個人支援は社会背景とのつながりの理解が必要
『ゆとり世代は、なぜ転職をくり返すか』(ちくま新書、2017)から引用した文章の中の一文です。
「ミクロな視点から、彼らの転職における意志決定だけを見ていたら見落とすことがあまりにも多すぎる…。
転職は何もその人の意志決定だけで行われるわけではない…。
むしろ大きな構造の一部が表出した姿ともいえる…」(172p)とあります。
同じことは、ひきこもりの支援についても言えるのではないでしょうか。
個人の心理状態のカウンセリング、家族の事情が関係している視点からの家族療法だけではありません。
就職相談における本人の職業適性やさらには本人の就業先希望についてさえも同じです。
それらは「大きな構造の一部」であって、その大きな社会構造や、行政制度、社会的な慣習などにも目を向け、それとの関連で事態を考えていかなくてはならないでしょう。
相談支援機関が日常業務として1つひとつの事例にそこまで入っていくことは現実的ではありません。
だから現在の支援方法はそれなりに適合性をもっていると認めなくてはなりません。
しかし相談を受ける側、カウンセラーやコンサルタント等の専門職の方には、各人の個別の事情を「大きな構造」との関係で意図的につながりを考えておかなくてはならないです。
少なくとも、「大きな構造」を形づくる、個々の項目の可否あるいは是非を明らかにする視点はもっていてほしいものです。
私のひきこもりパラドクスは、そういう視点から考えるものとみなすこともできます。
私はいろいろなひきこもり経験者に出会ってきました。
その人個人の特性に基づくその時点での心身の改善を心がけてきたはずです。
しかし何か不全感をもったのもここに関係します。
そこには2つの面があります。
1つは、以上に述べた社会全体の動向や構造からその人個人の様子を知っていくことです。
社会全体の様子からその人個人の特徴を表現することはこれまでは結局不十分でした。
おそらくひきこもり支援の全体があまりうまくいかない最大の理由は、社会全体の様子と個々のひきこもりのつながりをばく然としてしかとらえていなかったことにあります。
そこを見ればそれが個人の特性だけによるものではないこと、ました自己責任などに行きつくものではないと考えられるのです。
付け加えれば、日本の社会が、経済社会の変化の様子が、子ども時代を経験したその時代背景との違いをうまく把握してこなかったのです。
その社会の一部ともいえる家族の歴史と特質、子ども社会の変化も十分に知りませんでした。
身体科学に入る身体構造や精神医学についても……要するにあらゆる面で中途半端でした。
これまで続けてきたのは個人観察、一人ひとりをよく見ようとしてきたことです。
そこに終着点はありませんが、それと並行して時間と共に動いている社会と個人の関係を追究していきます。
もう1つの面は、その構造のなかをどう進んでいくのかは、その人自身の動きに任せられるべきではないかと感じていたことです。
言いかえるならひきこもりの援助において私の介入はできるだけ避けるのがいいと思ってきました。
ここは私の弱点とも受けとめられ、私から離れていった人の中にはそこを理由とする人もいたと思います。
介入の多いことは、そのひきこもり経験者の子ども時代からの経過を繰り返すことになるでしょう。
一人ひとりの意思と表現を生かす方法はそう言うものではないと考えたからです。
(2022年2月6日)
後半の支援者の介入に対するコメントです。
それぞれのひきこもり当事者及び家族の置かれた、個別の状況を出来るだけ把握し、またそこに深く関わる(支援者が当事者及び家族との結びつきが濃い)ことが求められます。これはこれで結果が出て来たと思っています。しかし、個々の当事者がひきこもりを脱し、社会参加を目指す本人の次の課題に挑戦する時に、この支援者と当事者及び家族との深い関わりがじゃまをすることになる、というのも事実です。特に長期のひきこもりにおいては、当事者とその家族の関係は共依存状態の場合が多く、支援者が当事者・家族と深い関わりを持つと、支援者もまた当事者との関係が家族とのそれと同じ状態に陥りやすいからです。悪い意味での第二の家族です。そうなると支援者と当事者が距離が取れず、次の課題に取り組むことが難しくなります。
支援者の介入する、介入できる部分を私は十分に説明していません。そこを私に代わってコメントしていただいた感じがしています。
これまでの支援方法を完全に否定するわけではないけれども、不十分な点がある、改善の余地があるという主旨のコメントです。
この両面を見るに私もだいたい同じです。しかし、この不十分さを超え、改善策をどうするのかという点にはふれていません。私もふれてはいません。改めてその点をまとめるように注文を受けた感じがしました。ありがとうございます。
ご指摘の通り、改善策に触れていないです。ひきこもり支援に関わろうと言うならここが一番大切なところだと思います。このタイミングで少しお話として聞いてくださればありがたいです。
私の経験から得た範囲内でのことですが、支援する側と支援される側双方のスタンスを見て考えることが出来ます。一つは癒し癒される関係です。これは居場所運営等で、多く実践されている関係です。そこは当事者及び家族が、自分達では抱えきれない辛さを、共有し癒される場であること、そして支援者はそこを最も大事にして、当事者及び家族に関わることが求められます。
もう一つは十分に癒された後、あるいはその過程にあるかもしれませんが、取り組みの次の段階での関係です。そこでは支援者と当事者家族は、痛みを共有できる関係であることを求められます。当事者がひきこもりから回復するためには、克服しなければならない痛みです。例えは適切でないかもしれませんが、病気で入院治療中の患者が、退院を目指して受けるリハビリと同じです。入院生活を脱し、日常の生活に耐えれるだけの気力・体力を養うことを目指します。そこでは支援者と当事者及び家族にマンツーマンの関係が求められます。支援者は当事者及び家族に深く入り込み、長く続く関係になります。
しかし同時に距離をとらなければお互いが痛みを乗りきれませんし、長続きしません。そのためには支援者と支援される間に複数の第三者としての存在を作ることだと思います。第三者は、いわゆるひきこもり問題の専門家である必要はありません。日常触れ合う機会のある普通の方がより良いと思います。
ここまでしか考えをまとめられませんでした。
ありがとうございます。
私も後で思うところを書くつもりですが、今は別件に関わっていまして手が付けられません。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。楽しみにしております。
紀さん、ご期待ありがとうございます。
問題の深刻さの一面を指しているので、これまでかかわった例を参考に思うところをまとめます。
ひきこもりを正しく理解しようとする取り組みは広がっており、歓迎すべきことです。
しかし、理解すれば何とかなるものばかりではないです。
そこが深刻な問題になる背景の一つです。
行動とか制度も考えなくてはならないと思います。
そう時間も取れないですが3月中にこのブログに載せます。
お待ちください。