会報『ひきこもり居場所だより』発行が遅れます

不登校情報センターの2月1日会報『ひきこもり居場所だより』の発行が遅れます。ちょうど70号に当たりこれまでは毎月1日に発行してきたのですが、今月号は2月5日になります。
理由は太田勝己作品展の詳細確定が数日かかるためです。その事情をお知らせします。

1月28日、太田勝己作品展の実施の打ち合わせをしました。
会場の泉福寺の岡田隆法住職も交え、実施主催のtheTokyo U-clubの3名に、合計5名が集まりました。
内容が大きく変わりました。名称は、「ひきこもりと表現」ですが、さらに主催者で検討します。太田勝己作品はコーナーを設けて展示します。
日時は2月18日(土)と変わりませんが、朝10時から始まり、午後の3時まで時間幅も広がりました。
ひきこもり経験者の体験も話を入れる。住職さんは「お釈迦さんもひきこもりみたいな修行の時期があった」の話をするようです。私は「太田勝己とその作品」の短時間の話す機会をもらいます。
多くの関係者に来てもらうように働きかけます。太田君を知る情報センターの以前の通所者にも来てもらいたいと思っています。

太田勝己遺作展(?)

太田勝己遺作展(?)の実施が正式に決まりました。

⇒時間帯が大幅変更になります。

2月17日午前10時から3時
泉福寺(場所は変わりません)
〒132-0033 東京都江戸川区東小松川2丁目7−17
主催者名、作品展の名称などは1月31日に表示します。

太田勝己作品の展示会を準備

ハガキ大1万点の「rain」など太田勝己の作品を展示する機会ができます。
最終決定ではないですが、2月18日、土曜日の午後、江戸川区内の寺院が会場とお伝えします。
作品展示を準備していただいているグループのノッシー、太田政克さんへの連絡メールを転載します。

太田政克 様
ご尽力ありがとうございます。
太田勝己くんが亡くなり、2006年2月25日~26日 太田勝己個展を開いてから17年という長い時間が過ぎました。2007年以降に不登校情報センターとして通所者の作品展示「片隅にいる私たちの想造展」を4回開きました。しかし、遺作となった彼の大量の作品は押入に保管したままです。かろうじて会報に1枚絵として掲載したり、彼の描いたマンガを手作りの『不条理ものまんが集』として発行する(2014年3月)のがやっとのことでした。それだけに本当にうれしいことです。
まずは太田勝己くんのご両親に伝えます。可能であれば会場に案内したいと思います。太田くんと親交のあった人たちには広く参加を呼び掛けていきます。久闊を叙する同窓会的な場になるかもしれません。
イベントの名称、全体をどうするのか、会場スペースはどんな様子なのかも知らなくてはなりません。膨大な作品がありますから、選択したうえでの展示になります。来場者への説明をどうするかも必要と思います。高望みではない現状に見合ったイベントのねらい・目標も明確にしたいと思います。それに見合う告知・宣伝をどうするのか。日時・場所が確定しましたら早急に打ち合わせをしたいと思います。

心理相談室などの「メンタル相談」情報を更新中

ひきこもり・不登校などに関係する団体の情報を集め、サイト上に提供するのが不登校情報センターの日常業務です。
2万ページを超える巨大サイトで、毎日3千人以上がアクセスし、1日約3万ページビューがあります。
2003年の制作開始から20年が過ぎました。多数のメンバーが制作に関わる状況は過去のものですが、これまでの蓄積を生かしながら改善を続けています。新規の団体からの申し込み、掲載情報の更新を20年間ズーッと続けてきました。
11月ころからは集中して心理相談室などに問い合わせながら最新状況に更新しています。心理だけではなく教育や医療なども含めて「メンタル相談」群のページを構成します。このページ群がコロナ禍で特に大きな影響を受けると予測できそうだからです。
実際多くのところと連絡が取れなくなっています。
一時中止なのか、廃業なのか、業種変更なのか、住所変更なのか、それらを調べている最中です。一通り終えるまでにかなりの期間がかかります。
いくつかの特色が分かります。教育委員会の教育相談室には変化がありません。医療機関付設や大学の心理相談室も同じです。
個人事業の心理相談室に影響が大きいと思います。社会福祉的な取り組みで自治体や社会福祉協議会と協力していく、得意な療法をアピールする、親の相談から親の会(家族会)を始める、居場所的なスペースを工夫するなどの動きがみられます。SNSの利用による宣伝告知活動も熱心なところが多くあります。
フリースクールと併設に向かうのが取り組みやすいのかもしれません。
専門的心理相談室に学習活動を取り入れフリースクール併用型になりつつあるところがいくつかあります。コロナ禍のなかで苦心されているようです。
これらは更新依頼の作業途中で散見したことです。
現在のコロナ禍もいずれ過ぎて行くでしょう。この時期がおさまったとき、心理相談室がどのような状態になるのか。
大きく言えば、日本の産業構造の末端に関係するものです。情報センターのサイト制作はこれらの動きを追いかけながら情報集めを続けることになります。

戦闘民族の顔

ひきこもり経験者が集まる居場所はいろいろなタイプの人がきます。ある時期のことですが、元ひきこもりでいまは清掃業で働いているKくんが来ました。そこは人員不足で、しかも働いているのは高齢者が多くしめています。思いついたのは自分が働けるようになったのだから、ひきこもり経験者も一緒に働けるのではないかと。
そのKくんは私の運営する場に通い始め、数か月して親しくなったMくんに彼のいる職場に誘いました。
Mくんは中学1年の時から不登校です。高校には進学しておらず、社会から切り離された状態で15年以上が過ぎました。このままではいけないと思っていてのですが、これということもなく時間が過ぎていきました。ようやくたどり着いたのが不登校情報センターに居場所でした。
慎重で真面目なタイプのMくんはKくんの誘いに乗りました。会社面接の場にKくんもいるというのです。こうして清掃業で働くようになりました。30代になりMくんが働き始めてしばらくして、ひきつづき居場所に来ていたKくんが同じ職場で働くMくんを「戦闘民族の顔になった」というのです。働けるようになること、それがある期間すぎたころの表情の変化を鋭く鮮やかに表わした、と思いました。

奇 跡


ある集まりで会った人となんとなく波長が合いました。自分でも珍しいくらいに心が弾んでくるし、ことばも出てきます。彼女の家が近いこともあって帰りに寄っていくことになりました。話の途中で自分が好きだという曲を聞かせてもらいました。
「この曲はどうぉ?」と聞かれて、つい「20点くらい!」と思わず本音で答えてしまったのです。「あっ、しまった」と思ったとき、「よかった、本当の気持ちを話してくれた!」。そして「信頼できる」というのです。まるで奇跡、魔法にあったような気持ちでした。
人間関係は難しいものです。言いすぎ、言いまちがい、やりすぎ、気づかないこと……がいろいろある。それによる後悔もあるし、責められたこともあるし、離れていく人もいました。
そういうことが重なっていつの間にか相手の立場を優先してそれに合わせていたのです。本音ではなく、嫌われないように付き合ってきたのです。その場を平穏にすることが人間関係をつくるものだと思い込んでいたのかもしれません。初対面の人にはそれでいいかもしれませんが、いつまで経ってもそれではいい関係はできないのでしょう。上辺だけのつきあいでは信頼できる人はできないと悟った機会でした。

会報12月号を発行・発送しました

記事の中の「10月~11月の近況から」を紹介します。  
不登校情報センターが居場所の取り組みを始めた20年前の人から様子を聞かせてもらっています。CarBeat太田政克さん〔えどがわ放送局〕の動画取材の機会に不登校情報センターの活動を文章にまとめました。そのまとめをこれまで情報センターに関係した人に送り、当時の思い出や近況や尋ねました。これが10月に入ってからです。
280人ぐらいに送りました。ある程度の回答がありました。相当な人が生きづらさや困難をもちながら社会の一員として活動しています。同じひきこもりを経験している人へのサポート活動に関わる人もいます。
16人(11月25日現在)から返信用封筒、メール、電話で回答を寄せていただきました。本人ではなくご家族からのもあります。会いに来て話してくれた人も数人います。合計すると23人になります。
16通の返事を読みながら、またこの1~2カ月の動きの中で、これからどういうことができるのかを考えました。実現しないかもしれないですが、考えられるものを列挙します。
1, 『ひきコミ再生版』に載せるつもりの回答があります。松田への個人的な連絡ですが、他の人にも読んで欲しいものがあります。本人の同意が得られれば『ひきコミ再生版』に掲載します。自分の最近数年の体験をまとめたいという人がいますので、再生版に載せられる程度に圧縮してほしいと頼みました。
2, CarBeat太田政克さんは「ひきこもり連絡協議会」というのを立ち上げるそうです。
YouTubeを使って「えどがわ放送局」を始めました。この動き方によっては、太田勝己第2回遺作展が可能になるかもしれません。
3, ハンドメイド・手芸品を制作販売している3人を紹介します。
回答の中に同じタイプの取り組みがありましたので、まとめてみました。
◎トレフル・ウフ(Trefle Heureux)http://trefles.net/
◎スピカさんの手芸作品(ギャラリースペースU)
◎YangZi(ヤンズ)ハンドメイドの刺繍ブローチInstagram:@yangzi_2545
4, この20年間に通所していた人のうち7人が亡くなりました。確認できる人です。ある人の〇回忌の形などで法要(?)みたいなことができるかもしれません。これも同窓会の一種に数えられそうです。
5, 以前から取り組んでいることですが、電話相談(報告?)、メールでの意見交流はかなり深い内容のものもあります。医療機関や役所等への同行は以前に比べるとかなり減っていますが、ときおりあります。必要なら、可能な時間の中で、これらも続けるつもりでいます。

松田は日本人男性の平均寿命に近づきました。どうなるかはわかりませんが、なるべく元気でいて、できそうなことを続けていきたいと念じています。

西 日

夕方、地平線近くにあり家並みに隠れる前の太陽のまぶしい光が西日。「昼夜逆転の生活になり、午後遅くなって目が覚めます。ぐずぐずしていると部屋に西日がさしてきます。西日は妙にまぶしく、少しもの悲しいです。西日を見ると自分の人生が少なくなっていくような気がします」
『ひきこもり国語辞典』にある「西日」の説明です。語ってくれたのは三十歳になるAくんでした。焦りはあるはずですが、心を落ちつけて自分の生活を冷静に見つめ語る姿はなかなかひきつけるものがあります。
子ども時代からの彼の生活に何があったのかを話してくれました。大筋はこうです。親の言うことにもそれなりの理由はある。しかしそれは自分の考えとは違う。そういう世代的なギャップを感じてきたのに、自分の思いや考えを柔らかく、しかし決定的に阻まれてきた経過を思わせます。
深い心の奥に信じるものがある。その思いを周りの人に伝える突破力を持ち得ない自分の不甲斐なさや残念感が表れています。そうでありながら親や他人を非難がましく攻撃するやり方は選ぼうとはしないのです。そういう熟達した人生観を「西日」という言葉に象徴させて懐述しているのではないかと思いました。
ひきこもりの人のタイプはいろいろです。周りに彼ら彼女らの深い思いを聞きとり、引き出していく人がいれば、逆にその高い潜在力・精神性に気づくでしょう。

押しつけの反対は引き出す

CarBeat太田政克によるインタビュー動画の第3部を掲載しました。取材の中でいちばんの中心点になると思います。
「教育の熊たち3」:
https://www.youtube.com/watch?v=CqOlqRrkwko&t=774s
私はひきこもり当事者から自分を示す表現を引き出し、その場づくりをいろいろ試みて試行錯誤していたのです。それを太田さんから戸塚ヨットスクール型の押しつけとは反対の方法になると指摘されて「ああ、そういうことだったのか」と納得できたからです。「押しつけ」の反対は「引き出し」です。教育educateには引き出すという意味があると聞いたことがあります。不登校情報センターの取り組み全体を総合的に言い表せると思いました。

YouTubeで「不登校情報センター」を話しました

9月の中ごろに江戸川区議の滝沢泰子さんからFacebookにメッセージがありました。見ると江戸川区がひきこもり対応として居場所をひらき、そこに駄菓子屋をおくというものでした。斎藤区長が東京MXテレビでそれを公表しています。

滝沢さんのFacebookに返事をしました。不登校情報センターでは書店を開いたこともあるし、喫茶店もありました。さらに思いついて、ポスティングやDMの発送作業をしたことを伝えました。

私の意図はひきこもり経験者の集まる居場所には、集まって話すだけではなく、作業や業務的なことがあるのが望ましいという主旨です。だから駄菓子屋のよしあしがどうではなく、それがどう変化するのかが大事であり、当事者の発想を生かせれば、駄菓子屋にとらわれなくもいい、反対しなくてもいいのです。それで「駄菓子屋のこれからに注目している」と返事をしました。*駄菓子屋は予定の場所の建築条件が適合しないとわかり、一時中止になっています。

このやり取りを滝沢さんの知人、太田政克さんが関心を持ったようです。太田さんは動画チャンネルを運営しており、私の取り組みを取材したい申し出がありました。これには一瞬迷いました。いい機会とは思うのですが、不登校情報センターの居場所=ひきこもり当事者の集まりは20年以上の長い経過があります。それを1回の取材でうまく話せるか迷ったのです。しかし、居場所を当事者が表現をできる場、表現を引き出す場にしようとした試みに絞っていくなら、細かな経過は話せなくてもよいと考えました。

それで太田さんに取材OKの返事をしました。その一方で、20年余にわたる不登校情報センターの居場所を具体的に振り返り、資料を交えて文書化することにしました。20年余の長い経過をまとめるのは難しいものです。やむなく居場所の内容がつくられ、内容の詰まっている第一高等学院旧校舎の時代(新小岩)の4年間を中心にまとめることにしました。この仮文書は9月末にはほぼできました。

*第1回https://www.youtube.com/watch?v=neICilmf5z8 

太田さんの動画撮影は10月10日です。情報センターの狭い事務所で太田さんと私の2人が話す時間になりました。

東京・江戸川区の引きこもりが逃げ場所にしている不登校情報センターとは?

その2 – YouTube

私は、ひきこもり当事者からどのような表現を引き出すのか、その表現の場をどうつくってきたのか、そのスタンスをいくつかの事例を挙げて答えていったつもりです。それは動画が公開されていますので見てもらえばわかるでしょう。質問と答えの微妙なズレや細かな点の違いは見逃してください。そういうものがあるので文書を読み交わす意見交換とは違う臨場感になるのです。

この話がある程度進み中心点に進めようとしたあたりで、太田さんから「それは戸塚ヨットスクール型の上からの押しつけ的な教育方法とは反対側のモノになる」という感想が出されました。それを聞いた私は、思いがけない感想を聞いた気分でしたが、「ああ、そういうことだったのか」とすぐに納得もしました。私はあまり意識してはいなかったのですが、取り組み方法のスタンスは、確かに教育、とくに学校教育における詰込み型とは違うと理解してもらっていいからです(モノを暗記する必要性を全部否定しているのではありません)。

私はこれまでの居場所の運営を、系統的に理解することができずに来ており、「出たとこ勝負」「その場その場での対応」としてみてきたところがあります。しかし、各人の状態から生まれる意思表示を生かす方法を中心にするスタンスでは一貫していたわけです。当事者各自からの意思表示・表現をどう引き出すのか意識して取り組んできたのです。太田さんから、それは戸塚ヨットスクール型とは反対の方法になると指摘されたわけです。このあたりの話は動画の第3部になります。

不登校情報センターは設立27年になります。居場所の内容も時期により変わります。数回の事務所移転があり、集まってくる人の人数はかなり違うし、年齢層も徐々に高くなっています。居場所の状況は大きく変わってきました。全国各地のひきこもりへの対応を見てもこの点は同じです。社会的な環境、当事者の状況、自治体の取り組み方などを見ると20年前とは隔世の感がします。いずれこれらの動きは大きな潮流として広がるでしょう。というよりも多くの自治体の対応は十分とは言えないにしても、当事者の声を何らかの形で反映しながら、吸収しながら取り組んでいる状態になっています。

私が今できそうなことは、これまでに関わった人たちに改めて呼びかけ、現在に求められることに取り組むことです。27年間の不登校情報センターの取り組みをまとめる形で、彼ら彼女らとの関係・結びつきを、この時点で再生させようと考えています。40代・50代になった(元)ひきこもり経験者が、現在どういう問題に直面しているのか。このところ私につながる人たちに生まれているのは、それを考えさせる事態です。 同時に彼ら彼女らのなかには、これらの社会的な課題に直面し、そういう分野で取り組む人、働いている人も少なからずいることも、勇気づけられています。これらを意識して、彼ら彼女らに [不登校情報センターに通所したことのある人への呼びかけ]を計画しています。