テレビゲーム

「人生はゲームである」。
この言葉に込められているのはゲームに人生を見出すことのできた者の実感であろう。
自分なりの目標、努力、運、挫折、勝利の喜び……。
他の何をする気力もない時期も私は「ファザナドゥ」というテレビゲームをよくプレイした。
おもしろかったとはいえない。むしろプレイすればするほど惨めな気持ちは募っていった。
それでも私は、暗い街をネズミのようにさまよい歩いているうちに、ウニにつまずいてあっけなく死んでしまう、そんなまぎれもない自分の分身に会うだけのために毎日スイッチを入れたものである。
やがて私の興味は他のゲームソフトに移り、このゲームはさんざん罵倒された末、中古屋に売り払われてしまった。
しかし10年近く後、めきめきとゲームの腕前を上げた私はあの「ファザナドゥ」を探し求めてあちこちの店を回ることになる。
観察力、探究心、根気、体力、すべてにおいて昔よりはるかに充実している。
いろいろなことを好きになり、また好きなことになら全力で打ち込めるようになった私が、480円で再び手に入れたこのゲームを始めると、私の分身は最終ステージまで難なく突き進み、巨大なボスもあっけなくクリアしてしまった。
私の長いゲームはこうして終わった。
あれから後も私はさまざまなゲームに出会い、それぞれに思い出はつきない。
結局ゲームは私にとって家族であったとさえ言えるかもしれない。
心の底から喜び、悔しがることを教えてくれたのも、母の辛辣な視線と言葉を背に私が打ち下ろす拳を許し、受け入れてくれたのもゲームであった。
要するに「人が生きる」というのもそういうことであろう、と私は思う。
だから壊れて動かなくなってしまった今でも、私はこの器械を捨てることができないのである。(S)

コメントはまだありません

No comments yet.

RSS feed for comments on this post. TrackBack URI

Leave a comment

WordPress Themes