実践と実務を通してみる不登校・引きこもりの状況変化

先日あるメディアの記者と話しました。
聞かれたのは、「不登校の最近の状況」というか、「不登校状況の最近の傾向」というあたりです。
私は実践活動を通して、また学校・支援団体の情報集めという実務作業を通してこの状況を見てきました。
背景として、子どもの状況に対して学校教育がうまく対応してない事態があちこちで生まれています。目を向けているのは政府というか行政部門です。私の関わる民間の教育運動では前から学校外の教育に目を向けてきました。
それを記者に説明するのに簡単なペーパーを作成しました。かなり図式化したものです。

(1)不登校の中心=先天的な要因(感覚が鋭い=聴覚・視覚・嗅覚など)=繊細な感性。
*ネイティブな不登校・ひきこもり(ファンダメンタルな不登校・ひきこもり)であり、この部分を見失う対応は表層の子ども・青年の対応にとどまる。深層には踏み込めないでしょう。
(2)不登校に至る周辺事情=後天的な要素(いじめ・虐待。家族・家庭や学校の対応力の不備、貧困の広がり)=社会的・対人関係などにより子どもの表現は不登校だけではない。しかし繊細な感性をもつ人が影響を受けやすいものです。
*不登校状況の変化には、この後天的な要素がより多くの原因になってきたことが関係している。
(3)社会的な対応(初期=80年代から90年代)
3つの互いに協力する対応が自然に生まれた。同一組織からミニネットワーク型まである。
①親の会の誕生、②相談活動の始まり、③フリースクールの誕生。
(4)時代が進むにつれて社会的な対応の3つの部分がそれぞれ変化してきた。
親の会の誕生⇒子どもの成長と共に縮小傾向。引きこもりや発達障害系の親の会の成長。いじめや虐待の増大、貧困状況に対する対応は親の会では難しい。この状況に置かれた親はグループになりにくい。親の会につながるのは少数。
相談活動⇒カウンセラーが多数生まれたが、職業としてなかなか成立しない。ごく少数が継続するようになっている。新規誕生と活動中断の2つの流れが同時に進行しているように見える。より行動的なソーシャルワーカーなど福祉的な活動が求められる(?)
フリースクール⇒生き残りをかけて通信制サポート校や通信制高校の設立と内容の多様化。進学校をめざすがそれ以上に学校外教育の充実、自然体験、対人関係づくり、アート指向、コミュニケーションの充実、職業体験など独自性を発揮しようとしている。全体として対人関係が苦手な生徒の対応に向かっている。
これらが子ども・生徒の状況変化に対応する社会的な状況になっているのではないか。
(5)制度的・政策的な対応
ニートの定義、発達障害への支援、適応指導教室の設置、ひきこもり支援センターの設置など。
それぞれが意味と役割のある取り組みではあるが、状況全体に対してはなおささやかなレベルにあると考えられる。

メンタル相談を充実のためカウンセラー養成・訪問を追加

4月29日「大型連休には関係なく事務作業グループ等に4名が参加」のなかで、カウンセラーの養成学校などの情報を紹介する方向を書きました。そういう専門機関のリストを作成しました。
(1)専門的なカウンセラー等の養成機関を集め、支援者養成機関ページをつくる。
これが直接的な結論です。実例はあります。
ところがすでにメンタル相談ページに紹介する施設でも養成講座等を行っているのに気付きました。そこでメンタル相談ページを充実・拡充する面から見直しました。
いろいろ追加事項や改善事項も浮かびますが、取り入れるのは次の3点。
(2)カウンセラー・セラピストなどを養成する団体・施設とその内容を追加する。
(3)訪問活動をしている相談室等の情報を追加する。
(4)カウンセラーなどが自らメンタル面の経験者のときは体験手記または文章化した経歴を紹介する。
全部でこの4点を「メンタル相談」ページの充実策として追加します。
大学・大学院の心理学部の扱いは後日のテーマとします。

きょうの不登校セミナーで感じたこと

本日の不登校セミナー(トカネット)は珍しかったです。基本的には不登校の親の会ですが異色の参加者がいました。引きこもりの時期を含む8年をかけて某大学に入った男性。不登校、過食、うつなどを経験した女性。2人から体験談を聞かせてもらいました。
詳しくは書けませんが二人の話しともすごくよかったです。自分のそれぞれの時期の状態を客観的に話せるようになっていることが特に印象的でした。そうなるまでの過程をとばさないでおきたいものです。

私が感じたのは不登校状態になったときの周囲の人からのアドバイスです。
これは出席された親の話しにあったものです。支援するとした人からの“させられ体験”がその後、別の支援をおそれるときがあります。
支援は、伴走の形や、「場をつくること」がいいのではないか。どうするのかは本人の課題でしょう。成長の過程を通らないで支援者が大事と思うことを“指導する”と、当事者には“させられ体験”になりやすいと思います。

悠々ホルンさん応援団の“作戦会議”

12日の夕方、悠々ホルンさんに来ていただき、藤原宏美さんと一緒に“作戦会議”をしました。10日の朝日新聞夕刊に紹介された悠々ホルンさんの記事をどう生かすかの作戦会議です。
新聞記事にも取り上げられた「子どものSOS」という言葉を使い「子どものSOSの会」という形で小さな取り組みを進めていこうという方向です。悠々ホルンさんのチャッチフレーズを「子どものSOSソングライター」としていますから、この「子どものSOS」はまさに一致するわけです。
具体化した取り組み内容は決定力不足の感はあります。こちらから大きな企画は用意できません。できることを地道に続けながら周囲からの協力を待つ形です。
朝日新聞を見て1つの照会が入っていますので、それがかなうかどうかが最初にあります。
5月中旬に『不登校支援の東京都東部ガイドブック』の完成を待って作成委員会の企画集会があります。
6月21日には足立区の「子どもど真ん中プロジェクト」に参加することが決まっています。
これらの比較的小さな取り組みを着実に重ねていくなどのごく当たり前のことを話しあいました。

引きこもりからの自立と支援方法はどう関係するか

引きこもりから自立するためにある入所施設に入った。結果はかえって状態が悪くなったという話が出ました。あそこに行かなければこうはならなかったと悔んでいるのです。
今月の「大人の引きこもりを考える教室」でこの話を聞き、どう答えるかを考えるうちに、心の奥にある大事なことが明瞭になりました。
引きこもりから自立に向かう過程にはいくつかの状態があります。そのなかでも強いストレスや怒りを感じたとき、それを表現できる状態かどうかが重要です。表現できず自分の内側に仕舞い込むしかないと状態は悪くなります。このストレスを表せるか・表せないかの差が分かれ目になります。これはその人の気質や性格に関係し、状態を判断する重要なポイントです。
2006年から2007年にかけてその点を「引きこもりからの自立の過程」として考えたことがあります。それらを読み返してみるに、かなり近づいてはいるが明瞭さに欠けています。
ストレスや怒りを表現できる状態と、自分の内側に仕舞い込んでしまう状態は固定的ではなく生活経験や成長により変わるものです。人が成長する過程のいくつかの反抗期はこれに関係します。親や周囲の人が反抗を抑え込むような形で対処したとき、内向的とか優しいと言われる子どもは、自立の力を未成熟のまま摘み取られたかもしれません。
それは子ども時代に限りません。20代になってもそれ以上の年齢になっても同じことになります。ストレスや怒りを自分の内側に仕舞い込んでしまう状態のときに、支援の形として入所施設や集団生活に入ると、精神的な逃げ場、ストレスを発散する機会を持てません。
何らかの反発や口答えのできるか状態であればその施設にいても、そこから飛び出す形であっても次のステップに進んでいけます。引きこもったまま時間を過ごしてきた人は、意思表示をする経験がなく(周囲の人に言われるままに)過ごしてきたことが少なからずあります。反発しない、口応えは道義的にできない状態では、心身を犯す要素を溜めこんでいくかのようです。
親だけの例が参考ではありません。私が周囲の引きこもっていた人に何かを提案し、不同意の意思表示を受けたときの奇妙な感覚も参考になります。そういうのを待っていたよという私の“天然の感覚”、肯定的な気持ちも納得できます。それを奇妙な感覚というのは、確かに自分への攻撃的なものを含んでいることへの戸惑いが混じるからです。
私は、親や支援者などに引きこもっていた人の反抗的な態度をしたときの意味を書いたことがあります。反抗という姿にとらわれて、それが本人の意思表示であることに気づかないことがよくあると指摘しました。
これらを考えてみると、引きこもったままの30代の子どもを、あのときあの支援者に関わらなければよかったというのは十分ではありません。引きこもっていた自分の状態とその時点での支援団体の対応関係をみて考えなくてはなりません。引きこもり当事者のその時期の状態、自己認識と支援方法の両面を見ないと問題の所在がつかめないでしょう。
それがなければ、あそこはまずかった、あの支援団体に行ったのは失敗だったとしても、その理由を見極められません。次へのステップに必要なことがわからないままです。(つづく)

「子のSOS 歌い続ける」悠々ホルンさん、朝日に紹介記事

4月9日「朝日新聞」夕刊に「子のSOS 歌い続ける」悠々ホルンさんが大きく紹介されました。
悠々ホルンさんの応援団として、何ができるのかを考えています。
サイト内には「支援者・援助者のプロフィール」があり、そこにある悠々ホルンさんのページに載せました。
これは今後のサイト制作にも応用できます。新聞等に掲載された学校や支援団体等をこのような形でサイトに掲載できるからです。

スクールの閉鎖や活動停止の連絡の場合

新年度を前に閉校やそれに類する動きもあります。
九州のあるサポート校から「対応できない」として閉鎖の連絡がありました。
ハワイに学校のある国際高校からの連絡はサイトに掲載している情報を「しばらく非表示にしてほしい」という趣旨です。ともによく対応しようとする意思があるためです。

こういう例もあります。
あるスクールで活動していた人が独立し、新規のスクールを立ち上げました。その新規のスクール情報をお伝えいただくのはいいのですが、前にいたスクールを廃止と連絡してきたのです。調べてみると実際は担当者が交代して続いていたのです。
まったく無関係な方から削除の連絡があり、確認したところ違っていることもありました。

こういう事情を経験していますので、サイトの削除には注意がいります。
学校の閉校や相談室の活動をやめるとき、電話連絡だけではサイトからの削除をしていません。必ず連絡者を特定できる文書でお知らせください。
これらも新年度らしい動きになるのかもしれません。そして生身の人間がしている姿を垣間見ることができます。

カウンセラーをめざすメンタル疾患の経験者

「自分自身がメンタル疾患の経験をし、縁あって傾聴の研修に出合いました。 心の拠り所は大事だなと、メンタルケアカウンセラーの資格を取得。話し相手・カウンセリングサービスを開業。ただいまメンタルケア心理士の勉強中」
このようにご自分の経歴を紹介したのは「カウンセリング&話し相手(愚痴聴き)サービス filage(フィラージュ)」を開設した岡本瞳さんです。
これは「支援者・援助者」ページに掲載した人ですが、これまでにも何人かはメンタルな問題を抱えた経験者がカウンセラーなどとして活動を始めています。
引きこもり経験者の適職の1つに、対個人サービス業があるものと確信していますが、カウンセラーもその一つです。このようにカウンセラー等を職業としている元メンタルな問題を経験した人からの連絡を待っています。
以前のことですが、ひきこもっている当事者の回答として、自分に会いに来てほしい1位はひきこもり経験者であったことを思い出します。

引きこもっている当事者に“強制的な外出”を促す方法(5)

ひきこもり中の当事者から電話がかかってくることもあります。顔見知りでひきこもった状態に戻った人もいますし、顔見知りでない人も少しいました。
話してくる内容はいろいろですが、外出困難に関係する例を考えます。これまで紹介した3例は家族からの依頼ですが、本人からの依頼である点が基本的な違いです。
①、外に出たいのに出られない、前日には風呂に入って外出の用意をした、服装も靴も準備していた、玄関のところまで行った、体が動かなくなる…という状態を話してくれることはよくあります。これらは不登校の十代からよく聞く行動に関する例です。同じことを30代のひきこもり状態の人から聞くことになります。
②、一人でいるとゾッとするほど怖くなる、孤独です・苦しいです、外がとても怖い、人の声が聞きたいです…などは心理的に追いつめられた状況です。十代の不登校ではこういう例はあまり聞きません。年齢が高くなると聞くようになります。
③、高校時代にいじめられ壊された、会社で大恥をかかされてから人が信用できなくなった、親が協力的でない・理解しない…は家族や対人関係、社会関係の原因を指摘する言葉です。
これらは可能な限り聞き役になります。それが一段落するとまた違った言葉が出てきます。「助けてください、どうすればいいですか」…などです。ここまで話が進まないと手が出せません。しかし、ここまで来ても手を出すのは控え目がよく、支援者というよりは伴走者になります。
このシリーズ(1)で「引きこもり状態を続けることとは、このような苦痛を続けるのに我慢できるか、苦痛を感じる程度が低いか、さらには何らかの楽しみを見つけているのかもしれません」としたのですが、限界点に来た、危機感が迫っているひきこもり当事者の訴えがここには表われています。
これへの対応は基本的には強制はないように見えます。しかし、的外れな“指導”では強制を生みだします。
ひきこもり当事者からの直接の連絡・要請には「自由選択方式」は利用できません。
いまの自分にできることを探します。考えることは、すでに考えてすぎるくらい深く考えています。何らかの行動があってようやく考えてきたことの裏づけや訂正が可能になります。できそうな行動を探し勧めます。大きな動きを考えているのを小刻みにして「それならできそうな」目標にしていきます。それが「どうすればいいのか、助けてください」という問いかけへの答えになります。当事者が自ら答えを引き出すのが伴走者の役目です。

家族が関わる場合は次のようなことです。
(1)当事者の試みを手出し・口出ししないで応援すること。これが共通する原則です。
(2)家庭内ですることを決める(掃除・ゴミ出し、食事の用意、家計簿)。
(3)インターネットのできる環境づくり。
(4)外から人が入ってくる機会をつくる(室内の改装などで大工さんが入る)。
(5)別居ないしは一人暮らしの方法。
(6)訪問支援を継続して受ける。
(7)医療機関や公共の相談機関(保健所など)との協力。
(2)項以下は人により違ってきます。本人からの要請がある場合、家族が独自に動く場合などそれぞれです。

いま、30代の引きこもっている当事者からの要請で対応が始まっています。できることを積み重ねながら一人暮らしに向かいます。どう進展するのかは予断できません。いつかこの取り組みを報告できる時期がくるかもしれません。

支援を受ける側ではなく人に役立つことをしたい

自ら訪問活動をするなどひきこもり青年の相談をしているAさんが来ました。
母子家庭のお母さんから、ひきこもっている30代の息子を外に出るようにしたいと相談を受けています。お母さんがこれまでいろいろな人を連れてきたのですがすべて拒否されています。Aさんは「どうすれば息子と会えるのか、何か秘策でもないか?」と尋ねてきたのです。ここを少し話します。
ひきこもっている本人が家族以外の人と会う決定的な方式は知りません。とても一般論の方法はいえません。私が知るいくつかの実例から紹介します。
(1)母親が病気で寝込んだとき、自分が買い物に出かけた人がいます。近所で火事があったとき、手伝うつもりで外に出た人がいます。家の前で交通事故があり、自分から救急車と警察に電話をし、目撃情報を話した人がいます。
これらを「不幸な出来事がきっかけに動いたタイプ」と考えます。私が腰痛で寝込んだとき(通常の外出しないタイプではありませんが)自分の役が回ってきたように動いた人がいます。これも近いでしょう。
(2)不登校情報センターで「不登校・ひきこもりと対人不安のある人」に文通を進めています。そこに参加しようとする人の中に“文通ボランティア”希望者が少なからずいます。
希望者には、不登校の経験者、いじめを受けた体験者などわけありの人が多いのです。残念ながらこの“文通ボランティア”はうまい活動レベルには到達していません。それでもここに見られるのは、自分の経験を役立てたいという指向があるように見えます。
(3)動き出したひきこもりの働き方の特徴的な傾向に、対人サービス的な仕事は多いと思います。ひきこもる子どもや青年への訪問活動をするトカネットのメンタルフレンドには元不登校生やひきこもり経験者がいます。いい働きかけをするタイプが多いのです。介護や整体などをめざす人もこの対人サービス的な仕事です。とても丁寧に関わろうとする特性が生きている仕事になると思います。
このグループは、家族以外の人とは会おうとしないひきこもり状態の人との接触方法ではありません。気質や性格特性をよく表している例になります。

振り返ると私はこれまでに50人以上の人の自宅への訪問活動をしています。その中には20回以上訪ねながら一度も顔を見ることなくついに終了した人もいます。
ある時期から“強敵ひきこもり”の面会作戦を取り入れたのですが、この場合はそれを省略していました。“強敵”認識がなく、比較的すぐに会えると考えていたのです。
必要なスタンスは、「支援を受ける対象者にはなりたくはない。できれば役に立つことをしたい気持ちがある」を尊重し、理解し、具体的な方法を引きだすことではないかと思います。訪問者が思いついたことを提案しても空振りになるか、よくわかっていない人と思わせることになります。