不登校の親の会で発達障害を語る

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27日の不登校・ひきこもりの親の会には、アスペルガー症候群と言われている2人が参加予定と聞きました。いつも何か短いレクチャーをするように言われています。今回はアスペルガー症候群について話すつもりでテキストを準備しました。
アスペルガー症候群の当事者であれば(状態像はいろいろに分かれるにしても)、
具体的で実感のある話がいいと思います。けれども私の経験はすでに多く書きました。経験談はその場の状況に応じて話そうと決めました。
なぜ今の時代にアスペルガー症候群が目立つようになったのか、歴史的社会的な背景に目を向けるのも、当事者にとっては自分理解にとって役立つのではないか、そんな考えが浮かんできます。
それを表わすには前から考えていた進化論と発達障害を結び付けて説明するのがよさそうです。しかしこの考え方というか説明の仕方は、意外なことにこれまで他で見たことがありません。自分なりにはごくオーソドックスな論理なのですが、ちょっと不思議です。
そこで「私論」か「試論」を付けるのがいいのですが、両方を付けるのはもったいぶっている感じがして「試論」を採用しました。
会のなかでは自分が実感したいくつかの場面の話をしました。出席の青年からの話を聞きながら、記憶が薄くなっていた経験も思い出しました。「そうだ! あれが気になっていたんだ」というものもあります。
アスペルガー症候群で「あいまいな表現が苦手・伝わらない」というのがあります。私の方から言えば、「なぜそんな言い方で伝わるのか、もっとはっきりしてほしい」と、思い続けていた子ども時代や青年時代のことを思い出しました。思うにそれで伝わったのはことば以外の周りの人の様子や雰囲気があったのです。そこを感知するのが苦手だったのか、と改めて確信します。しかし、ことばのレベルで伝えるのが正当という思いはいまもあります。
その「発達障害についての試論」は、時間の制約と長さの制限で何か書き残している感じがあります。近く訂正しようと思います。

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