介護施設を見学する日程が決まりました

1日の会報発行には間に合いませんでしたが、介護施設を見学する日程がやっと決まりました。
2か所あります。参加費はいずれも無料です。
(1)愛の家グループホーム板橋徳丸(板橋区)
 11月19日(月)午後(申し込みは11月15日まで)
11月21日(水)午後(申し込みは11月17日まで)
(2)愛の家グループホーム西東京中町(西東京市)
 こちらは日にちを特定しません。松田も同行したいので連絡をいただき日時を合わせたいと思います。(申し込みは参加予定の4日前まで)

両方ともそこで働くことは前提としていません。
小規模のグループホームです。
介護の現場を見ていただき、自分にできそうなことなのかどうかを体験していただく機会です。見学会は1名でも実施しますし、私も同行します。
連絡先:不登校情報センター松田武己
(FAX03-5875-3730,open@futoko.info)

木工教室で玄関踏み台と壁面のカバーボードを製作

今日はまったく初めての経験です。
「大人のための木工教室」というのに参加しました。
玄関におく踏み台と自宅裏の壁面をカバーするボードを作成。
おととい急きょ思いつき(締め切りは終えていましたが)申し込んだら受け付けてもらえました。
数年前から定期的に開かれていて気になっていた木工教室です。
今回の参加目的は誰かを誘ってこれそうかの偵察をかねたものです。
参加者は女性がやや多く、しかも高齢者の割合が多かったです。
驚いたのは歩行が困難で杖をついた人も参加していたことです。
その方は立ったまま小物置き台(?)をつくり、途中木片を落としたとき、拾うのに難儀をしていました。
関心があれば(そう強い関心でなくても)参加できるじゃないか…。
参加費は1000円。
昼食の弁当付き、作品材料は提供され、電動鋸での板・棒のカット、そして技術術導つきです。
主催している新協建設工業さんは完全に経費持ち出しの企画です。
今回で第38回。毎年6月と10月の年2回開いてきたといいます。
江戸川区内なので、近場の人が参加していると思ったのですが、神奈川県の逗子や横須賀からも参加するなどずいぶん遠くからも参加していました。
次回は来年6月ですが、そのときは誰かを誘いたいと思います。

テーマを持てれば仕事も充実します

昨年末から交通に関係するアルバイトをしています。
いろいろ気づくこともあり途中から調査することにしました。
その項目も徐々に増えています。
しかも精密さを求めて細かく調べるテーマにすすみます。
同時に多くのことは調べきれませんのでいくつかに分けるようにしています。
継続する調査、期限を区切って行うもの、たぶん短期のものを繰り返すもの…。
テーマをもって仕事をすると充実というか忙しくなります。
しばらく続けて、疑問が浮かび、なぜそうするのか考えるとテーマになります。
漠然とした動きや雰囲気を数値化しようとするとテーマになります。
いまその途上にいます。

ところで先日ある新聞記事を見て、私の調査が役立つように思いました。
そこで連絡をしたらさっそく記者と会う機会を得ました。
記事はどうなるかはわかりませんが、1つの方向が見えてきたように思います。
最後に「私に調べてほしいことはありませんか?」と聞いてみました。
なるほどと思う提示がありました。
また新たなテーマが加わりました。
もう10個ぐらいのテーマになります。
この過程は私がこれまでしてきたことを圧縮して示しているのです。

介護事業者と協力する“居場所”をめざす

ひきこもり当事者が社会に出るときの中間過程にあたるのが居場所です。
居場所に行けるようになるのもたいへんですが、その居場所からさらに先に進むのもたいへんです。
2段階あるのです。
自営業の家ならば家業手伝いの方法から始めやすくなります。
自分で仕事おこしを考える人もいます。
ネット社会ですからそれを使いこなせるならハードルは低くなります。
それでも社会の現実との段差に戸惑い、つまづく経験はあって当然でしょう。
しかし、多くの人が社会に入る形は会社に入ることです。
アルバイトやパート勤務から進む場合が多いのですが、居場所経験からこの第2段階に進む段差は相当に大きなものです。
以上は前振りでここから今日の本題です。

この居場所を人材募集している事業者が取り組むようにすれば段差は低くなりはしないか。
これが私の考える「ひきこもりから社会参加の方式」です。
この居場所づくりには私も一緒に参加するつもりです。2段階のものを1段階に近づける試みです。
この方式をもって2、3事業者に話したのですが、うまくイメージできないようです。
ひきこもりの実情を知らないのですから避けられません。
実は当事者の多くが直面したことに私も直面したのです。
私は抽象的なイメージを語るのは不得手です。
「〇さんがその種の居場所に行きます」というのがあるとイメージしやすいと思います。
そこで考えたのが次の方法です。
ある介護事業所の見学会・説明会を企画します。
就業するのが前提ではありません。働けそうなら働きたい人も、様子見の人も参加できます。
この見学会・説明会に複数の人が参加するようになり、それを繰り返すと「事業者と一緒に運営する居場所」像ができます。
その目標をもってある事業者と話し合うことになりました。
事業者もこれなら少しはイメージできるのではないか…?
地域的な条件を考えてその周辺等にいる人に呼びかけます。
足立区と東武線沿線の方を予定しています。
当事者だけではなくご家族にも参加案内するつもりです。
介護従事者にはけっこう高齢者もいますし、家族が出席することでひきこもり当事者に伝わるかもしれません。
次の会報(11月1日発行の『ひきこもり居場所たより』)には具体的な案内を載せられるでしょう。

コミュニケーション苦手な人の相談コーナーもできたハロワ

都内の職業安定所(ハローワーク)に行きました。
障害者枠と一般枠があるのですが、一般枠の中に発達障害やコミュニケーション障害者等の相談コーナーが設けられています。
予約制なのでこの日は予約だけで終わり、数日後に正式の相談になります。
相談するのは30代のNくんで、いまの仕事を辞めて転職を考えています。
予約のために同行したのですが、10分ほど担当者と話す機会がありました。
求人難の時代ですから会社の求人条件も少しは変わってきているのではないかと妙な期待もしたのです。
つまり“即戦力”求むという求人が少しは緩んでいるのではないかと思ったわけです。
私が聞いたのは、会社として事前の社内研修・見学会みたいなものを実施しているところはないかです。
Nくんはいま就いている仕事の他はわからないのでそういう機会が必要なのです。
担当者の返事は「わからない」ということですが、要はそういうことは調べてはいないということでしょう。
ただ障害者枠の求人には一部でそれに相当する動きはある感じがしました。
ハローワークの一般求人のなかに発達障害やコミュニケーション障害者等の相談コーナーができていることは前進と見たいと思います。
他のハローワークはどうでしょうか。

〔追記〕都内では、上野と足立(北千住)のハローワークにいるそうです。
他はいないという意味です。千葉や埼玉は…期待できそうにありません。

福祉系の季刊雑誌に取材依頼

福祉系の季刊(quarterly)雑誌でイタリアが精神病院をなくした事情を取り上げていました。
編集全体に信頼がおけます。みると取材・原稿を募集しています。
「自治体のひきこもり対策への提案」を取り上げてもらえればいいなと感じました。
電話で確認して概要を伝えました。原稿を書いて送るよりも取材を受けた方がいいと思えました。
以下は不登校情報センターの紹介と企画主旨の部分です。

不登校情報センターは1995年に設立し、2005年からは10年ばかりNPO法人になりましたが、その後任意団体に戻りました。
当初は不登校の経験者と家族の相談と進路先等の情報提供をしていました。
設立間もなく不登校経験者等が集まり始め、やがて彼ら彼女らの居場所になりました。
彼ら彼女らには不登校ばかりではなく、ひきこもり、発達障害、対人関係不安、働くに働けない…などの人が混じっていました。
しかもいろいろな人が入れ替わって来たのですが、年とともにその年齢層も高くなりました。
当事者は30代から50代の人が中心、親は60代から80代になります。
いま直面しているのはこの30代から50代の自立できていないひきこもり経験者とその家族の抱える問題です。
このテーマには15年以上取り組んでいますが上手くはいきません。
各地に先駆的な例もありますが広がりません。
各地の取り組みも参照にしながら、私自身が経験したことに基づき、作成したのが今回の「自治体のひきこもり対策への提案」です。
最大の特徴は、「従業員を募集しながら集まらない、後継者がいない」事業所の協力依頼です。
先駆的な取り組みで上手くいっているのは事業所との協力ができている場合です。
しかしそれは偶然的な要素によってかなえられたもののように見えます。
<従業員がいない・後継者がいない>というもう1つの社会問題と組み合わせることによりひきこもりの自立、特に経済的な自立を図ろうとするのが特徴です。
全国的に共通する条件があるからです。
事業所でひきこもり経験者を募集してきたのはひきこもり経験のある担当者でした。
以前に不登校情報センターの居場所に来ていた人もいます。
これらの事情を私が書くのではなく、取材してほしいと思うのは、違った人の目で事態を見てほしいからです。

改訂版「自治体のひきこもり対策への提案」

8月5日のフューチャーセッション庵に持参した「自治体のおけるひきこもり対策の試案」の改訂版をつくりました。
「自治体のひきこもり対策への提案」(参考資料を含め10ページ)としました。
ほんの数日のうちに改訂です。内容の骨格は変わりません。
2つの目的を明確にしたつもりです。
1つはミドルエイジのひきこもりの自立、特に経済的な自立を応援する仕組みをつくること。
もう1つは、企業(事業者)の求人難、後継者の不足にどう取り組むのか。
この2つの社会的なテーマを同時に改善・解決する方策として、自治体がミドルエイジ人材養成バンク(仮称)を設立する。
企業(事業者)が非就業者を対象に、その業務内容を講習する機会をつくり、自治体設立のミドルエイジ人材養成バンクが、事業者と非就業者を結び付ける。
これらの点を整理し、書き直したのが改訂版です。
この改訂版を江戸川区議会と東京都議会の全会派に送りました。
またこれはという人にも送付しています。
これまでのいろいろな意見や動きを参考にしているとはいえ、最後のところは1人でまとめました。
それだけに思わぬ欠陥があるかもしれません。
いろいろな立場の人の意見を聞きながらさらに改定を重ねる予定です。
現在の改訂版企画書を送料100円(切手可)で、送らせていただきます。

仕事を好きなことにした方法

6月20日「ストレスを感じるばあいとは」の続き、「好きなことしかしてこなかった」を書きましょう。
わかりづらいかもしれませんが、このテーマで書いています。
1964年4月、私は高校を卒業後17歳8か月から職に就き、働き始めました。
初めの16年は医療事務、次の16年は編集者、その次は不登校情報センターで23年余り。
合計55年になります。
働くのは好きです。好きな仕事をしてきたから働けたともいえます。
しかし、その間に嫌なこともありました、したくないこともしたはずです。
でも大きな流れのなかでの短い、小さな逆流です。

最初の医療事務は自ら選んだものではありません。
大阪市の職員として職に就き、働き先に市立大学を希望しました。
4月から同じ大学の夜間部に入学したことが影響したかもしれませんがよく覚えていません。
大学を希望したのですが、その附属病院は想定していません。
しかし、嫌だとは思いませんでした。ここで10年働き、退職し上京しました。
大学病院の10年は長く、その間に何をテーマにしていたのかは全部を思い出せません。
医療保険制度を知る(これは仕事そのものです)、患者さんと話しながら社会状況を知る(大学病院は釜ヶ崎地域に近く、労働者街がありました)=労働災害のおじさんさん達からその職業の様子をよく聞きました。SMON病というのが社会問題になったときは内科を担当していて、医師からSMON病患者さんの様子を聞きました。
眼科担当のときがいちばん実際的で自分の目の状態を話しながら教わりました。医療事務にコピー機(ゼロックス)が導入された時期にはその使い方の工夫をテーマにしました。
以上は仕事のなかでの期間の短いテーマです。
仕事以外の場に学ぶ目標ができました。
大学には通学できず(仕事の性格上、始業時に間に合わない時期が繰り返された)、授業外で社会科学サークルに取り組み、あるころから必要があり英語の翻訳をつづけました。貴重な時間でした。
しかしこれらのテーマは全体としては散漫なもので、最初の10年は自分のテーマを仕事に持ち込むという点ではたいしたことはなかったと思います。
上京した直後に、機械製作会社の事務を1か月、室内のパーテイション販売会社の事務を1か月ぐらいしたことがあります。
テーマがみつからない、まだそういう意識が低く自然と浮かんでくるテーマがなかったと思います。
仕事が合わないと判断して短期間でやめました。
定着した職は医療事務のある診療所です。大学病院で始めた医療事務に落ち着きました。
前回にこう書きました。
<取り組んでいる仕事の中に自分なりの目標や楽しみを持ち込んだ。>
初めからそういうものを見つけられるわけはないし、そういう意識もなかったはずです。
しかし、仕事を続けるなかでテーマを感じたのです。
上京後に短期間に2つのやめた仕事を思い出したことで、逆に仕事を続けられた条件が見えてきたようです。
働き続けたのは小さな診療所です。
しばらくしてからカルテ管理の大改造に取り組みました。
カルテを探しづらい、重複もあります。
そこでカルテを患者個人の単位で一元化する必要性を感じました。
その診療所にあった全てのカルテを集め一元化しました。
小さな診療所とはその地域の人が来るところであり、住民多数の受診記録(情報)を把握する勢いであったかもしれません。
事務室を改造するときにはカルテ保管のために壁面全体をカルテ入れの場にするように提案し実現しました。
情報収集的な指向が表面化したみたいです。
振り返るに事務的な仕事といっても、人を対象にしていることが何らかのテーマを思い浮かべる前提になると思います。

次の仕事は教育関係の編集者です。
結婚相手の父親が出版社の社長です。実は結婚したときは、定職がなくフリーの医療事務というバイトをしていました。
1年後ぐらいに義父から誘われて出版社に入りました。
出版はほとんど知らない世界です。見よう見まねですが、おもしろいと思いました。
大学時代の友人にガンになり片腕を失くした人がいました。結婚して子どもがいたのですが、その体験記を書いてもらいました。出版したところ、これが大ヒット企画です(映画にもなりました)。
最終発行部数は聞いていないのですが、10万部は行ったと思います。
ただこれはまぐれ当たり、ビギナーズラックでしょう。しかも私の得意とする手段による企画とは言えません。
その後、月刊教育誌の編集担当になりました。たぶん企画するのが好きで、編集との相性はよかったです。
この時期に、子ども時代から習性の情報収集的な方法を少しずつ取り入れました。
現在に続く、不登校関係の情報本の企画はこの時期の後半に始まりました。
情報収集的な方法と事典づくり傾向で企画したものがかなり多いと思います。
事典という体裁で本になったのは『中学生・高校生のための仕事ガイド』という事典です。
1年半ぐらいは原稿を書き続けました。
情報収集型の出版企画もタイプが少しずつ違う方法で試してみました。これは貴重な経験になっています。
出版社時代に企画したことはそのまま不登校情報センターにつながりました。
その後、ネット上での情報収集と情報提供に転換し、不登校情報センターのサイト制作に継続しています。
医療事務にしても編集にしても与えられたことをこなすだけなら、おもしろく感じられらなかったはずです。
始めてしばらくしたところで、自分なりのテーマを感じる。
やがて企画という形にし、与えられた仕事を自分のテーマに置き換えて追及する。
それに情報収集という方法も取り入れています。
こうすると仕事自体が好きなことになります。
これが仕事を含め私が物事を継続してきた背景理由です。

質問には「ひきこもりと一緒にいることは「好きなこと」だったのか」というのもありました。
不登校情報センターの活動の一部でもありますから、次回はそれに答えましょう。

ストレスを感じるばあいとは

前回の続きは「ひきこもりと一緒にいてストレスはなかったのか」という問いです。
これまでを振り返ってみました。
他の人との比較は難しいのですが、私は感情的なことを受けとめるのは下手というか重点はなかったと思います。
会話を含む表情全体から話す人の状態像、内容の論理性(それなりの筋道が通っているもの)を把握しようとしているはずです。感情的な面はつかみかねて、多くは素通りと思われたかもしれません。
話す内容の筋道がつかめない場合は困ります。経過の積み重ねを確かめようとします。
相談(話す)内容がバラバラであれば、聞き流して落ち着くのを待ちます。
これらもストレスを少なくする受け答えです。
そういう訳で全般的にストレスを少なくする対応方法をとっていると思います。
よく話を聞く方だと思いますが、こう振り返ると忍耐強いのとは違いそうです。
受け取るストレスを少なくし、また感情的なことへの感受性が弱いと考えられます。

そういう中でもストレスを感じる場合はあります。
ストレスを感じるのは依存される場合ではないでしょうか。
ところで私はひきこもる当事者に対して依存から始めるのを“奨励している”と思います。
依存禁止ではなく、依存状態が私とその人の関係のスタートになるからです。
依存しながら自分の状態を話し、表現し、知り、徐々に依存から抜け出していく。それが人間でしょう。
初対面のころは、本人も何かを決心していることがあり依存的な振る舞いは少ないです。
顔を合わせる機会が増えるにしたがい、慣れ、親しさが生まれ、人によっては依存的な状態が現れます。
このような過程をたどるのが基本というか多数の場合です。
その後は、私以外の他者(近くにいる当事者や家族に対して)との関係も少しずつ似た過程をたどります。
それが助けになっていくと考えています。

しかし、ここでブレーキのかかる人がいます。
ブレーキがかかった状態で何とか動いたかもしれません。
他者との関係が始まらない、それに比例して(?)私への依存が強まる、いわば独占状態に向かう人がいます。
このときの私の基本対応は、「学習の機会にしよう」というものです。
深い状態にある人は抱える問題も深く、学べる内容もあると予測するからです。
私がひきこもりを理解したのは、こういう人からの言動や振る舞いから学んだものです。
身体科学や精神医学に関心も持ったのはこういう人たちの“みちびき”によるもので、感謝しています。
これはストレス発生の要素になることを別のものに置き換えたわけです。
裏を返すと器用に対処したわけで、器用貧乏でもあります。
取り組んでいることに自分なりの目標や楽しみを持ち込み、継続した方法です。
仕事を含め私が物事を継続してきた背景理由です。

ところがそうは進まない人がいます。その人と私の相性に関係するのかもしれません。
思い返してみるに、何も学べないばあい(私の学習能力がたりない!)、私への指示命令になるばあいです。
境界性パーソナリティ障害がはやった時期がありますが、そのころの経験です。
前回「遠慮がちで他の人を優先する気持ちが並外れで面後臭くなる」例をあげました。
これなどはまだいい方でしょう。
ストレスを感じるのは自己否定と強い依存状態が同時に表われるときです。
「自分はどうする」というものはなく(出来ない理由は出てくる)、周囲に対してああしてほしい、こうした方がいいと話す。ついには不満を発し、攻撃的になったり、指示的になる人です。
こういうときにストレスを感じます。
しかし、これまでの経験ではきわめて少なかったと思います。
わずかなことでも「自分はこれならできそう」、それが見えるとストレスは感じなかったと思えるのです。

「ひきこもりと一緒にいてストレスはなかったのか」の問いの答えになっているかは微妙ですね。
総じていえば、ストレスを感じることは少なかった。
しかしゼロではないと思いますがどうでしょうか。
ただ質問には私が「好きなことしかしてこなかった」と言っていたが、ひきこもりと一緒にいることは「好きなこと」だったのか。そういう前書きがあります。
その部分も間をおいて書いてみます。

福祉事務所経由の就労支援プログラムを知る

都内の福祉事務所に行きました。
生活困窮者自立支援法ができてからは、福祉事務所は生活保護の相談とは限らず、前進するかもしれない一方で複雑さを感じています。
訪ねて行ってわかったことが一つ。
この区では自立相談支援事業を始めていて、自立相談支援員がいます。
就業につながる取り組みも行われています。
この日は同行したNくんの状態に沿っていくつかの取り組みを紹介してもらいました。
Nくんの状態は、週5日のフルタイムで働けると想定できません。
その状態からどう進むのかのやりとりしました。
短時間労働、パートタイム、アルバイトあたりから働く機会を持てるように進む条件です。
自立相談支援事業を通すと、就労支援のプログラムに参加できる道もあります。
清掃作業、墓地清掃、農業体験、缶バッチ針付け、調理実習、パソコン教室などのプログラムです。
希望するものに参加できる方法です。
Nくんはコミュニケーションが苦手なので、このプログラムに参加できれば対人関係やコミュニケーションを経験する場になると思いました。