友田明美さんのマルトリートメント

昨日「虐待・いじめと押し付け(しつけ)」をサイトにアップしました。
夜になってある人と会ったところ1つの新聞記事を見せてくれました。
小児神経科医 友田明美さんのインタビュー記事です(5月26日付の朝日新聞)。
子どもへの虐待や暴言が発達途上の脳を変形させる。多数の人の聞き取りとその人たちのMRIによる脳画像の比較研究から裏づけられるものでした。
子どもは、攻撃を受けたとき生き続けるために脳を変形させ適応している。
これを聞いたときある人が語った子ども時代の振る舞いが浮かびました。
全体としインタビュー記事は、サイトにアップした記事と重なると思いました。

特に私が「虐待の周縁」にある「押し付け(しつけ)」は、マルトリートメント(不適切なかかわり)として描かれていると受けとめられます。
そして、ひきこもりの当事者たちから聞いた言葉をいくつか思い出します。
・自殺を図る行為とわかったはずなのに何事もなかったように無視された。
・いつもきょうだいの比較になかで一番下におかれた。
・話そうとすると「言い訳、弁解」と言葉をさえぎられて延々と説教され続けた。
・何か言うといつも「それではダメ」「そうではない」の言葉が返ってきた。
・危険を避けるため(?)紐で柱に縛られ行動範囲を決められた。
・ある日知らない人が来て、「兄です」と名乗った。まだ知らない兄弟がいたと思える。
・「これはモラルハラスメントというのではないですか?」と聞かれたこともあります。
それらにははっきりと虐待といえるのもあったし、判断しづらいのもあります。
虐待かどうか判断しがたいものを私は「虐待の周縁」としましたが、マルトリートメント(不適切なかかわり)の言葉を知りました。
それらは子どもの脳の成長にマイナスになると明確にしています。
しかし、完璧な親はいません。どの親もマルトリートメントを繰り返します。
友田明美さんも親としてそうでした。私も自分のことを振り返ってみるに失敗だらけです。
しかしそれに気づき、よく気を付けていけば回復可能です。
友田明美 http://ur0.work/Kl40

「感覚の繊細性と発達障害」を掲載

4月初めに日本海賊TVで話したときのテキストを整理して、残しておきます。
全体を4つに分け、4回に分けて毎月の会報に載せます。
その初めの1回は5月1日号に掲載しました。
そのテーマ「感覚の繊細性と発達障害」を載せました。
◎http://www.futoko.info/zzmediawiki/感覚の繊細性と発達障害
次の6月1日会報に第2回のテーマ「虐待といじめ+親の思いの押し付け」(仮称)を書いています。

感覚器を考える――呼吸感覚から排尿・排便感覚へ

病気になってみると健康の大切さがわかります。
それとわからぬ大事なものも失くしてから役割に気づくことはよくあります。
いまはもうよくなったのですが風邪気味でした。喉に炎症があり呼吸が苦しいです。
「呼吸感覚」という言葉が浮かびました。呼吸感なんて普通は感じないものです。苦しくなって感じる感覚です。
排尿感や排便感は合図でしょう。空腹感もそう。これら全ては体性感覚といわれるはずです。
人体の呼吸器系と消化器系に関係します。
体性感覚にはこれとは別に皮膚に関係するものがあります。
圧迫感、寒さ・熱さを感じるもの、痛い・痒いを感じる触覚などでこれは皮膚感覚と称します。
皮膚感覚も体性感覚の1つです。
「空気感」という言葉も聞いたことがあります。
大気としての空気ではなく、周囲にいる人の思いがどの辺にあるのかを感知する感覚といっていいか…。
おそらくこれは皮膚感覚+αです。+αの部分は主に腸に関係するはずです。
先ほどの呼吸器系と消化器系に腸に関係するものなどを加えて内臓感覚という言葉がありそれにまとまります。
そうすると体性感覚というのは皮膚感覚と内臓感覚を含むものです。
これは生物が発生した早い時期から作られ始めたようです。
生物は個体として存在するためにまとまりが必要であり、それが皮膚になります。
アメーバあたりだとそれはまだありませんが。栄養を補給するために体内に消化機能を持ちます。
アメーバでもこれはあるので捕食し栄養補給する機能は皮膚機能よりも先なのでしょう。
さて体性感覚は一般感覚とも言われます。それとは別に特殊感覚があるから「一般」として区別されます。
人間が感覚の存在に気づいたのは特殊感覚が先でしょう。
見ること=視覚、聞くこと=聴覚、嗅ぐこと=嗅覚、味わうこと=味覚、それに平衡感覚が加わります。
それぞれ特別の感覚器があり、視覚は目、聴覚は耳…となるのはご存知の通りです。
ところが例えば皮膚にも聴覚があるらしいです。
耳でとらえる音域(波長の長さ)を超えたところの音を皮膚はキャッチするというのを聞きました。
インドネシアの民族舞踊ガメランを例に、その舞台で発する低音域部分を感知するのは皮膚であるという話を読んだことがあります。
人の目、あるいは特定の動物の特殊感覚器には特徴があります。
いずれもある範囲の波長の長さをとらえるのですが、それを超える部分は生物の初期に形づくられた体性感覚でとらえようとしているわけです。
生物の発生からすると、手持ちの体性感覚ではうまくとらえられなくて、それ専門の感覚器をつくりだし特殊感覚にしたらしいです。
その生物の通常の生活のなかではその感覚器の機能で十分です。
特殊感覚が生まれるときに役立ったのが神経系です。神経系の発生はかなり後のことです。

「色盲」と「色弱」の呼称変更は作業途中とみます

日本遺伝学会宛に「色盲」をどう呼べばいいのかの質問をしました。
「色盲」が差別用語であり、「色盲」と「色弱」を同じように色覚特異性とか色覚多様性と呼ぶと両者の区別がつきません。
差別用語ではない「色盲」とはどうするのかを尋ねました。
日本遺伝学会からは休日明けに回答がありました。
回答は日本遺伝学会が今秋発行した遺伝学用語集「遺伝単」の一部をコピーしたものです。

先日、メガネ屋さんで「色盲」をどう呼ぶのか聞きそびれたのですが、聞かれてもメガネ屋さんも困ったかもしれません。
この回答を見るとそう思います。
日本遺伝学会から送られた遺伝学用語集「遺伝単」の該当部分は別に掲載しました。
これまでの「斜視の集まり」ページを「斜視と色覚」ページに変えました。
斜視と色覚の関係記事を一緒にし、そのページに収めました。
http://qq1q.biz/HjR0

日本遺伝学会は色覚多様性と決めました

これまで色盲、色弱は色覚異常と言われています。
日本遺伝学会は色覚異常をやめ色覚多様性にすると決めました。
色覚多様性とはなかなかの表記法です。
私の場合はうろ覚えですが“赤緑色弱”ではないかと思います。
はじめて色弱がわかったのは小学校1年か2年の時です。
検査表があり、他の子が読めて自分には読めないページがある、逆に自分だけが読めて他の子は読めないページがある。
それにより色弱と判断されました。
そのときはちょっと特別視された記憶があります。
その時点で“赤緑色弱”といわれたか、後だったか、よくわかりません。
後にこの検査表は石井式色覚検査表と知りました。
大学病院勤務時代に医療事務として担当した眼科の医師といろいろ話したこともあります。
中学か高校時代に“赤緑色弱”というのを意識していた時期があると思いますがはっきりしません。
高校のとき就職試験である会社に履歴書を送ったところ不採用になりました。
返された履歴書の「色弱」と書いたところに赤のアンダーラインを引かれていた記憶は鮮明です。
担任のF先生がそこを指して「これが理由かも」とつぶやいていました。
実はその会社はデザイン会社です。
当時はレタリングなどの商業デザインの通信教育を受けようとしていたので関心はあったのです。
しかしこの通信教育をやめた理由はもともと通信教育が無理だったためかもしれません。
結局あやふやなまま過ぎました。
逆に考えれば色弱によりこれという不都合がその後の生活ではなかったとも言えます。
目についていえば斜視の方がもう少し何かがあったと思います。
車の運転に全然関心が向かなかったのは、斜視や色弱とは関係ないとしてきたのですが…。

さてこのたび日本遺伝学会が色覚異常を、色覚多様性と決めました。
身体のいろいろな独特性を異常を使わずに表記する面でいいと思います。
社会生活のうえで身体的に異常とされることで引き起こされることはいろいろあります。
知らなければ何もないのに、知らされるがゆえに不都合が発生するものです。
そういうものを表現のうえで多様性というのはよさそうです。
似たような用語に「障害」があります。
「少数者」も時と場合によって社会的な不都合になるときがあります。
しかし、障害と判断や診断されることの全部がマイナスや不都合というのではありません。
私は自己判断により、アスペルガー障害ないしは自閉症スペクトラムと考えています。
世にはこのような診断を受けた人も多くいます。
私の場合は、知り合いの臨床心理士さんがアスペルガー障害の特色を詳しく話しているのを聞いていた時のことです。
臨床心理士さんから話の感想を聞かれたときの答えは「自分の子ども時代のことを聞いた感じがしました」。
臨床心理士さんも私の感想を聞いて、これまでの振る舞いからして納得できるところがあったように思います。
そうか、自分はアスペルガー障害だったんだと理解した時です。
それがわかったときの気分は楽になったという感じです。
自分を理解する1つの手がかりを得たようにも思いました。
色弱、斜視、アスペルガー障害、そのほかに私には食べ物の好き嫌いが多い(たぶん味覚過敏)などの身体特徴がありますが、すべてつながっているように思います。
中学2年の時に調べた知能指数はかなり高かったのですが、これも関係するかもしれません。
これらはいい悪いの価値判断ではなく、TPOによっていい場合もあればまずいこともある、という状態におけるのです。

「学校に行けない」と「学校に行かない」の微妙な違い

「学校に行けない」は心理的は理由による不登校です。
これに対して意志による「学校に行かない」は拒否であり、心身の理由による不登校とは違います。
毎月第3土曜日にセシオネット親の会という集まりをしています。
不登校をメインテーマとする集まりですが、十代だけではなく20代に入った子の親も参加することもあります。
会場は新宿区の高田馬場で、もう十年以上つづいています。
先日のことですが、その場で私なりに1つの確認をしました。
子ども本人が学校に行こうという意思があるのに、心身状態により(特に心理状態)体が動かない場合は、病理的な原因による不登校と判断できます。
実際の場面では微妙なことはいろいろあります。
体温が高い(熱がある)と子どもが言って学校に行かない場合は、これは心理状態の病理による不登校とは違います。
「この日から学校に行く」と親と約束をしていたのに、そのときになって学校へ行かないというのも、違う可能性がありそうです。
これは「その当日のそのときに学校に行くつもりがあるのに行けない」とは違うからです。
親との約束というのが、子どもにとって自然な状態に即した約束ではなく、追い詰められての約束であった…などの子どもの心身状態によるのとは違う可能性が考えられるからです(決して少ない例ではありません)。
子どもには学校に行くつもりはあるのに心身状態として体が動かない、というのは自分で異変を感じることが多いのです。
そういう時は自分から医師やカウンセリングを受けてみようということがあります(全員がそうするという意味ではありませんが)。
自分の心身状態に異変を感じるのではなく、そこは行くべきではない、行きたくない、行かない方がいい、行かない…というときは、「拒否」(登校拒否、学校拒否)です。
意志としての拒否であり、心身状態の異変による「行けない」とは区別して考えなくてはなりません。

狂気、死、長期入院の希望を聞く

狂気、死、長期入院の希望について聞いたり考える機会がありました。よくこんなことが書けるようになったなあと自分でもあきれるほどです。ただ予想するほど重いことでもありません。
専門的に研究されている方からの評価はわかりませんが、実践者としての実感を書きます。カウンセラー希望の方には参考になるかもしれません。

狂気になりそうだと聞いたことがあります。これまでに数人がその様子を話してくれました。その最中からの電話もありました。ことばに表現するのが難しいのでうまく表現できた人はいません。切迫した感情・感覚の場面をことばにするのは誰にとっても非常に難しいものです。以前に比べると私も少しは落ち着いて聞けるようになったはずです。
今回のPさんは間近に迫った自分の誕生日を越せるかどうかが心配だったようです。連日の電話の話で2週間をこえました。誕生日を超えたあたりからだんだんと落ち着いたようです。
断片的なことばや単語やトーンをつなぎ合わせてみました。「狂気になりそう」な感覚をあえてことばにまとめるとこのようなものです。十分に言い表すことはできていないでしょうが参考にはなるかもしれません。

<精神が壊れる不安があった。正気を失って収容される感じです。それは魂が飛んでいく感じ、飛び立つ感じがした。違う世界に行くのではないかと焦り怖かった。フッとなって飛んでいき、そのまま戻ってこられず、そのまま発狂するような気分に襲われました。>これが中心点です。
そうなった背景は、常に周囲から見られている困惑した状態があり、覚られ妄想が強くなっている。自分のしていることが周りにつつぬけになっている。自分のポルノが漏れる。そういう追い詰められた状況になっていました。
それに加えて、父が死ぬところを見た。これが大きくショックを受け、不安定になった。そのあとの母親の認知症的な振る舞いや家族がずるくてどうしようもないのがわかった、それらが重なった…。

こんな切迫した状態から落ち着いてきた過程を振り返ります。
これまでは誰にも話せなかった覚られ恐怖を、さえぎられたり否定されたりすることなく、落ち着いて聞いてもらえた。受けとめられた感じがした。若いころに話そうとしたこともあったが、バカなことを! ありえないでしょ! …ということでそれ以上を聞いてもらえたことがなかった。
もう話すことはないと思ったが、せっぱつまって話したところ当たり前のように聞いてもらえたし、繰り返し話すことができた。これまで話せなかったのはそれがきっかけで嫌われるのではないかと恐れていたが、その余裕もなくしていた。
もう一つは自分なりに落ち着いたときに身辺整理をした。発狂しないかとおそれて、身辺整理のつもりで片づける作業を続けてきた。処分するものをまとめたり、ネット上に書いたいやなものを消した。
これらがよくなってきた理由だと思う。

以前に別の人から聞いた狂気の不安感を、あるところに書きました。
<狂気 この世に生きているという存在感覚がうすれ(なくなり)、あるときに異次元に入っていった瞬間がありました。もしかしたら倒れていたのかもしれません。気持ちのいいものではありませんが、正気と狂気の境目は、それほど厚くない実感がしました。>
存在感覚=意識が薄れるというのと「魂が飛んでいく」というのは同じことで、人それぞれの表現の違いのように思います。
Pさんも、狂気への恐怖と死の恐怖が重なっています。両者の入り口は隣り合わせになっています。
Pさんが安全の場として思い浮かべたもう一つが入院です。それを永遠のサナトリウムといいました。このサナトリウムという表現は別の人も使いましたし、シェルターといった人もいます。これらは「人間世界からの撤退願望」を指しています。
しかし、これは人間世界のサービスを受けなくてはならないので完全撤退にはなりません。
狂気は精神的な人間世界からの撤退、死は物理的な人間世界からの撤退、長期入院は社会的な人間世界からの撤退といえると思います。入り口が隣り合っているので、同時に思い出しやすいのでしょう。
これらのことばを聞いたときには、落ち着いて聞くことです。「死んだらダメ!」とか「正気になって!」「バカなことを言うな!」とか、意図してもできないことを求めない、話していることばを遮断しないことです。ゆっくり聞けば長くて1時間、落ち着いてきた時期になると10分ほどで安定を取り戻します。
女性の場合は、派生する物語が長くなることがあります。ある程度話を聞いたところで、この日の予定時間を告げて、近い時期の次回を知らせることです。続けられるのがはっきりすれば継続していけます。継続のなかで安定していきます。
早口で次々にいろいろなことを話す人もいます。話したいこと、避けたいこと、イやなことがいろいろあると、すぐに全部を話してしまいたくなるのでしょう。この場合は聞き分けながら理解することができません。話す側が“パニック”になっているのですから、落ち着くまで待つしかありません。
なにも反応しないで聞いていると「聞いていないのでは?」と思い、「聞いてる?」と確認を求めてくることもあります。聞いている反応をします。
何も聞かないうちから「今日はダメ…」的なことが続くと、連絡はなくなります。当てにされなくなったということです。自分にも事情があるのは確かですが、いつもそうでは「聞く気はない」という意思表示になります。
自分には継続が無理ならその旨を告げるしかありません。自分ができない事情を話すのであって、話してくる人を責めたり、さえぎるのはよくありません。
答えは話してくる人の内に潜んでいます。話していくうちに奥に潜んでいるものを表面に浮上させ、ことばにしていくものでしょう。聞いているほうからアドバイス的なことを語るのは、この過程の邪魔になります。よく聞くこと、聞き出すための受け答えに終始すればいいと思います。
Pさんに、「勉強になりました」と答えたら、気が抜けたというか切迫感がうすれたようです。私はカウンセリングをしているつもりなどはなく、教えてもらう、学ぶつもりで聞いていたのです。それが「勉強になりました」の答えです。

人工知能の発展と進化論の関係

AI(人工知能)の解説書を読みました。
人間のこれからを考えるうえで、AI(人工知能)は私のテーマ「発達障害を進化論で説明する」と無関係とも思えません。
簡単な感想文を書きました。
タイトルを「カーツワイルなどの人工知能の研究解説を読む」としました。
http://www.futoko.info/…/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%84%E3%83%…

進化論的ラフスケッチによる発達障害

発達障害を進化論から説明する、これは私なりには自然なアプローチです。しかし、こういう説は見かけませんので、実に心細い限りです。それはどうにもできないので、わが道を行きます。
まずラフスケッチを考えてみました。心当たりというか、関心がある人を見つけるためです。
今のところ2つの面から調べて行くことになりそうです。原因としてのウィルスの遺伝への影響(しかた)と、結果としての表面化したもの、すなわち移行状態である発達障害の現象学です。

遺伝のメカニズムは、ウィルス説で説明しやすいと思います。ただ、実験や観察により論証する条件は私にはありません…。
ウィルスは人をはじめ生物の活動に大きな役割をしています。すでにウィルスは人によって遺伝子操作に利用されています。ウィルスは比較的、短期間に広がる要素があります。それはウィルスが病原体として働いたときの病気の急激な広がり方で知られます。
ダーウィン進化論の改訂版では、突然変異が持ち込まれています。ウィルスが広範に急速に人に広がれば人の進化に影響します。新ダーウィン進化論を超える突然変異を示します(?)。人は動物として進化の途上にあり、それなら発達障害をこの過程として描くことは可能ではないでしょうか。

結果としての表われ(発達障害)は社会的な面と自然的な面から見ることができます。
社会的な面では「子どもから成人になる期間が長くなった」点が注目されます。高等動物ほど成熟するのに時間がかかると言われます。これは自然動物として人の成熟期間の説明です。しかし人間の場合の生育環境は社会環境といっていいのです。すなわちこれは社会的な面になります。
そのばあい子どもから成人になる期間が長くなっただけではなく、人間が長寿になっていることも関係します。そして長寿も主に社会的な理由により説明されます。
自然的な面(生物としての表われ)は、主に発達障害の人の観察的な事実(および自覚的な意識)に基づきます。順序で示すと、
(1)感覚器官の変化に見ることができます。神経過敏とか感覚が鈍感といわれるものです。
(2)感覚の大きなブレは感情面・情動面の特異性として表われています。
(3)感覚と感情面・情動面の特異性が言動(認識面と行動面)の特異性に表われています。

ラフスケッチですからこの程度にします。あらためて興味・関心のある方のご協力をお願いします。

発達障害を進化論から説明する協力者を探しています

11月末から12月にかけて、「発達障害を歴史性と進化論からみる」を書きました。発達障害を進化論から説明しようとする試みです。
その支えとなるのが中原英臣氏などの考え方です。具体的には『ウィルス進化論』(中原英臣・佐川峻、早川書房、1996年)によります。しかしまた、他のいくつかも参照にしており、この『ウィルス進化論』とは異なる進化の説明もあります。先日は「種の変化、定向進化を含む“ウィルス進化論”を肯定的に参照しています」と含みのある表現にしたのはこのためです。
手元にある参考書は『ウィルスは生物をどう変えたか』(畑中正一、講談社ブルーバックス、1993年)と『生物と無生物のあいだ』(福岡伸一、講談社現代新書、2007年)などです。
例えば、新ダーウィン主義での突然変異を中原説では否定的に受け入れていますが、畑中説と福岡説では突然変異をウィルスの働きとしています。
このような点を含めての確認事項が多数あります。当然、それを理解するのに必要な文献も多いでしょう。実験・観察する条件はありませんので、文献から合理的に理解し説明できる道をたどることになります。
しかし、私にはそれ以前に生物学の基本とか、DNA及びRNAなどの基礎知識が欠けています。それらの分子生物学の理解から取り組まなくてはなりません。たとえば『DNAと遺伝情報』(三浦謹一郎、岩波新書、1984年)というのがあります。
以上の2点は、いわば裾野のところであって、その上にウィルスの働きで人間が進化する、それも現在進行形にあると進みます。発達障害は人間進化の途上の現象と説明したいと考えます。
これらを一緒に取り組もうとする方を探しています。また文献紹介(入手可能な)もお願いします。