●文通番号4-04  精神的に安定するときとは

オーパーツ 〔福島県いわき市 男 38歳 レントゲン技師〕

 25歳の時、社会人になったとたん、非常に不安定になり職場の人間関係に苦しみ始めました。ちょっとした失敗をきっかけに、それまでの優等生だった自分が突然崩れたような気がしました。

 それ以来、他人の目が気になってどうしても働けず、休職、そしてひきこもりとなりました。

 その後3年間はほとんど活動できなかったのですが、その間のカウンセリングで、母親とのゆがんだ関係が原因だと思ったため(その前に母親に対するかなりの絶望感もありました)、4年前の春、身ぶるいする思いで、親元を離れて他の土地で暮らそうと決心しました。

 そのことが人生の大転機となりました。キリスト教会のスタッフとして、本物の信仰にめぐり逢ったため、最低の、底無しの沼にいたような自分に、支え、つながり、拠り所ができました。そして確かな土台づくりと、自立する訓練を始めてはや10年になります。

 はっきり言って、ひきこもっていた頃より、訓練し始めてからの方がずっと疲れます(社会に適応できなくて)。それでも日々着実に変革、成長しています。人生を生まれたところからまた一歩一歩やり直しているような感じです(かなり無味乾燥的ですが……)。今もまだまだ未熟で課題もたくさんありますが、何とか毎日働きながら鍛錬しています。

 経験を通して感じたことですが、根本的にひきこもりから脱却するには、まず土台づくりのために「自分が安定する拠り所」を自分で探し求めることだと思います。人間は自分の存在を受け入れてくれる人とつながると非常に精神的に安定します。

 ひきこもっている人たちの多くはたぶん根っこのところで、母親に対するかなりの怨念をかかえていると思います。それは生まれた頃に、最初の他人である母親との関係で、自分の存在を受け入れてもらえなかったばかりか、無意識的に、後々人間不審に陥るほどの精神的虐待を味わったせいだと思います。(もちろん母親は意識的には一生懸命だったとは思いますが)。

 そしてその過去の怨念をはらしても自分を見捨てない人を今も求めているのではないでしょうか(母親が今その役割を果たしてくれるなら、子どもは立ち直ると思います)。

 ただそういう人と出会うことは現状ではかなり難しいことだと思います。意を決して自分の足で一歩歩き始めることが、その「出会い」を生む大きなきっかけになると信じます(できれば母親とは離れた方が……)。

 社会で生きていくための基本は、間違いなく「人と関われること」です。そしてそのためにはまず安定した土台を築いた上で、人間関係の訓練を積み重ねていくことが非常に大事だと思います。

 問題は、最初から親子関係が崩れている場合、安定した土台は自分の力だけではどうしても築けないことです。

 この雑誌でも、人と関われないのは自分の性格のせいという人が多いようですが、そうではなく、その性格を幼児期に受け入れてもらったという体験、出会いがなく、逆に責められたことが原因ではないかと思います。

 人は本当の自分を受け入れてもらえたという出会いと関わりによって、確かな自分が見えてきます。訓練成長しようとするエネルギーがわいてきます。

 そういった意味で、宗教的土台をもたないこの国で、「出会いたい」というこの渇望感に対する根本的解決法をなかなか見出せないのもよくわかります。もちろんサポート団体や友人も必要ですが、どんなに力になりたい、友達になりたいとは思っても、その人の親としてその人の幼少期の怨念までも受けとめて癒してあげることが、ボランティアや仕事でできるのでしょうか。

 でも人はそんな自分でも捨てられずに愛されたという確信とエネルギーで立ち上がれるのです。そこにはもう神の愛以外に本当の救いはないような気がします。

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