長寿で情報社会に生きる高度化した新世代

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月刊教育誌を編集していたころ、ある校医(小児科医)と親しくしていました。
その人から子どもの心身の成長に基本的な要件を簡潔に教えてもらいました。
今日の状況にあわせて私なりに整理し直すと次のようになります。
・ 空気―生存条件であり、健康に不可欠。
・ 水と栄養―生存条件および成長と運動にとって不可欠。
・ 太陽(熱と光)―生存条件および成長と運動にとって不可欠。
・ 友達(人間)―からだの成長とこころの成長を助ける、情報入手の補助手段。

これらを別の面からみれば人の生活の基本条件である衣食住に重なります。
・ 衣―保温、プライバシー、自己表現の可能性。
・ 食―成長のエネルギー、コミュニケーション。
・ 住―安全と家族(愛情、共感と協力)。
家族と住宅はこれらの全部を含みます。
これらは、成人した大人にとってもそのままに、あるいは姿形を変えて必要なことです。
これらの要件や材料をどのように獲得するかは、時代環境によって、生活する地域に左右されます。
大人(社会)が自然と社会条件のなかで発見し、つくり出し、後継する世代に用意してきたものです。

日本ではとくに高度経済成長後の1970年から21世紀前半の今日まで見ても、これらの不可欠とされた基本的な要件は変わりません。
しかし、その表われ方は大きく変わりました。
物的なものは大きく変わり、それとともに友達(人間)関係が特異的に変わったと思います。
1950年代までの子どもの大半は、(大人が関与していない)子ども世界を経験しました。
大人の間には「子ども同士のことは口を出さない」という了解もありました。
それは子ども同士で何とかする、何とかできるという暗黙の了解があるためです。
確かに部分的には不当なことや差別的なこともありました。
大人がそれを左右するよりも子どもに任せればはるかに大事なことを経験できるのを知っていたかのようです。
しかし今日では子ども世界は、少なくとも1950年代まであった子ども世界は消失しています。
大部分は大人が見守る、あるいは管理する条件のなかでの子ども関係になっています。
これは以前の時代の子ども世界とは違うと考えられます。
この変化をどう見るのか。

いろいろな見方が可能であると思いますが、次のように遠くから離れてみる見方はどうでしょうか。
これは人の寿命が大きく延びたことに対応しているのではないか。
子どもの成長に時間がかかる、子どもの成人化する時期が後ろに大きくずれ込んだことに対応していると見ることもできます。
法則的に高等動物ほど成年するまでに時間が必要と考えられます。
同じヒトでもより高度化してヒトというわけです。
この変化が半世紀という短時間に急激に生じたため、子どもがなかなか大人になれないことを否定的にみる傾向が生まれたのではないのか。
そのギャップが、世代間の行動や意識の違いとして問題視されてきたのです。
ひきこもりという状態像は、発達障害の故であったり、LGBT傾向であったり、HSPを背景としています。
それらはしばしば“外れたもの”として扱われ、矯正の対象と考えられてきました。
同時にまた最先端の能力を感じさせ、従来の常識を書き換える役割を示すこともあります。
21世紀もかなり進んできた現在においては、20世紀末の子どもは成長し、新しい時代をつくり、新しい環境で活動を始めています。
しかし、この様式は一様ではなく、先発隊と後発隊の長いラインを成しています。列の前と後ではかなり様相が違います。
また前列にも戸惑いの要素があり、後列にも進んだ要素もあって、複雑です。
今ではそこに、インターネット・SNSが入ってきて、新しい状況の意味を教えてくれます。
すなわち工業社会から情報社会に時代が変化したのであり、新しい世代はその場面変化に対応しているのです。
“外れたもの”として扱われてきたこれらに、新しい時代の息吹を感じ取ってみたいものです。

〔ひきこもりパラドクス

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