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時代の変化、世代の変化とひきこもり

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時代の変化、世代の変化とひきこもり

会報『ひきこもり居場所だより』(2020年9月号・10月号)に掲載。

現代の社会にひきこもりが生まれる背景事情を経済史の面から取り上げている本があり、それに触発されて書いたものです。
多数のひきこもりが生まれ社会現象になり、社会問題になりました。
それには当事者各人の個人的な理由がありますが、それを超える歴史的な理由に迫れる視点をつかめると思えたのです。
これは私にはかなり重要な手がかりでもあります。
昨年12月号で「時代の変化と世代間ギャップ」を書いています。
この2つのエッセイにより社会経済関係とひきこもりの現実の空白を埋めるためにもう少し具体的なところに迫れそうだからです。
『ひきこもり国語辞典』に紹介した具体例を示すこともできます。

私の1つの思い出ばなしから始めましょう。
30歳を過ぎたころ(1976、7年ごろ)、私は都内の保健医療生協の小さな診療所で働いていました。
職員として、長期に受診をしていない生協組合員を地域回りで訪ね、健康や生活状況を聞いていく機会がありました。
60歳代と思える女性から聞いたことが忘れられません。
彼女が結婚した当時は、婚家の新参者としてその家に馴染むようにしてきた。
嫁姑の関係では下の立場にあり、その家の家風やしきたりを引き継ぐように期待されていた。
奉仕者みたいに尽くす役目でした。
息子が数年前に結婚しました。
お嫁さんが来たけれども、私がこの家に入ったころとは違います。
同居しているけれども世帯は違います。
夫は退職し夫婦ともに、息子夫婦の元にお世話になるおじいちゃんおばあちゃんです。
息子の嫁が一家の家計を握っています。
結局私は、結婚してからも、息子が結婚してからも、この家の下支えをする生活が続いています。
時代の変わり目にあって、前の時代でも新しく変わった時代で、損な役回りかもしれません。
しかし、大きな不満はありませんが…。

この話は世間話の類でしたが、時代の変化が家族に及ぼす影響の直撃を教えられた気分です。
昨年12月号の「時代の変化と世代間ギャップ」では、1960年以前に生まれた人を「60年前世代」とし、1970年以後に生まれた人を「70年後世代」として世代間ギャップを考えました。
  1970年以降の数年が、資本主義世界の重要な分岐帯であったことは、前号8月号で紹介した通りで、ここでは繰り返しません。
地域回りをしていた1970年代がちょうど大きく変化する時代だったのです。

この息子さん夫婦は私とほぼ同世代、すなわち「60年前世代」になります。
計算すると、あのとき話した60代の女性の孫世代=「60年前世代」の子ども世代に、ひきこもりが多数いるという勘定です。
確かに私が出会っているひきこもり当事者が生まれた大部分は1970年以降に生まれた人たち=「70年後世代」なのです。
私と同世代のこの息子さん夫婦は、資本主義の内容が大きく変わる時期を体験したのです。
時代の変化を、このような枠組みでは意識しないままに生活してきました。
多くの人はこの変化の波を何とかやりくりしてきたのでしょう。
いつの場合でもそうですが、社会の大きな変化においては、必ずしもすべての人がうまくいくわけではありません。
うまくいっていると信じていながら、必ずしもそうではないこともあります。
私自身のことを考えてもそうだと思います。
その表われ方はいろいろでしょうが、子どもがひきこもった事例からいくつか紹介しましょう。
時代の変化が、個々の当事者と家族にどのように表われるのか。
12月号の「時代の変化と世代間ギャップ」では次の実例を挙げました。
国語辞典に掲載するにあたり、具体的な状況を書き加えたのでそれを紹介します。

◎無自覚ハラスメント  不登校やひきこもりを話し合う場が開かれると聞いて、母と一緒に参加しました。
母はようやく私の不登校を認め始めたので、一緒に連れていく感じでした。
自己紹介の順が回ってきたので中学時代の母を話しました。
友達が訪ねてきたとき服装や言葉遣いが違うと家に入れないのです。
大切な私の味方になる人でしたが、友達を失くしました。
学校に行けなくなりました。
押し付けがましくて無自覚なハラスメントみたいな仕打ちです。
その会合では母は特に言い返すことなく、静かにそれを聞いていました。
母と一緒に帰ったのですが、母は謝ってくれました。
つられて私も言いすぎてごめんと謝りました。
激しい場かもしれませんがよかったです。

これは20年以上前のことです。
この会を主宰した私にはこの情景は驚きであり、印象に強く残っています。
お母さんは私より10歳ほど下で、娘さんはいまでは40歳近くになっているでしょう。
会合の場での娘さんの鋭いことばと、会を終えた後の二人の静かなやり取りが忘れられないです。
お母さんと娘さんの個人的な性格も絡むと思いますが、いつの場合でもそういう個人的な事情を通して社会の流れ、時代の変化は表われるのです。
この「70年後世代」の人たちには、相対的に感覚が優れているが多く(*これは別に論証が必要ですが)、社会的な風土の変化を感じやすい人たちです。
彼ら彼女らは社会的な窮屈さを「生きづらい」と表わします。
17世紀のイギリスの哲学者、T.ホッブスが「万人は万人に対して狼である」*という感覚を現代日本に感じたのが「生きづらい」ではないでしょうか。
*このことばは高校時代の世界史の授業で宮脇英世先生が話したのであり、私はホッブスの著作を読んではいません。
総じて現在の日本では、とりわけ「70年後世代」では、人と人との関係に細かく気を遣い、他者に迷惑をかけずに生活する心情に置かれています。
いやそれを推奨する天上からの見えない指令を感度鋭くキャッチして身をすくませたようなものです。
次のように表現した人がいました。

◎徴兵制  ある年齢になった男性が軍隊に入る制度が徴兵制です。
社会とはある年齢になれば何かの仕事に就くように迫る制度です。
この社会自体が私には徴兵制みたいなものです。
これ以上に徴兵制をつくるのは、横暴な父親が家で言っていることを国レベルに広げるものです。
◎絶望感  ひきこもりは社会に対して絶望するとどうなるのかを知らせる存在です。
自分にはそうありたい気持ちがあります。弱肉強食な世界への抗議です。
人は精神的にここまで落ちぶれることができると思い知らせてやりたい気分があります。

私には、これらのことば、感じ方はT.ホッブスの感じ方の現代版とも思えるのです。
次に当事者が直接に社会と関わる様子を示す例を挙げてみます。

◎押し売り  思い切って就職しました。栄養補助剤(サプリメント)の販売会社なので悪くはないはずでした。
ところが給与は基本給+売上げ歩合制です。
売らないと給与は少ないので、指定された地域の訪問販売に回りました。
そこでは相手が必要としない物を押しつける、押し売りしている感じです。
それが気になり始め、ついにこの会社は辞めました。ホッとしています。
また無職に戻りました。
◎訓練  社会参加には訓練が必要といわれます。
「できない」「したことがない」「わからない」ことが多いので、それはわかります。
けれども、自分が納得していない社会に適応を迫られる気持ちになります。
自然な移行ではなく、無理矢理にレールに乗せられる感じ、それが訓練です。
同じようなことでも練習といわれるのがいいです。
自然に進むのがよくて、無理矢理はダメです。

もう少し身近なことを、今度は父と息子の関係を国語辞典から取り出してみました。

◎不穏  父親が家にいるとそれだけで何かが起こりそうで気分が落ちつきません。
無言の圧力、存在の圧迫感がどこからともなくじわりとただよってきます。
顔を合せないようにしているのですが、からだにしみ込んだ記憶でひとりでに気持ちが不穏におびえます。
◎断絶 生まれてからずっと同じ家に住んでいます。
アイツ(父)も同じ家にいます。
顔は合わせないようにしていますが、ときには顔を合わせます。
声をかけ合うことがなくなってもう二十年以上になります。
父と子なのに、けんかや衝突を超えた冷えた断絶です。
このままではよくないですが、自分からは譲れません。

ここに紹介した不穏も断絶も、1人の事例ではなく複数人から聞いています。
そのうちの1人の父親に会ったこともあります(短時間なので詳しく知ることはできませんが)。
世間の常識内の人だと思います。
しかし、父と息子の関係では平穏でもないし気持ちをつなぐ接点を失っています。
父世代と子世代には大きなギャップがあり、ともに個人的な性格や背景事情を持ちつつも、世代間のギャップが表れているのです。
子どもの側、息子や娘の側、「70年後世代」からすると「自分が納得していない社会に適応を迫られる」という状況に置かれているのではないでしょうか。

国語辞典では次のことばも紹介しました。
◎決着 父がまだ比較的若い五〇代で病死しました。
これまでの父との関係や家族のこと、自分がなかなか仕事に就けずにいたことなどを話し合いたかったのに。
話す時期はまだ来ていなかったと思うけれども、父との間ではその決着ができていなかったのが心残りです。

親世代と子世代、あるいは「60年前世代」と「70年後世代」には、意図しない社会的歴史的な大きな変化がありました。
それが単一の親子関係のなかで先鋭化したわけです。
誰も悪くはないとは言えませんし、また誰かが悪いと一般論としては言えません。
しかし、特にわれわれ親世代に考えが及ばなかった、未熟であった…ということは言えないでしょうか。
そして、それはまだ終わってはいません。
社会的歴史的には現在進行形です。
社会的に大きな背景があるとしても、個々のひきこもりへの対応では、社会にお任せではすみません。
その際全体として、親側に主な問題があると見なくては事態の打開に進まないでしょう。
ところが「8050問題」となると、親の高齢化が視野に入ります。
社会的な視点を加えながら、解決の方向を探すことになります。
私が考える解決の方向の概略的なことを示します。

(1) 親世代の理解を求めるのが基本です。
親世代にはこのような社会的な背景をつくった意識はありません。
親世代を攻め立てるには無理があると考えるのはこの点です。
(2) 親世代がひきこもり理解するとは何か? ひきこもり状況を理解できない人が続出すでしょう。
ひきこもり個別の状態ではなく、社会問題としてのひきこもりの解決が必要であると理解してもらうことに重点があります。
(3) 個別の親に求める「理解」とは、心理学的なことではなく、「理解できなくても、理解しようとして、よく見・よく聞く姿勢」です。忍耐力とも言えます。
(4) 親にできることは家族外の第三者の力を借りることです。
そういう社会的な力を借りやすい条件を整えるように動くことです。

以上は親世代に求めることの基本ですが、当事者側にも可能なことや受け持つもてるものがあります。

ひきこもり状態を子ども側から、とくに「8050問題」といわれるひきこもりを子ども側からどうできるのかを考えてみます。
「ひきこもりの当事者は自ら動くことはない」と東京都江戸川区(私の居住区)の調査報告書にありました。
これは事実ですが、事実の全部を言っているのではありません。
私はこの報告書に対する要請文のなかで、私は次の事例を挙げました。

◎ 全国若者・ひきこもり協同実践者交流会という全国組織があり、各県持ち回りで毎年交流集会を開いています。
始まって15年以上ですが当初は「支援者交流会」でした。
これにひきこもり当事者が参加し支援者の側に加わり始めました。
その変化により「協同実践者交流会」に名称も変更しました。
これが象徴的なひきこもりの特色を示しています。
条件ができればひきこもり当事者は自ら動く証拠です。

ひきこもりの特徴の1つは、動き出した人には自ら支援者側に回る人が少なからずいます。
「人から言われてやるのに懐疑的であり、やるのなら自分の意志でやる」、極端に表現しますとこれが反面の事実です。
彼ら彼女らの行動は自分の意志を社会的(必ずしも家族内ではありません)に抑圧されてきた成育環境に関係します。
繊細な感性を持ちながら粗雑に見える社会の間にいて、心と社会を閉ざす行為になったとみることもできます。
言いかえますと「ひきこもりの当事者は自ら動くことはない」ことを認めるとともに、当事者の動き出すエネルギーを引き出すのがもう1つの方向になるからです。
前号に続いて『ひきこもり国語辞典』に紹介した例を挙げてみます。

◎会社みたいな場  二十歳を過ぎたころひきこもりの相談活動をする人がいて、そこに行きました。
当事者数人がお互いに自分の状態や希望などを話すことになりました。
話す順番がきて「自分に必要なのはトレーニングをしながら収入が得られる会社みたいな場です」と話しました。
うっすらと考えていたことですが、その場になったらまとまった言い方になりました。
現実的には会社じゃないのに収入があるわけだから、居場所でもなく難しいみたいです。

◎純粋培養  培養は状態を一定に守られた環境の中で育つことです。
元ひきこもりの人が居場所のスタッフになっていると純粋培養を思います。
その人はこの場に来つづけて自分を取り戻し、そのままスタッフになりました。
よく気づく人で助かります。
居場所経験を重ねる私がここを離れるには、知識か技術を身に着け違う状態に対応できる一段高い修業が必要です。
◎ヒーラー 人を癒すヒーラーになりたいです。
愛情不足のなかで育ったためか、人を信頼しきれません。
それを補ってもらいたいのですが親にそれを求めてもいまさらできないでしょう。
その代わりが癒し役になることです。
愛情で包むのは難しいけれどもダメージを受けた人を癒す役はできるかもしれません。
そう考えて優しく接するように努めています。

以上は数少ない実例を基にしています。
私がかかわった多くに創作活動をする人たちがいます。
彼ら彼女らの感覚の鋭さに関係するいろいろな方面の創作活動をする人たちです。
私は本の編集を職業にしていますので当事者の関心のうち引き出しやすく接点を持ちやすい面があったと考えられます。
創作活動には、絵画系、デザイン系、手芸系、工芸系、文芸系、音楽系などの分野があります。
具体例ではアニメや漫画を描く、自作の似顔絵を描く、アクセサリーの作成販売、写真作品、LINEスタンプの作成、編み物・衣類の作品、日用品(バッグ、テーブルカバー、台布巾)製作、小説や詩をつくるなどです。
作品の展示販売を続けて「雑誌に載せ注文」を受ける人もいます。
自分のホームページで展示販売する人もいます。
趣味の範囲からセミプロまでいて、多くの人は実益未満の状態にいて先をめざします。
その作品を各自の社会生活の基盤にしたいのですが、そこから先に行くのが難しいです。
そのレベルの才能がないと悩む、チャンスをつかめない状態が延々と続いています。
小さなきっかけを大事にしながら将来に期待をつないでいるとも言えます。

創作活動を含む個別事例だけではなく、就業や社会参加に取り組む状況にもひきこもり当事者側の動きが見られます。
居場所に通っていた人たちがそれぞれの経過により仕事につきました。
就業先の多くは、介護・整体などの身体ケアに関すること、清掃などの軽作業や運送業の倉庫やバックヤード、ひきこもり生活中に馴染んでいたパソコンに関する選択が目立ちます。
しかし、それぞれの関心や身体状況により、働く方向でいろいろな試みがみられます。
就業が安定するかどうかは働き先の状況に大きく左右されます。
就職への一直線の動きよりも、回り道をする状態が続きます。
置かれたそれぞれの状況で自分のできそうなこと、条件に合うことを懸命に探す様子が表われます。
長続きせず実にならないことも多いです。
しかし、わずかでも動いてみること、試行や模索を重ねたことに意味があります。
続かなかったこと、失敗した体験、試みたこと、取るに足らないと思える事例、意外なことなどもあり、『ひきこもり国語辞典』には紹介しました。
また資格や技術の取得、どういう条件なら働けるのかなどの周辺状況も参考になると思います。

これらの模索ともいえる状況はひきこもりになる人が生まれる時代状況を示しています。
私には彼ら彼女らの動きは単純に失敗とは思えませんし、ときには特別の感性や能力がある証拠があることと考えます。
大きな時代の局面から見ればそうも言えますが、しかし、当事者と家族にとってはそう悠長ではないことも確かです。
時代状況に押され、耐えている、そこでできそうなことを探し、動いているのを応援するのが支援者の役割になるのではないか。
とくに国や自治体には特別の役割があると考えています。
それは相談窓口を増やすことではありません。
江戸川区への要請文ではどういうことが考えられるのかを列挙しました。

〔付 言〕 
ひきこもりへの社会の対応には、なお多くの部分が残ります。
ここに述べたことは、私が直接に触れてきたひきこもり当事者によって得られたものです。
彼ら彼女らを年代別に見ようとするとき、私には抜けている部分があります。
政府のひきこもりの人数調査が2つあり相当な人数です。
① 内閣府調査(2016年)では15~39歳、推計54.1万人。
② 内閣府調査(2018年)では40~64歳、推計61.3万人。
*支援者等によるとこの推計は少ないと言います。
このうち、50代後半以上の人(おおよそ1955年~1965年生まれ)に私はほとんど関わっていません。
なぜ関われなかったのか? 特別の理由があるのか、偶然なのかもわかりません。
そして、今回のこのエッセイで述べたことは、おおよそ1955年~1965年に生まれ人たちには当てはまらないかもしれないのです。
                                            

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