フリースクールやホームスクールを義務教育の一つの形態として位置付けることが見送られました。国会で議論されている多様な就学機会を確保する法案のなかのことです。
義務教育の場を学校に限定してきた教育の大転換になると注目されたのですが、「不登校を助長することになる」などの慎重論が上回ったためだといいます。
私は学校以外の教育を進めるのに2つの考え方があることが明瞭になったと理解しています。
1つは、生徒個人の状態を判断して、それに沿った個別プログラムを作成し、指導計画をつくり支援していくもの。これを個別プログラム方式と呼びましょう。今回の法案ではこの考え方が取り入れられていたようです。
もう一つは、そういう個別の指導計画は生徒を軌道に乗せて進もうとするもので、個人の提起する問題を置き去りにするという批判です。これを個別伴走型方式と呼びましょう。
実はひきこもりの支援に関しても同じことが生まれています。私の経験からすると個別プログラム方式はある時点から生徒・当事者の状態とは離れてしまいます。方式は絶えず修正しなくてはならないものです。個別プログラム方式はそれが意図されずに進み、当事者が置き去りにされてしまいやすいのです。
絶えず修正するとは、言葉を代えれば個別伴走型方式になることです。当事者の周囲にいて様子を見ながら対応策をつねに変えていくことになります。当事者の様子から離れることは少ないですが、難しい面もあります。当事者の様子に合わせて指導が漂流していることもあります。
福祉的な支援においては、当事者の関与を除いた解決策はないことが明確になっています。これを教育の場でも採用するしかないと思います。
目標を大きくし、当事者が向かう方向に手を加えず、伴走ないしは後ろから押していく形が望ましいと思うのです。支援現場では試行錯誤の連続ですが、私にはそういう姿も当事者にも見えてしまうのがいいと考えています。もともと完全はないからです。