「メンタル相談」施設探しの経験とこれからの方向性

事務作業グループによる「メンタル相談」施設探しの作業は、やっと1つの方向が見つかったようです。
あるデータを基に全国の約280か所にFAXによる情報依頼を行いました(8月8日以来)。回答率は5%を超えています。これでも少なく感じるでしょうが、経験からは高いほうです。その前にNTT電話帳「各種療法(心理・精神)」をデータ源に同じ方法で情報提供を依頼しましたが、回答は少なかったです。
この2つのデータ源の違いから気付くことがありました。すでに「メンタル相談」に掲載している施設、そこには載っていないけれども数年来の調査を記録した数百件のカードとの照合で気付いたことです。

(1)対応施設は万単位になると推測できます。対応分野がきわめて幅広く、不登校情報センターが求める分野と一致しない所も多くあります。この依頼作業は正攻法の地味な見きわめ方です。いろいろなレベルのサイト集・リンク集などがあります。そこから一致する情報を集める作業です。
(2)情報依頼の方法には、これからはメールになることが避けられません。所在地が未公表、固定電話を置いていない、連絡方法が主にメールと携帯電話になる、自前のHPが不備であるなどの状況が見て取れます。そのような状況が療法や相談内容の不備と重なるのではありません。そういう属性を持ちやすいことがこの分野の特色の1つです。
(3)送信したメールがどれくらい読まれるかは未知数です(FAXによる依頼は比較的高い割合で読まれているはずです)。
メール依頼の際、「未承諾広告」の表示が必要になります。
なおメールによるFAX送信ができるようになったというニュースがネット上に出ています。
(4)事務作業グループは作業のしかた、パソコンの使い方、情報の整理のしかた、ネット上の表示のしかたなど、作業進行にともなって具体的になり広がっています。それだけに個人的な関心も持ち込んでいける条件もできます。関心のある人の参加を期待しています。お試しから来てください。

〔8月19日追記〕18日までに18か所から紹介情報の提供がありました。

居場所ワークの目的、内容、課題をまとめました

ある機関に「居場所ワーク」活動への助成支援をお願いしました。プロジェクト名「居場所ワークの安定と促進策」として「居場所ワーク」活動の目的・内容・課題を簡潔にまとめました。その部分です。

プロジェクトの目的(活動全体ではなく中心のプロジェクトです)
(1)通所者による居場所ワークの作業で安定的な収入が得られれば、就職型の社会参加とは違う方法ができます。それをめざすのが中心目標です。取り組みのなかで、企画の具体化と修正、対人関係づくり、受講者・協力者づくりをする。
(2)ひきこもりの経験者が一般企業に入る前に、実際にできる状態・条件で自分にできる作業を行う。こうなった人はいますが副次的な目的です。
(3)ひきこもりの経験者が、自分の得意分野で取り組む仕事づくりを応援する。場所提供、協力者による試行錯誤と企画相談、広報活動、事務機器(PC・FAXなど)の活用。
(4)居場所ワークを安定的に定着化することによりひきこもったまま外出できない人ができる在宅ワークの方法を準備する。
プロジェクトの内容:プロジェクトを実行した時の受益者(支援対象者)/期待する効果
「在宅ワーク・居場所ワークのすすめ」という基本の手引きを作成。
(1)ひきこもり経験者による「不登校・ひきこもり・発達障害を周辺事情に対応する学校・支援団体等の情報を紹介するサイト」を作成・運営する。このメンバーを増やす。
(2)ひきこもり経験者による情報収集をする事務作業グループ。情報収集のノウハウと企画力を高めるとともにメンバーを増やす。
(3)個人・グループとしての仕事起こしを援助する。家族療法の学習会、パステルアート教室、わかもの生き方クラブとして活動を始めた人がいます。
プロジェクトを達成するための課題
(1)サイト制作と事務作業に対して相当の作業費を支払える収入の確保(広告費など)。
(2)仕事づくり的な活動には、講師料に相当する謝礼を支払う。教室等として成り立つように援助します。

私の居場所論は特殊な背景により生まれています

私が不登校情報センターを設立したのが1995年の9月です。
翌年に通信生・大検生の会をつくりました。初めのうちは会場を借りてこの当事者の会を開いていました。3年後に自宅近くに小さな事務所を借りました。そこが当事者の集まる居場所になりました。当時は週1回の集まりでした。
2001年に当時の第一高等学院の好意により、新小岩の旧校舎を無料で事務所にすることができました。やがて連日のように引きこもり経験者が通ってくるようになりました。私はこれでも趣味は仕事ですから、自分の仕事をしながらこれらの当事者とともに生活する状態になりました。
2003年に書いた本のタイトルは『引きこもりと暮らす』です。そこは私の仕事場である不登校情報センターの事務所であり、それととともに引きこもり等の経験者の居場所になりました。移転後の2年間に不登校情報センターはそうなりました。
2005年に、約束の使用期間を大幅に超えていた事務所を近くのマンションの一室に移しました。運営資金が足りないので、自宅兼事務所にしましたが、同時に居場所になりました。引きこもりと暮らす状況はよりいっそう深くなったのです。
いつの頃からかははっきりしませんが、週3回は休日にしています。といっても日曜日に親の会が開かれますし、休日にも予約相談者が来ます。自分でこなす仕事はこの休日をあてますので、完全に休日というのは年に数回です。趣味は仕事ですから、支障はありませんでした。
昨年夏にさらに家賃の低いいまの場所に事務所を移しました。自室と呼べる部屋はありません。私にとって引きこもり等の経験者の居場所は、いまではすっかり私の住居と同じです。
私が展開する居場所論、居場所に関する感想や思いはこのような背景によるものです。職場のように自宅から出かけていって運営する居場所とは違います。日常が居場所のうえにあるのです。特殊であることを読み取りながら役立ちそうなことを持って行ってください。

引きこもり経験者の集まる居場所の運営、居場所づくりの方針・方向とは何でしょうか。それは来所する当事者が、自分なりの居場所にする仕方を助けることです(先日3月5日の「居場所の違和感を超えるには時間をかけて自分仕様にすること」)。
というわけであまりそれらしき運営規則はありません。社会常識によることが基準みたいなものですが、個人個人にいくつかの例外があるように思います。これは公表しませんし、公表はしなくてもばれているものもあります。
こうなったのは居場所のスペースの物理的な条件の中で全体との調整をみながら最大限の個人的なカスタマイズ(自分仕様)を容認することです。その人の自然な動き、日常性を生かそうとするとそうなってしまったものです。基本的に私はここに住んでいますから大きな支障がない限りそれらは許容できる範囲です。
それは確かに私の個人的な負担になることもあります。そうであるからまた引きこもりをいろいろな側面から理解する機会に出会ってもいます。詳しくは知りませんが人類学とかフィールドワーク型の調査はこのような形があるのではないでしょうか。引きこもり研究に適応したようなものです。
〔長くなったのでここらでいったんやめます。〕

居場所に確立した事務作業グループの次のテーマ

7日の事務作業グループの参加は3人でした。
2月のグループ発足以来、9人がこの場に参加したことになります。作業当日は最大5人、最小2人です。
作業しながらの居場所の方法として水金曜日の週2回・各2時間、ある程度確立しました。

作業内容はかなり幅広く、やりやすい分野と苦手な分野がいくぶん明瞭になりました。
個人差は出ますが誰にとっても得意ではないものもありそうです。必要はあるが手を出せない分野をなくすのが課題です。
一つひとつを作業マニュアルにして、それを見ればだいたいは出来るようにするのが目標になります。
10か月の取り組みにより、作業マニュアルを作る下準備は出来つつあります。
完全に任せられる分野を1つつくるのが来年初めの目標でしょう。

作業は2時からの2時間ですが、4時に終了した後どうするのか。ここを考えることも必要になりました。
さいわい使えるパソコンが増えましたので、パソコンを習い、練習をする手があります。日によってはゲーム的なもの、トランプやマージャンもあるかもしれません。

作業内容を思い返すために新しいビジネスフォームをつくる

今日の事務作業は9月11日の「作業日報を事務作業内容のノート代わりにする」をどう実行に移すかを話しました。
まず今年2月から始めた各自の「作業日報」を見てもらい、何をしたのかを思い起こしてもらいます。作業日報はかなりの枚数になるのですが、内容をピンと思い出すものが少ないです。思い出せるのは処理に苦労をした「基本台帳を順番に並べて綴じノートに戻すもの」です。基本台帳を地名順に並べているのですが、抜き出した基本台帳を所定の場所に戻すのに苦心した記憶です。
メンバーは作業日報を読み返しながら、作業内容を後で思い出すためにはどのように記録すればいいのかを考えました。この話し合い内容も各自でノートをしてもらいます。
その後、残っていた30枚ほどの「基本台帳を順番に並べて綴じノートに戻す」作業をしながら、台帳綴じノートに県単位・区単位を仕分けるラベルページをはさみます。このラベルページ作成は話し合いの結果による工夫です。
話のなかでできた各自のノートと私のメモを生かして「作業日記」ビジネスフォーム(帳票)をつくりました。こうして今日の作業を作業日報・作業日記の両方に書く準備ができました。

作業日記には、内容(実例など)、件数、感想(事件・改善案・気分など)を書き、分類と見出し欄も作りました。分類と見出しはそろえることを急がず、まずは各自で思いついたものを記入してもらうつもりでしたが、見出しを書いたのは1名だけです。
今日は、作業日報・作業日記と話し合いのノートの3枚を書いたことになります。作業日報と作業日記、そして基本台帳はいずれもビジネスフォームです。

事務作業グループを居場所という意味がわかりません(質問)

事務作業グループを「引きこもり経験者の居場所の一種」とするのはどういうことかという質問を受けました。
居場所というのは場所、人の居る所を指すけれども、人の集まり自体ではありません。ですから予測される質問です。もし事務作業グループが居場所なら、野球の応援団が居場所になり、ファンクラブも居場所になります。実際そういう使い方も可能です。しかし、もう少し説明しなくてはなりません。

両者には違いがあります。しかし重なる面もあります。
居場所、フリースペースは場所(スペース)から見た評価です。自助会、自助グループは人の面から見た評価になります。さらに医療等における作業療法・デイケア、福祉等におけるワークショップ、心理等における集団カウンセリング等は行為の面から評価したものと言えるでしょう。
同じことを見る角度を変えて表わすときに言葉が違います。しかし重なる部分が同一ではないこともあるので自動的に同じものとは言えない場合もあります。慣習により使う対象が特定されることもあります。
あるワークショップに参加した人たちを、そのまま自助会メンバーとは言えませんし、そのワークショップを居場所ということもできません。しかしワークショップが継続し、恒常的に参加するメンバーが現われるとそれは居場所や自助グループの様相を持ってくると思います。
不登校情報センターの事務作業グループを居場所の一種と表現するのはこういう状態になってきたからです。事務作業グループは週2回の作業日・1日2時間の作業時間がほぼ定着してきました。引きこもり経験者・引きこもり状態の人の参加を呼びかけています。

サイトを利用しアドセンスで収入を得ませんか

不登校情報センターはGoogleのアドセンスを活用しています。
これには不登校情報センターのサイト全体と、担当ページの2つの系統で活用しています。
先月はそのページ担当者(複数)も初めてのアドセンスによる収入を得ました。そのページを担当する人が内容の充実を図ってきた一つの結果です。
収入額は決して多くはありませんが、不登校情報センターのサイトを活用すればそのような可能性もありえます。

参加できるのは不登校・引きこもり等の経験者であり不登校情報センターと一定の関係を維持できる人とします。どこに住んでいるのか居住地などが関係しますから、当事者会員になることは必要条件ではありません。
内容に関しては、特定の個人・団体・地域を攻撃するものなどでなくネットの健全な利用であることです。不登校や引きこもりに関係するテーマに限定しません。各人の趣味・関心を表現するもの(日常生活・アニメ・鉄道・スピリチュアル・高校野球・カウンセリング体験など)がよく、内容は自由です。
技術的な条件による制約もありますので、事前の話し合い(手紙・メール交換などによる)が必要です。

作業日報を事務作業内容のノート代わりにする

不登校情報センターの会員当事者が何らかの作業をしたときは、作業日報というのを書いてもらっています。一人ごとにその日に何をしたのかの内容と作業時間を記録しておくものです。
これを月単位でまとめて作業費の支払い計算に使っています。

先日からこの作業日報を事務作業グループの記録に発展的に使おうと考えてきました。事務作業は範囲が広く、一度それを経験したからといってすぐに覚えられるものではありません。それどころか事務作業には何があるのかリストを作ることさえ難しいほどです。
将来を考えたとき、事務作業で何をしてきたのか、できればその記録を見ながら思い起こせるようにしたいと検討してきました。
そのためには記録が詳しく具体的であれば、思い出しやすいでしょう。いわば事務作業のノートです。事務作業に関しては、作業日報を作業費計算の記録だけでなく、このようなノートの役割をするものに充実させたいと考えたのです。
記録の保管も事務作業記録を別に集約したものがよさそうです。今日の事務作業記録からそうしたいところですが、準備不足でした。

人のなかに繰り返し居続ける経験が人格形成につながる

人格の成長は教育目的になります。教育基本法というものがあります。戦後まもない1947年に制定され、第1次安倍内閣時代の2006年に改正されました。しかし、両者ともその第1条で「教育の目的」として「人格の完成をめざす」としています。
私は長く教育出版物の編集をしていました。その当時は教育基本法にあるこの言葉の意味がいまひとつ理解できなかったのです。それは編集業務が実際の子どもにふれるものではないことに関係しているためだと思います。
現実に不登校や引きこもりを経験してきた人に囲まれた生活を続け、あの強いいじめを受けた状態の人を見、やがて両者がつながりを感じました。人格形成の弱さ・未完成が共通項と理解するようになったのです。
自己肯定感とは人格の形成または完成に向かうことです。それは学校の成績がいいとか悪いとかの問題ではありません。運動能力が優れているかどうかの問題ではありません。身体に障害があるかどうかの問題でもありません。自分の状態がどうであれ、自分として受け入れられるかどうかの心理的・精神的な成長の問題です。
成績がいいとか悪いとかは「そんなの関係ない」のです。世の多くの人を見ればそうではないですか。自分を認めそれを肯定的に受け入れ成長すること、それが心を育てることになります。私がこの取り組みを教育活動とその延長にあると考えるのはこのためです。

「不登校情報センターに通っていれば何かできるようになるのですか」という質問にはこう答えましょう。「人のなかにいて、ヒトを見ているうちに自分を理解するようになります。そんな自分でもいいと思えるようになったら、何かに手を出して始めたくなります」。
実はこれは私自身の経験でもあります。私は26歳のころ“居直り宣言”という自己肯定をしました。「私は不十分な人間ですが自分ではどうもなりません。それでもよろしくお願いします」という趣旨を数人に話したことです。その前後を比べても変わったものはないかもしれません。あるとすれば気持ちの変化です。背伸びをしない・無理をしないようにしたことでしょう。
私はこれというまとまった教育方法を学んだことはありません。心理学・精神科学や社会福祉の基礎的なことを専門的に学んだこともありません。型破りというよりはもともとの型を知りません。ですから不登校情報センターという居場所ではスペースの所定のプログラム(訓練計画)はありません。出たとこ勝負ともいえるし、人が集まるなかで生まれる自然現象があるともいえます。これらを経験主義といえばそうですし、独創的といえばそうでしょう。特に賞賛することでも卑下することでもなく、事実評価です。
私のほうから何かを提示することは少なく、誰かがしようと始めたことを広げることが多いです。人には個人差がありますから、あるやり方を別の人に無理押しはできません。
必要なのは一つひとつの取り組みや動きにどういう反応があるのかをよく観察することです。公式を当てはめるやり方ではないので時間はかかります。
自分なりに到達した公式らしきものは「人は自分でこういう人間だと肯定的に考えるようになったときに出来そうなことから動き始める」というものです。すでにどなたかが言ったことかもしれません。私は自分の取り組みのなかで発見したことです。質問への回答の言い方を変えた説明でもあります。
(その5・一応のおわり)

不登校情報センターの取り組みの説明につける「註」

8月30日に『「何もする気がありません」という人への答え』(その1)と『作業があると対人関係の心理的な先鋭化を緩和できる』(その2)を書きました。これは連続していますので順に読んでください。
次に進む前に(その1)(その2)で書いたことに註をつけておきます。

◎ 心理戦争は禁止すべきこととは思いません。いじめレベルになるとそうも言っておれませんが、当事者にとり普段は心理戦争は必要であると思います。
心理的なストレスを強く受けたこと(いじめ、仲間はずし、暴力などによる攻撃を受けること)が精神的な成長を停滞させていると考えられます。その回復力をどうつくるのかを考えると有効です。
支援者が意図的なプログラムを用意する方法があると思います。私はそのようなものを知りません。それに代わって自然状態を推奨します。特別に攻撃的な人がいないことが前提ですが、同世代の人がその役割を果たします。はじめのうちは人数が少ないなかで経験するのがいいです。それは当事者が自然に選んでそうします。
心理的なストレスに対する抵抗感がなくなっている、そういうストレスを受けたことがない人にはこの心理戦争は学習の機会になります。
対人関係においては自分の思う状態の範囲のなかでは存在できない、そういう経験をするうちに人を学び、自分を知るのです。

◎ 「手伝います」も考えてみる内容があります。何もない空白状態でできそうなことを考えるのではなく、目の前に自分ができそうなことが展開されている状態になります。個人差がありますから集まる全員に通用するのではありません。誰かに通用すればそこから別の作業、別の人への普及が見えてきます。
私の場合は文章を書くなどの編集的な作業が多くありました。それを見ていて「手伝います」となったわけです。そこでしていることは影響を与え広がりやすいことは確かです。

◎ 優れていること、できることを誉めるのは自己肯定を高めるのに有効です。環境や場所が影響することも認めましょう。特に幼児・小学生や10代ぐらいまでは有効性は高いと思います。
しかし、年齢が高いと逆効果も出ます。優れた能力をほめることや環境条件などを最優先に考えないのは、そこを指していると読み取ってください。
(その3)