子どもの虐待死と胸腺委縮の報道

子どもが虐待を受けていた場合、胸腺が委縮する、という新聞記事を見ました。
11月10日の毎日新聞と11日の日本経済新聞にあります。
12年前に亡くなった乳児の死亡が虐待によることがわかりました。
証拠とされたのがその乳児の解剖資料にある胸腺の委縮です。
「虐待死した子供の半数近くで胸腺が委縮していたというのは、法医学で最近分かってきた知見」(日本経済)といいます。
私は精神的・心理的な病理現象には(個人差があり全員とは言えないでしょうが)身体的な変化を伴う、と考えています。
マルトリートメントによる脳内の変形に続いて、虐待による胸腺の委縮が実証されつつある状況は、これに当たります。

新聞記事は「桜井亜衣ちゃんの虐待死亡事件」
http://www.futoko.info/zzmediawiki/桜井亜衣ちゃんの虐待死亡事件

NHK夜の番組で友田明美さんが紹介されます

11月5日、本日夜10時25分からのNHKテレビ「プロフェッショナル」を見てください。
小児神経科医の友田明美さんが紹介されます。
今年、私はようやく“マルトリートメント”(不適切な関わり)という言葉を知りました。
ひきこもりという状態の重要な部分が虐待やいじめを含む“マルトリートメント”によるものであると知りました。
虐待やいじめに限らずいろいろなハラスメントといってもいいと思います。
2006年に私は『ひきこもり 当事者と家族の出口』という本を書きました。
その時はマルトリートメントという言葉もその内容も知りませんでした。
しかし、この本に書いたことの多くはマルトリートメントによって引き起こされたもの、すなわちマルトリートメント症候群です。
そのマルトリートメントを知ったのは友田明美さんの新聞記事を読んだ時からです。
今日は友田さんの30分余の紹介を通して、その過程を見ようと思います。

[http://www.futoko.info/zzmediawiki/マルトリートメント症候群に衝撃をうける]

日本人の感覚が鋭い点について

味覚の中に旨味(うまみ)を見つけた日本人。
甘い、辛い、酸っぱい、苦いという人類共通の味覚に、旨味を追加しました。
味覚についての詳細は省略します(そのうち書くかも…)。
虫の声を、騒音ではなく、音色として受けとめるのは日本人の音認知の特徴です。
この聴覚の特徴は角田忠信さん(東京医科歯科大学講師)の研究が知られています。
(角田忠信『右脳と左脳―その機能と文化の異質性』小学館、1981年)
ここでは聴覚の特徴を『記憶のメカニズム』(高木貞敬、岩波新書、1976年)〕により紹介します(165~171ページ)。
日本人の聴覚は「大部分のヒトについて、母音と子音をふくめたヒトの声、また虫や動物の声は、すべて左半球が優位、つまりそちら側で聞いていることがわかり、それら以外の機械的な音はすべて右半球が優位、つまり右側の脳で聞いていることがわかった。
日本人は母音と子音とを区別なく言語中枢のある優位の脳(通常左半球)で聞いているが、印度ヨーロッパ語を母国語とする外国人は子音は優位の脳(通常左半球)で聞き、母音は劣位の脳(通常右半球)で聞いていることがわかった。
角田はこの結果から世界の言語を単脳言語(日本語パターン)と複脳言語(印欧語パターン)とに分類している」。
ある方法により「日本人について得られた成果は先天的なものではなく、日本語で育ったための後天的なものであることが証明され、日本語の特異性があらためて注目される結果となった」。
「このような左右の脳機能の分担は西洋哲学で認識過程をロゴス的(理性的―言語、計算)とパトス的(感性的)とにわける考え方と合致するから、外国人の優位の半球はロゴス的、劣位の半球はパトス的というふうにはっきり区別できるが、それに対して日本人の優位脳はロゴス的であると同時にパトス的であるといういわば二重構造をもっていることになる」。
 
日本人の特異な聴覚が後天的要因である文化によること、ロゴス的とパトス的な二重構造の認識過程が備わる特長を示しました。
これを別の面からみれば日本人の聴覚の特異性は人種的な(生物学的な)優位性を示すのではなく、特長の1つを示したことです。
長い文化的な生活・生存環境のなかで蓄積されたものです。
余談ですが角田忠信『右脳と左脳―その機能と文化の異質性』、高木貞敬『記憶のメカニズム』の2冊はともに古本屋さんで入手しました。

「感覚が鋭いという発達障害」について

昨日の続きです。ある記事の中に見つけた言葉です。
しばらく前にNHKの番組でも「感覚が鋭いという発達障害」と取り上げられた放送があり、アレっと思ったことがあります。
発達障害とは先天的な脳神経系の特異性によるものです。
学習障害(LD)、注意欠如・多動性障害(ADHD)、アスペルガー症候群(または自閉症スペクトラム)が代表例です。
じつはチック障害、吃音症(どもり)なども発達障害とされます。
厚生労働省のHPの説明ではこうあります。
<生まれつきの特性で、「病気」とは異なります
発達障害はいくつかのタイプに分類されており、自閉症、アスペルガー症候群、注意欠如・多動性障害(ADHD)、学習障害、チック障害、吃音(症)などが含まれます。
これらは、生まれつき脳の一部の機能に障害があるという点が共通しています。
同じ人に、いくつかのタイプの発達障害があることも珍しくなく、そのため、同じ障害がある人同士でもまったく似ていないように見えることがあります。
個人差がとても大きいという点が、「発達障害」の特徴といえるかもしれません。>
このあと、代表的な発達障害3種類の簡潔な説明がつづきます。
しかし、感覚過敏症に類するものは発達障害の説明にはありません。
私が書いた「マルトリートメント症候群」の記述もこれと軌は同一です。
ただし私は感覚の繊細さ(場合によっては感覚過敏症)の関係をこのエッセイの後半に書いています。
感覚の繊細さは先天性であるけれども、それ自体を発達障害とはしていません。
感覚の精細さが後天的な要因によるマルトリートメント症候群に結び付くと書いているのです。
それはこういうことです。
マルトリートメント症候群はいろいろな不適切のかかわりによりつくられる症状です。
それは例えば身体障害であったり、発達障害であったり、LGBTであったりします。
見かけ上の風貌や生活の貧しさによる差別的な扱いが関係する場合もあります。
虐待やいじめは不適切なかかわりの代表例といえるものです。
そういう不適切なかかわりがあった人(とりわけ子どもの場合)にマルトリートメント症候群になりやすいのです。
注意してほしいのは、なりやすいということは“ならない人もいる”ことです。
マルトリートメント症候群になる人とならない人がいるのです。
この違いはどこからくるのか。
不適切なかかわりの程度や種類に関係します。
もう一つは当人の感受性の強さが影響するし、感覚の精細さが関係するのです。
マルトリートメント症候群はいくぶん発達障害と似た状態を示します。
この理解では、発達障害であってまたマルトリートメント症候群というのもあり得るわけです。
結論は「感覚が鋭いという発達障害」というのは、少なくとも現在の発達障害の理解を間違えています
混同させやすい表現です。
ところで私見ですが、いつか感覚過敏が発達障害の1つに認められる可能性は必ずしも否定できないとは考えています。
昨日書いたハイリー・センシティブ・チャイルドが発達障害の1種と認められる可能性は排除できないともいえます。
ややこしい説明ですが、これが現状です。

ハイリー・センシティブ・チャイルド(HSC)

「マルトリートメント症候群」に関して、気になる点が3つあります。
いずれも感覚に関係します。
(1)「感覚が鋭いという発達障害」という言葉を聞いています。どういうことでしょうか?
(2)日本人の感覚がとりわけ鋭い、という状況について
味覚の中に「旨味」を見つけた日本人。
甘い、辛い、酸っぱい,にがいが人類共通の味覚であったのに、そこに旨味を追加しました。
虫の音を、騒音としてではなく、音色として受けとめる聴覚は日本人の特徴のようです。
(3)感覚が鋭いという子どもに対して、「ハイリー・センシティブ・チャイルド」という言葉があります。

それぞれ思うところはありますが、ハイリー・センシティブ・チャイルドは週刊女性PRIMEで知ったことです。
それを「ひきこもり周辺ニュース」に転載しました。
http://www.futoko.info/zzmediawiki/ハイリー・センシティブ・チャイルド

「マルトリートメント症候群に衝撃をうける」を掲載

会報『ひきこもり周辺だより』に掲載した「マルトリートメント症候群に衝撃をうける」を読み返し、加筆修正したのを掲載します。
(1)マルトリートメント症候群が多数の人の脳のMRI検査により確認されていること(2000人以上を比較対照していると聞きました)。
私はこの検査結果を直接見られませんので、信用するしかない点はエクスキューズです。
(2)虐待やいじめなどの後天的な要因による点でマルトリートメント症候群は発達障害(先天的な要因による)とは区別されること。
(3)10年以上前に私が関わったある人の特殊な振る舞いをかなり説明ができること
(2006年に『ひきこもり 本人と家族の出口』を書けた重要な要因)。
こういう理由でマルトリートメント症候群を知ったことは私には大きな意味を持つと感じます。
(4)なお、エッセイの末尾に対応の仕方も短く書き込みましたが、この部分の掲載はやめました。

[[http://www.futoko.info/zzmediawiki/マルトリートメント症候群に衝撃をうける]]

睡眠薬処方の意味?

8月19日に書いた「睡眠薬は身体能力としての睡眠力を弱める?」は、会報の9月号に転載していました。
あるお医者さんがそれへの感想を寄せてくれました。
短い診察時間の中で書いたメモなので、その分差し引きして読むべきでしょうが、こうあります。
<起きているときの思考内容が「不幸」だと、睡眠しか逃げ場がなくなる。⇒短期的な解決が睡眠薬の処方。
根本的な解決は起きているときの思考内容の修正。
*抗ADHD薬も役に立ちます。>
8月19日のエッセイの中心点には触れてはいませんが、参考にはなります。
最後の抗ADHD薬のところはどうしようもないな…と。
感想には余白部分があり、そこには通じることもありそうです。

http://www.futoko.info/zzmediawiki/睡眠薬は身体能力としての睡眠力を弱める%EF%BC%9F

発達障害にかんする異聞と状態像に独自の診断名を

ひきこもりの相談を受けている中で、「少し発達障害の傾向がありますね」と思える方がいます。
少なくはありませんし、私の感想にかなりの方が同意されます。
発達障害が知れ渡ってきたこと、家族もそれなりに調べている人が多いのが理由のようです。
しかし、よく考えると妙なこともあります。
「少し発達障害の傾向がある」というのは何でしょうか? 
軽度発達障害という言い方もありますが、これは公式にはあいまいな言い方として使わないように言われています。
発達障害が先天的な脳神経系の特異性によるものならあいまいな表現は避けるのがいいからです。
私は「少し発達障害の傾向がある」と感想を言えますが、詳しく調べると発達障害と診断できるのはそう多くはないと聞きます。
部分的には重なるところはあっても全体としての医学的な診断はされない状態です。
第4の発達障害を提唱される方もいます。
いじめを受けた人のなかには発達障害に近い症状を示す人がいる、それを指して第4の発達障害というわけです。
しかし、必ずしも多数の賛同を得てはいないかもしれません。
私は医学的な診断はできませんが、状態像を示すものとして私が感じることと共通するように思います。

そういうなかで友田明美さんがマルトリートメントと紹介しているのを知りました。
“不適切なかかわり”という意味です。
特に子ども時代にマルトリートメントを経験した人は、“攻撃”への防衛として、脳を変形させて対応したというのです。
これは多数の人の脳のMRI検査による裏付け調査の結果に基づく判断です。
脳神経系が“攻撃”に防衛対処しているうちにそれ相当の要素をつくったのだと思います。
このマルトリートメントを経験した人も、対人関係等において独特の状態・症状を示すことがあります。
それが発達障害の人の状態や症状と似ているみたいです。
言い換えると先天的な脳神経系の特異性ではなく、後天的な原因による特異な脳神経系の状態像と考えられます。
その表われ方が「少し発達障害の傾向がある」に重なるわけです。
私の関わってきたひきこもりのかなりの多くの人がこの「少し発達障害の傾向がある」に当てはまると思います。
多くはいじめを受けた後遺症状と理解してきました。
しかし、虐待やマルトリートメントを経験した人も少なからずいると思います。
発達障害にかんする異聞をまとめて考えるとこのようになります。
後天的な環境の中で発達障害に類似、ないしは一部の似た状態を示すことがあることを承認してもいいのではないでしょうか。
それに相当する診断名として、第4の発達障害や軽度発達障害とは異なる状態名があってもいいのではないか。
例えば“マルトリートメント障害”です。⇒<マルトリートメント症候群>とされていると知りました!
それはMRIレベルの診断調査で裏づけられるかもしれません。
ひきこもりの当事者と接点を持つ人に新たな視点を与えるかもしれません。

友田明美:
http://www.futoko.info/zzmediawiki/%E5%8F%8B%E7%94%B0%E6%98%8E%E7%BE%8E

睡眠薬は身体能力としての睡眠力を弱める?

睡眠薬、睡眠導入薬について、このところよく聞くことの感想を書きましょう。
一部の情報に基づくものとは思いますが、無視はできないと信じるからです。
いろいろな人から睡眠薬服用の話を聞きます。なかなか眠れない(寝付けない)、眠りが浅い…それで睡眠薬を服用しています。
様子を見ながら薬を減らし、最終的には睡眠薬を使わないという願望が多いです。
医師からもそういう主旨の説明を受けています。
しかし、私はそれを実現し睡眠薬を使わなくなった人を知りません(いるはずですが!)。
睡眠薬を使わなくなった人はいます。
その場合は(医師の意向を無視して)自分の意思で薬を飲まないと決めた人です。複数います。
服薬中断に伴うある種の身体症状が出ます。離脱症状といいます。
麻薬中毒者が麻薬をやめるときに見られる症状と同種だと思います。
その苦しい時期を過ぎて睡眠薬のない生活を取り戻しました。なかなかつらい時期です。
医師からは自分で勝手に薬を中断しないように勧められます。
こういうやり方を医師は勧めないし、危険であると忠告します。
私もこの手の相談を受けたことがあります。
私は服薬をやめるのに同意できませんが、それは服薬を続けるのがいいと思うからではありません。
私が服薬をやめるように勧めたことを根拠に離脱症状が出ても責任を負えないからです。

睡眠薬服用を続ける人から3年後、5年後に聞くと薬は減っていません。
当初の薬が効かなくなった、むしろ薬の量が増えている、より強い薬になった…こういうことが多いです。
薬の服薬を始めるスタートの方向や仕方が正しくないと思えます。
睡眠薬に代わり眠れる対処法はあるのでしょうか? 
不眠の原因は、生活(将来)の不安、緊張したストレスの強い生活などです。
それを回避・解消するのが不眠を解決する根本にあります。
そういう人生、生活全般に及ぶことはすぐには答えが出ません。
そこで、より個人的な条件による対処法が考えられています。
聞きかじった範囲の代表的なものを挙げてみます。ストレス解消に関係する気がします。
① 運動するというのがあります。
効果的な場合があります。からだを動かすという意味では仕事もそれに相当する場合があります。
からだが疲れても眠れないとなると運動だけに期待はできません。
② 食べ物はどうでしょうか。
カフェインを含むコーヒーが睡眠に有効とか逆に眠れなくなるということを聞きます。
食べ物が睡眠に関係するはずですが、食べ物全体についてはよくわかりません。
睡眠にはメラトニンが関係します。ある種の食べ物により体内に取り入れることは可能です。
それを身体化する、すなわち食べ物を身体能力としての睡眠力にするには、消化機能の健全性が備わり、消化機能以外の適切な運動も前提です。
③友人関係、特に緊張感なく心配事などを話せる相手の存在もあります。
個人的に話せる友人づくりも役立ちます。孤立感を減少させるのでしょう。
場合によっては最大の対応方法かもしれません。しかしこれは即物的にはできません。
④ 重要なのは将来の不安、職業や働けないというのも大きな不眠理由です。
こう考えていくと個人的(個体的)な条件に即した、手がけられる対処法には個体差が大きく、どういう方法がその人に最適かを決めにくくなります。
かりに決めたとしても多くは時間がかかり、途中で挫折しやすいものです。

これらはいずれも医療の範囲ではありません。
医療はシンプルな対処法として睡眠薬服用を提案します。
医療面で手を打った状態にするのです。
多くの場合、医師の対応方法には薬の種類選びと組み合わせ、薬の量、飲み方以外には方策もないのです。
薬の効果はすぐにでます。
しかしやがて効かなくなります。
効果を出すために薬の量を増やし、より強い薬に変える。私が聞いているのはこの循環状況です。
何かを見失っているのではないかと感じるのです。
睡眠薬服用に頼る睡眠とは、体に備わる自然に睡眠する能力(睡眠力?)を育てないのではないか。
逆に睡眠薬服用によって身体に備わる睡眠力を弱体・消失させてはいないか。
これが睡眠薬依存の正体ではないかと私は考え始めています。
そう主張したいところですが、証拠がありません。
多くの人は薬の服用に不安を感じていますが、それを裏付ける証拠があやふやです。
薬の服用の効果が見られない場合、薬の種類選びが正しくなかったのではないか、薬の量や薬の組み合わせが上手くなかったのではないか、飲み方が適切ではなかったのではないか、という対処の仕方に頭を巡らします。
薬の服用自体がよくないと感じながら医師との話ではそうなりません。
ほとんどの医師にとってはそういう選択はありません。
というよりは医師には薬をどうにかするしかないのです。
その結果、好んで睡眠薬に依存するつもりはないのに身体能力として睡眠力が弱くなります。
睡眠薬でカバーせざるをえなくなる。それを睡眠薬依存というのではないか。
さらには精神の安定性も大事でしょうが、そのあたりになると収まりがつきません。
しかし、医療はそれらの大事な分野には及びません。
例えば人間関係、家族状況、職業などが関係する領域です。
医療・医師に過大な役割と期待を負わせているだけです。
医療・医師のせいにしていても不眠は解消しないと心すべきでしょう。

*会報『ひきこもり周辺だより』9月号に掲載するときに加筆修正をしました。
加筆修正した文章に差し替えました。(9月4日)

中野信子『サイコパス』を読む

中野信子『サイコパス』(文春新書、2016年)を読みました。
感想としては思ったほどの刺激的な内容ではありませんでした。
<松田武己の“サイコパス度”はどれくらいなのか>を見ようとしたところもあったのですが、低い自己評価になりました。
著者によるとそういう自己評価は当てにならないそうですが…。
サイコパスが犯罪と結びついて理解されてきた経過があるけれども、実はもっと幅のあるもののようです。
ざっと100人に1人ぐらいは該当する程度の理解が必要らしいです。
しかし。『精神障害の診断と統計マニュアル』(DSM5)にはサイコパスの記述はありません。
統一診断基準がないなかでの各種の研究の紹介です。
中野さんは科学者らしく慎重であり、研究された論文を紹介する形をとり、自分の確信したことを基礎に展開していません。そこは私的には評価できるのですが、逆に刺激が少ないのはそのためかもしれません。
たとえばマザー・テレサ。ある人の書かれたものを紹介する形でこう言っています。
「博愛主義者とは、特定少数の人間に対して深い愛情を築けないサイコパスなのかもしれません」(114ページ)
マザー・テレサがサイコパスと言うのではありません。
またこれでマザー・テレサの全体を語ったとは言えないのですが、納得できるところはありますね。
この本に書いてあることではないのですが、殺人を犯してバレなかった人がとても人情溢れる人助けをつづけた、という話を読んだことがあります。
罪滅ぼし、というところでしょうか。
懐疑的すぎて博愛精神に富む人全体を”怪しむ”ようにはなりたくはないですが、人間の奥行きは深いことを教えてくれます。