が報告されていますが、そこでも強調されていたことは、前記と同じように過去にこだわり自分たちをせめても何も始まらない、それはまったく不毛である、という方向で一致していることです。
 私自身の小さな体験を振り返ってみても、犯人探しを諦めてのち、道が開けてきたという事実があって、まさにおっしゃる通りなのですが、何かこの答えはすっきりと私の胸に収まらず、もやもやしていました。
 「原因はわからない」という専門家たちの姿勢は、家族と本人を救済するための発言であり、真実そのことは大切なことなのだと、私も同感できるのですが、ある危惧を感じます。
それは家族は納得出来るものの、果たして本人たちは同じように、はいそうですかと素直に了解するでしょうか。
 いちばん苦しんでいる当の人間は、なにが原因か、犯人は誰か、と必ず自分の苦しみの源流を追求してしまうような気がします。
私の時代と違い、いまは参考に出来る関連図書はたくさん出版されていますから、それらの本に書かれている内容から、容易に育て方や家庭のあり方、親の生き方などとの関連に言及した何冊かの本に出会うことが推察できます。
それを見た子ども達は、親を恨み、反感と不信でぎらぎらした心境になるのでは、と推測してしまうのは私の考え過ぎでしょうか。

 『引きこもりカレンダー』(文春ネスコ社平成13年2月出版)の著者は、引きこもり暦十年以上の29歳の青年ですが、その中で、彼はこんなことを言っています。
――自分は親の言うまま一生懸命勉強し、期待通り難関の進学校に合格した。
しかし、暗記中心の勉強に燃え尽き、高校3年の時不登校となり、いらい自宅に引きこもるようになった。
受験勉強や“いい子”であることを無理強いし、引きこもりにいたらせた原因は「すべて親のせい」と、親の責任を鋭く責める内容であったといいます。
インターネットに発表されるや、賛否両論かなりの反響だったといいます。
「甘ったれている!」と激しい反論を寄せた人々ととともに、「そうだ!そうだ!」と諸手を挙げんばかりに賛成と同意もたくさん寄せられたといいます。
この人々は私の推測ですが、同じ引きこもりで苦しんでいる若者たちのように思えます。
 彼らから見ると、大人の態度はまさに“臭いものに蓋”そのものに映るのではないでしょうか。
 私はこの問題を、掘り下げたほうがよいか、それとも曖昧なままにした方がよいか、考え続けました。
いやその言い方は正確ではない。
書いていいのか、書かないほうがいいのか判断がつかなかったのです。
 本音を言いますと、私自身は、この問題の正体を知りたくて仕方がないのです。
なぜ私はこうなったの……? 
なぜこの豊かな日本にこんなに大勢の「引きこもり」で苦しむ人が産生されているの……?
 この無残な人間現象を食い止めるには、辛くても原因をしっかり見極めなければ、いけないのだ!という思いが私を突き動かします。
でも私は過去を振り返るのが辛くて仕方がないほど、精神的には落伍者なのです。
だから私の考えを突き進めていいものなのか、それともこの問題に頬かぶりした方がいいのか、迷い続けました。
 春が過ぎ、夏は嫌になるほど雨が降り続きました(2004年のことです)。
秋のさわやかな空気が訪れたら、混乱した頭がすっきりするような気がして、恋人を待つように9月を待ち望みました。
 この間にも、世人を驚かせるような幼児虐待や少年事件が頻発していました。  私の原因探し調査は、川の源さがしのように、「引きこもり」関係の本や資料から、源流へ源流へと誘導されて、いつのまにか子育てや少年問題関係の方面まで手を広げていました。
 そして心が決まりました。
心を決めさせたのは、「引きこもり」の人々や、「精神的引きこもり」の人々をこれ以上増やしてはいけない!という強い私の願いがあることです。
傍からは弱虫、意気地なしに見えようとも、当の本人の苦しみ、劣等感、悲しみは想像を絶するものがあるからです。
あんな孤独地獄においてはいけない!と強く思います。
 現状では原因がわからないまま、親も社会も子育てに何が大切かを学べないで、「引きこもり」の人々を生産しつづけているように、私には思えるからです。
正体が明確になれば、むしろ『引きこもりカレンダー』の著者のように親をうらみ悶々としている人たちに、別な視点を提供できるかもしれない、そしてそれが生きる勇気や今の状態からの脱出のヒントになるかも知れない、と思えるようにもなってきたのです。
 私は、人間の1500グラムの灰色の脳細胞を信じます。
それを信じて私は霧の中から脱出できたのです。
人はいつでも、どこからでも、新しい生き方に踏み出せる。
それを私は固く信じています。己が決心すればですが………。
 脳卒中で左脳の言語中枢をやられ、言葉をまったく失ってしまったある男性は、それまでの常識では不可能とされていた言葉を再び取り戻したいと熱望しました。彼は再獲得のためのリハビリを熱心にやったそうです。
結果数年ののち言葉は見事によみがえったのです。
医師が調べてみると、新たな言語中枢が反対側の右脳のあちこちに出来ていたという。
奇跡のような現象ですが近年では、脳細胞は今までの常識を覆し、年をとっても増えるということが確認されています。
 上記までを書いてまた1年近く経ってしまいました。
決心したもののやはり、踏ん切りがつかなかったのです。
もしも私の書いたものを読んで「やっぱり自分をこんなにしたのは「親だ!」とか「社会だった!」と絶望的な荒れを助長したら、どうしようという危惧からぐずぐずしていたように思います。
それと私自身、心の旅路を辿ることに疲労困憊してしまったせいもあります。
みっともない自分の半生を見直さなければいけない作業から逃げたい、逃げたって誰も私を責めやしないんだから……と。

 ところが、最近ある視点から、小さな発見をしました。
 実は「この原因にどう向き合うか」がリハビリの第一過程ではないのだろうか、ということに気がついたのです。
 犯人探しを断念する、または、犯人が分かった場合どうするか………。
 そのどちらに対しても、本人が正面から向き合わねばいけないのでは、と思うのです。
 そう言えば、私は「転機」を迎えてからが、新しい方向への一歩が始まった! と思い込んでいましたが、その1、2年前に、犯人探しを断念したことが、実は新しい歩み出しの助走だったのではないだろうかと気がついたのです。
 ご多分にもれず私も最初は、自分自身が犯人だと思いました。
さんざん私のあれが悪いのだろうか、それとも、ここが悪いのかもしれない、とこねくり回したものの結局のところ謎は晴れず、次にターゲットは母に向かいました。
 いまと違い関係書は皆無の時代ですから、漠然とした疑惑を持ったものの、母の人生の何が私の現状をもたらしたのか、因果関係がどうしてもわからず、ぐずぐずと母に恨みがましい視線を送っていた時期が大分続きました。
 心がひょいっと翻ったのは、ある時家事をしている母の姿に老いを感じたからです。
背中は丸くなり、白髪の混じった髪は油気が抜け、女の色気はすっかり失せていました。
悲しさが胸に迫り、ある感情が私を襲いました。
 「今度は、私が母を背負う番らしい!!」
 「こんな私をどうして生んだ!!」と母を恨みながら、それと裏腹の矛盾した感情で、私は社会や人間から逃れて母と一緒にどこかで暮らしたい、と漠然と願っていました。
保護者としての母は、永久に私のそばにいてくれるもの、いて欲しいという単純な願望を持っていたのです。
 「今度は私が母をおんぶするのだ……」
 母との葛藤問題に、断念を己に命じたその時、熱した頭を涼しい風が吹き抜けたような感じがしました。
 一つの舞台ががらりと回り、怨念じみた主役が次の何かに変わった、そんな感じでした。
 転機はその何年後かに訪れたのです。
 この「断念する」ということが実は「私たちの心の中に、ある種の前向きの意思を伴ったエネルギーを作る」という精神活動だったのではないでしょうか。
だから次のステップに歩を進めるためには、この過程を第三者が、引き受けてしまってはいけないのではないかとも思います。
 「原因はわからない」「原因はこれこれだ」このどちらに対しても、目を逸らすべきでなく、本人が考え悩んだ末に選択すべきことなのではないでしょうか。
 恨み続けるか、それとも、光のあふれる世界に生きる道をえらぶか。
自分の力でこの難所を踏み越えさせなければ、第二歩目は永久に始まらないのではないかと。
 (つづく)
⇒体験記・逸見ゆたか・精神的ひきこもり脱出記(1)
体験記・逸見ゆたか・精神的ひきこもり脱出記(2)
体験記・逸見ゆたか・精神的ひきこもり脱出記(3)
体験記・逸見ゆたか・精神的ひきこもり脱出記(4)

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