家事労働、換金計算されない労働の空白(Lie)

子育て、家事そして介護は人間にとっての基本的なエッセンシャルワークです。地球上に人間が生まれてからそれはずーっと続いてきたのです。食べ物、着る物、住まいの獲得など人間生活に必要な物は生産物ですが、子どもを育てることと高齢者などの介護、生活を支える家事は生産活動とは考えられなかったのです。当然すぎて考えが及ばなかったというべきでしょうか。
『NABAニュース・レター』は摂食障害など依存に取り組むNABAの会報です。そのNo.303(2023年6月29日)に〈すず〉さんのメッセージ「じゃあ普通のほうが間違ってんだわ」が載っていて、読んで感動しました。4ページ余りの長さの中から一部を抜き出してみます。

「私が祖父の家にいて、ほとんど全部を家族にあげた20数年は、履歴書に書けない、ということ。(中略)
私が何千回も洗った浴槽、毎日洗い干しては畳んだ6人分の洗濯物、伯父と父と弟と祖父とでそれぞれ作り分けるごはん作り、後片付け、洗い物、性行為。祖父のおしっこ、うんち、体位交換。あれらは、全部、社会、では、ゼロなんだ? たぶんこれを、仲間が教えてくれた動画の中では、「不払い労働」と呼んでいる。私は、知らなかった。(中略)
私は知っている。私が祖父の家で一緒に暮らしていた、父も伯父も祖父も祖母も弟も、たぶん全員、ただ普通に、生きていただけ。悪気もなく。全員が、ある程度は必死に。(中略)
家族が、ごく当たり前に、ふつう――――に、暮らすと、私に、家事と介護、つまり、自分より他人(家族)の肉体の調子(体はきれいか、お腹は空いていないか、服は洗われているか、床は快適か、喉は、眠りは、ごきげんかどうか。)を優先する役割が、全部、回ってきたということ。この社会、と呼ばれる、ここで、多分、家でやる肉体のお世話は、父や祖父がしている種類の、お務めという仕事、ではないのだ。劣位の。おんなこどもにもできること。(中略)
私は、家族の誰も死なないように、どうにかし続けてきたのに? 他の、誰も、やらないから。でもこれは、労働にカウントされないんだって。私は、頑張らなかったんだって。何これ。」

〈すず〉さんのメッセージは、強烈であるが本当のことです。経済は、金銭に換算されるものだけを積み上げて制度を考えてきたが、その働きがいかに貴重であり、人間の生命にかかわることであっても金銭に換算されなければ労働にカウントされません。
〈すず〉さんの例はもしかしたら特別の例かもしれませんが、世の中にはこのような特別な例が満ちあふれているのではないでしょうか? そういうときはもはや特別ではなく、普通というものです。子育て、家事、介護が家族間で完結し、外部に発注されない限りそれらの労働は金銭に換算されない、それが「普通」であることの異常さを〈すず〉さんは鋭く告発しています。これらはエッセンシャルワークと考えなくてはならないのです。

ボクサー(The Boxer)という曲を知っていますか? I’m just a poor boy(ぼくはただの貧しい少年)で始まるフォークで、1969年にサイモンとガーファンクルが歌ったものです。最近YouTubeで老サイモンが歌い、聴衆の若者が立ち上がって、一緒にリフレインするのを見ました。Lie lei lei,lei la la la lei lei  〈すず〉さんの「何これ。」とは「Lie lei lei」と同じでしょう。「普通のほうが間違って」(Lie)いるのです。
換金されず、労働にカウントされないものは、“無業者”に限りません。農業や漁業など第一次産業によく見られる自家消費や、近隣住民間での物々交換も経済活動にカウントされません。零細工場や小商店における家族就労者にもこの部類の人がいます。さらに貨幣経済の発達の広がりが少ない発展途上国のGDPの経済指標にもこれらの経済活動がカウントされていません。〈すず〉さんの指摘は、専門家を自称する経済学者たちの空白を衝く、率直な指摘とみなくてはならないのです。
このような金銭に換算されない労働を経済活動と把握するのは難しいです。しかし労働が「ない」のではありません。それは「間違って」(Lie)いると思います。

仕事内容の変化が世代間の価値観の相違につながる

1989年、私は『中学生高校生のための仕事ガイド』(高校出版)を就職研究会(編)として発行しました。そのあと数回改訂を重ね、2002年版を最終としました(進路・就職研究会・編、桐書房発行)。それ以降の改訂を中止したのは職種内容の変化が広範囲にわたり、とても調べきれないと判断したからです。
その最終版の「まえがき」の一節です。
「今回は、コンピュータに関して生まれた新しい職種のうち、DTPオペレータ、サーバオペレータ、ヘルプデスク、ホームページ制作・管理およびマルチペディア技術者などを加え、いくつかの職種をはずしました。
コンピュータ(パソコン)の普及と活用は広範な分野に及んでいて、さまざまな職種に影響を与え、仕事内容を変化させています。
従来型の仕事の多くも継続していますが、その内容もとても変化していて、ベテランといわれた人たちがその仕事を続けていくのが困難になっています。
その職種自体が縮小していて、リストラ(退職)後、同じ職に就くことができない事態も続出しています。
これはコンピュータの普及だけでは説明できない、大きな社会の変化が進行中であることを感じさせます。
この変化の時代に、自分の感覚や知識を生かして、新しい仕事に取り組んでほしい、新しい仕事を広げてほしい、と思います。
その仕事に就くときに大事なのは、対人コミュニケーションの力です。
この力は人間への信頼感や安心感が土台になっているものです。
互いに違いを認めて協力しあう、その経験で得たものが、仕事に就いたとき、自分を生かす素になるのです」

しかし事態はこのレベルで収まるはずはありません。2040年代には現在ある職種のかなり多くがなくなると言われています。この半世紀余の仕事内容・職種の変化もまた、少なくとも日本においては高度経済成長期につづく社会の変化の大きさを物語るものです。あわせて職場環境の変化も大きいと思います。
そうした仕事に関係する社会経済構造の変化は、そこに生活する人間の意識の変化をさせずにはおきません。世代間の意識、何をより重視していくのかの価値観の違いを生み出しました。大半の人はそれに慣れていったものですが、そうはなれない人はいます。他方では過剰適応型もうまれ、1980年代に始まる子どもたちの不登校やひきこもりは、そのはじめの大きな表われと見なくてはなりません。こういう変化の多くは子ども世代から表われるものです。

「個人」の確立は、社会的条件の変化による

経済社会の大きな変化では家族も重要な要素です。核家族が進んだのですが、同時に個人もまた不動のものではなく歴史の中で様子は違ってきました。それは不登校やひきこもりにとどまらず、感性はいいが過敏に反応しやすい、優しいけれど我慢づよくないなど現代人の表われに関係しているのではないか。

手元の『新明解国語辞典(第4版)』(三省堂,1996)で「個人」がどう説明されているのかを調べました。
「①社会・団体を構成する一員としての一人ひとりの人。②その人の属する地位や職業などの面から切り放して考えた、一人の人間」。
これは相反する二つの意味が並んでいると思いました。そこで国語辞典としては詳しい『日本国語大辞典』(第二版・第5巻、小学館、2001年5月)の説明をみました。「国家や社会、またはある団体に対して、それを構成する個々の人。一個人。私人。また、その人の地位や職業の面を切り離した人間としてのひとりの人」です。
2つの辞書に書かれている内容に違いがないようですが、〈明解〉では相反する意味を分けて説明し、〈大辞典〉では分けないで説明している、と思います。私は後に説明する理由で〈明解〉の方が一歩進んでいるとみました。
この2つの辞典の説明を見ると、個人と社会団体の関係について書いていても個人と家族の関係にはふれていない点が共通します。その理由を次のように理解します。
人間は生まれてすぐには個人とは扱われないのです。それは人間として尊重されることとは矛盾しません。しかし家族の構成員は自動的には個人とは考えられないのです。いつまでも家族の構成員は個人と考えられないのかというとそうではありません。家族の精神文化にもよるし、地域環境や個体差もあるでしょうが、一般的基準は成人に達したときでしょう。法的に「成人」と扱われるのは年齢18歳に達したときです。
こういう条件があるので、家族の一員であることは自動的に個人とは扱われないのでしょう。これは現在の状況です。旧時代の女性が男性と同等とされなかった時代には、実体面で多くの例外があったとして〈家族の一員としての一人の人間〉とされたのは成人男性とされていました。母親中心のPTAが父兄会とされるのはその名残です。
もしかしたら旧時代は男性も個人とは考えられず家族、または家族集団の一員とされていたかもしれません。少なくとも現在では家族の一員であり、同時に個人であることは成り立つでしょう。
ここを考えると日本における個人の確立は、昔と今では同じではありません。家族との関係における個人もまた同じように変化してきたのです。
女性の地位を挙げましたが、この他に障害者、子ども、高齢者なども、社会状態の変化とともに、違って考えられるようになったと思います。私は高度経済成長によって到達したゆたかな社会になって、これらが明瞭になったと思います。それには、居住地(食生活・住居)の分離、家計の分離、通信手段の分離(携帯電話の普及)、プライバシーの尊重…などいろいろな条件が家族の中で同一でなくなった状態になり、その条件とともに一般に広まったと考えるのです。
国語辞典において「個人」は社会・団体で説明しています。それも時代とともに変化している事情を考えると〈明解〉の方がより現代的な説明になっているのです。法的な条件は、それらに先行する理念として生まれ、社会の変化とともに定着してきたのではないか、と考えます。  

スマートフォンとSNS

最近50年間の社会の変化のうち、一般国民に広く共通しているのは、携帯電話(それもスマートフォン=スマホ)の普及とSNSによる情報発信ではないでしょうか。90年代の後半に携帯電話とパソコンが急拡大し、その延長がスマホとSNSです。
これには世代間の格差がかなり大きく、70代以上の私にはいわば埒外ですが、それでもその影響を受けざるを得ません。テレビ、ラジオ、新聞の役割はかつてほど大きくはなく、しかもその命脈はこのSNSやスマホの中に所在場所を見つけ出そうとしている状況ではないでしょうか。
これは1980年にA.トフラーが『第三の波』で述べた情報革命を経て情報社会に入っているといえます。トフラーは、人間の主産業を基準にして、農業社会、工業社会につづいて情報社会を位置づけました。いま日本に住む私たちはその情報社会に突入し、しかもなお前進途上にあるとみられます。未来への予測はいろいろあるようですがその中でもAI(人工知能)の役割が大きいと感じるのは個人意見です。
その特色と「社会的ひきこもりの起源」に、どのような結びつきがあるのかを学ぶために、平易な1冊の本を読みました。玉原輝基『通信の日本史』(かざひの文庫、2021年10月)です。
古代から現代までの通信の変遷を述べたものです。通信とは「情報伝達のうち、直接に会って情報を伝えるのではなく、遠方にいる相手に何らかの媒体を使って情報を伝えること」(P3)と定義し、通信が「人間社会にとって、もっとも重要な社会インフラである」(P157)時代が、私は「情報社会」ではないかと考えます。
本書に書かれているのは情報の内容ではなく、情報通信手段の技術的・社会的な変化です。文書(手紙など)、電話等も含まれますが、道路交通の整備、自動車・船舶・飛行機という交通手段、鉄道網、郵便制度、電話回線の設置などです。その意味で経済社会的なことに関しては、社会的な富(wealth)の生産分野でもあり、その流通分野であり、それらを含めた総合的な富の分配と構造にかかわるものであろうと思います。
こういう分野から、「社会的ひきこもりの起源」の経済的社会的基盤との関係から説明する、という宣言のわりにはそれ以上深く入っていけません。
分かることはスマホやSNSの役割や効果の点です。意志表示が個人から発せられながら、多数者に対しても、特定個人に対する限定的なことであってもできることを第一に挙げたいと思います。
それは逆から言えば、多数者からも特定個人からも情報として自分に向けられて、伝えられている状態ともいえます。その情報は文字(言葉)に限らず、音声、音楽、映像もあり、これはさらに広がっていくと言われています。
かつては大掛かりな組織や設備を要したこの発信・受信要件が、個人レベルに置き換えられつつあると言えるでしょう。これは「個人」を生み出す社会的条件・背景・基盤になっています。その期待されるものの利用が未成熟で、全般的な信頼性に疑いがあるにせよ相当に役割を果たしており、やがてもっとうまく使いこなせるようになるでしょう。
20世紀後半以降(日本では高度経済成長を経てさらに高度のゆたかな社会になってから)、こうしてまた社会において否応なく個人が基本にならざるをえなくなったのです。それは人間にとっての進歩ですが、その進路の過程には、苦難が伴いました。生物としての人間の情報処理能力もそれに関係すると考えます。これからはさらに、体性感覚を含む感覚が注視されていくのではないでしょうか?

児童相談所との意見交換会にて

10月1日に葛飾区児童相談所が設立されます。都内各区で次々に設立される児童相談所設立の一環です。それを前に8月27日、開設準備をすすめる担当者を招いて、意見交換会が開かれました。主催は区内で活動をつづける子ども支援に関わる3つのネットワークです。私は不登校情報センターとしてその1つのネットワークのメンバーです。
意見交換会参加者は養護施設、保育、子ども食堂、学習塾、児童委員などから40人近くです。内容は新設児童相談所の説明よりも、参加者が直面している具体的なテーマにそって、新設の児童相談所との協力関係をどうするのかなど活発でした。設立前にこのような趣旨の意見交換になったことは異例であり、すばらしいことだと思います。
この会合の席でやりとりをききながら、私は一つの流れを感じていました。個人的な感想ですが、ここではそれを紹介します。
1980~90年代のころ都内の別の所に住んでいました。近くに住む視力障害のある男女が結婚しました(Dさん夫婦とします)。周りにいる人たちは買い物や日常生活の手伝っていたのですが、子どもが生まれると本格的ともいえる応援グループになりました。
Dさん夫婦は視力障害者として福祉の支援を受けていたのですが、それ以上の日常のことの多くはこの応援グループが分担していったのです。
同じころです。Wさん夫婦には子どもが4人います。最年長の子どもは十代半ばであり、Wさんの元妻のつれ子でした。Wさん夫婦とは血のつながりはありません。元妻とは別れたのか亡くなったのかはわかりません。しかしWさんはその子をわが子として家族の一員にしていました。これは里子にあたるのかどうかわかりませんが、自然にそうなったようです。
Dさん夫婦、Wさん家族の話は私には又聞きのことで、細かなことは違うかもしれませんが、大筋では間違いないと思います。障害者の子育て、両親のいない子どもがこうして助けられ、居場所を得ていたのです。

次にLGBT(性的少数者)の例を紹介します。それに詳しい人がネット上の情報として教えてくれました。
「MtFとFtMの結婚の記事を見たことがあります。この二人なら問題なく一般的な結婚です。また、ゲイとレズビアンの二つのカップルが、二組の男女に分かれて結婚して、結婚制度のメリットを享受しながらゲイとレズビアンの関係を続けていくという不思議なケースもありました。自分の本来のセクシャリティを押し殺して普通に結婚と子作りをしてから離婚して、自分らしいセクシャリティで生きる道を選択する人はよくいるようです。レズビアンなら精子提供で産むことは可能ですし、ゲイでも他の女性の子宮を借りることもできなくはないです。
ネットで調べたら、里親を希望する同性愛者が割といるとか、ゲイの精子をレズビアンの子宮に移す方法が取られることが多いなど、色々出てきました。」(2023年7月19日付メール)

私にはこれらの例は、家族が何らかの理由で家族になれないとき、家族機能の不足を補うときに、自然発生的に(行政側が関知しないという意味で)誕生した、住民のなかの動きだと思います。こういう行政が関知しないままの国民の動きは、各地にいろいろな形で続いていると推察します。それは小さな核家族では対応できない、ときには全く可能性のない事態を救済するものです。
ここに挙げた例は、その困った事態におかれた、あるいは不可能な状態におかれた人にとっては偶然の幸運に恵まれたものです。しかし、そういう偶然のことですむことばかりではありません。社会が大きく変動する時代においては、いろいろな変則自体が多発します。偶然の幸運に任せていては、対応できないことが続出します。
そういう対応できない事態においては、弱い立場の人、子ども、高齢者、障害者に代表される人たちにしわよせが向けられます。虐待の背景にはこのような家族の機能が衰弱していることにあります。それは重大なひきこもりの原因の1つです。
家族機能が衰退している状況におかれたとき、周囲の人の力だけでも十分でなくなります。これを自治体や国に求めるのは当然です。これは家族をめぐる社会福祉と考えるのですが、単純にそれだけに収まるものではありません。健康の面ではどうか、子どもの教育の面ではどうか、日常生活はどうか、社会制度の面でどうか…具体的に生まれていることに即して対応策が必要になります。
児童相談所は、それらのうち子どもの状態に関わって、行政の他のセクションとの連携、地域・周囲の協力する民間団体、そして元々の家族関係のつながりを結集する位置にあると思えたのです。意見交換会ではそのいろんな実例が交わされたのです。
これまでできている制度やネットワークでは対応しきれないことは多くあります。関係者のつながり、それぞれの得意分野を生かすことが求められています。私はその際に、これまで住民(国民)のなかに自然に生まれている創意工夫、ときには自己犠牲的な対応からも学び、生かして解決に向かってほしいと願います。
その制度を採用する、設けるときには経済的利益が得られる(名称は支援や補助などに関わらず)ようにしてほしいことです。そうすることにより、少子化対策とか結婚できにくい条件という社会的な大きな課題の一端に貢献する内容ができると確信しています。
意見交換会の内容は個別の事態に即していずれ報告します。

会報『ひきこもり周辺だより』9月号を発行・送付

今月号の内容は
清水大樹(ひきこもり当事者への訪問者)「苦手なのは仕事ではなく、そこにいる横暴な上司」
松田武己「個人が埋没しない社会的条件の成長」  
文通希望 マーサン「カツアゲを受けた体験から支援員に」
松村淳子さん(助走の場・雲)は、今月休載です。
セシオネット親の会は 9月16日(土)14:00~16:00 
場所は助走の場・雲:新宿区下落合2-2-2 高田馬場住宅220号室
松田の平井コミュニティ会館での相談・学習会は9月9日(土)15:00~17:00

女性の社会進出に伴う家族と社会の変化

社会的ひきこもりの起源 5-2

女性の社会進出に関する様子を石井寛治・編『近代日本流通史』(東京堂出版,2005)にみましょう。
働く女性が結婚し、家庭を築くにつれて家族の変化、社会の変化が生まれてきました。
『近代日本流通史』ではこれらの事情を次のように描いています。

「80年代後半は女性配偶者収入の増加が家計収入の増加に寄与した時期でもあった。
女性の社会進出はそれまでシャドウワークとして内部化されていた家事労働を外部化させる傾向を有する」(P200)。

「団塊(だんかい)ジュニアと言われる世代の低年齢化した激しい受験戦争やその反面での校内暴力や不登校などがその背景にあった。
外食費の増大は女性の社会進出が進む一方で、家事労働が依然として女性のみに押し付けられている現状を反映したものと思われる。
これは外食や「中食」と呼ばれる調理済み食品による家事労働の代替費用と考えることができる。
こうした支出の拡大はファストフードやファミリーレストランなどの業態を飛躍的に拡大させることとなった」(P203)

「こうした中流意識の拡大は、人々のライフスタイルを変化させ、その消費スタイルを変化させた。
そのなかでも、この時期に現れた注目すべき変化は家計の個別化現象であると思われる。
それまで家計は、世帯主収入に基本的に依存して営まれていた。
しかし、女性のフルタイムやパートタイムでの就労の拡大は彼女らに固有の所得を発生させ、これが女性の購買行動に変化を与えた。
就職により所得を得た子供も個別の家計を形成し、固有の生活スタイルを形成した。
さらに、核家族化が進展した結果として高齢者世帯の比率も高まっている。
このような家計の個別化・分散化は、消費行動の分散化現象を拡大するものであった。
女子就労率の上昇は、まとめ買いや調理済み・半調理済み食品の需要を高める。
モータリゼーションが進展した一方で、まとめ買いが拡大すれば多少遠距離でも低価格で品揃えの豊富な大規模店舗が集客力を高めることは当然であった。
駐車場のある郊外立地の大規模スーパーがこの時期に急拡大した理由である。
この時期に様々な業態の外食産業が発展したのも同じ理由からであった」(P204-205)

女性の社会進出(就業化)が家計に変化を与え、生活スタイルも変えたというのです。
それは家族関係を変えましたし、国民全体の生活スタイルも変えたのです。
家計はこれまでも一元管理とは言えなかったのですが、様子はかなり変わりました。
親子とも以前の家計に比べるなら個別の家計と固有の生活文化を広げました。
著者はこれを「家計の個別化・分散化」としています。
これらが1980年代後半以降の変化と考えられます。
しかし、核家族において主婦が働き始めるわけですから、さらに多くの役割が主婦に覆いかぶさりました。
それは家族内における子育ての面での対応力の低下につながり、著者が指摘する子どもの校内暴力や不登校にもつながります。
それだけではなく、全体では小部分と信じますが、家庭内暴力(DV)と子ども・高齢者への虐待の増大につながってきたと説明できます。
家庭内のこうした変化に伴うトラブルも生まれます。
離婚の増大はそれを解決する一つの方法でありますが、女性の人間的な対等関係の意識が向上している事情にもよります。
いろいろな生まれている変化の全部を女性の社会進出、働く女性が結婚し家庭を築いたことで説明しているのではありません。
女性が強くなった1つは、女性が就業により収入を得ることが関係すると考えられるのです。
しかし、社会全体の平等意識、憲法の保障する個人の権利が深く国民に定着してきている背景も見逃せません。
社会的な条件には、非正規雇用が増大し、雇用条件のセーフティネットが弱まり、国民のなかでの経済格差が大きくなっています。
離婚したシングルマザーに困窮が強まっている事態はそれを象徴するものでしょう。
現在の核家族を中心とする家族制度はこれらの問題を含んでいるわけです。
その他の事情を含めて新しい家族関係が求められ模索しながら徐々に進んでいると推測できます。

こぼれ話=「社会的ひきこもりの起源」

「社会的ひきこもりの起源」を書くために、経済社会に関係する本をいくつか読み進めています。『食の歴史と日本人』(川島博之、東洋経済新報社、2010)のノートをとるうちに本筋とは離れますが、私とわが家に関するエピソード(?)を盛り込んだ雑文を書きました。「社会的ひきこもりの起源」のこぼれ話として紹介します。

眷族(けんぞく)とはより平たく言えば一族郎党でしょう。こうきくといくぶん不穏な集団に響きますが、原生林の開拓団の多くはそうでした。明治になって北海道の原生林や荒地を開拓した集団はそういう人たちではなかったですか? 江差にニシン御殿を建てるまでに漁業開拓した人たちもそういう集団ではなかったでしょうか。
さらに北上して、ロシアとの和親条約により日本人が住めるようになったカラフト(樺太=サハリン)に出かけた集団もいます。私の祖先はそのような一団でした。信憑性に自信はないですが、サハリン島南部の地域、樺太県真岡郡姉内地区(ユジノサハリンスク)でアニワ湾から東側のオホーツク海まで他人の土地を通らずに行けた、という話を聞いたことがあるような(?)。私の子ども時代、田舎に開いた商店の屋号は樺太屋でした。

これは日本に限ったことでも、近代に限ったことではありません。古代中国の屯田制度なども未開拓地に武装して入った農耕民でしょう。
日本では古代からありました。平安末期から鎌倉時代には武士集団による東国(関東)の開拓を行ったのはこのような開拓民であったと思われます。その集団が開いた関東を地盤に、鎌倉幕府=武家政治の時代が開かれたのです。

アメリカに関することで思い出すのは映画です。南北戦争後の19世紀末のアメリカの開拓民の争いを描いた映画「Shane」は1963年に上映され、私が高校生のころ田舎の映画館で見たものです。最も苛烈であった原住民インディオ(ネイティブアメリカン)との闘いではありませんが、開拓農耕民と放牧型の畜産業者の争いでした。アメリカ合衆国政府が開拓農民の土地所有を保証する法律を制定する中で、土地所有が不明確な畜産業者が反撃に出ました。いささか以上に暴力的なやり方でしたが、この時代は裁判制度が十分に整わず、一方では従来の個人対決型の決闘が合法手段でした。集団暴力は禁止されていたのですが、決闘は認められていたのです。
畜産業者は決闘用に専門のガンマンを雇いました。そこに登場したのが銃の名手Shaneです。特に農耕民に頼まれたわけではないのですが、成り行き上このガンマンとの決闘に臨み、そして勝利し、この場から去っていく物語です。農耕民はこうしてこの地での生活を保証された(はず)です。
映画を見た高校時代にはこのような時代的社会的背景は知りません。先月YouTubeにあるのを見つけて、あの物語が理解できたのです。

さてここに挙げた開拓民集団、それに類する小家族集団は、江戸時代に進んだ小家族制を基とする眷族(けんぞく)とは同一のものとは言えないでしょう。川島博之『食の歴史と日本人』には出てきません。江戸時代につくられた小家族が「比較的近隣地域に居住し、本家を中心につながる利益協力的な血縁家族体」と理解し、それが開拓民になったときの状態を表わしたものです。いろいろな色合いがあるのは、歴史的条件、地理的条件の違いによるものと理解できます。
そしてこれらの全体が、地球を人間にとって住みやすくしていった時代、地質学上の新しい時代区分に「人新世」(ひとしんせい)を設けることになりました。人間の働きが地球に大きな影響を与える時代です。一 方では人間には住みやすく、他方では環境問題をひきおこし、地球を滅亡に向かわせていると心配させる事態になったわけです。人間はそのつどそこで直面した問題に取り組んできた。それが歴史であり、その末端の一粒が自分です。

カテゴリ:社会的ひきこもりの起源 – 不登校ウィキ・WikiFutoko | 不登校情報センター

学校制度の限界とフリースクールの広がり

不登校の小学・中学生がこの10年間で14万人から24万人に10万人増えました。2016年に教育機会確保法が制定され、フリースクール等も公式の義務教育と認められました。
そういうなかで、自治体や教育委員会はこの条件にどのような対応をしているのか。 フリースクール等を生かそうと動いているのか? 大きな動きは見られませんが、注目すべき動きがあります。その動きを紹介しましょう。
1つは校内フリースクールの創設です。主に中学校及び高校でみられることです。文科省が指定する学習指導要領を意識するけれどもそれを外した子どもの状態に即した教育方法を採り入れ始めたように見えます。これは不登校特例校として先行する例もあります。通常の中学校や高校の一部に採用したのが校内フリースクールではないでしょうか。どの程度広がっているのかは明確ではないですが、全国には数十校はあると考えています。当面は適応指導教室と並立していくのでしょう。
これは民間に広がったフリースクールの利用を回避しているように見えます。
もう1つは、フリースクールに属する生徒への学習費等の支給をしている自治体もあります。どの程度広がっているかは明確でありませんが、以前から学習塾に通う子どもへの学習費の支援をしている自治体はありますので、校内フリースクールよりは広がっていると考えられます。これは民間のフリースクール等を生かそうとする取り組みに思えます。

私は7月11日のブログ「フリースクールの出番です」のところで、教育委員会にフリースクールを紹介するように働きかける意味があると説きました。それはより多くのフリースクールを活性化させることにつながると思うからです。同時に各フリースクールの一層の工夫と責任を促すものになると考えます。
ある地方の町議会での質疑を見ましたのでここで紹介しておきましょう。
《議員の質問:現在、民間等のフリースクールがあるが本町の不登校児童生徒は通所しているのか。通所しているのであれば支援はできないか。
教育委員会事務局長の答弁:本町にはフリースクールは無く、町外のフリースクールへの通所の確認はない。不登校児童生徒に対しては学校としてできる限り通学に向けた支援をした上でなお、フリースクールへの通所を希望する児童生徒がいる場合は文部科学省「不登校児童生徒への支援のあり方について(通知)」令和元年10月25日をもとに適切に対応していく。》

このような動きを省みるに、明治期に確立した学校教育は大きな変化の途上を迎えたと感じます。権威主義的な文科省の教育方針に代わる、子ども主体の教育が社会の基礎から徐々につくられ始めたのです。それがどのような形になるのかはまだはっきりしません。
子ども個人の特性を重視したものになること、インターネットの普及した社会にあること、それに加えてコミュニケーションの機会を工夫していくものになると予想するのです。

高校への進路相談会「かつしか進路フェア」

8月5日、4年ぶりに「かつしか進路フェア2023」が開かれました。
一応実行委員の資格のある一員として、遅れて相談コーナーに参加しました。約100校近くの高校が参加。中学生と保護者の参加は4年前より減少したようですが、それでも1000人は超えていたでしょう。
実際の相談の多くは他の人に任せて、私は、合い間に参加した高校側の相談メンバ-と話す機会をもちました。
私立の通信制高校、都立のチャレンジスクール(昼間定時制)および都立夜間定時制の先生です。以下は精密さを欠く内容ですので、ここでは話した相手校名は伏せておきます。
私立通信制高校——設立20年弱です。2000年前後に多数の私立通信制高校ができました。大検(高卒認定)予備校、通信制サポート校、技能連携校から高校を設立した学校が多く、大部分は通信制高校でした。
今回話したのはそういう背景のない私立通信制高校です。設立時の教師の多くは引退しています。相談席の入試相談担当者は当時の生徒募集の苦心を聞いています。現在はクラス定員35人の4クラスあります。通信制高校で不登校経験者も多く、週5日コースはほとんど全日制高校と変わりません。出席日数の縛りがないので、生徒の状態に柔軟に対応できます。いまでは大学・専門学校への進学率も高くなった。これからもがんばりたい…と率直に語ってくれました。
都立のチャレンジスクール——今春の入学試験も応募が多く、結局100人ぐらいが入学できませんでした。もともと不登校の生徒の受け入れ先としてできたのがチャレンジスクールです。入学できない生徒が出ないように、都教委ではクラス数を増やせないかと考えているといいます。今春はいくつかの高校で、居場所的様相のクラス(?)を設けて実質受入枠を増やし、高校に入学できる条件を広げているとのことです。これはごく大雑把な話なので、実質的内容は心配な面もあります。中学を卒業した生徒が、高校に入学できない事態は避けようとしているスタンスは一応もっているということでしょう。
都立夜間定時制——かなり熱く語ってくれました。生徒数は多くないが、学業成績が低いなどの生徒一人ひとりの状況に即した活動をしている。外国籍で日本語をうまく話せない人も入っている——これは夜間中学校に見られることの延長を思わせる——夜間の定時制高校もあるようです。

他にも様子をききたい高校もありましたが、相談コーナーの席が中学生と保護者の相談中で、都合よく空かなかったので数校に限られました。出席した高校に、全寮制の高校や都内の通信制高校学習センターがみられなかったのはやや残念です。来年度に向けて各校と実行委員会に伝えておくつもりです。何しろこれらが不登校生や高校中退生を先行して受け入れ条件をつくり出してきた先駆者なのです。