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登校拒否を克服する会

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2019年11月8日 (金) 13:21時点におけるMatsu4585 (トーク | 投稿記録)による版
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所在地 大阪府大阪市
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ページ名登校拒否を克服する会、大阪府大阪市 (当事者の会・自助グループ・大阪府)
不登校「親だけの解決」がとっても難しい理由
不登校問題を親子だけで解決するのが難しい理由とは?
文科省の調べでは2017年度、不登校の小中学生の数は14万人を超えた。
5年連続で増加を続けている。
さらに日本財団の調べでは、不登校傾向にある中学生は33万人。
40万人以上の不登校および不登校傾向の子どもたちがいるということは、その数以上に不登校に悩む親たちがいるということでもある。
日本の子供はなぜ自己肯定感が低い?
不登校の子どもを持つ親たちが集まる「登校拒否を克服する会(大阪)」が9月中旬、大阪市内で行われた。
同会が生まれたのは1986年。以来33年間、奇数月に1回、交流会を開催してきた。今回、200回目を迎えた。
■なぜ「相談の場」が必要か?
  同会の世話人代表を務める古庄健さん(71歳)はいう。
「登校拒否の子どもが増え始めたのは1970年代の半ばころですが、当時の認識は、甘え、さぼり、親の育て方が悪いというもので、本人や家族の責任が問われた時代が長く続きました。
親は、親戚や友人にも言えない苦しい状況に追い込まれていたのです。われわれの会ができたのは、それから10年後でした」
当時は今ほど、相談できる場所もなかった。
その中で、現職教師や定年退職した元教師が無料で教育相談を続けていたのが、「大阪教育文化センター 親と子の教育相談室(現NPO法人おおさか教育相談研究所)」だった。
行政の相談機関、民間の不登校対応業者、多額の報酬を要求する宗教団体などを転々とした末に、たどり着く人も少なくなかった。
同研究所では今も年間約1,000回の面談を実施する(現在は有料)。
そのおよそ8割が不登校や引きこもりの相談だという。
「同じ悩みを持つ者同士が話し合える場がほしい」という親の願いと、その必要性を感じていた相談員の呼びかけで同会はスタートした。
古庄さんは、発足の1年後からの古参メンバーだ。
1995年には、大阪からの声かけから全国にある親の会が結び付き、「登校拒否・不登校問題全国連絡会」も発足した。
「文科省も1992年、登校拒否はどの子にも起こりうることだと認め、スクールカウンセラーの配置などが行われてきました。
学校現場でも、見守るという態勢が広がる一方で、学校へ来させるために一方的で過度な登校刺激を依然として続けるところもあります。
親が、自分の育て方が悪かったんだろうか、子どもにどう向き合えばいいのかと悩む姿は、今も昔も変わりません。
1人で悩む親をなくしたい、孤立させたくないという気持ちで、この会を続けてきました。
親が自分を責めてしまうことは、子どもを追い詰めることにもつながりますから」と、古庄さんは訴える。
参加人数は毎回、60~100人。この日は71人が集まり、うち初参加は10人だった。
専門家の講演や当事者の体験談のほか、学齢別による少人数の懇談会や父親だけの交流会などを行う。
初めて参加する人は「基礎講座」を受け、不登校について学ぶ。
■「登校拒否を克服する会」の意義
学校に行きたくない理由は子ども自身もわからない場合が多いこと、そのために子どもが苦しんでいること、学校に行きたいのに行けない自分に罪悪感を感じていること、子どもにとって安心できる場所は家庭だということ、だから子どもたちを丸ごと受け止めること……。
専門家の話を聞いた後は、それぞれが子どもの状況を語る。
胸が詰まって、言葉にならなくなる人も少なくない。
講師は一人ひとりの状況にそって、アドバイスをしていく。
「登校拒否や不登校を克服する力は子どもの中にある。だから、信じて、任せて、待とう」と。
奇数月に行うのが、大阪府全体の集まり。
偶数月には、それぞれの地元で小さな交流会も開くが、中には1人で2時間話し続ける人もいる。
聞いてもらえる場もなく、ため込んでいた悩みや苦しみがあふれ出す。
同会の世話人は、古庄さんを含めて15人ほど。皆、自らの子の不登校に悩んだ経験がある。
「心の拠り所となった場所を守りたい」と運営に関わっている。
須田和子さん(51歳)もかつて子どもの不登校に悩んだ1人。10年前に扉をたたいた。
「しつけが悪いからだ」「さぼらせてはダメだ」と、家族からは責める言葉ばかり。
誰にも相談できない期間が長く続いた。とにかく学校に行かせなくてはとの思いから、子どもを家から締め出すように送り出したこともあった。
「ちゃんとしなければといつも思って、親子でバトルしてはしんどい思いが続いていた」と振り返る。
「(登校拒否を克服する会で)『休ませていいんだよ』と言われて、子どもを丸ごと受け止められるようになりました。
子どもはみんなお母さんが大好きだから、本当は悲しませたくないと思っていること。
だから、お母さんが困ったり、イライラしたりする姿を見ると、学校へ行けない自分に罪悪感を感じてしまうことも知りました」
悩みを共有し、相談できる場ができたことで、子どもを信じて待てるようになった。
子どもはやがて学校へ行くようになり、今はやりがいのある仕事を見つけ、忙しく働いているという。
学童保育指導員でもある須田さんは自身の経験を生かし、職場でも不登校や行き渋りの親子のサポートを続けている。
この日、当事者として体験談を語ったのは、清水悠佑さん(34歳)。
重度のアレルギーとアトピー性皮膚炎を抱え、無理が続いたことなどから、小学6年から中学時代にかけて不登校に。
高校は通信制に進学。いつも信じて寄り添い続けてくれた母の存在が大きかったと話した。
清水さんの母も同会に一時期、参加していた。
■「学校復帰のハードル」は今も高い
清水さんはその後、全日制の大学に進み、小中高の教員免許を取得した。
市の不登校支援員などを経て、独立。「心の居場所懇談」を開設した。
個人の立場で不登校支援を続けてもうすぐ4年になる。
「市の不登校支援員の仕事はやりがいがある一方で、限界も感じたからです。
不登校に至った経緯も現在の状況も一人ひとり違います。
その子にあわせた対応をしていくためには独立しかありませんでした。
初回の相談は長い人だと4時間、短い人でも3時間近くかかります。
いろんな相談場所を回って来られる人が多いですが、『これだけ丁寧に聞いてもらえるとは思っていなかった』と言われるたびに、複雑な思いです」
親からの相談を受けた後、家庭訪問するのが清水さんのポリシー。
子どもとの関係を深めながら、支援を続ける。部屋から出られず、誰とも会えない子どもにも対応してきた。
半年で支援が終わることもあるが、2年関わった親子もいるという。
「不登校を克服する会」について清水さんに聞くと、「今は不登校の子どもが増えて、不登校に対するハードルはよくも悪くも下がりました。
昔に比べると、親も仕方がないと不登校を受け止めやすい環境にはなっています。
しかし、学校へ復帰するというハードルは下がっていません。
だからこそ、会が存在しているということが大きな支えになる。
自分以外にも悩んでいる人がいると認識できるだけで救いになっているはず。
親同士がつながる方法はほとんどなく、孤独になりやすいからです」と返ってきた。
〔2019年11/5(火) 東洋経済オンライン 須藤みか:ノンフィクションライター〕

周辺ニュース

ページ名登校拒否を克服する会、大阪府大阪市 (当事者の会・自助グループ・大阪府)
寄り添ってくれた母に感謝 不登校経験の清水さん
不登校の児童生徒が増えている。国の2017年度の調査では、不登校の小中学生は14万人以上に上り、過去最多となった。
学校を休んでいる罪悪感や将来への不安に苦しみ、親は「学校に行かせないといけない」との焦りから、対応に悩んでいる。
小学6年から中学3年まで不登校を経験し、現在は不登校の子どもを支援する清水悠佑(ゆうすけ)さん(34)=高槻市=が大阪市内で講演し、寄り添ってくれた母親(64)への感謝を語った。
「近くにつらさを分かってくれる大人がいないなら、いつでもメールで伝えてほしい。全力で力になる」と語る清水さん=大阪市内
「不登校で親に迷惑を掛けるなら、今すぐに死んだ方がいいのかな」。
自宅の暗い部屋、清水さんは当時そんなことを考えていた。
清水さんは重度のアトピー性皮膚炎を患っていた。
小学校の行き帰りでは風が吹いたり、肘や膝を曲げるだけで傷が痛んだ。
我慢して通学したのは学校の出来事を母に話すことが楽しみだったからだ。
しかし、2歳上の兄が不登校になり、母の意識の比重が兄に傾いた。
「苦痛を押してまで学校に通うことに疑問を感じた」。
清水さんは小学6年の途中から不登校になった。
中学にはほぼ行かず、その後は通信制の高校に。
それでも母は「晩ご飯は何が食べたい」と優しく接してくれた。
「迷惑を掛けているにもかかわらず、『ここにいてもいい』という感覚を持たせてくれた」。
そんな中、将来は不登校の子どもの支援に関わりたいと、教員免許取得のため大学進学を目指した。
両親に相談すると「やったらええ。お金は出したる」と即座に応援してくれた。
しかし大学に入学し、履修登録の際、漠然と抱いていた教員免許取得の大変さへの不安がのしかかった。
「頑張るだけ頑張ろうと思うねんけど、しんどくなって死にたくなるかもしれへん」。
清水さんは正直に母に打ち明けた。
母は「命の方が大事やから、そのときは大学は辞めてもええよ」。
失敗への恐怖が薄れ、自分のできることをしようと切り替えることができた。
大学を4年で卒業し、教員免許を取得。今は個人で看板を掲げ、不登校の子どもを支援する側に回っている。 清水さんは言う。「『命の方が大事』という言葉も大きかったが、一番重要だったのは、自分の苦しい状況を相談できたこと。
母ならちゃんと考えてくれるという信用があった。
改めて寄り添ってくれていたと感じている」
良い所も悪い所も丸ごと受け入れて 「克服する会」代表
清水さんは、不登校で悩んだ経験のある親たちでつくる「登校拒否を克服する会」が開いた15日の交流会に講師として招かれ、保護者らの前で講演した。
同会は1986年に結成され、奇数月に交流会を開催している。
今回で200回の節目を迎えた。
交流会では、親や当事者が苦しい気持ちを自由に話したり、相手の話に耳を傾けており、励ましや展望につながっている。
克服する会の世話人代表の古庄(ふるしょう)健さん(71)は
「子どもの良い所も悪い所も、丸ごと大人や本人が受け入れることが大切。子どもが『自分でいていいんだ』と思えることが力になる」と話す。
克服する会への問い合わせは電話06(6768)5773、大阪教育文化センター。 不登校 文部科学省は、年間30日以上の欠席と定義(病気や経済的理由は除く)。
同省の2017年度問題行動・不登校調査によると、不登校の小中学生は前年度に比べて1万348人増の14万4031人で過去最多となった。
大阪府内では小学校で2553人、中学校で8258人が不登校だった。 〔2019年9月23日 大阪日日新聞〕
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