イザベラ・バード『朝鮮紀行』を読む

イザベラ・バード『朝鮮紀行―英国婦人の見た李朝末期』(時岡敬子・訳、講談社学芸文庫、1998年、原著は1905年、London)。
1894年から1897年にかけて2度のわたる朝鮮地域の旅行記。私の地理学的な関心からですが、今回は最近の日韓関係の発端をなす、日本が朝鮮を植民地化した時期の様子を、1イギリス人からの視点で描いた状況を知るためです。
バード女史の見聞も1視点ですが、植民地化は当然という論がネット上にあふれているのにあきれているばかりでは物足りずに読んでみたわけです。
公式に朝鮮が植民地化したのは1910年のことですが、その前の李氏朝鮮の状況を第三者として見ている点を参考にしたのです。当時の朝鮮王朝は政権の体をなしていません。それは正しいとしても、だから外部の政治勢力がそこに介入して支配権を確立してもよいことにはならないでしょう。端的に言えばそうです。
私が以前に研究対象にしていたアフリカのモザンビクも同じ時期にポルトガルに植民地化されました。モザンビク地域はいくつかの部族国家や部族勢力が併存している状態でした。最大のガザ王国が近隣の諸部族に呼び掛け抵抗しました。しかし、近代銃兵器に対して弓矢で立ち向かう抵抗運動は短期間に滅亡され、ガザ王国のグングニャナ王は虐殺されました。19世紀末は帝国主義が植民地を実効支配するために世界各地で武力制圧をした時代です。
例えばハワイ王国が滅ぼされアメリカ合衆国の統治下におかれたのもこの時代です。アロハオエの歌はその時期に幽閉されたハワイ王国の女王リリウオカラニのものです。1993年、アメリカ合衆国議会は併合に至る過程が違法だったと認め、公式に謝罪する両院合同決議をしています(ハワイはアメリカ合衆国の1州です)。
バード女史の時代の朝鮮は、特段の抵抗戦争ができませんでした。しかし、政治改革を進めていた国王妃・閔妃は日本の軍事部隊により惨殺され、旧体制に復帰を図る大院君(国王の父)が支配権を執るようになりました。国王は実権のない名分だけの支配者になりました。
バード女史の見聞はこの様子を著しています。