セシオネット親の会で出会えた人間関係 Y子
初めてセシオネットに参加したのは、不登校だった次男が14歳の中学生のときでした。
上河辺先生と坂詰先生は初参加の私に、学校なんていかなくてもよいなどとおっしゃり、一刻も早く学校へ行かせたいと思っていた私にはなんて変なことを言う人たちなんだろうと思いました。
それでも通ううちに毎月、土曜日の午後、高田馬場へおじゃまするのが楽しく、夕陽のあたる部屋で話を聞いてもらったり、立ち直った親御さんの話を聞くことが私にとって大きな癒しになりました。
その後、高校の先輩になったKさんからは「そのうちに自転車で一人出かけたり、洋服に興味を持つようになり一緒に買い物にいくようになりますよ」と言われました。
そのときは信じられませんでしたが、予言されたかのようにその通りになりました。
次男は不登校の遅れを取り戻すため本人から塾へ行きたいと言い出したので坂詰先生の個人指導塾に通いました。
夫は上河辺先生の仏教塾に参加し、セシオネットのご縁で新しい世界が開けました。
坂詰先生はチャレンジスクール(高校)に入ったら、休まず通い、勉強をがんばれば行きたい大学に行けると次男に伝えました。
お蔭さまで卒業式には皆勤賞をもらいました。大学も推薦を受けることができ無事入学しました。
セシオネットを含め中学三年生から一年間通った適応指導教室の先生や、そこのカウンセラーは苦しい状況のときだからこそ出会えた人間関係だと思っています。
この先はどうなるか分かりませんが今は自分にとって不登校を経験して良かったと思っています。こんなことを粋がって書いてしまいましたが、あんな苦しみはもうごめんです。
あのときはうつ病のようになり、毎日泣きながら寝てばかりいました。苦しさのあまり思い詰めたこともあります。
ここから逃げれば全ての苦しみから解放されると思いました。
思い出すと懐かしい気がします。いま次男は25歳になりました。土木関係の仕事でほとんど地方に行っています。
中学1年の不登校時の担任の先生との面談で、本人は来られなかったので先生と私の二者面談でした。
そのとき先生が次男の子育てに関して「長男(お兄さん、もしくは上のお子さんと言ったかは忘れました)との育て方の違いは何ですか?」と聞かれ、その場をつくろう答えをしました。
でも部屋を出るときはふらふらになりました。自分の中での怒りをうまく表現できず身体が耐え切れなくなったのかも知れません。
後日、校長に呼ばれ、このときのことを話したら「そんなことを言われたら私だったら机をひっくり返して怒りますよ」と言われました。
怒りを無理に抑え込んだからいけなかったのかと思いました。
長くなってしましましたが、セシオネット親の会に出会えて良かったと思っています。