ひきこもり経験者は友田さんをどう見ましたか

5日の友田明美さんの活動紹介番組をみました。
児童精神科医として特に虐待を受けた子どもの様子と父・母へのかかわりに焦点がありました。
ひきこもり経験をした大人たちはどう見たのでしょうか?
ちょっとそこが気になっています。
自分の子ども時代を思い返された人がいるかもしれません。
そのあたりは省略して私が受けとめたことを簡略に話します。
(1)「親が変われば、子は変わる」⇒親は変わらなくても子は変われる。
大人になった人にとっては親に変わることを期待できないでしょう。
友田さんのところに子どもを連れて行ったのは親です。そういう親なら「変わること」を期待してもいいでしょう。
自分の親は相談に動かなかった、そういう人が多いものです。
そういう人は「親は変わらなくても子は変われる」と勧めたいと思います。
(2)友田さんは子どもの回復をMRI(磁気共鳴断層撮影)診断による脳内の変化で確認しました。
大人になったひきこもり経験者にはこれを期待できません。
しかし、「もう遅い」のではありません。
マルトリートメントに対抗して成長した脳神経系を生かして、自分なりの道を探す方法があります。
いまの条件の中で人間関係を重ね、自分の特徴・能力を生かせる環境をつくることです。
ひきこもり経験者が集まる居場所(少人数でもよい)はそれに有効な場所です。
自分の特徴・能力とは、気づかないままよくしていることが関係します。
居場所などでつながった人が自分に向けて話す何気ない一言がそれを教えてくれます。
協力者・相談者がいるといいですが、専門家ではなくつながった人が協力者・相談者になるかもしれません。
番組をみて他にも考えることがありそうです。いずれ詳しく書いてみるつもりです。

NHK夜の番組で友田明美さんが紹介されます

11月5日、本日夜10時25分からのNHKテレビ「プロフェッショナル」を見てください。
小児神経科医の友田明美さんが紹介されます。
今年、私はようやく“マルトリートメント”(不適切な関わり)という言葉を知りました。
ひきこもりという状態の重要な部分が虐待やいじめを含む“マルトリートメント”によるものであると知りました。
虐待やいじめに限らずいろいろなハラスメントといってもいいと思います。
2006年に私は『ひきこもり 当事者と家族の出口』という本を書きました。
その時はマルトリートメントという言葉もその内容も知りませんでした。
しかし、この本に書いたことの多くはマルトリートメントによって引き起こされたもの、すなわちマルトリートメント症候群です。
そのマルトリートメントを知ったのは友田明美さんの新聞記事を読んだ時からです。
今日は友田さんの30分余の紹介を通して、その過程を見ようと思います。

[http://www.futoko.info/zzmediawiki/マルトリートメント症候群に衝撃をうける]

「甘えかたがわからない」とは

ある日の午後に電話がありました。
その場にいた人と私は話し中なので、ゆっくり電話を聞く時間がありません。
そう告げたのですが、精神的にセッパ詰まった感じで電話主はこう言いました。
「じゃあ何か言ってください!」と。
「どういうこと?」
「私が元気になるような、勇気づけられること」
こういう要望に対して、私はうまい言葉が浮かびません。
そのときも何かを言ったのですが、つまらないことのはずです。
元気になるとか勇気づける言葉ではなかったことは確かです。

電話が終わった後、同席していた人に話しました。
「すごくわかりますね」それがこの人の感想です。
私と言えば「元気になるような、勇気づける言葉が出ないね。いや、僕はほめるのがへたなんですよ」と告白。
なぜなんだろう?
そう、その場を取り繕うような言葉を飾ってうまく切り抜けるやり方に嫌悪感があるのです。
当事者にはそういうその場かぎりの言葉ってバレバレじゃないですか(それでもないよりはいいという人もいますが…)。
一般人には通用する社交的な言葉は当事者にはしらじらしいものだとの思いがあるのです。
自分で実感していることしか話せない、話すべきじゃない。
私にはそういうのが心の奥にあって、その場にあった取り繕いの言葉を考えないようにしているのだと気づきました。
そういう“努力”をむなしく感じて放棄しています。実はこれも私の居直りの一つです。
私の“居直り”が無害なものであるとわかっていただけますか? そして自己肯定の形であることも…。

その日の深夜、午前1時25分、先ほどの電話主からメールが届いていました。
「甘えかたがわからない」という題になっていました。
あるカウンセラーさんとのいい体験エピソードが書かれていました。
そのメールを読んでいるうちに感じたことはこうです。
そうか、「甘えかたがわからない」が依存しやすい理由の1つかもしれない、と。
甘えられないのと依存するというのは対極にありながら、同じ心性の表われ方なんです。
両極端にあらわれる例です。
そしてこれはまた子ども時代にうまく甘える(依存する)ことができなかった後遺症でもあると思いました。
言い換えるとマルトリート症候群の1つの状態像かもしれません。
人は甘え(依存)を経験しながら、依存を抜けていくのです。
幼児期にうまく依存経験できないと成人後に依存的な様子を残していきやすいのです。
これには理由があり、私は成人後のこのような依存は必要だと思っています。
そのような依存できる対象が必要、という意味です。
それと並行して“対等な”人間関係を経験する必要もあります。居場所にはその役割があります。
依存や人間関係を経験しながら、人は依存の心性から抜けられるのでしょう。
わりと最近の出来事です。

講演と相談会「ひきこもりから社会参加の道」

ひきこもりの人も年齢を重ね、私が関わる人も30代、40代、50代になっています。
親も高齢化し、「8050問題」とか「7040問題」と言われます。
これからどうなるのか、どう進むのか。
考えあぐねている人は少なからずいるでしょう。
そういう当事者と家族向けに、人と関わり、社会に参加していく方法を話します。
ひきこもり当事者に限らず、親・家族のご出席を呼びかけます。
講師・相談:松田武己(不登校情報センター代表)
日時:2018年11月13日(火曜日)午後3時~。
場所:江戸川区平井コミュニティ会館1階第2集会室
 *江戸川区平井4丁目18-10、JR総武線平井駅南口から8分。
 ◎連絡いただければ案内地図を送ります。
参加費:500円、当事者無料(自己申告による)。
講演の後は相談タイムとし、終了は5時です。
主催・連絡先:不登校情報センター
 FAX;03-5875-3731
 メール;open@futoko.info (松田)

介護事業者と協力する“居場所”をめざす

ひきこもり当事者が社会に出るときの中間過程にあたるのが居場所です。
居場所に行けるようになるのもたいへんですが、その居場所からさらに先に進むのもたいへんです。
2段階あるのです。
自営業の家ならば家業手伝いの方法から始めやすくなります。
自分で仕事おこしを考える人もいます。
ネット社会ですからそれを使いこなせるならハードルは低くなります。
それでも社会の現実との段差に戸惑い、つまづく経験はあって当然でしょう。
しかし、多くの人が社会に入る形は会社に入ることです。
アルバイトやパート勤務から進む場合が多いのですが、居場所経験からこの第2段階に進む段差は相当に大きなものです。
以上は前振りでここから今日の本題です。

この居場所を人材募集している事業者が取り組むようにすれば段差は低くなりはしないか。
これが私の考える「ひきこもりから社会参加の方式」です。
この居場所づくりには私も一緒に参加するつもりです。2段階のものを1段階に近づける試みです。
この方式をもって2、3事業者に話したのですが、うまくイメージできないようです。
ひきこもりの実情を知らないのですから避けられません。
実は当事者の多くが直面したことに私も直面したのです。
私は抽象的なイメージを語るのは不得手です。
「〇さんがその種の居場所に行きます」というのがあるとイメージしやすいと思います。
そこで考えたのが次の方法です。
ある介護事業所の見学会・説明会を企画します。
就業するのが前提ではありません。働けそうなら働きたい人も、様子見の人も参加できます。
この見学会・説明会に複数の人が参加するようになり、それを繰り返すと「事業者と一緒に運営する居場所」像ができます。
その目標をもってある事業者と話し合うことになりました。
事業者もこれなら少しはイメージできるのではないか…?
地域的な条件を考えてその周辺等にいる人に呼びかけます。
足立区と東武線沿線の方を予定しています。
当事者だけではなくご家族にも参加案内するつもりです。
介護従事者にはけっこう高齢者もいますし、家族が出席することでひきこもり当事者に伝わるかもしれません。
次の会報(11月1日発行の『ひきこもり居場所たより』)には具体的な案内を載せられるでしょう。

「感覚が鋭いという発達障害」について

昨日の続きです。ある記事の中に見つけた言葉です。
しばらく前にNHKの番組でも「感覚が鋭いという発達障害」と取り上げられた放送があり、アレっと思ったことがあります。
発達障害とは先天的な脳神経系の特異性によるものです。
学習障害(LD)、注意欠如・多動性障害(ADHD)、アスペルガー症候群(または自閉症スペクトラム)が代表例です。
じつはチック障害、吃音症(どもり)なども発達障害とされます。
厚生労働省のHPの説明ではこうあります。
<生まれつきの特性で、「病気」とは異なります
発達障害はいくつかのタイプに分類されており、自閉症、アスペルガー症候群、注意欠如・多動性障害(ADHD)、学習障害、チック障害、吃音(症)などが含まれます。
これらは、生まれつき脳の一部の機能に障害があるという点が共通しています。
同じ人に、いくつかのタイプの発達障害があることも珍しくなく、そのため、同じ障害がある人同士でもまったく似ていないように見えることがあります。
個人差がとても大きいという点が、「発達障害」の特徴といえるかもしれません。>
このあと、代表的な発達障害3種類の簡潔な説明がつづきます。
しかし、感覚過敏症に類するものは発達障害の説明にはありません。
私が書いた「マルトリートメント症候群」の記述もこれと軌は同一です。
ただし私は感覚の繊細さ(場合によっては感覚過敏症)の関係をこのエッセイの後半に書いています。
感覚の繊細さは先天性であるけれども、それ自体を発達障害とはしていません。
感覚の精細さが後天的な要因によるマルトリートメント症候群に結び付くと書いているのです。
それはこういうことです。
マルトリートメント症候群はいろいろな不適切のかかわりによりつくられる症状です。
それは例えば身体障害であったり、発達障害であったり、LGBTであったりします。
見かけ上の風貌や生活の貧しさによる差別的な扱いが関係する場合もあります。
虐待やいじめは不適切なかかわりの代表例といえるものです。
そういう不適切なかかわりがあった人(とりわけ子どもの場合)にマルトリートメント症候群になりやすいのです。
注意してほしいのは、なりやすいということは“ならない人もいる”ことです。
マルトリートメント症候群になる人とならない人がいるのです。
この違いはどこからくるのか。
不適切なかかわりの程度や種類に関係します。
もう一つは当人の感受性の強さが影響するし、感覚の精細さが関係するのです。
マルトリートメント症候群はいくぶん発達障害と似た状態を示します。
この理解では、発達障害であってまたマルトリートメント症候群というのもあり得るわけです。
結論は「感覚が鋭いという発達障害」というのは、少なくとも現在の発達障害の理解を間違えています
混同させやすい表現です。
ところで私見ですが、いつか感覚過敏が発達障害の1つに認められる可能性は必ずしも否定できないとは考えています。
昨日書いたハイリー・センシティブ・チャイルドが発達障害の1種と認められる可能性は排除できないともいえます。
ややこしい説明ですが、これが現状です。

ハイリー・センシティブ・チャイルド(HSC)

「マルトリートメント症候群」に関して、気になる点が3つあります。
いずれも感覚に関係します。
(1)「感覚が鋭いという発達障害」という言葉を聞いています。どういうことでしょうか?
(2)日本人の感覚がとりわけ鋭い、という状況について
味覚の中に「旨味」を見つけた日本人。
甘い、辛い、酸っぱい,にがいが人類共通の味覚であったのに、そこに旨味を追加しました。
虫の音を、騒音としてではなく、音色として受けとめる聴覚は日本人の特徴のようです。
(3)感覚が鋭いという子どもに対して、「ハイリー・センシティブ・チャイルド」という言葉があります。

それぞれ思うところはありますが、ハイリー・センシティブ・チャイルドは週刊女性PRIMEで知ったことです。
それを「ひきこもり周辺ニュース」に転載しました。
http://www.futoko.info/zzmediawiki/ハイリー・センシティブ・チャイルド

マルトリートメント症候群と先天的な要因

私なりのマルトリートメント症候群の理解では、発達障害とは違いそれは先天的・遺伝的な状態・症状ではありません。
では先天的・遺伝的なことは関係がないかというとそうとも言えません。
それに関係する体質や気質はあります。
感覚が鋭いのです。これは病状ではありません。
感覚には視覚、聴覚、味覚、皮膚感覚、嗅覚それに平衡感覚があり、これらを五感といいます。
平衡感覚は五感という言葉が生まれた後に認識された感覚のはずです。
六感というと別の意味があるのでここでは六番目の五感(!)としましょう。
皮膚感覚を除く全体を特殊感覚と言います。
さらに内臓感覚というのがあり、これは皮膚感覚(接触感・圧迫感など)と合わせて体性感覚と呼ばれます。
感覚の表われ方や程度には個人差があります。これらを細かく書くのは省略します。
平均的な感覚の持ち主ではとらえられないものを、感覚の鋭さによってとらえてしまうのが特徴です。
病気ではないし優れたものですが、不便なことはあります。
鋭利な刃物は取扱注意になるのと似ています。そのあたりも省略します。
人によっては感覚過敏症という病気に診断されますが、それではせっかくの特殊な才能を壊しかねません。
特別な感覚の中で注目したいのは内臓感覚に関係することです。
周囲の人の気持ち・感情もまた敏感にとらえてしまいます。
これは五感によることを前提として、腸感覚(内臓感覚の中心)が働いていると思えます。
気持ちがいい、なんだか変だ、などを自分と周囲に感じるときです。
「なんだか変、不気味」など論理的に説明が難しいときの状況把握です。
からだ全体で感じるように思うのですが、中心は腸感覚でしょう。
そこを中心に人の気持ちや感情を察知する力が優れているのです。
じつは幼児期の多くの子どもがそうです。
関わる人に対する子どもの反応が外れることがないのは多くの人が知るところです。
詳しく研究されたものを見たことはありませんが、腸感覚あるいは内臓感覚にも個人差がありそうです
(もしかしたら特殊感覚以上に個人差が)。
子ども時代からの生育過程で、平均的な感覚の持ち主以上に自分に向けられた感情を受け取ります。
ときには自分ではなく周りの誰かに向かって発せられる強い怒りなどの感情表現も取り込みます。
不登校の子どもの事情にはそういう事情が関係します。
そう理解すると説明がつくことはある、というべきかもしれません。
子どもに対して「なぜ学校に行けないのか」と聞いても、子どもには答えようがないのは当然でしょう。
自分が体験した虐待、いじめ、無視、押し付け、自分か普通に大事にされていない…がストレスとなって蓄積しています。
その表われがマルトリートメント症候群。
これが私のマルトリートメント症候群の理解です。

福祉系の季刊雑誌に取材依頼

福祉系の季刊(quarterly)雑誌でイタリアが精神病院をなくした事情を取り上げていました。
編集全体に信頼がおけます。みると取材・原稿を募集しています。
「自治体のひきこもり対策への提案」を取り上げてもらえればいいなと感じました。
電話で確認して概要を伝えました。原稿を書いて送るよりも取材を受けた方がいいと思えました。
以下は不登校情報センターの紹介と企画主旨の部分です。

不登校情報センターは1995年に設立し、2005年からは10年ばかりNPO法人になりましたが、その後任意団体に戻りました。
当初は不登校の経験者と家族の相談と進路先等の情報提供をしていました。
設立間もなく不登校経験者等が集まり始め、やがて彼ら彼女らの居場所になりました。
彼ら彼女らには不登校ばかりではなく、ひきこもり、発達障害、対人関係不安、働くに働けない…などの人が混じっていました。
しかもいろいろな人が入れ替わって来たのですが、年とともにその年齢層も高くなりました。
当事者は30代から50代の人が中心、親は60代から80代になります。
いま直面しているのはこの30代から50代の自立できていないひきこもり経験者とその家族の抱える問題です。
このテーマには15年以上取り組んでいますが上手くはいきません。
各地に先駆的な例もありますが広がりません。
各地の取り組みも参照にしながら、私自身が経験したことに基づき、作成したのが今回の「自治体のひきこもり対策への提案」です。
最大の特徴は、「従業員を募集しながら集まらない、後継者がいない」事業所の協力依頼です。
先駆的な取り組みで上手くいっているのは事業所との協力ができている場合です。
しかしそれは偶然的な要素によってかなえられたもののように見えます。
<従業員がいない・後継者がいない>というもう1つの社会問題と組み合わせることによりひきこもりの自立、特に経済的な自立を図ろうとするのが特徴です。
全国的に共通する条件があるからです。
事業所でひきこもり経験者を募集してきたのはひきこもり経験のある担当者でした。
以前に不登校情報センターの居場所に来ていた人もいます。
これらの事情を私が書くのではなく、取材してほしいと思うのは、違った人の目で事態を見てほしいからです。

改訂版「自治体のひきこもり対策への提案」

8月5日のフューチャーセッション庵に持参した「自治体のおけるひきこもり対策の試案」の改訂版をつくりました。
「自治体のひきこもり対策への提案」(参考資料を含め10ページ)としました。
ほんの数日のうちに改訂です。内容の骨格は変わりません。
2つの目的を明確にしたつもりです。
1つはミドルエイジのひきこもりの自立、特に経済的な自立を応援する仕組みをつくること。
もう1つは、企業(事業者)の求人難、後継者の不足にどう取り組むのか。
この2つの社会的なテーマを同時に改善・解決する方策として、自治体がミドルエイジ人材養成バンク(仮称)を設立する。
企業(事業者)が非就業者を対象に、その業務内容を講習する機会をつくり、自治体設立のミドルエイジ人材養成バンクが、事業者と非就業者を結び付ける。
これらの点を整理し、書き直したのが改訂版です。
この改訂版を江戸川区議会と東京都議会の全会派に送りました。
またこれはという人にも送付しています。
これまでのいろいろな意見や動きを参考にしているとはいえ、最後のところは1人でまとめました。
それだけに思わぬ欠陥があるかもしれません。
いろいろな立場の人の意見を聞きながらさらに改定を重ねる予定です。
現在の改訂版企画書を送料100円(切手可)で、送らせていただきます。