ストレスを感じるばあいとは

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前回の続きは「ひきこもりと一緒にいてストレスはなかったのか」という問いです。
これまでを振り返ってみました。
他の人との比較は難しいのですが、私は感情的なことを受けとめるのは下手というか重点はなかったと思います。
会話を含む表情全体から話す人の状態像、内容の論理性(それなりの筋道が通っているもの)を把握しようとしているはずです。感情的な面はつかみかねて、多くは素通りと思われたかもしれません。
話す内容の筋道がつかめない場合は困ります。経過の積み重ねを確かめようとします。
相談(話す)内容がバラバラであれば、聞き流して落ち着くのを待ちます。
これらもストレスを少なくする受け答えです。
そういう訳で全般的にストレスを少なくする対応方法をとっていると思います。
よく話を聞く方だと思いますが、こう振り返ると忍耐強いのとは違いそうです。
受け取るストレスを少なくし、また感情的なことへの感受性が弱いと考えられます。

そういう中でもストレスを感じる場合はあります。
ストレスを感じるのは依存される場合ではないでしょうか。
ところで私はひきこもる当事者に対して依存から始めるのを“奨励している”と思います。
依存禁止ではなく、依存状態が私とその人の関係のスタートになるからです。
依存しながら自分の状態を話し、表現し、知り、徐々に依存から抜け出していく。それが人間でしょう。
初対面のころは、本人も何かを決心していることがあり依存的な振る舞いは少ないです。
顔を合わせる機会が増えるにしたがい、慣れ、親しさが生まれ、人によっては依存的な状態が現れます。
このような過程をたどるのが基本というか多数の場合です。
その後は、私以外の他者(近くにいる当事者や家族に対して)との関係も少しずつ似た過程をたどります。
それが助けになっていくと考えています。

しかし、ここでブレーキのかかる人がいます。
ブレーキがかかった状態で何とか動いたかもしれません。
他者との関係が始まらない、それに比例して(?)私への依存が強まる、いわば独占状態に向かう人がいます。
このときの私の基本対応は、「学習の機会にしよう」というものです。
深い状態にある人は抱える問題も深く、学べる内容もあると予測するからです。
私がひきこもりを理解したのは、こういう人からの言動や振る舞いから学んだものです。
身体科学や精神医学に関心も持ったのはこういう人たちの“みちびき”によるもので、感謝しています。
これはストレス発生の要素になることを別のものに置き換えたわけです。
裏を返すと器用に対処したわけで、器用貧乏でもあります。
取り組んでいることに自分なりの目標や楽しみを持ち込み、継続した方法です。
仕事を含め私が物事を継続してきた背景理由です。

ところがそうは進まない人がいます。その人と私の相性に関係するのかもしれません。
思い返してみるに、何も学べないばあい(私の学習能力がたりない!)、私への指示命令になるばあいです。
境界性パーソナリティ障害がはやった時期がありますが、そのころの経験です。
前回「遠慮がちで他の人を優先する気持ちが並外れで面後臭くなる」例をあげました。
これなどはまだいい方でしょう。
ストレスを感じるのは自己否定と強い依存状態が同時に表われるときです。
「自分はどうする」というものはなく(出来ない理由は出てくる)、周囲に対してああしてほしい、こうした方がいいと話す。ついには不満を発し、攻撃的になったり、指示的になる人です。
こういうときにストレスを感じます。
しかし、これまでの経験ではきわめて少なかったと思います。
わずかなことでも「自分はこれならできそう」、それが見えるとストレスは感じなかったと思えるのです。

「ひきこもりと一緒にいてストレスはなかったのか」の問いの答えになっているかは微妙ですね。
総じていえば、ストレスを感じることは少なかった。
しかしゼロではないと思いますがどうでしょうか。
ただ質問には私が「好きなことしかしてこなかった」と言っていたが、ひきこもりと一緒にいることは「好きなこと」だったのか。そういう前書きがあります。
その部分も間をおいて書いてみます。

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