結婚に向かう条件にある壁

先月の会報に『就労・結婚そして地域共生社会』を書きました。結婚に向かう男性側の思いの低下を、ひきこもり経験者の言葉を参考に「仕事に就けないのが基本原因」としました。加えて「子ども時代の愛着経験の欠如が尾を引いている」としましたが、この追加部分の具体例に書いていません。
「結婚することに何が期待できるのか、特に感じるものがない」と話した人は30代男性です。「大人になることは苦労と負担ばかりが多くなって大人になりたくない」と語ったのも30代男性です。この2人はひきこもり、半ひきこもり経験者ですが、この状態・気分はひきこもり経験者の範囲を超えていますし、男女の区別なく以前と比べれば大きく変わっています。

たとえば『ひきこもり国語辞典』(手作り版,2013年)のなかに次の言葉「巣をつくる」があります。
「巣をつくる  ぼくは、自分の好きなことを職業や働き方に生かすのが将来の生活基盤づくりになると思ってきました(うまくいっているかは別ですが)。
ひきこもり気味の彼女がいて、言い分を聞くと巣をつくりたいのではないかと感じます。家庭という生活拠点づくりですね。
ぼくの生活基盤づくりと彼女の生活拠点づくりは似ているようですが何かが違います。というか彼女の話を聞くうちにぼくは生活基盤づくりを考えていたとわかりました。両方の合算が正解になると思います」。

ここには男女の役割分担の考え方があります。この役割分担のうち女性の社会進出(就業増加)により、男性の役割が減り(女性の役割が増大)、男女平等の経済的基盤が変わり、男女とも精神文化的に揺れ動いていると考えます。
もっともこのような経済生活面の変化が、精神文化的な変化に反映するには長い期間を要するものです。「巣をつくる」に極端に表われた男女分担ではなくとも、多くの人たち(男女ともに)に役割分担が広がっている、残っているのは少しも不思議なことではありません。
もう一歩深く見るとすれば、男女間のうち主に経済面で主な役割を持つと想定されている男性側の就業条件が停滞・悪化している点も認めなくてはならないでしょう。
さらに女性の生涯出生率が全国で1.20、東京都で0.99…という大都市と地方との格差を考えると、東京(大都市)の過密さ、住宅条件を含む生活条件が女性の出生率に影響していると考えなくてはなりません。それはほぼ結婚へ向かう意欲とか意識を低下させている結果と考えていいのです。
このような時間的(社会状況が時間経過で変わること)、地域的状態は全体的なことです。それが各人のいろいろな個別事情を通して表われているのです。個別事情は必ずしも全体事情と一致するわけではありませんが、個人事情、生活条件や気持ちや日常の細ごまとしたことは、この大きな流れのなかで生まれています。

ネット上の情報は消滅するが紙ベースなら残せる

まもなく8月5日、私の79回目の誕生日を迎えます。日本人男性の平均寿命にまた近づきます。ふり返ると後悔もあるけれども、全体としては非力な自分にやれることはやってきたという思いです。
というよりは私は何もしないでいるのが苦手で、その場合は寝ます。寝るか動いているかになります。食事ができるのを待つ時間もそうで、よく行く飲食店の主人が、待つ間にいつも本を読んでいるのを気にかけて声をかけてくれました。
そういう動きの中心が不登校情報センターで、この30年近く活動してきました。そして約20年にわたり不登校情報センターの名前のサイトを作成し、運営してきました。
1つの心配事、あるいは残念なことはこのサイトの運命です。
サイトは不登校やひきこもりに関係することを中心に、多くの情報を集めたものです。ウィキシステムが作成しておりそのページ数は25000ページ以上です。これは心配事でありますが、毎日3000人以上の人が見、2万ページのアクセスがあります。このサイトは私の消滅とともに失われてしまう可能性が大きいのです。

サイトの内容は不登校やひきこもりに関わる多くの団体、自治体等の様子が中心です。そしてまた私、松田武己個人が考えたことの記録でもあります。団体や自治体の動きは、いつか誰かがそれぞれの視点から独自に考えてくれる人が現われる可能性があります。松田武己個人の記録をそのような点から調べ直してくれる可能性は限りなくゼロです。
これはサイトにあること、つまりインターネット上におかれていることが要因です。ネット上におかれた情報は多くの人の目にふれることができる反面、サーバーの扱いにより消滅同様に消えてしまいます。サーバー利用料の支払いが停止されればネット情報へのアクセスができなくなるからです。
私は、松田武己名と不登校情報センター編集による、何点かの出版物(本)を発行しています。ネットにおかれた情報ほど多くの人の目にふれることはありませんが、本としてある限り、消滅同様に消えることはありません。わずかですが、この世に、図書館や本の購入者の手元に残ります。
いま私はこの点の違いを考えています。すなわちサイト上においた情報、とくに私自身が書いたものを、基本的には全部、紙にコピーして保存しておく方法を考えています。
ネット上の情報は消滅同然に消えるけれども、コピーして紙に残された情報は記録として残るのです。推定文書数で2000件を超えます。何らかのテーマでまとめ、冊子にしていこうかと考えているところです。
79歳の誕生日を前に、ふと思いついたことです。私が生きてきた記録になるでしょう。

家事労働代行から家事労働のサービス対価が考えられるか?

新聞で「家事労働にも労働基準法を」というのを見かけて、どういうことなのかとちょっと驚きました。
数日たってようやく図書館に行く時間がとれましたので、その記事を探しました。朝日、読売、毎日にはありません。見つけたのは東京新聞6月28日号でした。日経、産経はどうなるのか調べる気力はなく、東京新聞の記事をコピーして戻りました。
内容を見て、大手3紙に載っていない理由を半分は納得し、半分はこの大手3紙に失望しました。
東京の記事では2点を伝えています。
家事労働といっても、家事代行業でした。人材派遣会社で個人宅に派遣されている家事代行で働いていた人が過酷な業務の結果亡くなりました。それをめぐる裁判の記事です。裁判は結審ではないので新聞に載らなかったのでしょう。
家事代行の過酷な業務とは、寝たきり高齢者のいる家庭で24時間拘束1週間働いて急死した女性が労災と認められず遺族が2020年に裁判を起こしたものです。

これを巡るもう1つの内容は、労働基準法では家事労働者は対象外になっている点です。「人材会社などに雇われている家事労働者は労基法の対象になるとの通達を厚労省は出していたが、各家庭と直接契約する労働者は法律の保護からの除外が続いている」。
「厚労省は、(6月)27日開かれた同省の労基法関係の研究会に方針転換を示すペーパーを提出した。労基法の適用を検討すべきだとの方向性を示した上で、雇用主に当たる家庭にどこまで使用者としての義務を負わせられるかの検討も必要と記載」…「具体的な法制度は…労働政策審議会で議論される」。

これが新聞報道の大筋です。家事労働というよりは家事代行業に労働基準法を適用する方向が考えられるということです。こういう訴えにより、法制度に家事労働に少し触れているということです。私が想定してする家事労働自体ではありませんが、1つの見方を示してくれたものと思います。
あえて言えば、家事代行の業務評価(サ―ビス対価)が、通常の家事労働の評価につながる可能性が考えられる点でしょう。

中高年ひきこもり経験者へのお願い

7月号の会報に「就労・結婚 (家族)、そして地域共生社会」のエッセイを書きました(ブログにもFacebookにも載せました)。会報送付のひきこもり等の経験者には「近況を書いて送ってください」とお願いしました。中高年になったひきこもり経験者の現在の状況を、実例をもってとらえたいと考えたからです。
思い通りの報告が返ってくるのかは予想できませんが、2人から返事があり、1人は返信予告(準備中)、さらにもう1人からは「書けないでいます」というのがありました。
電話で話してくれる人もいて、近況報告を書くよりも話した方がハードルは低いし、伝えやすいことも確かです。しかし私(松田)はそれの「待ち体制」でいるわけにいきません。話を聞けるのはうまくタイミングがあったときになります。
これらのどれでもいいので、中高年になったひきこもり経験者からの近況、または現状をお知らせいただくようにお願いします。
それらの結果いつか「就労・結婚 (家族)、そして地域共生社会」を書き直したいと思います。

就労、結婚(家族)、そして地域共生社会

  会報「ひきこもり居場所たより」2024年7月号
今月は依存についてまとめて書く予定でした。記憶をたどると、以前に書いたことがあります。調べると会報66号(2022年10月)に「依存を条件付きで認める持論」を書いています。その要点はこうです。人は子ども時代の依存(甘え)を体験することで、依存を乗り越え自立に向かう力をつける。子ども時代の依存の欠如は、社会に生きる力の欠如となり、成人後もそれを補う姿が表れる。それを肯定してもよい。そういう主旨です。成人のひきこもり的振る舞いを「もっと勧めてよい」という意見を寄せてくれた人もいます。
読み返すといくつか書き加えたいこともあります。しかし、そこは字句を少し加えるにとめ、依存の不足、子ども時代の愛着体験の不足が、成人後どのような状態になっているかを書く方が大事だと思いました。今回はそれに代えます。
基本テーマは2つ、就労の問題と、結婚(または家族)の問題です。そういうところに影響していると思えるのです。その延長としてもう1つの社会問題が加わります。

〔1〕就労の状態
まず就労の問題です。私が想定しているのは、30代から50代ぐらいの中高年になっている元ひきこもり経験者たちです。この世代は「就職氷河期」世代ともされるわけで、世代全体が就職難の時期を体験しています。その中でもひきこもりは、この激しい就職競争の外側におかれていたわけです。
そういう人が30代後半以上の中高年になった現在はどうか。個人差は当然大きいのですが、私が関係する人を思い浮かべながら概略的なことを書きましょう。通常に就職型で働く人は比較的少ないです。軽作業(清掃や商品整理)、飲食関係が多いです。非正規型の就労形態にあたる派遣型、アルバイト、パート就労、あるいは短期間労働が目立ちます。
一部に介護職の常勤・正規職の人、福祉の相談職の人もいます。知識集約的な専門職の人は少ないですが、医師や行政書士もいます。別口で情報収集している心理相談室のカウンセラーには元ひきこもりの人もいます
親から引き継いだアパート経営をする人、株式投資家をめざす人もいます。おそらく趣味的なことから進んだと思いますが、手作り作品の制作販売をしている人もいます。かなり販売できている人もいますし、あまり売れてはいないと想像できる人もいます。安定すれば独立の自由業になるでしょう。小説などの創作活動をしている人もいますが時節柄多くは売れるレベルではないと思います。
診断(発達障害=発達神経症)を受けて障害者雇用になる人、就労移行支援事業所に通う人もいます。
中高年世代の仕事の状態は、私がそうであった30~40年以前とは大きく違っています。生じている現在の状態を、どのように考え、受けとめればいいのか判断しがたいのです。というのは「就職氷河期」世代以降は、非正規雇用の人がかなり多いのが特色です。これは自然にそうなったのではなく、政府の政策的な意図が働いてつくられた雇用状態です。
この年齢のひきこもり経験者には、就いても短期のアルバイトやパートの人が多く、転々と職を変えざるを得なかった人、全く職についたことがない人もいます。これは私が関わっている人たちの範囲で確認できることです。
見方を変えて言えば、日本社会のこの30年の停滞がそのまま全体に表われています。ひきこもり経験者はこの「就職氷河期」世代の中に溶け込んでいます。その中でも全体として不安定度の高い部類を構成しているのです。その重大な原因は子ども時代に経験した不適切な養育に関係する人間関係の不安定さ、社会への不信であり、子ども時代の依存の欠如の結果が尾を引いていると私は認めます。

〔2〕結婚と家族について
次に結婚について、30代から50代になった中高年はどうでしょうか。私の関わる人たちを想い起こしながら書いています。結婚し、子どもがおり、家族をつくっている人がいます。いくぶん似た状態ですが、同棲、事実婚と考えられる人もいます。独り身のままの人もいますし離婚した人もいます。この状態は、ひきこもり経験者だけの事情ではなく、この世代で結婚する割合が低下している点など共通します。
家族の状態が社会全体で大きく変わりつつあります。同棲、事実婚と考えられるけれども、結婚という形にしない人が増えているのです。これは規範が緩んでいるというよりも、家族の状態が大きく変化していく時代に対応しているのです。夫婦別姓、同性婚などのLGBTQの正当性を求める動きが重なっています。要素が重なっているよりも、婚姻の状態全体が変化しつつある時代を表していると考えられるのです。
これは男女ともにいえるのです。私には同棲、事実婚、結婚において(私が知る範囲に同性婚はいません)、ここに子ども時代の依存の欠如、愛着の欠如を補う姿と考えられる数人います。
確認できるのは女性側のもので、パートナーの男性を「兄のように慕っている」とか「夫に甘えちゃっている」と話してくれました。これは子ども時代からの愛着の欠如を補う心理・行動とみることもできます。つまり相手が受けとめられる限りにおいて肯定的な振る舞いです。男性側で同棲、事実婚、結婚になっている人もいますが、彼らからは具体的な言葉を聞いてはいません。それでも周囲の人からはそれに関係する振る舞いを聞いたことはあります。
心配が大きいのは、独り身の状態のままの元ひきこもり経験者です。こういう人たちも男女ともに状態は同じではありません。あるとき「結婚することに何が期待できるのか、特に感じるものがない」という言葉をききました。以前に「大人になることは苦労とか負担ばかりが多くなって大人になりたくない」という言葉を聞いたことがあります。両方とも少しはわかる気もするのですが、このあたりが結婚に向かわない理由の1つと受けとめましょう。
独身の男性側は安定した仕事に就けないのが基本原因と思いますが、結婚に向かう行動エネルギーの低下と責任感の重さに尻込みしているのではないかと推測します。これも少なくともここに子ども時代の愛着経験の欠如が尾を引いていると思います。ただそれだけで全体の様子を話せるかどうかは疑問です。多かれ少なかれ影響している人が少なからずいると推測できる、というあたりに留めましょう。
30年後、40年後を思いうかべると(つまり今の私の年齢である80歳前後になると)、孤立・孤独の問題が、他人事ではなく自分にふりかかってくるのではないか、と推測されるからです。ひきこもり経験者にはこの割合は特に高いのです。特別の社会的な対応をいまから整える必要があります。

〔3〕地域共生社会
就労と結婚(家族)の問題は、所得(収入)、住宅、老後の生活に直結します。所得(収入)に関しては生活保護の受給になっている人がいます。障害者年金の受給者もいます。年金保険は家族(親)が払ってもらう状態の人が少なくありません。年金等は最低限の条件であり、それがあれば大丈夫というわけではありません。こういう問題はひきこもり経験者だけではなく、社会の多くの人に共通する課題でもあります。
私はひきこもりに関わった視点からこれらの問題をみています。しかしすでに孤立・孤独は社会問題になっています。ひきこもりに関しては特に8050問題という特別の言葉が生まれています。こうした孤立・孤独にしても8050問題にしても、すでに自治体レベルでかなり重大な課題になっています。家族が小さくなり(核家族化)、人口減と相まって地域の共同体の協力関係が低下しているなかでは、自治体が前面に立って取り組まざるを得なくなっているのです。東京という大都市と周辺においても地域の協力関係は低下しています。
数年前から多くの自治体が「地域共生社会」を掲げて取りくんでいます(厚労省が全国的に進めている)。私の理解では、この課題の出発は障害者への対応であったと思います(?!)。ところが全国各地では人口減が進行し、少子化問題と重なり、地域自体の衰退(消滅可能性自治体の増大)が発生し、地域共生社会は、障害者への対応を超えて広い意味をもつようになりました。ひきこもりに根をもつ8050問題もこの状態の中に包まれています。孤立・孤独への対応などの対象の一部になってきました。
ひきこもりの原因はいろいろであり、多様とされます。それは認めていいとは思います。しかし成人し、就業や婚姻に個人的背景事情と考えられるのは、子ども時代の依存体験の欠乏が大きく響いていると私は考えています(関係ない人もいると認められるにしても)。
この子ども時代の依存欠乏、その後遺症的な継続が続いています。それは原因というよりも、逆に時代の移行期における人々の対応のズレ、世代間の違いから生まれた結果でもあります。ひきこもりの経験者は、この時代の変化を繊細・敏感に感じ取り、影響を受けた人たちです。特別の社会的な対応を考えなくてはならないと思います。
就業(社会生活)や結婚(家族生活)の機会や経験を持たず、周囲の人や地域との関係ができない状態であれば、社会全体のレベル、すなわち自治体や国の社会福祉の対応として支える方向に行くしかありません。それは社会の負担(損失)ではありません。貴重な人的資源(いい響きではありませんが)であり、現在の状況においては社会が成長し、発展していく過程になるとは私の意見です。
まとめて言えばこうなります。ひきこもりへの社会的対応は、より大きな教育・医療・心理・保健・福祉・就業(失業対策)・貧困などの大枠の一部として考えられ取り組まれてきました。それらの結果はきわめて不十分なものでした。ほとんどの場合に各施策の外側におかれ、後回しにされてきました。社会関係から遠のいている状態、途絶しやすい状態のひきこもりに対応するには、それぞれの大枠の中の一部ではなく独自に対応することが求められるのです。
全国ひきこもりKHJ家族会連合会が「ひきこもり基本法(案)」を求めて動き出したのはこれに関係します。私の考える方向と同じでしょう。日本はこのような道をたどって、少なくともそういう面のある過程を通して進んでいくのです。 

献体の会に出席して

献体の会の会合に出席しました(6月29日)。
私は東京医科歯科大学の献体に登録しており、コロナ禍の中止を終えて4年ぶりの報告会・総会に出席しました。4年前に出席したのが初参加で、そのときより参加者はやや少ない感じがします。広い講堂に100名以上200名以下の出席と思います。
献体は、医学・歯学の学習・研究のために、自分が亡くなった後の遺体を学生の実習のため解剖学教室の講義で使われるものです。

1時間余の会合でしたが、感想を2点。
質疑の時間には多くの質問があり、それには丁寧な答えがありました。そのなかにエンバーミングというのがありました。事故などで死亡したときの遺体の損傷が大きく、葬儀屋さんなどで遺体を補正するのがエンバーミング(遺体衛生保全と訳されます)です。この補修には薬剤が使われます。献体された遺体にも保存等のため薬剤が使われます。エンバーミングのときと献体保存のための薬剤が異なるために、エンバーミングのある遺体は、献体には受けとれないという回答でした。
遺体のなかで献体として受けとれないものには、事件や死因の解明のために司法解剖されたもの、臓器提供を行っているものがあります。検察庁の検診で解剖のないばあいは、献体になるそうです。
人体解剖は、江戸時代の訳書『解体新書』が知られ、記憶では山脇東洋等が日本で初めて人体解剖を行い(調べると1754年でした)、『解体新書』に先立って『蔵志』を著しています。それから270年が過ぎた現在、制度として整えられ医学、身体科学の理解につながっています。

これが、もう1つの感想につながります。東京医科歯科大学献体の会の会長は佐藤達夫さん(86歳)という方です。壇上に向かうとき足元がふらついて、司会者や周りの人が気遣っていました。たぶん高名な学者であろうと思いますが、気さくな感じであいさつなどをしていました。
献体の否定や反省を求める動きも出ている、解剖学教室が非難されることもある——これらはある報道がされ、献体された遺体の扱いにあってはならない不適切事案があったことを1つの根拠にしている——そういうことへの対応を佐藤さんは語りました。
遺体の収集や扱いには難しいばあいもあります。全部をパーフェクトにできているとは思わないが、できることとできないことは区別して、これからも進めていきたい。人体のことは人体を見ることによるのだから、そのための献体になる。
佐藤会長は献体の否定や遺体の扱いの問題を受けとめながら、頭から拒否するのではなく、訴えていました。会の運営は素人っぽく不手際もありましたがかえって好感をもてました。
献体の会の生存会員数は2322名、今年10月には東京工業大学と統合して東京科学大学になるので、名称は「東京科学大学献体の会」に変わります。

会報『ひきこもり周辺たより』7月号(第87号)を発行

① 主な内容は、
優しさという徒花  清水大樹 (元ひきこもり当事者への訪問者)
就労・結婚・地域共生社会  松田武己 (不登校情報センター)
セシオネット親の会/ 郵便料金の値上げについて

② 7月のセシオネット親の会
セシオネット親の会の定例会は毎月第3土曜日、午後2時~4時です。参加をお待ちしています。
⇒7月20日(土)14:00~16:00 ★曜日・時間に注意
場所は助走の場・雲:新宿区下落合2-2-2 高田馬場住宅220号室
参加等の連絡は、松村淳子さん(090-9802-9328)までお願いします。

③ 5月25日―6月24日の会報購読料等入金は7名9500円+切手114枚9136円分でした。
ありがとうございました。

目線を低くして考える

私の経験的・実際的なモノの考え方の二番目は「目線を低くする」です。考え方としてはいいはずですが、私にとって大事なことで成功しているかどうか、判断が難いこともあります。
「民主主義とは多数決」はいくらか当たっていますが、いつもそうとは言えません。多数が賛成しある一人を責め、もしそれがいじめなら集団いじめを合理化することになります。
民主主義とはある集団グループの弱い立場にある人の利益が守られるのが、私の考え方です。選挙で多数に支持を得た人が当選するのは、選挙権をもつ人が平等であるという前提に立っており、その前提がおおむね保障されているから、選挙で多数の支持を得た人は当選し、民主的選挙といえるのです。
しかし、集団グループが相対的に小さいと特別に配慮を必要とする人はいます。ある地域とか企業・団体とか学級や家族では、弱い立場にいる人はいます。そういう人が不利益にならないようにするのがより進んだ民主主義です。
これを実現する方法が「目線を低くしてモノを見、考え、判断する」姿勢です。特定の集団やグループ内で、最も弱い立場にある人が不利益にならないようにしながら、多数の意志が実現できるようにすること、その方法の基本が「目線を低くする」ことになります。
しかし、私の実際にしてきたことは、(そう思っていたのですが)必ずしも成功したとは言えないかもしれません。取り組んできた中心のひきこもりの集まる居場所、その運営者としての自分の経験を挙げてみます。
居場所に集まってきた人のなかでも(全員全てに目が届いていたわけではありませんが)、状態の重い人の方に、私は気づく限りにおいて目を向けてきたと思います。症状が表に出る、その人の置かれた環境がひどいという人に私の関心が向いたのは「目線を低くした」1つの結果です。
この選択は自分でもある程度は肯定的に納得しています。私はひきこもり経験者の身心の状態、日常生活がどういう事態にあるのか、そこから理解し対応しようとしてきたと思います。
しかしその結果として、ひきこもりへの関わり方に成功していたともいえないと判断しています。それはひきこもりからの社会参加を促すための制度設定に向かう方面に前進してこなかったからです。それは対人関係づくりのプログラム、技術・知識を獲得する訓練に向かうのがよかったのかもしれません。例えば若者サポートステーションの設立です。各地にはそのように展開したところがあります。
不登校情報センターがそうならなかったのには、特別の理由があります。
それは別項目にして述べましょう。⇒ http://www.futoko.info/zzmediawiki/ 居場所での作業は収入を分配
若者サポートステーションの運営に向かった所が「目線を低くしてはこなかった」と言いたいのではなく、私のばあいはそう進まなかったのです。「目線を低くする」というだけでは欠けるものがあったのかもしれません。「目線を低くする」とは、その人の主に非社会的な面(症状や性格や生活条件など)に目が向き、ひきこもり全体の社会的な面への対応が後回しになった、と思えるからです。
それでも「目線を低くする」は私にとっては欠かせないスタンスであり、私の考え方の一つの構成部分です。

数値ではなく生身の人間を感じるのが大事

私のものの考え方・捉え方には原理的な面と経験的・実感的な面があります。
原理的な面は認識論とか論理学とでも表わしたらいいもので、比較的若い時期に学んだことがベースになっています。経験的・実感的な面は生きて生活するなかで知らず知らずのうちに身についたものです。原理的な認識論とは相反するものではありません。少なくとも自分の中ではそうです。
経験的・実感的な面には2つあると思います。今回はそのうち自分で経験してみる、人については抽象的な数字であっても「生身の人間を感じる」点について書きます。

月刊教育誌『子どもと教育』編集長をしていた1984年ごろです。年に1回か2回、通常号とは別に臨時増刊号として特別の特集号を企画・編集していました。例えば「いじめ」「学級づくり」がテーマです。
日本体育大学の正木健雄先生の研究室が毎年、子どものからだの調査をしており、正木先生の協力を得て「子どものからだ」の臨時増刊号を編集発行することになりました。手元にその号がなく、内容詳細は書けませんが、文部省もすすめる各地の子どものからだ調査を、各校でどのように取り組んでいるのかの教育実践記録と調査のまとめを、グラフにした内容でした。
臨時増刊号を発行した後、日本体育大学の正木研究室で検討会が開かれました。十人以上の研究者が中心に特徴や感想などを発表しました。その途中で突然、正木先生から「編集者として感想はどうですか?」的な指名がありました。
全く予期していなくて面くらったのですが、「私は調査結果を見ているけれども、現実の子どもを見ていません」とその場では特に発言しませんでした。その場かぎりの、根拠の乏しい、数字に頼るいいかげんな発表はすべきではないと強く思ったのです。
この経験は私には深い記憶に残りました。出版社を去り、ひきこもり経験者に囲まれる生活になったとき、私は生身の人に囲まれた生活においてようやく、身体状態を表わすいろいろな数値も意味をもつものだと実感しました。
同時に私は、一人ひとりの状態を、〈正式の面談〉場面だけではなく、できるだけ日常生活場面で見ることの意味や役割が欠かせないと自覚しました。さらにいつの間にか私は、「経験主義者」を自認するようになりました。外から見るだけではなく、自分なりに関わり経験する必要があると考えたのです。
ニュースなどで見聞きすることで、世の中の動きを知るのですが、それらをできるだけ自分の経験したことと照らし合わせて考える必要があるようになりました。それを文章に記録するときには、何らかの自分の経験を織り込んで書くように心がけています。それに適した経験的な実例がいつも都合よく思い出せるとは限りませんが…。
たぶんAI(人工知能)の活用が進んでも、その自分が経験した部分の記述はAI記述が広まってもほとんど書き込めない気がしています。

島根県知事の少子化対策・移住促進策

島根県の丸山達也知事が、少子化対策と移住政策を語っているのを見ました。2024年5~6月のネット上のABEMA Primeです。
この2つのテーマのうち少子化対策は全国的課題ですが、移住政策は特に人口減の著しい地域の課題(島根県も含む)で、しかも連動しています。
移住政策は、人口減がすすみ、地域の衰退が危惧される地域ではあの手この手の施策が市町村や県単位で執られています。6月に入って地方創成会議(増田寛也会長)が、2040年には全国700以上の市町村が消滅の危機にあると発表し注目されました。島根県は2016年発表で全19市町村のうち消滅可能性自治体は16市町村あるとされていました。今回は16市町村のうち12市町村が消滅可能性から脱却し4自治体が消滅可能性になると報告されています。島根県は少子化対策で前進をしていることになります(県全体の人口減少は続いています)。
丸山知事によると医療費の自治体支援が中学から高校生までに広がり(医療費無料の自治体も増加)、学校給食費の無料化が進んでいます。島根県全体の「少子化対策」とは、①結婚・出産に関しては縁結びボランティア(出雲大社にちなんだ取り組み)、コンピュータマッチング、不妊治療助成、産前産後ケアがあります。②子育ては子育て応援パスポート、子どもの医療費助成、保育料軽減、放課後学童クラブ支援などを挙げています。
不登校情報センターのサイトで紹介している「山村留学類」には、県外からの高校留学を導入する「しまね留学」も紹介しています。私の出身校である県立大田高校も、同じ市内で姉兄が進学した県立邇摩(にま)高校もこの「しまね留学実施校」になっています。また隠岐島では漁業就業支援も行われています。
島根県の女性出生率は1.62(全国4位、全国平均1.20、東京は0.99)といいます。それでも「2.0」以下で人口減は進行中であり、「持ちこたえている部類」に入るわけです。

一方、全国の少子化対策です。報道によると異次元の少子化対策として来年度は3兆円半ばという予算規模を首相が指示したそうです。内訳は社会保障費等の予算を2兆円削減し、他に1兆円規模の財源を保険料に加えて(税金として)徴収するとされています。
丸山知事は、この子育て支援1人当たり500円を「人頭税みたいな大衆課税」であり、消費税とともに逆進性の高い不平等税制であると強く批判しています。1人500円均一という平等にみえるけれども「負担能力を見極めてはいない」不平等税制です。
そして昨年度大企業は純益で(いろんな支払いを済ませて残った利益)が41兆円あり、「そのうち1兆円を負担してもらうことがそんなに無理なことなのか」と提起しました。わかりやすい提案です。
丸山知事は、大企業の人にあうとほとんどが「SDGsのバッチをつけている。少子化対策で子どもが増えることは、日本社会のサスティナビリティ(持続可能性)をつくること、SDGsそのものであると訴えていました。
政府の「異次元の少子化対策案」は……詳しく述べる気がしないほどですが、「第3子以降は児童手当てを月額3万円に倍増する」といった具合で、ABEMA Primeの出席者が「これで子どもをもつこと気になるのか?」と嘆いています。
追加しておきますが、社会福祉費などを削減して、子育て支援費を捻出する(?)というのも、大いに疑わしい限りです。
一般に、女性の社会進出(就業率の増大)、高学歴化(進学率の向上)などにより出生率は下がる傾向があります。出席したパックン(パトリック・ハーラン)さんによると、「先進国で出生率を向上させるのに成功した国はない」といいます。子どもを持つことで、国に納めた税金を自分が取り戻せるいろんな施策があって、子どもを持つことがよい状態になれば…という考え方を示しました。現実の事態はそれとは反対方向に進行しています。
(註:年月、数値は聞きまちがえがあるかもしれません)