(05)エッセンシャルワークとGDP (Ssさん)
エッセンシャルワークがテーマの一つのようですので、それにともなうことで思いついたものをあげるだけですが……。
エッセンシャル(必要なもの)ということですが、2020年は「不要不急」とは何かが問われた年でした。芸術や文化活動において、今年活動が途絶えてしまったものがたくさんあります。
しかし企業経営や事務労働(、ハンコを押すために出勤するなどの日常業務)にこそ「不要不急」が含まれているのではないか。
『ブルジット・ジョブ』という本も評判になりました。ロバート・ケネディの演説で、経済について語ったものがあります。(検索結果のコピペです。すいません)
『GDPには、ライフルやナイフ、子どもにおもちゃを売るために暴力を美化するテレビ番組も含まれている。一方、GDPには、子どもたちの健康や教育の質、遊ぶ喜びは入っていない。
GDPには、詩の美しさや夫婦の絆の強さ、公の議論の知性や、公務員の高潔さは入っていない。
GDPには、私たちの機転や勇気も、知恵や学びも、思いやりや国への献身も、入っていない。
つまり、GDPは、私たちの人生を意味あるものにしてくれるものを、何も測ることはできないのだ。』(※当時のスピーチはGDPでなくGNPと発言しています)
「ひきこもり」は経済的な「生産性」がないことによって批判されますが、そもそも「必要」とされている日々の労働がなにほどのものか。
ノーベル文学賞を受賞した、シンボルスカという詩人が書いています。
『どう生きるかという素朴な質問以上に/喫緊な問いというものはない』(「世紀の没落」)
私にとってひきこもりは、内的に喫緊の、エッセンシャルな課題です。
食事をすることや、泣いている赤ん坊をあやすことのように、「いま・ここ」で生じている。
本来人が生きていくうえで大事なことが、経済的な判断に裁かれてしまっていることによって、「ひきこもり」や、過労死や、女性蔑視などのさまざまな問題が起きてしまっているのではないか……などと思います。