当事者の集まりか家族会か迷いつつ次回は1月20日

13日の講演と相談会「ひきこもりから社会参加の道」を終えました。
長机3つをコの字型にして座れるだけの参加者でしたが、実質的な話が進みました。
一人が例の介護施設の見学会に参加するかもしれません。
次回をどうするのかを迷います。
親の会の再開を目標の1つにしていたのですが、そうはなりませんでした。
日曜日でないと参加できない人が多いかもしれません。
会館受付で聞くと12月の日曜日は予約がいっぱいです。部屋を借りられません。
錦糸町のカラオケボックスを考えましたが、利用料は参加者数に比例するので料金は高くなります。
長い目で見て平井地域を拠点にすべきではないかと思い始めています。
そうすると場所は、(さしあたり)この平井コミュニティ会館になります。
内容はこれから考えますが、短いレクチャーと意見交換または相談になるでしょう。
家族会(親の会)にするのか当事者を中心にするのか、これも迷います。
当事者を多くしたいのですが、成り行きに任せるしかなさそうです。
次回は1月20日(日)午後2時から5時までを借りられました。
今回の講演として40分ほど話した内容は下書きテキストがありますので、加筆してサイト内に載せる予定です。

会報11月号を作成し発送へ

会報『ひきこもり居場所だより』11月号を作成しました。明日発送します。
掲載のエッセイは「いじめ・ハラスメントを見つけ解消していく時代」です。
10月25日に文科省が発表した「児童生徒問題行動・不登校調査」を報じる20都府県の新聞記事などを総括的にまとめました。
また11月13日の講演と相談会「ひきこもりから社会参加の道」の案内チラシを同封します。
会報のまえがき部分を以下に紹介します。

「大人のひきこもりを考える教室」(親の会)を再開するために寺院など複数個所に会場の提供お願いしました。
それぞれ事情があり断られました。この方法では実現しそうにありません。
そこで公共の会議室(平井コミュニティ会館)を借りました。
最寄りのJR総武線平井駅から歩いて8分といいますが、たぶん10分はかかるでしょう。
内容も親の会というよりは、「ひきこもりからの社会参加の道」というテーマでやや詳しい話をし、そのあと相談タイムを設ける形に設定しました。
具体的な内容・会場地図などはチラシを同封しましたのでそちらを見てください。
20年近く前に初めて親の会が生まれましたが、それとほぼ同じ経過をたどる取り組み方です。

求人募集をする事業者と協力して事業所説明会と居場所を兼ねた場所づくりは考えています。
ひきこもり状態からゆっくりと働く方向を手さぐりしていく方法です。
一直線には進んでいませんが、その働きかけのなかで介護施設を見学するところから始めようという話が持ち上がりました。
1日の会報発行までにはこの見学機会の日時等を確定できません。
関心のある方には、別途お知らせいたしますのでご連絡ください。
見学会は1名でも実施しますし、私も同行します。

大きなサイトを製作・運営しています。
ひきこもり状態を経験した人に協力をお願いします。
技術的には超初歩的な内容ですので、パソコンを使う当事者に週1回でも参加していただければ…。
連絡をお待ちしています。 (武)

ひきこもり「80・50問題」はすでに始まっている

「大人のひきこもりを考える教室+ひきこもりから<できそうな>仕事探しの説明会」を何とか(手堅く?)終えました。
ひきこもりを考える教室では、近い将来の危機を思い切って打ち明けたあるお母さんの話が波紋を呼びました。
現在の落ち着いた親子間の平穏を壊すかも知れません。
しかし、今のうちに伝えておかないと手の打ちようがなくなる、という思いから年末に伝えました。
40代の息子さんはうつむきかげんに「わかっている…」と答えたそうです。
この危険な個所を通り抜けないと、先に続く道に進めないせっぱつまった気持ちです。
同席の方も、「うちも…必要かも」とうなずいていました。
2020年といわれる、「親70代・子40代」といわれる「70・40問題」または「80・50問題」はすでに始まっています。
<できそうな>仕事探し説明会は、いろいろな質問を繰り返しながら介護現場の仕事の様子がわかってきたように思います。
子ども側の状況を考えながら、採用する事業所側にはいろいろな注文をしてしまいます。
今回は〈出来そうもないと承知のうえで〉親子合同の採用みたいなことができれば…というような話も出ました。
頭から問題にならないというのではなく、それならできるかもしれないという発想から出たものなので、〈やるとしたらどんな条件になるのか〉を考えてみてほしいと思います。
次回は見学者を募り、グループホームを実際に訪ねて話を聞く機会にしたいと思います。
今回の企画のもとの考え方「ひきこもりから働き始める可能性と条件」をサイトにアップしておきました。
http://urx3.nu/I9yO

自然発生的な認知行動療法?

高校を中退して通信制サポート校に転入した男子生徒の話です。
高校3年生になり、いまは大学受験の準備をしています。
その学校の柔軟性は前々から聞いていたのですが、どうやら彼の工夫もまたよかったようです。
いっぺんに全部を改善しようとはしないで少しずつ重ねます。
少し上のレベルで落ち着くと次な課題に進む。それを繰り返したようです。
「自然発生的な認知行動療法みたいですね」と私は感想を述べました。
カウンセラーのYさんもうなずいてくれました。
実のところ私は認知行動療法についてそれほど詳しく知るわけではありません。
だからYさんがうなずいてくれたことは自分にもよかったわけです。
以前にOくんがある体験発表をした時に対人関係のところで、いろんな工夫をしているのを聞いて、それも認知行動療法的だなと思ったことがあります。
Oくんにしても上の男子高校生にしても認知行動療法を意識していたとは思えません。
ということは人が自然にあることに取りかかるときのオーソドックスな方法、少なくとのその一つは認知行動療法的なのかもしれません。
その自然発生的な、療法とは意識していない、自分の心身状態を自分で感知しながら、自分で採用しているのが認知行動療法的なのかもしれません。
それを掘り下げて理論づけ、精密に体系化しようとするのが認知行動療法なのではないか。
少なくともそういう要素もあると感じています。
確信をもって言うつもりはないのですが、自分の感覚を信じてもよいといえます。
土曜日の不登校の親の会、セシオネット親の会でのことです。

7月15日は不登校の親の会・セシオネット親の会

私が長くかかわる中学生・高校生の不登校親の会にセシオネット親の会というのがあります。
新宿・高田馬場で毎月第3土曜日に10年以上つづいています。
運営者は4人いて2人はフリースクールと学習塾の先生、1人はカウンセラーでフリースペースを開いています。
そこに私が加わって4人です。
もともとは杉並区社会教育センターで進路相談会を共同開催していたメンバーです。
10代の高校生や中学生の親が中心ですが、“卒業組”の親も顔を見せます。
先輩の親からの体験的な話も交えて参考意見を交わします。
次回は7月15日(土)午後2時から
場所は高田馬場から歩いて5分の団地の1室です。
希望者には会場地図など1枚の案内がありますから必要な人にはお送りします。
入会金1000円(初参加者)と当日参加費500円。

7月9日のひきこもりの親の会(会の後半は仕事場の紹介と交流会)と並び、7月に予定しているもう1つの親の会です。
中学・高校生年齢の子どもを持つ方にはこちらをお勧めします。

ひきこもり親の会に事業者も参加し仕事場を紹介

親の会「大人のひきこもりを考える教室」は16年間、毎月続けて200回に迫ります。
親の会とはいえ、ひきこもりの経験者なども参加する会です。
16年にはいろいろと変化がありましたが、今回は運営としては最大の変化です。
相談会的な親の会を前半で終え、後半は求人募集をしている事業者に参加していただき、直接に仕事場の様子を聞き、交流する場にします。

日時:2017年7月9日(日)午後1時~、3時~
前半は午後1時から3時「大人のひきこもりを考える教室」
後半は午後3時から5時「仕事場の紹介と交流会」
後半3時からの「仕事場の紹介と交流会」には、小規模グループホーム型介護施設の人とミニ商店街で野菜直販店を開いているNPOの人が参加します。
ほかにも参加する事業者が見学に来られるかもしれません。
仕事内容などいろいろな様子を聞く機会になります。

会場&問い合わせ先:不登校情報センター
江戸川区平井3-23-5 桜コーポ101号室
  (JR総武線「平井」駅南口5分)
電話:03-5875-3730
FAX:03-5875-3731
メール:open@futoko.info

参加費:500円(前半だけ、後半だけ、両方参加でも参加費は一律500円)。当事者は無料です。
参加対象者:ひきこもりの子を持つ親、ひきこもりの当事者・経験者、関心を持つ人。 
*子どもが20代後半以上から40代になった親が中心です。
定員はありませんが、スペースの関係で15名程度。
予約制ではありませんが、できるだけ事前連絡をお願いします。

小規模介護施設の職員と意見交換しました

介護施設の方と意見交換しました(27日)。
先日の提案「居場所ワークの共同説明会」を話し、具体化するためです。
意見交換したのは都内に26か所、周辺県にも多数の施設がある事業所グループです。
いずれもグループホームで、入所者は認知症の人が1施設9名、小規模の共同生活施設になるといいます。
入所者はからだは動かせるのでスタッフは“重労働”とはいえず、3K(きつい、きたない、給料安い)は基本当てはまりません。
物静かな人が多く、ひきこもり経験者にとっては、困る事態はあまりないといいます。
場所により様子は少しずつ違いますが、騒々しい雰囲気ではなさようです。
スタッフは徐々に男性が増えてほぼ半分をしめます。女性が半数です。
これらの様子を直接に聞ける場をつくろうと考えています。

私からは3つ提案をしました。
(1)見学会、1日体験、ボランティア体験のように現場をみる機会をつくってほしい。
⇒都内にある26施設を中心にその種の予定を教えてもらいます。
(2)不登校情報センターの親の会などに参加して、ひきこもり当事者の様子を実際に見聞きしてほしい。
小冊子『仕事に就ける力をつけるとは』を渡しました。
⇒7月9日の親の会に参加できるかどうかを検討します。
(3)8月20日(日)に「共同説明会」をするので参加してほしい。
*これは別の異業種団体に加わっていただき進めることになっています。
⇒これも持ち帰って検討します。
「検討する」とした(2)(3)ともに参加できそうですが…。
情報センター的には他の事業者にも話を進めているので実現できそうです。

さしあたり7月9日(第2日曜日)は次のようにします。
親の会(大人のひきこもりを考える教室)を午後1時から行います。
これがだいたい3時過ぎまでです。親の会ですが、ひきこもり当事者の参加も期待しています。
3時過ぎから引き続いて今回は介護施設の人などの事業者に参加していただき「仕事場紹介と意見交流会」(仮称)を行います。
次の会報では、確定した部分を詳しくお知らせします。

不登校の親の会で発達障害を語る

27日の不登校・ひきこもりの親の会には、アスペルガー症候群と言われている2人が参加予定と聞きました。いつも何か短いレクチャーをするように言われています。今回はアスペルガー症候群について話すつもりでテキストを準備しました。
アスペルガー症候群の当事者であれば(状態像はいろいろに分かれるにしても)、
具体的で実感のある話がいいと思います。けれども私の経験はすでに多く書きました。経験談はその場の状況に応じて話そうと決めました。
なぜ今の時代にアスペルガー症候群が目立つようになったのか、歴史的社会的な背景に目を向けるのも、当事者にとっては自分理解にとって役立つのではないか、そんな考えが浮かんできます。
それを表わすには前から考えていた進化論と発達障害を結び付けて説明するのがよさそうです。しかしこの考え方というか説明の仕方は、意外なことにこれまで他で見たことがありません。自分なりにはごくオーソドックスな論理なのですが、ちょっと不思議です。
そこで「私論」か「試論」を付けるのがいいのですが、両方を付けるのはもったいぶっている感じがして「試論」を採用しました。
会のなかでは自分が実感したいくつかの場面の話をしました。出席の青年からの話を聞きながら、記憶が薄くなっていた経験も思い出しました。「そうだ! あれが気になっていたんだ」というものもあります。
アスペルガー症候群で「あいまいな表現が苦手・伝わらない」というのがあります。私の方から言えば、「なぜそんな言い方で伝わるのか、もっとはっきりしてほしい」と、思い続けていた子ども時代や青年時代のことを思い出しました。思うにそれで伝わったのはことば以外の周りの人の様子や雰囲気があったのです。そこを感知するのが苦手だったのか、と改めて確信します。しかし、ことばのレベルで伝えるのが正当という思いはいまもあります。
その「発達障害についての試論」は、時間の制約と長さの制限で何か書き残している感じがあります。近く訂正しようと思います。

外出の先になにがあるのか 〔独白調〕

2016年11月13日「大人の引きこもりを考える教室」(親の会)のテキスト

家から外に出たい気持ちは強いです。しかし、出ようとすると恐怖心がわき起こります。外出の準備をする、玄関に行く、ここまではできます。玄関先で家の周りの様子を探ります。近所の人の声がするかどうかです。玄関のドアを少し開けてみます。外に人影があるとどうしようかと迷います(この時はあきらめていいのです)。誰もいないと確認できれば大急ぎで飛び出し家から離れます。ここが最初の難関です。誰かに出会うとパニックです(家に戻るか脱兎のごとく離れるかで対応)。
家から出てどこに行くのでしょうか。これという行き先がないと外出は繰り返せません。行き先探しが大事になります。自分の場合はある公園です。人はあまり多くはなく静かなところでトイレがあります(使えるトイレがあるのは大事な要件です)。
他の人の例では、「図書館、書店(書店は減ってきています)、コンビニなど、少しは人の気配を感じながら、人とのコミュニケーションをとらなくてもいい場所」が多いようです。しかし、そういう場所はやがて不十分感がでます。
必要なのは“人”です。行きやすい“人のいる場所”ができると、外出しやすくなります。自分を受け入れられる感じがするところです。あまり話さない自分、静かにしている自分が認められる場所です。これがなかなか見つけられず苦労をします。
最近はカフェがはやりですが、混雑は苦手で行きたくはありません。単純にボーっとその空間を味わいたいのですが、不自然に思われるので本をもって行ったりします(本に集中できるわけでもありません=個人差あり?)。
これは「周囲に人がいる状態で人に影響されないでいられる練習」をしているのです。とにかく人がいると、特に顔を知っている人がいるとその人を気にして落ち着きません。これが他の人に影響されている自分です。その状態から抜け出さないと何もできそうにないのです。
自分のなかにこれというものがないので、周囲に自分を引き付けるものがないのかと探している自分の反応です(自分探しの自分)。もしごく単純な手作業があるとそれを繰り返しているだけでいいので楽にその場におれます。ただし、そういう場にうまく出会うことはほとんどありません。
そういう場所が見つかれば行き先にできます。それにより生活にリズムができると思います(毎日でなくても週単位や月単位)。家の外に行き先があるから外出が繰り返せるのです。そうでなければすべてを家の中で自分の意思で律して暮らすという芸当をしなくてはなりません。そんな芸当を数年も続けてきました。
手芸や工芸などの創作活動はそれができます。やっている人はいます。それを一人の状態で続けられるときはいいのですが、自分は「人のなかにいられる」ことも求めているのでその状態をズーッと続けることができません。
何かこれという興味・関心があり、それにより人とつながればいいと思うのですが興味・関心がまるで見つかりません。人に話すと「何でもいいから」という答えが返ってきますが、「その何でもの何って、何ですか」と聞き返したくなります。しかし問い返す気にもなりません。答えは自分のなかにあるのでしょう。B.ディランさんなら「答えは風のなかに舞っている」とでもいうのでしょうか。
振り返ると子どものころから、自分の興味・関心を自分で消してきた歴史です。遊びよりも勉強がいいと言われてきました。一人でいるのが好きだったので無理をして遊びを避けていたのではありません。だから一人が好きで友達がいないのを誰かのせいにするつもりはありません。
だけど勉強したからと言って自分の興味・関心には結びつかないのです。いまさら遊びが大事と言われても手遅れ感があります。
それに対しては、経験することでしかわからない、経験を重ねなさいという答えが返ってきました。勉強も経験の一つですが、この場合は自分のからだを動かし、人と接触し、自分の頭を使うという形の経験です。
子ども時代なら遊びですが、20代や30代になるとそう単純ではありません。最近はなるべく映画や美術館などにかぎらず、集会的な普通の人が話をしている場に行きます。もし自分にも話せそうなら話しても不自然ではない場所に出かけてみようと考えて、行動しています。高い壁がありますが少しずつの試みです。それでも家から外に出る一瞬のドキドキ感はまだ残っています。
もう周りの人間は就職とか仕事に就く話を勧めなくなりました。さしあたりは楽になっています。しかしそれに代わるものが必要でしょうが、それが何なのかはわかりません。いまのところはリズムのある生活を確立することが目標です。その生活が充実すれば自分が理解でき、人との関係ができるかもしれません。その先に友人的な人ができるかもしれません。
そういう人との関係のなかで自分がわかるのではないでしょうか。勉強しても私にはそれは抽象的なレベルにとどまり、本物の自分は理解できません。生きた人間と接触しコミュニケーションをとれることが自分にはリアルな世界です。いえ、そこはあまりにもリアルすぎる世界でまだそこに入っていくかどうかを戸惑っているのが現状です。そのあたりをわかってください。

感覚が鋭く育てづらい子は信頼してかわいがってください

このブログ10月16日付「感覚の鋭さや感度のよさが不登校の基本的な背景です」の続きです。次のように書いたところです。
<感覚の鋭さや感度のよさという言葉に隣にいたお母さんがちょっと反応して、「うちの子もそうでした。小さなころお医者さんからこの子の子育ては大変になるかもしれない」と言われたのです。
別のお母さんも「うちは保育園のころ同じようなことを言われました。でもそれって親はどうしたらいいのかはわからないのですよね」と続けます。>
幼児期に子育てが難しいと言われました。なぜ難しいのかは聞いた人も聞かない人もいたようです。なぜ難しいかの理由は「子どもの感覚が鋭く感度がいいのでいろいろなことによく反応する」ためです。それは細かなことに心を動かしやすいとも言えますし、それに疲れ果てて無反応状態になりやすいためでもあります。この点はここまでにします。
「親はどうしたらいいのかわからない」というのが主な点です。
幼児期の子どもであれば、子どもを信頼してかわいがることでしょう。特別にあれこれ細かく教えることはいりません。いろいろなことを感じる、それは子どもにとって避けられません。「気にしなくていい」と言われた人がいます。それはそういう感度を持たない人かそういう時期を自分なりに乗り越えてきた人のように思います。
感度がいい人には、感度が普通であるとか感度の低い人の状態はわかりません。比べようがないので自分が普通であると思うだけです。「気にしなくていい」を真に受けて気にしなかったために裏目に出た人もいます。そういう他の人の感度で自分の受けとめ方の尺度を決めるやり方は上手くいきません。
親にもそれらは判断しづらいことです。いろいろあっても子どもを信頼して感じたことには子どもなりの理由があります。それを信じて肯定することです。幼児であれば「そうだね」「~ちゃんはよくわかるね」と肯定してあげるのがいいのです。
子どもが学齢期になる、思春期になる、20代になる…年相応の対処はありますが、対応の基本は同じです。子どもを信頼して、尊重すること、話を聞く機会があればできるだけよく聞くことです。不登校や引きこもりを経験した子どもには感覚の鋭さや感度のいいことが背景理由にあることが多いのです。
親にできることは、子どもに代わって子どもの進路を探すことではありません。情報の提供はしてもいいし、相談的なことには答えるのがいいと思います。それを超えて子どもがすることを子どもに代わってしないことです。そうした場合はある時点で「自分が選んだことではない」ということを言われます。
「でもあの時は同意していた」と言う方もいますが、そのときは「Noと言えなかった」とか、その時点での押しつけに子どもは逆らえなかった証拠でしかありません。この面もいろいろありますが、ここで止めます。
もう一つの面もあります。ある程度成長した子ども側はどうするのかの点です。「本人はどうしたらいいのか」もよく聞かれたことです。
自分という人間、感覚の精度が高い自分をよく理解することです。そして「自分で自分を育てる」ことです。この2つの面を並行して進めることです。この点もまたいずれ話す機会があるでしょう。