さて私は「家事労働の社会化」を考えるもう1つの目標があります。
家事労働を経済活動にカウントされない、すなわちGDPに入らない事態を不均衡(おだやかな言い方で)であると考えています。そこを公平にしたいと思うのです。
道はありそうですが、そこに進む前に私が関わった人たちの様子から話すことにします。『ひきこもり国語辞典』のなかの言葉を引用しましょう。
「主夫 日常生活が、炊事、洗濯、掃除などの家事が中心の男性のことです。主婦や女性の家事手伝いの男性版です。家電の修理や家周りの修繕など簡単な大工仕事が加わるのが自分の特徴で、男性ひきこもりの一つだと思います」
ひきこもり状態の人には、男女にかかわらずこのような主夫および家事手伝い状態の人は多くいます。私はこの状態をもって社会参加の一つの形と言うつもりはありませんが、単純な無職・無業扱いとは違うのではないかと思います。
ひきこもり状態の人には家族の介護をしている人もいます。障害のあるきょうだいの世話をして、いわゆるヤングケアラーを長く勤め、社会との接点をなくしたまま準ひきこもり的生活を続けた人もいます。
「障害者の姉 自分でからだを動かせない障害のある姉がいます。父は仕事であまり家にいません。母は姉の介護に追われ、夜中も定期的に起きる生活です。私も子どものころから姉の介護の手伝いに追われて気づけばひきこもりと似ています」
この家族内介護は母もこの人も含めてGDPにカウントされない介護サービスの提供者です。障害者の姉は医療を受けそれは医療におけるGDPにカウントされます。私が事態を不均衡と考えるのはここです。部分的には障害者支援の手当てが出ているでしょうが、それを「不均衡」を解消する代替方法にはならないでしょう。
祖父母の介護をしていた人がいてとても重宝されました。この人たちは行き届いたケアを実行できる心遣いをする人たちでもあるわけです。そのうちの1人に、介護施設で働くことを勧めたことはありますが、「自分にはできない」といいます。私は自信をもって推測できるのですが、彼には「最高の対応しかできない」ために介護施設に就職して働くのを拒むのでした。完璧しかできないのです。
この型の家族内介護の多くも障害者保障による代替的評価はされていません。家族の外との経済的な関係において実現されていないからです。市場的な評価の有無がGDP換算の条件になるからです。これが「不均衡」の根になります。
家事手伝い型の家事労働は、介護に限らず生活の広い分野に関わっています。これら全体をGDPに換算する方法は、複雑すぎて技術的には困難であると認めます。だから「現状のままカウントされなくてもよい」とは言えないと考えるのです。
昨年、NABAの会報で紹介された「すずさん」のばあいを考えると、このような長期で家族内の対人的なケア的労働を「カウントされなくてもよい」とはとても考えられないのです。「すずさん」の手記を読んだ感想文を紹介します。GDPに代わる、人間労働(人間の活動というべきかもしれませんが)の全体を計る尺度が必要と考えるのです。