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Center:2000年3月ー『登校拒否とカウンセリングルーム』まえがき

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『登校拒否とカウンセリングルーム』まえがき

カウンセリングルームの種類とサポート対応
〔『登校拒否とカウンセリングルーム』不登校情報センター・編、2000年4月、桐書房〕

不登校情報センターには、登校拒否に関する相談は1年を通してあります。
だいたい2系列あるように思います。
一つは「これから入学できる学校探し」的なものです。
もう一つは「休み始めた」「休んでいる」、どうすればよいのかという趣旨のものです。
4月なら「まだ入学先は決まらないけれども、いまから間に合う学校はありませんか」というのが前の系列。
「入学したけれども行きません」というのが後の系列です。
入学式の当日に「行けないが……」という相談が入ることも、そう珍しいことではありません。
5月から7月にかけては、「ここに来て子どもが動けるようになり、入学できる学校を探しているのですが」というのが前の系列。
「休み始めたけれどもどうしたら……」が後の系列。
「行けないので転校できる学校を教えてください」というのは両系列にまたがっていますが、基本的には後者。
夏休みは新たな事態に対する相談は小休止。
長期にわたって休んでいる人からの相談は入ります。
9月では「2学期に入って(本格的に)行けなくなった」というのが始まります。
学校探しの相談は、9月の後半ごろから「このまま休み続けると出席日数が不足になるので、いまから転校できる学校はありませんか」という形で始まることが多く、10月、11月と時期がすすむにつれて増えていきます。
この間のどの時期をとっても「学校を休み始めた」、「休んでいるが……」という相談は続きます。
10月になると、「来年4月から入学できる学校を探しています」という相談が始まり、徐々に増えていきます。
それとともに「勉強が遅れているので、学力面で入学試験が心配」「学習面でサポートしたい」という相談が現われてきます。
11月以降は、〇〇高校、△△サポート校という特定の学校名が出されて、高校探し、あるいは学校情報探しになっていきます。
1~3月は高校入試あるいは転入・編入に関することが中心です。
それでも「正月明けなら学校に行かなくなった」「2月□日で出席日数が不足し、留年になる」という新事態の発生に伴う相談も続いて入ります。
3月になると、「まだ入学先が決まらない」という相談があり、これは4月に続きます。
不登校情報センターは、進路指導的相談の内容が多いので、このような時期による特色が出やすいと思います。
心理面の対応となると、実はそれほど時節的なことには関係ないのですが、全く無関係でもないはずです。
とくに新学年の前には、子どもも親も心が動くのはごく自然なことのように思います。


さて、この登校拒否とは少しずれる「ひきこもり」に関する相談が増えているように思います。
年齢は中学生から30歳くらいまでです。
中学生・高校生の場合は、登校拒否として相談を受けることになります。
20歳代以上になると,ひきこもりの本人が電話をしてくるケースが多くなります。
むしろそのほうが多いでしょう。
10歳代だと親からの電話が多いです。
ひきこもりの人からの相談は、これまで主に「対人関係上の心理的なこと」と「働くに働けないけれども、何か対応してもらえる場」の情報探しが中心だったように思います。
しかし、最近は少し様相が違ったものもあります。
現在16歳の女子、高校には行っていない。
もしかしたらひきこもりかもしれない(ということは外出もしている)、新潟の女性監禁事件報道を聞いて、「自分も不安になっている……このままひきこもり状態がつづくのか……」。
事件を起こすようなひきこもりの人というのは、世間一般の人が事件を引き起こす率よりもかなり低いと思います。
ただ、このような不安感から相談する人も増えています。
不登校情報センターには、不登校や高校中退を体験した若者でつくる「こみゆんとクラブ」というサークル、それと一部重複するメンバーでひきこもりを経験し、働きたいと思っている人でつくる「人生模索の会」という集まりがあります。
その人生模索の会が集まったとき、数人の人から出たのは、新潟の事件によって生まれた“風圧”、とくに隣近所の目です。
「外にでにくくなった」という気分が少し高まっているように思います。
こういうことも相談が増えている一つの背景になっているかもしれません。
あるテレビ局の制作現場の人から、ひきこもりに関する企画相談がありました。
ひきこもりの人の現実、実像をもっと理解してほしい、という趣旨であり、企画のねらいは賛同できるもの、たぶん必要なことだと思います。
ただ心配、不安もあります。
たとえば、東京在住の大阪出身者の現実、実像をどう表すかを考えてみてください。
最も重要なことは、両者がともに日本で生活する人であって、大部分は共通していることです。
そかし現実とか実像として表現するとなると“違い”を際立たせることになります。
ひきこもりの人も同じことが考えられるのです。
もう一つは、東京在住の大阪出身者は、それぞれまちまちであって、平均的な一般人、代表者というものはいないでしょう。
同様にひきこもりの人も一人ひとりまちまちで、平均的一般的なひきこもりの人はいないし、ひきこもりの代表者はいないということです。
これらをどう表現することになるのでしょうか。
多くのひきこもりの人は、これらの“違い”を際立たせることに違和感を持つでしょう。
テレビで取材される何人かのひきこもりの人に対して“あれは違う”という感じ方をするでしょう。
この後者の“あれは違う”という感じ方は。否定的なこととは思いませんが、映像として伝えるとき、それでいいのだろうかという気持ちは残ります。
ひきこもりに関しては、医学的あるいは心理的にいろいろな定義のされ方があるとのことです。
相談を受けている現場の感覚では、本人の意識が大きな役割を持っているようにおもいます。
外見的には家から出ていても、本人がひきこもりと感じることが多いからです。
先ほどの人生模索の会の一人はこういう意味のことを言っています。
「まったく家から外へ出られないということはなかったけれども、ここという大事なときにそこに行けないと、自分ではひきこもりだと意識することになる」。
そして、肝心なことは、ひきこもりを理解するということ以上に、その人たちが望んでいることに応える方法、環境……をつくっていくことでしょう。
それにつながる取り組みは何かと考えると、とても心細いかぎりです。
テレビの放送もそこにつながるものになることを期待しているのですが……。

不登校とひきこもり――そのより広い範囲は、人間と人間の関係を結ぶうえでの自信とエネルギーの低下であるように思います。
それに対して、どの不登校の子ども、ひきこもりの若者にも共通する特効薬のような方法はないように思います。
ただ人間に住みやすい環境づくり、住みやすい世の中は共通する前提として大事なことです。
そして、これらの人たちの相談を受け、対応しているカウンセリングルームでは、さまざまな方法が試みられています。
本人と家族が、そのいずれかとうまく出会える情報提供の機会として、本書が使われることを願っています。

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