十数年前の情報センターの居場所を相対的に評価し直す機会

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4月3日、フューチャーセッション庵に参加しました。会場は池袋の生活産業プラザです。5月の「ひきこもり大学 in 下町」の参考にしようと思いました。参加者は50名以上100名以下ですが、かなり多かったです。
情報センターの事務作業グループの一人Uくんもいて、後で話したことをまとめてみました。参加しての感想ですが、このフューチャーセッション庵の様子を、不登校情報センターの2003、4年ごろのフリースペースと比較していました。
(1)庵の参加者数がとても多く、情報センターの場合は毎回の参加者は10名から20名程度です。庵は2か月に1回の開催ですが、情報センターは毎日(土日曜日・祝日も)です。情報センターの場合は固定的な事務所があることに関係します。
*2004年2月・3月の参加者名簿が見つかりこれが確認できました。2月は実数63名、3月は64名が参加。数名が月に15日以上参加しています。
(2)参加者の年齢層が、おおよそ10歳以上違います。庵は20代中盤以上から40代後半までと推測され、30代が中心だと思います。
当時の情報センターは20代が中心で10代も少し、30代はそれよりも多く1~2割程度というところです。10余年の違いがそのまま移行している感じです。
(3)参加者の男女比は、庵は女性が2~3割で、スタッフが多いと思います(見た目の受け取り方です)。当時の情報センターを調べると、女性は25~30%程度です。
(4)庵には、親の参加が少しありました。子どもの問題解決の手掛かりにしようとする人も少しいたようです。情報センターには別に親の会が毎月定例会をしていて、こちらの参加者も数十名になりました。親子の両方が関わるのは2割以下ではないかと思います。
(5)運営体制が全然違います。庵にはスタッフとそれに準ずる人がかなりいますが、当時の情報センターは事実上スタッフがゼロで、カウンセラーさんが各自の都合で参加していましたが、これを確認する記録は見つかりません。カウンセラーさんが独自にセミナーや分科会をしたことはあります。
庵はこのスタッフが中心になり、テーマを設定した分科会が持ちます。分科会のテーマは固定的ではなくときどき変更するようです。
(6)庵はこの分科会が数時間で、その前後が開催時間ですから、全体でおよそ4時間になります。当時の情報センターは昼頃から誰かが参加し始めて、夕方から帰り始める人が多く、遅い人は8時、9時になりました。

おおよそがこのような違いになると思います。情報センターは成り行き任せで続いていたのに対して、庵はゆるいですが目的的で組織立っています。
情報センターのこの状況は2004年3月がピークで、4月から参加者は減少します。その原因はNHKの“ひきこもりキャンペーン”が終了したことです。各地のフリースペースや居場所がこの影響でなくなりました。
情報センターの居場所が続いたのは、相対的に参加者が多かったこと、それが毎日続いていたこととともに、その頃から作業グループが生まれたことに関係すると考えられます。実は庵についても何らかの変化が起こりうると感じています。どういうものになるのかはこれからです。
このように庵の動向を見ることは、十数年前の情報センターの居場所の状況を相対的に再評価する機会になりました。また2003年ころ生まれた作業グループを位置づけて評価する起点になりそうです。

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