どんな人を受入れるているか

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先日の「なぜ松田さんのところに経験者は来るのですか」にはうまくこたえられませんでした(7月15日の「親からの質問に戸惑う」「親からの質問に戸惑う・2」)。そのあと、これとは反対の質問を受けました。「松田さんはどういう当事者を受入れているのか基準みたいなものがわからない」というのです。今回はこれへの答えです。

おおまかに言えば、不登校・引きこもりと周辺事情の経験者が受入れの対象になります。「わけありの人」とも言えます。一言で「来る者拒まず、去る者追わず」にもなるでしょう。

これまでにその範囲では特別の人が2人いました。両者とも10年ほど前になります。1人は境界性パーソナリティ障害を自称する人です。居場所の数人から“被害報告”を受け、それを直接に本人に話したところ、「ここに来ても私には意味はない」の趣旨の答えがありました。「来ないのですか」と確認すると「排除するのか?」というので、「事前に連絡をして松田がいるときに松田と話すために来るように」いいました。これを“特別会員”とし、当時の会員規則の中に特別会員の項目を設けたことがあります。しかし、この人はその後来なくなりました。
もう一人は、私の目の届かないパソコンの部屋で、部品を抜き取っていました。他の人から連絡を受け、本人に確かめると否認しません。その人の自己紹介の中に思わぬ事情があるとわかり通常のこととは思えませんでした。その場から通報して警察官に来てもらい立会いで事態を確かめました。この人も「特別会員」にしましたが、その後来なくなりました。
2人ともかなり特殊ではありますが、「去る者」であって特に排除したつもりはありません。

他の事情もあります。不登校・引きこもりと周辺事情の経験者が通常の受入れ対象者です。その人たちに有効と思える場をつくりますが、特別のプログラムはありません。参加者各自が自分でそれを見つける・つかむことを目的にしています。一般的には知り合い、話し相手、共通の関心を持つ人を探しつくる場になります。そのうえで自分なりの仕方で社会参加に向かうように期待する所です。
しかし、私の設定するこの居場所ではそういうものはできないと思える人もいます。ある程度の期間を経たところでその旨を話します。「参加を拒否するのではない。来たいと思えば来てもいいし歓迎もする。ただしこちらでは特別のことはできない」ようなことを話します。ここには「自分にとって来ても得るものはない」という判断は私=居場所の設定者がするのではなく、参加する本人がするのがいいと思えるからです。
親が一緒に来たり、親が別に相談等に来るときは親にその旨を伝えます。
このことによってそれ以降来なくなった人の記憶はありません。しかし、以前に来所した人のうちその後来なくなった人は多くいますので、その中にはこれが理由になった人がいるはずです。

こういう考え方というかスタンスは、人の成長・変化は何よりも本人のもつ内在的な要素・力によると考えるからです。それには周囲の環境が必要なのですが、環境の基本は自分の意志とは独立のものであるとともに、現場においては参加者が自分で細部を仕上げるものです。その部分にまで私は入れないし、入らない方がいいとも思います。細部の仕上げに私は干渉はしないようにしているつもりです。
これらを一言でいえば教育的な方法になります。説明が面倒ですし、聞いてもすぐには理解できませんから「なりゆき任せ」とか「その場その場の出たとこ勝負」と称しています。その方が実質的ではないかと思います。

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