精神的症状の人はいるが、がん・糖尿病はいない

『ひきこもり国語辞典』(松田武己(監修)2021年,時事通信社)で私は、次のように書きました。

《胸キュン  良く胸のあたりが苦しいような感じがして手で押さえます。胸といっても頸(くび)の下あたりで、呼吸が苦しいのとは違います。切なく苦しいというか、やりきれない、空しいような気持ちを落ち着かせる感じです。世の中的には「胸キュン」というのがいい感じのときに使われていますが、それとは違います。》

元の原稿にはこの項目に胸腺について一言書きました。それは「違い」を説明する私見です。担当編集者は言いすぎと考え、削除を提案されました。私は「確定的ではない」と認めて削除提案を受け入れました。

胸腺は免疫にかかわる臓器で大きな働きをします。虐待で亡くなった幼児の死因を調べると、胸腺が異常に縮小しています。2006年に亡くなった生後11か月の桜井亜衣ちゃんの解剖所見で「胸腺が委縮している」点から継父が虐待容疑で逮捕されました。2018年には虐待死した5歳女児結愛ちゃんの胸腺は同年齢平均の5分の1に縮んでいた報道も読みました。これらは乳幼児期の胸腺の役割の特別性を表わしているのです。

2025年ノーベル賞を受けた坂口志文さんの免疫研究の新聞記事を読みながら、これは胸腺の働きとしてつながる気がしています。胸腺は人間の免疫に直接に関係します。人体の外部から入る異物を排除する役割が免疫です。しかしある事情で自分自身を攻撃する免疫疾患を起こします(キラーT細胞といいます)。これを防ぐ機能も備わっており、それをするのがヘルパーT細胞です。Tとはthymusで胸腺を指します。

免疫機能や胸腺の働きは(私には)説明できません。多田富雄『免疫・「自己」と「非自己」の科学』(NHKブックス,2001)を読んだことがありますが、そのときもよく理解できないメカニズムでした。ところが、記事内容にがんや一部の糖尿病に対して、「制御性T細胞」を増やすことで抑制できるとあります。

今回「11月アンケート」で、ひきこもり経験者等への、健康状態についても回答をいただきました。ある割合で精神的症状をもつ人がいると認められます。それは子ども期に不登校やひきこもりとつながっている要因でしょう。しかし、成人した現在、がんや糖尿病である回答はありません。もしこれが(直感ですが)胸腺の働きに関係するなら、その免疫機能の別の面を見ることができるかもしれません。

アンケートの回答は30名を超えました。健康状態は比較的よい、仕事に就いている人たちからの回答もお待ちするのは、こういう面からも考えたいからです。

1月15日時点のアンケート回答者の内訳を書いておきます。

(1)回答者(誰に関する回答か)内訳:1月15日現在

男性:本人11名,代筆母8名,代筆父3名⇒合計22名

女性:本人 5名            ⇒合計 5名

男女不明: 代筆母3名,代筆父1名   ⇒合計 4名

(2)回答者31名の男女別・年齢別内訳

男性:20代1名、30代7名、40代4名、50代5名、年齢不明4名。

女性:50代5名。

男女不明:30代2名、40代2名、50代1名。

合計:20代1名、30代9名、40代6名、50代11名、年齢不明4名。

青年期のひきこもり、学齢期は「子ども世界」の縮小

人生百年時代といわれ、百歳を越える人も数万人に達しています。平均寿命は男性81歳、女性87歳、世界の最高レベルです。年齢の延長とともに、途中世代の内容も変わりました。個人差は大きいとしても、青年期は30歳近くまで延びました。平均的には18歳から30歳あたりが青年とよばれる時代です。

元寇の頃(鎌倉時代)、執権の北条時宗は18歳でした。このころは青年期は基本的にはありません。元服とともに大人社会に入り、その最高指揮権をとる人もいたわけです。江戸期末から明治期にかけて、“青年”が登場しました。経済社会が発展し社会が豊かになるにつれて、大人と子どもの間に青年期が生まれたのです。いまや青年期はおおよそ18歳から30歳にまで広がったのです。

高等動物であるほど、成年になるまでにより長い期間を要する——これは生物学の法則のようです。30歳まで青年期が延長されたことは、人間が動物としてより高度化したといえます。日本におけるこの変化はこの半世紀の間に起きました。

それと気づかれないままに世代間のギャップも広がりました。父母世代と子ども世代のギャップです。それぞれが体験的に感じとり身につけている生活感が以前とは違ってきたのです。親世代もこれという悪意はないのに(従来通りのやり方を続けてきただけなのに)子ども世代には受け入れ難い要素が増えました。やや大げさですが誰も悪くはないのに、親子の間のギャップがストレス発生のベースになった、といえるでしょう。

この世代間の違いは、とくに子ども側の感性のゆたかな人たちに大きな表われます。学齢期の不登校やより幅広い年代に表われるひきこもりは典型ではないか。世の移りを横に立って見つめればこう見えるのです。

青年期の前には少年期・学齢期(小学生~高校生)、その前に乳幼児期(0歳~6歳)があります。この時期の内容も半世紀前とは変わりました。当時は(1970年までの高度経済成長期以前)子ども数も多く、親世代は子ども一人ひとりに目を向ける時間がありません。他方には子どもだけの異年齢で構成されていた集団(子ども世界)がありました。そこが大人になって生活するための準備の場でした。年長者は年少者を巻き込んで、ときには保護し支配して、この時期をすごしました。それが「子ども世界」です。

その少年期・学齢期における「子ども世界」が消失した、少なくとも大幅に縮小したのが、高度経済成長期を終え現在まで続く特色の1つです。生活の多くの場面で、子どもには大人の目がいつも向けられます。保育園・幼稚園時代がその入り口です。多くの場で子どもの周りには大人の(必ずしも親に限りません)目が届いています。

もっとも世界的にみれば、日本では子どもだけで行動する時間は相当に多いようです。TV番組「はじめてのおつかい」が欧米世界で人気を博しているのはその貴重さが受けているようです。子どもだけの学校への登下校が注目される(ときには驚かれている)のはその例でしょう。ただ、半世紀前の「子ども世界」の様子を知る私には、それは大幅に縮小した「子ども世界」の残りです。

経済社会の発展のなかで、女性の働く割合が増えました。学校を終えた午後の時間の子どもの居場所として学童保育(放課後児童クラブ)が設けられたのはいつごろからでしょうか? 1970年代に急増したのではないかと推察しています。親が働き子ども世界が縮小しているから特別の対応が必要になったのです。

それ以前からあった大人の目が届く学童期の子どもの居場所は学習塾やそろばん教室などです。運動(スポーツ)や文化活動(ピアノ教室、生け花教室)などもそれに入るでしょう。これらは親たちの必要から生まれ、自然に成長してきたものです。 ここ数年の動きでは教員の働き方改革、その実際の就業時間の長さを短縮するために、部活動が注目されています。学校外のスポーツ・クラブ等に移行する動きがみられるようですが、必ずしも順調とはいえないようです。私もその一端を目にする位置にいますが、これら全体をボランティア活動とするのは、無理があります。かといって全体を親負担とするのも別の無理を感じています。これは「子育て支援」の一部として公に対応する時代に入ったのです。   

2026年の初めに世界を見る

トランプ政権(アメリカ)のベネズエラ攻撃により、世界の現況が明確になりました。世界の三大不安要因(他国への侵略意図)がロシア、中国、アメリカであると明確になったという意味です。トランプ政権の攻撃性が露呈したことは、日本を含む世界の右派勢力を勢いづけ、左派勢力も対応を迫られています。

侵略戦争が世界情勢に表面化している事態は19世紀末から20世紀初頭の植民地実効支配期を思わせます。しかし表出しているベースは100年余の期間に大きく変わりました。前は勢いづく時代でしたが、今は根底の崩壊を招く時代に入ったと確信できます。

ロシアはウクライナ侵略によって自ら崩壊の道をたどっています。経済的社会的崩壊につづいて、今年中に軍事的にも事実上の敗北に近づくでしょう。

アメリカのトランプ政権は、今年はいろいろ暴れるでしょうが、その打撃の方向はとりわけ中国になりそうです。私はこれを三大強国間の内ゲバと表わしてもいいと思います。アメリカでトランプ政権(の後継)は続かないでしょう(2028年まで)。どういう新政権が登場するのかの予測は出来かねますが、少なくとも現在の国連が持つ基準を維持する政権でしょう。トランプ政権は資本主義による世界支配指向の表出ですが、時代錯誤しています。

中国の場合(中国共産党政権)の崩壊は複雑になりそうです。周辺地域への侵略性は大幅ではないのに、他方では経済的危機が迫っています。しかしアメリカ等からの攻撃によりひび割れは大きく広がりそうです。中国の体制が崩れるのは、国家資本主義体制の変種の崩壊と考えられます。中国はアメリカよりも貧富の差が大きく、それに抵抗する表現が抑圧されている異常な世界で、とても社会主義とはいえません。崩壊はそれが露呈し政治的分裂に進むとみます。中国の崩壊は、問題の特別性によって政治心理的に被害を受けていた日本を始め、世界の左派勢力復興の土壌が固められるでしょう。日本共産党はソ連の崩壊を歓迎しました。中国の共産党政権が崩壊したばあいも歓迎してほしいものです。

要するに、三大侵略国家群の崩壊は第二次世界大戦後につくられてきた諸民族の平等、民主主義的潮流が、新しい段階に進む前に立ちはだかる障害が打破されることです。軍事的強圧と民主主義の間の揺れていた中間的潮流は、民主主義と諸民族平等の側に納得して近づくでしょう。

日本では右派的政権ができ、右派的政治勢力が伸びています。それがこの2026年の(数年に及ぶかもしれませんが)期間を通して、民主主義の側に、左派側に寄るしかないでしょう。現在の日本の左派は弱くて分裂気味です。中央にいるはずの立憲民主党はいくつかの意味でそれを象徴しています。その姿勢を明確にしなくてはならない時期に近づいているともいえます。

今回は、2026年の初めにベネズエラ主権の剥奪という事態を見て私個人の歴史の見込みを書いてみました。私は予言者ではないので、希望的な予測です。さてどうなるでしょうか。

1月のセシオネット親の会

12月のセシオネット親の会は、母親3名、ひきこもり経験者1名、それに松村さんと松田の6名でした。親の会にひきこもり経験者が混じる状態が数か月続いています。両者それぞれに得るところはあると思いますが、継続するには何かが足りません。 

親の会はコロナ禍をはさんで変わりました。不登校やひきこもりだった子どもが“ほぼ卒業状態”になっているからです。近しい関係になった同士が交流し、世相の移り変わりの中で、どう対応するかの話し合う機会になっています。

秋口からひきこもり経験者等が小人数で集まる機会を持とうとしています。また個別に話し合う機会も設けようとしてきました。「11月アンケート」が少し役立っています。これらの機会を通して現状をどうよくしていけばいいのかを考えています。こういう取り組みを今年はさらに多くしたいものです。個人的に話したい人、小グループ作りに協力できる人を求めています。

12月28日には子どもさん1名を含めて年末の新宿に集まりました。天候に恵まれ温かいなかを新宿御苑を歩き、そのご8名で食事会になりました。これというテーマで話はありませんが、この小グループがこれからも続いていけばいいと思います。

セシオネット親の会のこれからがどうなるのかは、なお自然な流れを見ながら無理をせずに続けることになりそうです。親側とひきこもり当事者側、両側それぞれから「8050問題」といわれる今日のひきこもり問題に、ささやかですが具体的に関わっていくつもりです。

1月17日の会は新年会を兼ねたものになるかもしれません。予定の取れる方の参加をお待ちしています。 

☆1月のセシオネット親の会  セシオネット親の会の1月定例会は毎月第3土曜日、午後2時~4時です。1月17日(土)14:00~16:00 場所は助走の場・雲:新宿区下落合2-2-2 高田馬場住宅220号室 参加等の連絡は、松村淳子さん(090-9802-9328)までお願いします。

向精神薬への依存を抜け出す方法

12月の親の会で、薬依存(特にウツ)にならない方法を話しました。私の知る範囲では、それからうまく抜け出した人は少ないです。本人の意志で(医師には無断で)、強引に薬を止めてしまった人がいます。ひどい離脱(禁断)症状があったとは聞きましたが、詳しいことはきいていません。今回アンケートは、そのうちの1人に送りました。「えい、やっ!」と気合いでやったと聞いたことがある人ですがまだ回答はありません。

医師とは「徐々に薬を減らしていく」よう相談しながら服用をつづけ、実際は薬が徐々に増え、より強めの薬になり、ついには薬なくては眠れない、ウツが治まらない状態になった人が多いと感じます。なかには目立つレベルのアカシジア(じっとしていられない内面的な不快感)で歩き回る、手を大きく振るように動かす状態になった人もいます。この人たちは薬を変え、入院になりました。

医師にかかると向精神薬を出されるだけで改善しないと、精神科受診を拒否する人もいます。処方された薬を自分なりに調節して(少なくして)服薬するのはその1つの対処方法になっています。うまくいかなかった例はいくつか聞いています。自分なりに調節し減薬を試みてみた。しかし、離脱症状が出て苦しくなった人がいます。本人は離脱症状をなかなかうまく説明できません。吐き気や腹痛、不安感、幻覚、無感情など入りまじった苦しさであり言葉に表わせない状態です。

それで、結局は元の服薬に戻ります。そして徐々に量が増え、より効果の強い薬に移っていき、やがて薬なくては安定しない状態へ入ります。長期の薬服用の副作用も表われていくのです。私は薬を服用しながら減薬していって、ついには薬なくしてウツなどの精神症状がなくなった人は知らなかったのです。

ところが、親の会に参加のある人から、娘さんが「前には服用していたが、今は服用していない」という話をしました。強い関心を持ったのですが、具体的な事情はわかりません。おそらく世には少なからずそういう人はいると思います。その具体的な経過を詳しく知りたいと思うのです。向精神薬の服用を徐々に減らし、ついには薬なくして精神症状から抜け出した実例をまとめたいと思うぐらいです。

親の会で出された意見では、何か熱中する対象があると上手くいくのではないか、といいます。聞いた範囲での方法は、体を動かす/散歩ウォーキング、カウンセリングを受けるなどです。しかしそれがうまくできない心身状態で結局は長つづきしません。理屈ではわかる、しかし実行は超難関です。最終的にはよく理解してその努力にねばり強くつき合ってくれる信頼できる人の存在というのに行きつきました。

精神心理を中心とする心身状態の現状報告

2025年11月作成アンケートの質問はいくつかあります。まずに健康とくに精神心理面に関する内容です。回答は最低30通を目標としておりまだ達していませんので1つの中間報告とします。

健康面では5項目の質問をしました。《ウツ症状、不眠状態、過食傾向、怒り感情、依存気分》です。この項目設定は最適でも最悪でもなかったようです。

コメントを含めた回答からいくつかを紹介します。全体の中心は「ウツ状態」です。その程度が強い、比較的表われやすい人は、継続して仕事に就くのが困難と答えています。それでも短時間就労(週20時間以内)を続けている人がいます。

「慢性的なうつっ気があり、気力が沸かなくて困る」、「気圧によって気分が左右されるような気がする。低気圧接近の時はウツになる」、双極性障害(躁状態とウツ状態がくり返される)の人もいます。

神経症に分類される対人恐怖や社会不安という回答もあります。設問にはありませんでした。「抗不安薬を服用しないと職場に行けない」、外出は母と一緒にする(30代男性)という人もいます。ウツと重なって行動が抑制された状態と考えられます。

発達障害(の可能性がある、境界線にいる)人も数人いて、これがうつ状態に関係すると答えたと思える人もいます。

「不眠状態」が強いという人は多くいません。「睡眠薬を利用しているので眠れている」との答えがありました。

「過食傾向」が強いと答えた人は少なく、意外です。「少しある」人には「ストレスで真夜中に」食べるといいます。

「怒り感情」は、抑制可能の範囲ですが「くすぶっている」「休火山状態」と表現しています。

「依存気分」は、母親が代筆回答した人のなかに数人います。前出の外出に母が同行を必要とする人は母から見れば依存でしょうが、本人にはそうとらえられないのかもしれません。

その他に、ものごとをなかなか決められない、自責の念・自己否定感が強い、極度の緊張(筋肉収縮らしい)で痛みが出るなどで日常生活に支障がある、妄想性がある…などは心理的負担状態とつながると考えられます。「子ども時代からアトピーがある」という人もいます。タバコは一種の精神安定剤という人もいます(アンケート外ですがタバコをやめると服薬が増える人もいます)。

親から心療内科の受診をすすめられながら拒否する人もいます(親の代理回答)。本人はそういう問題ではない」と考えている気がします。自由意見欄に「自身の体調が良いときでなければ、こういったアンケートに答えることも難しい状態が長くありました。福祉関係の調査では往々にしてあることですが、声をあげられるだけの状態でなければ声が届かない、という調査・研究の難しさがあるように思います」と書いた人もいます。これは注目すべき面だと思います。それとともに、私には「自分の問題に深く入って考えたくない気分」がある人もいると思っています。心療内科の受診拒否にはこういう事情があるのかもしれません。

回答内容の他の面(家族関係や住居条件、就労と生活費、国や社会への要望など)についても中間的な報告をする予定です。さらに多くの方からの回答を待っています。

小学校早朝見守り活動

江戸川区の小学校では来年4月から始業前に登校する児童を受け入れる早朝見守り事業を始めます。区立小学校は全部で65校ありますが、そのうちこの事業を先行的に実施するのが9校です。10月から始まっており私はその先行実施校で見守りを担当することになりました。 月曜日から金曜日まで、午前7時20分から8時20分までの1時間。その早朝見守り=子どもにとっては朝の居場所になるはずです。見守り役は原則6人が1日3人ずつ交代で担当します。

先行実施の様子では、児童の参加は少ないです。報告では小学校の8割で、始業前に児童が門前にいる状況だったといわれますが、実際はそうではありません。たぶん年度途中の開始であり、それまでに働く親、とくに母親たちはそれぞれ対応策をとってきたためでしょう。先行実施校では多いところで10名ほど、私の担当校では3名です。実際には毎日来るわけではなく、当日参加者は0名が続いています。

本格的な実施は来年4月からです。先行実施校の対応状況を見て全校実施の具体化をすすめていくものでしょう。ここに別の先行実施例があると知りました。主体はPTAです。児童の登校の安全見守り活動の過程で、校門前待機の子どもがいるのを確認して始めたと思われます。早朝見守りはこの状況を見てとのことと思われます。

見守りは早朝1時間という特別の事情があり、時給は1486円。比較的(?)高いと思われますが、PTAが実施している見守りにも支給されているのでしょうか。ちょっと気になります。

この事業は、働く母親の子育て支援の一端になります。それを高齢者世代が担当し(PTA実施でも高齢者の割合は多い?)、高齢者の働く場でもあります。そして教員の負担を多くしない(もしかしたら減少させる)可能性もあります。うまく軌道に乗ることを期待するとともに、他の地域にも広げていけばいいと思います。これは「子ども世界」の消失、少なくともそれが縮小している時代への対応の1つと考えられます。

福間女流六冠の「妊娠・出産期」に関する要望

「出雲のイナズマ」と知られる将棋の福間香奈女流六冠が、日本将棋連盟に要望書を出しました。タイトル保持者が妊娠や出産のため対局できないときは不戦敗とせず、その期だけの優勝者を決める暫定王者制度を設けてタイトル保持者の地位を保障するなどの提案です。

福間棋士は 2024年4月に妊娠が判明。同年12月の出産までの期間に予定されたタイトル戦で不戦敗となりました。連盟は2025年4月に出産予定日を基準に産前6週、産後8週の合計14週と日程が重なる対局は対局者を変更する規定を施行しました。

要望書は、この規定では妊娠とタイトル戦の二者択一を迫るもので出産に関する事項を自ら決めるリプロダクティブ権を制約すると指摘しています。その上で対局日程や場所を調整し、出産前後でも体調や医師の意見に応じて出場できる規定を要望しています。

この件は将棋界の女性の特別の事例のように見えますが、おそらく社会のきわめて多くの分野で生まれていると思われます。特殊であるから例外ではなく、その将棋界いう特殊性であるために広く社会の注目を集める状況になりました。

福間棋士の要望がそのまま受け入れられるのか、あるいは将棋連盟が別の方式の答えを用意して、両者が共に納得できる新しい規定ができるのか。一人の棋士の要望のように見えて、これは特殊ではなく社会の多くの分野に波及していく「妊娠・出産に伴う時期」の規定になると感じます。世の中はこうして一つずつ女性が負担になっている条件を適切に処理する方法を積み上げていくのです。共に納得できる新しい規定ができることを願います。

今回は女流棋士の内側の問題です。しかしそれは将棋界の全体に、さらには社会全体の男女・ジェンダー平等の基準の参考例になるものと考えます。福間さんは盤上の外で、こういう分野でも出雲のイナズマらしさを示しました。少子化対策を考える官民の関係者は事態を静かに見つめているのではないでしょうか。

家事育児には経済的活動とは別の社会的基準が必要

「家事育児 分担よりも一緒の意識で」は18歳の女子高校生が朝日新聞「声」欄に投書したものです。家事や育児に夫(男性)が参加すると「イクメン」などと称賛されるが妻(女性)はそうではない、おかしいではないかという内容です。男性は家事や育児を「手伝う」や「分担」という感覚ではなく「家族全員が主体的に関わっていく」「よりよい生活を一緒に目指す」そういう当事者意識が当たり前ではないかというわけです。

男女ジェンダーの平等に関して世の中かなり進んできた、その表われがあるというのが私の感想の第一です。私の高校時代や20代のころ、つまり半世紀前までは見かけなかった意見でもあります。

その上で私の感想を2点追加します。1つは「男性だけが家事や育児をすると称賛される状況」は、この移行する時代に見られる現象になるという見方です。人間がものごとを理解するには、移行期というものがあります。多くの人にが一挙に変わるというのではなく、先端部分と中心部分と遅れる部分があり、時代の流れの中で変わっていくということを認めていいと思うからです。

もう1つ私が重要だと思う点があります。家事育児が、経済的・社会的生産活動とは異なった分野として、等位に考えられなくてはならない点です。経済社会的生産は、人間の生活を支える不可欠な部分であり、それは説明の必要がないとしましょう。その社会的生産の労働は20世紀に入って金額という定量的表示を用いる価値基準が生まれ20世紀の終わりにはGDP(国内総生産)に定式化されました。

しかしGDPは国によって、あるいは国内地域や産業分野によっては測るメジャーが異なる不完全、不公平なものです。しかし金額により定量的に表わされるので、便利に安易に比較材料に用いられています。同じように家事育児も人間の生活、というよりも人間が生存する、社会が続くのに欠かせないものです。両者を並べて片側が上、もう片側が下とは言えません。

この理屈はわかっているはずですが、家事育児は社会的生産活動に比べると低位におかれて考えられています。両者は並べて対比すべきものではなく、異なる二つの分野として不可欠であることを認める——現状はそれとは違いますので、その方向に理解をすすめる必要がある。これが私の意見です。

そのためには、家事育児——私はこれを家事と家族内ケアの二つの構成部分の全体と理解していますが——この部分を表わす基準を設けられないかとあれこれ思いをめぐらしています。この基準がなくては男女ジェンダー平等の根拠において、総体として女性の得意分野をおぼろな状態にされたまま判断される事態が続きます。

家事育児はもともと労働ではなく生理活動の中心部分でした。類人猿の時期に道具を用いて労働を始めた後に類人猿は人類に進化しました。人類は労働を発展させる過程で家事育児も労働の一種にまで高めました。それでもなお家事育児の全体は労働とは言えない部分があります。それは労働とは異なる価値基準、その生理的・生活的・社会的な基準で考えられるべきものではないでしょうか。

アンケートは失礼という人もいましたが…

数日前に電話がありました。「人の事情を知らないで、アンケートと言ってひきこもり呼ばわりは失礼ではないか」という主旨でした。怒っていましたし、「すみません。配慮がたりませんでした」と謝りました。

アンケートは合計500通以上ですが数回に分けて送りました。分けたのは作業量が多いのと送料合計55000円を一回で用意できなかったためです。12月15日に最後の100通余を送ったところで、抗議電話は12月10日ですのでその前の投函分です。

今回のアンケートはいろいろ不備がありました。1回目送付の後、内容の不十分さを強く感じて[改訂] 版を作り直し、初回送付した人にも送り直しました。アンケートの名称は初回は「アンケート(回答者名不要)」でしたが、[改訂]では「長期ひきこもり経験者へのアンケート(無記名)」としました。この変更もしなかった方がよかったのです。気持ちを損じた人はこれに関係するかもしれません。4~5回に分けて送付したことも含めて、私一人で実施するアンケートの不十分さが出たのです。

以上の不十分さや礼を失することになった点もありますが、12月15日には最後の100通余を送りました。40代・50代以上になったひきこもり経験者の現在の困難を知るため、連絡がとぎれているので「事情を知るため」の目標があったことが理由です。これまで受けとったアンケート回答にはその答えがあると確信できます。まだ回答はつづいてくると思いますので全体を示すのは来年になりそうです。ここでは〔自由記述欄〕にある3例を示します。

1つは、現在は社会参加されている方からのものです。「40歳で結婚したので子育てと親の介護が重なってしまって、もっと早く結婚できていればと思います。ひきこもりの時間は当時は知識と経験がなくそうせざるを得ませんでしたが、50歳近くなって振り返ると貴重な時間を無駄にしてしまったと思います」。

もう1つは、事情に変化はないと伝える父親からのものです。「ひきこもりも20年を越え、親も80才手前となり、この先どうなるか不安ですが、本人は以前より家のこと(食器の片づけ、ゴミ出し、洗濯物干し、片づけなど)をやってくれている。親が元気なうちに先が見えればと思いますが、本人次第なので、見守ることしか出来ないのが、はがゆいです」。

こういう人もいます。「今まで完全に長期ひきこもりをしたことは経験上ありません。現在はX市にあるB型作業場に週3回通所しています。20数年あまり不登校情報センターに関わり続けています。ひきこもりではなく普通の社会を回避しがちな性格であり、中年間近かな年齢になった今も普通の社会人として生きる自信がなく、日頃より幻想しながら、日々自分らしくありたいと思う気持ちは強く日常暮らしています」。

抗議電話をしてくれた人からその日のうちに落ち着いた二度目の電話がありました。「忘れないでその後の事情に気をかけてくれて感謝している人もいる」と告げると、少し納得してくれたと感じました。

アンケートの回答が何通になるのかは予測できません。アンケート以外で電話により詳しい事情を話してくれた方もいます。アンケート回答はなくて会って話した人もいます。無記名を前提にしますが、記名の人もいます。切手不要としていましたが、切手をはって送ってくれた人もいますし、資金カンパをしてくれた人もいます。不十分な点はあるけれども必要な意義はあると思い、初めに予定した500通を送付したのです。回答を待っています。