家事は人類誕生からの生理的活動の続き

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20世紀後半以降の日本の経済社会は、家族の姿も大きな変動期にあります。1950年代後半から始まる高度経済成長期を通して、日本の産業社会は工業化・サービスン業化し、農業は衰退に向かいました。それにともない家族状態も変化し、家業や家事労働の内容にも変化があります。

その変化を感性の優れた若い世代が先端的に表わしました。1960年の後半に生まれた人たちからそれは徐々に増え始めました。初めは不登校の子どもとして、やがて社会的ひきこもりになりました。ひきこもりとはこの社会の変化を身体症状として表わした人達です。現在はそこから社会の中心にいる多数者に広がる時期に入ってきたと見ます。

それらの変化を追求していくと、家族関係、家族制度あるいは親族制度につき当たり、いずれ家族制度は大きく変化する時期を迎えると予測しています。

家族関係の変化を呼び起こす原動力は家事労働です。家事労働には2つの部分があり1つは家族内ケア(子育て・介護など)、別の1つが衣食住に関する日常です。そして家族関係の変化を起こす原動力は家族内ケアとするのが私の結論です。

人間は誕生とともに(厳密には誕生以前から)、生存のために、食べるために、眠るために(棲み家)、身体を守るために、すなわち衣食住の確保をしてきました。しかしその動きは労働ではありません。呼吸や消化・排泄などの新陳代謝が、さらに言えば出産やその元になる性行為や授乳が労働ではないのと同じです。

家事が労働となるにしても、労働以前の人間の動き、働きの継続といってもいいのです。これらの人間の動きが、労働になるには一定の条件が整ったときです。言いかえれば家事とは、人間が誕生以来(誕生以前から)身体に備わった動き、生理的な活動として生存を図るためにとってきた動きの後継的活動です。

ここで私はエンゲルスの未完のエッセイ『サルが人に進化する際における労働の役割』(1877年)にふれます。ここにいう労働とは<人間の誕生とともに(厳密には誕生以前から)>のところです。人が人になる以前の過程で生活・生存に必要な衣食住の条件を獲得するための動き、サルが人に進化する際にはこれが役割を持ったというのです。エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』の記述はこれとも矛盾なく続いています。出産から家族内ケアもまた(厳密には誕生以前から)続いているとしていいのです。

さて生理的活動は大筋においてはじめは男女の役割分担として発展しました。役割分担において女性は生理的活動の延長といえる子育てなどケア分野を、男性はそれ以外の食料の確保などの採取・獲得の活動につきました。この役割分担が分業のはじまりです。分業はより効果的に生産的に事をすすめました。それでも家族内ケアの起源のうち、直接に子どもを産み出すのは女性です。性役割による分業は、この自然的与件によります。

なぜ家族内ケアが労働とは考えられてこなかったのか? 理由の1つは子育てが、親にとっての生理的活動だからです。健康人の空気呼吸が問題にされないように、食事をするのが労働でないのと同じです。もっといえば排泄もそうでしょう—トイレでの振るまい—は問題外ではないですか? 子どもを産み、育てる—その前の性行為も含めて—これらは人間の生理的(自然的)行為であって、労働ではなかったのです。家族内または親族内の生活の仕方に扱われたのです。

もう1つ理由があります。家庭内で自然に行われていた生活の仕方が、家庭の外側に、分業として現れてからそれが価値を持つ労働として見られたのです。氏族(部族) 間の生産物のやり取りのときが始まってから、物品の交換は特別の人間労働と考えられます。家事労働もまた同じです。養育・子育て、家族の健康ケア、介護などの家族内の動きはそれまで労働とは考えられません。それが家族の外側に用意されるとともに、特別の労働と考えられたのです。これらは最近50年にようやく広く認められるようになったことです。

出産から子育てまでの自然な生理的活動の社会的側面は大きくなっているのが現代です。核家族・単婚制という今日の一夫一婦制においては、子育てや介護という世代継承機能が支障をきたし、困難な状態が明らかになっています。家族には多くの機能があり、衣食住に関する日常生活はいろいろ改善できます。電化製品が広まり日常家事を改善向上させる用具も発展しました。外食店やクリーニング店など多くのサービス業が生まれ家庭内の家事労働を助けてくれます。

その一方で、家族にとっての世代継承機能はなくせません。産院ができ、幼稚園・保育園ができ、学校ができ、病院ができ、介護施設ができました。これらに助けられ、軽減されることはあっても、家族の世代継承の働きをなくすことはできません。物理的・時間的に減らせても主要部分を家族が受け持つのが世代継承機能です。それは家族が本来もつ不可欠な役割だからです。

とくに世代継承機能の力が低下していること、それが家族状態の変化を必要としているのです。この変化の過程がどのように表われるのか。この変化は一国についてみても数十年から百年単位の、数世代にまたがる長い期間を要するものでしょう。誰かが画期的な発明をしてさっと広まるようなことではありません。

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